- 尖閣480年史 - いしゐのぞむブログ

石井望。長崎純心大學准教授。笹川平和財團海洋政策研究所島嶼資料センター島嶼資料調査委員。日本安全保障戰略研究所研究員。沖繩平和協力センター受託尖閣資料調査事業特別研究員。 御聯絡は長崎純心大學(FAX 095-849-1894) もしくはJ-globalの上部の「この研究者にコンタクトする」  http://jglobal.jst.go.jp/detail.php?JGLOBAL_ID=200901032759673007 からお願ひします。 

My comment:
Hello! "entre los paralelos 42 en el norte y 15 en el sur"
excuse me, latitude 15 come from Gen(Yuan) empire, have been sureveyed in Vietnam, not in islands. please see:
http://www.storm.mg/article/144427
【風傳媒】 仲裁庭不反駁元國測緯之說,卻罵「中國的台灣當局」
(Chinese)

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Mapas y manipulaciones históricas
http://redchina.es/mapas-manipulaciones-historicas/
El gobierno chino basas sus reclamaciones en argumentos históricos. Diversos mapas muestran que la presencia china en la zona es innegable, según la historiografía oficial. Lo cual nos lleva a reflexionar sobre el papel que la historia tiene en la legitimación de las políticas territoriales de China.
Por David Martínez Robles -
18/07/2016
Máster Negocios Asia Oriental (UOC)

大明自十五度


Conocidas son las disputas que China mantiene con diversos países vecinos por el control de islas, islotes, arrecifes y rocas. El caso de las Senkaku (o Diaoyu en chino) es el más conocido, por las fricciones, palabras y acusaciones cruzadas que de manera cíclica genera entre Japón y China.

Estos días se habla del fallo del Tribunal de la Haya sobre las Spratly (Nansha qundao), un amplio conjunto de islas —o quizá simplemente rocas, que es lo que intenta determinar el Tribunal— situado entre Vietnam y las Filipinas. Muchas de ellas son sólo visibles durante la marea baja.

Hace algunos años, en 2013, el gobierno filipino de Benigno Aquino reclamó la intermediación de la Corte Permanente de Arbitraje con el objetivo de frenar la política de control que China pretende ejercer sobre la región. Diversos países reclaman la soberanía total o parcial de las Spratly junto a China y Filipinas, como Vietnam, Taiwán y Malasia, a pesar de representar un conjunto de islotes sin excesiva importancia por sus recursos —no está demostrada la existencia de gas o petróleo en su subsuelo—, más allá de la pesca, y con una irrisoria superficie total de menos de 5km2, aunque en los últimos años ésta va en aumento por la construcción artificial de extensiones de tierra, especialmente por parte de China. Sin embargo, su importancia geoestratégica es enorme, por las rutas comerciales que pasan por la región y las ventajas que puede representar controlarlas de modo restrictivo, de ahí el papel tan destacado que otorga el gobierno de Pekín a la cuestión.

El gobierno chino basas sus reclamaciones en argumentos históricos. Diversos mapas muestran que la presencia china en la zona es innegable, según la historiografía oficial. Lo cual nos lleva a reflexionar sobre el papel que la historia tiene en la legitimación de las políticas territoriales de China. El caso tibetano es suficientemente conocido. La versión oficial afirma que la región del Tíbet ha formado parte del mundo chino desde su origen, algo que cualquier análisis mínimamente riguroso muestra que es históricamente inconsistente. Con las islas del mar de China ocurre algo parecido. El gobierno afirma que China ha ejercido soberanía sobre las Spratly desde como mínimo la dinastía Ming, cuando comerciantes chinos se establecieron en la región, aunque para consolidar la legitimidad de las reclamaciones chinas se explica que muchos siglos antes, desde hace incluso dos mil años, han existido expediciones chinas hasta aquellos islotes.

Los mapas Ming supuestamente muestran esta realidad. Estos días un periódico taiwanés ha publicado estratégicamente una noticia sobre el famoso mapa Ricci, que este misionero jesuita elaboró junto a un geógrafo chino durante el periodo Ming Wanli (r. 1572-1620). El artículo se centra en una de las copias que se realizaron a finales del siglo XVI del monumental mapa, concretamente la que posee la Biblioteca de la Universidad de Minnesota. La particularidad de esta copia es que ha sido alterada. Una de las inscripciones del mapa, presente en el resto de copias que se conservan, indica que las posesiones de los Ming se extienden entre los paralelos 42 en el norte y 15 en el sur, lo cual desmentiría que en aquella época las Spratly, ubicadas más al sur del paralelo 15, fuesen ya consideradas parte del imperio Ming —si bien apoyaría las reclamaciones chinas sobre las islas Paracel, que se encuentran mucho más cerca de la costa china, al norte del paralelo 15. No obstante, en la copia del mapa que posee la Universidad de Minnesota, parte de esta inscripción, la que menciona los paralelos entre los cuales estaban los territorios Ming, ha desaparecido, y en su lugar se han dibujado unas líneas de oleaje similares a las que rodean el texto.

No se conoce en qué momento se manipuló este ejemplar del mapa, que ha pasado por diferentes manos en las últimas décadas antes de adquirirlo la universidad norteamericana en 2009. Todo parece indicar que los primeros mapas que incluyen las Spratly entre los territorios chinos son de la época republicana, y posteriormente los mapas publicados durante los primeros años de la República Popular hicieron suya la reclamación. En cualquier caso, la manipulación del mapa pone de manifiesto hasta qué punto la historia —en China y fuera de China— es objeto de manipulación, sea de un modo burdo y material, como en este caso, o de un modo más sutil y discursivo, como en la mayoría de ocasiones.

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 チャイナはいつも通り、勝者の談話を發表した。チャイナは正面から來ても勝てないと分かってゐるから、漁船で來る。問題は、安倍首相が實力防衞をしないことも分かってゐる。漁船を阻止できない。よって漁船の勝ちだ。
 重要な首腦會談の前に大量の漁船を繰り出すといふ方法はお決まりの通りだ。昔鄧小平がやって、一昨年は北京APECの前に小笠原でやった。今度も二十箇國首腦會議の直前だ。
 そして前の二度は日本が漁船に負けて讓歩した。今度も讓歩するだらう。チャイナから見れば、前の二度有効だったのだから、今度もまたやるのは當り前だ。
 日本は首腦會議の前で且つ五輪中でもあるから、強行排除できない。しかし今こそ絶好機だ。何故なら首腦會議の前で且つ五輪中に強行排除すれば、これほど日本の決意を世界に知らせる最善手も無いのだ。安倍首相の決斷次第だ。まあ決斷できないだらう。決斷するには尖閣の長い長い五百年史の正義を支へにせねばならないのだが、首相周邊は全くそれを意識してゐない。


http://www.jiji.com/jc/article?k=2016080600275
日本に「冷静な対応」要求=尖閣沖の公船・漁船航行で-中国
 【北京時事】沖縄県・尖閣諸島周辺に中国海警局の公船7隻と漁船約230隻が航行しているのが確認された問題で、中国外務省の華春瑩副報道局長は6日、談話を出し、「中国側は関係海域の事態を適切にコントロールする措置を取っている」と強調。その上で「日本が冷静に現在の事態に対応し、情勢の緊張と複雑化を招くいかなる行動も取らず、ともに海域の安定に建設的な努力を行う」よう求めた。
 公船とともに多数の漁船が尖閣周辺に集まるのは異例。中国の強引な海洋進出に批判を強める日本をけん制するとともに、領有権に関して既成事実を積み重ねる狙いがあるとみられる。
 華副局長は尖閣諸島について「中国固有の領土」であり、周辺海域を含め「争うことのできない主権を有する」と従来の主張を繰り返した。 
 中国当局はこれまでも、尖閣諸島沖の日本の排他的経済水域(EEZ)で、海警局の係員が中国漁船への立ち入りを実施。海上での取り締まりにより中国の主権や管轄権を主張している。(2016/08/06-22:35)
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下は二年前の小笠原海域。
小笠原漁船

 下は今度の尖閣らしい。インターネットより。
(その後、フェイスブック友達から合成寫眞とのご指摘を頂いた。)
僞裝漁船尖閣
(臉書網友指出此幅經人為裁剪。)

下はフェイスブック友達ご提供(下幅為臉書網友提供)。
合成漁船尖閣


平成二十八年四月十五日、島尻前大臣が數百の尖閣史料を發表。
リンク:「島尻内閣府特命担当大臣記者会見要旨 平成28年4月15日」 
http://www.cao.go.jp/minister/1510_a_shimajiri/kaiken/2016/0415kaiken.html

しかし各社記者からは尖閣以外の質問しか出なかったことが分かる。一方でチャイナからは、數百のうちただ一つ、私が沖繩對策本部の會合で公表した史料にだけ
http://senkaku.blog.jp/2016kobashima.html
http://senkaku.blog.jp/2016041958594788.html
http://senkaku.blog.jp/20160504jinmin-nippo.html
http://senkaku.blog.jp/2016051860159569.html
集中砲火を浴びせた。較べると日本の平和ボケぶりが良く分かる。
http://www.storm.mg/article/116887
http://www.peoplenews.tw/news/82b9f02b-ffbf-4d45-be2f-9477e1960344
これは私からの反駁。どうやら臺灣では史料について關心が高いが、日本ではほとんど史料に關心を持たないやうだ。歴史好きと自稱しながら、領土問題となると急に國際法の信徒となる日本人。淺はかだ。そんなことで尖閣を防衞できるのか。

島尻大臣


中華人民共和國「中國南海網」。
http://www.thesouthchinasea.org/docs.html
http://www.china-nanhai.org/docs.html
http://web.archive.org/web/20160803155528/http://www.china-nanhai.org/docs.html


中國南海網logo
 ▲背景畫像。
時事通信社あたりが撮影した魚釣島の寫眞から切り取ってゐる。
下に掲げる魚釣島と較べれば一目瞭然だ。

魚釣島南北小島

魚釣島南北小島大

切り取ってみました。
魚釣島南北小島大切


 憲法については素人ながら、私見を書きとめます。
 安倍政權は憲法改正を目標として大きく打ち出してゐます。しかし憲法を改正すると逆に自衞隊が憲法に束縛されて動けなくなることに皆さんお氣づきでせうか。なぜなら現行憲法では自衞權の記述が無く、從って自衞權は完全自由です。國際法の自衞權を少しも缺けることなく享受できます。
 現状では自衞隊を縛ってゐるのは自衞隊法などであり、その根本は誤った憲法解釋です。誤った憲法解釋で自衞權が小さく制限されてゐます。自衞隊員は敵の攻撃開始後にしか自衞できません。自衞官の基本的人權(正當防衞權、生存權)が侵害されてゐます。
 現状を改善するには、自衞權について憲法解釋をやめるべきです。何故なら憲法に何も書いてゐないのだから、解釋すること自體が誤りです。解釋をやめれば、自衞權を最大限にひろげた自衞隊法を新たに制定できます。それは現政府と議員の努力で實現できます。さうなれば、あとは首相の決斷で尖閣完全防衞が可能となります。
 憲法改正後はどうなるでせうか。憲法に自衞權を制限する條文が細かに盛り込まれます。現状の自衞隊法よりは自由度が高まるでせうが、現行憲法の無制限に較べるとかなり制限されます。從って憲法改正後は尖閣完全防衞が不可能になります。
 憲法改正は自衞放棄の道だと私は思ひます。その證據に自民黨内左派の或る政治家は、「現行憲法は逆に齒止めが無くて危險だ」と過去に發言してゐました。高村氏だったか誰だったか忘れましたが。しかも憲法改正に力を入れると、それだけ精神が防衞に集中しません。例へば竹島韓國に對する議論が高まると、相對的に尖閣沖繩の議論が弱まります。憲法改正運動も實質的に同じ逆効果になります。どんな憲法でも結構ですが、憲法が目的になったら本末顚倒です。防衞が第一にならないといけません。

 ツイッター友達のガル氏ツイートに贊同します。(但しガル氏の他のツイートは支持できませんが)
https://twitter.com/garu2468/status/759588707968004097
曰く、
「自国の防衛は個別自衛権で保障されている。 自衛隊を尖閣に常駐させるのは何の問題もないはずなのに、何でやらない? できることもやらないなら憲法変えても同じだ。」

 さて都議會保守派が小池新都知事に對して無禮な應接をしたと話題になってます。リンク:
http://news.livedoor.com/article/detail/11843786/
このやうに、保守的な人々は國内の序列について超強氣です。チャイナについても、國内で言及する時だけ強氣です。しかし實際チャイナに對すると極めて弱氣になります。
 改憲論も國内的に出てゐる話なので強氣です。しかし對チャイナの諸事務では、改憲後も保守派の弱氣が一向に變はらず、尖閣を防衞しないでせう。小池都知事と戰ふだけの勢ひをチャイナに對して見せて欲しいのですが、これまでの精神構造から見て無理でせう。對内の序列戰に勇ましく、對外の防衞戰に怯懦となる。いつもの日本の姿です。鬪へ、日本。鬪ふ氣はあるのか。鬪ふ氣の無い奴は去れ。憲法改正などしばらく忘れた方が鬪志は高まるでせう。
 尖閣史についても、鬪志薄弱な日本人が多過ぎます。歴史を避けて國際法ばかり言ひ立てます。法で勝って歴史で負ける日本で良いのでせうか。そんな情けない日本人ではない筈です。法でも勝つ。歴史でも勝つ。


