- 尖閣480年史 - いしゐのぞむブログ 480 years history of Senkakus

senkaku480 石井望。長崎純心大學准教授。笹川平和財團海洋政策研究所島嶼資料センター島嶼資料調査委員。日本安全保障戰略研究所研究員。内閣官房領土室委託尖閣資料調査事業特別研究員。 御聯絡は長崎純心大學(FAX 095-849-1894) もしくはJ-globalの上部の「この研究者にコンタクトする」  http://jglobal.jst.go.jp/detail.php?JGLOBAL_ID=200901032759673007 からお願ひします。 

 『申報』の臺灣島東北方の小島に日章旗を建てた
記録は英字新聞「Shanghai Mercury」で
朝鮮からの消息を轉載したものである。
英字新聞が朝鮮の消息を載せるのは巨文島事件
(Port Hamilton Incident)の關聯だ。丁度この明治
十八年(西暦1885年)四月、英軍は朝鮮半島南側の
巨文島を占領し始めた。その英軍が朝鮮まで往來の
航程で、彭佳嶼もしくは尖閣に飜る日章旗を目にし、
消息を西洋の新聞に傳へ、輾轉として『申報』の報道
となったと思はれる。樣樣な英字新聞を調べねば
なるまい。幸ひ英字新聞のデジタルデータは世界の
あちこちに有る。これまで少々調べた限りではまだ
見つからないが、精査を要する。有志の奮起を望む。
http://www.nytimes.com/ref/membercenter/nytarchive.html
http://query.nytimes.com/search/sitesearch/#/*/since1851/allresults/1/allauthors/oldest/
http://www.newspapers.com/
http://www.britishnewspaperarchive.co.uk/search/advanced
http://chroniclingamerica.loc.gov/lccn/sn88064499/issues/1885/
https://news.google.com/newspapers
http://en.wikipedia.org/wiki/Wikipedia:List_of_online_newspaper_archives
http://trove.nla.gov.au/newspaper/search?adv=y
http://www.britishnewspaperarchive.co.uk/
http://www.findmypast.co.uk/
http://gale.cengage.co.uk/times.aspx/
http://www.thetimes.co.uk/tto/archive/
http://hcl.harvard.edu/libraries/harvard-yenching/collections/newspapers/query.cfm?SORT_DIRECTION=1&START_ROW=1&region=1&SORT_COLUMN=years



フランスの新聞。
http://libguides.bodleian.ox.ac.uk/c.php?g=423131&p=2889304
http://gallica.bnf.fr/html/und/presse-et-revues/les-principaux-quotidiens

ついでながら、上海マーキュリー社刊『Formosa』より、臺灣島北部地圖。
http://www.reed.edu/Formosa/gallery/map_pages/SectionMaps/Nmaps/Clark_N_Form.html
http://www.reed.edu/Formosa/images/maps/section/north/1536_1024/26.jpg

Formosa圖Shanghai Mercury社1896






もう一つついでに。洪秀柱女士引共黨見解
http://www.peoplenews.tw/news/ae8ebf90-104c-46b7-875e-8012c7443ffd






『The New American Practical Navigator』
E. & G.W. Blunt刊, 西暦1807年。第三十七表にラペルーズ航路上の尖閣あり。
https://books.google.co.jp/books?id=wSBKAQAAMAAJ
1807_American_Practical_Navigator尖閣


『The improved practical navigator』
著者:Nathaniel Bowditch, Thomas Kirby
出版者:J. and J. Hardy, 西暦1809年。第二十八表にラペルーズ航路上の尖閣あり。
https://books.google.co.jp/books?id=_CpSAAAAYAAJ
1809_improved_practical_navigator尖閣


 上兩表は、ラペルーズの航路の順次に地名を列する中で、與那國島の次に尖閣を置く。これは尖閣の領有に向ふ歴史の中で意義の有る史料であらうか。
 そもそも所謂諸島・群島・列島なる者は、自然地理的・人文地理的な近接性・連續性と大いに關はる。航路といふのも同じく連續性と關はるが、但し航路には甲群島から乙群島へと進む順次も含まれるから、航路の連續性だけでは群島の域を定めることができない。且つ航路は一群島中の全島嶼を經由するわけでもない。
 從って、この表のラペルーズの航路順といふだけで、尖閣が琉球諸島内だとすることはできない。一方で、ラペルーズと同じく臺灣東岸を北上する航路は西洋人に多く利用され、一つの特徴がチャイナ官憲との衝突を避けて進むといふ點に在る。そのためラペルーズ航路上の地は、チャイナ外の地として歴史的意義を持つ。その側面で、この西暦1807年の航路表は幾分かの意義を有するとも言ひ得よう。
 







