- 尖閣480年史 - いしゐのぞむブログ 480 years history of Senkakus

senkaku480 石井望。長崎純心大學准教授。笹川平和財團海洋政策研究所島嶼資料センター島嶼資料調査委員。日本安全保障戰略研究所研究員。内閣官房領土室委託尖閣資料調査事業特別研究員。 御聯絡は長崎純心大學(FAX 095-849-1894) もしくはJ-globalの上部の「この研究者にコンタクトする」  http://jglobal.jst.go.jp/detail.php?JGLOBAL_ID=200901032759673007 からお願ひします。 


「福建省海岸全圖」國會圖書館藏。五虎門部分。
五虎門_福建省海岸全圖_國會藏

國會圖書館、古典籍。請求記号:亥二-64。
デジタル公開されて久しい。解像度は低い。
福建沿岸の至近の島嶼は載ってゐるが、遠い馬祖列島は載ってゐない。まして尖閣も載ってゐない。
平成二十九年になって急にチャイナで「福建海岸圖を日本で新發見」と報じられた。


長崎純心プレスリリース用

長崎純心大學より報導各社に配布中のプレスリリースです。取材ならびに報導のほどご檢討下さいませ。本學は入構自由となってゐないため、取材は事前申込をお願ひします。報導關係者以外の入場はできませんのでご諒承下さいませ。

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                2018年12月26日
報道関係各位
                長崎純心大学
  外務省による外交講座(2019/1/15)
  「外務省・内閣官房の職務を通じて
  日本周辺アジア諸国との歴史的関係を語る」
  現役外交官による長崎純心大学生向けの講座開催

 外務省では、大学生・大学院生を対象に最新の国際情勢や外交政策理解のため、外務省職員を全国各地の大学に講師として派遣し、講義を行う「外交講座」を実施しています。
 このたび本学講義の一環として、G20サミット事務局の渡邊貴和次長を講師にお迎えし、外務省外交講座を行います。外務省による外交講座の長崎での開催は、平成25年(長崎大学)以来5年ぶりとなります。
 講師の渡邊次長はロシア関係を主な得意分野としていますが、近年は内閣官房領土室で資料委託調査などを通じて東アジア諸国との関係にも豊富な情報を持っています。国益のため奮闘する第一線の現役外交官です。本学准教授の石井望と、内閣官房の委託調査業務を通じて連携を深め、今回の外交講座実現の運びとなりました。 

【日 時】 2019年1月15日(火) 

12時55分~14時25分
○基調講話「外務省・内閣官房の職務を通じて日本周辺アジア諸国との歴史的関係を語る」
○教員及び学生との対話

14時35分~15時05分
○海外文化座談 

【会 場】 長崎純心大学S205教室(長崎市三ツ山町235番地)

【講 師】 渡邊貴和(わたなべ・たかかず)氏
(外務省G20サミット事務局次長)

【対象者】 本学人文学部比較文化学科2・3年生(32名)を中心とする学生

本件につきまして、取材のご検討をお願いいたします。
お問い合わせ先
長崎純心大学人文学部文化コミュニケーション学科 石井望(いしいのぞむ)
[TEL]090-5084-7291(個人携帯)[E-mail]ishiwi@n-junshin.ac.jp  
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以上です。電子メールの@を半角にしてお使ひ下さい。渡邊氏は前日までに長崎入りされ、また當日1/15午前は早めに純心入りされますので、事前取材して頂ける場合は當方までご相談下さい。

201812_プレスリリース_外交講座


純心交通路
純心校地内圖





小野寺まさる

https://twitter.com/onoderamasaru/status/1078868891143565312
小野寺まさる‏ @onoderamasaru
 テレビのアイヌ特集で「アイヌが自らの地を“カイ”と呼ぶのを知った松浦武四郎が『ここは先住民族のアイヌの島』との意味を込め“北加伊道”と命名。北海道はそれが変化したもの」との馬鹿解説をしていた。当時の日本の令制国の名称の東海道、南海道、西海道…に倣って「北海道」になった筈。余りに酷い。12:22 - 2018年12月29日

