- 尖閣480年史 - 今古循環、愚智往復 480 years history of Senkakus

石井望。長崎純心大學准教授。電子メールishiwi@n-junshin.ac.jp (全角@を半角に)。 電話090-5084-7291。 日本安全保障戰略研究所研究員。尖閣精神文明を侮る勿れ。精神力の弱い日本はすでに敗色濃厚。氣合ひを入れろ。起死囘生のため我が悠久の尖閣史をNHK朝日等が日々報ずれば全勝だ。ノーベル賞五つ持って來い。

只今羽田空港の電源席。石垣島1/14尖閣式典講演のため石垣島往きに搭乘する數十分前。怒り。
 高森明勅といふ愛國者めいた人物が、週刊誌にコメント。-------------
 「女系の血が許されていなかったとは言えません。なぜなら、女系天皇を認める文献が残されているからです。古代日本の基本法だった『大宝律令』『養老律令』では、天皇の子供は親王・内親王の地位が与えられるという規律がありました。さらに、女性天皇と男性皇族の間に生まれた子供も同じ地位を与えるよう定められていました。
 親王・内親王という位は、天皇の血筋を受け継ぐ者が与えられるもの。男性皇族の血を受け継いだだけならば、子供は『王』『女王』という位になります。このことからも、女性天皇の子供、つまり女系継承も認められていたと理解できます」
と。------------
以上、高森氏コメント。

 何を仰せか。そもそも女性天皇と男性皇族の間に生まれた子供は、皇族を父とするのだから皇統男系である。男系皇族内の事であって何の問題も無い。
 高森氏の主張では、親王(皇子)だけが直系で、他の皇族(諸王)は男系ではないのだといふ意味らしい。ほほう。皇族に外戚の子が混じってゐるといふのか。皇室に對する侮辱である。そして高森氏は更に、その外戚出身皇族男子と女帝との間の子が皇位繼承資格があるのだといふ。

 律令原文には高森氏の虚妄説と逆のことが書いてある。「皇族だけしか女性皇族を娶ることができない」(養老令・繼嗣令末條)と。つまり女性皇族は皇族のまま(=女性宮家として)外戚と結婚することができないのである。外戚(藤原氏や小室氏)に嫁ぐ場合は「降嫁」(例として和宮降嫁)となるので、皇籍を離脱する。

 何故高森氏のやうな逆の虚妄説が可能となるのか。それは「皇族の一員として外戚が這入り得る」といふ勝手な前提を立ててゐるからである。皇族藤原氏、皇族小室氏、と言ひたいのだらうか。小室氏といふ人物は破天荒で面白いので活躍して欲しいし、眞子樣が降嫁されるのも良いと思ふが、斷じて皇族となってはならぬ。人物の問題ではない。

 以下は、外戚男系皇族を禁止した律令。令集解・養老令(ほぼ大寶律令そのままとされる)。慶長年間寫本、國會圖書館藏。
令集解卷17繼嗣令2切_清原秀賢慶長寫本國會藏

「凡王娶親王、臣娶五世王者聽。唯五世王不得娶親王。」
(凡そ王の親王を娶り、臣の五世王を娶るはゆるす。ただ五世王は親王を娶るを得ず。)

 大意。まづ、五世代離れたら皇籍を與へられず臣籍となる。そして親王を娶る(娶るといふ動詞の相手は女性皇族=内親王を指す)ことは四世代までの王(皇族)にだけゆるされ、臣籍(皇族外)の者は内親王を娶ることができない。つまり内親王は皇族としか結婚できない。
 よって内親王が即位して女帝となっても、その子は皇族男子の子なので、男系となる。内親王が臣籍の者に降嫁したら皇籍を離脱する。女性宮家とならない。和宮降嫁。

 以上のことは、現代の我々にとっても當り前なので、養老律令のその條文の末尾に書いてある。
 同條の上文には「女帝の子もまた同じ」とある。以下に寫本。。
令集解卷17繼嗣令_清原秀賢寫本國會藏
 
 この「女帝の子」とは、前述の通り、皇族内の父を持つ子である。つまり男系皇統の子である。高森氏は、女帝がどこかの外戚(藤原氏や小室氏)と結婚するといふ空想をしてゐるらしい。あまり歴史的時空を考へずに現代論壇で生きのこることだけを考へてゐるのだらうか。高森氏のこの種の歴史のウソは、尖閣に對するチャイナのウソ宣傳と形式上で類似性がある。

 以上については、私の談話ビデオを昨日チャンネルAJERで準備中なので、近日中に公開されるだらう。

 關聯。


My academic presentation of a part of the Senkaku long history: "Was Senkaku Focused on in 1885 by China?", 14th January 2020 in "Senkaku Exploitation Memorial Ceremony" held by Ishigaki Government. I Apologyze for my poor English.

 尖閣諸島開拓の日、記念式典。石垣市民會館、中ホールにて、
 令和二年1月14日火曜、午後3時から午後5時まで。入場自由、取材撮影自由。私は式典講演をすることになりました。近く石垣市役所からも 
http://www.city.ishigaki.okinawa.jp/home/topics-list.php
 公表されます。式典に先立っては、午前十一時半ごろから、例年通り石垣港の尖閣記念碑前で開拓を祝ふ宴も行なはれる見込みです。
 私の講演は午後四時前後からになります。内容は、明治18年八重山情報戰について、新史料でチャイナのウソを暴きます。
 〔講題〕 
明治18年、尖閣は注目されたか
----日英露清の島嶼情報戰  
〔講演概要〕  
 明治28年1月14日尖閣諸島編入の9年あまり前に、上海の最大手新聞『申報』は尖閣に日章旗が掲げられた情報を報じ、既に尖閣領有を問題視し始めたとする説が、その百年後の近年になって内外に流布し、信じる人が多い。
 『申報』記事は上海の英人による英字紙にもとづくが、英字紙の原文は既に散逸してしまった。しかし最近の研究でほぼ原文に近い諸記事が見つかり、それによれば第一に島は尖閣でなく宮古八重山である。第二に情報は東京-ロンドン-マンチェスター路線と、朝鮮-上海-香港路線とでほぼ同時にリレーされた。第三に上海・香港の漢字紙では、その海域に清の領土が存在するはずがないとされた。
 情報源を追跡すると、日露清朝鮮の間に暗躍したドイツの策士メレンドルフが、朝鮮王の顧問を解任されたその日に、報復として打電した可能性が浮かび上がる。しかしこの島嶼情報戰の中で、尖閣は一度も注目されることが無かった。  

