- 尖閣480年史 - いしゐのぞむブログ 480 years history of Senkakus

senkaku480 石井望。長崎純心大學准教授。笹川平和財團海洋政策研究所島嶼資料センター島嶼資料調査委員。日本安全保障戰略研究所研究員。内閣官房領土室委託尖閣資料調査事業特別研究員。 御聯絡は長崎純心大學(FAX 095-849-1894) もしくはJ-globalの上部の「この研究者にコンタクトする」  http://jglobal.jst.go.jp/detail.php?JGLOBAL_ID=200901032759673007 からお願ひします。 


「China, divided into its great provinces, and the isles of Japan」
(支那諸省及び日本諸島圖)
南カリフォルニア大學收藏番號:G7810 1794 .D92
Samuel Dunn氏製、西暦1794年。
出版者:Laurie & Whittle,
出版地:53 Fleet Street, as the Act directs,; London
http://digitallibrary.usc.edu/cdm/singleitem/collection/p15799coll71/id/308/rec/1

西暦1794年、ダン氏製、英吉利刊。琉球部分はゴービル系列に屬する。「Tche-oey-su」(赤尾嶼、久米赤島、大正島)を琉球の色に塗ってゐる。この前後の年代で、このやうな彩色は多見する。ラペルーズの尖閣情報が西暦1797年に刊行されるよりも前から既に尖閣は琉球に屬すると認識されることが多かった。稀少ではないが、また一幅が加はった。また、この圖の標題は「日本の島々」であり、日本から赤尾嶼まで同じ黄色に塗るから、赤尾嶼を日本の内と認識してゐる。
念のため附言すれば、收藏者南カリフォルニア大學は、日本海を高麗海と呼ぶ地圖だけを集めた政治的蒐集者として惡名高いが、尖閣とは別問題である。地圖の原作者にそのやうな政治的意圖は無い。

1794Samuel_Dunn_China_尖閣


1794Samuel_Dunn_China_標題


1794Samuel_Dunn_China_Japan


 以上の内容は、『八重山日報』に寄稿する見込です。
http://www.shimbun-online.com/titlelist/yaeyamanippo.html

記録:
https://archive.is/guvJ9
https://web.archive.org/web/20151204035432/http://senkaku.blog.jp/archives/48247393.html





http://mainichi.jp/shimen/news/20150702ddm003070197000c.html
木語:南沙は西沙だった=金子秀敏
毎日新聞 2015年07月02日 東京朝刊
 <moku−go>
 南シナ海をめぐる米国と中国の対立は6月下旬の米中戦略・経済対話でも解決の糸口が見つからなかった。どちらも軍部が強硬で、スプラトリー(南沙)諸島の緊張は高まっている。
 スプラトリーの南、フィリピン・パラワン島では海上自衛隊のP3C対潜哨戒機がフィリピン軍と共同訓練をした。隣では米比合同演習。国会の集団的自衛権論議はホルムズ海峡を舞台に頭の体操をしているが、もっと南シナ海を想定した議論をしたほうがいい。
 それにつけても中国はなぜ大陸からはるか離れたスプラトリーを、古くからの中国領土だから埋め立ては勝手だと言えるのだろうか。
 ネット上に公開されている嶋尾稔・慶応大学言語文化研究所教授の「20世紀前半のスプラトリー諸島に対する中国の関与に関するメモ−海南漁民と『申報(しんぽう)』論調」という論文で納得がいった。戦前の中国の新聞記事や史料、中国の地図を詳しく比較してスプラトリーを中国領・南沙諸島だとする領土意識が形成される過程を論じている。
 結論はこうだ。はじめ中国政府はスプラトリーの存在を知らず、パラセル(西沙)諸島と誤解して領有権を主張した。誤解に気が付くと、領有権主張を撤回するのではなく、未知の島に「団沙」(後に南沙に改称)の名前を付け「昔からの領土」と主張した。
 どういう心理なのか。1933年、ベトナムを植民地にしていたフランスがスプラトリー7島の領有権を宣言した。日本が満州に軍事侵攻して間もないころだ。中国の世論はフランスが「西沙9島」を火事場泥棒したといきり立ち、政府も領有権を主張して抗議した。
 ところがフランスの言う緯度経度は、西沙のずっと南だった。それなら安心。だがそうならないのが中国人の心理だ。列強に領土を奪われてきたので、列強が領土だと宣言したところは中国領に違いない、というナショナリズムに火がつく。「フランスは位置をごまかしてまで西沙を奪うつもりだ」と解釈した。
 1935年、政府の地図審査委員会が外国で出版された南シナ海の地図を調べて中国語地名の地図を作った。
 フランスの言う緯度経度に確かに島があるが、それまで中国の地図には西沙と東沙(プラタス)諸島、つまり南シナ海の北部しか描かれていなかった。そこで中国の地図も南沙まで拡大された。誤解による領土意識が地図の上に描かれた。(客員編集委員)


