八重山日報 平成二十六年一月十五日 第五面
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尖閣諸島歴史問答~開拓の日に寄せて②  長崎純心大学 石井 望准教授 
 きたる一月十四日、「尖閣諸島開拓の日」はどんな由來があるのか。それについてチャイナ側はどう主張してゐるのか。
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第二囘 明治十八年、日本人が上陸したと上海の新聞が報道した。清國政府は動いたのか 
【チャイナ主張】
 明治十七年に日本人は尖閣に上陸し、日本政府は内密に調査を開始し、侵奪を企圖(きと)した。その舉動(きょどう)が清國の警戒心を呼び醒まし、上海の新聞『申報』で報道された。そのため日本側はすぐに尖閣を盜むことができず、十年間延期してから盜んだのである。
【史料】
明治十八年九月六日 上海『申報』記事    
「臺灣東北邊之海島、近有日本人懸日旗於其上、大有占踞之勢。」   
〔臺灣(たいわん)東北邊(へん)の海島に近ごろ日本人有りて日旗を其の上に懸け、大いに占踞(せんきょ)するの勢有り〕
【反論】
 『申報』はその時代の清國(しんこく)で最大の新聞である。日本が領土に編入する趨勢(すうせい)であることを、早くも清國側は知ってゐたことになる。その後、日清戰役(せんえき)中に日本が尖閣を領有するまで十年間、清國側は何らの動きも見せなかった。前から知ってゐても動かなかったのだから、『申報』は逆に日本の公明正大な領有への第一歩を記録してゐる。
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連載第一囘「尖閣を臺灣と別色に塗る地圖なのに、臺灣に屬すると主張」はこちら。
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