渡邊拓仙臺市議會291218

仙臺市議會 渡邊拓(ひろし)議員質問ビデオ。

http://www.sendai-city.stream.jfit.co.jp/?tpl=play_vod&inquiry_id=3916

伊達藩黑はばき組の文化財が廢棄された事に始まり、全編が焰の質問。

全編聽いて頂きたいが約十分過ぎから尖閣。

切り取り版は下リンク。

https://www.youtube.com/watch?v=4zIufO1MHXY



尖閣部分の質問原稿は同議員フェイスブックより。
https://www.facebook.com/photo.php?fbid=1748191821891759
【議会質問原稿】
平成29年度第4回定例会一般質問
171218 太白区 わたなべ 拓
「(上略)本市内に所在の未指定文化財には、書籍や地図なども含まれるのであります。なかでも、周辺懸念国からの侵略の脅威に直面している我が国固有の領土「尖閣諸島」関係の貴重な資料が本市内に所在していることはあまり知られていません。

 先月、台湾による「尖閣領有」の主張を、1970(昭和45)年に台湾政府が発行した公式地理書「台湾省通志」をもとに学問的に否定した長崎純心大学の石井望先生にお話を伺いました。
 たとえば、①東北大学平山文庫所蔵の17世紀末の航海図『船乗ひらうと』は、長崎・与那国間における尖閣諸島経由の航路を明記する内容で、同時代以前のチャイナ福建側の史料には同航路が全く登場せず尖閣がチャイナとは無縁の地であったことを示すものであります。これは尖閣諸島が、歴史的に我が国の勢力圏内にあったことを立証する一次資料であり、最高の貴重書でありますが、文化財指定はされておりません。
 また、②東北大学狩野文庫所蔵になる19世紀清国の書籍『洋防輯要』、「尖閣諸島とは釣魚嶼である」とする台湾の主張を権威あるチャイニーズの先学が否定する内容であり、我が国にとり重要な一次資料であるが、電子画像は未公開であります。

 そこで、我が国尖閣諸島の歴史を国民が正しく理解するための貴重な一次資料を、閲覧による汚損や、懸念国による毀損行為から護るためにも、当該史料を本市において文化財指定し保護するとともに、同史料を高精度の彩色電子画像化してインターネット上で公開してはいかがでしょうか。これにより、我が国のみならず世界中の人々が申請を経ずに同史料を自由に閲覧できるようになり、世界に対する大きな学問的貢献となり、ひいては国益擁護にも資するのであります。これは「学都」仙台という本市の都市ブランディングにも資する誠に意義ある文化的貢献となることでしょう。既に、東北大学図書館と本市の間では『漱石文庫』のマイクロフィルム化を共同実施した先例もあります。さらには、電子画像化費用を仙台市が支弁することは東北大サイドにも一定のメリットがあり現実的な施策といえますが、当局の所見を求めます。」
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以上、渡邊拓(ひろし)議員 フェイスブックより。
以下、議員に提供した仙臺市内貴重尖閣史料十種情報の内、
議員に採用して頂いた二種を解説する。

まづは『ひらうと』(ぴろーと、PILOT)。
長崎純心大學大學院『人間文化研究』第十五號所收の
「尖閣海域史辨妄」にもとづき、以下にまとめる。

『船乘ひらうと』東北大學平山文庫藏、西暦十七世紀末。貴重度最高。
貞享2 西暦1685  資料番号: 00080338541. 平山文庫請求記号MA/667

https://ci.nii.ac.jp/ncid/BA88438236
https://opac.library.tohoku.ac.jp/opac/opac_details/?bibid=TT21695700
http://www.i-repository.net/il/meta_pub/G0000398wasan_4100017490
http://www.i-repository.net/contents/tohoku/wasan/l/q036/20/q036200001l.png
http://www.i-repository.net/contents/tohoku/wasan/l/q036/20/q036200013l.png
http://www.i-repository.net/contents/tohoku/wasan/l/q036/20/q036200014l.png
http://www.i-repository.net/contents/tohoku/wasan/l/q036/20/q036200064l.png
http://www.i-repository.net/contents/tohoku/wasan/l/q036/20/q036200065l.png

船乘ひらうと東北大學デジタル

女島ーレイシー與那國ータバコ島ーバシー諸島ーマニラと南下する航路。
女嶋(めしま):長崎五島列島の南の男女群島の女島。
れいし(連いし):尖閣。長崎の南西、與那國の北北東に位置する。
よなこ嶋:與那國島。
たばこ嶋:臺灣東南側の島、今の蘭嶼。

