菅沼雲龍Suganuma Unryu著
「Sovereign Rights and Territorial Space
  in Sino-Japanese Relations:
  Irredentism and the Diaoyu/Senkaku Islands」
ハワイ大學出版社、西暦二千年刊。
http://www.amazon.co.jp/dp/0824824938/
http://ci.nii.ac.jp/ncid/BA45241182
これはトンデモ本なのだが、どうもアメリカ方面で
信じてしまふ人が多いといふ噂を聞いた。
ハワイ大學は名門大學ではないから、こんな
トンデモ本を刊行しても構はないが、かりにアメリカ
の指導層に影響を與へてゐるならば問題である。

この書の42頁から44頁まで、尖閣最古の史料
についてトンデモ記述がある。
南宋の王象之著『輿地紀勝』に「釣魚臺」が載ってをり、
西暦1221年、尖閣の最古の發見命名を示すといふ。
http://www.wul.waseda.ac.jp/kotenseki/html/ru05/ru05_03386/index.html
菅沼氏は一應これに自ら疑問を呈してをり、
「忘れられた『輿地紀勝』が西暦十九世紀に再發見
 されるまで六百年間、最古の釣魚臺の記録を
 チャイナ人は知らなかった筈だ。しかも『輿地紀勝』
 では釣魚臺の位置が精確には特定されない」
云々と述べる。謎めいた漢文の古書ながら、
尖閣はそこに載ってゐるとの印象を讀者に與へる。


これがどのやうにトンデモなのか。
そもそも『輿地紀勝』に尖閣の釣魚臺は載って
ゐない。ただ卷二十五「南康」(江西省)に曰く、
「釣魚臺、在城西落星灣。『廬山傳』云、
 彭祖釣臺上、得雙鯉、化爲龍、沖天而去。」
(釣魚臺、城西の落星灣に在り。『廬山傳』に云ふ、
 彭祖、臺上に釣り、雙鯉を得たり、化して龍と爲り、
 天に沖して去る)
と。これについて菅沼氏の論にほぼ曰く、
「釣魚臺は神仙彭祖に由來する。彭祖が
 江西省の彭蠡澤で魚を釣った場所が、
 釣魚臺と呼ばれた記録が有る。これが
 尖閣釣魚臺の起源となり、誰かが南宋時代
 に尖閣を旅して發見命名したことを示す」
云々と。トンデモである。
彭祖が彭蠡澤で魚を釣ったのは一つの傳説だ。
その地が釣魚臺と呼ばれたのも一傳説だ。
彭蠡澤は遙かに内陸の江西省にある。
菅沼氏はこの内陸の傳説にもとづき、
尖閣の釣魚臺の發見命名を示すと言ふ。

しかし釣魚臺といふ地名は普遍的なもので
彭祖のみならず太公望の傳説とも結びつく。
菅沼氏は『輿地紀勝』の中華書局本索引で
http://ci.nii.ac.jp/ncid/BN10190123
見つけた卷25の彭蠡澤の釣魚臺に彭祖の傳説が
書かれてゐたので、それを尖閣の起源めかせて
神秘的に書いてゐるだけだ。
輿地紀勝25釣魚臺彭澤早稻田藏
  ▲南宋・王象之『輿地紀勝』卷25南康。
    早稻田大學藏本。

更に『輿地紀勝』索引から索到できるのは、
卷四十四「淮南東路」に引く『太平寰宇記』の
「釣魚臺を隋の煬帝が建てた」との記述だ。
菅沼氏はこれをあたかも尖閣に煬帝が名づけた
かの如くに述べる。しかし煬帝が建てた釣魚臺は
尖閣と無縁の江蘇省北部(揚州の北)の地名だ。
六百年間忘れられやうが忘れられまいが、
こんなものは尖閣とは縁もゆかりも無い。