 下記ツイートした。
 今晩は。蝦夷は古くから北海。リンクは 
http://gazo.library.city.sapporo.jp/shiryouDetail/shiryouDetail.php?recId=23&pageId=2
 『北海隨筆』。また蝦夷はもともと『日本書紀』で關東人を呼んだ名ですが、日本書紀は江戸時代では古訓をつけずに音讀みが通例。アイヌ人が「本州人は我々をカイ(蝦夷)と呼んでゐる」といふ意味で松浦武四郎に答へた可能性大。
北海隨筆札幌市中央圖書館宍戸氏文庫


ついでに松浦武四郎自身が安政三年(1856年)に校訂した『蝦夷行程記』は、別名「北海道中記」(下リンクの右端の版心)。北海の道中記です。
http://archive.wul.waseda.ac.jp/kosho/ru04/ru04_03729/ru04_03729_0001/ru04_03729_0001_p0008.jpg
http://www.wul.waseda.ac.jp/kotenseki/html/ru04/ru04_03729/index.html


日本書紀の景行天皇紀に曰く、
廿五年秋七月庚辰朔。壬午、遣武内宿禰、令察北陸及東方諸國之地形、且百姓之消息也。
廿七年春二月辛丑朔。壬子、武内宿禰自東國還之、奏言「東夷之中、有日高見國。其國人、男女並椎結文身、爲人勇悍。是總曰『蝦夷』。亦土地沃壤而曠之。撃可取也。
(景行天皇二十五年秋七月庚辰朔。壬午、武内宿禰を遣はし、北陸及び東方諸國の地形ならびに百姓の消息をせしむるなり。
二十七年春二月辛丑朔。壬子、武内宿禰、東國より還る。奏して言はく、「東夷の中に日高見の國あり。その國人、男女並びに椎結文身し、人となり勇悍なり。是れ總じて『蝦夷』と曰ふ。また土地の沃壤にして曠し。撃てば取るべきなり」と。)。
http://www.ceres.dti.ne.jp/~alex-x/wakan/syoki07.html

カイのもとが「クイ」だとか語源説があるやうですが、まあ無理でせう。  

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平成31年1月10日追記。
昨日(一月九日)に如上の發言をしたので、今日は助手が論文コピーに走り、下の論文を入手した。
「蝦夷(カイ)説再考 A Study on Kai (蝦夷), Ancient Inhabitants of Northern Japan」
        菊池 徹夫         史観 (120), p100-114, 1989-03        早稲田大学史学会
https://ci.nii.ac.jp/naid/110002533893
 讀んでみると、江戸時代にアイヌ人が「カイ」と自稱した記録は一定數ある。問題は、甲、蝦夷の音讀みで「カイ」となったのか、乙、逆に先に古代アイヌが「カイ」であって、そこに蝦夷といふ漢字が宛てられたのか、である。菊池氏が檢討してゐるのは要するにその問題だ。そして菊池氏の願望的結論は乙だ。しかし殘念ながら史料不足のため、乙の結論は無理である。
 乙説で特に菊池氏はチャイナ人が古代カイに蝦夷といふ漢字を宛てたとする。しかしそれは無理である。何故なら南北朝隋唐の通常音として蝦夷はHa-iであってKa-iではない。同例に卑彌呼はPi-mi-hoであってPi-mi-koではない。卑彌呼のやうにH音字(所謂曉紐)を宛てるのは基本的に日本漢字音(萬葉假名)であって、チャイナ字音ではない。
 しかも、乙説の古代カイがそのままアイヌだとするのも、史料不足で全然無理だ。古代カイを日本人が蝦夷と標記したと假定しても、武内の宿禰は東國の總稱としたのであって、アイヌに限定するのはほぼ無理である。
 一方、甲説も推測の閾を出ないが、年代の近い江戸時代であるから、幾分か有利であらう。とはいへ、この一件はほぼ結論が出ない。東北學の大家高橋富雄氏も昭和三十八年の著書『蝦夷』で、史料不足で結論出ずとしてゐるさうだ。
 なほ高橋富雄の著書『古代蝦夷を考える』はこの問題を詳しく檢討してゐるらしいことが、書誌に出てゐる。
内容説明 蝦夷とはなにか。その呼称がなぜエミシ・エゾでなくエビスでなければならないのか。東国・日高見国やアイヌとの関連はどうなるか。東国蝦夷経営。それは日本古代国家が完成するうえでの最終課題でもあった。

