- 尖閣480年史 - いしゐのぞむブログ 480 years history of Senkakus

senkaku480 石井望。長崎純心大學准教授。笹川平和財團海洋政策研究所島嶼資料センター島嶼資料調査委員。日本安全保障戰略研究所研究員。内閣官房領土室委託尖閣資料調査事業特別研究員。 御聯絡は長崎純心大學(FAX 095-849-1894) もしくはJ-globalの上部の「この研究者にコンタクトする」  http://jglobal.jst.go.jp/detail.php?JGLOBAL_ID=200901032759673007 からお願ひします。 


 平成二十六年の拙著『尖閣反駁マニュアル百題』の第三百七十三頁及び彩色圖十一では、「ダンビル傳授アジア及び島嶼圖」に論及した。
http://www.davidrumsey.com/luna/servlet/detail/RUMSEY~8~1~31559~1150038
原題:「Asia and its islands according to d'Anville」。ラムゼー圖庫、番號2310053。西暦千七百九十九年製。赤尾嶼(大正島)が日本本土及び琉球國と同じく赤色となってゐる。
 もとづいた原作は西暦千七百五十二年以來流布したダンビル圖だが、この西暦千七百九十九年圖そのものの製作者はトマス・キッチン(Thomas Kitchin)だとラムゼー氏が註し、圖中に出版業者ロバート・ローリー(Robert Laurie)及びジェームズ・ホイットル(James Whittle)の署名がある。別頁の南北と合成すべき大圖の中央部分であり、合成したものがラムゼー圖庫番號2310055として出てゐる。
http://www.davidrumsey.com/luna/servlet/detail/RUMSEY~8~1~31561~1190005
圖册の標題頁は脱落してゐるが、
http://www.davidrumsey.com/luna/servlet/view/search?q=pub_list_no%3D%222310.000%22
ラムゼー氏の考察によればキッチンの舊作にもとづきローリーとホイットルが改訂刊行したとのことだ。
http://www.davidrumsey.com/maps1151105-31506.html
下述の通りキッチン氏圖册は舊版が幾つか有る。

 さてその同じ標題「Asia and its islands according to d'Anville」の同じ圖を、同じローリー、ホイットルが少し早い西暦千七百九十四年に刊行したものが、骨董店Geographicus.comに出てゐる。
1794Asia-Kitchin_laurie_whittle尖閣
http://www.geographicus.com/P/AntiqueMap/Asia-lauriewhittle-1794
西暦千七百九十九年版と同じく赤尾嶼(大正島)が日本本土及び琉球國と同じ赤色となってゐる。拙著『尖閣反駁マニュアル百題』ではラムゼー圖庫に限定して掲載したので、この圖は抛置して忘れてゐた。この前後の年代では珍しくないのである。骨董店サイトでは1784と書かれてゐるが、圖の左上には西暦千七百九十四年倫敦フリート・ストリート五十三番地刊とある。キッチンが歿したのが西暦千七百八十四年なのでかく誤標したのかも知れない。
1794Asia-Kitchin_laurie_whittle刊記

 さて、同じ圖の西暦千七百八十七年版がラムゼー圖庫に有る。
http://www.davidrumsey.com/luna/servlet/detail/RUMSEY~8~1~3655~420030
年度は早いが、こちらは琉球、赤尾嶼、日本、清國が全て黄色なのが殘念な處だ。同じ年度の版をインターネットで搜せば、西暦千七百九十四年版と同じく赤尾嶼及び琉球を赤色に塗ったものがあるかも知れない。
1787尖閣Kitchin_Asia_Rumsey0411030
圖中の出版業者の署名はローリーとホイットニーでなく、ロバート・セイヤー(Robert Sayer)となってをり、西暦千七百九十年の圖册『A general atlas, describing the whole universe』の内の一幅であるが、圖册の標題頁には
http://www.davidrumsey.com/luna/servlet/detail/RUMSEY~8~1~3625~430016
キッチンが作者として署名し、セイヤーが出版業者として署名する。出版地はローリー、ホイットルと同じフリート街五十三番地である。ウィキペディアによれば、セイヤーの歿後にローリーが業務を引き繼いだとのことだ。
https://en.wikipedia.org/wiki/Robert_Sayer
キッチンは西暦千七百八十四年に歿し、セイヤーは西暦千七百九十四年に歿した。さればキッチン・セイヤー舊版は琉球をチャイナの黄に塗り、後のローリー・ホイットル新版二種が琉球を日本の赤に塗り換へたといふことになる。そこに何らかの認識の進展があるのかも知れないが、門外漢には分からない。ただ琉球がチャイナ内から日本内へと認識の正されて行く趨勢には合致する。
 製圖者トーマス・キッチン(Thomas Kitchin)は、ウィキペディアによれば英國の版畫家、兼地圖製作家であり、英國海軍水路志の編纂事業にも參劃したといふ。
https://en.wikipedia.org/wiki/Thomas_Kitchin

 この西暦千七百八十七年キッチン圖を伊井氏が平成二十八年一月二十四日ブログに掲載した。
http://kaiunmanzoku.hatenablog.com/entry/2016/01/24/180317
伊井氏は太平山の標註の位置に據り尖閣が琉球に屬するとしてゐる。お氣持ちは分かる。

記録
https://archive.is/E9gD6
https://archive.is/bP8Xr

https://web.archive.org/web/20160124133053/http://senkaku.blog.jp/201601242230.html
https://web.archive.org/web/20160125045924/http://senkaku.blog.jp/201601242230.html