困るのは菅沼説が學術書にまで引用されることだ。

更に菅沼氏は『輿地紀勝』の中華書局本索引で
http://ci.nii.ac.jp/ncid/BN10190123
「赤嶼」を見つけて、尖閣の赤嶼(大正島)だとする。
卷百三十一漳州の當該個所に曰く、
「赤嶼、在龍溪縣。晏公『類要』云、嶼有石、
 朝色如丹、晩色如霞。亦曰丹霞嶼。」
(赤嶼、龍溪縣に在り。晏公の『類要』に云ふ、
 嶼に石有り、朝に色、丹の如く、晩に色、霞の如し。
 また丹霞嶼といふ)
と。勿論これは尖閣ではなく、福建南部の漳州府の
河口附近の地名だ。インターネットで古書を調べると、
『讀史方輿』卷九十九や
http://www.wenxue100.com/book_LiShi/singleBookRead_1.aspx?bookid=68&bookIndexId=118
『淵鑑類凾』卷三百三十八や
http://ctext.org/wiki.pl?if=gb&chapter=621316
『濳確居類書』卷三十四「區宇部」第十六葉
https://books.google.com.tw/books?id=q7I5ty0yZHAC&printsec=frontcover
などにこれが出てゐる。勿論尖閣ではない。
名勝なので、そのまま漳州の雅稱となったのだとか。
http://fz.lanfw.com/2015/0331/265454.html
輿地紀勝131赤嶼
  ▲王象之『輿地紀勝』漳州。早稻田大學藏本。

流石にチャイナ政府の主張にもこんなトンデモ説は
採用されない。世にトンデモ説は數多いのだが、
アメリカに對して影響力を持つとなると我々は困る。
尖閣は100對ゼロの勝負なのに、まるで六對四の
勝負のやうに見えてしまふ。

英語の得意な人はインターネットで散布して欲しい。
尖閣の「釣魚嶼」「釣魚臺」の命名者は琉球人だ。
西暦1534年に琉球人の水先案内で尖閣を渡航
したのが最古の記録だ。チャイナ人の命名ではない。
(1534年の詳細は『尖閣反駁マニュアル百題』をご高覽)

上述の彭祖・彭蠡・釣魚臺の傳説は、他の漢文古書
にも見える。インターネットから引用して置かう。
文中の彭鏗は彭祖である。
「歴世眞仙・體道通鑑」(正統道藏・洞眞部)卷三に曰く、
「廬山名賢傳云、彭鏗曾過彭蠡之濱、造其名嶽、
 今廬山是也。遍遊洞府以窺聖邇。
 已而把釣於臺上、雙鯉化爲雙龍、沖天而去。
 或云今江濱有釣魚臺、本彭祖遺迹也。」
http://www.taolibrary.com/category/category93/c93031/03.htm
http://ctext.org/wiki.pl?if=en&chapter=259776
http://www.taoismdata.org/product_info.php?products_id=3701
http://fiction.so/books/religion/4591200/164
(廬山名賢傳に云ふ。彭鏗かつて彭蠡の濱を過ぎ、
 その名岳にいたる。今の廬山是れなり。
 あまねく洞府に遊び、以て聖邇を窺ふ。
 すでにして臺上に把釣するに、雙鯉、化して
 雙龍となり、天に沖して去る。或は云ふ、
 今江濱に釣魚臺有り、もと彭祖の遺迹なり」
と。インターネットだから誤字は有るだらう。
後日確認したい。いづれにしろこんなものは
稀少性も無くただ同名に過ぎず、尖閣と無縁だ。

ついでながら、『輿地紀勝』についてはもう一つのトンデモ説が有る。
http://news.sina.com/102-101-101-101/2010-10-12/0317717853.html
卷百三十泉州府(福建省)の第六葉に曰く、
「泉距京師五十有四驛、連海外之國三十有六島。」
(泉は京師を距てたること五十有四驛、
 海外の國に連なること三十有六島なり)
と。この三十六島は澎湖を指すのだが、
チャイナ人によれば、「連」なってゐるのだから
管轄下であり、更に澎湖は臺灣を管轄し、
そして臺灣の附屬島嶼の一つが尖閣だから、
この三十六島の記述は自動的に尖閣を統治した
記録なのださうだ。史料原文には釣魚臺とも
何とも書いてない。トンデモである。
輿地紀勝130環島三十六早稻田藏
  ▲南宋・王象之『輿地紀勝』泉州。早稻田大學藏本。

同じ卷百三十「泉州府・風俗形勝」に
見える澎湖諸島もこのトンデモ説の
材料となってゐる。原文に曰く、
「環島三十六。自泉晉江、東出海間、
 舟行三日、抵澎湖。嶼在巨浸中。」
(環島三十六あり。泉の晉江より、東つかた
 海間に出で、舟行すること三日、澎湖に
 いたる。嶼は巨浸のうちに在り)
と。尖閣とは無縁だ。