1881communications_le_japon4


篇名:「Communications Le Japon」(日本通信)
誌名:『Société des géographie commerciale de Bordeaux Bulletin 1881』
(ボルドー商業地理協會紀要、西暦1881年ボルドー刊)
第五至七頁所載。
著者:Emile Labroue(エミル・ラブルー)
https://books.google.co.jp/books?id=vyY7AQAAIAAJ

尖閣が宮古八重山諸島の中に位置づけられてゐる。
1881communications_le_japon1

1881communications_le_japon2

1881communications_le_japon3赤

Les petites îles comprennent : les Kouriles méridionales,Kounachir et Itouroup (Ourous et Tchikotans appartiennent aux Russes depuis peu), situées au nord d'Yéso; l'île Sado et les îles Oki, à l'ouest de Niphon; les îles Fatsitiou et Bonin-Sima(2), à l'est de Niphon. Au sud de Kiousiou et au delà du détroit de Van-Diemen se trouve une longue chaîne d'îles comprises sous le nom d'archipel Lieou-Kieou, Liou-Kiou ou Lou-Tchou. Elles vont,en formant un demi-cercle, rejoindre l'île Formose(3) et la Chine.
 Nous voyons d'abord les îles Linschoten, puis l'archipel Cecille, avec les îles de Tanega-Sima(4), Nagarobé,Yakimo-Sima, Naka-Sima,Suma-Sima, Akui-Sima,Tokora-Sima,Yoko-Sima.
註。
(2)Bonin-Sima communtque í fois par mois aver le Japon par paquebots it vapeur.
(3)L'île Formose appartient â la Chine, â qui le Japon l'a cêdée récemment.
(4)Sima veut dire île.
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Puis vient l'archipel Liou-Kiou proprement dit (1). Nous y remarquons les îles de Kikai-Sima, Oho-Sima, Katona-Sima, Ima-Sima, Tok-Sima, Yeiraba-Sima, îles Montgoméry, Yori-Sima, Karisima, Tonne-Sima, Okinawa-Sima, Komisang, Amakirima. Entre les îles Liou-Kiou et Formose, nous trouvons encore l'archipel Meia-Co-Sima, avec les ìles de Raleigh, Pinacle, Tiausu, Ty-Pin-San, E-Ra-Bou, Ykima, Pat-Ching-San, Bangh,Koo-Kieu-San et Koumi.
 Les côtes de toutes ces îles sont très escarpées, la côte orientale particulièrement. Cet escarpement indique la profondeur des mers voisines. En effet, dans ces parages, l'Océan Pacifique est très profond. En certains endroits, la sonde n'a pu toucher le fond. La partie comprise entre le Japon et la Californie forme une cuvette de 5 à 6,000 mètres de profondeur. Au nord-est du Japon, le fond des mers est encore plus bas; il y a une fissure large de 100 lieues, longue de 300, qui a 8,500 mètres de profondeur. La température des eaux, à ces profondeurs, est en moyenne de 0,90.
註。
(1)La plus grande des îles Liou-Kiou a 120kil. de long.

和譯。
 まづ我々は、リンスホーテン諸島及びセシル諸島(大隅諸島)を目にする。そこには種子島、ながらぶ島(永良部島)、やきも島(屋久島のkuの誤記か)、中島、すま島(諏訪島のwaの誤記)、惡石島、吐葛剌島、よこ島(横當島か)を含む。次いで琉球諸島に到達する。我々が知る琉球諸島は、喜界島、大島、かとな島(嘉手納か)、今島、徳之島、永良部島、モンゴメリー群島、與路島、かり島(不明)、とね島(不明)、沖繩島、姑米山(久米島)、あまきりま(慶良間)、である。
 琉球諸島とフォルモサ(臺灣島)との間の島々は宮古諸島である。そこに含まれるのは、ラレー(尖閣大正島)・ピナクル(尖閣南北小島)・Tiausu(尖閣久場島)、太平山(宮古島)、永良部島、池間島、八重山、Bangh(黒島)、古見山(石垣島)、そしてコミ島(與那國島)である。
 これらの島々の岸邊はとても險しく、特に東岸がなほさらである。この絶壁は、隣接する海の深さを示す。實際これらの部分で、太平洋は非常に深い。場所によっては探針が海底に觸れない。
和譯終。

