- 尖閣480年史 - いしゐのぞむブログ 480 years history of Senkakus

senkaku480 石井望。長崎純心大學准教授。笹川平和財團海洋政策研究所島嶼資料センター島嶼資料調査委員。日本安全保障戰略研究所研究員。内閣官房領土室委託尖閣資料調査事業特別研究員。 御聯絡は長崎純心大學(FAX 095-849-1894) もしくはJ-globalの上部の「この研究者にコンタクトする」  http://jglobal.jst.go.jp/detail.php?JGLOBAL_ID=200901032759673007 からお願ひします。 

http://cpi.kagoshima-u.ac.jp/kenkyukai/notice-j.html
2015年12月14日(月)第164回 国際島嶼教育研究センター研究会
16時30分 総合教育研究棟5階

「帝国の境界に位置する島―19世紀後半の極東における島嶼と地政学―」

 スティーブン・ロイル (鹿児島大学国際島嶼教育研究センター)

[要旨]
   極東では欧米諸国に有利な不平等条約のもと19世紀に条約港が設定され、それに伴う衝突が各地で起きた。島津久光の行列に乱入したイギリス人が現在の横浜市鶴見区生麦付近において殺傷された生麦事件は有名である。この事件を契機として1863年に薩英戦争が勃発した。鹿児島市維新ふるさと館には、この戦争が「日本は鎖国をやめて開国するべきであることを明らかにした」との掲示物がある。1865年には薩摩藩遣英使節団19名(うち薩摩藩第一次英国留学生15名)が英国に渡り、1868年に明治維新が起きた。
   極東は砲艦外交により開港させられたところが多い。アフガニスタンや英領インドがロシアの脅威に晒されていた戦況下、英国は戦略的に重要な巨文島(Port Hamilton)を1885年4月に朝鮮王朝から奪取した。巨文島占領を他国(特にロシア)に対して先行するために、そして朝鮮(将来的には対馬などの日本の島嶼)に英国の領土を持つために、英国は島を租借あるいは購入することで占領を合法化しようと考えていた。しかし、英国が巨文島を占拠することで、ロシアが巨文島に手を出せないこと自体に意味があった。中国と日本は公的には抗議したものの、暗黙裡には了承していた。
   島を防衛するためには大規模な要塞が必要であるとわかったため、アフガニスタンにおけるロシアとの紛争が解決した後、英国は巨文島を放棄したかったが、ロシアの巨文島への進出を恐れた。しかし、中国が「ロシアと中国は朝鮮の正当性を尊重する」という合意を取り決め、ロシアが巨文島を占領しないと思われたため、英国は1887年2月に巨文島を放棄した。
   帝国の境界に位置する島における一連の出来事は、無力さや周縁性、戦略上の立地といった島の特徴を典型的に示していると思われる。

巨文島圖


繩文NHK

一昨日、NHKスペシャル「繩文奇跡の大集落」を見た。週末に再放送もある。
http://www.nhk.or.jp/special/asia-iseki/jomon.html
繩文文化は一萬年を超えて獨自に安定してゐた。繩文人は長江流域などで農耕が始まったことを知ってゐても、中々眞似ようとしなかった可能性がある、との話。
ふと心に浮かんだ語が「繩文ガラパゴス」
https://www.google.co.jp/?#q=%22%E3%82%AC%E3%83%A9%E3%83%91%E3%82%B4%E3%82%B9%E7%B8%84%E6%96%87%22
https://www.google.co.jp/#q=%22%E7%B8%84%E6%96%87%E3%82%AC%E3%83%A9%E3%83%91%E3%82%B4%E3%82%B9%22
現時點ではインターネットに存在しないのだが、唯一こちらのリンク
http://blog.goo.ne.jp/capitarup0123/e/6c0eeaaf494a718df16fe7e9fc65547c
に有った。有りさうで無かった言葉だ。今後ひろまるだらう。

『倭人への道: 人骨の謎を追って』  – 2015/5/20
中橋 孝博 (著) 吉川弘文館刊。
http://www.amazon.co.jp/dp/4642058028
によれば、彌生初期の頭骨と長江下流域の紀元前の頭骨とが瓜二つで、骨の專門家でも見分けがつかぬほどだと言ふ。彌生人が長江流域から來た可能性は高い。この時代の長江流域はチャイナではない。後にチャイナの殖民地となった。
 中橋氏は、稻作が朝鮮半島から日本に傳はった可能性も棄て切れないとする。しかし朝鮮半島には山東もしくは江南から海路で稻作が傳はったといふ點はほぼ確實ださうだ。日本への傳來と同じ經由路である。そもそもこの時代の日本に國家は無く、日本といふのは文化の單位である。その意義で朝鮮半島西南部は日本の一部であった。そこに稻作が傳來した時期が、九州北部と較べてどちらがやや早いかといふ問題でしかない。意味の無い問題だ。出土遺物が少し年代が早いかどうかの差となってしまふ。新たな遺物が出土すれば時期が逆轉するに過ぎない。
 山東から稻作が來たと言っても、もとは長江流域から來たのだから、途中で海岸沿ひに山東を經由するのも有り得ることで、これもあまり意味がない。そもそも古代山東は東夷地域であって、チャイナではない。山東から日本へ渡來した人物と言へば、徐福と三千童男童女を思ひ浮かべる。徐福は徐夷といふ民族であって、もともとチャイナ人ではない。

 西の吉野ヶ里、東の三内丸山。二つの巨大集落が彌生と繩文とを代表する。日本といふ國の來歴(かたち)が近年少しづつ見え始めてゐるやうだ。彌生人がチャイナから來たとか、稻作が朝鮮から來たとか言ふのはもうやめた方が良い。呉の地域はチャイナでなく、任那百濟の地域は朝鮮ではなかったのだから。

倭人への道人骨の謎を追って



伊東乾氏論説を評しておきました。

http://jbpress.ismedia.jp/articles/-/45205

https://www.facebook.com/nozomu.ishiwi/posts/570401496451896:2

「王政復古で王という言葉を使った以上、王学の名は不適切だった」

とのことですが、まづ避諱の習は名に限られ、姓で避諱するのは有りません。そして、王政の王とは、始皇帝出現以前の古稱です。始皇帝出現まで、王は至高の稱でした。それを天皇陛下にあてはめてをります。先王・王政・尊王・王臣・百王などの語がこれです。焚書坑儒の始皇帝でなく、周王を正統とする思想です。なほ、律令制・平城京に始まる隋唐儒學は日本の公家にだけ承け繼がれ、チャイナでも朝鮮でも越南でも消滅しました。菅原道眞は隋唐儒學、即ち佛教の下の儒學の代表選手です。儒教は即ち彌生文明だとのお説には贊同します。即ち農耕文明です。米と麥との差はひとまづ舍いておきます。

 しかし日本の發展の原因は、朱子學陽明學の差といふよりも、朱子學も陽明學もどちらも絶對でなかったことに在ると一般に言はれてをり、私もさう思ひます。なぜ絶對でなかったか、それは日本の文明度が既にそれを超越してゐたからです。なぜ超越してゐたか、それは優れた國だからです。なぜ優れた國なのか、それは繩文の傳統が一方に有りながら、一方で文明の進展の波浪が日本に到達したことも一因です。

http://www.jfss.gr.jp/kiho%20ok/kiho66/66-3page.htm

http://ci.nii.ac.jp/naid/40020117742

https://www.youtube.com/watch?v=mNMpbrLXX80

https://www.youtube.com/watch?v=f9PxDS7m_fE

https://www.youtube.com/watch?v=-2e5MUwkRGU


菅原道眞

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北海道大學『境界研究』2013-4平岡昭利著『アホウドリと「帝国」日本の拡大:南洋の島々への進出から侵略へ』渡辺敦子〔書評〕曰く、
「帝国」「皇国」を用いた自己正当化は、……尖閣諸島の開拓者で藍綬褒章を
下賜された古賀辰四郎の矛盾だらけの経歴と業績にも同様に見られる。

http://src-h.slav.hokudai.ac.jp/BorderStudies/achievements/public3/kyoukaikenkyu.htm
http://src-h.slav.hokudai.ac.jp/publictn/japan_border_review/no4/watanabe.pdf

