(國民新聞、平成二十六年十二月二十五日第二面)
「五百年の尖閣史を棄てた合意文書
      ――公約違反を赦すなかれ」
                             いしゐのぞむ   

 十一月七日の尖閣合意文書について、愛國陣營内に贊否兩論が有る。贊同者は領土問題と書かれなかったから日本の外交的勝利だと言ひ、批判者は「尖閣」二字を入れたことが外交的禍根をのこしたと言ふ。どちらも的外れだ。日本政府も同じく的外れの思考法だったが故に、かかる歴史的大轉換をたやすくやってのけたと、諸賢はお氣づきだらうか。
 尖閣諸島は四百八十年の歴史を持つ。一時の外交的勝利の道具にすべき島ではない。尖閣を以て外交の勝ち負けを論ずること自身が大誤謬だ。日本政府には歴史意識が稀薄であった。それが歴史と外交利益とを交換する愚を犯した原因だらう。
 四百八十年前、明國の最古の史料に「釣魚嶼」の名が見えるため、明國人の發見命名だとチャイナ側は主張する。しかしその史料の前段に琉球王派遣の役人が案内したと書いてあることを、チャイナ主張では無視してゐる。正しくは琉球人が發見命名したと言ふべきだ。
 西暦千六百八十三年の史料では、尖閣の東に「中外の界」が記録され、彼らはチャイナ國境線だと主張する。しかし正しくは「中外」は琉球の内外線である。チャイナ國境線は尖閣の遙か西方、大陸沿岸に存在することを、同じ記録者が記録し、同時代史料にも次々に記録されるが、チャイナ側は無視する。東西の線の間の尖閣は無主地であった。
 後に臺灣(たいわん)の地誌に記載される「釣魚臺」を以て、彼らは臺灣附屬島嶼だと主張するが、臺灣地誌の釣魚臺は尖閣ではなく、臺灣北方三島の一つである。しかも附屬か否かを問はず、國境線外の地は下關條約で割讓する權限がもともと無い。
 これら史實(しじつ)については、拙著『尖閣反駁マニュアル百題』(集廣舍刊)で詳論した。尖閣は日本百對チャイナゼロで日本の領土なのである。六分四分で外交的に勝つといふ思考法自身が敗北だ。不必要な北京APEC會談で六分四分の利を得るために、わざわざ百對ゼロを九十九對一にしてしまった。チャイナはゼロでなくなった。
 領土問題にしなかったから日本の勝ちだといふ前提が誤ってゐる。領土主權だけを保っても、文化と歴史で負け、最終的には軍事でも負け、主權だけがのこったら竹島と同じではないか。
 更に合意文書に書かれた危機管理メカニズムの對話も、重大な損失となりかねない。共同で危機管理をするのだから、所謂「尖閣共同管理」の第一歩ではないか。問題の存在しない日本領土の中での位置づけは治外法權となる。平成の不平等條約を非公式に結んだに等しい。署名も無く、法的には無効だと岸田外相は明言した。法的に無効な政治決着である。安倍首相ご執心の「法の支配」を自ら骨拔きにしたのだ。
 勝利ならば同じ合意を日本各地について結べば良い。小笠原・東京・那覇について、異なる見解を認識すると書けば良い。それが勝利ではないか。否、本來ならば尖閣の二字をはづして、東京裁判について異なる見解を認めると書くべきだ。そこを枉げても會談したのは財界及び米國の要求だらう。
 また合意文書の後のAPEC會談で習近平主席は尖閣に言及すらしなかったため、矢張り日本の勝利だと言ふ論客が多い。論理が矛盾してゐる。北京での未言及を以て勝利とするならば、合意文書での言及を以て逆に敗北とせねば通じない。
 この失地を挽囘するため、自衞隊上陸常駐ができれば有効である。國内で部隊が移動するだけだから、通常法を越える行動ではない。しかし自民黨はそれをする膽力(たんりょく)が無い。そして安倍首相は衆議院を解散し、公務員常駐の公約は違反と確定した。新公約に尖閣常駐は盛り込まれないだらう。
 では國際裁判はどうか。日本から提訴すればチャイナは應じず、領土問題と認定されるだけで終る。日本はチャイナから提訴せよと大聲で主張すべきだ。日本がさう主張しないのは、全面勝訴する自信が無いからだらう。
 國際法の根本として、尖閣編入以前にチャイナがゼロだったことを完全に證明しないと、幾分かチャイナの主張が認められてしまふ。歴史を理解すればその虞れは皆無なのだが、政府要人は理解しない。
 軍事も裁判も避けるなら、のこる方法として國際的調停に進むことを迫られる。調停は常に喧嘩兩成敗となるから、ゼロのチャイナが有利だ。今囘の合意は米國による調停の第一歩だった。今後國際調停の輿論は高まって行くだらう。早速英國の金融時報(フィナンシャルタイムズ)十一月十日社説が調停を主張してゐる。
 調停に持ち込まれないためには、歴史で百對ゼロだと世界に理解させねばならない。フォークランド諸島の歴史はスペインとイギリスとアルゼンチンと、何やら複雜だが、それでもイギリスは武力で防衞した。ましてチャイナがゼロの尖閣を日本が武力で防衞するのは當り前である。武力を避けたいならば、歴史戰に勝たねばならぬ。慰安婦問題に熱をあげてゐる場合ではない。
國民新聞261225ss