産經新聞「正論」。
日本的な「気配り外交」は国益を損ねる 袴田茂樹(新潟県立大教授)
 日本と諸外国の関係を見て、そして日本の対外発信のあり方を見て、歯がゆい思いをすることが少なくない。日本文化を前提にしたわれわれの行動や発言は、外国人には通じないことが多いからだ。国連教育科学文化機関(ユネスコ)の記憶遺産問題、日中・日韓の歴史問題、北方領土問題、その他多くの問題でそれを痛感する。
…(中略)…
 最初に述べたユネスコの世界記憶遺産に「南京大虐殺の資料」が登録され、米国各州に、慰安婦像が建設されつつある。これらも、ユネスコ関係者や米国の世論に日本側の見解が正確に、いやほとんど伝わっていないからであり、これまで述べた日本側のアプローチや発信の仕方に問題があると私は考えている。そして「売られた喧嘩(けんか)は買わない」というお高くとまった姿勢が、結果的に最近の慰安婦問題での釈然としない謝罪外交に自らを追いやったのだ。
http://www.sankei.com/column/news/160118/clm1601180008-n1.html

 上の論説を讀んで、あなたは「ごもっとも」と思っただらうか。それは大間違ひだ。尖閣に論及が無いではないか。尖閣は「その他多くの問題」に分類されてゐるらしい。
 尖閣は軍事的に最重要であるのみならず、千年の中華思想と對決する最大の焦點だ。
それを第一に据ゑぬばかりか、置き去りにするとは何事か。「賣られた喧嘩は買はない」とはまさしく尖閣ではないのか。産經も袴田氏も、全く信用ならぬ。慰安婦にばかり大騷ぎする日本のマスコミは、あまりにも深く病んでゐる。


袴田茂樹


一月二十九日附記:
以下の内容の概略が臺灣の『民報』に載りました。
【民報】「漁權不等於主權:兼論釣魚台漁業史的最早紀録」 リンク:
http://www.peoplenews.tw/news/b80c0b38-63f4-41db-9cab-d4fbee28dd47



一掃百態
   ▲ 渡邊華山筆 一掃百態


 偉大な先覺者高野長英・渡邊華山が蠻社の獄で處罰された歴史が高校教科書に出て來る。華山・長英は蘭學を深く學び、その著『外國事情書』『戊戌(ぼじゅつ)夢物語』などに幾つもの蘭書を引用した。
http://ci.nii.ac.jp/ncid/BN00400117
華山・長英が引用した蘭書の一つがルーランスゾーン『最新通用地理辭典』である。二人はこの書によって英米二國の國情を知った。今原蘭書を翻(ひもと)くと、尖閣が琉球の内とされてゐる。

『Algemeen aardrijkskundig woordenboek』
(最新通用地理辭典)。阿蘭陀語。
ヤコブス・ヴァン・ウェイク・ルーランスゾーン(Jacobus Van Wijk Roelandszoon)著。
J. de Vos と company 及び J. Pluijm de Jaager 共刊。グーグルブックスより。
第一册は西暦1821年刊。
https://books.google.co.jp/books?id=mEhQAAAAcAAJ
第七册は西暦1826年刊。
https://books.google.co.jp/books?id=UN5TAAAAcAAJ
https://books.google.co.jp/books?id=k5xaAAAAQAAJ

 第七册第1504頁、「Tiaoyufu」の條に曰く、
「TIAOYUFU, een der Likeo eiland, rond, met veen hout, maar zoo steil, dat La Perouse het voor onbewoond, houdt. 141.27. L. en 25.55. N. B.」
と。TiaoyufuはTiaoyusuを誤記してゐる。大意は、琉球の一島であり、ラペルーズによれば周圍は樹が茂り、嶮峻のゆゑに無人のままである。東經141度27分、北緯25度55分。
1826Algemeen_aardrijkskundig_Roelandszoon第七册tiaoyusu



西暦1823年刊第四册第460頁(もしくは第440頁)、「Madschikosimah」(宮古八重山諸島)の條では、極北を北緯25.55とする。Tiaoyusuの緯度であるから、尖閣を八重山諸島に含めてゐる。
https://books.google.co.jp/books?id=GklQAAAAcAAJ
1823Algemeen_aardrijkskundig_woordenboek_Roelandszoon_Madschiko



西暦1823年刊の第四册第360頁、「琉球」の條には宮古八重山諸島の十一島を載せ、その中にTiaoyusu及びHoapinsuを列する。
https://books.google.co.jp/books?id=5R1bAAAAQAAJ
1823Algemeen_aardrijkskundig_woordenboek_Roelandszoon_Likeo


また刊行年不明の第三册、第1275頁、Hoapinsuの條に曰く、
「Hoapinsu, eiland in de Chin. zee. 25.52. N. B.」
(支那海の島、北緯二十五度五十二分)と。
https://books.google.co.jp/books?id=_KtUAAAAcAAJ