明日、高橋富雄『古代蝦夷を考える』を借りて讀んでみよう。



Look the similarity to the Min (Mandarin Ming) China Kingdom (figures below).

"China’s Top Five War Plans" by Ian Easton
January 6, 2019,  Project 2049 Institute.
https://project2049.net/2019/01/06/chinas-top-five-war-plans/
This publication breaks down Beijing’s likely top five war plans to understand what may be driving China’s military reorganization and reform campaign. Easton analyzes available Chinese military sources and concludes that China’s primary strategic goal is to take Taiwan using one or more of the People’s Liberation Army (PLA)’s five outlined combat operations, in the 21st century’s foremost flashpoint. He also explains how these five different joint operations could be used to isolate or occupy Taiwan, thwart American intervention in offensive operations against U.S. military units, and repel potential border threats from India in the event of aPLA invasion of Taiwan.
這篇文章分析了北京可能的五大作戰計劃,促進瞭解何種動力會推動China的軍事重組和改革措施。伊斯頓分析了目前可知的China軍方消息來源,並得出結論認為,中國的優先戰略目標在於得到臺灣。China將在21世紀最主要爆發點上,採取一個或多個戰鬥行動,即所謂人民解放軍的五大戰鬥行動。他還詮釋了五種聯合行動會如何用來孤立臺灣或佔領臺灣,在China攻擊美國軍事團隊時,阻止美國干預,並在解放軍入侵台灣時,擊退印度邊境的潛在威脅。
Chinas-Top-Five-War-Plans_Ian_Easton_Project2049
Ian_Easton_twitter


Min China (1368-1644) maritime defence line (by ISHIWI Nozomu) :
history_map_1617_google


Min China (1368-1644) maritime defence line (Yomiuri newspaper) :
yomiuri_1617
1617yomiuri_english
皇明實録讀賣


Min China (1368-1644) six islands defence line (by Cabinet Secretariat) :
領土室報告書六島線
 Cabinet Secretariat newest report, page 37: 

My speech movie (draft) about the newest report by Cabinet Secretariat:


 Yomiuri newspaper article:
.

 今日平成三十一年一月六日から、八重山日報の談話連載「尖閣大航海時代」(今日は第58回)で、一帶一路の嘘を取り上げてゐる。パピルスについて三囘の見込み。繼いで毛筆の創出について一囘費やし、そしてチャイナそのものの本質について二月に載せる。
 今日の58は、四大發明の紙は嘘、パピルスがシルクロードから東傳した可能性高し。今日1月6日の八重山日報の電子版新聞オンライン。 
http://www.shimbun-online.com/product/yaeyamahontoban0190106.html
 尖閣大航海時代58。今日から毎週日曜、三週間はパピルスについて。
パピルスについて、先行ブログは尖閣480年史の平成三十年十一月九日と十日に書いた。リンク:
http://senkaku.blog.jp/2018110778099753.html
http://senkaku.blog.jp/20181109papyrus.html
http://senkaku.blog.jp/20181111_parchment.html
 このブログから記者に電話で談話して今日の連載記事となってゐる。英文も作ってNYタイムズやナショナル・ジオグラフィックなどに送ったが採用されない。