古賀辰四郎の經歴は矛盾だらけではない。平岡氏は確認せずに先人の名譽を毀損してゐる。詳細は、
いしゐのぞむ「尖閣最初の上陸記録は否定できるかーー明治から文政に遡って反駁する」、島嶼研究ジャーナル4の1。
http://senkaku.blog.jp/archives/19685182.html

北大境界研究




スカボロー礁


人物:南海爭端急 法官普法忙

歐陽成 BBC中文網記者 發自菲律賓馬尼拉    2015年 3月 9日
http://www.bbc.com/zhongwen/trad/china/2015/03/150309_chinasneighbour_carpio_china_philippines

編者按:BBC中文網最近派記者前往亞洲六個國家(菲律賓,韓國,日本,馬來西亞,印度尼西亞和越南),探討中國同這些鄰國間的爭端和總體關係。我們將陸續以多媒體形式刊登特別報道。 今天開始第一站菲律賓的有關報道。
Image caption 自2012年中菲南海爭端升級以來,馬尼拉民間的「普法」活動十分活躍。這其中,以大法官卡皮奧為代表的菲律賓精英階層尤為突出。他的演講題目為《歷史真相和歷史謊言》,涉及地圖和法律。

菲律賓最高法院大法官安東尼奧·卡皮奧(Antonio Carpio)並不只是一位不問時事的法律學究。他有一個特別的業餘愛好:收集地圖。這一愛好,使他在菲律賓與中國就南海爭鋒相對的時候活躍於民間。當地人稱他為「不折不扣的愛國者」。

「菲律賓與中國的糾紛,是世代的掙扎,」他在近期的一場公共講座中說。台下的一些觀眾有些沮喪,但也有些同意地點頭,「我們需要時間,更需要改變中國人對周遭世界的認識。」他的講座題目是《歷史真相、歷史謊言和西菲律賓海》。

自2012年中菲南海爭端升級以來,馬尼拉民間的「普法」活動十分活躍。這其中,以大法官卡皮奧為代表的菲律賓精英階層尤為突出。他在近期的採訪中對BBC中文網記者說,從去年以來,他已經在菲律賓做了十場這樣的演講。
普法法官
Image caption 「菲律賓與中國的糾紛,是世代的掙扎,」菲律賓最高法院大法官安東尼奧·卡皮奧(左二)在近期的一場公共講座中說。

不僅在菲律賓,他還在亞洲不同國家進行演說,比如新加坡和馬來西亞。「兩周後我會去印度尼西亞,四月份希望也能夠去成越南。」不過他強調,他的這些「普法」行為,並非受到國家政府的支持,而是完全出於自己的愛好與使命。

為了和記者坐下來面對面採訪,他還特別選擇了緊挨菲律賓海軍旁的馬尼拉遊艇俱樂部。與中國海軍相比,菲律賓海軍顯得有些「寒蟬」。不過,正如卡皮奧希望給普通菲律賓人帶來信心一樣,菲國海軍也不斷地鞭策自己。他們的外牆上寫道:「海軍2020:強大且可靠」(Navy 2020: Strong and Credible)。

不過,雄心勃勃的菲律賓似乎也意識到自己實力的薄弱。近期,中國宣佈了2015年軍費實現10%增長的目標。這樣的數字讓菲律賓望洋興嘆。很多菲律賓的精英都意識到了這一現實,因此卡皮奧表示菲律賓必須找其他的方式應對這一地緣局勢的變化。
歷史參照
Image caption 「中國拿下了斯卡伯勒礁(中國稱「黃岩島」)時,我們怎麼回應?用軍事?通過空軍?還是動用海軍?」卡皮奧反問道。這也是為何,菲律賓在2013年將中國告上了國際法庭,希望通過聯合國海洋法公約來仲裁這一爭議。

「中國拿下了斯卡伯勒礁(注:中國稱「黃岩島」)時,我們怎麼回應?用軍事?通過空軍?還是動用海軍?」卡皮奧反問道。這也是為何,菲律賓在2013年將中國告上了國際法庭,希望通過聯合國海洋法公約來仲裁這一爭議。
安東尼奧·卡皮奧(Antonio Carpio)

    中國拿下了斯卡伯勒礁(注:中國稱「黃岩島」)時,我們怎麼回應?用軍事?通過空軍?還是動用海軍?」

在菲律賓看來,這是最好的方法。但中國卻認為,這無助於解決爭端,因此拒絕參與其中,並呼籲菲律賓「盡快回到通過談判協商解決爭端的正確軌道上來,不要在錯誤的道路上越走越遠,以免給兩國關係帶來進一步的損害。」

為了應對人們對中國的質疑,中國駐菲律賓大使館專門在其主頁上對這些問題做出了回應:「就本案而言,如果不確定中國對南海島礁的領土主權,仲裁庭就無法確定中國依據《公約》在南海可以主張的海洋權利範圍,更無從判斷中國在南海的海洋權利主張是否超出《公約》允許的範圍。然而,領土主權問題不屬於《公約》調整的範疇。」

即便如此,卡皮奧對BBC中文網記者說,他對這場判決結果表示樂觀。而且雖然中國已經很明確不會理睬這一判決,但他認為最終中國會對這一結果作出回應。他引用1984年尼加拉瓜訴美國為例。華盛頓當時也以國際法庭沒有管轄權為由,拒絕參與。

「你(指中國)不能長時間做一個孤獨的大國,」卡皮奧說,雖然美國最終還是沒有遵循判決結果,但華盛頓意識到這一決定對其聲譽影響太大,因此美國在多年後還是以不同的方式對尼加拉瓜進行了補償。他認為,中國最終也會如此。
「天涯海角」
Image caption 安東尼奧·卡皮奧說:「中國人都很熟悉『天涯海角』,因為這是中國地圖中的最南端。」

卡皮奧預計,國際法庭對菲律賓訴中國案的結果最快會在今年年底公布。他說,現在的這一「普法」任務似乎已經成了他生活中的一部分。在每場講座中,他會就手頭收藏的一些古今地圖做出分析,也會出人意料地提到中國南海最負盛名的旅遊景點「天涯海角」。

「中國人都很熟悉『天涯海角』,因為這是中國地圖中的最南端。」此時,他會指著凖備好的近代中國地圖說,中國的最南端只是在海南,而不是在黃岩島,「這也是中國遊客愛去的地方,他們愛在那裏合影,年輕情侶還許下諾言。」

卡皮奧在接受BBC中文網記者專訪時說,其實這些地圖的收集並不費周折,他獲取這些地圖的經過也不復雜,因為許多都是公開資料,比如在美國國會圖書館、澳大利亞國立圖書館和通過菲律賓駐西班牙的大使館等,「我只要能夠上網,基本都能拿到這些地圖,且不用花費巨資。」
1734年地圖
Image caption 在卡皮奧看來,這些西方人所繪的地圖中,1734年由耶穌會神父佩德羅·穆裏略·維拉德(Pedro Murillo Velarde)繪製的地圖最能體現菲律賓的真實版圖。這張地圖中也首次出現了今天人們所認識的黃岩島,那時的名字叫Panacot 淺灘。

但並不是所有的地圖都能夠輕易獲取。菲律賓的歷史複雜多元,在過去數百年的殖民地時期,菲律賓人通過西班牙的殖民者和西方傳教士所繪的地圖來認識自己與世界。但在經歷過戰爭和社會演變後,這些地圖也早已散落世界各地。

在卡皮奧看來,這些西方人所繪的地圖中,1734年由耶穌會神父佩德羅·穆裏略·維拉德(Pedro Murillo Velarde)繪製的地圖最能體現菲律賓的真實版圖。這張地圖中也首次出現了今天人們所認識的黃岩島,那時的名字叫Panacot淺灘。這張地圖以馬尼拉為中心,繪有馬尼拉至西班牙與西班牙海外領土的海上航線。

卡皮奧對BBC中文網記者說,去年11月,他曾請求一位富商朋友從海外拍賣行以1260萬披索(約合人民幣178萬元)買下這幅地圖,並轉賣給馬尼拉的國家博物館。不過國家博物館卻稱其預算早已花完,最快也要到2016年才能考慮。

「幾輪反覆後,我的這位朋友說,我還是把地圖捐出來吧,這樣公眾就很快能夠看到這幅作品,」卡皮奧說。每當他向公眾講述這位神秘朋友時,台下觀眾總會鼓掌致意。他不願透露此人姓名,只是說,他和地圖的作者維拉德有著同樣的姓。
(責編:尚清)

