チャイナの歴史的最南端が海南島の南端までであったことは、『大明一統志』など歴代の官製地誌に明記されてゐるので、南支那海は全てチャイナ國外である。史學としては當り前だ。このことを聲を大にして言ひたいと常々思ってゐたら、フランスの研究者ザビエルさんがさきにやってくれてゐました。心強い、百人力。
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「中国が改竄する南シナ海の歴史的事実
 フィリピンからのメッセージ(その3)」
2015.6.29(月) 松本 太
http://jbpress.ismedia.jp/articles/-/44150?page=3
第1に、中国は、「九段線」(中国が南シナ海の領有を主張するために引いている海上の境界線)内の島や環礁に関して、常に豊富に歴史的な証拠を有していると言うのですが、例えば、中国の資料を徹底的に調査したフランス人研究者フランソワ・イグザヴィエ・ボネが本年3月のマニラでの学術会議において、そのような証拠が中国によって捏造されていることを指摘していることを、カルピオ判事は紹介します。
(Francois-Xavier Bonnet, ARCHEOLOGY AND PATRIOTISM: LONG TERM CHINESE STRATEGIES IN THE SOUTH CHINA SEA, Paper presented at the Southeast Asia Sea Conference, Ateneo Law Center, Makati City, Mach 27, 2015)
http://www.imoa.ph/wp-content/uploads/2015/04/ARCHEOLOGY-AND-PATRIOTISM.pdf
 例えば、パラセル諸島に関する中国側の多くの資料は、1902年に行われた中国による最初の調査に言及していますが、そもそもそのような調査が本当に行われた証拠がないと言うのです。それどころか、中国の別の資料によれば、そのような調査は行われたことがないことが明らかであると言うのです。
 スプラトリー諸島に関しても、同様の方法がとられ、1946年に行われたとされる主権を示す石碑の設置は、その年には行われておらず、実際には1956年に行われているのです。

 第2に、カルピオ判事は、1136年から1912年に至るまでの中国の公式・非公式の地図を取り上げ、そのいずれもが海南島を中国の最南端としていることを明らかにします。
 一方で、1636年から1933年にかけてのフィリピンの公式・非公式の地図には、スカボロー礁が示されていることを明らかにします。スカボロー礁は、1734年の "Murillo Velarde" の地図に記載されており、当時は "Panacot" と呼ばれていました。1792年にマドリッドで出版された航海図では、すでに現在の名称である "Bajo Masinloc o Scarborough" と記されています。

 第3に、カルピオ判事は中華民国時代の憲法がどのように国土を規定しているか明らかにします。1912年、1914年、1924年、1937年、1946年のいずれの憲法においても、中華民国が清朝の領土を引き継いだことが明確であり、その最南端はやはり海南島であるということをカルピオ判事は指摘します。

 第4に、中国政府が世界に喧伝している歴史的事実が矛盾に満ちていることです。
 例えば、マニラの中国大使館のウェブサイトには、中国がスカボロー礁(中国名:黄岩島)の主権を主張している理由として、元朝時代の中国の天文学者、郭守敬が1279年に訪問し、スカボロー礁に天文台を設置したことが記載されています。

 ところが、1980年1月に中国外務省が作成した「西沙諸島と中沙諸島に対する中国の主権は争う余地がない」という文書では、郭守敬が訪問したのは、パラセル諸島(西沙諸島)の島であって、そこで天文台を建設したことになっていると言うのです。この文書と同じ内容が、1980年2月18日に発行された「北京週報」に掲載されています。

 歴史上、郭守敬は27の天文台を建設したとされており、その内26が中国大陸、残りの1つが南海であったとされています。ですから、1980年に中国外務省が「西沙諸島」に郭守敬が天文台を建設したとしているのならば、21世紀に入って突然、郭守敬が西沙諸島には属さないスカボロー礁で天文台を建てたと中国大使館が指摘するのは、唐突な歴史的事実の変更であり、自家撞着なのです。これを歴史の改竄と言わずしてなんと言うのでしょうか。
スカボロー礁 - Wikipedia


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フランスのザビエルさんでなく、フィリピンのカルピオ判事でした。
松本太さんに尖閣論文を送って置かう。