美根
美根慶樹氏論説「中国・明時代の支配域は? 古文献に見る尖閣諸島の歴史的経緯」
http://headlines.yahoo.co.jp/cm/main?d=20150328-00000001-wordleaf-pol
https://archive.today/YKwg6
に對するヤフーのコメント。歴史に意味無しといふ意見が多數。
彼らは「固有の領土」の定義を知らないのか。
「過去に他のいかなる國家も統治したことのない土地」である。
當然、明國も統治したことが無いと證明せねばならない。
證明せずに逃げるのは、愛國心が足りない。
彼らは「明國なんかどうでもいい」といふが、
明國がどうでも良ければ、彼らの最大の關心は現チャイナか。
私は逆だ。現チャイナのやうな國に關心は無い。
明國や清國に對して日本固有の領土と證明することこそ關心事だ。

彼らはよほど現チャイナが好きなのか。嘆かはしい。
以下、一部を複製貼りつけ。
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mor*****(2015/03/28 08:19)
明時代?
その時のチベットとかの自治区はどうなってるのかな?
尖閣は明時代、チベットやモンゴル辺りは現代、ってダブルスタンダードしたいんだろうなあ。最低。

-我は憂う- (-_-;)(2015/03/28 08:28)
明時代を持ち出すナンセンスさ

wrt***(2015/03/28 09:03)
どう見ても明と今の中国は違うから意味がないと思うけどね?
どうして自分たちの地図のことを真実だと思わないのでしょうか?

日本を明るくしよう!(2015/03/28 08:12)
それがなんの意味が?

gdw*****(2015/03/28 10:11)
古代の国家の領域って関係ないと思うが。

nih(2015/03/28 08:47)
こういう歴史論争って、意味あるの?
古い時代は古い時代は、とかいいだしたら、どこの国の領土もひっちゃかめっちゃかになるじゃん
現実に国際司法裁判所の判例とか見ると、実効支配してるほうが有利という形に妥協される面を見ても、無駄な労力としか

now*****(2015/03/28 10:05)
古い地図を持ち出すんなら大英帝国は復活だわ

ito***** (2015/03/28 12:04)
それじゃあ、元の時代はモンゴルが北京を支配してたぞ。そこに戻る?

fin***** (2015/03/28 09:13)
よくもまあ、昔に遡るのがお好きな様で。
だけどね、色々出てくると、不味い事実も有るんじゃないの?
特に中国韓国にとってはね…(笑)

竹島は日本固有の領土です。出てけ泥棒。(2015/03/28 08:29)
ふーん。昔の事を言い出すと、元の時代、中国はモンゴルのものだったよね。モンゴルに返したら?

yms***** (2015/03/28 09:59)
日本国の場合は、時代が変わるだけで国自体は変わらない。中国の場合は、国自体が変わったでしょう。中国には、様々な王朝があったけど歴代王朝を持ち出したら、元は遠くヨーロッパの一部まで一時領有してたけど、その地域も中国なの?

boo***** (2015/03/28 10:29)
明時代がどうこうならそもそもチベット、ウイグルなんて支配域でもなんでもないしスプラトリー諸島だって全く支配域じゃないじゃないか。ご都合主義もいい加減にしてほしい。

ric**** (2015/03/28 11:08)
現在の領土の考えは、近代法が適用される時代からですよ。

man*****(2015/03/28 10:14)
では旧満州地域は日本領
これでいいだろ(笑)

dol*****  2015/03/28 08:32)
そこまで昔を持ち出すなら世界地図は全く変わってしまうなあ(笑)どうします?

pea*****(2015/03/28 17:05)
んじゃあ、明国の代表と話をしましょうよ

gak*****(2015/03/28 10:04)
一番重要な事が書いてない。
明治初期にいしがきじまの漁師が台湾で虐殺された事件があるが、その件を明治政府が清朝に抗議した時の清の回答は「そのような化外の土地での出来事は我が国とは関係ないから責任はない」である。この時点で清は台湾琉球等東シナ海諸島の主権を放棄したのであり、だからこそ明治政府が尖閣含め合法的に支配した。仮に日本に領有権がなかったとしても現中国に領有権はない。

plu*****(2015/03/28 10:11)
え?ならさ、モンゴルに支配されていた事は?
戦中に列強各国に実質支配されていた事は?(失笑)

hir*****(2015/03/28 09:54)
明と今の中国は同じ国ではない!

