伊東乾氏論説を評しておきました。

http://jbpress.ismedia.jp/articles/-/45205

https://www.facebook.com/nozomu.ishiwi/posts/570401496451896:2

「王政復古で王という言葉を使った以上、王学の名は不適切だった」

とのことですが、まづ避諱の習は名に限られ、姓で避諱するのは有りません。そして、王政の王とは、始皇帝出現以前の古稱です。始皇帝出現まで、王は至高の稱でした。それを天皇陛下にあてはめてをります。先王・王政・尊王・王臣・百王などの語がこれです。焚書坑儒の始皇帝でなく、周王を正統とする思想です。なほ、律令制・平城京に始まる隋唐儒學は日本の公家にだけ承け繼がれ、チャイナでも朝鮮でも越南でも消滅しました。菅原道眞は隋唐儒學、即ち佛教の下の儒學の代表選手です。儒教は即ち彌生文明だとのお説には贊同します。即ち農耕文明です。米と麥との差はひとまづ舍いておきます。

 しかし日本の發展の原因は、朱子學陽明學の差といふよりも、朱子學も陽明學もどちらも絶對でなかったことに在ると一般に言はれてをり、私もさう思ひます。なぜ絶對でなかったか、それは日本の文明度が既にそれを超越してゐたからです。なぜ超越してゐたか、それは優れた國だからです。なぜ優れた國なのか、それは繩文の傳統が一方に有りながら、一方で文明の進展の波浪が日本に到達したことも一因です。

http://www.jfss.gr.jp/kiho%20ok/kiho66/66-3page.htm

http://ci.nii.ac.jp/naid/40020117742

https://www.youtube.com/watch?v=mNMpbrLXX80

https://www.youtube.com/watch?v=f9PxDS7m_fE

https://www.youtube.com/watch?v=-2e5MUwkRGU


菅原道眞

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