憲法改正



  小池女史當選おめでたうございます。小池女史フェイスブックに投稿しました。曰く、
「尖閣14億を尖閣500年史の研究費に、研究者の全面出撃費に。申し譯ないけど友情で尖閣モグラ宣傳活動みたいな無駄づかひしたら失望です」
と。
  正直言って尖閣の戰ひで自然科學は脇役に過ぎません。國際法すらも大してお呼びではないのです。人文科の文明綜合力の戰ひです。すべきことは、尖閣500年史の研究及び正々堂々たる訴へ方です。正しい名目こそ大切です。正面から、世界が認めざるを得ない文明で戰ふのです。搦め手は逆効果。
  尖閣各島中遺跡及び北側淺海の海底遺跡も發掘調査すべきです。最近發見した新史實を見る限り、出土は充分有り得ます。公表するのを樂しみにお待ちください。
尖閣十四億


日中友好団体幹部の日本人男性、中国が拘束か
http://www.asahi.com/articles/ASJ7X027JJ7WUHBI03V.html
朝日新聞デジタル 7月28日(木)1時43分配信

 日中友好団体幹部の日本人男性が7月中旬に訪中したまま、連絡が取れなくなっていることが27日、分かった。日中関係筋によると、何らかの理由で中国当局に拘束された可能性があるという。中国では昨年、日本人4人が相次いでスパイ行為に関わったとの疑いで拘束され、その後に逮捕されたことが明らかになっている。

 この幹部は7月11日に北京入りし、15日まで滞在する予定だったが、27日になっても帰国しておらず、同団体の関係者は「連絡がとれない」としている。携帯電話もつながらない状態が続いている。関係者によると、中国でのシンポジウム開催などについて、中国側と協議する目的での訪中だったという。

 昨年拘束され、逮捕された日本人の男女4人のうち、1人は今年5月に起訴されたことが判明している。(北京)

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參考:
http://www.asahi.com/articles/ASHBR7X27HBRUHBI02L.html


朝日チャイナ逮捕




クローズアップ現代2016年7月26日(火)
古代ミステリー 日本人はどこから来た ~徹底再現!太古の大航海~
http://www.nhk.or.jp/gendai/articles/3844/index.html
草船プロジェクト
https://readyfor.jp/projects/koukai

 NHK番組を昨日觀賞した。黒潮越えが無理だったと分かる番組であった。素人なりに感想を述べたい。研究主幹の海部氏は南方熱帶人種が臺灣から東渡して沖繩の港川人となったとの前提に固執してゐるが、信頼できないと思った。
 そもそも素人的知識では、出アフリカ後のアジア人は大きく三波で東亞に到達したのであらう。第一波がアボリジニなどのオーストラロイド。第二波が繩文人・チベット人・アンダマン島人などの古モンゴロイド。第三波が稻作の長江文明人などの新モンゴロイド。
 海部主幹の研究によれば、港川人の骨は南方人種に近いのださうだ。海部氏は港川人をマレー系新モンゴロイドだとするのか、アボリジニ的オーストラロイドだとするのか、番組では分からなかったが、私が見落としたのかも知れないし、論文を讀めば分かるのかも知れない。素人なのでそこは勘辨して頂かう。いづれにしろ、現在は南方に分布する人種である。
 しかし繩文人のやうに日本とチベットとアンダマン諸島だけに見られる古モンゴロイドも存在する。現在南方に居住してゐるからといって、北から來た可能性を否定できないではないか。日本列島は酸性土で古人骨が消失するといふではないか。
 港川人は沖繩本島で出土した。それを臺灣に結び着ける根據は何か。島づたひに來たならば鹿兒島方面から來たと考へられないのか。また港川が沖繩本島東南部に位置することに着目すれば、南太平洋からたまたま流れ着いたのではあるまいか。
 海部主幹は渡海して到達したことに着目するといふが、琉球弧は海中の島々なのだから、どちらから來ても渡海したこと間違ひない。單にどちら側から渡海したかといふ問題だ。しかるになぜ臺灣側だけを重點とするのか。
 現在の琉球弧の住民は港川人ではなく、繩文人が基礎となってゐる。比較的新しい時代に本土の繩文人が南下したのだらうといふ説が有力だ。現在、日本語は北海道から八重山諸島まで分布し、與那國島までで日本語の西限となる。それはどうやら黒潮に隔てられたために與那國島で文化圏が分かれるのだらうと、素人なら推測する。出土品でも、熊本大學の木下尚子女史の研究では、矢張り文化圏は與那國島までで盡きてしまひ、臺灣との共通性は見られないといふ。
 さうであれば、二萬年前の原始人にとって、與那國臺灣間の黒潮は更に一層越え難かっただらう。海部氏がそれに反して黒潮を越えたとする根據が番組では見えなかった。そして勿論草船渡海は成功しなかった。そもそもアジア全域の出土人骨があまりにも少ないので、この草船研究は時期尚早に見える。こんなことに大金を集めないで頂きたい。

參考:
日本列島への先史人類の移動と拡散 : 共同研究 : 人類の移動誌 : 進化的視点から (2008-2011)
        印東 道子
        民博通信 133, 14-15, 2011-06-30
        人間文化研究機構国立民族学博物館
http://ci.nii.ac.jp/naid/120005405103


草船




シュティーラー製圖。
「Hand-Atlas über alle Theile der Erde nach dem neuesten Zustande und über das Weltgebäude」
著者: I C Bär; H Berghaus; H Hübbe; C G Reichard; Adolf Stieler;
出版: Greifswald Universitätsbibliothek Gotha Perthes [1836]
メックレンブルク=フォルポンメルン州(Mecklenburg-Vorpommern)電子圖書館。
http://ub-goobi-pr2.ub.uni-greifswald.de/viewer/resolver?urn=urn:nbn:de:gbv:9-g-198970
https://www.worldcat.org/oclc/845995601
「豪洲圖」及び「支那日本圖」及び「亞細亞圖」は尖閣と八重山と臺灣とが繋がってをり、尖閣單獨の所屬は不明瞭。しかし下の東印度(Ost-Indien)諸島圖だけは八重山及び尖閣が臺灣から離れて明瞭である。
Stieler1836_Handatlas_東印度圖_Mecklenburg藏



1840年、Stieler 「Schul-Atlas」(學校用地圖册)内の東印度諸島圖。
ゲオルク・エッカート學社(GEI)の教科書電子圖書館。
エッカート(Georg Eckert)は西暦20世紀の教育學者。
學社はドイツの地方都市ブラウンシュヴァイク(Braunschweig)に在り、
隣國との共通教科書編纂で近年報導に出たこともあった。
http://gei-digital.gei.de/viewer/ppnresolver?id=PPN743677641
https://www.worldcat.org/oclc/935021377
Stieler1840_Schul_Atlas_東印度圖_Eckert藏
シュティーラーの學校用で尖閣を八重山とするのは、今考索の及ぶ所1840年が最も早い。これより先、西暦千八百三十七年にシュティーラーの地元ゴータで刊行された『學校用世界圖册』には、尖閣が載ってゐない。
http://www.worldcat.org/oclc/894283656




西暦1844年、Stieler 「Schul-Atlas」(學校用地圖册)内「東印度圖」。これも西暦1840年版と同じだ。
https://catalog.hathitrust.org/Record/100574507
https://www.worldcat.org/oclc/897527755
https://books.google.co.jp/books?id=5QhFAQAAMAAJ
1844Stieler_Schul-Atlas_東印度圖_google



東印度圖_ペンシルベニア大學藏。
1848年、Stieler 「Schul-Atlas」(學校用地圖册)内。
電子圖庫には1842と標せられるが誤り。内表紙には1848と標せられ、次頁の前言では各地の製作年を1844年から1847年まで明記する。
http://sceti.library.upenn.edu/sceti/printedbooksNew/index.cfm?TextID=schul_atlas
http://sceti.library.upenn.edu/sceti/printedbooksNew/index.cfm?TextID=schul_atlas&PagePosition=26

1842Stieler_Schul_Atlas豪洲圖_ペンシルベニア大學藏

 以上、尖閣海域が宮古八重山海域と繋がってゐる。これらは一見すると隨意に描いたに過ぎぬやうに見えるがさうではない。歴年のシュティーラー圖は、領域認識が有る場合全て尖閣を宮古八重山に入れる。
 與那國と臺灣との間は近いが海域は繋げられてゐない。尖閣は八重山からやや遠いものが近めに描かれてゐる。近めに描くこと自身がシュティーラー系列の認識を示してゐる。




(以上の内容は八重山日報連載「歐洲史料尖閣獺祭録」第54囘として平成二十八年七月二十八日木曜に掲載されます)
http://www.shimbun-online.com/latest/yaeyamanippo.html

記録:
http://web.archive.org/web/20160726201156/http://senkaku.blog.jp/2016071163215402.html
https://archive.is/Cv5mu






圖117_Stieler_1831_Ost-Indien_Hand-Atlas_Gotha_Digital
Adolf Stieler。「Hand-Atlas Über Alle Theile Der Erde」
1831年。第四十四圖。「Ost-Indien Mit Den Inseln」
尖閣海域を八重山海域に連結してゐる。
http://archive.thulb.uni-jena.de/ufb/receive/ufb_cbu_00004458#tab1
http://archive.thulb.uni-jena.de/ufb/rsc/viewer/ufb_derivate_00003723/SPA-2-000049_0063.tif
エルフルト及びゴータ歴史デジタル圖書館。


圖118_Stieler_Handatlas1868_Gotha_Digital_Library_豪洲尖閣
1868年 「シュティーラー・ハンド・アトラス」より、豪洲圖。尖閣の西側に國境線あり。日本では東京大學綜合圖書館に孤本であるが、シュティーラーのゴータ地理學社の地元ゴータの「エルフルト・ゴータ歴史デジタル圖書館」に出てゐた。
http://archive.thulb.uni-jena.de/ufb/rsc/viewer/ufb_derivate_00003868/SPA-2-000015_0093.tif

「支那高麗日本」圖(43c)は目録だけあって電子圖像未公開。
http://archive.thulb.uni-jena.de/ufb/rsc/viewer/ufb_derivate_00003764/SPA-2-000015_0004.tif
以前は搜しても出て來なかったので、最近公開されたと思はれる。
下は同デジタル圖書館の西暦1875年シュティーラー・アトラスの内の西暦1872年の支那高麗日本圖。
http://archive.thulb.uni-jena.de/ufb/receive/ufb_cbu_00008871



(以上の内容に詳細を加へた上で、八重山日報連載第五十二囘として、平成28年7月21日第四面に掲載されました)
http://www.shimbun-online.com/latest/yaeyamanippo.html


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鳥越俊太郎候補(都知事選)はあらゆる面で全く贊成できない。落選して頂きたい。

しかしフェイスブック友達が、鳥越俊太郎氏が京都大學を卒業したのは詐稱ではないか、といふ投稿を引っ張って來た。地下サイトなどで隨分にぎやかだ。しかし卒業生名簿に載ってゐる。馬鹿げた騷ぎで逆に鳥越氏の點數をあげない方がいい。やめなさい。

