繩文NHK

一昨日、NHKスペシャル「繩文奇跡の大集落」を見た。週末に再放送もある。
http://www.nhk.or.jp/special/asia-iseki/jomon.html
繩文文化は一萬年を超えて獨自に安定してゐた。繩文人は長江流域などで農耕が始まったことを知ってゐても、中々眞似ようとしなかった可能性がある、との話。
ふと心に浮かんだ語が「繩文ガラパゴス」
https://www.google.co.jp/?#q=%22%E3%82%AC%E3%83%A9%E3%83%91%E3%82%B4%E3%82%B9%E7%B8%84%E6%96%87%22
https://www.google.co.jp/#q=%22%E7%B8%84%E6%96%87%E3%82%AC%E3%83%A9%E3%83%91%E3%82%B4%E3%82%B9%22
現時點ではインターネットに存在しないのだが、唯一こちらのリンク
http://blog.goo.ne.jp/capitarup0123/e/6c0eeaaf494a718df16fe7e9fc65547c
に有った。有りさうで無かった言葉だ。今後ひろまるだらう。

『倭人への道: 人骨の謎を追って』  – 2015/5/20
中橋 孝博 (著) 吉川弘文館刊。
http://www.amazon.co.jp/dp/4642058028
によれば、彌生初期の頭骨と長江下流域の紀元前の頭骨とが瓜二つで、骨の專門家でも見分けがつかぬほどだと言ふ。彌生人が長江流域から來た可能性は高い。この時代の長江流域はチャイナではない。後にチャイナの殖民地となった。
 中橋氏は、稻作が朝鮮半島から日本に傳はった可能性も棄て切れないとする。しかし朝鮮半島には山東もしくは江南から海路で稻作が傳はったといふ點はほぼ確實ださうだ。日本への傳來と同じ經由路である。そもそもこの時代の日本に國家は無く、日本といふのは文化の單位である。その意義で朝鮮半島西南部は日本の一部であった。そこに稻作が傳來した時期が、九州北部と較べてどちらがやや早いかといふ問題でしかない。意味の無い問題だ。出土遺物が少し年代が早いかどうかの差となってしまふ。新たな遺物が出土すれば時期が逆轉するに過ぎない。
 山東から稻作が來たと言っても、もとは長江流域から來たのだから、途中で海岸沿ひに山東を經由するのも有り得ることで、これもあまり意味がない。そもそも古代山東は東夷地域であって、チャイナではない。山東から日本へ渡來した人物と言へば、徐福と三千童男童女を思ひ浮かべる。徐福は徐夷といふ民族であって、もともとチャイナ人ではない。

 西の吉野ヶ里、東の三内丸山。二つの巨大集落が彌生と繩文とを代表する。日本といふ國の來歴(かたち)が近年少しづつ見え始めてゐるやうだ。彌生人がチャイナから來たとか、稻作が朝鮮から來たとか言ふのはもうやめた方が良い。呉の地域はチャイナでなく、任那百濟の地域は朝鮮ではなかったのだから。

倭人への道人骨の謎を追って