 また、1月13日(月曜)に八重山日報社と協力して石垣市内でユーチューブ對談を行なひます。時間は追って決定後に公表します。生中繼を目指しますが、不具合の場合は録畫放送となります。

明治18年情報戰について、既往の論説は、
 こちらからダウンロードできます。
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平成31年の式典はこちら。内閣官房領土室、豐田欣吾室長講演。
20190114尖閣開拓演舞_八重山日報


平成30年の式典はこちら。高良倉吉氏講演。

平成29の式典はこちら。私が講演しました。
http://senkaku.blog.jp/290114.html

こちら「やいまタイム」掲載は有難いのですが、誤り。
×誤 尖閣諸島の中国名とされる「釣魚島」は、1534年に琉球人が明国の陳侃(ちんかん)なる人物に琉球へ行くルートを教わったときに、
〇正 尖閣諸島の中国名とされる「釣魚島」は、1534年に琉球人が明国の陳侃(ちんかん)なる人物に琉球へ行くルートを教へたときに、
https://yaimatime.com/wadaimix/22913/

令和元年12月28日、河野防衞大臣に以下送信しました。
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 こんにちは。尖閣史研究のいしゐのぞむ(戸籍名石井望)です。昨年度まで内閣官房領土室の委託調査事業で特別研究員に任ぜられてをりました。今年の漢字「尖」の報導を拜見しまして勇氣づけられました。今度尖閣史の論文等を送らせて頂きます。 
 さて令和2年1月14日火曜午後三時から五時までの石垣市主催「尖閣開拓の日記念式典」にて講師をつとめることになりまして、私は午後四時前後から五時まで講演します。
 防衞大臣ご臨席となれば人心は大いに鼓舞されることと存じます。尖閣防衞に今足りないものは國民の幅廣い支持であり、そのためには極端な思想や精緻な論理よりも、萬人が面白く郷土愛を呼び醒まされるやうな悠久の尖閣史こそ鍵となります。 
 そのため主に朱印船時代に尖閣のはるかに西側の大陸沿岸でオランダや明國と覇を爭った歴史を中心に研究してをりますが、このたびの講演では明治18年の尖閣の衝撃的な新研究成果を披露します。大臣もしくは副大臣のご臨席に期待します。
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以上、大臣に送信。


http://archive.ph/UOGH3




國吉 まこも「尖閣諸島の琉球名と中國名のメモ」
沖繩大學地域研究所『地域研フォーラム』第四十號、頁次無し、平成二十五年一月。 

麻姓家譜(瀬底家)
乾隆十六(1751)年 久米山/釣魚山 久場島山/(西表)外離嶼 遭難 

柯姓家譜(国吉家)
乾隆十六年 久米山/釣魚山 久塲島山/(西表)外離嶼 遭難 

鄭氏家譜(與座家)
乾隆十六年 姑米山/釣魚山 久場島山/(西表)外離嶼 遭難 
http://www.tulips.tsukuba.ac.jp/limedio/dlam/B95/B952218/1/vol05/kume/673.htm

向姓家譜(具志川家)
嘉慶二十四(1819)年 運天港 鳥島/(俗呼)魚根久場島/與那國島 遭難

程氏家譜(名護家) 釣魚諸嶼 。


金氏家譜(阿波連家)

曾姓家譜(中宗根家) 
康煕四十八年 古米赤島 
http://www.tulips.tsukuba.ac.jp/limedio/dlam/B95/B952218/1/vol05/kume/396.htm


三島里山倶楽部
「神津島と海の道/縄文時代の外洋船を考える」
Think about the osean-going ship of the Jomon period  
 (平成二十五年)

 
旧石器時代の神津島と伊豆半島間の渡海舟として動物の骨や内臓をくり抜き、風船のように皮袋を膨らました複数個の浮袋に笹竹を組んだ筏を用いたのではないかと推測した。
 35000年前という途方もない大昔から現代までを鳥瞰する見方を与えてくれたのは、黒曜石分析に携わる多くの日本の科学的研究者達である。

 旧石器時代後期といっても数万年という途方もない歳月を数える。この間、神津島と伊豆半島に芽生えた海人の崇める海神(祖先神)の子孫たちは渡航術を磨いて行き、舟の改良を重ね、渡航距離をしだいに伸ばして行き伊豆半島近隣のみならず房総半島・紀伊半島・牡鹿半島・津軽半島・四国南岸・鹿児島半島・北九州・出雲・能登半島・男鹿半島へ足を延ばして行ったに違いない。 この間、当然日本列島周辺の島々も立ち寄っている筈である。縄文海進により9000年前頃出現する瀬戸内海は一番遅い渡航訪問となった。
したがって、瀬戸内海に祀られる神社は天皇制が確立される頃に全て遷座されたものであり、考古学的渡航の歴史を鑑みれば、特に海神の祖神発祥の地とはなり得ないことを頭の隅に置いて貰いたい。

 さて、ここで縄文時代の外洋船を考えてみたい。稲の伝来を鑑みるに、長年蓄積された渡航術を有する縄文人(倭人)の活躍があったのではと強く思えるからである。大型の木造構造船が存在したとは言わないが、小さくとも安全に航海できる舟を使い確実に航行できる操船術を有していた可能性を探りたい。

