八重山日報インターネット版 http://tinyurl.com/yaeyama1616 

「尖閣「無主地」 江戸時代に確認 領土編入の280年前」
新事實を發見した史料は、明國の「湘西紀行(しゃうせいきかう)」
「東西洋考(とうせいやうかう)」「盟鴎堂集(めいおうだうしふ)」の3種。
それによると、元和二年(1616年)、日本から臺灣征討のため派遣された使者明石道友(あかしだういう)が漂流し、福建沿岸の東湧島(とうゆうたう)(今の馬祖列島東端)に停泊した。
その際、明國の偵察員に對し「大明の境界に入らず」(明國の領土には立ち入ってゐない)と述べた。明石は出航前にも、長崎代官から「天朝(てんてう)の一草一粒(いっさういちりふ)をも犯すを許さず」(明國の領土に立ち入るな)と嚴命されてゐた。
石井准教授は「明國の領土を犯さないやうに、東湧から東が無主地だと事前確認した上で渡航したことを史料は示してゐる。當時の尖閣航路は季節風を利用する帆船の一本道。その西の出入口に東湧が位置するため、尖閣航路全体を無主地として日本側が確認してゐたことが分かる」と分析した。
(記事中の古書寫眞は、國立公文書館藏「盟鷗堂集」です。)

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http://www.yaeyama-nippo.com/2013/03/17/%E5%B0%96%E9%96%A3-%E7%84%A1%E4%B8%BB%E5%9C%B0-%E6%B1%9F%E6%88%B8%E6%99%82%E4%BB%A3%E3%81%AB%E7%A2%BA%E8%AA%8D-%E5%B0%96%E9%96%A3-%E7%84%A1%E4%B8%BB%E5%9C%B0-%E6%B1%9F%E6%88%B8%E6%99%82%E4%BB%A3%E3%81%AB%E7%A2%BA%E8%AA%8D-%E5%B0%96%E9%96%A3-%E7%84%A1%E4%B8%BB%E5%9C%B0-%E6%B1%9F%E6%88%B8%E6%99%82%E4%BB%A3%E3%81%AB%E7%A2%BA%E8%AA%8D-%E7%9F%B3%E4%BA%95%E5%87%86%E6%95%99%E6%8E%88%E7%99%BA%E8%A1%A8/ 

 キャノングローバル戰略研究所での研究報告の配布物は以下リンクです。開運滿足さんがインターネットに出して下さいました。

http://kaiunmanzoku.hatenablog.com/entry/2013/03/18/164731  湘西紀行公文書館