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南海爭議:菲300年前舊地圖指黃岩島屬菲國
06月08日(一) 15:40   
http://hk.on.cc/cn/bkn/cnt/news/20150608/bkncn-20150608154044792-0608_05011_001.html
該幅地圖顯示300多年前一個名為Panacot的黃岩島(小圖),屬於菲律賓領土。(互聯網圖片)
【on.cc東網專訊】 菲律賓政府將於本周向聯合國海洋法法庭提交一張差不多有300年歷史的菲律賓舊地圖,該地圖顯示中菲在南海素有主權爭議的黃岩島遠在300多年前,已是菲律賓的領土。
據菲律賓傳媒報道,該地圖反駁了中國所謂9段線的南海主權理論。它也把當時稱為Panacot的黃岩島標記在呂宋島附近。該地圖是由耶穌會教士Pedro Murillo Velarde於1734年在馬尼拉出版。該菲律賓地圖描述了菲律賓的島嶼,也是菲律賓首張科學地圖。它兩側上面有12個雕刻,8個描繪原生打扮的人物,關島的地圖和3個城市或海港地圖。

[地圖兩側上面有12個雕刻,8個描繪原生打扮的人物,關島的地圖和3個城市或海港地圖。(互聯網圖片)]

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南海仲裁 菲將交近300年古地圖

http://www.rti.org.tw/m/news/detail/?recordId=196156
http://www.cna.com.tw/news/aopl/201506080233-1.aspx

時間:2015-06-08 15:55  新聞引據:中央社

菲律賓媒體報導,馬尼拉將會向設於海牙的國際仲裁庭呈交1份將近300年的古地圖,作為黃岩島自古就屬於菲律賓的佐證。

菲國獨立調查報導媒體「真相檔案」(VERA Files)報導,菲國商人梅爾.韋拉德(Mel Velarde)於去年11月在倫敦蘇富比(Sotheby)拍賣會上,以17萬零500英鎊(約新台幣820萬元)的價格,搶下這份古老地圖。

報導說,耶穌會教士佩德羅.韋拉德(Pedro Murillo Velarde)於1734年在馬尼拉印行了這份地圖,而地圖上的資訊推翻了中國大陸用以主張南海主權的「九段線」。

這份古地圖長112公分、寬120公分,上面繪出了黃岩島,並標註地名為「帕拿庫特」(Panacot),而當時的呂宋島被稱為「新卡斯提拉 」(Nueva Castilla),菲國最高法院大法官卡皮奧(Antonio Carpio)形容它是「菲律賓地圖之母」。

梅爾.韋拉德說,他是用電話喊價,當別人喊到8萬英鎊時,他一度猶豫是否繼續競爭,但一想到這份地圖可以作為南海主權爭議國際仲裁案的證據時,決定不惜成本一搏。

他也表示,幸好拍賣會不是在上海舉行,否則地圖可能會被中國大陸商人買走。

報導稱,菲律賓政府將於本週內把地圖呈交給國際仲裁庭,而梅爾.韋拉德也將於12日菲國獨立節當天,把地圖的正本呈交給菲律賓總統艾奎諾三世。

2012年4月間,菲律賓與中國大陸公務船在黃岩島海域發生對峙,菲船撤離後,中國大陸即控制了黃岩島。

馬尼拉於2013年1月將南海主權爭議提交國際仲裁,次年3月又呈交了將近4,000頁的陳情狀與相關證據,北京拒絕參與仲裁程序,菲方預期仲裁結果可於2016年上半年出爐。

スカボロー礁2




[渡辺敦子]【なぜ、日本は中国の敵となり得るのか】~看過できない日本の「華夷変態」~
Japan In-depth 11月6日(金)23時0分配信
http://zasshi.news.yahoo.co.jp/article?a=20151106-00010002-jindepth-cn
 前回、中国の「華夷」と呼ばれる伝統的な辺縁ー中心的な地理秩序体系について述べた。この体系は近代に至るまで、緩やかに日本を含む周辺域に広まって、アジア全体を形作ってきた国際関係である。やはりキーワードはある種の自主規制とネットワークである。
 交通路としての海域を含んでいることが大きな特徴で、伝統的に海を「void(空白)」と見てきた欧州の認識とは好対照をなす。例の人工島問題もこの文脈で考えると違う意味が見えてきそうだが、さておき、この体系のなかなか愉快なところは、濱下武志によれば、周辺国にも「華」を名乗る余地を与えたシステムであったことだ。
 つまり中心とはそもそも「天」の概念であるため、誰のものでもなく皆のものである、という理屈が可能になる。事実上の多元システムで、周辺国と中心との上下関係が逆転することを、「華夷変態」と呼ぶが、日清戦争以降の日本の中国に対する立場も、中国から見れば、一種の「華夷変態」であった。


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 全く初耳のことが幾つか書いてある。如何なる史料にもとづくのか。
http://japan-indepth.jp/?page_id=22628
このリンクによれば國際政治學を勉強中とのことだが、國際政治學の人に有り勝ちなのは全く史料にもとづかないことである。この人はどうなのか、すぐには分からない。
 文中の「前囘」とは、こちらの
http://japan-indepth.jp/?p=22761
リンクである。特段のことが書いてあるわけではない。
 女史説によれば、海路が空白でなく、南支那海の人口島も東支那海の尖閣も、中華に屬すると認識されたかの如くである。しかし殘念ながら朝貢國と中華との間の海路は空白として認識されてゐた。多くの史料があるが、一例として李鼎元「馬齒島歌」が極めて分かり易い。
http://www.appledaily.com.tw/realtimenews/article/new/20150922/696551/
http://archive.is/9JU87
http://www.peoplenews.tw/news/1d1d1aec-f1c2-4905-a058-9ce36654cc33
曰く、「三十六島これ門戸なり、はなはだ類す竿塘石虎五に」と。
馬齒島(慶良間)・姑米山(久米島)が琉球の門戸として認識され、福建沿岸の竿塘・五虎門がチャイナの門戸として認識された。門戸と門戸との中間の尖閣は空白である。これを支持する史料は多數ある。詳細は拙著書、論文を
http://senkaku.blog.jp/archives/13347226.html
ご覽頂きたい。

 女史は多分濱下武志氏の論を隨意に敷衍してゐるのだらう。しかし濱下氏は海路を越えて朝貢國の相互關係が存在したといふ話であって、海路の空白を塡める話ではない。
 海路に於ける媽祖信仰・海神信仰は有る。媽祖・海神は皇帝に封號ももらってゐる。女史も濱下氏も多分それらを指してゐるつもりだらう。しかし媽祖・海神は媽祖・海神であって、華夷形式と關はりが深いが、華夷形式と同一ではない。關はりが深いものを全て同一扱ひするのは歪曲である。 朝貢國の國内には華夷形式が存在するが、人為の及ばぬ海路には、華夷形式といふ人為も單純に及ばないだけのことだ。

 航路を熟知したことを以て人為が及んだとしても良い。ならば尖閣航路では琉球人の人為だけが及んでゐた。水先案内を琉球人が擔任してゐた。その琉球人が華夷形式下に在ったのだから、空白の海路はまづ明確に琉球の夷に屬し、そして夷が華に從ふといふ形だ。琉球の夷が華から離れれば、航路の經驗も同時に華から離れる。その後も夷は航路を熟知し續ける。當り前だ。
 別の航路ではチャイナ人が最も航路を熟知した場合も有っただらう。具體的にその航路を最も熟知したのは誰かといふ問題であって、史料ごとに逐一確認せねばならない。便利な華夷形式なる論理を一括して充てはめるのは研究放棄だ。

 勿論海神信仰は歐洲にも有る。ポセイドンは全ての海を支配してゐる。それどころか基督と三位一體の神は全世界の支配者だ。歐洲の神を信じる漁民らは世界の海路で貿易や漁業などを營んでゐた。ほぼ定期航路が形成され、葡萄牙王や英吉利王の權威のもとで使者往來や漂流民送還も有った。歐洲人にとっても海路は空白ではない。日本だって短期間ながら朱印船の權威を海路に及ぼしてゐた。