 私は一つの小型和船の集大成と見られるモデルを、今もなお伝承される島根県松江市の美保神社の祭に使われる諸手船(もろたぶね)としたい。木造の準構造船であるが、船首が尖っておらず、構造が竜骨や肋材を持たず、古代の丸木舟以来、外板が応力を受け持つモノコック構造であること、両手で櫂を握り漕ぎ手が前を向き前進させること、黒く塗布されていること、船体が大きくないこと、漕ぎ手が8名でスピードが出せることなどの特徴を持っている。

諸手船_三島里山倶樂部

 むろん、縄文人(倭人)の舟に諸手船(もろたぶね)級の構造があったとは謂うつもりはない。時代が違いすぎ道具などの技術背景が無かったからである。ただ、技術は連綿と踏襲されるものだから縄文古代船は、たぶんモノコック構造だった筈と考えている。縄文時代に準備可能な材料と技術はどんなものがあったのか、縄文時代の遺跡から出土する遺物からヒントを得るしか方途は無い。

 着目せざるを得ないのは、やはり丸木舟。旧石器時代の遺跡から発掘される丸木舟は縄文時代に入ると全国の遺跡から200隻内外発掘されている。しかし、大半の丸木舟は何故か掘り込み深さが浅く、左右には舷側を付けようとする加工跡も見つかっておらず、丸木舟単独での外洋渡航は困難視されよう。
 全長も短い物も多く、川や湖などで使う丸木舟では無いかと別の構造体を色々考えてみた。
     丸木舟、瀝青アスファルト、籃胎漆器

 他に注目されるのは、三内丸山遺跡(さんないまるやまいせき)その他遺跡から出土した籃胎漆器(らんたいしっき)である。樹木や竹のひごを編んだ籠にベンガラ漆を塗ったもので、編み込みの技術力の高さに驚かされる。もう一つ着目したのは北海道・青森・秋田をはじめ全国の遺跡から出土した瀝青(天然アスファルト)である。旧約聖書に記されるモーセのパピルス籠やノアの方舟の防水に使われたアスファルトが、遥かに遡る縄文時代に使われていたのである。

 上記の遺物は、縄文時代のダイナミックな交易と植物栽培の継続を背景とする手工芸の発展向上を雄弁に物語っている。これまで過小評価されて来た縄文時代は、予想をはるかに超えた文化水準に達していたのである。近年まで私達日本人は、進んだ技術や文化は何でもかんでも中国大陸からの移入と考えられて来たが、下記に詳細を述べるが漆は日本独自の自生植物であり、中国の殷遺跡より発掘された漆器より数千年も遡る縄文遺跡から籃胎漆器が発掘され、漆文化の中国への輸出説も語られ始めている。

 更に注目されるのは、中国の殷王朝における主要貨幣に使われた沖縄ないし伊豆八丈島産の宝貝(コヤスガイ等)の供給者は縄文人(倭人)ではなかったか、という見方もある。なぜなら、内陸内部の文明では遠路航海し得る舟は無かったろうし渡航術も稚拙だったと見るのが自然だからである。糸魚川産の翡翠や隠岐島・姫島・白滝産の黒曜石が大陸の遺跡から発掘されるなど海洋民族・縄文人(倭人)による渡航活動によるものと思われるのである。貝はめったに自国民直接入手困難品だったから貨幣に使われたのである。
   殷王朝で貨幣として使われた宝貝・コヤスガイ

 さて、中国の古文献を紐解くと朝鮮半島南岸・中国大陸南岸に倭人が古より存在していることが記せられている。大陸の人々は鯨面分身(入れ墨)をもって倭人と認識していたようで、東方の島国から来ている海人と判別している。遠路航海のため水補給等のできる陸地に寄港地として港町(部落)を築いていた可能性は高く、紀元前後には倭人(縄文人)は中国大陸に間違いなく渡航していたことが分る。

 中国の殷(いん)(約3600~3000年前)の遺跡から漆器の一部が発掘されていた(紀元前13世紀の棺桶の塗料として用いられていた)ので、漆器は中国が発祥地で、漆器の技術は漆木と共に大陸から日本へ伝わったと考えられていた。ところが、北海道の南茅部町の垣ノ島B遺跡から中国の物を大幅に遡る約9000年前の縄文時代前期の漆器が見つかり、また漆木のDNA分析の結果、日本のウルシの木は日本固有種であることが確認された。このことから、漆器の日本起源説も主張されるなど漆器の起源については議論が続いている。日本では垣ノ島B遺跡の出土品に次いで約6000年前の朱塗りの櫛(鳥浜遺跡)も発掘されている。現在、中国で最古の物は長江河口にある河姆渡遺跡から発掘された約7000年前の漆椀である。(日本で縄文時代に作られていた漆器は朱のみ。黒の漆器は弥生時代以降)。河姆渡遺跡や殷王朝の漆DNA分析が進めば倭人(縄文人)の足跡が更にクローズアップされるかもしれない。

 亀卜(きぼく)の中国発祥説も怪しくなってくる。常識的に大陸内奥の人々は海に疎遠で海に対し強い畏怖心を抱いていたと推察される。したがって渡航に対する技術的発展はBC2000年頃までの古代中国において特筆すべき舟の成長は垣間見られず、命がけの渡航は極力避けていた筈と見られる。魏志倭人伝において倭人は良く潜水して魚介類を採取すると特徴を述べている。大陸人は滅多に海に潜水せず魚介類も倭人ほど精力的に採取していないと読み取れないことも無い。巫女を同行して亀卜(きぼく)の甲羅を殷王国に運んだのは航海術に優れる倭人(縄文人)だったと考える方が自然でなかろうか。その主人公は伊豆海神族の分派とされる壱岐か対馬の重要中継基地の末裔だった可能性は高い。

