チャイナ側の論理で、

「黒潮の激流ゆゑ沖繩の漁民は尖閣に行かれなかったが、

 臺灣からだと潮の流れを利用して往復しやすい」

などといふのが有りますが、誤りです。
近代以後では沖繩側から多數漁民などが行ってゐることは史料にある通りです。
近代以前の航海の史料では、潮の流れはほとんど話題にならず、
季節風が主な話題です。季節風が變はるまで數ヶ月待たねばなりませんから、
近代以前の尖閣で漁業は不可能で、チャイナ人沖繩人とも漁業の記録皆無です。

 

また、

「日本本土からとチャイナからの距離で、遙かに近いチャイナに説得力がある」
「100年前まで琉球ですら他國。沖繩本土から尖閣までも遠い」

などの説も有りますが、誤りです。

 

尖閣は沖繩の石垣島に編入されたのであって、

本土に編入されたわけではありませんから、

八重山諸島からの距離で比較すべきです。
與那國島から尖閣まで150KMで最も近い。
過去に溯れば、1534年の尖閣最古の記録の時、

與那國は琉球國領土でしたが、一方の臺灣はチャイナ領土外でした。
1534年時點で比較するなら、福州まで300kmと、大差がついてます。

 

かりに沖繩本島の距離で比較するなら、最東端の比較も入れるべきです。
最東端の大正島から那覇まで200kmほど、福州まで500kmほど。大差です。

 尖閣距離海上保安廳

 ▲海上保安廳ホームページの尖閣距離圖