zwe*****(2015/03/28 10:33)
中国のみならず朝鮮も、元(今のモンゴル)の時代まで、遡ったら?

hit*****(2015/03/28 16:24)
その時代に中国はない。領土等主権を主張するには日本のように継続された又は近代国家のように条約等が引き継がれた国家(ロシアのように)でないと意味が無いと思う。中国はどうなのかな?政権が変わる度に前政権を否定して破壊(文革)するような国に条約の引き継ぎなんてあるのだろうか?

tyo*****(2015/03/28 08:06)
遠い昔にはうちの領土だったと世界中で言い出したら現今の世界地図は大幅に変わるだろうよw

imp*****(2015/03/28 09:39)
明朝と清朝と国民党と共産党、国がバラバラなんだけど。

vk4*****(2015/03/28 08:10)
第二次黄海海戦はそう遠くないよ(=゚ω゚)ノ
清国ご自慢の定遠、鎮遠がどうなったか思い出させる日になる(=゚ω゚)ノ
国境線はその時改めて引いてやれ(=゚ω゚)ノ

bon*****(2015/03/28 17:50)
過去に一度でも手にした領土は自分たちのものって考えみたいだけど、中華人民共和国が建国されたのは何年よ?その時の領土を持ち出してこい。
お前らの主張が正しい場合、かつての元(モンゴル)やローマ帝国(イタリア)はすごい領土になるけど。

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以下、The Pageに掲載された原文。

http://news.livedoor.com/article/detail/9941550/
https://archive.today/IW3Ho
http://thepage.jp/detail/20150328-00000001-wordleaf?page=2
https://archive.today/YAg0n
http://news.mynavi.jp/news/2015/03/28/176/
https://archive.today/Uk2pJ
中国・明時代の支配域は?
 古文献に見る尖閣諸島の歴史的経緯

2015年3月28日 8時0分
 尖閣諸島に関して、最近2つの出来事がありました。1つは、中国の国家測絵総局が1969年に「尖閣群島」と日本名で表記した地図を日本外務省が公開したことです。本年3月付の「尖閣諸島について」と題する同省の資料に掲載されています。
 2つ目は、昨年、北京でのAPEC首脳会議に先立って日中両国の事務方が、関係改善のために合意したことについて、中国の在米大使館員が米国の研究者に対し、「日本側が従来の態度を変更し、尖閣諸島は両国間の問題であることを認めた」と説明して回ったことです。

■6つの重要な論点
 日本外務省が昨年11月7日に公表した合意では「双方は、尖閣諸島等東シナ海の海域において近年緊張状態が生じていることについて異なる見解を有していると認識し、対話と協議を通じて、情勢の悪化を防ぐとともに、危機管理メカニズムを構築し、不測の事態の発生を回避することで意見の一致をみた」と記載されているだけであり、尖閣諸島は両国間の問題であるということは一言も書いてありません。日本政府の「尖閣諸島をめぐり、解決すべき領有権の問題は存在していない」という立場はまったく変化していません。中国が一方的に要求しているだけです。
 この機会に尖閣諸島についての考え方をあらためて整理しておきましょう。重要な論点は6つあります。
(1)古い文献にどのように記載されているか
(2)日本政府が1895年に尖閣諸島を日本の領土に編入したことをどのように見るか。この行為を批判する見解もあります
(3)戦後の日本の領土再画定において尖閣諸島はどのように扱われたか。とくにサンフランシスコ平和条約でどのように扱われたか。簡単に言えば、尖閣諸島の法的地位いかんです
(4)その後日中両政府は尖閣諸島をどのように扱ってきたか。「棚上げしたか否か」という議論、1969年の中国国家測絵総局の地図、さらには昨年の日中合意などもこのグループに含まれます
(5)1968年の石油埋蔵に関する国連調査との関連
(6)沖縄返還との関連
 (1)から(6)までの論点のうち、もっとも基本的なものは、(1)の、古文献にどのように記載されているかと、(3)の、国際法的に尖閣諸島はどのような地位にあるかです。まず、本稿では古文献の記載を説明します。