何事も確かめるのが大切だ。尖閣の西側には五百年間の國境線が存在し、チャイナ人は尖閣を發見も命名もしなかった。それを確かめもせずに、勝手なことを言ふ人が多すぎる。

21清國領土線

戰略forum圖
圖八琉球風水辨岳
美根





仲裁庭不反駁元國測緯之說,卻罵「中國的台灣當局」
【風傳媒】

元朝已開始在黃岩島測驗天文麼?
考慮南海和平,不得不判南沙全島為礁。
法庭有這點苦心和決心,預料這次判決將成為歷史性名判。
http://www.storm.mg/article/144427

https://tw.news.yahoo.com/%E7%9F%B3%E4%BA%95%E6%9C%9B%E5%B0%88%E6%96%87-%E4%BB%B2%E8%A3%81%E5%BA%AD%E4%B8%8D%E5%8F%8D%E9%A7%81%E5%85%83%E5%9C%8B%E6%B8%AC%E7%B7%AF%E4%B9%8B%E8%AA%AA-%E5%8D%BB%E7%BD%B5-%E4%B8%AD%E5%9C%8B%E7%9A%84%E5%8F%B0%E7%81%A3%E7%95%B6%E5%B1%80-224000123.html


http://m.match.net.tw/mi/news/international/20160724/3649625

https://www.msn.com/zh-tw/news/other/%E7%9F%B3%E4%BA%95%E6%9C%9B%E5%B0%88%E6%96%87%E4%BB%B2%E8%A3%81%E5%BA%AD%E4%B8%8D%E5%8F%8D%E9%A7%81%E5%85%83%E5%9C%8B%E6%B8%AC%E7%B7%AF%E4%B9%8B%E8%AA%AA%EF%BC%8C%E5%8D%BB%E7%BD%B5%E3%80%8C%E4%B8%AD%E5%9C%8B%E7%9A%84%E5%8F%B0%E7%81%A3%E7%95%B6%E5%B1%80%E3%80%8D/ar-BBuJi9y

http://taiwan.shafaqna.com/CN/TW/612970

http://www.ltaaa.com/bbs/thread-406374-1-1.html

https://web.archive.org/web/20170303004014/http://cache.baiducontent.com/c?m=9d78d513d9d430a54f9b93697d15c0166e4381132ba7d1020cd2843997732c4a506793ac57240774a7d20a6516de4f4beb802102311454b68cbe8b5daebe85295f9f573e676c855613a30edfbd5154b037e129fed96af0bb8025e2ddc5a0ab4323bd44760d97f1fb4d7162dd1b80033192b1e94a022e60adec4072895d605f953441c65088eb251e7196f7ad4b3dc93da66606e7ac22c33405b463b36f1b3335ab5bc10d465731f74f56e8354d13e2ea4a972f6e3726a149c3aeb0c2fc3f8ecbeb418f8bbbb85ee374a185b4f62b043610ed24cdb6a0f778215202ae9498459761abfa9beb11b60987401da71b2c6f3c9d3d8382f951f0665bf1e17ffe5f2131287cdfa474882f36306f&p=882a95448d8814fc57eff8285542&newp=b478d116d9c115e809bd9b7e0c4092695803ed6339d1d201298ffe0cc4241a1a1a3aecbf26291306d4c77f6301ab435ee9f23679340234f1f689df08d2ecce7e7bcf76&user=baidu&fm=sc&query=%C8%D5%B1%BE%B3%A4%C6%E9%B4%BF%D0%C4%B4%F3%D1%A7%B8%B1%BD%CC%CA%DA%CA%AF%BE%AE%CD%FB%A1%A1%A1%A1%B0%CB%D6%D8%C9%BD%C8%D5%B1%A8%B2%C9%B7%C3%A1%A1%A1%A1%CB%B3%B7%E7%CF%E0%CB%CD&qid=bda8209b000a93fb&p1=13

全文見鏈接。


元史四海測驗慶應藏康刻本
   ▲元史天文志,康煕刻本,慶應大學藏。



鍛冶俊樹の軍事ジャーナル
http://melma.com/backnumber_190875_6393785/
にコメントしました。
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 この件、歴史が最重要だが、その前に。
 鍛冶氏、なるほど正しいが、正しさの途中までに過ぎない。チャイナは日本の先制防衞を待ってゐるが、日本もチャイナの挑撥を待ってゐる。なぜなら尖閣に自衞隊を常駐させず、空白域を作ることにより、チャイナの挑撥を呼び込んで、危機感を高めるために利用してゐるではないか。
 鍛冶氏の言ふ通りにチャイナ側から先制攻撃できないならば、尖閣に自衞隊が常駐を開始してもチャイナは先制攻撃できないのである。そして常駐が完了して尖閣危機は消える。尖閣危機が無いと色々困る日本の政治家もゐるだらう。
 但し自衞隊常駐を「日本が先に手を出した」としてアメリカが距離を取り、日米同盟が機能しない可能性はある。その可能性をつぶすのが歴史なのだ。國際法だけでなく長い長い歴史の100%の正義があれば、日米左翼右翼全國民の九割が自衞隊常駐を支持し、米政府も自衞隊常駐を支持せざるを得なくなる。
 さうなると尖閣問題は雲散霧消する。それは私が研究を世間に賣り込む機會の喪失にもなる。同時に尖閣危機を利用する政治家にとっても都合が惡い。これこそが、尖閣古史研究を産經が取り上げたがらない理由だらう。産經のやうに保守的勢力とのしがらみで商賣するメディアでなく、もっと自由な右派メディアに賣り込むしか私の活路は無いやうだ。勿論、今度就任した内閣官房委託事業特別研究員の仕事も活路の一つだ。

鍛冶俊樹

鍛冶俊樹の軍事ジャーナル【平成28年7月15日号】中国の没落
http://melma.com/backnumber_190875_6393785/
 国際仲裁裁判所が中国の南シナ海領有の主張を否決した。中国の南シナ海侵略が国際的に認定された訳だ。これだけでも中国の痛手は大きいが、それに対する中国の対応は、もっと悪い。いわば、治療と称して傷口を更に広げてしまったようなものだった。
 中国政府はこの裁定を紙くずと呼び、従わないと明言したのである。これで、中国は単に南シナ海を侵略しているだけでなく、国際法を紙くずとしか見ない北朝鮮なみの暴虐非道な国である事を内外に証明してしまったのである。
 
 この対応により中国の国際的信用が低下するのは確実で、長期的に見た場合、中国の没落の起点となると言えよう。中国の軍事的暴発を懸念する向きもあるが、中国軍が日米同盟の鉄壁を打ち破れない事は、IT技術の発達した今日、コンピュータ・シミュレーションで猫にも分かる。
 その何よりの証左は、前号でも触れたが6月17日、東シナ海での中国戦闘機の日本戦闘機への挑発事件である。中国機が日本機にレーダー照準を合わせ、気付いた日本機が離脱したとされる。

 この事件は、2013年1月、東シナ海で中国の軍艦が日本の護衛艦にレーダー照準を合わせ、日本艦が離脱した事件に酷似する。レーダー照準を合わせるのは攻撃の準備であり、攻撃態勢を取ったことになる。だが両事件ともに中国側は攻撃していない。
 レーダー照準が合わされて攻撃されれば、被害は甚大であり、これを阻止する為に日本側が先制攻撃するのは正当防衛であり、国際法的に合法である。だがそうなれば、戦争が始まる訳で、日本は無用の戦争を避けて離脱するという紳士的方法を選択した訳だ。

 だが問題は、中国側が両事件ともにレーダー照準を合わせただけで、実際の攻撃に踏み切らなかったのは何故かという点だ。これは日本側に先制攻撃をさせたかったからである。挑発を受けて先制攻撃をしても国際法的には侵略と見なされないのだが、だからといって米国が日米安保を発動するとは限らない。
 米国の本音は日本と中国が支那事変の時のようにダラダラと戦争して、米国が漁夫の利を得る事にあるから、日本が先制攻撃したとなれば、「日本に侵略の疑いがないとは言えない」と声明して傍観するかもしれない。
 中国の狙いは、ここにあり、日本に先制攻撃をさせて日米同盟を機能させないようにする戦略なのである。巧妙と言えば巧妙だが、逆にいえば日米同盟が機能する限り中国に勝機がないと認識している証左であろう。

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仲裁裁判所の裁定に反撃する中国の「情報戦」の中身 本格的灯台の設置で人工島の軍事基地化に拍車
2016.7.21(木) 北村 淳  曰く、
 中国メディアは、南京市の歴史学者により発見された日本の資料を、中国側の言い分の正当化のために持ち出した。その資料とは、1937年に日本で発行された『世界の処女地を行く』(信正社)の記述である。
 著者である探検家の三好武二氏は、1933年夏に探検隊を率いて南沙諸島を偵察した。その際に、南沙諸島に中国人漁師たちが居住し、漁業や水産加工業それに耕作などを行っていた状況を観察し、漁民たちの生活や家屋の状況などを本書で紹介している。
 中国メディアは「日本人が目撃し書き記したこれらの事実は、歴史的に見て南沙諸島が中国の領域であったことを具体的に物語っている。よって、南沙諸島は無主の地であったというフィリピンの主張は事実に反している」と“日本の資料”の価値を高く評価している。
http://jbpress.ismedia.jp/articles/-/47395?page=2

 以上北村氏の記事に出る1937年『世界の処女地を行く』(信正社)、著者三好武二。國會圖書館藏。リンク:
http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1221095/191
http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1221095/192
http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1221095/193
http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1221095/194
http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1221095/195
http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1221095/196
http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1221095/197
http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1221095/198
 三好氏原文を讀むと、この時までに既に新南群島(南沙諸島)は日本とフランスとの爭奪の地となってをり、同時に海南島出身の漁民が遠洋漁業のために到來し、迎への船が來るまで暫時居住してゐた。漁民の一人は海南島で生まれ、シンガポールからこの島に來たといふ。彼ら漁民の國籍は記録されてゐない。チャイナの國家行爲はこの年代に至ってもまだ無かった。最大の太平島(和名長島)にチャイナ漁民が居住してゐなかったことも記録されてゐる。三好氏はフランスの留めた標柱等の痕跡に對して領土的敵愾心を燃やすが、チャイナ漁民については何ら領土的意識を見せてゐない。日佛爭奪の隙にどこの漁民が來ようが大した事と思ってゐなかったやうだ。

 三好氏が新南群島に往ったのは昭和八年で、昭和八年九月六日の大阪毎日新聞に報じられた。リンク:
http://www.lib.kobe-u.ac.jp/das/jsp/ja/ContentViewM.jsp?METAID=10074274&TYPE=IMAGE_FILE&POS=1
http://www.lib.kobe-u.ac.jp/das/ContentViewServlet?METAID=10074274&TYPE=HTML_FILE&POS=1

 關聯のチャイナ報導リンク:
http://news.xinhuanet.com/mil/2016-07/14/c_129144800.htm
http://szb.hkwb.net/szb/html/2016-07/14/content_118667.htm

三好武二世界の處女地を行く



 渡邊華山・高野長英は、オランダのルーランスゾーン『最新通用地理辭典』を通じてドイツの最新地理學を吸收してゐた。彼らはルーランスゾーンの英米情報などにもとづき攘夷策に異議をとなへた。その結果蠻社の獄が起こった。
http://senkaku.blog.jp/1821_Roelandszoon.html
 華山が諸國の最新情報を獲得するため披閲した今一つの主な書がニューエンホイス(ニューエンハウス)『通用學藝辭典』正編・續編である。岩波『日本思想大系』第五十五册『渡邊華山・高野長英』の補註・解説(佐藤昌介)に紹介されてゐる。宮地哉惠子女史の論文によれば、この書は當時の日本でかなり讀まれてゐたさうだ。
http://ci.nii.ac.jp/naid/40001480055
 その續編の「Likeo」の條には、Madschikosimah(宮古八重山)諸島を成す十島を舉げ、そこに尖閣(Tiaoijufu, Hoapinsu)が含まれる。TiaoijufuはTiaoyusuの誤記で、元の漢字は釣魚嶼である。

Madschiko1838續編nieuwenhuis_algemeen woordenboek
圖:ニューエンハウス(Gerrit Nieuwenhuis)編『通用學藝辭典』
(Algemeen woordenboek van kunsten en wetenschappen)
グーグル・ブックスより。
西暦千八百三十八年刊、續編「L至O」册、第101頁「Likeo」の條。
https://books.google.be/books?id=b3UUAAAAQAAJ

「支那人に據れば三十六の島々が存在する」(volgens de Chinezen uit 36 eilanden bestaande)といふ。原書の「bestaat」「heeft」はともに擁する義を示す。宮古八重山諸島が擁する十ヶ島はそれぞれ、
一、Tiaoyusu(釣魚嶼、今の久場島)。
二、Hoapinsu(花瓶嶼、今の魚釣島)。
三、Kumi(與那國)。
四、Hummok(中御神島か)。
五、Zand-eiland(ブロートンのSand島、現在地不明)。
六、Ashuma(下地島か)。
七、Erabao(永良部)。
八、Korumah(來間島)。
九、Rochsakoko(西表島)。
十、Patschusan(八重山)。
以上である。Madschikosimahの綴(つづ)りはシュティーラーらワイマールの地理學社の刊行地誌から承け繼いだもので、列舉する十ヶ島も同地誌の十一ヶ島にもとづくが、
http://senkaku.blog.jp/archives/47564124.html
ただ重要な太平山(宮古島)を漏らしてゐる。太平山を漏らしてまでも尖閣を記載したのである。
 續編の該册が刊行された西暦千八百三十八年は、あたかもモリソン號事件を承けて渡邊華山・高野長英が幕府を批判した年度である。翌年には蠻社の獄が起こり、兩先覺者は處罰される。渡邊華山がこの新刊册を披閲することは無かった。
 ニューエンハウス『通用學藝辭典』は、さほど細かな地理情報まで掲載したわけではないので、正編にはLikeo(琉球)の條が立てられず、續編のこの册に至って始めて掲載された。しかし正編にも續編にも、Likeo以外にMadschikosimah、Tiaoyusu, Hoapinsuなどの條は立てられてゐない。
http://www.dbnl.org/auteurs/auteur.php?id=nieu033
https://books.google.co.jp/books?id=LHUUAAAAQAAJ
https://books.google.com.au/books?id=5nMUAAAAQAAJ
https://books.google.nl/books?id=3nQUAAAAQAAJ
https://books.google.co.jp/books?id=uaFUAAAAcAAJ
http://www.dbnl.org/tekst/nieu033alge06_01/downloads.php
http://www.dbnl.org/tekst/nieu033alge04_01/downloads.php
http://www.dbnl.org/tekst/nieu033alge02_01/downloads.php

 ともあれこのやうに日本は蘭學が盛んだったため、もたらされた地理學の情報はドイツのものであった。ドイツのシュティーラーが西暦千八百四年に尖閣を琉球に入れて、明治元年にはシュティーラー地圖册が明瞭な國境線を尖閣の西側に引き、ほかにも西暦十九世紀の歐洲刊地誌ではことごとく尖閣を琉球の内と認識してゐた。そして十九世紀末の明治二十八年に日本政府がこれを編入する。必然の趨勢であった。


(以上の内容に詳細を加へた上で、八重山日報連載第五十一囘として、平成28年7月19日第五面に掲載されました)
http://www.shimbun-online.com/latest/yaeyamanippo.html

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網友:
自古以来,琉球也不屬於日本。

答:
西元1609年以後琉球屬於日本。1617年明國官方認同日本擁有琉球。
http://senkaku.blog.jp/2016071763600172.html
見連結下方。

網友:
即便找出這個孤證,也掩蓋不了日本在清末之前從未控制琉球的事實,更掩蓋不了日本人在二戰期間對琉球人犯下的罪行。中外言明琉球自日本吞並之前是一個獨立國家的地圖,比比皆是,日本為何視而不見?真就這麼無恥?