 ブロートンの航海記が西暦千八百四年に刊行され、1796年十二月三日の條(p.156)及び西暦1797年5月25日(p.210)で「Mad-jicosemah」(英語)を最初に記録して以後、
https://books.google.co.jp/books?id=cTkbAAAAYAAJ
「Madjico-simah」の名が宮古八重山諸島の通例となった。しかしシュティーラーやガスパリらワイマールの地理學社が刊行した地誌・地圖ではドイツ音に據り 「Madschikosimah」に作る。
http://senkaku.blog.jp/archives/47564124.html
ルーランスゾーンもシュティーラーらと共通の標記であるから、系列に屬する書と言へよう。宮古八重山の極北をTiaoyusuの緯度とするのも共通する。宮古八重山十一島も、ガスパリの地誌からラペルー ズ及びブロートンの記録を重引したものである。
 ゴービル情報だけしか無かった時代には、宮古八重山の島々は尖閣を含まず十七ヶ島とされてゐた。ガスパリらは新たなラペルーズとブロートンの探査記録にもとづき、尖閣を含めて十一ヶ島とした。この十一ヶ島の情報は一系統となってドイツとオランダで承け繼がれて行く。
 さればルーランスゾーンの蘭書を通じて華山・長英が吸收したのは、ドイツの最新地理學だったことが分かる。彼らはルーランスゾーンの英米情報などにもとづき、米國商船モリソン號及び船名となった英國宣教師モリソンを論じ、攘夷策に異議をとなへた。その結果蠻社の獄が起こったのである。岩波『日本思想大系』第五十五册『渡邊華山・高野長英』の補註・解説(佐藤昌介)に紹介されてゐる。岩波本では「ヴーランスゾーン」「ブーランスゾーン」に作るが、Rouの音から言へば「ズーランスゾーン」であらう。
http://blog.goo.ne.jp/motoyama_2006/e/d3e42d1410ff2243737c7917e059928a
http://ci.nii.ac.jp/naid/110001019081
 日本政府が明治二十八年に尖閣を編入するよりも遙かに先に、蘭書では尖閣が琉球だとされて、日本にも輸入されてゐた。日本が最終的に編入したのは必然の趨勢だったと言へよう。



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以下關聯情報。

西暦1823年の第四册にグーグル別本あり。
第360頁、琉球の條の宮古八重山諸島の十一島中にTiaoyusu及びHoapinsu。
https://books.google.co.jp/books?id=M5xaAAAAQAAJ



西暦1823年の第四册にグーグル別本今一つあり。
第360頁、琉球の條の宮古八重山諸島の十一島中にTiaoyusu及びHoapinsu。
https://books.google.co.jp/books?id=6N1TAAAAcAAJ



補遺
『Supplement op het Algemeen aardrijkskundig woordenboek: volgens de nieuwste staatkundige veranderingen, en de laatste, beste en zekerste berigten』
著者:Jacobus Van Wijk Roelandszoon
J. de Vos en comp. en J. Pluijm de Jaager, 1838
第513、514頁、Hoanの前後に「Hoa-pin-su」を收めず。
https://books.google.co.jp/books?id=-59aAAAAQAAJ

其の他檢索。
https://www.google.co.jp/search?noj=1&tbs=bkv:p,sbd:1&tbm=bks&q=intitle:%22Algemeen+aardrijkskundig+woordenboek%22+inauthor:%22roelandszoon%22


著者Jacobus Van Wijk Roelandszoonは、阿蘭陀の地理學者、教育者。
https://nl.wikipedia.org/wiki/Jacobus_van_Wijk_Roelandszoon
Jacobus_van_Wijk_Roelandszoon
   ▲Jacobus Van Wijk Roelandszoon(ルーランスゾーン)


ルーランスゾーンの「補遺」(Supplement)にはHoapinsuもTiaoyusuも載せない。
https://books.google.co.jp/books?id=t95TAAAAcAAJ
https://books.google.co.jp/books?id=I99TAAAAcAAJ



以上の内容は八重山日報連載「歐洲史料尖閣獺祭録」
http://www.shimbun-online.com/latest/yaeyamanippo.html
の中で論及します。期日が決まったら本ブログでも告知します。

記録
https://archive.is/rTxWx
https://web.archive.org/web/20160123130231/http://senkaku.blog.jp/1821_Roelandszoon.html

一月二十九日附記:
以上の内容の概略が臺灣の『民報』に載りました。
【專文】「漁權不等於主權:兼論釣魚台漁業史的最早紀録」リンク:
http://www.peoplenews.tw/news/b80c0b38-63f4-41db-9cab-d4fbee28dd47




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一月三十一日附記:
以下の内容の概略が臺灣の『民報』に載りました。
【民報】「漁權不等於主權:兼論釣魚台漁業史的最早紀録」 リンク:
http://www.peoplenews.tw/news/b80c0b38-63f4-41db-9cab-d4fbee28dd47


Adam_Christian_Gaspari_wikipedia_1804
            ▲ガスパリ 
https://de.wikipedia.org/wiki/Adam_Christian_Gaspari


 西暦千八百四年にドイツのシュティーラー氏製圖で尖閣を琉球領として以後、シュティーラーの屬するワイマール(ゴータ)地理學社の中心人物ガスパリが同圖を地圖集に收録するなどして、尖閣認識をひろめて行った。西暦千八百二十二年に至って、ガスパリらの刊行した『最新地理指南全書』では、地理學の綜合的記述の中で初めて琉球領尖閣といふ認識を明確化する。如何なる記述かご紹介しよう。