 虚構の華夷思想では、葡萄牙も日本も時に中華に從ひ時に離叛する夷だから、まとめて華夷秩序の内だといふ理屈になる。しかし同じく歐洲人から見ても、中華なるものは基督と三位一體の神の創造物に過ぎない。どちらも勝手に思ってゐただけだ。

 更に女史は、チャイナ周邊國にも華を名乘る餘地を與へてゐたと言ふが、嘘である。チャイナにとって蠻夷が中華を名乘ることは最も鄙棄される。濱下氏の論理では、現實の中で已むを得ず日本や金國のやうな今一つの中華の存在を許容したことを指すのであって、愉快に許してゐたのではない。
 女史の文章では主語が判然としない。「システムが餘地を與へてゐた」のだから皇帝が與へてゐたのではない、といった言ひ逃れをするのかも知れない。はっきりして欲しいものだ。更に、システムとは何か。形式なのか秩序なのか。誤魔化してはいけない。


參考:
濱下武志「華夷秩序と日本 : 18世紀~19世紀の東アジア海域世界」、国立国会図書館『参考書誌研究』(45)  1995-10-02
http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/3051382




濱下武志


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篇目:「『21 世紀歴史学の創造』をどう読むか」研究会 第一部] 土地所有と領土問題 : 尖閣諸島の「国有化」を契機として
著者:     小谷汪之
発行日:     2015-4-1
出版者:     法政大学国際文化学部
誌名:異文化
http://repo.lib.hosei.ac.jp/handle/10114/10053


曰く、
「コンゴにはアフリカ人がたくさん住んでいたわけです。土地に対しても、様々な権利、それは、所有というのか、占有というのか、いろいろあると思うのですが、何らかの土地に対する権利を持つアフリカ人がたくさん住んでいた。それにもかかわらず、ここは無主地であるということになった。それではなぜ無主地かというと、そういう住民を統治する国家が存在していないということで、無主地というのは、国家が存在しない、国家の領有権が及んでいない土地だという理解になったわけです。しかも、その国家というのは、ヨーロッパ諸国が認めるような国家でなければいけない。アフリカにも、首長制国家といったポリティーは存在した、しかしそんなものはヨーロッパ人の基準では国家と認められない、となると、そこは無主地であるということになってしまったのです。
 日本政府の尖閣諸島領有の根拠は、この無主地先占の法理です。」



と。全く違ふ。『尖閣反駁マニュアル百題』にも書いたが、尖閣には誰も住んでゐなかったし、命名者・發見者はほぼ琉球人で間違ひない。尖閣の遙か西方にはチャイナ島嶼限界線が有る。それを無視して日本がチャイナの島を占領したかの如く言ふのは、完全に嘘である。平成二十六年十月十八日の研究會記録ださうだ。こんな初歩的なことは先行研究に書いてある。讀んでゐないのか。故意に無視するのか。學術を冒瀆してゐる。
 この段以下、チャイナに關はる尖閣史料について、ほぼ何も論じてゐない。こんなものを載せる大學もどうかしてゐる。

法政大學


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http://keybow.co/urasoe/uezato.html
 (『うらそえ文藝』16号 2011.5月発行)
     尖閣諸島海域を日本・中国・台湾の共存、共生の生活圏へ
     上里 賢一                                  
上里賢一

一 尖閣諸島をめぐる日中の摩擦と領有権問題
 昨年(二〇一〇年――筆者、以下括弧内同じ)九月七日に起きた中国漁船(閩晋漁五一七九号)と日本の巡視船(与那国・みずき)との衝突事件は、日本が船長と乗組員を拘留し、国内法に照らして処理するという方針を表明するや、中国もすぐに対抗して、漁船と船員の即時開放を要求し、緊迫した外交問題となった。船長の釈放に対する政府の司法介入の問題、映像公開の方法や情報管理の問題、外交問題に観光や視察、貿易等を絡めて圧力をかけた中国の交渉のあり方等、日中双方に深刻な課題を残すものとなった。 この尖閣問題について、沖縄のアジアにおける地位と役割という観点から、今のとげとげしい日中関係の改善のために、何をなすべきかについて考えてみたい。もとより、領土問題や安保防衛問題についてはまったくの素人であり、ここに述べる意見は主に以下の諸氏の研究書と、その他の雑誌論文や報道記事に負うところが多い。楊仲揆『琉球古今談――兼論釣魚台問題』(台湾商務院書館 一九九〇)、井上清『「尖閣」列島――釣魚諸島の史的解明』(日本評論社 一九七二)、緑間栄『尖閣列島』(ひるぎ社 一九八四)、浦野起央『尖閣諸島・琉球・中国』(三和書籍 二〇〇五)、原田禹雄『尖閣諸島 冊封琉球使録を読む』(榕樹書林 二〇〇六)、雑誌論文や報道記事については、本文中で使用する時、示すことにする。
 これらの研究のうち、楊・井上両氏は尖閣を中国の領土とするのに対し、緑間・浦野・原田氏はその論拠に疑問を投げ、日本の領土であることを実証するものになっている。筆者も結論としては、楊・井上両氏の論拠に批判的な立場である。尖閣の領有権に関わる中国の主張の根拠は、そのほとんどが楊・井上両氏の説に拠っており、日本領有の正当性を証明しようとすると、どうしてもこの説に対する反論とならざるを得ないということになる。
 尖閣諸島は、一八九五年(明治二十八)日本が国際法に基づいて正当な手続きによって領土に編入して以来、今日に至るまで実効支配している。これに対して中国・台湾は、一九七〇年代に人ってから、突如として領有権を主張した。その理由は、一九六九年に国連アジア極東経済委員会の調査結果が発表され、尖閣諸島海域に石油資源が埋蔵されていることが明らかにされたからである。

 中国・台湾が領有の根拠とするものを、楊・井上両氏の説によって示しておこう。井上氏は、「この島(尖閣――筆者)に関する歴史的事実と国際の法理を、十分に明らかにすることは、アジアの平和をもとめ、軍国主義に反対するたたかいにとっては、寸刻を争う緊急の重大事である。」(『「尖閣」列島――釣魚諸島の史的解明』12ぺージ)として、「台湾と膨湖島は下関条約第二条により、公然明白に強奪したものであり、釣魚諸島はいかなる条約にもよらず、対清戦勝に乗じて、中国および列国の目をかすめて窃取したのであった」(前掲書17ぺージ)。とする。その根拠として、おもに次の五点をあげている。

一、明代の冊封使節(琉球国王の認証式に中国皇帝の名代として参加する使者)陳侃の『使琉球録』(一五三四年・嘉靖十三年渡来)に初めて尖閣諸島が、「釣魚嶼」という名称で登場し、「古米山が見えた。これはすなわち、琉球に属する」という記載がある。次の使節郭汝霖の『重編使琉球録』(一五六一年・嘉靖四十年渡来)にも「釣嶼」という名称で登場し、「赤嶼は、琉球地方を界する山なり」と記録されている。これらの記録によれば「釣魚」列島に属する赤尾嶼までは中国の領土であり、久米島からは琉球の領土である。
ニ、胡宗憲の『籌海図編』に福建省の羅源県、寧徳県の沿岸の島々が出ているが、そのなかに釣魚列島が出ている。
三、琉球の向象賢『中山世鑑』(一六五〇年)も、陳侃の記録をそのまま引用している。
四、程順則の『指南広義』(一七〇八年)にも、釣魚島、釣魚台などの中国側の付けた名称が使われており、徐葆光の『中山伝信録』に、『指南広義』を引いて、姑米山の注として「琉球西南界の鎮山なり」としている(この注は、『指南広義』にはなく、徐葆光の注であることは、井上氏の指摘の通り)。
五、日本の林子平の『三国通覧図説』の付図「琉球三省並三十六島之図」の配色に見える区別の問題。尖閣は中国と同色に塗られていて、琉球の色と区別されている。