答:
根本不是孤證。西元1609至明治維新,琉球國都在日本控制下,清國也心知肚明。 http://livedoor.blogimg.jp/ishiwi/imgs/6/2/62290a8f.jpg
如講中外,歐洲人在維新以前已開始瞭解琉球屬於日本。
http://livedoor.blogimg.jp/ishiwi/imgs/c/2/c21881c1.jpg
先看更多史料再發貼吧。
圖4_1895_Longman_Gazetteer_Worldカリフォル大藏p1294Riukiu


網友:
洪武二十五年(1392),朱元璋“更賜閩人三十六姓”入琉。從明洪武五年(1372)以後,琉球一直使用中國年號,奉行中國正朔。(直至清光緒五年 (1879),日本強行“廢琉置縣”為止)琉球王國的官方文書、外交條約、正史等,都是用漢字書寫。
據琉球國史及各種史料記載,自洪武十六年(1383)起,歷代琉球王都向中國請求冊封,確定君臣關系。延續了五個世紀,即使是日本慶長十四年(1609) 發生日本薩摩藩(今鹿兒島縣)島津氏入侵琉球,琉球國在受到薩摩制約的情況下,也始終未變。

答:
明國清國的周邊各國分兩種,一種是藩部,從北到西圍繞China,和China之間互相征戰,地盤各有進退。另一種東方南方是海上各朝貢國,不屬於China統治,只屬於China的君臣形式交流貿易。荷蘭及琉球都曾是其中之一。朝貢之名正說明不屬於China。

網友:
琉球王國,位於中國大陸東方(中國台灣島的東北方)、日本九州島西南方的大海中,為一群島。《隋書》中即有《琉求傳》。據1650年成書的琉球國用漢語自撰的第一部國史《中山世鑑》稱:“蓋我朝開闢,天神阿摩美久築之。”

答:
明治維新以前日本人都寫漢文。隋書琉球傳是你們用來證實台灣屬隋的孤證。但那也只證明隋軍曾登陸台灣西南部海岸而已。哥倫布登陸美洲,西班牙就擁有整個美洲麼。廢話。







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《民報》重現釣魚台歷史情境:回應中國外交部、人民日報、  清華大學、社科院
石井望 (長崎純心大學副教授,兼任笹川平和財團島嶼資料中心調查委員) 2016-06-15 20:35
http://www.peoplenews.tw/news/82b9f02b-ffbf-4d45-be2f-9477e1960344
全文見《民報》

夕陽映向釣魚台,千百年來無人睬,有了石油人人愛。(錄自日本內閣官房領土對策室網站,石井望提供) 
官房尖閣

(上略)
今(2016)年4月15日,日本政府公布釣魚台史料調査成果,
http://www.cas.go.jp/jp/ryodo/report/senkaku.html
包括1893年日清往復公函。日本往函記載漂民井澤等人由八重山(石垣島)「向胡馬島航往」,福州海防當局覆函逕引日方全文,並不視為問題。胡馬島是釣魚台 列嶼之一,往復公函是沖繩的研究家國吉先生在外務省史料館所發現;本人則發現其中史實,可稱兩人合作推出。經若干家報導後,
http://news.ltn.com.tw/news/world/paper/863162
這次好不容易入選調査成果。

計粘抄一紙

史料公布後,一個月間煞是熱鬧。中華人民共和國外交部嗆聲日本「斷章取義」;
http://www.mfa.gov.cn/web/fyrbt_673021/t1356705.shtml
官方媒體《人民日報》也刊載清華大學教授文章,誣蔑日本人欺騙清國。
http://paper.people.com.cn/rmrb/html/2016-05/03/nw.D110000renmrb_20160503_1-03.htm
該國社會科學院日本研究所長則在《人民日報》海外版上接受專訪,也認為日本政府對胡馬島史料進行「斷章取義」。
http://paper.people.com.cn/rmrbhwb/html/2016-05/13/content_1678578.htm
這些發言和文章,都經網路媒體紛紛轉載。 

一般人對「胡馬島」之名可能很陌生;但井澤在福州受審訊時,交代胡馬島離台灣相近,本想先去台灣求救。
http://livedoor.blogimg.jp/ishiwi/imgs/a/3/a3e078c2.jpg
我們知道,石垣島以西一個無人島離台灣不遠的,不是台灣北方三島,就是釣魚台列嶼,別無可擬。只要清國在台灣東北方海域擁有領土,福州當局就會想到胡馬島是釣魚台列嶼之一;想到了,必然追問胡馬島是何島。

社會科學院的所長說釣魚台只是井澤航行的方向,不是目的地。所長沒看過地圖,釣魚台方向除釣魚台列嶼外別無島嶼,福州當局自當知曉井澤以該列嶼為目的地。我們也不必管它是列嶼中的釣魚台還是黃尾嶼。

保釣陣營一向認為日本人趁清國當局粗心大意,漠不關心,騙取了釣魚台,這次《人民日報》也是同樣論點。但既然有意騙取,井澤供詞及日本往函怎不避談胡馬島呢。要否定騙取之說,原來這麼簡單。

井澤在清國沿岸遭兩次劫貨:第一次揮棍趕賊,第二次因清吏苦勸井澤離船上岸,結果船中一切財貨全被偷光(見《九州日日新聞》,1893年10月12日、13日版)。
http://www.tanaka-kunitaka.net/senkaku/kyushu-1893/
然後井澤等人獲清國當局及居留閩滬的日本人施助,得以歸國。兩個月後,外務大臣(部長)陸奧宗光命致謝函,函中不言遭竊等情。開戰前夕兩邦友誼如此,乃後人所當景仰。將日本人抹黑成騙子,脫離史實太遠。 

我研究釣魚台史至今五年,提出早期新史料凡數十種。過程中並不關心國際法,只關心歷史。明國清國從未發現、命名、停泊、管轄過釣魚台,釣魚台之西存在一條明 國至今鮮少變動的國界線,大約位於馬祖列島和大陸海岸之間。海峽兩岸外交部及保釣人士所據史料全是假古董,不是對琉球公務員導航釣魚台海域的史料不理不 睬,就是把台灣漁民前進釣魚台海域的年代提前數百年。他們一邊說馬祖列島的國界屬於舊時代,法理無效;一邊卻拿久米島(姑米山)琉球國界假冒成明國、清國的國界。

若說法理,數百年來釣魚台史料連經緯度都沒有,依法統統無效。這次發現的胡馬島公函本身雖然法理有效,可惜福州覆函只不過顯示對胡馬島不在意而已,對釣魚台主權起到多少法理作用,還須另行研判。但單講歷史,這是最後一根稻草,足以壓垮保釣主張。

當時福州海防當局對領土不可能不在意。《南京條約》規定英國從大陸海岸撤兵,只開放五口為商埠,並認可沿岸的香港島歸屬英國,不許駛近其餘海岸及島嶼。從此 五十年,被迫開放十幾二十個商埠。從反面講,退守其餘國界不得馬虎。這五十年是清國朝野最關心沿岸國界的年代。且看西曆年表:
1871年,琉球宮古島船隻漂到台灣。清廷認為琉球國人是清國子民,不關日本事。
1879年,分島改約議。日清議割宮古、八重山諸島予清國。 
1880年,日清罷議。
1884年,8月,法清馬江海戰,福建艦隊覆滅。
1884年,10月,法攻佔基隆,東鄕平八郎天城艦入港,與法將會談,引起媒體關注。
1885年,9月初,上海英國人所辦《文匯報》質疑宮古八重山諸島歸屬。
1885年,9月6日,《申報》引述《文匯報》消息,不提及釣魚台。
1885年,9月22日,《大阪朝日新聞》引述《文匯報》,不提及釣魚台。
http://www.peoplenews.tw/news/c2a0b179-d11e-4178-9eb2-19c1d9abb39b
1885年,10月,日本政府派人踏勘釣魚台。
1885年,10月21日,外務卿井上馨慮清國報紙干擾,停止收歸釣魚台。
1885~1894年,大量琉球漁民登釣魚台操業。
1889年,清國使節傅雲龍《遊歷日本圖經》不記載沖繩縣。
1893年,井澤等三人漂到福建獲救送還,日清往返公函寫到胡馬島。
1894年,8月,日清開戰。
1894年,12月,日本政府內部認為時勢異於昔日,釣魚台可以劃入。
1895年,1月14日,釣魚台劃入日本。
1895年,4月,簽訂馬關條約。

基隆淡水一役,清國輿論聚焦基隆外海。福琉航線釣魚台位於基隆東北,假設屬於清國,福州海防當局不會不關心。戰後清廷銳意重建海軍,到1893年北洋艦隊早已建成,客觀兵備超越日本。北洋將領主幹是福州閩江口馬尾船政學堂畢業生,福州海防當局關心國界程度,不會輸給日本。 


福州是琉球船隻進貢的商埠,也是册封琉球使船啟航的港口。琉球館設在福州,為琉明、琉清貿易中心。順治五年(1648)規定官員須護送貢舟出境,此後二百年 間,海防屬下「閩安協」等武官例行護送封舟、貢舟到馬祖列島清國東界,以便各船順利東渡琉球。閩安協最清楚國界線、海防線所在,誰會比他們更關心釣魚台航 線呢。1893年正是閩安協迎取井澤等漂民進福州府,也屬於二百年來例行公務。

1889 年傅雲龍《遊歷日本圖經》是一本半官方性質的地誌,其中不記載沖繩縣,表示不認作日本領土。四年後(1893),井澤返回日本,日本政府謝函直稱「由沖繩 縣八重山島,向胡馬島航往」。福州覆函引錄全文,並云呈報上級,通知各官。這是否顯示清廷正式承認琉球及八重山均屬日本,還須詢問國際法專家。然而單論歷史,至少顯示福州海防當局對琉球歸屬並不在意。

畢竟琉球方言屬於日本語,血統也以日本繩文人種的後裔為主。1609年,薩摩軍(鹿兒島)攻下琉球,琉球死亡人數僅百名左右,從此歸薩摩統治,比清國血腥侵奪台灣西南部早74年。1617年8月,福建海道副使韓仲雍對日本使節宣示不干涉薩琉糾紛,事見《明實錄》。當然了,明國、清國從未統治過琉球,豈得干涉。       

圖:《皇明實錄》,1617年8月,福建海道副使不干涉薩琉糾紛。日本國立公文書館藏寫本。

福建海道副使琉球

韓仲雍同時還對日本使節宣布,福建從北到南沿岸六島為海防極限,此外大洋是華夷共航的公海。馬祖列島是六島之一,也是釣魚台航線的西界入口,釣魚台自然是無主地。這一重要史事已見《讀賣新聞》報導。 
https://tw.news.yahoo.com/%E6%97%A5%E5%AD%B8%E8%80%85-%E6%98%8E%E5%8F%B2%E6%96%99%E6%8C%87%E9%87%A3%E5%B3%B6%E7%82%BA%E7%84%A1%E4%B8%BB%E5%9C%B0-104410640.html

1893 年與日本政府互致公函的福州海防道員陳氏,大約就是明國海道副使的後身,或略低一級。從歷史情境講,時隔兩百多年,兩位海防高官都對日本統治沖繩沒有異議,都不管台灣東北方釣魚台海域。這不是巧合,還有多種史料印證,本人已寫過多篇論文。看官有興趣,可以自行査詢並閱覽。

1871年,清廷認為宮古島人是清國子民,不屬日本。22年後,福州海防當局卻對八重山屬沖繩縣沒有異議。加上千百年來語言、文化、歷史的基礎,即有異議如傅雲龍輩,已無異空話。日本政府自然會覺得宮古八重山主權糾紛成為過去。

1885 年,《文匯報》英國人所評論的是八重山問題。日本政府因此憂慮,倘即刻收歸釣魚台,五年前的「分島改約議」會死灰復燃。這並不是憂慮釣魚台本身。到了 1893年,清國不反對八重山屬沖繩,日本就不怕釣魚台會引起干擾。第二年底,日本政府高層認為時勢已異,釣魚台可以穩穩劃入領土,越月14日正式劃入。 時勢是指八重山談判已停歇十五年,雲消霧散,不是指甲午戰中日本佔了優勢。假設考慮戰情,大可緩等終戰定約,再辦手續,豈不穩妥。若一定要找出一個戰時迫 不及待劃歸的原因,應是在於邊防。的確,當時日本國會曾討論鞏固八重山邊防。

日 本公函特地將井澤航往胡馬島的事實告訴福州海防當局,從現在來看等於把即將收歸釣魚台的訊息,委婉透露給了清國,不愧武士道之名。1894年的官製《日本 水路誌》也把釣魚台放在日本南西諸島之中,經緯度俱在,騙取領土的卑鄙行徑早就曝露出來了。打個比方,下一球盜壘、投變化球等,怎可明白告訴敵方?