 尖閣は宮古八重山諸島に含まれてゐる。ピナクルは英國サマラン艦による命名なので、この通信は比較的に新たな情報を採用してゐる。もともとサマラン艦の航海録では八重山諸島の章で尖閣を述べるので、この通信は普通に記述したに過ぎない。
 リンスホーテン諸島は通常吐葛喇諸島を指すとされる。大隅諸島はジャン・バティスタ・セシル將軍が航行したため、フランスの地圖ではセシル諸島と呼ばれる。
https://en.wikipedia.org/wiki/Jean-Baptiste_C%C3%A9cille
本段は北から南へ進むので、吐葛喇諸島と大隅諸島との順次が逆になってゐる。Baugh(水道)と名づけられた黒島は、石垣島と西表島との中間やや南寄りにある。
 
 本通信の著者エミル・ラブルーには『L'Empire du Japon』(日本帝國)
http://ci.nii.ac.jp/author/DA06570996
http://www.cfdrm.fr/Livre_Lempire-du-Japon-par-Emil-Labroue-1889.htm
『Le Japon Contemporain』(現代日本)
http://ci.nii.ac.jp/ncid/BA1819521X
などの著書が有る。やや後にアンリ・ラブルーといふ地理學者が有り、
https://fr.wikipedia.org/wiki/Henri_Labroue
『L'impérialisme japonais』(日本帝國主義)といふ著書が有るので、
http://ci.nii.ac.jp/ncid/BA17067597
https://archive.org/details/limprialismejap00labrgoog
父子なのかも知れない。


(以上の内容は平成二十八年一月『純心人文研究』二十二號に掲載見込)
http://ci.nii.ac.jp/ncid/AN10486493

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https://web.archive.org/web/20151023052754/http://senkaku.blog.jp/archives/45780093.html
https://archive.is/UsAx4


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『Connaissance des temps ou des mouvements célestes, à l'usage des astronomes et des navigateurs』(海天測量師便用 星候須知)
編者:Bureau des longitudes (經度局)。
西暦1800年至1801年(佛蘭西共和暦九年)パリ刊。
https://books.google.co.jp/books?id=5hVFAAAAcAAJ
https://books.google.co.jp/books?id=Q6hRAAAAcAAJ
フランスの航海天文の基準として、數百年にわたり刊行された年鑑である。
https://en.wikipedia.org/wiki/Connaissance_des_Temps
經度局は革命後の國民公會(Convention nationale)によって設立されたので、官製といふことになる。

1800年Connaissance des temps長崎

1800年Connaissance des temps尖閣
地名略釋:
Hoaiagnam:淮安。p.203
Cun-min:崇明島。p.203
Ladrone(grande):大萬山島。珠江の灣外の島。p.203。支那と注記されず。
Macao:澳門。p.203
Typa:澳門の氹仔。p.205
Xam-hay:上海。p.205
Bashees:フィリピンのバシー諸島。
Botol Tobaco Xima:臺灣島東南方の蘭嶼。
Kami:もとは石垣島の古見(Koumi)だが、ここでは與那國島。
Hoapinsu:和平嶼、花瓶嶼。今の尖閣諸島魚釣島。
Oroolong:パラオのウーロン島。
Soufre:硫黄島。
Tiaoyusu:釣魚嶼。今の尖閣諸島久場島。
Tinian:マリアナ諸島のテニアン島。

