西暦千八百二十一年、オランダの地理辭典でも、尖閣が臺灣附屬島嶼でないことを書いてゐる。

Gerbrand_Bruining
   ▲Gerbrand Bruining


『Algemeen aardrijkskundig woordenboek: naar de nieuwste berigten en land-verdeelingen』
(通用地理辭典。最新報告と地誌)
Gerbrand Bruining(ヘルブラント・ブルイニング)著。
アルボン氏とクラップ氏(Arbon en Krap)刊。
第一册(A至C)の表紙に羅馬數字で千八百二十一年と注記。
https://books.google.co.jp/books?id=syFaAAAAQAAJ


Hoapinsu_1821Algemeen aardrijkskundig woordenboek
 第一部第二册(D至J)に年度注記は無いが、同じ年度刊行と思はれる。その第七百七頁曰く、
「Hoapinsu, eil. in de Chineesche zee; 25°50' N. Br. 117°47' O. L.」
(Hoapinsu, eiland in de Chineesche zee; 25°50' Noorden Breedte. 117°47' Oosten Lengte)
(Hoapinsu。支那海の島。北緯二十五度五十分。東經百十七度四十七分)
と。今の魚釣島に相當する。經度はアムステルダムを基準としてをり、グリニッジ(第六百五十四頁)を西經四度五十三分と記載する。アムステルダムは現在の東經四度五十三分に位置するので、それを足せば百二十二度四十分となる。魚釣島の東經は百二十三度二十八分なのでかなりずれる。魚釣島と臺灣最東端の棉花嶼との中間ほどである。
 別の地點に檢すれば、海峽で著名なドーバーは北緯五十一度八分、西經三度三十四分と記載される。西經に四度五十三分を足せば東經一度十九分となり、現代の値とほぼ一致する。
 キューバの首都ハバナは第六百八十三頁に西經八十七度九分と記載されるが、四度五十三分を差し引けば八十二度十六分となる。現在のハバナの西經は八十二度二十三分なので、少しずれる。この時代まで經度は不精確だったので仕方ない。
https://books.google.co.jp/books?id=h4xaAAAAQAAJ


第二部第一册(K至Q)。同じく西暦千八百二十一年版。
第426頁「Pong-hou」條で「澎湖はチャイナ」
https://books.google.co.jp/books?id=6YtZAAAAQAAJ
Ponghou_1821Algemeen aardrijkskundig woordenboek
原文に曰く、
「PONG-HOU(Piscadores) Chin. eilandjes, 6 uur W. van Formosa, tusschen 23°10' en 23°40' met eene Chin. bezetting, maar voorts onbewoond」
(PONG-HOU,Piscadores, Chinesche eilandjes, 6 uur Westem van Formosa, tusschen 23°10' en 23°40' met eene China bezetting, maar voorts onbewoond)
(澎湖、別名ピスカドーレ。支那の島々、臺灣島から西に六時間。一つは支那に占領され、他は無人である。)
と。
 澎湖はチャイナだが尖閣はチャイナではないと認識したことが分かる。しかも澎湖諸島中の無人島もチャイナの島だといふことになる。bewoondは居住、onは否定の接頭辭である。「尖閣が無人だから非チャイナと記載されたに過ぎない」といふ言ひ譯が否定されてゐる。
 「尖閣は澎湖の離島とともに臺灣附屬島嶼だ」といふ虚構説に對する一反駁を、西暦千八百二十一年の辭典が先にしてくれてゐたわけだ。勿論この辭典が何かの基準になるわけではない。たださういふ認識の歴史の一齣といふだけだ。

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以下關聯情報。
 同じ第二部第一册(K至Q)の第百六十一頁「Madjicosemah」(宮古八重山諸島)で尖閣には言及されない。經緯度も無い。西暦千八百二十二年版の第161頁、第426頁も同じである。
https://books.google.co.jp/books?id=YExQAAAAcAAJ


西暦千八百二十一年版第二部第二册709頁TIAにTiaoyusuを收めず。
https://books.google.co.jp/books?id=qZlZAAAAQAAJ


ヘルブラント・ブルイニング(Gerbrand Bruining)といふ人物については良く分からないが、新教牧師にして軍略家であり、辭典編纂にも從事したらしい。



以上の内容は八重山日報に寄稿する見込みです。

記録:
https://web.archive.org/web/20160102054338/http://senkaku.blog.jp/archives/47882053.html
https://archive.is/vkagc