 楊仲揆氏は、井上氏の説に加え、尖閣は地理的に台湾に付属する島嶼である、とすること、西太后が薬品の原料が採取できるということで、釣魚嶼・黄尾嶼・赤嶼三島を台湾の盛宣懐という役人が経営する広仁堂に下賜されたことを示す文書があることをあげている。
 楊・井上説に対して、緑間、浦野、原田の各氏らをはじめ、多くの研究者が反論している。その反論の詳しい内容については、それぞれの著作を参照して欲しい。ここでは、緑間、浦野、原田三氏の説をまとめて、楊・井上説の第一・第二に対する反論の概略を紹介するにとどめる。
 まず、第一の冊封使の記録をもとにした歴史的経緯については、緑間氏は冊封使の記録は、「航海士私人の航海記録であり、中国の公式の記録、声明でもない」(前掲書52ぺージ)とし、「古記録の資料による歴史学的推論を、直に国際法上、国家の領有権の法的効力の証拠としての資料に利用することができるだろうか」(同 45ぺージ)と疑問視している。さらに「冊封使録は歴史学的論評として推量、推測の対象にはなっても、国際法上、国際法学的根拠としての証拠にはなりえない」(同 57ぺージ)としている。
 原田氏は、尖閣についての歴代冊封使節の記録を総合的に検証して、井上氏の使録の内容の解釈そのものに対する批判を展開している。井上氏は、陳侃・郭汝霖の記録をもとにして、赤尾嶼と久米島の間に境界があり、赤尾嶼までは中国領、久米島からは琉球領であるとする。ところが、その根拠とする郭汝霖の記録には、赤尾嶼に至るまでの航海の指標としての島があげてあるものの、その中に「小琉球」(台湾)が含まれている。明代のこの時期に「小琉球」が、「井上のいうような『中国領であることは自明の島』では、断じてない」(『尖閣諸島 冊封琉球使録を読む』20~21ぺージ)、とする。これは、同時に楊氏に対する反論にもなっているが、原田氏の著作は井上説批判を主な目的としており、結果として楊氏の批判にもなっている。
 第二の胡宗憲の『籌海図編』については、緑間氏は「尖閣列島が倭冠海賊を撃退するため戦略上、防衛上注意すべき区域とし、及び自国船の航路標識として、冊封使録より引用し、地図に記載したものと理解すべきではないだろうか。したがって海図に示されていることのみをもって、中国が領有権を主張するのは国際法上の法的証拠として採用することはできない」(前掲書59ぺージ)としている。原田氏は、この図の中に「鶏籠山」(台湾)が入っていることを問題にし、この図に描かれている地域をすべて中国領とすることに異論を提示している(前掲書 別ぺージ)。
 第三~第五までの論拠にもコメントを付けるべきだが、緑間・原両氏の著作を参考にされることをお願いして、詳細は省くことにする。第三~第五の論拠も、第一・ニの議論の周辺にあるか、その補完的な意味しかないと思われるからだ。冊封使の記録を重視する井上・楊両氏の主張は、つまるところ、中国の華夷秩序に基づく東アジアの朝貢体制下の歴史的関係を、アヘン戦争(一八四〇~四二年)以後の東アジア体制にそのまま繋げて理解しようとするもののように見える。そのような理解の仕方が、近代以降の東アジア世界秩序の中でどんなに無理な議論であるかは、論をまたない。

 例えば、朝貢体制下での藩属関係は、近代国家における支配・被支配の関係とは違うものであり、「領土」とか「国境」という認識はさらに稀薄である。文化の中心である中国皇帝に臣下と称して礼を守り従属することを誓えば、中国皇帝はその土地の支配者を王として認証(冊封)した。琉球国王も中国の皇帝の認証を受けていたが、それは近代国家における「領土編入」や国家主権の及ぶ支配地域としての「国境」観念とは違うものであった。
 中国の制度文物を受け入れ、臣下としての礼に服する地域は「王土」であり、これに従わない地域は、中国文化の外辺にある「化外」の地である。琉球は冊封を受けることで「王化」に浴し「礼教」を守る文化の地となったが、これがそのまま、当時の中国(明・清)の領土となったことを意味するものではない。それは、朝鮮、安南(ベトナム)等の朝貢国の場合も同じである。
 せんじつめれば、華夷秩序に基づく近代以前の資料をいくら積み重ねても、それによって近代以降の「領土」・「国境」を考える上での有効な根拠とはならないということである。琉球は中国に進貢したが、同じ時期に薩摩に納めた貢物とは性格が違う。まして、近代的な意味での義務としての納税でもなかった。琉球にとって進貢は、利益を生み出す貿易の一形態であった。中国の冊封を受けていたとはいっても、琉球は中国に対しても周辺の国々に対しても、孤立した王国であった。
 中国(台湾を含む)の研究者の一部に、明治の「琉球処分」の不当性や、一九七二年の日本への「復帰」の国際法上の無効性を唱えて、「沖縄の帰属問題は未解決」とする主張がある。これも近代以前の朝貢体制下の中琉関係を根拠の一つとしており、論理の構成としては、尖閣の問題を冊封使の記録を使って組み立てる場合と良く似ている。「沖縄は中国に帰属する」と明確に言うのではなく、「沖縄の帰属は未解決」とする論理は、かつて、鄧小平が尖閣の問題について「棚上げ」にして、将来の知恵に任そうと提案した暖昧な措置と似ている。
 最初に述べたように筆者は、尖閣諸島の日本領有には歴史的にも国際法の面からも正当な理由があるとする立場である。そのことを確認して、論点を現在の日中間に刺さったトゲを、如何にして双方の痛みを最小限に抑えて取り去るか、日中の対立の最前線に立つ沖縄は、如何なる対応をすべきか、ということに戻そう。

二 尖閣問題への対応と提案
 結論から先にいえば、筆者の論点は次の五点に絞られる。
 第一は、日本が冷戦構造の古い観念から自由になり、独立国としての主体性を取りもどすこと。敗戦後一貫して変わらぬ対米追従の外交路線を見直し、安保条約を解消して日米平和友好条約を結ぶこと。これが中国をはじめアジア諸国との信頼関係構築の近道であり、尖閣問題の解決につながる。第二に、尖閣問題をけっして日中の軍事的緊張の火種としてはいけないこと。日本国憲法の精神に基づいて、話し合いで解決するという原則に立ち、ねばり強い対応をすること。第三は、「領土問題は存在しない」と突き放すのではなく、日本、中国、台湾でそれぞれの主張の根拠を出し合い、広く国際的に開かれた場で議論すること。第四に、海底資源、漁業資源の共同開発、共同利用について中国、台湾と協定を結ぶこと。現在ある中国との漁業協定の遵守と改善を図る。第五に、日本、中国、台湾の研究者による共同研究を進め、学術交流を活発にすること。歴史・政治・法律・安全保障・地理・海洋・生物・資源開発・国際法等幅広い分野の研究者による学際的な研究の場をつくること。

 このような提案をする理由について、簡単に説明をしておく必要があろう。まず、第一の提案に関しては、日本国内では日米同盟にヒビが入るとして、疑問視するむきが多いかもしれない。しかし、沖縄からみれば、戦後の日本は内政外交ともアメリカに従属し、独立国としての主体性を自ら進んで放棄して、ひたすらアメリ力に寄り添い、アメリカの世界戦略の一翼を担ってきた。中国をふくむアジアの国々との関係も、アメリカのアジア政策の範囲内で進められてきた。今回の尖閣問題に関連して、前原外務大臣が、アメリ力のヒラリー・クリントン国務長官と面談して「尖閣は日米安保の適用範囲内」という言葉を引き出して、外交の成果と喧伝している姿にも、日本の外交・防衛が如何にアメリ力に依存しているかが表れている。
 日米関係が、過去から現在まで対等なものではなく、今後も変わらないことについて、アメリ力の国防関係者が、明言している。「文藝春秋」(二〇一一年二月号)の大企画「中国とこれから『正義』の話をしよう」のなかの、「リチヤード・L・アーミテージ×ナイ 共に中国と戦う用意はある」というインタビュー記事で、アーミテージ(元国務副長官)は、鳩山元総理の「対等な日米関係」について、「鳩山氏は日米同盟をきちんと理解していないということです。米国が維持している国防費の規模や軍事力、そして世界最大の経済力ということを考えれば、日米関係は対等ではないのです」と述べる。ジョセフ・ナイ教授も「真に対等な関係を築くためには、日本は核兵器を独自に開発し、独自の外交を実現するという決断をくださなければなりません」と言って、日本が真に独立し、アメリカと対等な関係を結ぼうとするなら、核武装しなければならないと決め付ける。軍事力に頼らない中立・独立、核兵器に依存しない安全保障の可能性については、一願だにしない。

