下の上田誠也先生の訪問録、興味深いです。私は心頭の震撼するを覺えました。

何故かといふと、私の關聯分野でも同じやうなことが有ります。

私の研究の主目的は漢文及び漢文教育ですが、

實際にやって來たことは元曲及び崑曲の音樂研究です。

何故かといふと漢詩漢文の鑑賞法の鍵は朗詠法・歌唱法です。

しかし朗詠法・歌唱法が遙か昔に滅んでしまったので、

その斷片を近世チャイナの元曲崑曲音樂の中に求めたのです。

もちろん日本の雅樂に求めても良いし、訓點資料でも、漢字音でも良い。

いづれにしろ漢詩漢文そのものから見れば間接的です。

文學分野で科研費を申請した時に、分野が違ふといふ理由で

落選したことが有ります。落選理由の葉書にさう書いてありました。

では音樂で申請すれば良いかといふと、音樂分野からは私が門外漢に

見えるらしい。これではいけないと思ってここ二三年は東洋音樂學會に

入會して時々顔を出すやうにしました。まづさういふ社會的認知を求めることが

研究の前提となってしまふ。それが學界といふもの、分野を問はぬ現象でせう。

漢字音についても隨分論文を書きましたが、論文の作法が違ふと素人扱ひです。

それで、尖閣研究はどうなのか。

尖閣研究も、日本人にふさはしい漢文教材を求めることが主目的ですが、

漢文教育で尖閣の科研を申請しても通らないでせう。

ではどこに申請するか。國際法か、國際政治か、國史か、東洋史か地理か防衞か海洋か。

國際政治だと、古文書を持ち込出すこと自體が無意味だとか公家の遊びと思はれてゐる。

史學では領有權に關心が薄い。史學の主流は前近代にいかに國境線が不分明

だったかを語ることです。其の名を美にして曰く國際交流、曰く越境する民。

だから今まで史學の尖閣前史研究はほとんど有りません。

國境線が數百年前から分明だったとか言ふと、無意味扱ひか、反感を買ふかでせう。

漢文教材として尖閣史料を使ひたい理由は、そもそも領有權が出發點です。

領有の證明こそ研究の中心ですから、矢張り國際法が最善か。

いづれにしろ私は他所者です。惱ましい處です。

 

 

以下引用(部分)。

http://www.jiji.com/jc/v4?id=20130911_earthquake_prediction0001

上田誠也東大名誉教授に聞く
(聞き手 時事通信社編集局長 安達功)
地震の発生を予知するためには、前兆とされる現象を研究し、とらえなければなりません。地震の前兆現象を研究するのが短期予知なのです。ところが、前兆現象とは地震の前に起こる現象なのですから、その大多数は地震そのものではないんです。地震計をいっぱい並べて地震のメカニズムなどを明らかにするのは大切な研究ですが、地震の予知にはあまり役に立たないのです。
5月の報告書の見解は、まさにそのことを言っているのです。地震そのものを研究対象とする地震学では、本来の意味での地震予知、つまり短期予知はできない。ところが、65年に始まった地震予知計画では、地震学しかやってきませんでした。多くの地震計を設置して地震観測をさかんにやり、地震というものがだんだん分かってくれば地震予知ができるかもしれないという建前だったのですね。
しかし、地震の前兆現象はほとんどが地震そのものではないのですから、地震学はベストの方法ではなかったわけです。ほかのことをやらなくてはなりません。当事者はそのことを認識していたにもかかわらず、地震計測以外のことをほとんどしなかった。


地震研には30年以上いましたが、何人かの人たちは地震予知計画の下で多額の予算をもらい、地震学をやっていました。しかしその当時、教授会ですらそのための予算がどうなっているのかよく分からなかった。分かるのは、地震計を並べて定員が増えて予算が増えてということでした。そういうことを見ていて、これではできないなと思っていました。そもそも前兆現象を対象としない地震学では予知はできるはずがないからです。また、われわれは地震予知(短期予知)をやっていますと公言する教授会メンバーもいませんでした。

 

3人の研究者は地震の寸前に地電流に異常が起こると言っていました。物理学者だったせいか地球物理学者とは全然違い、場所を示すのにも緯度経度で言わずに「アテネの西方何キロのあたり」などと言うわけです。偏見を持たないで読めば悪くないのですが、地球物理学者はハナからこんな素人論文はだめだと思うのですね。
(以下最後まで興味深いです。)