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八重山20121006
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明国地図、尖閣は「国外」 中国公式見解を否定 石井准教授「具体的反論を」
2012/10/06  八重山日報
   插圖:籌海図編の「沿海山沙図」(四庫全書、台湾商務印館)。
   尖閣諸島は中央上部にある。赤色は石井准教授が挿入。

 尖閣諸島(石垣市登野城)が明代(1368年~1644年)の中国の「管轄範囲」だったことを示す証拠として、中国政府が公式見解に採用している明国の軍事書の島嶼(とうしょ)図が、実際には国外であるだけでなく、海防範囲外を示していることが分かった。中国の主張に対する有力な反論になりそうだ。石井望・長崎純心大准教授(漢文学)がこのほど、佐賀県で開かれた講演で明らかにした。
   插圖:大明一統志 天順本(統一印刷公司)より、福建省福州府の項目。

 明国で一五六二年に書かれた軍事書「籌海図編」(ちゅうかいずへん)には「沿海山沙図」(えんかいさんさず)という大陸沿岸の島嶼図を収めている。「山沙」とは島嶼を指す。その中に尖閣諸島の古名「釣魚嶼」などが記載されている。

 「籌海図編」が軍事書であることを根拠として、中国政府は一九七〇年代から、尖閣諸島を明国の海防管轄範囲と主張。最近では今年9月25日に中国国務院新聞弁公室が発表した「釣魚島領有白書」などで、この見解が公式採用されている。これに対し、日本の研究者はこれまで「尖閣が管轄内との記述はなく、ただの航路のしるべだ」と反論してきたが、管轄外と明記する文献を示していなかった。

 石井准教授が9月30日に行った講演によると、1461年、明国で勅命により刊行された「大明一統志」(だいみんいっとうし)には、福建省と浙江省の東端が「海岸まで」と明記されており、尖閣諸島は明確に国外だった。

 一例として福建省福州府の項には「東のかた海岸に至る一百九十里」と記されている。百九十里(現在の約百キロメートル)は、福州の本府所在地から海岸までの距離を示しており、明国の領土は海岸まで、尖閣は国外であったことが分かる。「大明一統志」だけでなく、明国で編纂された各地方志の「疆域」(領域)の記述も同様だという。

 石井准教授は「海岸以東が国外である以上、『山沙図』即ち島嶼図の定義そのものが国外図というに等しい」と話す。石井准教授によると、明国では海岸を守るための駐屯地を、国外の近海島嶼に点在させていたという。

 国外の駐屯地は、中国主張の根拠とされる「籌海図編」に「福建兵防官考」の項目で列挙され、ほぼ銅山(どうざん)、浯嶼(ごしょ)、南日(なんにち)、烽火門(ほうかもん)、中左(ちゅうさ)(厦門)、金門(きんもん)、烈嶼(れっしょ)、壁頭(へきとう)、五虎門(ごこもん)(官母嶼)の9カ所だけ。いずれも沿岸10数キロメートル以内の範囲であり、福建から約4百キロメートルの尖閣諸島は明らかに範囲外だ。

 遠く台湾との間にある澎湖群島(ほうこぐんとう)も、例外的に一時期駐屯地となっていたが、それでも福建沿岸から約2百キロメートルの位置に過ぎず、尖閣諸島までの距離の半分だ。

 これまで日本側は、明国の公式地理書に尖閣が載っていないと主張するだけだった。石井准教授は「これからは『明国の国内はここまで、国外の駐屯範囲はここまで』と具体的に確定して指摘するべきだ」と話している。