 そして、アーミテージは、安倍晋三元首相・前原(誠司外相)は、日本が日米同盟の枠内で強くなることを目指すが、小沢一郎は違うという。「彼は日本の将来を中国の『善意』に預けようとしている。表面上は「アジア重視」という言葉を使っていますが」と言って、「反米主義者」としている。これは、小沢が民主党幹事長として、国会議員を含む六百名の大訪中団を率いて北京に乗り込んだことに対する譴責とみて間違いなかろう。
 これでは、「対等な日米関係」を言った鳩山、中国の「善意」に期待する「反米主義者」小沢を政治的に追い込んだのは、アメリカだと言っているに等しい。政権中枢までアメリカに牛耳られている姿を、これほどあけすけに言われても、ほとんど反論らしいものがないほど、日本の政治は「日米同盟」の維持強化、安保体制の堅持という冷戦期から変わらぬ路線にがんじがらめになっている。
 冷戦期の日本は、中国に対する侵略についての十分な反省もないまま「中国封じ込め」政策のための基地を提供してきた。一九七二年にアメリカの電撃的な中国との関係改善の後、田中角栄首相が訪中し、国交回復に当たった。沖縄の米軍基地も、アジアの社会主義化を防ぐための、ソ連・中国に対抗するものと位置づけられ、朝鮮戦争、ベトナム戦争の攻撃・補給基地とされた。復帰後も中東、イラクなどへの攻撃基地として、冷戦期と変わらぬ役割を負わされている。沖縄には冷戦終結の余慶分配は、なかったのだ。
 普天間基地の辺野古移設問題の混迷も、その根源には日本人が自らの頭と心をアメリ力にあずけ、思想的奴隷の地位にあることに気がつかないことが最大の理由である。安保条約があれば平和が保障されるかのように思いこみ、安保の負の部分は沖縄に押し付けて、今や空文化した平和憲法の条文だけの恩恵に預かって自己満足している。沖縄に対しては憲法の上に安保を置いて、平然としていられる。日本国民のこの安保条約神話が変わらないことには、日本の真の独立は達成されないし、アジアにおける日本の役割も果たせない。当然、日本がアジア諸国から尊敬されることもない。中国との信頼関係の構築もできないし、尖閣の問題の解決も難しくなるばかりだろう。当然、普天間の問題も解決できない。
 普天間の問題をはじめとする沖縄の基地問題を根本的に解決するためには、憲法の上に安保条約が君臨する現状を逆関係にすることである。憲法九条の精神を大切にし、安保条約を平和友好条約に変えることだ。これは反米でも嫌米でない。真にアメリカとの友好関係を築く原点である。

三 尖閣を日中の軍事的対立の場にしない
 第二・第三の提案は、とくに強調しておきたいものである。中国漁船衝突事件以来、日本のジャーナリズムの一部には、今すぐにでも中国軍が尖閣だけではなく、南西諸島や沖縄本島を攻めてくるかのような、中国の脅威をあおる論調がある。たとえば、次のタイトルは尖閣における漁船衝突事件以後半年足らずの中で出版された書籍と雑誌論文のタイトルである。西尾幹二・青木直人『尖閣戦争――米中はさみ撃ちにあった日本』(祥伝社新書二〇一〇年十一月)、藤岡信勝・加瀬英朋編『中国はなぜ尖閣を取りに来るのか』(自由社 二〇一〇年十二月)中嶋嶺雄編著『超大国中国の本質』(KKベストセラーズ二〇一〇年十二月)、大田竜『宇宙一危険な発狂中国』(成甲書房 二〇一〇年十二月)、中西輝政「日本と中国、『大いなる悲劇」(「WiLL」二〇一一年二月号)、「大型企画 中国とこれから『正義』の話をしよう」(「文藝春秋」二〇一一年二月号、「特集 尖閣を忘れるな 国家百年の計を立てよ」(「表現者」平成二十三年一月)、「特集『二〇一二年危機』が東アジアを襲う」「列島周辺はすでに戦時 日本人よ覚醒せよ」(「正論」平成二十三年二月号)、周田和仁「国民よ、中国の脅威を直視せよ」(同前)等々、数え切れないほどである。
 たしかに、中国には反日デモがあったり、今回の漁船衝突事件のような許しがたい横暴な一面がある。軍事費の膨張、第一列島線(九州から沖縄、台湾、フィリピン、力リマンタンに至るライン)、第二列島線(伊豆諸島から小笠原諸島、グアム・サイパン、パプアニューギニアに至るライン)という、太平洋上の対米防衛ラインの設定など、警戒すべき動きもある。かつての日本が「生命線」を際限なく拡大させて太平洋戦争になり、破滅して行った過去を彷彿させる禍々しさを覚えさせるものである。
 しかし、だからこそ私たちには、日本と中国双方でナショナリズムが高まり、対立が深まって軍事的緊張になるような事態を避ける努力が求められている。とくに、尖閣列島を近くに持つ沖縄は、日中関係の影響を誰よりも強く受けるから、なおさらである。たとえば、私たちは、次のようなシナリオを受け入れることができるだろうか。

台湾の描く悪夢のシナリオ
 昨年十二月、クリスマスが終わったばかりの台北を訪ねた。科学研究費による調査旅行である。資料調査の後、同行の研究仲間と立ち寄った書店で、楊麟書編著『釣魚台戦雲密怖 非打不何』(元神館出版社 二〇一〇年十一月初版)を見つけ購入した。『戦雲たれこめる尖閣諸島 戦もやむなし』とでも訳される挑発的なタイトルである。目に鮮やかな黄色の帯には、「号外!尖閣諸島で開戦! 早ければ年末、遅くとも二〇一五年」などの煽情的な文字が並んでいる。
 昨年九月の中国漁船の衝突事件に始まる日中間の外交的緊張関係を、時系列で紹介しコメントをつけた後で、このような事態が進行すれば、日中の軍事衝突は避けられないとして、帯に見るようなセンセーショナルな見出しとなる。そして、もし日中が戦ったらどのような展開が予想されるかについて、開戦から終結までを二つのシナリオにし、さらに、それぞれを幾つかの局面に分けている。
 その内容を詳しく紹介できないが、第一のシナリオでは、尖閣諸島海域での漁業あるいは演習での衝突が導火線となって、中国が多数の漁船と漁政船(巡視船)で機先を制するが、最後は日本とアメリカの連合軍が反撃して中国を撃退する。このシナリオでは戦いは主に尖閣諸島と沖縄の周辺海域である。第二のシナリオは、中国による日本の軍事基地へのミサイル先制攻撃で始まる。中日双方が衛星を含む電子情報を駆使する近代戦になり、原子力潜水艦、航空母艦、ミサイル攻撃により中国が沖縄本島に上陸占領するが、日本とアメリカの連合軍によって撃退される。中国軍による沖縄占領は一ヵ月前後で終わる。
 そして、この第一・二そのいずれの場合も、台湾が取るべき戦略は日中どちらにも組みせず、冷静に結果を待つというものである。著者によれば、台湾で「保釣運動(尖閣防衛運動)が盛り上がり、民族主義が高揚した頃(一九七〇年代)国防部(国防省)の常志華上将が起草した「漢彊計画」(訓練された優秀な兵士を、艦艇と戦闘機で護衛して、尖閣の二つの島に降下させ、国旗を立て、スローガンを叫び、写真撮影をし、主権を宣言して引き上げる)というものがある。しかし、今の国際情勢のもとでは、この計画は台湾にとって良い選択とは言えない。「中日大戦あるいは中国と米日連合軍との大戦後、帰属が決定さる時を待って、われわれも主権を有し、その権利があることを主張するチヤンスとすべきである。とくに両雄が相争えば、一方は必ず傷つく、あるいは両者とも傷つき敗れる状況もある。われわれには国際調停の結果、尖閣の主権を台湾に「返す」と決定される機会がなおありうる。
 この本に描かれる日・米と中国の軍事衝突の場は、尖閣諸島周辺を含む沖縄である。シナリオでは一ヵ月前後とはいえ、沖縄は中国軍に占領される。沖縄に住む者にとっては、悪夢のような事態である。ミサイルが飛び交う近代戦の戦場となれば、沖縄は壊滅する。沖縄住民の被害は、沖縄戦の比ではあるまい。
 ところが、この本には住民の受ける被害については、一言の言及もない。まるでゲームのように衛星攻撃をはじめ潜水艦や戦闘機が攻防を繰り広げ、爆弾が飛び、ミサイルが発射される。このような日米中の総力戦の戦場となったとしたら、そこに人々は生き延びていると考えられるのか。沖縄に人が住んでいるという現実感覚と少しの想像力があれば、この本に描かれるような無機質な戦争ゲームにはならないはずだ。

