[渡辺敦子]【なぜ、日本は中国の敵となり得るのか】~看過できない日本の「華夷変態」~
Japan In-depth 11月6日(金)23時0分配信
http://zasshi.news.yahoo.co.jp/article?a=20151106-00010002-jindepth-cn
 前回、中国の「華夷」と呼ばれる伝統的な辺縁ー中心的な地理秩序体系について述べた。この体系は近代に至るまで、緩やかに日本を含む周辺域に広まって、アジア全体を形作ってきた国際関係である。やはりキーワードはある種の自主規制とネットワークである。
 交通路としての海域を含んでいることが大きな特徴で、伝統的に海を「void(空白)」と見てきた欧州の認識とは好対照をなす。例の人工島問題もこの文脈で考えると違う意味が見えてきそうだが、さておき、この体系のなかなか愉快なところは、濱下武志によれば、周辺国にも「華」を名乗る余地を与えたシステムであったことだ。
 つまり中心とはそもそも「天」の概念であるため、誰のものでもなく皆のものである、という理屈が可能になる。事実上の多元システムで、周辺国と中心との上下関係が逆転することを、「華夷変態」と呼ぶが、日清戦争以降の日本の中国に対する立場も、中国から見れば、一種の「華夷変態」であった。


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 全く初耳のことが幾つか書いてある。如何なる史料にもとづくのか。
http://japan-indepth.jp/?page_id=22628
このリンクによれば國際政治學を勉強中とのことだが、國際政治學の人に有り勝ちなのは全く史料にもとづかないことである。この人はどうなのか、すぐには分からない。
 文中の「前囘」とは、こちらの
http://japan-indepth.jp/?p=22761
リンクである。特段のことが書いてあるわけではない。
 女史説によれば、海路が空白でなく、南支那海の人口島も東支那海の尖閣も、中華に屬すると認識されたかの如くである。しかし殘念ながら朝貢國と中華との間の海路は空白として認識されてゐた。多くの史料があるが、一例として李鼎元「馬齒島歌」が極めて分かり易い。
http://www.appledaily.com.tw/realtimenews/article/new/20150922/696551/
http://archive.is/9JU87
http://www.peoplenews.tw/news/1d1d1aec-f1c2-4905-a058-9ce36654cc33
曰く、「三十六島これ門戸なり、はなはだ類す竿塘石虎五に」と。
馬齒島(慶良間)・姑米山(久米島)が琉球の門戸として認識され、福建沿岸の竿塘・五虎門がチャイナの門戸として認識された。門戸と門戸との中間の尖閣は空白である。これを支持する史料は多數ある。詳細は拙著書、論文を
http://senkaku.blog.jp/archives/13347226.html
ご覽頂きたい。

 女史は多分濱下武志氏の論を隨意に敷衍してゐるのだらう。しかし濱下氏は海路を越えて朝貢國の相互關係が存在したといふ話であって、海路の空白を塡める話ではない。
 海路に於ける媽祖信仰・海神信仰は有る。媽祖・海神は皇帝に封號ももらってゐる。女史も濱下氏も多分それらを指してゐるつもりだらう。しかし媽祖・海神は媽祖・海神であって、華夷形式と關はりが深いが、華夷形式と同一ではない。關はりが深いものを全て同一扱ひするのは歪曲である。 朝貢國の國内には華夷形式が存在するが、人為の及ばぬ海路には、華夷形式といふ人為も單純に及ばないだけのことだ。

 航路を熟知したことを以て人為が及んだとしても良い。ならば尖閣航路では琉球人の人為だけが及んでゐた。水先案内を琉球人が擔任してゐた。その琉球人が華夷形式下に在ったのだから、空白の海路はまづ明確に琉球の夷に屬し、そして夷が華に從ふといふ形だ。琉球の夷が華から離れれば、航路の經驗も同時に華から離れる。その後も夷は航路を熟知し續ける。當り前だ。
 別の航路ではチャイナ人が最も航路を熟知した場合も有っただらう。具體的にその航路を最も熟知したのは誰かといふ問題であって、史料ごとに逐一確認せねばならない。便利な華夷形式なる論理を一括して充てはめるのは研究放棄だ。

 勿論海神信仰は歐洲にも有る。ポセイドンは全ての海を支配してゐる。それどころか基督と三位一體の神は全世界の支配者だ。歐洲の神を信じる漁民らは世界の海路で貿易や漁業などを營んでゐた。ほぼ定期航路が形成され、葡萄牙王や英吉利王の權威のもとで使者往來や漂流民送還も有った。歐洲人にとっても海路は空白ではない。日本だって短期間ながら朱印船の權威を海路に及ぼしてゐた。

 虚構の華夷思想では、葡萄牙も日本も時に中華に從ひ時に離叛する夷だから、まとめて華夷秩序の内だといふ理屈になる。しかし同じく歐洲人から見ても、中華なるものは基督と三位一體の神の創造物に過ぎない。どちらも勝手に思ってゐただけだ。

 更に女史は、チャイナ周邊國にも華を名乘る餘地を與へてゐたと言ふが、嘘である。チャイナにとって蠻夷が中華を名乘ることは最も鄙棄される。濱下氏の論理では、現實の中で已むを得ず日本や金國のやうな今一つの中華の存在を許容したことを指すのであって、愉快に許してゐたのではない。
 女史の文章では主語が判然としない。「システムが餘地を與へてゐた」のだから皇帝が與へてゐたのではない、といった言ひ逃れをするのかも知れない。はっきりして欲しいものだ。更に、システムとは何か。形式なのか秩序なのか。誤魔化してはいけない。


參考:
濱下武志「華夷秩序と日本 : 18世紀~19世紀の東アジア海域世界」、国立国会図書館『参考書誌研究』(45)  1995-10-02
http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/3051382




濱下武志


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