『最新地理指南全書』(Vollständiges Handbuch der neuesten Erdbeschreibung)
Vierter Abtheilung(第四部)、Vierter Band(第四卷)
des ganzen Werkes fünfzehnter band(通册第十五)
共著者:ガスパリ、ハッセルら。
Adam Christian Gaspari, Georg Hassel,
Johann Guenther Friedrich Cannabich, Johann Christoph Friedrich Guts Muths, Friedrich August Ukert
出版者: Verlage des Geographischen instituts(地理學社出版會、ゴータ)
西暦1822年。第二版。第395頁に琉球三十六島。第397頁に尖閣。
日本國内の藏館は千代田區紀尾井町のドイツ日本研究所のみ。
http://ci.nii.ac.jp/ncid/BA41778026
國外ではデンマーク國家圖書館及び
https://www.worldcat.org/oclc/922825499
スウェーデン國家圖書館のみ。
https://www.worldcat.org/oclc/924472600
グーグル有り。
https://books.google.co.jp/books?id=V3Y6AQAAIAAJ
1822_gaspari_Vollstaendiges_handbuch第15冊p397尖閣

 『最新地理指南全書』第十五册はハッセルが編纂を擔任し、大きくチャイナ、日本、東南アジアの三部に分けてある。チャイナ部は大きくA門(支那帝國)、B門(從屬地域)に分かれ、B門ではチベット・モンゴル・トルファン・高麗・琉球などの藩屬國・朝貢國を詳論する。そして琉球の地勢を述べる「ff」章で宮古八重山諸島の内として尖閣に論及するのである。上圖は章中の尖閣Tiaoyusu及びHoapinsuの箇所(第397頁)である。
 琉球の地勢の章「ff」の開始では琉球三十六島を總論するが(第395頁)、尖閣は含まれない。この部分は主に西暦千七百五十一年のゴービル神父の報告を蹈襲したもので、尖閣を含まぬだけでなく、ゴービルより後に知られた新島名も含まない。舊(ふる)い情報である。
 ついで琉球の各島詳論は、「a」琉球諸島12ヶ島、「b」宮古(八重山)諸島11ヶ島の各島に分けて記述される。各島部分はラペルーズ及びブロートンによる新たな地理情報を反映してをり、總論の三十六島とは一致しない島が多い。その「b」宮古(八重山)諸島に尖閣が含まれる
 以上のやうに、尖閣は琉球に含まれ、琉球はチャイナに含まれてゐる。西暦十九世紀前半まで、琉球がチャイナの内だといふ誤解は歐洲にひろまってをり、十九世紀半ばからやっと琉球情報を得て、歐洲人は琉球が日本だと氣づき始める。それもまた地理認識の歴史である。しかし歐洲で尖閣が單獨(たんどく)でチャイナに屬すると認識されたことは一度も無い。
 『最新地理指南全書』の尖閣を細かく見てみよう。第15册第397頁に曰く、
b) Die Madschikosimah gruppe, im N O von Tai=wan, zwischen : 140" 56' bis 143"5' östl. L. und 24"10' bis 25"55' nordl Br. (Nördliche Breite), aus 11 Eilanden bestehend, die unter dem Könige von Likeio stehen, und reich an Thee, Zucker, Pfeffer, Weihrauch und dem Firniß baume seyn sollen,
(大意:b、宮古群島。臺灣の東北。東經140度56分から143度5分まで、及び北緯24度10分から25度55分までの間。琉球王の下に存在する十一の島から成る。そして茶・砂糖・胡椒・香料と照葉樹に富んでゐるらしい。)
1) Tiaoyusu, Eiland unter 25° 55' Br. und 141° 27' L., von runder Gestalt, holzreich, aber so steil, daß La-Peyrouse sie für unbewohnt hält. Im O. liegt das Felsenriff Pula Sapula;
(大意:釣魚嶼、北緯二十五度五十五分、東經百四十一度二十七分の島である。圓形で樹木に富み、嶮峻である。ラペルーズは無人の孤島だとした。プラサプラ岩礁とするのは誤ってゐる。)
2) Hoapinsu, Eiland, unter 25° 44' Br. und 141° 14' L., im S. W. der vorigen, eben so holzreich aber niedriger,
(大意:花瓶嶼、北緯二十五度四十四分、東經百四十一度十四分の島で、前者の西南に在る。同じく樹木に富むが灌木である。)
と。
 この記述中、宮古八重山諸島の北限を北緯二十五度五十五分とするのはTiaoyusuを指す。漢字は釣魚嶼に相當するが、經緯度は今の久場島である。琉球王の統治下とするのも注目に値する。單に地理的に琉球諸島に屬するのみならず、領土として琉球國の内と認識されたのである。プラサプラ岩礁といふのは、著名な航海者ブロートン船長が西暦千七百九十七年七月に尖閣に到達した際に、ベトナムのプラサプラと呼ばれる岩礁に似てゐると述べたことを指す。
https://books.google.co.jp/books?id=cTkbAAAAYAAJ
(ブロートン航海記第二百三十三頁)

 Madschikosimah gruppe(宮古八重山諸島)の條の十一の島々は、
1、Tiaoyusu。2、Hoapinsu。3、クミ島(與那國島)。
4、ハンモック島(中御神島か)。5、Sandy島(不明)。
6、Roochookoko(西表島)。
7、八重山(石垣島)。8、Ashuma(下地島か)。
9、太平山(宮古島)。10、永良部島。11、來間島。
である。これらの内、Tiaoyusu、Hoapinsu、與那國の三島だけ經緯度を記載する。なぜならラペルーズが經緯度を計測したからである。他の宮古八重山諸島には日本の鎖國禁教令が施行されてゐたので、西暦十八世紀末まで經緯度を計測できてゐなかった。與那國にも禁教令は施行されてゐたが、最西端なのでラペルーズは接近し易かったのである。Tiaoyusu、Hoapinsuは本書では琉球王の治下とされるが、實際には無主地だったので、ラペルーズの計測は阻止されなかった。ラペルーズの後、西暦千七百九十七年にブロートン船長が宮古八重山海域を航行し、のこるRocho-o-ko-ko(西表島)、Ashuma(下地島か)等の八島を書き留めたが、經緯度までは計測しなかった。