日本人作家の描く悪夢のシナリオ
 寝覚めの悪い夢を見たような違和感・嫌悪感を引きずったまま正月を過ごしたが、一月半ば頃、日本人作家の一編の小説にであった。『文藝春秋』(二〇一一年二月号)に掲載された麻生幾の「小説人民解放軍南西諸島上陸 海民襲来」という作品である。この小説を読むためにではなく、「中国とこれからの『正義』の話をしよう」という大型企画に惹かれて買った雑誌である。
 檀原真理は、東京から宮古伊良部島の診療所に来ている医師である。ある日、全身に擦過傷のある老人が救急で運ばれる。真理にはやはり東京からやって来て、島に住み着いている北見太一郎という元カメラマンの恋人がいる。なんと宮古伊良部島に中国人民解放軍の特殊作戦部隊の工作員が密かに侵入し、島民を殺害する。宮古島周辺海域における中国潜水艦の動きも活発で、海でも空でも日本の自衛隊との一触即発の緊張した小競り合いが頻発する。自衛隊は武力行使をともなう行動を取りたいが、官邸はその決断ができないまま、対応は混乱をきわめる。自衛隊と政府の意思統一が図れないまま、事態は進行する。
 一方、中国は南西諸島方面への侵攻を予想させるかのように、トロール漁船三万隻と機帆船五万隻に武装した海民が乗り込み、出港準備万全である。そして、伊良部島では、真理の恋人北見が流暢な中国語で島民に暴力を働いた黒ずくめの男たちと話している。北見は中国の工作員の一味だった。詰め寄った真理に北見は言う「この島は、いや南西諸島の島々は、日本という野蛮な国に、抑圧されている、ゆえに、これは解放のための闘いなんだ」「島の人たちに聞いてみるがいいさ。ヤマトンチュー(本土の人)を、それを治める人たちを本当に信頼しているのかとー」、この台詞で小説は終わっている。

 読んだ後、これはいったい何のために書かれた作品だろう、という疑問が湧いてきた。真理が東京から伊良部島にやって来て、島の医療に関わって医師としての本分に初めて触れたというのは認めるとしても、北見の言葉からは傲慢さしか見えてこない。島を解放するだの、島の人たちはヤマトンチューを本当に信頼しているかと言う時、北見は自分の立場は島の人間の側にあると言いたいかもしれないが、実に安易な思い込みである。とくに最後の台詞などは、立ち位置を見失い自己撞着に陥って混乱している。
 作品としては失敗していると思われるが、失敗の最大の理由は、先に言いたいこと、特に南西諸島民に警告したいことがあって、そのために書かれたものだからだろう。文学的な面白さよりも政治的な主張を目的としたものとみれば、小説としての楽しみを求める方が間違っているのかもしれない。中国が攻めてくるぞ!南西諸島が危ないぞ!島の人はヤマトンチューを信用してない、親中国分子がこの島の反ヤマト感情に付入って、中国人民解放軍の手引きをする。危機は迫っているのだ!そんなことが言いたいのだろう。

四 中国脅威論を超えるために
 侵略国家中国、中華帝国の再現、中国による日本属国化の危機、尖閣を守れ、南西諸島に自衛隊派遣を…etc。この種の見出しの書籍や、特集記事を満載した雑誌・週刊誌類が氾濫している。書店に並ぶこれらの書籍や記事を見ていると、あたかも今すぐにでも日本が中国に武力占領される危機が迫っているかのような印象を受ける。いわゆる中国脅威論の大合唱である。
 日本には歴史的に中国を敵視する勢力がある。戦後六十五年、その勢いは強弱の違いはあれ流れは一貫している。戦後の冷戦期には、日本は国をあげてアメリカとともに反共包囲網を作って、太平洋の「浮沈空母」と称して中国封じ込めの先端をになった。沖縄は「太平洋の要石」とされ、一九七二年の日中国交回復(沖縄の日本復帰と同じ年)が実現し、ソビエト崩壊(一九九一年)による冷戦終結後の今日も、沖縄基地の存在意味は基本的に中国脅威論、中国封じ込めを仮想していると言ってよい。
 しかも、この構造は第二次大戦後のアジアにおける米軍のブレゼンスを正当化するために、アメリ力が日中間に打ち込んだクサビだという。「尖閣諸島の帰属に関する二クソン政権の『中立の立場』は、沖縄の返還に際して日中間にあえて火種を残し、紛争に対処する在日米軍の存在を正当化させる、という狙いがあった」( 豊下樽彦「『尖閣問題』と安保条約」「世界」二〇一一年一月号)という。豊下氏によれば、北方領土問題の背景にも尖閣と同じ戦後処理におけるアメリカの思惑があるというから、アメリ力による日本支配の巧妙なしかけと狡滑さにはあきれるばかりである。
 こうして、アメリカは日中が接近しようとすると、両者の間に打ち込んだクサビを刺激し、両者の対立をあおるというわけだ。中国は日本による侵略と民族の痛みを刺激され、日本は中国に対する侵略という加害への自責を刺激される構造である。この点に関連するが、ジョセフ・ナイは「キッシンジャー氏は以前から日中両国が手を組んで一体となり、米国に対抗してくるシナリオを恐れています」と言っている(「文藝春秋」前掲インタビュー参照)。
 今回の尖閣での漁船衝突事件を契機にして、危険な中国、侵略国家中国に備えよという声が大きくなっている。先に紹介した台湾人と日本人の二つの作品をはじめ、新聞も月刊誌や週刊誌も挙げて「尖閣は日本の領土」という主張一辺倒で、拘留した船長を釈放した民主党政権の弱腰外交を批判する論調で埋まっている。尖閣諸島を守れ、中国を警戒しその脅威に備えよ。領土問題で国民の意見がこれほどまとまったことは珍しいのではないか。アメリカの打ち込んだ楔の効果やテキメンと言ったところか。日米同盟の危機どころか、アメリ力の高笑いが聞こえてきそうである。
 麻生幾の小説が掲載されている雑誌をはじめ、書店に氾濫している中国脅威論を煽るメディア全体の動向を含む、この国の中国に対する敵意や反感の行方に対して、薄気味悪い不安感を抱いているのは、私ひとりではあるまい。
 この数年来、「声に出して読みたい」本ブームと平行して、空前の「論語」ブームである。美しい日本の発見と、美しい日本語、日本的心情の見直し、個人と国家の品格という日本的なものがべストセラーになり流行することと矛盾することなく、中国の古典「論語」が読まれている。「論語」を生み出した中国文化に対する畏怖や孔子に対する敬意の念とは切れたところで、「論語」の章句の朗読や暗誦に子供から老人まで夢中になっている。そういうなかでの中国脅威論である。
 かつて、日本が中国やアジアへの侵略に突入していった一九三〇年代にも、西洋の近代を超えるとして、日本精神が東洋精神とともに称揚された時期がある。中国やアジアの伝統文化に対する憧景と現実のアジアや中国に対する蔑視、かつて克服したはずの精神構造が、今また頭をもたげつつあるのではないか。