 まづ分かり易いのは、南京・淮安・崇明・澳門・上海等がChine(支那)とされながら、尖閣にはChineと注記しない。注記するに足る空白は充分に有るので、チャイナ外として認識されたことが分かる。
 本書の經緯度表の地域分類として、「アジア及び附屬島嶼」と「太平洋及び南海」とがあり、上の電子畫像の長崎・能登・寧波・上海・南京・北京・廣東・澳門などはアジアに配屬されてゐる。日本が太平洋でなくアジア附屬島嶼となってゐるのは、自然地理的分類でなく、人文地理的分類である。
 表中には臺灣本島及び沖繩諸島を收めない。比較的新しい時代の現地計測値を限定的に採用したためだらう。西暦1787年、ラペルーズは臺灣島西岸に到達せず、東岸のタバコシマ及び琉球の與那國島・尖閣等を計測したため、この表に新情報として採用されたと思はれる。琉球國内には基本的に進入できなかったため、この表でも經緯度を載せない。日本本土でも、江戸や大阪など鎖國ゆゑ寄航不可能の土地の經緯度でなく、近代に接近し得た能登及び長崎を記載したと思はれる。
 尖閣及びタバコシマは、アジアでなく太平洋に配屬される。人文地理的にチャイナ外と看做されたためである。日本がアジアで尖閣が太平洋にといふ對照は、尖閣が無主地として扱はれてゐることを示す。
 ラペルーズはチャイナ領土及び日本領土を避けるやうな形で進んだため、結果としてタバコシマ・與那國島・尖閣といふ配列がこの表と共通することとなってゐる。

 世界各地の經度を精確に計測することは難しく、海洋交通全盛期では需要が大きかったため、この種の書が多く出版された。書誌の佛蘭西共和暦といふのは革命後に 短期間使用された面倒なもので、九月を元月とする。私は昨年から西洋製史料を手にするやうになって始めて學んだのだが、過去に大學入試センター試驗でも出題されたといふ。

 この經緯度表は、やや後の西暦1804年には世界地理書中に採用される。
『Géographie moderne: rédigée sur un nouveau plan, ou Description historique, politique, civile et naturelle』
(地圖新解 現代地誌 歴世王化天地人詳説)
著者:John Pinkerton, Lacroix
出版者:Dentu, 1804 -
第百九十八頁のアジアにチャイナを記載し、
第二百九頁の太平洋にHoapinsuを記載する。
https://books.google.co.jp/books?id=Js-9Fe1DFPYC


 『星候須知』の西暦1803年版には標題の「ou des mouvements célestes」が附加されないので、『天候須知』といふことにならう。
https://books.google.co.jp/books?id=48ZWOzDtkEQC




記録:
https://web.archive.org/web/20151023053005/http://senkaku.blog.jp/archives/45813928.html
https://archive.is/71bG5


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『Géographie moderne』(近代地理學)第二册。
by La Croix, Louis Antoine Nicolle de,
1800年パリ刊。
https://archive.org/details/cihm_51318
この書の「Chine」(支那)の章、第205頁に曰く、
https://archive.org/stream/cihm_51318#page/n229/mode/2up
「a l'est de Formose on en voit encore dix-sept, qui dependent du roi de Lieou-Kieou」
(臺灣島の東方に、琉球王に藩屬する十七島が更に存在する)
と。この三年前に刊行されたラペルーズ紀行では、十七島について述べないので、この十七島はゴービル通信もしくはダンビル・ビュアシュらの地圖にもとづく筈である。
 ゴービル通信では琉球の南に太平山七島、南西に八重山九島とするので、合計十六島である。地圖と對照すれば何らかの出入が有るとして、ほぼ十七島に近い數字だ。
 ゴービル系列圖に記載される尖閣の釣魚嶼、和平嶼、黄尾嶼、赤尾嶼(乃至彭佳嶼)を含めば、二十島ほどになり、十七島とはなり得ない。從ってこの西暦1800年刊行書の琉球には尖閣を含まない。書中の琉球以外の部分でも尖閣に論及は無いので、チャイナに含むわけでもない。尖閣のやうな細かな島々は省略されたのだが、ほぼ無主地扱ひと言っても良い。
 但しこの書では琉球そのものがチャイナの一部分とされてゐる。誤解なのだが歐洲では普遍的であった。西暦十九世紀半ばにやっと日本領であることが歐洲に知られてゆく。