そして毛筆について、さらに八重山日報記者に談話するための先行備忘録を以下に作って置かう。
 一般的に、傳統的な書道の歴史で蒙恬(もうてん)が毛筆の創造者とされる。秦の始皇帝の下の著名な將軍だ。蒙恬筆とも呼ばれる。勿論、ご多聞に漏れず始皇帝以前の毛筆は出土してゐる。そこは後漢の紙と同じで、蒙恬筆は傳説か、まあ筆の改良に過ぎない。
 蒙恬筆の最古の記述は、多分西晉・崔豹の名著『古今注』卷下、「問答釋義第八」。
牛亨問曰、「自古有書契已來、便應有筆。世稱蒙恬造筆、何也。」
答曰、「蒙恬始造、即秦筆耳。以枯木爲管、鹿毛為柱、羊毛為被、所謂蒼毫、非兎毫竹管也。」
(牛亨問ひて曰く、「古へ書契有りてより已來、便ち應に筆あるべし。世に蒙恬造筆と稱するは何ぞや」と。答へて曰く、「蒙恬始めて造るは、即ち秦筆なるのみ。枯木を以て管と爲し、鹿毛を柱と爲し、羊毛を被と爲す、所謂蒼毫にして、兎毫竹管に非ざるなり」と。)
 羊か鹿か兎かといったあたりは別として、兎に角一種の改良筆である。また晉・張華『博物志』に曰く「蒙恬造筆」と。(唐の藝文類聚の卷五十八引)。
https://zh.wikisource.org/wiki/%E8%97%9D%E6%96%87%E9%A1%9E%E8%81%9A/%E5%8D%B7058

これに關聯する蒙恬筆の情報は、一般的な書道史書に載ってゐる。常識の範疇である。例へば比較的に早いところでは北宋の蘇易簡『文房四譜』。 https://kotobank.jp/word/-1410322 。文房四寶をまとめた書だ。その卷一に古書を引いて、

「始皇令恬與太子扶蘇築長城。恬取中山兎毛造筆、令判案也。」(始皇、恬をして太子扶蘇と長城を築かしむ。恬、中山の兎毛を取りて造筆す、判案せしむるなり)とある。

http://img.kanripo.org/general/skqs/wyg//WYG0843/WYG0843-0003c.png
http://img.kanripo.org/general/skqs/wyg//WYG0843/WYG0843-0003d.png


 さて、我々が考へるべきは、なぜ秦の軍人蒙恬なのか、なぜ中山國なのか。そこに西方大文明の浸潤を見出すべきである。始皇帝の兵馬俑がヘレニズム藝術の末端であることは既にほぼ定説であるが、秦の祖先は中央アジアの馬飼ひの名手であるから、秦といふ國には西方文明の色彩が濃い。

 文人でなく軍人蒙恬であるから、決して書齋に坐して文雅を嗜みつつ毛筆を考案したのではない。これは單に後人の創作した傳説ではなく、何らかの蒙恬時代の實情が反映してゐるだらう。中山國は北方の匈奴に近く、中原と異なる遊牧的色彩の地域である。蒙恬が中山國(の故地オルドス)に往ったのは匈奴との戰爭のためである。そこで毛筆(改良毛筆)が産まれた。

 これは毛筆が黄河文明の中原的文化ではないことを示してゐる。極めて平常心で推測すれば、秦が取り入れた西方大文明の一つが毛筆なのである。匈奴はこのころから隆盛し、西はアレクサンドリア諸邦にも接するかといふ程の大領域を席捲した。


 海西では繪畫の彩色が海東よりも遙かに優れてゐたと、『三國志』などの漢文史料に記録されてゐることは、平成三十年十一月九日のブログにパピルスとともに書いた。
http://senkaku.blog.jp/2018110978117056.html
 當然ながら西方に畫筆(paint-brush)は存在した。埃及のパピルスは書寫のみならず、彩色繪畫の媒體としても用ゐられたし、ツタンカーメン面具の極彩色が繪筆無しに可能だった筈が無い。埃及の毛筆の出土品は、大英博物館のホームページに出てゐる。

british_museum_brush_egypt_AN00542463_001_l
british_museum_brush_egypt_AN00542461_001_l

