國際法で完勝、古文書でも完勝。しかしチャイナは尖閣の西の界を徹底無視
 

 第三囘電子文字はこちら http://senkaku.blog.jp/archives/1453605.html

-------------------------------------------------------------------------------

 

日本戰略研究フォーラム季報、第五十六號、平成二十五年四月、

「チャイナの尖閣主張、繰り返す類型あり」 (四) いしゐのぞむ

http://www.jfss.gr.jp/kiho%20ok/kiho56/17~21%20page.htm

○『皇明實録』萬暦45(1617)年8月
  此の外の溟渤、華夷の共にする所なり。
  〔ここから外側の大洋は諸邦の共有だ。〕
東湧島について明の福建の外交官が皇帝に上奏した言葉である。尖閣航路は一本道なので、東湧から東の尖閣は無主地だと公式に述べたことになる。この史料は今年1月21日『讀賣新聞』夕刊及び22日『産經新聞』で報じられたが、チャイナ側から全く反駁が出なかった。昨年『産經新聞』の『石泉山房文集』の時とは雲泥の差である。『讀賣新聞』の流通量をチャイナ側が知らない筈は無いのに何故なのか。それは尖閣の西側だから徹底無視したのである。
○清・費錫章『一品集』
  黒溝に行き過ぐ中華の界
福建から那覇に向けて出航して、黒潮を渡ると「中華」(ここでは清を指す敬語)の領域が終ることを指す。私は最初うっかりこの黒潮が琉球近海かと思ったのだが、前後の句をよく見るとタイワン島の西北側海域である。非公式の漢詩ながら文化的な意義が有る。
○清・官製『重纂福建通志』・「葛瑪蘭廳」
  北、三貂に界し、東は大海に沿ふ。
これは非公式ながらタイワン島の宜蘭の行政域を示す。三貂は宜蘭の東北端の岬である。三貂から更に東北に海を越えると尖閣が有るから、尖閣は清の領外である。日本が尖閣を領有する24年前、明治4年の刊行書なので、公法上でも有効かも知れない。チャイナ公式見解では釣魚列島を宜蘭境内だとするが、誤りである。
 以上のやうに尖閣の西の界こそ重要であるから、前述[乙]の如く尖閣の東の漢文解法を細かに論じること自身が罠なのである。琉球境に「至る」「入る」でなく、チャイナ東限が尖閣の西に在ることを繰り返し訴へねばならない。

戰略forum圖


古文書は無効   
 以上諸史料の中で、大手紙に報道されたのは『石泉山房文集』と『皇明實録』だけだが、ともに皇帝への上奏文である。どうも新聞記者諸氏は、公式の上奏文は有効でそれ以外の民間記述は無効だと思ってゐるのかも知れない。
 これはチャイナ側反駁の[丁]、古文書は公法上で有効か否かの問題である。私は公法の素人ながら、上奏文が重要だとは思はない。古文書は百年も隔絶したら公法上で無効だらうから、公式と非公式とに二分すべきでなく、ただ尖閣をめぐる歴史と文化の材料として漢詩も上奏文もそれぞれ意義がある。公式か否かは重要性の一基準に過ぎず、非公式の漢詩でも航行中の記述こそ重要である。大手紙のやうに上奏文を重視すると、チャイナ側の今なほ古文書が法的に有効だとする論法にのせられる虞れが有る。
 『石泉山房文集』の報道から6日後、7月23日『産經新聞』「正論」欄所載文「尖閣で中国は法的に勝ち目なし」に於いて村井友秀氏が、チャイナ側の主張は古文書中の歴史だけにもとづくもので、日本の先占の法理に勝てないと喝破した。至言である。明の上奏文にせよ詔勅にせよ、古文書で領土を定めることなど有ってはならない。私自身もそのつもりで、歴史と文明の「いくさ」として史料を研究してゐる。
 それから更に4日後の7月27日の廉徳瑰女史の駁論(前述)では、村井氏の所説と私の研究とをならべて、「『産經新聞』は古文書が有効だと言ったり無効だと言ったり自己矛盾だ」と批判した。つまるところチャイナ側は古文書が有効だと言ひたいのである。
 しかし日本は公法で完勝するのみならず、古文書でも完勝できること、本稿でご理解頂けた筈である。リング上の正式な領有は最初から決着してゐるが、古文書の「いくさ」も「場外」の前提で受けて立つべきである。
(終)

 

-----------------------------

インターネットの文字檢索で索着できるやう、上の文章を電子文字で轉載しました。但し最終校正で微細な異同があるかも知れないので、リンク先を正版として下さい。

http://www.jfss.gr.jp/kiho%20ok/kiho56/17~21%20page.htm