 中国脅威論に煽られてか、政府は南西諸島の防衛力を強化するとして、自衛隊を配備する方針を出している。尖閣での事件を契機にして、宮古、八重山にも自衛隊基地が作られ、対中防衛ラインが琉球列島の南端に延びることになる。これは、今までより以上に中国との軍事的対決を強めるものであり、尖閣周辺における両国の緊張関係を激化させる恐れがある。沖縄から見れば、このような対応は最悪である。農漁業、観光をはじめ、島の生活のすべてにおいて、周辺海域の安定の確保こそ大切である。戦艦や戦闘機による睨みあい等の軍事的緊張の排除こそ大切である。
 台湾と日本の作家による「悪夢のシナリオ」は、尖閣諸島の領土保全を軍事力に頼ろうとすることから、軍事的衝突(戦争)を不可避のものとしているのだ。これが現実に起こったら、沖縄が受ける悲劇が如何なるものになるか、想像するだけで暗然とする。軍事的衝突(戦争)は問題の解決手段ではない。更なる問題の積み重ねでしかない。軍事力で平和が確保できないことは、日本が先の大戦で経験したことである。なかんずく、沖縄は国内唯一の地上戦を経験して、戦争がいかに愚かで醜いものであるかを体験している。沖縄の海・陸・空に戦火の悲惨を招いてはならない。
 そのためにも、「領土問題は存在しない」として、話し合いの場を閉ざすのでなく、双方の主張とその論拠について冷静に話しあい問題を解決していくようにすべきである。第三の提案の趣旨はそこにある。
 尖閣の領有権をめぐっては、冒頭でみたように中国側にもその主張の論拠がある。たしかに日本が実効支配しており国際法的に有利な状況にあるとはいえ、日本側の主張にも弱点がないわけではない。たとえば、日本は尖閣列島に清国の支配が及んでいないことを確認して、領有を宣言したというが、それは閣議で決めただけで、官報には掲載されておらず、国際的に広く告知されたのではなかった。
 また、尖閣は日清戦争の結果下関条約によって植民地にした台湾には含まれないというが、戦争に負けた清国には、尖閣について日本に文句をつけられる状況にはなかった、とする議論にも一理はある。さらに、第二次大戦後、サンフランシスコ講和条約で沖縄がアメリ力の支配に置かれたとき、尖閣は沖縄の一部としてアメリ力の支配にあったが、中国・台湾からこれに対する異論はなかった。これについても、中国・台湾からすれば、サンフランシスコ講和会議に中国も台湾も招請されなかった、異論をはさむ機会を奪われたのだということがある。
 沖縄が日本に復帰した時、尖閣も沖縄の一部として返還されたが、その時も中国・台湾から特に異論はなかった。これについて、中国・台湾はサンフランシスコ講和会議で決められた沖縄の帰属問題に関与しておらず、沖縄の帰属問題は国際法的に末解決であるとする。この議論は、明治の琉球処分期の琉球分島増(ママ)約案(先島を清国領、沖縄本島以北を日本領とする案)の議定の経緯にまでさかのぼって、中国・台湾の研究者の一部に根強く残っている主張である。つまり、中国・台湾側にも主張の根拠があり、日本の主張にも弱点があることを認め、双方がそれぞれの主張に耳を傾け話し合うことが、問題解決の第一歩である。これは、第四、第五の提案ともからむものである。

五 尖閣を琉球・台湾・中国漁民共通の生活の場へ
 戦後日本には、中国脅威論や中国封じ込めに抗して、中国との友好交流、相互理解を深めるため、地道に活動してきた人々もいる。現在の中国脅威論の大合唱の中でも、かつての日本による中国侵略を踏まえ、再び戦争の悲劇を繰り返さない決意のもと、中国との歴史的・文化的な関係を大切にし、今日と将来にわたる両国関係の一層の進展を願って、さまざまな交流事業が官民それぞれの立場から展開されている。
 沖縄では、琉球王国時代の五百年に反ぶ明・清との交流の歴史を大切にした活動が進められている。沖縄県と福建省、那覇市と福州市、浦添市と泉州市、宜野湾市と眞門市、南城市と蘇州市等の自治体レベルの交流と平行して、久米村の住民をはじめ市民レベルでの交流も盛んである。また、琉球大学をはじめ県内各大学と中国の大学との交流協定に基づく、大学間交流も活発に行われており、演劇、舞踊、三味線、空手、書道、美術等、個別分野での交流も活発である。
 八重山と台湾北部地域との「国境交流推進共同宣言」、与那国島と台湾・花蓮との交易の拡大、宮古島への台湾観光客の誘致の取り組み等、尖閣諸島に近い南西諸島地域には、台湾との交易・交流の新しい波が起こっている。この新しい波を広げていくことこそ大切であって、自衛隊配備等の軍事的な動きは、これに逆行するものと言わざるをえない。
 十三億の人口をもち、GDPで日本を越えて世界第二位の経済大国となった中国の存在と影響力は、今後ますます強くなっていくにちがいない。日本・韓国・シンガポールの後を追いかけてきた中国がこれを超え、インド、ベトナムの成長も急速である。世界におけるアジアの台頭は、世界の勢力図を塗り替えつつある。
 世界はアメリ力の一極支配から多極化へ向かっている。そして、今年に入ってからのチュニジア、エジプトにはじまる北アフリ力・中東の独裁政権に反対する民衆の蜂起は、世界の民主化への流れの早さと、パワーバランスが多極化から無極化へ流れているような印象さえ持たせる。
 日本もアメリ力一辺倒の外交・防衛政策を見直し、アジアの中の一員として生きていく方向に転換すべきである。そこにこそ、日本の末来があり、アジアの平和創出に貢献する道がある。その未来へ向けて、尖閣諸島についても日・中・台三者で漁業資源の活用、海底資源の共同開発,共同利用の方策を練るべきである。自衛隊を駐留させて軍事的ににらみ合う関係ではなく、漁業、観光、貿易、資源利用等のはば広い分野での友好的な交流の促進を図る場にしたいものである。それは、沖縄がアジアにおける「軍事的拠点」から、「平和の拠点」・「共生共栄の拠点」としての地位を獲得する、誇りにみちた夢のある選択でもある。
      (うえざと・けんいち 琉球大学名誉教授)
         

Dibujo_madrid_1562
    ▲西暦1562年のマドリード

『Novísimo diccionario geográfico, histórico, pintoresco universal ó descripción física, histórica, política, comercial, estadística, industrial, científica, literaria, artística, religiosa, moral etc.』
(插圖最新世界地理歴史辭典)
第三册、HからMまで。
出版: Libreria Española(スペイン書房)、西暦1866年マドリード刊。
第108頁に「Hoapin-su」を載せて、チャイナ帝國の宮古諸島の一つだとする。中々見つからない記述だ。
https://www.worldcat.org/oclc/551720689
https://books.google.co.jp/books?id=sDdxWu8hDw0C
http://catalog.hathitrust.org/Record/009301496
Hoapinsu_1866Novisimo_diccionario_geografico_historico

曰く、
「Hoapinsu, isla del Imperio de China, una de las Madjicosina, en el mar de Corea, al N. E. de Formosa, por los 25. 49' 39" de latitud N. y 120.19' 45" de longitud E. Es baja y abunda mucho en arbolado.」
(チャイナ帝國の島であり、宮古八重山諸島の一つであり、北緯25度49分39秒、東經120度19分45秒を以て、高麗海のフォルモサの東北に在る。樹木に富んだ低い島である)
と。東支那海を高麗海と呼ぶ史料は多い。宮古八重山諸島そのものがチャイナ帝國に屬するといふ認識を以て、その一つとして尖閣もチャイナ帝國に屬すると記述してゐる。尖閣が單獨でチャイナに屬するわけではない。宮古八重山諸島が實際には日本に屬する以上、殘念ながら尖閣も日本だといふことになる。
 念のため確認すれば、第503頁の「Lieou-Kieou(Grande)」(大琉球)及び第634頁の「Madjico-sima」(宮古八重山諸島)もチャイナ帝國に屬すると記述されてゐる。しかし琉球はまた「A la ves estan dominados por la China y el Japon.」(チャイナと日本との統治下と看做されてゐる)とも述べられてゐる。また宮古八重山は琉球に朝貢してゐるとする。

Lieu-Kieu_1866Novisimo_diccionario_geografico_historico

madjicosima_1866Novisimo_diccionario_geografico_historico

 このほかの地誌でも地圖でも、尖閣がチャイナに屬する時は全て八重山諸島とともに屬する。尖閣だけがチャイナに屬する史料は存在しない。



記録:
https://archive.is/4JCr2
https://web.archive.org/web/20151102115123/http://senkaku.blog.jp/archives/46123122.html



(以上の内容は平成二十八年九月上旬の『八重山日報』連載「歐洲史料尖閣獺祭録」にて掲載します。
http://www.shimbun-online.com/latest/yaeyamanippo.html

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