下リンクは西暦紀元後の埃及の畫筆。大英博物館。
British_museum_brush_AN1613292622_l

 下リンクはどこの博物館とも知れぬインターネット寫眞。三千年前ださうだ。
flickr_paint-brush_4314001497_ddeafbc344_z

また、埃及皇帝アクエン・アテンと皇后ネフェルティティとの間のメケト・アテンMeketatenといふ王女の遺筆があるさうだ。ちょっと毛の部分がよく分からない。


また、齒ブラシも數千年前からあるのださうだ。

http://www.historyundressed.com/2015/12/a-brief-history-of-toothpaste-and.html
https://malosmileusajerseycity.com/the-time-before-the-toothbrush/

toothbrush.egyptian_History Undressed

このやうな「刷毛文化」(ブラシ文化)は、あまりにもありふれてゐて、アレクサンドリア諸邦の遺跡でも搜せばあるだらうし、匈奴にもあった筈だ。だから漢文史料でも西方繪畫は彩色が卓越してゐると記録されるに至ったのだらう。一朝一夕に成る文化ではない。

 フネフェルのパピルス。大英博物館。

https://upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/d/d7/BD_Hunefer.jpg

https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%95%E3%83%8D%E3%83%95%E3%82%A7%E3%83%AB#/media/File:BD_Hunefer.jpg

http://livedoor.blogimg.jp/art_history/imgs/3/2/321c793f.jpg

Hunefer_papyrus_wikipedia


 繪畫と違って書寫文字のパピルスは、もっと硬い筆を使ったやうだ。その方が書き易かったのだらう。
Ancient Egyptian Scribe's palette HARGM7677
Harrogate Museums and Arts service (フェイクかも知れないとされる)
Date     between circa 1500 and circa 500 BC
番號HARGM : 7677     Thebes, Egypt

 ブルックリン博物館に曰く、
「The ancient Egyptians used reed brushes to write the text.  These brushes looked somewhat like brushes today and allowed the scribe to vary the thickness of the line. 」
(古代エジプト人は葦の刷毛を用ゐて文章を書いた。刷毛は今日の刷毛に似てゐて、書寫吏が線の太さを變へることができた。)
egyptian_pen_brooklyn_museum_37.450E
Scribe’s Palette with 4 Reeds in a pen holder, #37.450E, Brooklyn Museum.

 インターネットの友人F氏が、「エジプトの刷毛(はけ)は植物製で、秦筆は獸毛だけど、繋がるのですか」、と疑義を呈して下さった。それはパピルスも材料の草はエジプトの特産で、それに對抗する材料としてペルガモンの羊皮紙が出現した。中央アジア遊牧民の手を經た刷毛は、獸毛を用ゐて當然である。たまたまエジプトの出土物を上に列舉したが、要するに刷毛の發達は西方大文明圏が上位で、東方は下位だったこと間違ひない。それは出土した刷毛の數量や、繪畫の質と量とで明らかだ。

 最後に筆といふ語について。「ひつ」古音ほぼpitと讀む。よく字書に出てゐるのが、「不律piut-liut、弗piut、筆pit。」である。後漢・許愼『説文解字』に曰く、「秦謂之筆、楚謂之聿、呉謂之不律、燕謂之弗。」
また『爾雅』「釋器」に、「不律、謂之筆」、晉の郭璞注、「蜀人呼筆爲不律也。」(蜀人、筆を呼んで不律となすなり)と。
 つまりpitといふ音が先に存在して、そこに漢字の宛て字をした痕跡が累累と見える。pitといふ音。皆さん聯想されるだらうか。筆pitの語源はpaint、pict、乃至penではあるまいか。penのラテン印歐古語(PIE=proto indo europe)は「petna」ださうである。

梵語にはpigkteとかpataとか有るらしい。
http://spokensanskrit.org/index.php?tran_input=pict

どうもpetnaが一番それらしい。pet-naと不律pit-litも隨分と似てゐるではないか。と思ったら既に不律の語源がpetnaだと論及した人がゐた(リンク)。
まあお遊び語源學はともかく、繪筆ブラシから毛筆が産まれたのである。書道史もまた、西方文明の巨大な浸潤下の産物であった。