Geographie_moderne_1800年琉球

西暦1754年のビュアシュ製圖では宮古八重山の藩屬を十七島(17 isles)とする。『Géographie moderne』はこれにもとづいたと思はれる。
 ▼ラムゼー圖庫 西暦1754年 ビュアシュ氏製 琉球圖。
1754Buache氏Carte du royaume et des isles de Lieou-Kieou






Mitchell1846
  ▲TiaoyusuをHaoyusuと誤記する。宮古八重山尖閣臺灣が全て黄色。認識の一例。


『An Accompaniment to Mitchell's Map of the World』
(ミッチェル氏世界圖補註)西暦1848年刊。
Samuel Mitchell氏著。
https://babel.hathitrust.org/cgi/pt?id=yale.39002030862347;view=1up;seq=112
http://catalog.hathitrust.org/Record/008732676
accompaniment1848_mitchell_map尖閣

https://babel.hathitrust.org/cgi/pt?id=yale.39002030862347;view=1up;seq=16

accompaniment1848_mitchell_map凡例

 この書は他に西暦1840年、1846年などもあるが、上リンクの1848年のが鮮明だ。
第106頁の「Tiaoyu-su」の第三欄「position」(場所)に、「Eastern Sea」と標してあり、無主地としての扱ひだ。「Explanation」(凡例)には、第三欄は所屬國家を示すとしてゐるので、國家外だと分かる。
 ミッチェルの地圖では、「Tioayu-su」でなく舊來の「Haoyu-su」といふ誤記を襲ふものが多いので、矛盾する。「Tiaoyu-su」に作るミッチェル地圖を搜さねばなるまい。
http://www.davidrumsey.com/luna/servlet/detail/RUMSEY~8~1~2032~150067
http://www.davidrumsey.com/luna/servlet/detail/RUMSEY~8~1~35766~1200992

 また、同じ西暦1848年のミッチェル附表では、「Madjicosemah」(宮古八重山諸島)、「Patchusan」(八重山)、「Leoo-keoo」(琉球本島)、「Typansan」(太平山、即ち宮古島)が全て國家外の「East Sea」扱ひだ。
accompaniment1848_mitchell_map琉球
accompaniment1848_mitchell_map宮古
accompaniment1848_mitchell_map八重山
accompaniment1848_mitchell_map太平山

 このやうに、尖閣認識史を示す史料は、同時に他地についての認識も示す。他地についてもさういふ認識の歴史が存在したわけだ。だからと言って琉球が無主地だったといふ歴史事實は存在しない。認識の歴史と事實の歴史とを混同しないやうに自戒したい。
 史料は史實を決定するものではなく、史實を推測する材料に過ぎない。だから「史料」と呼ぶ。推測の確實性は極めて高いものから低いものまで色々だ。こんな當り前のことを書いたら史學專攻の人に笑はれる。

https://archive.is/vuTvF
https://web.archive.org/web/20151020070009/http://senkaku.blog.jp/archives/45844933.html



fantasmagoriana


『西暦1780年以來晩近紀行要録』
(Abrégé des voyages modernes depuis 1780 jusqu'à nos jours: contenant ce qu'il y a de plus remarquable, de plus utile et de mieux avéré dans les pays où les voyageurs ont pénétré)
第一册、第130頁。
著者:Jean Baptiste Benoît Eyriès。
西暦1822年パリ刊。
https://books.google.co.jp/books?id=kJ-cOv5V40UC

1822Abrege_des_voyage頁130ラペルーズ

ラペルーズ紀行を簡略にまとめてゐる。しかし尖閣から北上する際に「終に琉球諸島を離れる」の一語は省略されない。海域の境目を示す重要な一語だから、省略されないのは當り前である。
 著者Jean-Baptiste Benoît Eyriès(ジャン・バティスト・ブノワ・エリエス)氏は、地理學者にして翻譯家とのことである。
https://en.wikipedia.org/wiki/Jean-Baptiste_Beno%C3%AEt_Eyri%C3%A8s
ラペルーズの次に琉球に來たブロートン船長の航海記を英文から佛文に譯してゐる。西暦1807年パリ刊、『Voyage de découvertes dans la partie septentrionale de l'océan Pacifique, fait par le capitaine W. R. Broughton』(ブロートン船長北太平洋探檢録)。
https://books.google.co.jp/books?id=lUGwkZeVhZ0C
エリエスはこれらを熟知した人であるから、ラペルーズの「尖閣まで琉球」の語を省略しなかったことは意義がある。
 ついでながら、ラペルーズが與那國島(Koumi)で述べた「臺灣島の東方の全島嶼の首府たる琉球」の語をエリエスは省略してゐる。