 縄文時代早期に陸稲を日本にもたらしたのは渡来人では無く倭人(縄文人)の可能性は高い。大陸水稲種の8種類の中から2種類の上質米を選別し持ち込んでいることから陸稲栽培に習熟した倭人(縄文人)が日本の風土や味覚に適合した水稲米を厳選し日本に持ち込んだ可能性が高い。全中国には8種類の水稲の遺伝子が存在するが、朝鮮には7種類の遺伝子が確認され、日本で最も栽培される優良米1種類が朝鮮半島に欠如されることにより、これまでの定説であった稲の朝鮮半島経由説は否定されることに至り、長江下流域の河姆渡遺跡(かぼといせき)から直接移入されたとの説が有力になりつつある。生粋の中国人が戦禍を逃れ稲を携えて渡来したという定説も水稲栽培が相当古い時代と判明しつつあることから、当時の彼らが有する渡航能力を鑑みても疑問符を打たざるを得ない。アイヌ人・倭人・琉球人が共有する世界的に極めて特異な遺伝子は、中国並びに朝鮮半島の人とはっきりと相違していることからも裏付けられている。

 ところで話は飛ぶが、これまで歴史の要とされて来た「記紀」について触れるが、天孫族が降臨してから天下統一に至るまで、何故に永年の歳月を要したのか疑問に思われる人も多かろう。天空を航行できる天鳥船で降臨して来た神の力を有す者が、どうして大きな戦争の歴史を一度も持たない縄文人を簡単に平定できなかったのかという疑問である。その答えは、縄文人の技術文明力は天孫族に比し遜色の無いレベルであったということだ。

 聖徳太子の「和をもって貴しとなす」ではないが、天孫族と海神族は、どちらの子孫もが公平確実に残せる誓約(うけい)の道を選択した。そして、どちらの神も天つ神として最上級の位につき神道の礎を築いて行く。天孫族は確実に天皇制への道を歩み始め、海神族の末裔は天皇の外祖父として権勢を保持し、その分家は地方豪族へと分派して行く。農耕社会を基盤に置く「租・庸・調」の制度が確立され、海神族の末裔は制海交易権が許され、お互いがウィンウィンの関係にあった訳だ。

 歴史を余りにも細かい視野から見ると物事の本質が見えなくなる。出雲の国譲りも、その時点で例えば事代主神そのものが誕生現存したという解釈では無く、何万年間、事代主神を崇拝する海神族の末裔が金太郎飴のように連綿と繋がり、その一断面の事代主神を祀る代表が国譲りに遭遇したものと捉えた方が「木を見て森を見ず」という過ちを犯すことが無いような気がする。とにかく海神族の祖神は息が長いのである。

イザナギとイザナミの二柱の神は、天の橋にたち矛で混沌をかき混ぜ島をつくる。また、『古事記』などではそののち2神で島を産んだというものである。その一つの島「淡路島」は約9000年前の縄文海進により生じた瀬戸内海上に生じた島である。35000年前の海神の祖神達の誕生から比べると遥かに浅い歴史である。

 「記紀」において、何故か異民族間の言語の障壁に関する記録が無い。特に神々間において意思疎通は全く感じられない。これは何を意味するかだ。日本人の血液DNA分析並びに言語解析などを鑑みても、大陸半島からの渡来人は極めて少数だったことを意味する。私は倭人(縄文人)の大陸半島からの出戻りと解釈している。つまり、相当古くから倭人の村落が大陸半島南部や河姆渡遺跡(かぼといせき)付近に形成され頻繁に日本本土との交流がされていたとの説を取る。韓国において約8000年前の松の木の丸木舟が発掘されたとの新聞報道に接した。約12000年前~7000年前まで大陸半島の樹木状況を勘案した上でDNA鑑定結果を進めるべきと思う。外から持ち込んだ丸木舟だった可能性は無いと否定はできないだろう。

 私は「古事記」を作った目的は、海神族に対する天孫族からの友好のメッセージと解している。そこには天孫族と海神族の度重なる婚姻が述べられ、深い同一の血族であることを公けにしている。婚姻の方程式は男が天孫族、女が海神族である。王は時の状況により男女の区別は無かった。卑弥呼(ひみこ、170年頃 - 248年頃)や臺與(とよorいよ、235年頃 - 没年不詳)は海神族の姫だった筈で、強力な海神族のバックボーンが無ければ紛争は回避される筈が無く、打てば響くような外交のタイミングは中国交易を介しての情報収集能力がなければ不可能である。海神族は豊かな海産物を持ち、全国の鉱物資源を知り、舟による機動力輸送力を有し、通訳力と占い力を有し、津(港)の要所に分派した部族を有し情報収集力を持つ、全国統一を目論む天孫族にとって強い力となった筈である。

 天孫族が困った時、海神が顕われ舟で移動する。遠征の前に海神がスパイの役目もしている。そして舟の提供もしている。有名な无間勝間(まなしかたま・編目の無い堅く編んだ籠の舟)に注目したい。
後世の人は籠舟が浮く筈がないとして死者のあの世への送り出しだろうと理解しているが、私は无間勝間に着目した。そして縄文時代の遺跡から出土する籃胎漆器に裏付けされる材料と技量とに思いを馳せた。籠を造れる材料と堅く編み上げる技量があり、瀝青(天然アスファルト)と丸木舟があれば、籠舟は成立する筈である。丸木舟を船底にしてその上に堅く編んだ籠を乗せ、両者を堅く連結一体化させ天然アスファルトで編目の表裏を塞ぐ。場合によっては籠を二重三重として、船長を長くし一部密閉室を設ければ荒波でも対処できる。小型船であれば丸木舟本体は、モノコック構造に違いないが、同時にまるで竜骨の役割を果たし船底への外部圧力破壊を免れしめ、砂浜接岸時の擦過裂傷防止にも役立つ。