■明の海防範囲の「外」
 中国は1971年から従来の態度を変更して尖閣諸島に対する領有権を主張するようになりました。その根拠として、明国の海防を説明した書物『籌海圖編(ちゅうかいずへん)』(胡宗憲著)、清国の使節(冊封使)であった汪楫(おうしゅう)の『使琉球雑録(しりゅうきゅうぞうろく)』 、それに西太后の詔書の3文献を引用していましたが、最後の文献は偽造であることが判明しており、現在は使わなくなっています。琉球は古くは日本と清の双方に朝貢しており、その関係で数年に1回清朝から琉球に使節(冊封使)が派遣されており、その旅行記がかなりの数残っています。
 汪楫の『使琉球雑録』は、福建から東に向かって航行すると尖閣諸島の最東端の赤嶼で「郊」を過ぎる、そこが「中外の界」だと記載しています。これについて、中国政府は「中外の界」は中国と外国との境だと主張していますが、この「中外の界」と言ったのは案内していた琉球人船員であり、それは「琉球の中と外の境界」という意味でした。つまり尖閣諸島は琉球の外であると記載されていただけです。琉球の外であれば明国の領域になるわけではありません。そのことは後で説明します。
 『籌海圖編』については、その中の図が尖閣諸島(の一部の島)を中国名で示しているのは事実ですが、この文献には明軍の駐屯地と巡邏地(じゅんらち=警備する地域)がどこまでかということも示しており、尖閣諸島はいずれについても外側にあると図示されています。つまり明国の海防範囲の外にあることが記載されていたのです。
 一方、明や清の領土は中国大陸の海岸までが原則で、それに近傍の島嶼が領域に含まれていることを示す文献が数多く存在しています(最近出版された長崎純心大学・石井望准教授の『尖閣反駁マニュアル百題』などを参考にしました)。

■明や清の領域は海岸まで
○同じ汪楫が著した『観海集』には「過東沙山、是閩山盡處」と記載されていました。「閩山」とは福建の陸地のことであり、この意味は「東沙山を過ぎれば福建でなくなる(あるいは福建の領域が終わる)」です。東沙山は馬祖列島の一部であり、やはり大陸にへばりついているような位置にある島です。
○明朝の歴史書である『皇明実録(こうみんじつろく)』 は、臺山、霜山、東湧 、烏丘、彭湖、彭山(いずれも大陸に近接している島嶼)は明の庭の中としつつ、「この他の溟渤(大洋)は、華夷(明と諸外国)の共にする所なり」と記載しています。つまり、これらの島より東は公海だと言っているのです。
○明代の勅撰書『大明一統志』も同様に明の領域は海岸までであると記載しており、具体的には、「東至海岸一百九十里」と記載しています。これは福州府(現在の福州)の領域を説明した部分であり、「福州府から東へ一百九十里の海岸まで」という意味です。一百九十里は福州から海岸までの直線距離40数キロにほぼ合致します。同じ記載の文献は他にも多数あります。
 以上、中国の古文献では、清や明の領域が海岸までであることが明記されています。中国大陸と琉球の間の海域は『皇明実録』が言うように「華夷(明と諸外国)の共にする所」だったのです。また、このことは、尖閣諸島を含めこの海域に存在する無人島は中国も琉球も支配していなかったことを示しています。 このような記述は歴史の常識にも合致します。中国の古文献は政治的な影響を受けることなく、実体をごく自然に記載していたと思われます。
 なお、日本政府は1895年に、尖閣諸島が無人島であることを確認して日本領に編入しました。それ以来、一貫して日本の領土です。
(美根慶樹/平和外交研究所)

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■美根慶樹(みね・よしき) 平和外交研究所代表。1968年外務省入省。中国関係、北朝鮮関係、国連、軍縮などの分野が多く、在ユーゴスラビア連邦大使、地球環境問題担当大使、アフガニスン支援担当大使、軍縮代表部大使、日朝国交正常化交渉日本政府代表などを務めた。2009年退官。2014年までキヤノングローバル戦略研究所研究主幹



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