「昭和44年の地圖は油田情報にもとづく
ーー日本全勝の鍵は尖閣古史に在り」
八重山日報 平成二十七年三月二十四日
http://bit.ly/19fgxbE
https://archive.today/CKT93
1969地圖部分NHK白黒
 ▲1969年 中国測絵総局『分省地図』
尖閣群島張り出しの部分。NHKニュースより

lobscheid尖閣pinnacle
 ▲ロプシャイト『英華字典』、明治元年、香港デイリープレス社。
   Pinnacleを尖閣と訳す。

 いま話題の昭和44(西暦1969)年チャイナ測繪(そっかい)總局の公式地圖(ちづ)について、見過ごせない情報が出て來た。わざわざ枠から右に「尖閣群島」だけが張り出してをり、逆にチャイナの領有を示すと外交部洪磊(こうらい)報道官が述べたのである。これを聞いてチャイナ各方面から喜びの聲が揚がってゐる。もとは武漢大學の大學院生がインターネットに投稿した新説なのだが、瞬く間にひろまって外交部が即日採用した。

 私は古典史料で尖閣の西方に國境線ありと知ってゐるので、この地圖に興味が無かった。西暦1461年の『大明一統志』、1617年の『皇明實録』、1871年の『重纂福建通志』など、どの時代でも尖閣のはるか西方に國境線や海防線が引いてあり、昭和44年の地圖よりも明確である。

 しかし逆にチャイナの領有を示すとまで騷がれて、始めて熟視すると、確かに枠外の尖閣まで描き込み、チャイナ領土としてゐる。愛國派の著名人永山英樹氏からも急遽電話を頂き、これは既に昭和43年(西暦1968年)以前から海底油田情報が世を賑はしてゐたので、急ぎチャイナ領有を示すために枠外の尖閣を入れたのだらうと指摘された。誠にその通りだ。
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