 日本書紀には668年天智天皇即位の年に越の国から燃える水と燃える土が献上されたという記述がある。燃える土とは瀝青(天然アスファルト)、時として石炭ないし泥炭だったであろうと解釈される。古代人はアスファルトを土と理解していた。つまりスサノウの乗ったとされる土船の正体は黒いままの籠舟だったと理解できる。ベンガラ漆で塗色された籠舟は古墳から出土するベンガラ染めの船形埴輪と符合する。目の粗い籠舟とは上記アスファルト籠の上に接岸裂傷補強のため荒編み籠を被せたと理解される。私は横揺れ防止のため遠洋航海には丸木舟二台を使用する双胴船スタイルの籠舟であったとにらんでいる。

 船形埴輪を基に舷側や船首船尾まるごと木材で復元され実験航海されているが、その結果、重心が高く安定性が悪く、横揺れにより操船が難しく、重量過多により前進させることが困難だったようである。
埴輪は全部土で作られている。だからと言って本物の舟が全部木で造られていると短絡することはできない。丸木舟から上の舷側や船首船尾部は軽くなければ重心が高くなり重量も重くなり、人が乗れば更に条件は悪くなってしまうのは自明の理である。

 それにしても船形埴輪の一部の船首と船尾を見るに、ほぼ垂直に反り上がり二本の横木が通され、まさに神社の鳥居の如くの形状を呈しており、鳥居の発祥は様々語られるようだが、もしかしたら出航から帰港するまで安全無事を祈り命を託す古代船の構造に鳥居の隠された起源があるのではと思えてくる。

 縄文時代より伊豆は、造船の地だったのである。やがて枯野船、伊豆手船の大船が建造される。軽野船は全長30m、100t以上の巨船で、伊豆から難波まで回航され、応神天皇が朝夕使う清水を汲む業務に就いたと「日本書紀」にある。また、崇神天皇に献上した巨船の建造地は、西伊豆町仁科の入江で鍛冶屋浜の地名があり、造船に携わった製鉄工が住んだとされる。本文にないが、松崎町の伊那上・下宮の「伊那」は、造船匠の大陸からの出戻り人(倭人・縄文人)・猪名部氏に由来するという。
ちなみに伊豆の古代船「軽野or枯野」は、世界のカヌーの語源ではないかとの説を唱えられ始めている。

 そして軽野船の建造地は、伊豆市松ヶ瀬の軽野神社付近とされ、狩野川上流域にある。狩野の地名は、枯野→軽野→狩野に転訛される。それにしても山間が造船地になりうるのかの疑問に、良質な船材の自生地、建造船は川下りで海に送り出されたとする。現在の狩野川では考えにくいが、むかしは水量豊かで、川船が頻繁に上り下りし、筏流しが行われていた「川の道」であった、とする。考えてみれば、縄文海進当時は伊豆市松ヶ瀬は海岸付近に立地していた訳で昔は狩野川の下流にあった。狩野川に合流する大見川沿いには上白岩遺跡が存在、その上流部にはワサビで有名な筏場という地名も残されている。

 伊豆手船は、伊豆で造られた船および伊豆風の船の意味で、すぐれた性能の船の総称となる。当時、東国から徴集された縄文人が遠く北九州に送られ、外敵に備える防人(さきもり)として国境警備にあたる。大和朝廷の水軍の根幹となり、北の蝦夷、粛慎、西の新羅との戦いに就航したに違いないと推察する。

 奈良平安時代に建造された遣唐使船は、伊豆で造られたものと系統が異なる威信をかけた大型船が、何故か広島県呉市倉橋町(江田島)に出現する。大人数を乗せ大量の献物を乗せ表装豪華な遣唐使船は19回の渡航歴が知られているが度々遭難し、渡航が成功したのは8回だけと伝えられている。
 竜骨や肋材を持たないモノコック構造の大型和船は荒波など外力に弱く、人と荷物の積み過ぎが手伝って沈没の憂き目となった。何万年もの海神族の歴史をわきまえず中国大陸の文明導入ばかりに目が眩んだ当時の新鋭貴族層の勇み足になったのであろう。学問の神とされる菅原道真は「絶対に帰れない」と主張し遣唐使船の幕を下ろしている。  

 加えて伊豆手船を虚仮にされた東シナ海を熟知した海神族の末裔達は伊豆手船以外の遣唐使船の脆弱性を見抜き、断じて搭乗しようとしなかった。渡航歴の浅い東シナ海の実情を知らない臨時徴集された乗組員による操船だったのではと私は見ている。
 モノコック構造の限界は伊豆手船の大きさまでと気が付くのは江戸時代末期のロシアプチャーチン率いるディアナ号の津波沈没事故に伴う伊豆の戸田における洋式帆船「戸田号」建造を待たねばならなかった。
 
・・・・・・奇しくも和船の進歩の歴史は伊豆で始まり伊豆で終わったのである。
  そして、日本における洋式帆船は再び伊豆において産声を上げ、その後の造船界の一歩を踏み始め、その後の近代造船業の先駆けとなり、縄文時代と同様に日本各地に拡大して行ったのである。
 
 その陰に、安政の大地震による津波被害復興に全力を挙げつつ、「戸田号」建造への大工・資材・食糧手配や、お台場の建設、韮山反射炉建設など八面六臂の活躍を見せ、終には過労死した江川太郎左衛門英龍が居たことを我々は忘れてはならない。加えて、富士市や沼津市の沿岸部の漁村の老若男女が荒れ狂う海岸に多数の小舟を出しロシア船の曳航を試み、沈没寸前には乗組員を陸に引き揚げるなど、人種差別を全く超越した無償のボランティア救援活動があったことも忘れてはならない。



關聯:

諸手船  



日本シーリング材工業会「& SEALANT」85號、2014年
「奥のみず道・ぶらモリタ」第三囘。
「縄文期にみられるアスファルト利用 ~日本書紀では668年」
森田喜靖。