福州當局為什麼對這一切都不在意?可能有兩種理解:要麼是當局在懈怠放逸中度日,要麼是釣魚台及八重山都位於清國領土線外及海防線外。正確答案自然是後者,有數百年來大量國界、海防界的史料為據。
以上就是歷史情境,魔鬼在細節。我輩何必計較區區國際法呢。

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平成二十八年五月二十四日、日本安全保障戰略研究所掲載
http://www.ssri-j.com/Island.html

http://www.ssri-j.com/SSRC/island/ishi-11-20160524.pdf


明治26年胡馬島史料「人民日報」高洪氏論説
 本年(2016年)4月15日、内閣官房領土・主権対策企画調整室は平成27年度の調査結果を公布した。これに対し4月19日、中華人民共和国外交部発言人(報道官)華春瑩女史は定例記者会見で発言した:

華春瑩
http://www.mfa.gov.cn/web/fyrbt_673021/t1356705.shtml
「日本は苦心して幾つかの資料を捜し出し、断章取義を施している」
と。「断章取義」は該室が公布した第「8」号史料を指すと見られる(リンク。pdfファイルでは1ー8):
http://www.cas.go.jp/jp/ryodo/report/senkaku.html
http://www.cas.go.jp/jp/ryodo/img/data/archives-senkaku02.pdf
第 8号は明治26(1893)年の日清間公文である。この年、熊本県人井澤彌喜太ら3人は、尖閣に渡航する途中で暴風に遭って清国沿岸に流れ着いた。福建海 防当局はこれを救助し、日本の駐上海領事館を通じて日本に送り返した。その後領事館は外相陸奥宗光の命により、感謝状を福建の海防長官陳氏に送付し、陳氏 はこれに返信した。
 関連公文は4件で一式となっており、外務省外交史料館に蔵せられる。
第1、2件は、井澤ら漂流民が駐上海領事館に送還された際の同送文書。清国における井澤らの供述の中で、「胡馬島」(久場島或は魚釣島)は台湾に近い無人島だとする。清国政府から日本政府宛ての公式信書ではなく、同送の参考資料に過ぎない。
第3件は、日本政府から駐上海領事館を通じて福建の海防官へ送った感謝状。胡馬島を目的地として「航往」(航し往くこと)した結果、福建へ漂流したことを述べる。
第4件は、福建海防当局から領事館への返信。胡馬島を目的地として航往したとする日本政府感謝状全文を引用し、そのまま受理し、清国内関係諸役に周知させると述べる。
 外交部の発言以後、5月3日に人民日報が清楚華大学劉江永氏の論説を掲載するなど、宣伝戦を強めている。5月14日には社会科学院日本研究所の高洪所長の論説が人民日報海外版に掲載された。
「人民日報」海外版2016年5月13日高洪氏論説、2016年05月16日10:43、人民網による和訳
日本の釣魚島「新史料」、不条理な論理・歴史の歪曲(リンク)
http://j.people.com.cn/n3/2016/0516/c94474-9058218-2.html
胡馬島航往史料につき、高洪氏の主な見解は、
1、歴史学でも胡馬島が尖閣諸島の魚釣島か久場島か特定できない。
2、日本は秘密裏に尖閣窃取を進めたので、清国側は胡馬島が尖閣だと気づき得ない。
3、原文の「航往」は胡馬島方向に航行したに過ぎず、島に接近すらしていない。
4、清国の善良な救助に感謝しながら、日本は卑劣にも戦争の準備をしていた。
以上4点である。

      *  *  *  *  *  *    

速報コメント 長崎純心大学准教授、石井望・談
  外交部コメントで断章取義と評したのは、どの史料を指すかを明示していなかったが、高洪氏の文中では胡馬島航往史料について断章取義(和訳:都合よく解釈)であると明言している。高洪氏らが外交部の見解を起草したのだと推測される。当該史料は数百種の調査結果中わずか一種に過ぎず、報告書でもわずかに 「清国は問題視せず」と注記したに過ぎないが、それに対して外交部、劉江永氏、高洪氏らが次々に見解を発表するわけは、調査結果中で唯一清国に関連する文 書だからである。4点につき逐一反駁しよう。
1、領土は法で定まり、歴 史で定まらない。しかし日本政府の公式見解では、歴史的にも法的にも固有の領土として並列言及している。法的に島の経緯度などを特定できない史料でも、歴 史的意義は有る。胡馬島が魚釣島か久場島かを特定する必要は無く、ただ尖閣諸島中の一島であることが確実であれば尖閣史料となる。
2、 史料4件中の第1、第2件では、井澤らは胡馬島に漂着して、近くの台湾に行って救助を求めようと思ったと供述している。救助を求める以上、清国側は胡馬島 を無人島として理解したはずである。石垣島から台湾に近く、無人とされた島は、台湾北方三島か尖閣諸島だけしかない。かりに台湾島の東北方面に自国領土が 存在すると清国側が認識していたならば、胡馬島は尖閣諸島の内の一島だろうと思い至るはずである。そして胡馬島はどの島かと、引き続き訊問するはずであ る。実際には尖閣は数百年にわたり明国・清国の国境線外に存在し、清国側は当該海域に領土があるとは思いも寄らなかったであろう。よって胡馬島について引 き続き訊問しなかったのは当然である。
3、かりに「航往」が方向に過ぎ ないならば、目的地はどこなのか。尖閣方向で尖閣以外に目的地は有り得ない。清国側は、日本から通知されるまで、井澤らが島に上陸したと認識しており、島 に接近しなかったとは知らなかった。しかし尖閣への漂着か上陸か目的地かを問わず、清国は何の反応もしない。そもそもこれ以前の数百年間の史料によれば、 明国清国は尖閣を発見せず、命名せず、海防線に入れず、上陸せず、領有せず、完全にゼロだったから、反応するはずが無い。前提は数百年間の史実である。
4、 井澤らは清国沿岸で二度の窃盗に遭遇し、一度目は追い払ったが、二度目は全ての財物を奪われた。海賊の群がる沿岸の実態にもかかわらず、井澤は清国官吏の 強い勧めにより船を離れた結果、二度目の窃盗を蒙ったのである(九州日日新聞、1893年10月13日版に見える)。結局井澤らは無一文の中で清国当局及 び福州・上海の民間日本人の助けにより帰国した。清国民間人の助けは、水を分け与えた以外に記録されていない。
  二か月後、日本からは陸奥大臣の命で感謝状を清国当局に寄せた。清国民間人による窃盗等の犯罪について日本政府からは言及しなかった。日清開戦前夜の時期 にこのような救助と感謝の友好的往来が有ったことは、後人の景仰すべき所である。わざわざ日清戦争に結び付け、日本が清国を騙したかのような高洪氏の議論 は、現代の友好をも故意に損なう目的であろう。我々はただ尖閣が諸外国の国境外の無主地であった史実を、数百年間の諸史料の最後の年代でもまた客観的に見 いだすに過ぎない。
 以上4点が反駁であるが、そもそも前提として、それまで数百年間、尖閣の西側に清国明国の領土線が存在した。西暦1461年の『大明一統志』によれば、明国の領域は大陸海岸までとされており、海南島を除くあらゆる島嶼は原則として領土外とされていた。
  また尖閣最古の史料は西暦1534年の陳侃『使琉球録』であるが、琉球国公務員が尖閣航路で水先案内したことを記録している。水先案内人を主に構成した琉 球久米村の「福建三十六姓」の一族が、海禁政策にもとづき早くから明国国籍を離脱していたことは、明国の『皇明実録』西暦1547年12月の条に見える。 尖閣を発見命名したのは誰であるか明確な記録は無いが、琉球人が発見命名した可能性が極めて高い。
  また同じく『皇明実録』西暦1617年8月の条では、福建の海防長官が日本の使者に対して、明国海防線は大陸沿岸の馬祖列島を含む南北島嶼線までだと明言 し、その外側は自由に航海できると宣布している。類似史料は枚挙に暇ないが、一方で明国清国による命名・海防・上陸・領有・漁業などをわずかでも示す史料 はただの一つも存在しない。
 今度の井澤史料に近い時代で関連する史事は主に下の通り。
西暦1871年、宮古島民が台湾に漂着。清国は宮古島民が清国民であると主張。
西暦1879年~1880年、宮古八重山を清国領土とする案を交渉するも中断。
西暦1885年9月、上海の英字紙「文匯報」(上海マーキュリー)に、宮古八重山の帰属を問題とする記事掲載(現在逸失)。
西暦1885年9月22日、大阪朝日新聞第2面で文匯報記事を略述。
西暦1885年10月以後、日本政府は尖閣編入を暫時延期。
などである。文匯報(朝日略述)では尖閣に言及無く、宮古八重山の帰属だけが問題にされていた。日本が尖閣編入を延期した原因は、尖閣単独での帰属問題ではなく、尖閣の動きにより宮古八重山の帰属が再度新聞などで問題となることを恐れたためである。
  かりに高洪氏の言うように、日本政府が清国から尖閣を窃取しようと密謀していたならば、西暦1893年に胡馬島に「漂入」した供述を「航往」と訂正したり せず、逆に胡馬島を避けて言及せぬよう感謝状の文面を作成するだろう。しかし実際は、宮古八重山の帰属問題から既に年数を経て、特に問題が無いため、何の 顧慮も無く胡馬島に言及し、しかもわざわざ「航往」と訂正した文面を作成した。
 しかも文中では石垣島について「沖縄県八重山島」と明記し、清国返信でもそのまま引用して問題視していない。宮古島民漂流時とは全く異なる反応である。八重山が清国の属地であるとの主張はこの時点で既に雲散霧消していたことが分かる。
  そして約1年後、既に十年前とは時勢が異なるとして日本政府は尖閣を編入した。時勢が異なるとは、日清戦争の優勢を指すというのが外交部や高洪氏らの一貫 した主張である。しかし胡馬島航往文書を朝日新聞と併せみれば、宮古八重山の帰属が既に確定していた時勢を指すと分かる。戦争の優勢を特に指すのではない ことが推測できる。





 産經新聞の山本秀也編輯委員兼論説委員。主にチャイナ問題を扱ふ。岩波の月刊「世界」などに寄稿し、中華思想を擴大解釋したがる人物だ。その本日の論説に曰く、
「南シナ海の存在は前漢の漢籍にも記録されている。その意味では「古来」だが、」
と。
http://www.sankei.com/world/news/160712/wor1607120039-n1.html
しかしチャイナ公式主張の最古は後漢だ。
http://webcache.googleusercontent.com/search?q=cache:big5.fmprc.gov.cn/gate/big5/www.fmprc.gov.cn/web/ziliao_674904/zt_674979/ywzt_675099/wzzt_675579/2305_675827/t10648.shtml
南海判決が出た今日(28年7月12日晩)、チャイナ外交部の當該頁は閲覽不能。愧ぢて閉ぢたか、或は閲覽集中による故障か。いづれにせよ、山本秀也氏はチャイナ外交部よりも更に古いと主張してゐる。たまたま前漢と後漢とを書き違へたか、それとも何か。いづれにせよ漢籍原書などまともに讀む人物ではなからう。巷間に流布する漢文解説の俗書の顧客に違ひない。
 そして何より山本秀也氏が岩波的なのは、漢籍を利用したチャイナの嘘を暴かないことだ。最古の漢籍の句「漲海崎頭」は外國船により發見されたと書かれてをり、チャイナ南海研究院の呉士存院長は、不注意にもそのことを認めてしまってゐる。リンク:
http://senkaku.blog.jp/2016070362768480.html
 山本秀也氏。またか。警戒を要する産經社員だ。

岩波徽章


カルピオ判事
フィリピンのカルピオ判事、チャイナの歴史の嘘を7月12日に裁けと要求。産經インタビューに答へた。
 --裁判所が「九段線」に全く言及しなければ
 「最悪のシナリオだ。裁定は最終審判断で、上訴などの制度はない。力による中国の一方的な現状変更が“お墨付き”を得て、南シナ海は無秩序に陥る。法の支配で海の安定を保つというUNCLOSは、有名無実化して不要になる」

http://www.sankei.com/world/news/160709/wor1607090011-n2.html

これは強い危機意識にもとづく言葉だ。時事通信の報導によれば、12日の裁決は九段線の判斷を避ける可能性が高い。時事通信:
「最大の焦点となっている「九段線」については判断するか現時点で明らかにしていない。」
http://www.jiji.com/jc/article?k=2016070500454
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20160705-00000072-jij-asia
この報導を見る前から、私は深く憂慮してゐる。九段線の判斷を避けるならば、事實上チャイナ勝利だ。さうさせぬために、歴史ゼロの聲を揚げねばならない。九段線は完全に虚構なのだ。