 『最新地理指南全書』の著者ガスパリは、ワイマール(ゴータ)の地理學社の中心人物である。尖閣を琉球欄に入れた西暦1804年シュティーラー (Stieler)製圖を、ガスパリは西暦1817年の地圖册中に採用してゐる。社友ガスパリ、シュティーラー、ハッセルらの尖閣認識は互ひにほぼ同一といふことになる。シュティーラーが圖中の枠で表現した認識を、ハッセルらが文字にしたと思はれる。尖閣は宮古八重山群島に含まれて琉球王の統治下だといふ認識だ。
  『最新地理指南全書』(Vollständiges Handbuch der neuesten Erdbeschreibung)は、西暦1797-1802の間に第一版、西暦1819-1826の間に第二版が刊行された。第一版には宮古八重山諸島も尖閣も含まれてゐない。
https://www.google.co.jp/search?q=intitle:%22Vollst%C3%A4ndiges+Handbuch+der+neuesten+Erdbeschreibung%22
ラペルーズ航海記が西暦千七百九十七年に刊行されたばかりで、第一版には尖閣情報を採用するに間に合はなかったのだらう。
 その後、『最新地理指南全書』は歐洲の尖閣認識中に普及してゆき、多くの書に採用される。



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以下關聯情報。


 宮古八重山諸島について、ブロートンの航海記が西暦千八百四年に刊行され、1796年十二月三日の條(p.156)及び西暦1797年5月25日(p.210)で「Mad-jicosemah」(英語)を最初に記録して以後、
https://books.google.co.jp/books?id=cTkbAAAAYAAJ
「Madjico-simah」が通例となった。これをドイツ語音にもとづいて「Madschikosimah」に作るのは獨特である。類似例としては、下リンクの『Hand-Atlas über alle Theile der Erde』(世界全域圖册、作者Adolf Stieler。Justus Perthes刊、刊年不明、第八圖50號、西暦1835年補訂「オーストラリア」、pdf電子版39枚目)では、「Madschico」に作る。
https://books.google.co.jp/books?id=FKQ9AAAAcAAJ
1831-1835Stieler_Hand-atlas_Australien宮古


また、 『Adolf Stieler's schul-atlas u˜ber alle theile der erde』(Stieler, Adolf; Berghaus, Hermann共著。西暦1863年Justus Perthes刊)
https://archive.org/details/adstielersschula00stie
の第二十四圖「Asien」(電子ファイル102枚目)では「Matschikosima」に作る。同じシュティーラー系列圖だから、特有の書法と言へよう。
1863Adolf_Stielers_schul-atlas_uber_alle_theile_der_erde


 『最新地理指南全書』第十五册は、同じ年にハッセルの單獨著作としても刊行された。
『Vollständige und neueste Erdbeschreibung des Schinesischen Reichs, Japan's und des östlichen Archipels』
(支那日本及び東方諸島最新地理通論)
Johann Georg Heinrich Hassel(ゲオルグ・ハッセル著)
西暦1822年。表紙に『最新地理指南全書』から抽出(aus)と書いてある。
https://books.google.co.jp/books?id=tO9AAAAAcAAJ


同じハッセルが西暦1822年に刊行した
『Vierte Abtheilung, Vierter Band, des ganzen Werkes funfzehnter Band, welcher das Schinesische Reich, Japan und den östlichen Archipel enthält: 15』
にも、同じ第397頁に宮古八重山諸島の尖閣が同文で載ってゐる。
https://books.google.co.jp/books?id=dt5fAAAAcAAJ



ついでながら、ガスパリ『最新地理指南全書』第一部第一卷第40頁の西暦年表1516年には、「Likejos Inseln」(琉球諸島)の發見について記載されてゐる。曰く、
「Der Portugiese Ferdinand Perez, landet bei Taman, unfern Canton, und entdeckt bald nachher die Likejos-Inseln.」
(フェルナン・ペレスがTamanに上陸した。廣東から遠くない地に在る。そしてやや後に琉球諸島を發見した)
https://books.google.co.jp/books?id=ae9CAAAAcAAJ
と。これはトメ・ピレス(Tomé Pires)『東方諸國記』(Suma oriental)系統の記載にもとづくものだらう。Tamanはどこなのか分からないので、ご關心ある方は『東方諸國記』をご確認されたい。『東方諸國記』は長く寫本として埋もれ、西暦二十世紀に發見されたので、必ずしもガスパリ『最新地理指南全書』の記載と一致しないだらう。『東方諸國記』原書を今閲覽することは容易ではないが、和譯が有る。
http://ci.nii.ac.jp/naid/120005227295


 ドイツ語の飾り文字には慣れないので、下リンクなどを利用した。
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%95%E3%83%A9%E3%82%AF%E3%83%88%E3%82%A5%E3%83%BC%E3%83%AB