乾正人
年のはじめに 産經論説委員長・乾正人 
さらば、「敗北」の時代よ
八重山日報 平成三十一年一月五日、第五面。
文末。
乾正人さらば敗北

 論説委員長からしてこんな他力本願だ。輿論は總じてこの調子だ。敗北の時代におさらばする氣などさらさらない人達だ。
 日本のあるべき姿は全然違ふ。日本は、チャイナ・ファシズムが襲ひ來る最前線に位置する。日本こそが「トランプ遲いぞ、ついて來い」と先頭に立って平和を守るべきだ。さうでないと暗黒の世紀が待ってゐる。軍事、遺傳子、電子データ、歴史の四方面が主戰場だ。軍事は日米の壓勝なので、チャイナは搦め手の遺傳子、電子、歴史で攻めて來る。或は軍事にしてもあからさまに非軍事を裝って來る。電子にしても技術でチャイナは勝てないので、剽竊とビッグデータで攻めて來る。日本は中間で右往左往する話ではない。



問合せに答へました。

1、或問  
 初めまして。最近ウィキペディアにて台湾緑島を確認すると、デタラメ歴史が記されていることに気がつきました。どう読んでもデタラメです。1800年代初頭に漢人が入植したり、兎に角デタラメとしか思えません。
 以前、先生が発見されて報道されたドイツ人が1868年に作成したという東アジア古地図(https://www.sankei.com/west/photos/150624/wst1506240018-p1.html)
に国境線が台湾本島と緑島の間に描かれていますから興味を持ちました。
そこでお願いがあるのですが、ウィキペディアの記述にあった宋文薰氏の『琉球与緑島的史前文化』なる書物はどこかで手に入りませんでしょうか。ご存知であればご紹介頂きたく。またもし可能であれば、緑島の歴史をお調べ頂き、こちらででも公開して頂ければ幸甚の至です。何卒よろしくお願い申し上げます。
  

2、いしゐのぞむ答  
 有難うございます。蘭嶼=タバコシマへの殖民は極めて遲いのですが、火燒嶼=綠島への殖民は案外早いといふのが傳説として有ります。昭和初年の伊能嘉矩の名著『臺灣文化志』下册第377頁に載ってます。リンク:
http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1877528/214
 http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1877528/215
 伊能嘉矩は漢籍によく通曉してゐて、漢籍を引かずに書いてゐる場合は他の情報源があります。總督府の調査などが情報源になってゐる場合が多いやうですが、私には中々急には見つけ切れません。
  西洋製の地誌地圖で火燒島の西側まで日本領土となってゐるわけは、以前八重山日報『尖閣獺祭録』の中で少々書きましたが、そこに至る歴史が中々深いものがあります。福建人の入殖と清國統治とはまた大きく隔たります。火燒島を清國が統治したわけではありませんのでご安心ください。
 。

3、いしゐのぞむ又答   
 續きです。宋文薰1979〈小琉球與綠島的史前文化〉は、《行政院國家科學委員會66學年度研究獎助費論文摘要》に載ってゐるやうですが、臺灣に行かないと入手は難しさうです。リンク:
http://www.ihp.sinica.edu.tw/~cooper/document/Taiwan-authors-2011/Sung+Wenhsun.htm
 http://140.128.138.208/webpac/detail/8329/
しかし多分あまり期待できる内容ではないでせう。
 鄭明修「綠島海洋生態之旅」(東部海岸國家風景區管理處、1998年)
https://www.books.com.tw/products/0010364203
 http://www.worldcat.org/oclc/769179055
は、多分少し期待できさうです。


