【本日の概略。北京清華大學の教授が、尖閣に最初に上陸したのはチャイナ人だったといふ新出史料を盛んに宣傳してゐる。次世代の黨の濱田議員はそれに危機感を持ち、サピオに寄稿した。私石井は既に論文を書いてその史料を論破してある。史料そのものは捏造ではない。しかし第一に史料中に口述される上陸年代に矛盾があり、口述者本人も矛盾を意識してゐる。第二にチャイナ人遺骸は目撃でなく、昭和四十七年になってからの傳聞として口述されてゐる。第三に昭和五十四年高橋庄五郎氏著書で述べられてゐたチャイナ人の遺骸も、この傳聞史料を引用した虚構に過ぎなかった。】

sapio濱田和幸清華3
▲sapio 平成二十六年十二月號より 濱田議員寄稿(部分)

このほど次世代の黨に加入した濱田和幸參議院議員が、
北京清華大學で尖閣仰天史料を見せられたとサピオに書いてゐる。
この件について濱田議員が論説を書くのは今春から四度目である。
私は9月15日に濱田議員に下の電子メールを送った。曰く、
  「私は劉江永氏の説が成り立たないことを
   指摘する論文を島嶼研究ジャーナル4-1
   に寄稿すべく執筆中です。十月末刊です。

  http://islandstudies.oprf-info.org/jp/journal/
  劉江永氏とは、昨年11月に北京で、今年五月に
  東京で、非公開の討論會の席上で尖閣史料に
  つき議論しました。一言で申しますと、尖閣開
  拓者古賀辰四郎の番頭伊澤氏の長女なる人物
  の遺言書は信頼できないことが簡單に分かり
  ます。劉江永氏も研究者として程度の高い方
  ではありません。濱田議員が衝撃を感じる必要
  は全くございません。」
と。この電子メールに濱田議員から返信を頂き、
さらに濱田議員事務所に電話もして、
十月に東京でお會ひしませうと約束した。
その後、私の他の研究論文を郵送し、また私の上京日程を
知らせる電子メールを二通送り、更には「島嶼研究
ジャーナル」4-1の電子ゲラも送ったのだが、返信が無かった。
ところが今日買ったサピオに急にこの寄稿が出たので、驚いた。
どうやら私の電子メールは濱田議員に屆いてゐなかったやうだ。
寄稿文中で濱田議員曰く、
  「日本に帰国して研究者たちに伝えても、
  劉氏は大した研究者ではないから、相手
  にする必要なし、という反応だった。」

とのことだ。「研究者達」の一人は多分私の電子メールを指すの
だらう。私は危機感不要といふつもりではなく、
「こんな程度の研究者に勝手放題に宣傳をされてゐることに
危機感を持ち、濱田議員はしっかり反駁をして頂きたい」
といふ意だったのだが、誤解されたやうだ。
そもそも私は危機感が無ければわざわざ濱田議員に電子メールを
送るわけがない。しかし濱田議員の今度の寄稿は全く史料に對する
反駁になってゐないため、私の焦りは募るばかりだ。
上記「島嶼研究ジャーナル」4-1は、11月10日に刊行されたので、
その中から件の「仰天史料」を論破した部分だけを以下に轉載する。

