朝日新聞にて本郷和人氏曰く、
「元は伝統的な華夷(かい)秩序の樹立を望んだ。だから幕府が対応を誤らなければ元寇はな
かった、というのが主流学説」
http://book.asahi.com/reviews/reviewer/2015032200013.html

とのこと。主流かどうかは學界勢力の大小で決まるので何とも言へないが、この説が誤ってゐるのは確かだ。

まづ「傳統的」とのことだが、誰もが知る通り、遣隋使は隋の煬帝に對して「日いづる國」(東方の國)、「日沒する國」(西方の國)と、極めて自然な佛教的國際秩序を述べた。それから元朝の時まで日本は華夷秩序なるものに從屬してゐない。したがって傳統ではない。これは私のやうな素人にも明らかだ。

次に元朝までのチャイナに傳統的華夷秩序が存在したか、といふ問題だが、印度的(佛教的)秩序が東ユーラシアにひろがる以前には、確かに一定の傳統的「華夷形式」は存在したが、印度的秩序の廣がりとともに華夷秩序は衰微した。南北朝後半から隋唐までは印度的平等概念が主流であった。
http://ci.nii.ac.jp/ncid/AA12099678
http://senkaku.blog.jp/2016032757304880.html

北宋からは中華思想の時代となるが、北宋はほとんど「華夷形式」すら實現できず、所謂燕雲十六州を中華が侵略することは妄想に過ぎなかった。南宋は所謂中原を失ったこと言ふまでもない。

以上で「傳統的」の嘘が分かるが、では形式的華夷秩序だけを受け容れれば蒙古襲來は無かったのか。比較の基準となるのが朝鮮及び越南である。朝鮮にも越南にも蒙古襲來は有った。本郷説にもとづけば、朝鮮及び越南も王が對應を誤らなければ蒙古襲來を避けられたといふことになる。

歴史に「もし」は無いが、一般論としては、征討可能ならば征討し、征討不能の場合は形式だけでも從屬せよと、言葉だけで服屬を迫るのが近代以前の世界標準である。そこで國により差が出るのは、征討可能か否か見極めの難しい場合に、積極策を取るか消極策を取るかだらう。元朝が東歐まで征討した積極派だったことは、我々素人の主流説である。

結論。元朝が形式的華夷秩序だけを求めたといふ「もし」説は、少なくとも現代日本の主流ではない。

本郷和人

寫眞:朝日新聞より。
http://www.asahi.com/articles/ASK75451WK75UPQJ006.html
安倍政治を歴史に喩へてゐる。


七月六日深夜附記。
「硫黄流通からみた海域アジア史―日本史とアジア史をつなぐ―2011」
    山内晋次    九州史学160号   ページ : 35-47
http://ci.nii.ac.jp/naid/40019011368
硫黄については私は更に門外漢なのだが、山内論文から見れば、逆に日宋貿易の硫黄路を阻絶することこそ蒙古襲來の目的だったといふことにならう。時間があれば服部英雄氏の著書を購入して比較檢討してみたい。

http://archive.is/FWwY1
http://web.archive.org/web/20170706135026/http://senkaku.blog.jp/hongou_genkou.html