以上の内容は八重山日報連載「歐洲史料尖閣獺祭録」
http://www.shimbun-online.com/latest/yaeyamanippo.html
の中で論及します。期日が決まったら本ブログでも告知します。

記録
https://archive.is/ahIaZ
https://web.archive.org/web/20160123112042/http://senkaku.blog.jp/archives/H2801232020.html


一月三十一日附記:
以上の内容の概略が臺灣の『民報』に載りました。
【民報】「漁權不等於主權:兼論釣魚台漁業史的最早紀録」 リンク:
http://www.peoplenews.tw/news/b80c0b38-63f4-41db-9cab-d4fbee28dd47





ツァハFranz_Von_Zach
  ▲フランツ・フォン・ツァハ
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%95%E3%83%A9%E3%83%B3%E3%83%84%E3%83%BB%E3%83%95%E3%82%A9%E3%83%B3%E3%83%BB%E3%83%84%E3%82%A1%E3%83%8F


 西暦千八百四年の劃期的なシュティーラー「支那圖」から八年後の西暦千八百十二年になると、同じドイツの著名な天文學者フランツ・フォン・ツァハ氏らが編纂した『通用地理星暦』(Allgemeine geographische ephemeriden)第37卷の「定位表」A-Mに「Hoapinsu」(花瓶嶼、和平嶼)が出現する(圖)。尖閣である。翌年刊行の第40卷N-Zに「Tiaoyusu」(釣魚嶼)は出現しない。
 
Hoapinsu_1813Gaspari_Allgemeine geographische ephemeriden
  ▲グーグルブックス『通用地理星暦』(Allgemeine geographische ephemeriden)第37卷。
https://archive.org/details/bub_gb_1OMYAAAAYAAJ
西暦1812年ワイマール刊。卷末の「定位表」(ostsbestim mungen)A至M。p.493にHoapinsu。



 「Hoapinsu」の右には「I. Chin.」と書かれてゐる。「I.」はドイツ語のInsel即ち英語のIslandだから、チャイナの島なるかの如くである。つひに尖閣をチャイナとする唯一の歐洲史料が見つかったのか。さあ日本、大丈夫か。
  ご心配には及ばない。Chin.の上に「Hoai-ngan」(淮安)をChinaだと書いてある。同じChinaであれば尖閣だけ「Chin.」と略する 必要は無い。この定位表をAからZまで通覽すると、チャイナ大陸の地名は全て略さずChinaと附記されるが、海中の島嶼は全て「Chin.」もしくは 「Chin. Meere」(支那海)もしくは「nächst China」(チャイナ近接)となってゐる。されば單獨の「Chin.」も「Chinesisches Meere」(支那海)の略號であって、チャイナを指すのではないと分かる。海中島嶼は全てチャイナ領土外としての扱ひなのである。
 「Chin.」が支那海を指す別證を「定位表」内から舉げて置かう。曰く、「Ladronen, Insel die größte. Chin.」(ラドロネス、大島、支那海)と。
  ラドロネスは珠江口外の萬山列島である。原書の「Chin.」の右には空白が二格ほど有る。「China」で あれば印刷の都合としてもわざわざ略號を用ゐる必要は無い。從ってこの「Chin.」は「Chinesisches meere」(支那海)を指す。
Ladronen_1812Gaspari_Allgemeine geographische ephemeriden
  ▲グーグルブックス『通用地理星暦』(Allgemeine geographische ephemeriden)第37卷。
https://archive.org/details/bub_gb_1OMYAAAAYAAJ
西暦1812年ワイマール刊。卷末の「定位表」(ostsbestim mungen)A至M。p.495にLadronen。


