先日、椿説弓張月で釣魚嶼(尖閣)が琉球國とされてゐることを(リンク↓)
http://senkaku.blog.jp/archives/12494808.html
書きましたが、少し説明補足します。
鄭若曾の「琉球國圖」はほ、ぼそのまま明國の『三才圖會』地理卷十三に
轉載されてゐます。萬暦三十七(西暦1609)年序の刊本。リンク:
http://dl.ndl.go.jp/view/jpegOutput?itemId=info%3Andljp%2Fpid%2F2574370&contentNo=141&outputScale=1
http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/2574370/141
三才圖會地理13釣魚嶼
『三才圖會』では、もとの「高華嶼」を誤って「高英嶼」に作りますが、
『椿説弓張月』も高英嶼に作るので、鄭若曾原本でなく『三才圖會』系統を
使ったのだと分かります。また、『椿説弓張月』の圖の左端には
「此山下、水急確」と書かれてゐますが、これは鄭若曾の原圖の
「此山下、水急礁多」の誤刻です。同じ誤刻は
『倭漢三才圖會』に見られます。
http://dl.ndl.go.jp/view/jpegOutput?itemId=info%3Andljp%2Fpid%2F2596392&contentNo=11&outputScale=1
http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/2596392/11
馬琴は
普及度の高い『倭漢三才圖會』(卷六十四)を使ったことが分かります。

そして『三才圖會』でも
『倭漢三才圖會』でも、福建省の陸地を含みません。
鄭若曾の「琉球國圖」では福建の陸地を含むので、
『三才圖會』の方が有り難い圖です。
また、『椿説弓張月』は
地圖だけでなく文面でも釣魚嶼を琉球國とする
點で更に有り難い。
しかしいづれも澎湖島の位置など隨分無茶な圖であり、
且つ他の記録では尖閣航路上の琉球國を久米島までとしてゐるので、
とても『三才圖會』が尖閣領有の根據となるわけではありません。
尖閣史料はもっと良いものが多數あるので、わざわざ『三才圖會』を
持ち出す必要は無く、ただ面白がればそれで良いと思ひます。
もっと良い多數の史料は新刊拙著『尖閣反駁マニュアル百題』で解説しておきました。リンク:
http://www.amazon.co.jp/dp/4916110986
表紙7