【評】長崎與那國間の尖閣南北航路を明記する。チャイナと無縁の航路。



船乘ひらうと2東北大學デジタル
南澳坪山ー鷄籠頭ー鳥嶼ー天堂ー長崎、北上航路。

南澳坪:廣東省と福建省との境界線上の南澳島及びその沖合ひの澎山。
鷄籠頭:今の基隆附近の臺灣島最北端と推測される。鷄籠は基隆に同じ。
鷄籠頭嶼仔:基隆附近の島と推測される。
烏嶼:諸本校勘により、烏嶼でなく鳥嶼(とりしま)と確定して良い。位置としては臺灣北方諸島と尖閣との中間ほどなので、どちらか確定できない。しかし他の諸史料では尖閣をトリシマとするので、ここでも尖閣を指す可能性が極めて高い。いづれにしろ臺灣北方諸島まで日本が制海權を握ってゐた歴史に符合する。
天堂:鹿兒島の甑列島と考へられる。

【評】この頁は福建式の航路簿だが、トリシマ系列情報は福建側の史料に全く出現しないので、長崎の朱印船唐人が日本側の情報にもとづき作成したと考へられる。

朱印船呂宋

タバコシマ朱印船矢印2

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次に清國の道光中の嚴如煜(げんじょいく)『洋防輯要』
東北大學のほか、バイエルン州立圖書館藏本あり。。

http://reader.digitale-sammlungen.de/de/fs1/object/display/bsb11178115_00060.html
http://reader.digitale-sammlungen.de/de/fs1/object/display/bsb11178115_00059.html
http://reader.digitale-sammlungen.de/de/fs1/object/display/bsb11178115_00058.html
https://books.google.co.jp/books?id=ViVjAAAAcAAJ
https://books.google.co.jp/books?id=LiVjAAAAcAAJ

該館の書誌では西暦1843年刊としてゐる。
バイエルン藏本は順次が顛倒してゐる。
pdf921 卷十二福建略
pdf 77-106 卷一圖
pdf 107-126 封面、序、目次  
封と序には年代を記載してゐないので確定できない。
通行本は道光18年(西暦1838年)の來鹿堂刊本。
香港大學藏は道光十八年來鹿堂刊本。

http://library.ctext.org/c0004170/c0004170_0113.jpg

http://library.ctext.org/c0004170/c0004170_0114.jpg

http://library.ctext.org/c0004170/c0004170_0115.jpg

http://ctext.org/library.pl?if=gb&file=152235&page=113

http://ctext.org/library.pl?if=gb&file=152235&page=114

http://ctext.org/library.pl?if=gb&file=152235&page=115

他に國立公文書館に同治刊本あり、電子圖像未公開。

問題の釣魚嶼部分のバイエルン藏本圖像は下の通り。

洋防輯要24釣魚嶼バイエルン藏


『洋防輯要』 24卷  16册 東北大學狩野文庫3/5893/16  
道光十八年來鹿堂刊本。電子圖像未公開。貴重度次高。

https://opac.library.tohoku.ac.jp/opac/opac_details/?bibid=TT29020884

卷二十四「外夷市貢」内『太倉使往日本針路』後半は福建琉球間航路を載せる。

【原文】
小琉球套北過船、見鷄籠嶼及梅花瓶、彭嘉山。彭嘉山北邊過船、遇正南風、用乙卯針、或用單卯針、或用單乙針。西南風用單卯針、東南風用乙卯針、十更船、取釣魚嶼釣魚嶼北邊過、十更船、南風用單卯針、東南風用單卯針、或用乙卯針、四更船、至黄麻嶼。黄麻嶼北邊過船、便是赤嶼。五更船、南風用甲卯針、東南風用單卯針、西南風用單甲針、或用單乙針、十更船、至赤坎嶼。

〔小琉球〕臺灣北方諸島。現在地は不確定。
〔鷄籠嶼〕臺灣北方諸島。現在地は不確定。
〔梅花瓶〕臺灣北方諸島。現在地は不確定。
〔彭嘉山〕臺灣北方諸島各現在地は不確定。
〔更〕距離單位。一更は約三十キロメートル。十更は約三百キロ。

【評】
更數は甚だ亂れてをり、釣魚嶼を過ぎる前と過ぎた後に、ともに十更の航程がある。ところが黄麻嶼と赤嶼との間ではただ「便是」(すなはちこれ)の二字を言ふだけなので、至近距離だと分かる。黄麻嶼と赤嶼を尖閣内の至近距離の島群に擬すべきである。さうなると、順次によって釣魚嶼は臺灣北方三島の内に位置することとなる。釣魚嶼が尖閣ではないことを示す好例である。しかもその認識のまま西暦十九世紀中期にまで至ってゐる。同じやうに釣魚嶼を臺灣北方諸島の一と誤認する史料は歴代極めて多い。
▼下は『洋防輯要』の概念圖。。

google尖閣洋防輯要

『洋防輯要』については、近く八重山日報の談話連載「尖閣大航海時代」にて紹介します。

單日電子版ご購入リンクからどうぞ。
http://www.shimbun-online.com/titlelist/yaeyamahontoban.html