 ラドロネス島の右の欄に「C. D. T」とあるのは、表の凡例によればフランス官製の『天候須知』(Connaissance des Temps)の略號である。『天候須知』のLadroneを檢すると、
http://senkaku.blog.jp/archives/45813928.html
http://senkaku.blog.jp/2015123051481766.html
島名に「la grande」(大)などと附記されてゐる。萬山列島中の大萬山島を指すと分かる。
 「定位表」第407頁のペドロ・ブランコ(Pedro Blanco、今名針頭岩)は香港の東方に在り、ラドロネスと同じく大陸沿岸島嶼だが、「定位表」も「I.」(Insel)とのみ記載して、「China」と書かない。チャイナ外の扱ひである。ちなみにペドロ・ブランコの經緯度は、ブロートン船長が航海記事初版第三百七十六頁で記録したものである。
https://books.google.co.jp/books?id=cTkbAAAAYAAJ
 臺灣島の西側のピスカドーレ(piscadores、澎湖諸島)は、「定位表」で「チャイナと臺灣島との中間」(zwischen China und Formosa)と記述され、チャイナ領土外の扱ひである。史實としてはこの時代に臺灣島の西岸は既にチャイナに侵奪されて領土となってゐたが、長い歴史では確かに大陸外の全ての島嶼はチャイナ外であった。その歴史的遺例がこの「定位表」に表はれてゐる。海中島嶼は全てチャイナ領土外としての扱ひなのである。
 但し海南島は早くからチャイナ領土となったので例外である。更に今一つ例外が有る。「定位表」に崇明島は二度出現し、「Cunmin」の標記で「China」とされ、「Tsong-ming」の標記で「Ins. im Chin. meere」(支那海の島)とされる。ローマ字が異なるため別の島と看做されたのだが、河口内に在るためチャイナ領内とも領外島嶼とも理解されたのだらう。史實としても崇明島には衞鎭が置かれ、海禁の時代に も例外的に内地扱ひだった。ただ鄭成功軍に占領された時代にはチャイナ外となったが、それは東南沿海各地共通だから崇明だけではない。
 「定位表」の右の欄に尖閣及び淮安の出處として「C. D. T」とあるのは、表の凡例によればフランス官製の『天候須知』(Connaissance des Temps)の略號である。『天候須知』を檢すると、尖閣が太平洋に屬し、淮安はチャイナに屬する。
http://senkaku.blog.jp/archives/45813928.html
http://senkaku.blog.jp/2015123051481766.html
されば『通用地理星暦』は『天候須知』にもとづきつつ太平洋を分割し、支那海(東支那海)に書き換へたのだと分かる。
 要するに 『通用地理星暦』の尖閣が「Chin.」(東支那海)に屬するのは、逆にチャイナ領土外として認識されたことを示す。この書は約二十年間かけて數十卷出版され、尖閣はその中の一卷に載ってゐる。編者はツァハやガスパリら、ワイマール及び近郊ゴータの地理學社及び天文臺に屬した人々である。書誌によればシュティーラーも書中の製圖を擔任したといふ。 シュティーラーは尖閣を琉球領土として認識した人であるから、
http://www.thenewslens.com/post/222650/
その參預する書で尖閣がチャイナとなってゐる筈が無いのである。皆樣、ご安心下さい。
 なほ、「定位表」のHoapinsuの右に東經141度19分45秒とあるが、これは當時の通例として歐洲共通のフェロ子午線にもとづいてをり、グリニッジ子午線よりも約17度40分西方に在る ので、現代の値では東經約123度40分となる。北緯25度49分35秒と併せて、ほぼ尖閣の久場島・魚釣島の値である。とはいへ通常Hoapinsuは現在の魚釣島に相當するとされる。
 ラドロネス島をフランスの『天候須知』(Connaissance des Temps)西暦千八百七年版に檢すると、
https://books.google.co.jp/books?id=M8Mi6hU5tR0C
第189頁にladrone島があり、右の欄に「Chine」(支那)と注記される。もともとフランスの『天候須知』ではラドロネス島をチャイナ領内と看做(みな)してゐたのである。ドイツの『通用地理星暦』ではそれをドイツ語の「China」と譯さずに、獨自に「Chin.」(支那海)とした。大陸沿岸島嶼は基本的にチャイナ領外であるといふ通常の認識に從ったのだらう。



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以下、關聯情報。

 『通用地理星暦』(Allgemeine geographische ephemeriden)第40卷、卷末に定位表N至Z。1813年ワイマール刊。「Tiaoyusu」を收めず。
https://archive.org/details/allgemeinegeogr07bertgoog


『通用地理星暦』では太平洋までインド洋と呼ばれ、パプアニューギニアのEremitenもインド洋に屬する。
http://www.geographic.org/geographic_names/name.php?uni=-3028844&fid=4838&c=papua_new_guinea



Mendizabal。『通用地理星暦』に載る島名だが現在地不明。インド洋の島と記載されるが、これも太平洋を指す。緯度28度40分なので奄美大島かも知れないが、東經は小笠原島との中間ほどである。別の書では琉球附近とされる。
https://books.google.co.jp/books?id=0PNCAAAAcAAJ&pg=PA439&dq=%22mendizabal%22+++perouse&hl=ja&sa=X&redir_esc=y#v=onepage&q=%22mendizabal%22%20%20%20perouse&f=false




『Connaissance des Temps』(天候須知)、フランス經度局刊。權威ある官製の年鑑である。詳細は別稿にて(リンク)。
http://senkaku.blog.jp/archives/45813928.html
http://senkaku.blog.jp/2015123051481766.html



以上の内容は八重山日報連載「歐洲史料尖閣獺祭録」
http://www.shimbun-online.com/latest/yaeyamanippo.html
の中で論及します。年月日が決まったら本ブログでも公表します。

記録
https://archive.is/IK4t4
https://web.archive.org/web/20160123110507/http://senkaku.blog.jp/archives/H2801232000.html





此幅圖,宮古八重山為粉紅色,臺灣為褐色,釣魚嶼似乎略帶褐色,可惜看不清楚。
歷史上沒有一幅圖明確將釣魚嶼塗成臺灣顔色。
僅作備忘。

1863尖閣Garnier_Asie_Orientale_Rumsey5023042


Garnier, F. A.
Date:1862
Title: Asie Orientale.
Publisher: Veuve Jules Renouard, Libraire
Location:Paris
Page No:(no. 40) Series No:46

Pub Title: 
Atlas spheroidal et universel de geographie dresse a l'aide des documents officiels,

Image No: 5023042
http://www.davidrumsey.com/luna/servlet/detail/RUMSEY~8~1~22041~700073



http://www.shimbun-online.com/latest/yaeyamanippo.html
八重山日報 平成二十八年一月二十一日(木曜)

歐洲史料尖閣獺祭録 連載第三囘 

 

ラペルーズ説「尖閣まで琉球」 シュティーラー境界線の起源

~~西暦千八百四年 シュティーラー「支那圖」(ドイツ)

 


Stieler1804Ryukyu自藏更粗
圖9 西暦千八百四年、シュティーラー(Stieler)製
「支那圖」(Charte von China)より琉球欄。石井藏。
琉球欄の左下方が八重山、その少し上側が尖閣。