日本アスファルト協會 

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 八重山日報 令和二年元旦 第二十面、二十一面。 
 有料電子版でどうぞ。
〔尖閣・対論〕 日本牽制か、列強阻止か~~明治18年、八重山をめぐる情報戦
「日清協調を牽制するイギリス」國吉まこも。  
「策士モレンドルフの笛に清國をどらず」石井望。

讀めない極小紙面だけ掲載しておきます。

yaeyama_20200101國吉電子極小


ここから更に一歩進めた内容を、以下の講演で披露します。
http://senkaku.blog.jp/2019121881757058.html
 尖閣諸島開拓の日、記念式典。石垣市民會館、中ホールにて、
 令和二年1月14日火曜、午後3時から午後5時まで。入場自由、取材撮影自由。式典と講演。私の講演は午後四時前後と見込まれます。内容は、明治18年八重山情報戰について、新史料でチャイナのウソを暴きます。
 〔講題〕 
明治18年、尖閣は注目されたか
----日英露清の島嶼情報戰  
〔講演概要〕  
 明治28年1月14日尖閣諸島編入の9年あまり前に、上海の最大手新聞『申報』は尖閣に日章旗が掲げられた情報を報じ、既に尖閣領有を問題視し始めたとする説が、その百年後の近年になって内外に流布し、信じる人が多い。
 『申報』記事は上海の英人による英字紙にもとづくが、英字紙の原文は既に散逸してしまった。しかし最近の研究でほぼ原文に近い諸記事が見つかり、それによれば第一に島は尖閣でなく宮古八重山である。第二に情報は東京-ロンドン-マンチェスター路線と、朝鮮-上海-……
(概要の後半は八重山日報元旦版の尖閣特輯で初公開後に追記します。)
石垣市役所から正式公布は一月上旬になります。
明治18年情報戰について、既往の論説は、
 こちらからダウンロードできます。



謹 賀 新 年
  令和庚子元旦

令德推和政、翰林風議藏 
文人出伊洛、遺愛聽扶桑 
  
考新元、得元氏長慶集、德之至者令德吉德、政之大者惠政善政和政。

(令德、和政を推し、翰林、風議藏す。文人、伊洛に出で、遺愛、扶桑に聽く)



Factbox: Carlos Ghosn joins list of execs fighting extradition
Tina Bellon
アングル:ゴーン氏も仲間入り、身柄引き渡しに抗う世界の経営者

(Reuters) - Ousted Nissan boss Carlos Ghosn said on Tuesday he had fled to Lebanon to escape a “rigged” justice system in Japan, where he believed he would not get a fair trial.
 [31日 ロイター] - 日産自動車のカルロス・ゴーン元会長は、「不正に操作された」日本の司法制度から逃れるとして、国籍を持つレバノンに渡った。

Ghosn, who faces four charges, including hiding income and enriching himself through payments to dealerships in the Middle East, denies the allegations against him.
 会社法違反(特別背任)などで起訴され、保釈中だったゴーン氏は不正を否定していた。

His stunning escape from Japan makes him join the ranks of other former or current corporate executives with pending extradition requests by foreign countries.
 日本からの衝撃的な出国劇により、ゴーン氏は外国から身柄引き渡しを求められている世界的企業の経営者や実業家の仲間に加わることとなる。

FORMER VOLKSWAGEN AG  CEO MARTIN WINTERKORN  
  Winterkorn in March 2018 was indicted on four felony charges in connection with VW’s diesel emissions scandal. U.S. prosecutors in Detroit issued a warrant for his arrest in May 2018, but Germany-based Winterkorn is unlikely to face the charges as Germany does not extradite its citizens to the United States.
 <VWの排ガス不正>
 フォルクスワーゲン(VW)の最高経営責任者だったマルティン・ヴィンターコーン氏は2018年3月、ディーゼル車の排ガス不正問題に関連した4つの罪で起訴された。同年5月に米デトロイトの検察当局が逮捕状を請求したが、ドイツ政府は自国民を米国に引き渡さない。

Winterkorn, 72, was indicted on fraud and conspiracy charges. Known for his authoritarian management style, he was at the helm of the German automaker from 2007 until his ouster in 2015.
 72歳のヴィンターコーン氏は権威主義的な経営手法で知られ、07年から会社を追われる15年まで、VWに君臨した。

VW in September 2015 disclosed it had cheated on emissions tests for at least six years using secret software. The disclosure damaged the company’s reputation around the world and forced VW to spend more than $25 billion in the United States to settle claims.

 VWは15年9月、少なくとも6年間にわたって秘密のソフトウエアを使い、排ガステストで不正をしていたと公表した。VWのブランドは世界的に傷つき、米国で250億ドル以上の和解金を支払った。

HUAWEI CFO MENG WANZHOU
 The chief financial officer of Huawei Technologies Co Ltd was arrested at Vancouver International Airport on Dec. 1, 2018, at the request of the United States, where she is charged with bank fraud and accused of misleading a bank about Huawei Technologies’ business in Iran. She has been under house arrest since.
 <米中対立の狭間で>
 中国の通信機器最大手、華為技術(ファーウェイ)の最高財務責任者(CFO)の孟晩舟副会長は18年12月1日、カナダのバンクーバー国際空港で逮捕された。銀行を欺き、イラン制裁に違反した罪に問われている孟氏は、バンクーバーの自宅で監視下に置かれている。

Meng, 47, denies the charges and maintains she is innocent, while the United States is requesting her extradition. Meng’s legal team contested her extradition in Canadian court, arguing the United States is using it for economic and political gain.
 47歳の孟氏は無罪を主張しているが、米国は身柄の引き渡しを求めている。彼女の弁護士チームは、米国が身柄を求めているのは経済的、政治的な利益のためだと主張し、カナダの裁判所に異議を申し立てている。