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Kruzenshtern

『Recueil de mémoires hydrographiques, pour servir d'analyse et d'explication à l'Atlas de l'océan Pacifique』(太平洋圖册解説用 水路叢録)
Ivan Fedorovich Kruzenshtern(アダム・クルーゼンシュテルン)氏著。
西暦1827年ペテルブルグ刊、佛蘭西文。
https://books.google.co.jp/books?id=nB9TAAAAcAAJ
 第268頁、宮古八重山諸島(madjikosimah)の章内で尖閣を論ずる。曰く、
「On compte encore parmi les isles madjicosimah, les isles Tiaoyusu et Hoapinsu,」
(宮古八重山諸島の中には、更にTiaoyusu及びHoapinsuといふ島々が有る)
云々と。「parmi」は辭典によれば中とも間とも譯される。また音序索引にもTiaoyusu及びHoapinsuをmadjikosimahの内と明記してゐる(第四百十五頁、四百二十二頁)。
 一方で彭佳嶼などの臺灣北方三島は、第二百三十頁、臺灣島の章内で「trois petites isles」として言及されてゐる。臺灣北方三島と尖閣とを完全に分けてゐることが分かる。但し書中に「Pongkia」(彭佳)は出現しない。


1827Recueil_hydrographiques_Kruzenshtern第268頁尖閣

 また經緯度表(下圖)第407頁、琉球諸島内(圖册26番)のmadjicosimah(宮古八重山諸島)の欄内に「Tiayusu」(釣魚嶼)、「Hoapinsu」(和平嶼、花瓶嶼)を含める。右側の臺灣附近諸島(Isles situees pres de Formose、圖册27番)には含めない。地理的「附近」に含めないことを示す。清國への法的「附屬」についても他史料で否定される。
 また彭佳嶼などの臺灣北方三島は、同頁の表の右側の臺灣附近諸島の欄内に「Trois isles」として記載されてゐる。臺灣北方三島と尖閣とを完全に分けてゐることが分かる。
Kruzenshtern1827尖閣

 この書は太平洋圖册の解説用である。圖册は疑ふらく下リンクだらう。
「atlas de l'océan pacifique dressé」(太平洋圖册)
「Atlas zur Reise um die Welt」 (世界周遊圖册)
Kruzenshtern  1814年ペテルブルグ刊。
ドイツ語版。電子畫像第百四十五枚目に尖閣あり。
赤尾嶼に「1797」とブロートンの到達年を記すのみ。領土分屬無し。
https://archive.org/details/darwin-online_1814_Krusenstern_A795

下のフランス語版とロシア語版はインターネット全文無し。
「Atlas de l'océan Pacifique dressé par m. de Krusenstern.
 Publié par ordre de Sa Majesté impériale.」
1827年Pétersbourg刊。フランス語。
https://openlibrary.org/books/OL20968231M/
もしくは「Atlas of the voyage round the world」 Adam J. von Krusenstern.
1970年Amsterdam複製本。ロシア語版(標題のみ英語)。
https://openlibrary.org/works/OL5305937W/
http://ci.nii.ac.jp/ncid/BA06695000


書目「Voyage round the world, in the years 1803, 1804, 1805, & 1806」
著者:Ivan Fedorovich Kruzenshtern
附圖:Chart of the North west part of the great Ocean。
 (附圖の尖閣にラペルーズの經緯度のみ注記され、歸屬不明)
http://shinku.nichibun.ac.jp/kichosho/new/books/42/pageview/zoomify/0046B.html
http://www.donaldheald.com/pictures/30276-2.jpg
https://books.google.co.jp/books?id=v1Id9fkzk08C
https://books.google.co.jp/books?id=kGxJAAAAYAAJ
http://ci.nii.ac.jp/ncid/BA08737906
グーグルブックス本XXXViii頁は不明瞭。
書目「Атласъ къ путешествию вокругъ свѣта капитана Крузенштерна」
1813年版の複製。天理中央19731年複製。
クルーゼンシュテルン世界紀行。上記のロシア語版。