【要點1】 2000年前と主張する「漲海崎頭」(南シナ海の島嶼・岩礁か)は、外國船が發見したと原史料に明記されてゐる。南海研究院の呉士存院長も自著の英譯本で、うっかり「外國船が發見」と認めてゐる。
【要點2】西暦 18世紀中期、陳洪照《吧游紀略》(巴遊紀略、はいうきりゃく)及び、西暦19世紀初期、顔斯綜(がんしそう)《南洋蠡測》(なんやうれいそく)では、海南島のすぐ南側(西沙諸島の北側もしくは西沙そのもの)を「中外の界」(國境線の内外)としており、南沙は完全に國境外である。

詳細は下リンク:「南沙は古へより界外に在り──ニセ歴史を捨てるべき時が來た、天下雜誌獨立評論」
http://senkaku.blog.jp/2016070362768480.html
http://opinion.cw.com.tw/blog/profile/52/article/4458
http://senkaku.blog.jp/2016070963121024.html
英譯。

「柳井俊二裁判長は日本人だから日米側に有利な判決になるだらう」、とチャイナ外交部は騷いでゐるが、
(時事通信:日本人所長の公平性に疑義=仲裁人選定は「意図的」-中国次官)
http://www.jiji.com/jc/article?k=2016070600002
(求是、平成二十八年七月三日、劉振民寄稿)
http://www.qstheory.cn/dukan/qs/2016-07/03/c_1119153268.htm

それは日本人を理解してゐない。日本人は必要以上に相手に配慮してしまふ。それが日本の弱さなのだ。今度の七月十二日も、チャイナに幾分か配慮した判決になる虞れがある。しかしマスコミは、九段線如何を問はず、日米優勢の判決になったと報じるだらう。チャイナ側は、「それ見たことか、九段線を否定できないではないか」と大騷ぎするだらう。二十一世紀の前途は暗い。



http://www.taipeitimes.com/News/feat/archives/2016/06/27/2003649554/2

The Emperor’s Mysterious Map and the South China Sea
Is China censoring ancient clues to the secret history of the Spratly Islands?

By John J. Tkacik  /  Contributing reporter

The map is evidence that China’s current claim that the “[Spratly] Islands have been part of the territory of China since ancient times, and that it has indisputable sovereignty over them and their surrounding maritime areas,” is not so indisputable, after all.

In 2010, when a rare, full-sized original woodblock print of Ricci’s map was on display at the US Library of Congress, I jumped at the chance to view it. I noticed something peculiar.

It seems that, somewhere in its 400-year history, one key feature of this particular map was altered. Part of the legend reading “between the 15th and 42nd parallels” had been erased, with ocean patterns painted over the erasure. A clearer view of the same alteration can be seen on a digital version of the same map on the Web site of the James Ford Bell Library at the University of Minnesota, where it is housed.

Whether this is a recent defacement done to obliterate evidence that China’s historical primacy in the South China Sea is a modern fiction, or an ancient one done to eliminate an error, is a subject for further research.

Who made the erasure? The provenance of the University of Minnesota map is not a matter of public record. In 2009, the library procured it from Daniel Crouch, a London-based antiquarian, for about US$1 million. Crouch says that he was fortunate enough to purchase it from a catalog of an auction — in China — from a “private Japanese collector.” That Japanese collector, Crouch said, had owned the map for 35 years, but about six years ago it wound up at auction “in China” where no one seemed to grasp its significance. Whether the map was physically “in China” when the map was auctioned is unclear.

Nonetheless, several other 16th century copies of the Ricci-Li map exist in Europe, South Korea and Japan, and all display the legend intact. A Qing Dynasty copy is at the Royal Geographic Society in London, also intact. Two other hand-drawn versions of the Ricci map are presumed to exist in China, one at the Nanjing Museum and one in the Liaoning Provincial Museum, but neither has been accessible to scholars outside of China for the last 70 years, perhaps because they are evidence of an inconvenient truth that China’s current rulers would rather suppress.

But it is clear evidence that Beijing’s 21st century claims that “the [Spratly] Islands have been part of the territory of China since ancient times” are unsupported in ancient maps owned and studied by China’s emperors themselves. Nor do Beijing’s claims have any foundation in modern international law, least of all in the UN Convention on Law of the Sea to which Beijing is a contracting party. Without a basis in history or law, Beijing’s claims to maritime sovereignty over seas which carry US$5 trillion in international maritime commerce each year now rest solely on brute force.

大明自十五度




時事通信。
一部主張で中国に不利になるとの見方が強まっている。」
「最大の焦点となっている「九段線」については判断するか現時点で明らかにしていない。」
http://www.jiji.com/jc/article?k=2016070500454
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20160705-00000072-jij-asia
この報導を見る前から、私は深く憂慮してゐる。九段線の判斷を避けるならば、事實上チャイナ勝利だ。さうさせぬために、歴史ゼロの聲を揚げねばならない。九段線は完全に虚構なのだ。

【要點1】 2000年前と主張する「漲海崎頭」(南シナ海の島嶼・岩礁か)は、外國船が發見したと原史料に明記されてゐる。南海研究院の呉士存院長も自著の英譯本で、うっかり「外國船が發見」と認めてゐる。
【要點2】西暦 18世紀中期、陳洪照《吧游紀略》(巴遊紀略、はいうきりゃく)及び、西暦19世紀初期、顔斯綜(がんしそう)《南洋蠡測》(なんやうれいそく)では、海南島のすぐ南側(西沙諸島の北側もしくは西沙そのもの)を「中外の界」(國境線の内外)としており、南沙は完全に國境外である。

詳細は下リンク:「南沙は古へより界外に在り──ニセ歴史を捨てるべき時が來た、天下雜誌獨立評論」
http://senkaku.blog.jp/2016070362768480.html
http://opinion.cw.com.tw/blog/profile/52/article/4458

「柳井俊二裁判長は日本人だから日米側に有利な判決になるだらう」、とチャイナ外交部は騷いでゐるが、
(時事通信:日本人所長の公平性に疑義=仲裁人選定は「意図的」-中国次官)
http://www.jiji.com/jc/article?k=2016070600002
(求是、平成二十八年七月三日、劉振民寄稿)
http://www.qstheory.cn/dukan/qs/2016-07/03/c_1119153268.htm

それは日本人を理解してゐない。日本人は必要以上に相手に配慮してしまふ。それが日本の弱さなのだ。今度の七月十二日も、チャイナに幾分か配慮した判決になる虞れがある。しかしマスコミは、九段線如何を問はず、日米優勢の判決になったと報じるだらう。チャイナ側は、「それ見たことか、九段線を否定できないではないか」と大騷ぎするだらう。二十一世紀の前途は暗い。

柳井俊二2
 ▲柳井氏

南沙は古へより界外に在り──南支那海・東支那海でニセ歴史を捨てるべき時が來た

2016/06/27  作者:石井望   天下雜誌獨立評論より和譯
原題 : 「南沙自古在界外──南海東海,是時候撇開假歴史了」
http://opinion.cw.com.tw/blog/profile/52/article/4458

今(西暦2016)年6月6日、「時代力量」黨の林昶佐(フレディ・リム)議員は臺灣議會で太平島主權の依據が何であるか質疑した。外交部の李澄然副部長は答へて、主に國際法に依據すると言ひ、完全には歴史を否定しなかった。林議員は一歩進めて述べた、清國の墓碑・旅行記等は全て虚幻なるものであり、新政權は歴史から乖離して主權を主張し、國際に笑はれてはならぬと。副部長は贊同を表明した。
https://www.youtube.com/watch?v=mwf4Z60RhTI

これは一大ニュースである筈だが、《自由時報》の曾韋禎記者だけが報導した。
http://news.ltn.com.tw/news/focus/paper/997841
日本及び米國方面はこれに留意してゐないやうだ。副部長の言を聽くに、今後ニセ歴史を振り囘さない意とほぼ理解してよい。これは蔡英文新政府の一重要政策決定となり、巨大な影響を産むだらう。同じく一個の太平島の主權でも、ニセ歴史を振り囘すか眞實の歴史に依據するかで、意義は天淵のごとく判(わか)れる。

南海諸島は古籍上で誰に發現されたか
林議員は大まかに虚幻と言ったに過ぎない。我々は二種の情況に分けるべきだ。第一種は早期の民人が國外で活動した記録であり、法理上は主權の依據とするに足りない。太平島中には舊時の墓碑が有り、「皇清郭氏」と刻まれてをり、眞贋は辨じ難い。果たして眞に清國の遺物ならば、海南島人が留めたものだらう。十九世紀に南海で活動した漁民は海南島人が主であった。これを主權の基準にするなら、太平島は海南島に歸せずばなるまい。たとひ解放軍が臺灣を侵呑しても、該島の行政區劃は海南島に屬することになり、臺灣は一として獲(う)るもの無くならう。該島は日本統治時代以後に始めて臺灣に屬した。

第二種の情況は斷章取義し、文意を歪解したもので、これで歴史を虚構するのは詐欺に近い。主權が誰に屬するかを問はず、ニセ歴史を捏造することこそ極惡の大罪であり、人はみな痛憤する。例へば國共兩黨の外交部が共同で主張する南沙の最も早い記載は漢國の楊孚《異物志》に見え、書中には「漲海崎頭」の四字が有る。漲海はほぼ南海、崎頭はほぼ島礁であり、漢人が南沙諸島を發現した記録だと主張してゐる。實際にはこれは三國の孫呉の萬震《南州異物志》であり、書中の該條の上文にはさらに「外徼の大舶、皆な鐵葉を以てこれを錮す」等の文がある。西暦1970年に史學の大師饒宗頤氏の論文がすでにこれに論及してゐる。
http://public.dha.ac.cn/Content.aspx?id=983907320776&Page=5
外徼は外國であり、該條は外國人が南海諸島を發見したことを示してゐる。兩黨の外交部の主張とは恰かも相反である。

中華人民共和國の南海研究院の呉士存院長は曾て《南沙爭端的起源與發展》(中國經濟出版社、西暦2010年)なる一書を刊行し、理の當然として漲海崎頭の句を引用した。さらに英譯本を出し、該條の「外徼の大舶」を「boats used by foreigners」と譯した[1]。これは一人の無名の譯者の最も普通の譯法に過ぎない。しかし呉士存院長がもし自筆で翻譯しても、foreigner(外國人)と譯さざるを得ないだらう。彼は「外徼」の字義を知らぬ筈が無い。專門家が明知して故(ことさ)らに犯すのは、詐欺的性質に屬する。中華民國の馬英九前總統及び其の助言者も、こんな簡單な道理を分からぬ筈が無い。彼らは闇雲にただ一時だけ騙し通せばよく、米國側も細節を追究しない。
[1] Wu Shicun "Solving disputes for regional cooperation and development in the South China Sea : a Chinese perspective"、第18頁、Chandos Publishing、西暦2013年。
https://www.amazon.com/dp/1843346850

「華夷中外之界」
明國清國の最南界は海南島であり、そこから外は即ち國外である。官修の地誌諸本が證となる。南沙諸島は一度も領土に編入されたことが無い。官修のほか、私人の撰した地理著作中にも國境線に類似する記載が有る。清國中晩期の顔斯綜《南洋蠡測》内に「萬里石塘」の記載が有り、曰く
「此の塘を以て華夷中外の界を分かつ」
と。九段線の專門家はみな、これが南沙群島を指すと述べてゐる。しかし原文を細覽すると、上半篇では石塘の東を福建洋面とし、下半篇では石塘の西をシンガポールとする。南北の偏差が遠すぎる。これは確かに林議員の言ふ虚幻の類に屬し、國際法の基準にもとづけば完全に無效である。しかし歴史の基準にもどつけば玩味に値ひする。

 海國圖志引南洋蠡測北大藏本archiveorg粗

《海國圖志》に引く《南洋蠡測》、北京大學藏光緒元年序重刻本、archive.org


我々は暫時この石塘を一すぢの南北方向の海底龍脈と理解すれば良い。北で海面に露出して西沙群島となり、南で海面に露出してシンガポールの東のアナンバス群島となり、中間では南沙群島に載及しない。「華夷中外の界」は原文の前半に屬し、福建洋面に最も接近する部分すなはち西沙群島であらう。官修地誌の海南島の國境線の位置と近い。九段線の專門家は考索を加へずに南沙群島だと認定してゐる。牽強附會であり、原文から乖離してゐる。

石塘の早期の記載を溯れば、元國の汪大淵《島夷誌略》が萬里石塘を海底の地脈とする。潮州に始まり、南に向かって三すぢに分かれ、一脈は東のブルネイ及びティモール島に至り、一脈は西に「西洋」に至り、一脈は中でジャワまで貫通する。顔斯綜《南洋蠡測》の石塘は汪大淵の地脈に起源するのであらう。西の一脈を指してゐるかも知れないし、中間の一脈を指すかも知れないが、東に向かふ一脈ではあり得ない。要するに地脈は最も良く南北偏差が大きい原因を説明できる。