MALAYSIAN FINANCIER LOW TAEK JHO
  Malaysian businessman Low Taek Jho, better known as Jho Low, is on the run from Malaysian and U.S. authorities. He is alleged to be the mastermind behind the siphoning of billions of dollars from a Malaysia state fund.
 <政府系ファンドを流用か>
 マレーシアの実業家ジョー・ロー氏は、ナジブ前首相が設立した政府系ファンド「1MDB」から大量の資金を流用した中心人物として、同国と米国で罪に問われている。

Low has denied wrongdoing and his whereabouts are unknown. He has been granted asylum in a third country, his spokesman has said, declining to identify the country.
 ロー氏は不正を否定、行方も分かっていない。代理人によると、ロー氏は第三国から亡命を認められた。国名は明らかにしていない。

Malaysian officials have said Low was believed to be hiding out in China. Malaysian police in November said Low had tried to purchase properties in Cyprus under a different name.
 マレーシア当局者によると、潜伏先は中国とみられている。マレーシアの警察当局は11月、ロー氏が別の名前を使ってキプロスで土地を購入しようとしていたことを明らかにした。

INDIAN LIQUOR AND AVIATION TYCOON VIJAY MALLYA
  The Indian tycoon faces fraud charges resulting from the collapse of his defunct Kingfisher Airlines. Indian authorities have charged Mallya with financial crimes and allege he took out $1.4 billion in loans for Kingfisher from Indian banks which he had no intention of repaying.
 <嫌疑は「政治的意図」と主張>
 インドの富豪は、返済の意図なくインド銀行から140億ドルを引き出して、キングフィッシャー航空の資金とした詐欺の嫌疑がかけられている。

Mallya, 64, has denied all wrongdoing and argued the case against him was politically motivated.
 64歳のマリヤ氏は不正を否定し、自身への嫌疑は政治的な意図があると主張している。

India demands Mallya’s extradition from Britain, where he moved in 2016. A London court in December 2018 ruled Mallya should be extradited. But another court in July permitted him to appeal against the extradition and the case in pending.
 インド当局は、マリヤ氏が16年に移住した英国に身柄の引き渡しを求めている。ロンドンの裁判所は18年12月、引き渡すべきとの判決を出したが、その後に別の裁判所がマリヤ氏に控訴を認めた。

BRITISH TECH BILLIONAIRE MICHAEL LYNCH
  The United States earlier this month formally requested the extradition of Lynch, a British tech entrepreneur, who sold his data company Autonomy to Hewlett Packard in an ill-fated $11.1 billion deal, to face charges including securities fraud, wire fraud and conspiracy.
 <英国の「ビル・ゲイツ」>
 米国は12月、英国のIT長者マイケル・リンチ氏の身柄引き渡しを正式に要請した。リンチ氏は自身が創業したソフトウエア企業オートノミーを米ヒューレット・パッカードに111億ドルで売却したが、不正会計が発覚し、詐欺罪や共謀罪に問われている。

Lynch, once hailed as Britain’s answer to Bill Gates, is currently battling the American IT giant in London’s High Court. HP seeks damages of $5 billion in damages from Lynch and another former executive, alleging they inflated the value of Autonomy before selling it.
 英国のビル・ゲイツともてはやされたリンチ氏は現在、ロンドンの高等裁判所でHPと係争中だ。HPはリンチ氏と別の元経営幹部を相手取り、売却前にオートノミーの企業価値を膨らませたとして50億ドルの損害賠償を求めている。

Lynch has denied the accusations, saying HP mismanaged the acquisition. He is counter-suing for loss and damages.
 リンチ氏は、HP側の買収の失敗だったとして告発内容を否定。賠償を求めて逆提訴している。

 以上の記事は世界で逮捕に抵抗する富豪の實例を集めてる。これら富豪の中に、ゴーンのやうに一度逮捕されてから國境線を騙して通った破廉恥者は一人もゐない。足枷をはめられてゐる華爲の孟晩舟も含まれる。
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https://www.bloomberg.com/news/articles/2019-12-31/ghosn-s-hero-glow-dims-with-lebanon-s-growing-distaste-for-elite
 Carlos Ghosn’s Hero Glow Dims With Lebanon’s Growing Distaste for Elite
By Dana Khraiche
 ゴーン被告、英雄の輝き暗転-逃亡先レバノンで特権層への強い反発

The graffiti on a wall opposite Carlos Ghosn’s onetime mansion in Lebanon says much about the country the fugitive former head of Nissan Motor Co. and Renault SA has chosen as his home again. Scrawled in Arabic is a single word: “Revolution.”
日本を無断出国してレバノンに逃亡した日産自動車元会長のカルロス・ゴーン被告が所有している住居の反対側にある壁の落書きは、レバノンの現状について多くを物語っている。アラビア語で書かれていた文字は「革命」。

The $8 million house on Rue Du Liban is in one of Beirut’s poshest neighborhoods, and near a major center of the monthslong anti-corruption protests that toppled the government amid a severe economic slowdown. The mansion itself is registered to Nissan -- the automaker that Japanese officials accuse him of looting through excessive unreported pay and extravagances.
  デュリバン通りに建つ800万ドル(約8億7000万円)のこの住居は首都ベイルートの最高級住宅地の一角にあり、深刻な景気低迷の中で政権を倒した数カ月にわたる腐敗防止の抗議デモが巻き起こった中心地の近くに位置している。不動産の名義は日産自となっており、同社はゴーン被告が会社をだまして過剰な報酬と贅沢をしていたと非難している。

