今日出たニュースで琉球國晩期の尚育王の書を見掛けた。
http://ryukyushimpo.jp/news/storyid-230773-storytopic-6.html
https://archive.today/J5vGm
http://www.jiji.com/jc/zc?k=201408/2014082800796&p=0140828at45
https://archive.today/n9QYH
http://www.jiji.com/jc/c?g=soc&k=2014082800796
https://archive.today/SR0DT
記事より:
漢詩は「紫禁仙輿詰旦來 青旗遙倚望春臺」
(皇帝のみこし=紫禁の仙輿=は早朝に来る。
青い旗がはるかかなたより近づくのが春台=高台=から望める)
などとつづっている。
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琉球新報の記事では以上のやうに解されてゐるが、「春臺より望む」
ではなく、「青旗(皇帝のみこし)が遙か彼方から望春臺の傍らに來た」
が普通の解釋だ。望春臺は春を望む高臺、すなはち晩冬の高臺となる。
第三句も「庭の霰(あられ)」だから、冬の景色である。
第四句は林花(森の木の花)が開いたと勘違ひした意なので、やはり晩冬だ。
青旗と紫禁仙輿とはともに皇帝のみこし(車)である。
全句の訓讀は以下のやうになる。
紫禁の仙輿、詰旦に來(きた)り、青旗遙かに望春臺に倚る。
庭霰(ていさん・ていせん)の今朝落つるを知らず、疑ふ是れ林花の昨夜開くかと。
(唐の宋之問の原詩は紫禁仙輿詰旦來、青旗遙倚望春臺、
 不知庭霰今朝落、疑是林花昨夜開)

チャイナは琉球國に對して實効支配をしてゐなかったこと、こちら
http://senkaku.blog.jp/archives/10461034.html
の論文などでも書いたが、しかし朝貢册封の文化としては
福建と琉球とが對等、北京からの册封使は琉球王よりも格上の扱ひだ。
だからこのやうに皇帝の來臨を詠じた唐詩を册封使に贈ったりする。
沖繩の人々は、あまり朝貢册封の歴史を理想化して、
明國清國を現代の中華人民共和國に擬して諂(へつら)ふと、
沖繩の人々が格下の不愉快な扱ひを受け易くなる。
沖繩の人々にも琉球史研究者にも、そのやうな諂ひはおすすめしない。
さうではなく、中華人民共和國の失った古き良き文明を留める琉球、
として自ら位置づけるべきだ。
尚育王書宋之問詩
尚育王時代、鴉片戰爭南京條約直後の西暦千八百四十五年、
イギリス軍艦サマラン號が尖閣を
清國領土外と確認の上で測量したことは、
こちらのリンクの八重山日報(平成25/10/3と10/4
http://senkaku.blog.jp/archives/1453621.html
及び新刊拙著『尖閣反駁マニュアル百題』
http://www.amazon.co.jp/dp/4916110986
の第四部「尖閣南北航路説」に書いたので、ご覽頂きたい。
尖閣は別としても、この時サマラン號が琉球國に來ることを、
福州琉球館の役人が福建省當局に通報してしまひ、
それにより清國が介入することを尚育王は非常に懼(おそ)れた。
しかし清國は介入せず、琉球の獨立性は保たれた。史書『球陽』に見える。
もちろん清國は琉球の統治に介入する實力(軍事力を含め)を有してをらず、
琉球側が懼れたのは外交上の介入である。それも杞憂であった。
琉球國が清國に屬してゐなかったことが、この史實からも分かる。
表紙6