 拙著『尖閣反駁マニュアル百題』(集廣舍刊)の第四部では、ラペルーズの尖閣認識を論じた。フランスの探檢家ラペルーズは宗谷海峽を發見(はっけん)したため、北方領土に關心ある人に良く知られる。

 ラペルーズは西暦千七百八十七年、臺灣(たいわん)東岸から與那國(よなくに)島、尖閣、對馬(つしま)海峽の順に經(へ)て宗谷海峽に到達した。その紀行は十年後の西暦千七百九十七年に刊行され、ほとんど唯一の琉球近海探査記として歐洲に流布した。その前のゴービル神父(連載第二囘)は、漢文地誌中の尖閣情報をフランスに書き送っただけで、尖閣にみづから赴いたわけではない。日本の鎖國開始以後に尖閣に到達した西洋人の記録はラペルーズが最古である。

 ラペルーズは與那國島に到達した際、「臺灣の東方の全島嶼の首府は琉球本島である」と書き留めた。そして尖閣諸島を離れる時にも「琉球諸島を離れる」との一語を留めた。僅(わづ)か二語に過ぎないが、それ以後歐洲の地理學の尖閣認識は常にこの二語を忠實(ちゅうじつ)に守り、多くの地誌・地圖(ちづ)で尖閣を琉球諸島に屬(ぞく)せしめる。尖閣を琉球から切り離してチャイナに屬せしめた地誌・地圖は一つも存在しない……以下全文は新聞オンラインでどうぞ。一月二十一日バックナンバーです。

http://www.shimbun-online.com/latest/yaeyamanippo.html

第四囘までの掲載日は第一囘一月十四日木曜、第二囘一月十六日(土曜)、第三囘一月二十一日木曜、第四囘一月二十六日火曜です。バックナンバーからお搜し下さい。

關聯リンク:
http://senkaku.blog.jp/2016010351740948.html
關鍵評論網 200年前德國製圖大師施蒂勒的地圖:釣魚臺歸劃在琉球框線内




http://www.shimbun-online.com/latest/yaeyamanippo.html
八重山日報 平成二十八年一月十六日(土曜)

歐洲史料 尖閣獺祭録 連載第二囘 

 

島名「Tiao-yu-su」(釣魚嶼) 幕府統治の貫徹を示す

~~西暦千七百五十一年 ゴービル『支那名琉球諸島嶼誌』(フランス)

 

文中圖8 ジョンストン「China and Japan」西暦千八百九十三年 

ラムゼー地圖インターネット3287040番 davidrumsey.com 
チャイナ字音のTai-pin-san、Pa-tsung-sanが併記されてゐる。

圖08_Jonston1893_Miyako_Rumsey3287040

 連載第一囘で紹介した西暦千七百五十二年の地圖(ちづ)以後、歐洲(おうしう)の地圖・地誌で尖閣諸島は「Tiao-yu-su」(釣魚嶼、今の久場島)、「Hoa-pin-su」(花瓶嶼、和平嶼、今の魚釣島)、「Hoan-oey-su」(黄尾嶼、今の久場島)、「Tche-oey-su」(赤尾嶼、せきびしょ)と書かれる。本連載では重要なローマ字なのでご記憶頂きたい。チャイナ側ではこれが福建字音のローマ字であり、福建漁民が尖閣で操業してゐたことを示すと主張してゐる。だから喜んで落札し、大きく報ずる。さあ日本、大丈夫か。

 この疑問には七條に分けて答へたい。

1、釣魚嶼は日本の漢文名である。最古の釣魚嶼の記録には琉球人が水先案内したと書いてある。

2、ローマ字はチャイナ北方字音にもとづく。福建漁民の字音とするのは虚構である。

3、宣教師は日本の鎖國下の琉球から情報を得られず、結果チャイナ音のローマ字がひろまった。

4、チャイナ字音で世界にひろまったのは尖閣だけでなく琉球全土の諸地名である。

5、チャイナ字音は逆に琉球で日本の統治が貫徹してゐたことを示す。

6、琉球主要島嶼は後に和名が普及したが、尖閣は知名度が低いため和名が普及しなかった。

7、ジャパンもジパングも近世チャイナ字音であって、領有と無縁だ。

 以下に逐一詳説しよう………全文は新聞オンラインのバックナンバーでご覽下さい。

http://www.shimbun-online.com/latest/yaeyamanippo.html
八重山日報 平成二十八年一月十六日(土曜)

第四囘までの掲載日は第一囘一月十四日木曜、第二囘一月十六日(土曜)、第三囘一月二十一日木曜、第四囘一月二十六日火曜です。バックナンバーからお搜し下さい。



1881尖閣Andree_Asien_Rumsey1494056

http://www.davidrumsey.com/luna/servlet/detail/RUMSEY~8~1~30802~1150740
西暦千八百八十一年、Velhagen & Klasing地理院刊、
『リヒャルト・アンドレー通用手製世界圖册八十六種附説』
(Richard Andree's Allgemeiner Handatlas in sechsundachtzig
Karten mit erläuterndem Text)内「アジア圖」(Asien)
(ラムゼー圖庫番號1494056)。
拙著『尖閣反駁マニュアル百題』第四部第三百六十五頁で論及濟み。
尖閣の西側に界線。

關聯:
http://senkaku.blog.jp/20160104.html
http://senkaku.blog.jp/archives/35481103.html