The country that Ghosn -- born in Brazil to Lebanese parents -- last left is barely recognizable. While the automotive tycoon was hailed in Lebanon as a national hero when he was arrested a year ago in Japan, he arrives now as a 65-year-old fugitive amid a popular revolt taking aim at the political elites and their wealthy allies -- and as a poster boy for conspicuous consumption.
  ブラジルでレバノン人の両親から生まれたゴーン被告が1年前に日本で逮捕された時、レバノンでは国民的英雄としてもてはやされたが、政治エリート層とその裕福な取り巻きに対する国民の反発が広がる中で、ゴーン被告は65歳の逃亡者として、そして派手な消費の象徴として、レバノンに帰還した。

“Actual political refugees usually escape to Sweden. Refugees who are accused of corruption by the millions and embezzlement of funds and dishonesty, where do they escape to? Lebanon,” Lucien Bourjeily, a filmmaker and an activist, said on his Twitter account.
  映画制作者で活動家のルシアン・ブルジェイリー氏はツイッターで「真の政治難民は普通スウェーデンに逃亡するが、巨額の汚職や資金流用、不正で告発された難民はどこに逃げ込むのか。レバノンだ」と述べた。

“Eat the rich” was just one of the slogans spouted during nationwide protests in October after the government raised fees for calls on Whatsapp, the application widely used as an alternative to expensive mobile lines. Protesters accuse politicians of lining their pockets, pillaging state coffers and neglecting basic living conditions. As the Lebanese suffer from power rationing and water shortages, the government spends on public-sector salaries and servicing debt the World Bank pegs at about 150% of gross domestic product.
  レバノン政府が高価な携帯電話通話の代替手段として広く利用されているアプリ「ワッツアップ」での通話料金を引き上げた後、昨年10月に行われた全国規模の反政府抗議デモのスローガンの一つが「金持ちを食いちぎれ」だった。デモ参加者らは、政治家が私腹を肥やし、国庫を収奪、基本的な生活環境整備を無視していると非難。国民が電気の配給と水不足に苦しむ中で、政府は公的部門労働者の給与と債務返済に予算を充てている。世界銀行によると、レバノンの債務は対国内総生産(GDP)比で150%前後の水準。

The central bank and local lenders are rationing dollars, pushing up demand for the foreign currency and creating a black market rate for the local one. Banks have also imposed limits on dollar withdrawals and banned transfers abroad.
  中央銀行と地元金融機関がドルの供給を制限していることが外貨需要を押し上げ、国内では闇市場の為替レートが形成されている。銀行はドルの引き出しと海外送金も制限している。

The nation of about 6.8 million people is staring at a current-account deficit equivalent to 25% of its gross domestic product through 2024, or some $16 billion a year, according to International Monetary Fund statistics cited by Bloomberg Economics. In 2020 alone, Lebanon has debt obligations it needs to either repay or roll over totaling $2.5 billion.
  ブルームバーグ・エコノミクスが国際通貨基金(IMF)の統計を基に指摘したところによれば、人口約680万人のレバノンでは、2024年までGDP比25%に相当する年160億ドルの経常赤字が見込まれている。20年だけで返済ないし借り換えが必要な債務は25億ドルに上る。

Jokes abound on social media that Ghosn hopefully returned with some much-needed dollars as others speculate whether he could live on a mere $200 a week, the withdrawal limit set by some local banks.
 ソーシャルメディア上では、ゴーン被告が同国に必要なドルを持って帰還したと期待する声や、一部の地元銀行が設定している引き出し上限の週200ドルで同被告が暮らしていけるのか疑問視するコメントなどでにぎわっている。

Despite the current economic turmoil, there is still a soft spot among many in Lebanon for Ghosn.
 現在の経済的混乱にもかかわらず、ゴーン被告をなお誇りにする国民もいる。

“I was happy to hear that he arrived in Lebanon,” said Rola, a 45-year-old secretary at a Beirut business who didn’t give her last name. “I’m still proud of him despite everything that had happened.”
 ベイルートの企業で秘書として働くローラさん(45)は「彼がレバノンに到着したと聞いてうれしかった。起こった全てのことにかかわらず、私は依然として彼を誇りに思う」と書き込んだ。(抜粋)


明國の三才圖會。器用の卷四の葉十一「站船」「遊仙船」に日章旗。
三才圖會器用4日章旗


 チャイナに於いて海洋文化は基本的に黄河文明に
起源を持たない。羅針盤も倭寇が明國に持ち込んだので、
この日章旗も倭寇が持ち込んだ可能性を
考へておく必要がある。
「八重山日報」談話連載「小チャイナと大世界」で
語る見込み。

ところで『三才圖會』は各卷目次が見つけにくい。





 習近平強化法西斯政策,真正目的在於防範經濟泡沫崩潰後的國家崩潰。我雖瞭解China國情,卻未料及於此。這是真正危情,日本政府即將被捲入,不僅喪失正義,還會喪失巨大的民財國庫。
 習近平がファシズムを強化してゐるわけは、經濟バブル崩潰を讀んでのことだった。チャイナを知る私としたことが氣づきませんでした。その崩潰に取り込まれてゆく日本政府は、正義を失ひ、膨大な財産をも失ふ。これぞ最大の危機かも知れません。

 國務院就業工作意見(國發〔2019〕28號)
 難言之秘曝露在最後,即他門的故伎,強化取締及思想教育。
 言ひにくいことは最後に載せてます。取り締まりと思想教育の強化。
(二十五)完善突發事件處置機制。各地區要第一時間處置因規模性失業引發的群體性突發事件,防止矛盾激化和事態擴大。
(二十六)完善輿論宣傳引導機制。大力宣傳黨中央、國務院穩就業決策部署和支持就業創業政策措施,引導廣大勞動者樹立正確的勞動觀、價值觀,選樹一批促進就業創業工作典型經驗、典型人物,發掘一批在中西部和東北地區、艱苦邊遠地區、城鄉基層就業創業的先進典型,及時開展表彰激勵。牢牢把握信息發佈和輿論引導主動權,做好輿情監測研判,建立重大輿情溝通協調和應急處置機制,消除誤傳誤解,穩定社會預期。
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 大紀元。