4、或又問  
早速のご案内、誠にありがとうございます。
 教えて頂きました伊能嘉矩氏の『臺灣文化志』の当該頁を早速拝読させて頂きました。が、実は少し首を捻りたくなる部分があります。緑島ではなく小琉球島についてですが、この島には現在も水源が無くて台湾本島から船で水を運んでいるそうです。その様な居住に適さない小島に18世紀後期から漢人らしき住民が大勢居住していたとは考え難いのです。更に、30人が船に乗って漁に出て嵐で漂流云々、の行も怪しいと思います。水源の無い小琉球島に数百人規模で居住し、また30人も乗れる大きな漁船があり、漂流して偶然緑島に流れ着く可能性、どれを取っても怪しい。謎は深まるばかりです。
 少し時間を掛けて調査する必要があるようですから、今日の処は御礼まで。先生の研究報告楽しみにしております。益々ご活躍くださいませ。ありがとうございました。


5、いしゐのぞむ三答:  
 伊能嘉矩『臺灣文化志』の内容を檢討することは勿論必要です。ひとまづ單にウィキペディアが出鱈目なのではないとご理解いただけると思ひます。
  小琉球嶼に水源はあります。清國末年の「鳳山縣采訪冊」に曰く、「大寮澳は小琉球嶼の東に在り、……泉兩穴あり、灌溉に資すべし。」と。
http://www.guoxue123.com/tw/02/073/008.htm
 それから三十人乘りの船は小型に屬します。それから、李宗信氏論文「小琉球的社會與經濟變遷(1622-1945)」
http://ir.ncue.edu.tw/ir/bitstream/987654321/14397/1/2040500611002.pdf
 によれば、小琉球嶼の村落は各處の井戸を中心に形成されてゐるさうです。色々疑ふことは大切ですが、疑問は探索の開始ですから、基本的に自力で探索する前提で疑ふ必要があります。「謎は深まるばかり」といふことはありません。單にご自分が分からないといふことであり、謎ではりません。
 。

緑島火燒島

http://senkaku.blog.jp/2018120378356403.html



日本經濟新聞インターネット記事。
岡本隆司 「中国に属国と言われたら日本はどうすべきか」
「国家」という言葉がありますが、日本人は「ネーション」とか「ステート」の意味で使うわけですが、同じ時代に中国では国家といったら、それはただの王朝の意味でしかない。
 内閣もそうですよね。我々は普通に安倍内閣など、「キャビネット」の意味で使うんですけど、もともとは「内」は宮内庁の「内」、宮中の意味で、「閣」というのは学問所の意味なんです。いわば天皇の家庭教師と、そういう意味なんですよね。要するに天皇のご相談役みたいな家庭教師。そういう歴史を日本人は知っているから、内閣というのをキャビネットの翻訳語にしたんだろうと思います。それが今度、中国に逆輸入されて、袁世凱が内閣総理大臣になった。
 中国は伝統的に沖縄は中国の属国だという。もともと属国と言ったら上下関係の下を意味していて、「小さい国だから大きな中国に対して頭を下げて儀礼します」というだけの関係。だから、属国といっても間違えてないんですけど、ただ西洋のカテゴリーの翻訳概念で属国と言ったら、それは「琉球の主権が奪われるんじゃないか」という発想になってしまう。そんな滲み合いが近代史・日中対立のプロセスですね。歴史的事実で「属国」だと言っても、それだけにはとどまらない概念になってくる


申し譯ないが岡本氏は毎度毎度話がずれてます。
内閣はキャビネットに最も適合した語。明國の内閣首輔は日本の内閣首相。全く同じです。概念がずれてるとか言って素人をけむに捲いてはいけません。
屬國は、漢語の解としては岡本氏の言ふ通り。しかし西洋のカテゴリーとは何だらうか。英聯邦くらゐの屬國から、保護國まで色々あるではないか。明國清國の屬國は大きく分けて二種。海側と陸側。海側は形式だけの屬國。西洋、東南アジア、琉球。一方の陸側は藩部と呼んで一定の統治を行なった。

歴史で読む中国の不可解



310101仲村覺八重山日報


八重山日報、平成有終の元旦。盛り澤山ですが、特に仲村覺氏、全心全靈で危機を訴へる論説堂々二頁。「縣民投票の本當の目的は琉球獨立だ!」仲村氏は社團法人沖繩政策研究フォーラム理事長。

上記八重山日報は電子版を單日から購入できます。是非みなさん讀み頂きたい。