(劉江永教授と今月末にまた討論會で討論するので、この論文を手渡す。)
島嶼4-1伊澤0
島嶼4-1伊澤1
島嶼4-1伊澤2
島嶼4-1伊澤3
島嶼4-1伊澤4



以下は、濱田議員寄稿のインターネット版だ。
http://www.news-postseven.com/archives/20141118_285260.html?PAGE=1
http://www.news-postseven.com/archives/20141118_285260.html?PAGE=2
http://zasshi.news.yahoo.co.jp/article?a=20141118-00000018-pseven-cn
https://archive.today/VKRa0
https://archive.today/4P5cT
https://archive.today/FWGJS
中国資料「先に尖閣渡ったのは中国人だから返還を」の仰天説  
 南京大虐殺や靖国参拝など、中国は歴史認識に関する国際情報戦において、これまで日本を圧倒してきた。その中国が次に狙う標的こそ、本丸の「尖閣諸島」である。国際政治の専門家である浜田和幸・参議院議員は、「日本人の知らぬ間に情報戦は始まっている」と警告する。
 * * *
 今年6月に北京の清華大学で開催された「世界平和フォーラム」という国際会議に参加したとき、中国側の尖閣諸島に対する並々ならぬ意欲を感じさせる出来事があった。
 私は日中関係をテーマにした分科会に、早大元総長の西原春夫氏や新潟県立大学学長の猪口孝氏らとともに参加したが、ここに清華大学現代国際関係研究院副院長の劉江永氏がいて、目を疑うような資料を提示してきた。
 彼が見せたのは、1971年8月29日発行の沖縄の地方誌『群星』第1期(沖縄通信社刊)に掲載された伊澤眞伎なる女性の証言文書の写真である。
 そこには1891年に尖閣諸島を最初に発見したのは彼女の父親である伊澤弥喜太であり、島の発見時に弥喜太は洞窟の中で中国の服を着た遺体2体をみつけたとし、尖閣諸島に中国人が先に渡っていたのは明らかだと書かれている。
 そのうえで、眞伎は「日本は、戦争に負けたとき台湾と一緒に奪い取った島々を中国に返すと約束しているのですから、尖閣列島は当然、そのもとの故郷中国に返さなければなりません」と、中国に返還すべきと主張している。
 日本政府の公式見解では、尖閣諸島は1884年に福岡県の実業家、古賀辰四郎が発見し、日本政府は約10年にわたって領有状況を調査し、いずれの国にも属していないことを慎重に確認したうえで、1895年に沖縄県に編入したとされている。古賀は政府から島を無償貸与され、鰹節工場やアホウドリの羽の加工場を営んでいた。
 しかし、この証言文書では、発見者は伊澤だったが、開発資金を古賀が出資したため、島嶼の権利は古賀に帰属したとある。実際に尖閣の開発事業を担ったのは伊澤だという。その娘が、尖閣は中国に返すのが筋だというのである。
 そもそもこの証言文書が本物なのかは定かではない。なにしろ、この証言文書に記された伊澤眞伎の署名が「井沢」と誤記されているほどである。代筆による誤記とのことだが、そもそも代筆では署名の意味がない。
 仮に本物だとしても、第一発見者だからといって島の領有権をもつわけではない。島を中国に譲る権利はなく、あくまで一つの主張である。
 先に中国人が渡っていたとしても、国際社会に向けて領有を宣言したのは日本が先で、尖閣周辺の海底に石油などの資源があると指摘される1970年代まで、中国はまったく異議申し立てをしてこなかったのである。『群星』にこの証言文書が載ったのも1971年で、奇妙な符合を感じる。
 劉氏からその資料を提示された分科会の場では、真偽を確認する術がなかったので、西原氏や猪口氏とともに、「日本の専門家らと一緒にオープンに議論すべきだ」と劉氏に伝えたが、日本に帰国して研究者たちに伝えても、「劉氏は大した研究者ではない」から、相手にする必要なし、という反応だった。
 確かにこの研究成果に信憑性がどれほどあるかは大いに疑問ではあるが、私は日本側のそうした姿勢に一抹の不安を感じた。領土問題に興味のない人々に対しては、「先に島に渡っていたのは中国人で、本当の島の第一発見者が中国への返還を望んでいる」という話は説得力をもちかねない。まして尖閣問題に無関係な日中以外の国の人々に対してはなおさらである。
 劉氏は1月16日付の環球時報に、「日本人上陸者の長女が証明、釣魚島は中国に返還すべき」との記事を寄稿し、日本の尖閣領有は台湾植民地化の一環なので、ポツダム宣言を受諾したのに伴い尖閣の権利も消失したと主張している。
 台湾植民地化と尖閣領有はまったく無関係だが、こういった主張を世界に向けて何度も何度も繰り返すうちに、嘘が真実になっていく。事実、私が参加したフォーラムのような場で、中国側は世界の有識者に向けたアピールを始めているのだ。このフォーラムには知日派の大物であるアーミテージ元国務副長官まで招待されていた。その効果は絶大だろう。
 慰安婦問題で、朝日新聞は32年前の吉田証言報道をようやく取り消したが、国内での議論ではとっくの昔に「強制連行はなかった」で決着していた。しかし、決着がついていると安穏としている間に、韓国は執拗なロビー活動や宣伝活動を繰り広げ、「アジアの女性20万人を強制連行し、性奴隷にした」というデマが国際社会で信じられるようになったのではないか。外交的に完全な負けを喫したのだ。
 「南京大虐殺」の例を挙げるまでもなく、中国の国際社会への宣伝工作は韓国の上をいく。中国が宣伝戦にかける費用は、おそらく日本の100倍は下らない。中国が仕掛ける宣伝戦から逃げ、放置すれば、将来に禍根を残すことになろう。
※SAPIO2014年12月号