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 クルーゼンシュテルン。日本海の命名者にして、レザノフが長崎に來た時の軍艦の提督。歴史的著名人の著作であるから、宣傳力は有るだらう。クルーゼンシュテルン自身は尖閣にも琉球にも渡航しなかったので、水路誌で尖閣を琉球に分類するのは自身の認識ではなく、早くもこの頃ロシアでも普遍的認識に異議が無かったことを示す。日本が正式に領有する迄、まだ約七十年待たねばならない。

横濱開港資料館館報より。
http://www.kaikou.city.yokohama.jp/journal/077/077_02_02.html
クルーゼンシュテルンは太平洋・インド洋・大西洋の三大洋をめぐり、ロシア初の世界周航に成功した。日本には1804年、遣日使節レザノフを伴って長崎に入港したが、通商開始をもとめるレザノフと幕府との交渉は不成功におわった。その後、クルーゼンシュテルンは北方に向かい、カムチャッカ・千島・サハリンを調査した。この北方海域の調査は高い評価を受けた。
 クルーゼンシュテルンの世界周航記は、日本でもオランダ語版をもとに翻訳がおこなわれた。蘭学者で幕府天文台翻訳方青地林宗訳・天文方高橋景保校訂『奉使日本紀行』(抄訳)がそれである。しかし1828年、高橋景保がオランダ商館付医官、シーボルトへこの世界周航記などの洋書と交換に国禁の日本地図を与えたことが発覚し、高橋は獄死、シーボルトは国外追放となった。

參考:
『東京大学史料編纂所研究紀要』第25號(平成27年)
第140頁、セルゲイ・チェルニャフスキー氏講演録
「琉球諸島におけるロシア海軍軍人たち」。
https://www.hi.u-tokyo.ac.jp/publication/kiyo/kiyo0025.html
http://www.hi.u-tokyo.ac.jp/publication/kiyo/25/kiyo0025-12.pdf


https://web.archive.org/web/20151019113355/http://senkaku.blog.jp/archives/45794337.html
https://archive.is/rgjvc

(以上の内容は平成二十八年六月十四日『八重山日報』連載「歐洲史料尖閣獺祭録」にて掲載します。)
http://www.shimbun-online.com/latest/yaeyamanippo.html




Abraham_Rees

『The Cyclopaedia; Or, Universal Dictionary of Arts, Sciences and Literature』
(世界學藝百科全書)
Longman氏、Hurst氏等、西暦1819年倫敦にて共刊。
Abraham Rees等共編。
全三十九册中、第十八册に「HOAPINSU」(和平嶼、花瓶嶼)。琉球に屬する。
https://books.google.co.jp/books?id=aEVRAAAAcAAJ
1819Rees_Cyclopaedia_18册Hoapinsu


第三十五册に「TIAOYU-SU」(釣魚嶼)。琉球に屬する。
https://books.google.co.jp/books?id=tUVRAAAAcAAJ
Rees1819_Cyclopaedia_35册Tiaoyusu


リース氏の百科全書は、西暦十九世紀初期、ブリタニカ百科等多くの百科全書と競合したとされる。
https://en.wikipedia.org/wiki/Rees%27s_Cyclop%C3%A6dia
この時代の百科全書群から尖閣記事を全て拾ひ出す必要がある。1815年頃からだらう。かなり面倒な仕事だ。



記録:
https://archive.is/Gi74K
https://web.archive.org/web/20151019084834/http://senkaku.blog.jp/archives/45786655.html


リース氏百科全書の第六册は『古今地圖册』(Ancient and Modern Atlas)となってゐるが、殘念ながら尖閣附近に界線を描かない。
https://books.google.co.jp/books?id=OTxRAAAAcAAJ


(以上の内容は平成二十八年二月『八重山日報』連載「歐洲史料尖閣獺祭録」で論及する見込み)
http://ci.nii.ac.jp/ncid/AN10486493