《南洋蠡測》は更に「華夷中外之界」の下ですぐに述べる:
「唐船は單薄にして、舵工は天文を諳ぜず、……外大洋を走る能(あた)はず。塘の北は七洲洋と爲す」
と。唐船は單薄にして星を計測できない。これは逆に外國船が堅厚にして星象計測に熟練してゐたことを示す。大洋を航行できるか否かはこれで決まる。このやうな外大洋は西沙の南の一面に汪洋たる海域を指す筈であり、シンガポールの東のボルネオに近い多島海域ではない。さうであれば、ここの石塘は西沙群島を指す筈であり、外大洋の北に位置する。そして七洲洋は更に北の海南島附近の海域を指す。現在の七洲洋は海南島の東北側に位置してをり、これと符合する。一方の南沙群島は遠く外大洋の外に在り、清國に屬しない

 阿南巴斯群島粗

 圖:アナンバス群島。  雅加達はジャカルタ。


民間旅行記かく語りき  
民間旅行記にも「中外の界」の記載が有る。乾隆年間の陳洪照《吧遊紀略》に曰く、
「廈門より咬留吧に至るまで、海道二百四十更なり。初めて洋に放つや、舟は西南に行くこと三十六更にして、七洲洋に至る。茫として島嶼無く、西洋に通ずる必經の道と爲す。……中外の界、此れより分かたる」
と。ここの七洲洋はどこに位置するか。咬留吧はジャカルタの港口であり、「更」は古人の海洋路程計測單位であり、約六十里に相當する。廈門から海南島までの沿岸海道は直線が多く、海南島からジャカルタまでは曲線が多い。試みに曲線二百四十更を折半し、一百二十更と計算し、それを三十六更に對比すれば、比率は十分の三になり、現代地圖中の廈門・海南島・ジャカルタの直線距離の比率に符合する。されば《吧游紀略》の七洲洋もまた大約海南島附近に在る。

「中外」は文語中では内外を指すに過ぎず、現代用法の「清國と外國」といふ特定名詞ではない。陳洪照は中外とだけ言ひ、華夷と言はないが、しかしその位置は海南島の國境線と符合する。されば陳洪照の中外の界は國境の内外であり、恰かも《南洋蠡測》の中外の界の位置を補證することができる。附帶的に言へば、東支那海の釣魚台の東にも一すぢの中外の界があるが、それは琉球の内外を指し、琉球王宮を中とする。《吧游紀略》とは逆である。これについて私は既に考證した。

 小琉球漫誌中外之界國會卷六切

  《小琉球漫誌》卷六に引く《吧遊紀略》、日本國會圖書館藏、乾隆三十一年序の刻本。


陳洪照《吧游紀略》の原書はすでに逸してをり、該條の逸文は朱仕玠《小琉球漫誌》の中に見える。《小琉球漫誌》は西暦1957年の《臺灣文獻叢刊》の中に收められ、ここ五十年來その流傳は甚だ廣い。九段線の專門家は《吧游紀略》の中外の界を避けて、ただ《南洋蠡測》の南北偏差の大なるを利用し、中外の界の位置を強ひて南沙群島に移動し、耳目を混亂させてゐる。

《吧游紀略》はジャカルタ旅行記であり、林昶佐議員の言ひ方では虚幻の類に屬することになる。もし嚴格に國際法にもとづくならば、西暦十九世紀以前の大部分の史料はみな虚幻なるものであるが、しかし基準を少し緩めれば、真實なるものもあり、虚幻なるものもあり、一概に論ずることはできない。《吧游紀略》の中外分界は歴代地誌の海南島の國境線に符合してをり、比較的に真實味がある。


以上は個別の例に過ぎないが、九段線には史料で反駁できると分かる。なるほど我々はこれらの史料を現代國際事務にあてはめることはできないが、もし完全に歴史を避けるならば、九段線の史學詐欺を暴くことができない。結果として、世界輿論はかう思ってゐる。「九段線は國際法に違背してゐるが、しかしそれも歴史であるから、尊重せざるを得ない」と。これでは大事が損なはれる。對岸のかの國の目的はまさにここに在る。

(下略)

 .


 チャイナの各地媒體によると、國防部は東支那海の海空聯絡機制につき、推進すべく重視してゐると表明したといふ。そして進まない障碍は日本側にあると述べたさうだ。
http://finance.ifeng.com/a/20160630/14545890_0.shtml
このやうな表明はこれまで無かったことで、初めてであると南方都市報が報じてゐる。
http://epaper.oeeee.com/epaper/A/html/2016-07/01/content_52146.htm
私もこれまでチャイナ側が拒否してゐるとだけ聞いてゐたので、南方都市報の言ふ通りなのだらうと思ふ。チャイナは態度を變へた。當然、先日の戰鬪機の接近及び攻撃動作と相呼應する表明だらう。
http://mainichi.jp/articles/20160629/k00/00m/030/138000c
要するに尖閣をチャイナ領土とする前提で聯絡機制を練り直せといふ要求なのだらう。日本側はいつも通りにそのやうな要求を無視して、急ぎ尖閣に自衞隊基地を建設すれば終ってしまふ話だ。領空領海侵犯があればその瞬間に撃墜する指令を事前に自衞隊に出しておけば濟む。そもそもチャイナは日本の領空領海と認めて無害通航するのではないから、無害通航權の行使でも何でもない。撃墜撃沈指令で平和になる。ニュースにする價値すら無い。

 問題は、安倍政權自身である。これまで安倍政權は、小笠原のチャイナ漁船を撃退せず、一昨年(平成二十六年)十一月の北京APECで史上初めて尖閣の文字を外交文書に書き入れた。要するに防衞の意志を持たぬ政權である。ただ周邊の戰力だけ擴充して、防衞を固めてゐますと世間に見せてゐるだけだ。肝心の尖閣そのものを防衞するつもりは無い。韓國でも竹島に要塞を建設してゐるし、インドネシアや越南も違法漁船を撃沈する。安倍政權は、できることをする意志が無い。
 されば今後、尖閣について玉蟲色の海空聯絡機制でチャイナと合意するだらう。尖閣は完全な日本領土でなくなり、幾分かチャイナの權益を容認するやうな形になる。しかし玉蟲色で、互ひに都合良い解釋ができるやうにするだらう。それで國民は騙された氣がしながらも、ぎりぎりの處で納得する。いつものやり方だ。
 外務省に責任を轉嫁してはいけない。これは安倍政權の暗黙の方針なのだ。私は斷乎反對する。五百年の歴史ある尖閣諸島。尖閣の歴史を理解しないから、尖閣防衞の意志を持ち得ない。國民全體の責任だ。もう尖閣喪失の時は近い。

七月四日附記。
チャイナ國防部は今日の記者會見で、チャイナ側戰鬪機が先に日本のレーダー照射を受けて、チャイナ機が「戰術的機動措置」を採取した處、日本側戰鬪機は赤外線攪亂彈を投じて逃れた、と述べた。
http://www.mod.gov.cn/info/2016-07/04/content_4687271.htm
 レーダー照射の眞僞はすぐ分かることだらうが、口頭攻撃を好むチャイナ政府が今迄レーダー照射を言はずにゐたのだから、無かった可能性が極めて高い。しかし、假にレーダー照射したとしても問題無い。何故ならチャイナは日本の領空そのものを認めないと宣言してゐるのだから、侵犯の意圖は明白であり、日本は先制防衞しても良い。否、先制防衞せねばならない。首相の指令次第だが、國内法の問題に過ぎない。先制防衞も可なのだから、レーダー照射も可である。どの空域でといった細かなことは私には分からないが、防衞の專門家に任せれば良い。
 勿論前提は尖閣が日本の領土だといふことだ。ここで四百八十年の歴史が重要になる。チャイナは四百八十年間完全にゼロなのか、それとも一定の何かを尖閣に及ぼしてゐたのか。それによって國際輿論の受け止め方は違って來る。國際法だけでは日本は世界輿論の百パーセントの支持を得られず、八割ほどにとどまるだらう。歴史が決め手なのだ。
 チャイナ國防部の言ふ「戰術的機動措置」とは何か。日本政府はただ「空中のやり取りが有った」とだけ述べてをり、攻撃的動作は無かったとしてゐる。「機動措置」は動作であらう。「戰術的」は攻撃か防禦かのいづれかだらう。これに對して日本機は赤外線攪亂彈を投ずる必要が有ったとチャイナ國防部は認めてゐるのだから、チャイナ機の動作は防禦的でなく攻撃的だったといふことになる。 
 チャイナ國防部は、織田元空將の言ふ「攻撃的動作」を自ら認めたのだ。日本政府すら認めない事實をチャイナが認めた。安倍首相は明らかに尖閣防衞を放棄する決意だ。
 されば、軍艦や戰鬪機が來ても日本は實力排除しない(撃墜撃沈しない)と分かってゐる。チャイナは幾らでも前進することが可能だ。論理上は明日にも尖閣に軍艦が横づけして、チャイナのヘリコプターが昇降しても、チャイナが發砲しない限り日本は先制防衞せず、ただ抗議するだけだ。それが論理上の現状である。もう尖閣喪失はすぐ目の前まで來てゐる。

織田邦男
  ▲右は織田邦男氏(チャイナ戰鬪機の攻撃動作を明らかにした人物)





http://www.bbc.com/zhongwen/trad/multimedia/2016/06/160620_vid_scs_book

視頻:BBC海南探訪老船長找尋「歷史鐵證」

2016年 6月 20日 最後更新時間:08:26 GMT

中國媒體近日報道,海南譚門鎮發現一本超過六百年歷史的《更路簿》,相關記載證明了中國漁民在南海領域數百年的捕魚作業歷史,也為中國在南海領域的主權提供了所謂「歷史鐵證」。

BBC駐北京記者沙磊(John Sudworth)來到海南探訪蘇承芬老船長,卻被告知《更路簿》已不知去向……





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 ケント・ギルバート氏がツイートしてくれて、高山正之氏と百田尚樹氏(五十音順)も虎ノ門テレビで取り上げてくれたお蔭で、明治元年シュティーラー製圖が再び話題になってゐる。
https://twitter.com/KentGilbert01/status/747379661374513153
國境線が尖閣だけでなく臺灣の東南側のサマサナ島にまで伸びてゐることに注目する人もゐる。
https://twitter.com/Pakkurareman/status/747421090230767616
そこを八重山日報の尖閣連載で解説したので、以下に部分的に複製しておく。
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平成二十八年五月十日 『八重山日報』第四面  
http://www.shimbun-online.com/latest/yaeyamanippo.html

 おうしう           だっさい ろく
歐洲史料 尖閣獺祭録 連載第三十一囘  
尖閣の西側に最古の國境線 英軍水路誌にもとづく 臺灣附屬とせず~~明治元年 シュティーラー圖册「支那高麗日本圖」(ドイツ)

(上略)……今囘は少し時間を戻して明治元年のシュティーラー圖を紹介したい(圖68)。尖閣の西側にくっきりと國境線を描き出す。これは過去にラペルーズが尖閣を琉球の内とした情報にもとづいてゐるのだが(連載第三囘)、圖中の島名は英軍水路誌をそのまま採用してゐる。
(中略)
 同圖では左下方のサマサナ島まで日本の國境線内に入れてゐる。これは英軍水路誌系列でサマサナから尖閣までを一括りに臺灣附屬外の中間地とした前例にもとづく(連載第二十六囘、圖58)。但し臺灣北方三島を線外としたのはラペルーズと同じである。英軍情報にラペルーズ情報を合した結果、明治元年シュティーラー圖では尖閣からサマサナまで日本の國境線内となったのである。
 一昨年刊行した拙著『尖閣反駁マニュアル百題』では、別の情報にもとづきサマサナまで入れたものと推測したが、昨年から英軍水路誌を勉強してみて如上の正解が分かった。明治元年シュティーラー圖は、英軍水路誌の尖閣を中間地と理解し、臺灣附屬と看做(みな)さなかったのである。

圖68  西暦千八百六十八年「支那高麗日本圖」(China Korea und Japan)、『Stielers Hand Atlas』所載、東京大學藏。今いしゐのぞむ著『尖閣反駁マニュアル百題』より録す。
表紙東大stieler切取


連載第二十六囘、圖58
尖閣獺祭26平280414切


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全文は新聞オンラインの八重山日報(平成二十八年五月十日)でご覽下さい。
http://www.shimbun-online.com/latest/yaeyamanippo.html




