「21世紀の日本と國際社會」
のコラム「尖閣問題:玄葉外相主張に対する中国側論駁」に反駁しました。
頁主は無記名のやうですが、すぐに誰だか分かります。
リンクは事前聯絡を要すと書いてあるのでリンクは貼りつけません。
皆樣コラム標題からご自分でお搜し下されば幸ひです。
しかしそもそも、リンクに承諾が必要だといふのは間違った考へです。
論文題目を掲載するだけでも事前申請せよといふのと同じです。
言論の自由と學術の公正とに反する不當要求でありませう。
リンク用アドレスにも著作權は有りません。
ともあれ以下は當該ネット主に送った反駁です。
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21世紀の日本と國際社會 御中
いしゐのぞむと申します。長崎純心大學で漢文等を教へてゐます。
http://researchmap.jp/read0193046/
http://www.n-junshin.ac.jp/univ/gakka_syoukai/hikaku/kyouin/syoukai/Ishii_Nozomu/ishii_nozomu.htm
平成24年のコラムご投稿につき、
最下方に「ご意見・コメント」とありますので、以下のご意見申し上げます。
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「負けは負けと認め」とのご趣旨ですが、誤認です。
まづ邵漢儀の言ふやうな明治年間の書信等史料では、ほぼ例外なく尖閣を
「清國に接近せる島」と位置づけます。接近ですから清國外と認識してゐます。
これら史料から、逆にある程度は無主地確認できてゐたことが分かります。
次に國紀平氏の主張は、要するに明治二十八年(西暦1895)に日本が
竊取したといふのが全ての前提です。
しかし明治二十八年に至るまで常に清國外であったことは、
「島嶼研究ジャーナル」2-2掲載の拙著
「前導者と記録者、東西二界の間にて―ニューヨークタイムズの邵氏の文に駁す―」
http://www.naigai-group.co.jp/_2013/06/post-22.html
http://www.amazon.co.jp/gp/product/toc/4905285216/
及び「日本戰略研究フォーラム季報」56掲載の拙著
「チャイナの尖閣主張、繰り返す類型あり」
http://www.jfss.gr.jp/kiho%20ok/kiho56/17~21%20page.htm
をご覽下さい。
一例として、明治四年(西暦1871年)の「重纂福建通志」の尖閣
の部分そのものに、臺灣府は東北端の岬までを領域とすると明記されてゐます。
尖閣は國外扱ひです。
次に廉徳瑰女史は尖閣の名稱について書かれてゐますが、
そもそも尖閣より以前に、漢文の古名「釣魚嶼」はチャイナ名ではありません。
命名者は不明であり、琉球國人が命名した可能性が極めて高いものです。
これについても、島嶼研究ジャーナル2-2掲載の拙著及び、以下諸篇をご覽下さい。
1、八重山日報、平成二十五年六月十六日第五面、
拙著「尖閣をまもる秘策あり」(上下)
http://ishiwi.iza.ne.jp/blog/entry/3108107/
http://ishiwi.iza.ne.jp/blog/entry/3106659/
2、拙著「尖閣釣魚列島雜説四首」、 「純心人文研究」第十九號所載。
http://ci.nii.ac.jp/ncid/AN10486493
https://docs.google.com/file/d/0B2MwcvRggQjpSnJWbkpHZ1ZwTVE/edit
左上の下向き矢印を押して下さい。
「sorry」と出たら「download anyway」を押して下さい。
3、拙著 「尖閣釣魚列島雜説七篇」、長崎純心大學比較文化研究所、
平成二十五年三月刊、「ことばと人間形成の比較文化研究、
長崎純心大学共同研究報告書」所載。
http://webcatplus.nii.ac.jp/webcatplus/details/book/25825613.html
http://iss.ndl.go.jp/books/R100000002-I024345623-00
pdfファイルダウンロードはこちら。
https://docs.google.com/file/d/0B2MwcvRggQjpOHFfd2UzR1pJUlk/edit
左上の下向き矢印を押して下さい。
「sorry」と出たら「download anyway」を押して下さい。
以上の外、尖閣前史についての拙著多數は
下記ブログの諸リンクからお搜し下さい。
http://ishiwi.iza.ne.jp/blog/list/3/
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