またまた新華社は詰まらぬ史料を發見だと報じて、
ヤフーに千件ものコメントがついてます。
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20140128-00000017-xinhua-cn
http://www.xinhua.jp/socioeconomy/economic_exchange/372237/
「琉球が中国の属国」だった新たな証拠、福建省で見つかる―中国メディア
XINHUA.JP 1月28日(火)14時3分配信
中国福建省竜岩市の武平県で22日、当時の琉球が清朝の属国だったことを証明する
扁額(へんがく)が発見されたと地元メディアが報じた。23日付で西新聞網が伝えた。
1838年に琉球王国に冊封使(さっぽうし)として派遣された清朝の官僚、林鴻年(りん・こうねん)
が清朝末期に、「呉応節」という人物とその夫人に70歳の祝いとして贈ったとみられる
扁額(へんがく)で、そこにはっきりと林が琉球王国に派遣された冊封使であることが記されている。
先月、同県在住の収集家が手に入れたもの。長い間、中国各地を転々としていたものとみられる。
地元の学者は「これは末期の清朝政府が弱体化していたとはいえ、琉球を属国としていたことを証明
するもの。つまり、1879年に日本が盗み取る前は、琉球は中国の属国だったということだ」
との認識を示している。(編集翻訳 小豆沢紀子)
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これは實に下らない。林鴻年が琉球國王を册封する使節だったことは既知の事實です。チャイナではこの扁額の出現について、わづかな報道しか出てません。こんなものを日本でわざわざ報道してヤフーの話題にしてしまふ。報道した新華社はとにかく史料でにぎやかにして、論爭が存在すると見せたいのでせう。ヤフーは何故そんな下らない報道を載せて差し上げるのでせうか。

以下はこの件についてチャイナでほぼ唯一の報道です。コピー多數。
http://www.fj.xinhuanet.com/lishi/2014-01/23/c_119095258.htm
http://www.chinadaily.com.cn/hqgj/jryw/2014-01-23/content_11097313.html
http://www.mxrb.cn/www/content/2014-01/23/content_1294933.htm
http://big5.xinhuanet.com/gate/big5/www.fj.xinhuanet.com/lishi/2014-01/23/c_119095258.htm
武平發現冊封琉球國王的清朝正使贈送他人的祝壽匾額
2014年01月23日 10:21   來源: 閩西新聞網
  據史料記載,從明朝開始琉球就已成為我國的附屬國,現在這一史實又添佐證。22日,筆者和一批地方史學者一起,在武平一位石姓收藏家的館藏中,發現了一塊由福建首位清代狀元、出使琉球正使林鴻年贈送他人的祝壽匾額(如圖),該匾證明在清朝末年,清王朝依然保持著對琉球國王進行冊封的制度。
    這塊鎦金祝壽匾額,長、寬、厚分別為229厘米、88厘米、6厘米,上款為“賜進士出身狀元及第翰林院修撰欽命琉球國正使賞戴花翎欽加正一品銜林鴻年為”,上書“眉齊杖國”四個大字,意為夫妻相敬如賓七十仍可拄杖于國,另加“七十壽 吳應節偕淑配林氏孺人立”,落款為“道光歲次巳亥十九年季秋  旦”。根據匾額內容可以判斷,該匾是林鴻年為吳應節及其夫人林氏七十大壽而贈。
    匾的主人告訴筆者,這塊匾由福建仙遊流出,輾轉于廣西、上海、江西等地,于上月由他收藏。他當時是看中林鴻年這個福建首位清代狀元而買下的。
    根據史志記載,作為中國的附屬國,琉球國王必須得到明清王朝正式冊封才能稱王。福建閩侯人林鴻年(1804—1886年),字勿村,在清道光十六年(1836年,丙申年)中了狀元。道光十八年(1838年),奉旨為冊封琉球國王正使,賜一品服,代表清廷諭祭故王,冊封新王。在琉球160天,摒絕饋贈,禁止隨從人員攜貨勒售,拒絕接受琉球國送給使者的“宴金”。林鴻年訪知該國人民生活困苦,還把清廷所發出使費節余錢240萬貫,悉數交與琉球國王進行賑恤,贏得琉球舉國上下的感戴。歸國後,著《使琉球錄》,記述此行的經過和見聞。
    林鴻年出使琉球冊封新王的史實,再次在這塊匾額上得到佐證。武平地方史學者認為,該匾反映了1879年日本竊取琉球以前,晚清政府雖然積貧積弱,但仍保持對屬國琉球的國王進行冊封這一制度,佐證了琉球被日本竊取前仍是中國的屬國。(通訊員 鐘茂富)

眉齊杖國

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ついでながら、以上の報道は平成二十五年五月の
扁額の類似報道を繰り返したに過ぎません。
http://www.xinhua.jp/socioeconomy/economic_exchange/347511/
中国山東省済南市にある力明職業科技学院の華夏扁額博物館に、1800年代に中国の林鴻年氏が揮毫した「歯徳優隆」(年齢も徳も高い)との扁額があることが分かった。落款は「欽命御封瑠球国王」で、琉球諸島が日本の領土ではないことを示す証拠とされる。中国・斉魯網が伝えた。
「歯徳優隆」の扁額は縦78センチ、横210センチ。博物館の責任者は「『欽命御封瑠球国王』という落款から、琉球諸島が中国の領土であり、日本に不法占拠されていたことが分かる」と話した。
歴史資料によると、扁額の作者、林鴻年氏(1804~1886年)は侯官(福建省福州市)で育ち、道光16年(1836年)に状元として科挙に登第。道光18年(1838年)に琉球国王の尚コウが死去すると世子の尚育が即位し、林鴻年氏は冊封使として福建を出発し、琉球国王に赴いた。
中国の明朝は琉球の統治者を琉球国王に封じた。琉球は隣国の貿易の中枢になっており、1609年に日本に侵攻され、1693年に併合計画が始まり、1879年3月30日(光緒5年)に日本に滅ぼされた。1879年には日本の地図に入り、同年に沖縄県が設置されている。
1945年に日本は戦敗。「ポツダム宣言」第8条には「カイロ宣言の条項を履行すべき。日本の主権は本州、北海道、九州及び四国ならびにわれらの決定する諸小島に限られなければならない」と明記している。琉球の主権は中国に返還されている。だが、中国は内戦で琉球諸島について考慮する余裕がなく、米国の委託管理範囲に組み入れられた。1970年に米日両国は「サンフランシスコ条約」を調印し、琉球諸島と釣魚島(日本語名称:尖閣諸島)の管理権を日本に譲渡した。(編集翻訳 恩田有紀)