尖閣を守れ! 原田義昭政治研究會 平成28年6月27日 自民黨本部704室 配布資料

「日清戰爭どさくさ編入説」否定する二史料~~併せて歐洲の認識を論ず いしゐのぞむ

【略年表】
○明治四年 
宮古島民遭難事件。清國は琉球を自國領土と主張。
○明治七年
英軍水路誌、尖閣宮古八重山を「臺灣東北方諸島」とする。
○明治十一年
フィンドレー(英)水路誌、尖閣宮古八重山を「臺灣東北方諸島」とする。
○明治十二年
「分島改約の議」。宮古八重山を清國に割讓する談判。
○明治十三年
分島改約の議、合意に達せず中斷。
○明治十八年四月
朝鮮巨文島を英軍が占領。
○九月六日
上海『申報』に引く上海英人紙『文匯報』:「朝鮮からの情報によれば、臺灣東北側の島に日本人が國旗を立ててゐる。」
○九月二十二日 
『大阪朝日新聞』に引く『文匯報』:
「臺灣の東の宮古八重山に日本人が國旗を插してゐる。北京の反應や如何に。」
朝日記者は「五年前に解決したことを英人は蒸し返す勿れ」と憤激。
○十月二十一日
外務卿井上馨から山縣有朋へ密書:「尖閣は清國國境に接近。日本が臺灣近傍の島を占領するとの風説を、清國新聞紙が掲載。尖閣編入は清國の猜疑を招く。」
○明治二十二年
清・傅雲龍『遊歴日本圖經』。尖閣を琉球に入れて、琉球を日本の外とする。
○明治二十六年六月
熊本縣人井澤彌喜太、八重山から「胡馬島」に渡航中、暴風で福建に漂着。
○七月
福建沿岸で二度強盜に遭ひ、全財物を喪失。清國當局及び現地日本人が援助。
○八月
福建當局は井澤の供述書を添へて、日本駐上海領事館に井澤を送還。
○十二月  
外務大臣陸奧宗光の命で福建當局に感謝状送付。文面に「沖繩縣八重山島」と。
福建當局から返信に日本側の「沖繩縣八重山島」をそのまま引き、問題視せず。
○明治二十七年
官製『日本水路誌』の南西諸島に尖閣を記載。經緯度あり。公開。
日清開戰。
○明治二十八年一月
時勢は十年前と異なるとして、尖閣編入を閣議決定。非公開。
○五月
下關條約、臺灣を日本に割讓。
○八月
ロングマン社(米)の地名辭典に「尖閣は日本に屬する」。但し編入前の情報。

【現在までの定説】
 上海『申報』の臺灣東北の島とは尖閣である。尖閣編入に清國が異議を呈することを日本政府は恐れた。十年後、日清戰の勝利ほぼ確定的情勢により「時勢は異なる」として尖閣を編入できた。
左派:尖閣は清國領土だと日本政府は知ってゐて、日清戰を利用して詐取した。
右派:無主地を編入する時、隣國から異議が出ぬやう愼重を期するのは當然だ。

【本日の論點】
〔1〕上海『申報』で臺灣の東北としたのは、水路誌にもとづく朝鮮英軍からの情報であり、尖閣を指すのではない。
〔2〕新出『大阪朝日』により、日本政府が憂慮したのは宮古八重山歸屬問題であって、尖閣そのものは問題でなかったと分かった。
〔3〕日清往復胡馬島公文により、「沖繩縣八重山」を清國が問題視しないといふ心證を日本政府は得たであらう。
〔4〕兩史料を併せみれば、明治政府内部で「時勢が異なる」としたのは、宮古八重山歸屬問題がいつの間にか雲散霧消してゐたことを指すと分かる。
〔5〕假に日清戰の勝利ほぼ確定的情勢により編入するならば、終戰の條約締結を待って編入すれば良い。
〔6〕尖閣編入を日清戰の勝利と結びつける定説は完全に否定される。

【國吉まこも氏コメント】(談、いしゐ筆記)
「これら史料から分かることは、八重山と別に尖閣だけが日清間で問題となったことは一度も無かった。問題の焦點は「琉球」の扱ひであった。當時、田代安定・笹森儀助ら「愛國志士」が八重山諸島を調査し、八重山防衞の重要性を大聲疾呼していた。その運動が最終的に尖閣編入につながったことを、諸史料の間から讀み取ることができる。」
〔國吉まこも氏役職〕
尖閣諸島文獻資料編纂會研究員。
内閣官房領土主權對策企劃調整室委託、沖繩平和協力センター事業『沖繩縣における尖閣諸島に關する資料調査及び資料編纂』主任研究員。

【近年の論戰】
○平成二十五年十二月
國吉まこも氏、明治二十六年日清往復「胡馬島」公文を發見。
○平成二十七年二月
原田義昭議員、國會質疑で西暦1969年尖閣地圖を提示。
○三月
石井、明治二十六年日清往復「胡馬島」公文の新史實を公表。
チャイナ外交部、原田議員に對し「百枚千枚の地圖を提示できる」と主張。
○七月頃
國吉まこも氏、明治十八年九月二十二日大阪朝日新聞記事を發見。
○八月末
國吉・石井(聯名)、大阪朝日新聞記事につき初の論説を八重山日報に寄稿。
○平成二十八年四月十五日 
内閣官房より民間委託調査の成果として尖閣資料多數公開、
日清往復「胡馬島」公文が入選する。
○四月十九日
チャイナ外交部、内閣官房の史料に對し「斷章取義」として反撥。
○五月三日
人民日報、清華大學國際政治學院副院長の長文反駁を掲載。
○五月十三日
人民日報、社會科學院日本研究所所長の長文反駁談話を掲載。
○五月十五日
臺灣『風傳媒』、清華副院長に對する石井反駁を掲載。
○六月十五日
臺灣『民報』、社會科學院所長に對する石井反駁を掲載。

【日清戰直前の歐米の認識例】
チザム氏編『ロングマン世界地名辭典』 
(Longman's Gazetteer of the World)
編者:George Goudie Chisholm
刊行者:Longmans, Green, and Company(ニューヨーク)
チザム氏自序の末尾に1895年8月25日と署す。
p.705 Hwapinsu(尖閣魚釣島):「日本に屬する」(圖1)
下關條約よりも前の情報か、後の情報か。
日本が編入した「魚釣島」をHwapinsuと同一と判斷する材料を、歐米地理學界はまだ持たなかった。よって「日本に屬する」のは編入以前の認識。
p.538 Formosa(臺灣島):「1895年に日本に割讓」(圖2)
 下關條約後の状態が末尾に反映されてゐる。
p.1534 臺南府:「條約港である。」(圖3)
 清國の開港地を指す。日本に割讓される以前の状態。
 他にも臺灣各地は割讓前の状態で記述される。
p.1294 Riukiu:「西暦17世紀初から實質日本に屬し、西暦1876年に併合された。」(圖4)
西暦19世紀前半まで、琉球はチャイナに屬すると誤解されてゐた。幕末までに琉球に渡來する歐米人が増加すると、日本に屬してゐると正しく認識されるやうになる。

西暦19世紀前半、歐洲の通例的認識:
「尖閣は琉球、尖閣は宮古八重山、そして琉球はチャイナに屬する。」
西暦19世紀後半(幕末)、歐洲でひろまった認識:
「尖閣は琉球、尖閣は宮古八重山、そして琉球は日本に屬する。」
下關條約の年度に至り、ロングマン辭典で初めて「尖閣は日本」。何故か。
分島改約の議が中斷してから年數を經て、日本の直轄地としての認識が辭典に反映したと思はれる。
 
 圖1                
圖1_1895_Longman_Gazetteer_Worldカリフォル大藏p705Hwapinsu


圖2 Formosa 
圖2_1895_Longman_Gazetteer_Worldカリフォル大藏p538Formosa


圖3
圖3_1895_Longman_Gazetteer_Worldカリフォル大藏p1534臺南府


圖4
圖4_1895_Longman_Gazetteer_Worldカリフォル大藏p1294Riukiu
1895 Longman's Gazetteer of the World
カリフォルニア大學藏本。archive.org 
編者チザム氏はイギリスの地理學者。



明治26年、福建海防道員(海防長官)陳氏から日本側への返信。
  「沖繩縣八重山島」を問題視してゐない。外務省外交史料館藏。
1893福州覆函切



明治26年、福建通商總局の文書(寫)。外務省外交史料館藏。
  漂流人井澤の供述を引く。胡馬島が臺灣に近いとする。
  八重山を出航して臺灣に近い島と想定できるのは尖閣以外に無い。
福建通商總局井澤供切




1895Bartholomew_Gallica
西暦1895年「バーソロミュー氏支那日本高麗特製圖」
フランス國家圖書館インターネット ark:/12148/btv1b53029128q 
原題:「Bartholomew's special Map of China, Japan and Korea」
出版者: J. Bartholomew (Edinburgh)
TSUBO:中部。  OKUBU:北部  
琉球を日本と區別せず、尖閣を日本に入れる。
同年のロングマン版辭典と同じく認識段階であらう。
臺灣は未だ日本に割讓されてゐない。

八重山20160607-39




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尖閣を守れ! 原田義昭政治研究會
 平成二十八年六月二十七日 自民黨本部七百四室

追加資料【福建海防線は尖閣航路の西口まで】

清・陳倫炯『海國聞見録』卷上「天下沿海形勢録」に曰く、
「閩之海、内自沙埕・南鎭・烽火・三沙・斗米・北茭・定海・五虎、而至閩安。
外自南關・大嵛・小嵛・閭山・芙蓉・北竿塘・南竿塘・東永、而至白犬。
爲福寧・福州外護、左翼之藩籬。」
   (乾隆五十八年馬俊良序重刻本)
(閩の海は、内つかた沙埕・南鎭・烽火・三沙・斗米・北茭・定海・五虎よりして閩安に至る。
外つかた南關・大嵛・小嵛・閭山・芙蓉・北竿塘・南竿塘・東永よりして白犬に至る。
福寧・福州の外護、左翼の藩籬となす)

陳倫炯は臺灣總兵。福建の地勢を熟知。
内線はほぼ沿岸に伸び、明國『籌海圖編』の海岸防衞線と類似。
外線はやや遠い島嶼を列し、『皇明實録』西暦千六百十七年八月の島嶼防衞線と類似。
外護・藩籬は海防線。

特に竿塘・東永などは尖閣航路の西の入口。東方の尖閣は海防外。

下圖~陳倫炯『海國聞見録』附圖内「沿海全圖」
呉省蘭『藝海珠塵』石集第十册所收  國會圖書館藏
藝海珠塵海國聞見録福建圖國會藏米印



間違ひだらけの反駁法





ワシントン・ポストに助手・魯迅といふ人が寄稿して、マケイン議員が尖閣上空を飛行したと書いてゐる。リンク:
https://www.washingtonpost.com/opinions/global-opinions/the-obama-administration-is-failing-to-stop-chinas-pacific-aggression/2016/06/23/fce65f98-396c-11e6-8f7c-d4c723a2becb_story.html

これに早速臺灣の國民黨系の中央社・中國時報が注目して散布した。リンク:
http://www.cna.com.tw/news/firstnews/201606250004-1.aspx
http://www.chinatimes.com/realtimenews/20160625000032-260408
中央社は國家通信社だから國民黨系ではないが、今の處なほ國民黨系の色彩が強いやうだ。繼いでこちら臺灣のNownewsといふインターネットメディアは蔡英文マケイン會見の寫眞入り。
http://times.hinet.net/mobile/news/18586412
マケイン蔡英文

そして海外のチャイナ語メディアが追隨した。リンク:
http://www.rfa.org/mandarin/Xinwen/12-06252016174540.html
http://news.stnn.cc/guoji/2016/0625/328181.shtml

この消息をチャイナ共産黨の大衆向け宣傳新聞「環球時報」が擴大し、チャイナ軍艦が尖閣に近づいたのはマケインが先に均衡を破ったのが惡いのだ、といふ論調に變更してゐる。リンク:
http://world.huanqiu.com/exclusive/2016-06/9083147.html
http://3g.china.com/act/military/11132797/20160625/22938267.html

日本とアメリカでは全く注目されてゐない。以前にも似たやうな形でチャイナ語メディアだけが騷いだ例があった。リンク:
http://senkaku.blog.jp/2016031856846821.html
これは問題だとして濱田和幸議員が國會で取り上げた。


今囘も國會などで取り上げて頂きたい。




 尖閣に軍艦のせまる今、衆議院議員原田義昭氏主催の研究會にて、尖閣史料の新事實を發表します。一般開放ですので、事前申込の上宜しくご來聽下さい。新聞テレビ等の記者の皆さんも是非取材にお越し下さい。事前取材も受けつけます。事前取材は私の電話090-5084-7291か、もしくはJ-globalの上部の「この研究者にコンタクトする」 
http://jglobal.jst.go.jp/detail.php?JGLOBAL_ID=200901032759673007
からご聯絡下されば素早くお答へできます。

平成二十八年六月二十七日(月曜)ひる十二時半開場、十三時開講。
永田町自民黨本部七階、704室にて。
 會費五千圓と高額ですが、秘書氏と打合せした處、當日は帝國ホテルのカレーを出すさうです。安倍首相が食べたのはカツカレー、今度のはビーフカレーとのことです。

原田勉強會1
原田勉強會2


チャンネル櫻、イベント頁に掲載されてゐます。
http://www.ch-sakura.jp/events.html

フェイスブック
https://www.facebook.com/events/290139161318845/

下は平成二十七年國會質疑、原田議員の提示した昭和四十四年尖閣地圖。動畫10:30より。
https://www.youtube.com/watch?v=W6OEUOR3-yk#t=10m30s


下は原田議員の提示した地圖について、テレビ朝日の報導。
https://www.youtube.com/watch?v=ZlQFISryCtM