http://mainichi.jp/shimen/news/20151126ddm003070045000c.html
木語:ナンシャって何じゃ=金子秀敏
毎日新聞 2015年11月26日 東京朝刊
 <moku−go>
 東アジアサミットでまた米国と中国が南シナ海をめぐってさや当てを演じた。
 中国は南シナ海のほぼ全域が自国の領土領海だと押すが、米国は「領土問題で特定の立場はとらない」と引く。そのせいか米国メディアのなかにもスプラトリー(中国名・南沙)諸島が昔から中国領だったという錯覚がある。
 米CNNテレビの女性アンカー、クリスティアーヌ・アマンプール氏が中国の崔天凱(さいてんがい)・駐米大使と対談した。「なぜナンシャ(南沙の中国語読み)に人工島を造るのか」と迫った。大使は「自国の領土だ」と突っぱねた。
 アマンプール氏は中国名「ナンシャ」ではなく「スプラトリー」と中立的な呼び方をすべきだった。もっとも、日本のメディアも「南沙(英名・スプラトリー)」、「スプラトリー(中国名・南沙)」とまちまち。舌をかみそうなスプラトリーより南沙のほうが言いやすいが、それが錯覚の一因だろう。
 アマンプール氏は「古い地図を持ち出して領有権を主張すべきでない」と言った。南沙の古地図があると思いこんでいるのだ。大使が言い返した。「米国がなかったころからの領土だ」。ぎゃふん。
 実は2人とも間違っている。古い地図はスプラトリーと書いてあるのだ。中国が「南沙」の実測地図を作ったのは戦後、1947年以後だ。蒋介石政権が日本軍の占領していたパラセル(中国名・西沙)諸島や、日本領「新南群島」(スプラトリーの日本名)に軍艦を派遣して接収した。初めてこの地の島々を測量して南沙と命名した。主要な島には軍艦の名前から「太平島」「中業島」など中国名をつけた。このころ、南シナ海全域に「十一段線」(後に九段線)という線引きをして領有宣言した。
 48年に上海・申報(しんぽう)館が発行した「中国分省新図(戦後訂正第五版)」には「南沙群島」の文字がある。戦前の「中華民国新地図」には南シナ海南部は日本領だからそもそも出ていない。
 崔大使の言う「米国がなかったころ」は、中国人もスプラトリーを知らなかった。なのに中国人はなぜ「祖先から継承した」と思うのだろう。
 戦後まもなく台湾で発行された「中華民国地図集」(国防研究院)の序文に蒋介石総統の発言が掲載されていた。いわく「南シナ海は、漢や唐の時代から明の鄭和の遠征に至るまでわが祖先が航海を重ねた地」。43年のカイロ、テヘラン両会談後の発言とある。中国はこの時、戦後の南シナ海領有権を主張したのだろうか。(客員編集委員)


http://mainichi.jp/shimen/news/20151203ddm003070083000c.html
木語:こんな所に尖閣=金子秀敏
毎日新聞 2015年12月03日 東京朝刊
 <moku−go>
 スプラトリー(中国名・南沙)諸島が「古代から中国領だった」と錯覚している話の続き。
 「南沙」が中国の地図帳に登場するのは、戦後の1948年に上海・申報館(しんぽうかん)が発行した「中国分省新図」の「戦後訂正第五版」からであると前回書いた。
 中国大陸に近い「西沙(英名・パラセル)」「東沙(英名・プラタス)」については記録があるから、似た名前の「南沙」にも記録があると思いこんだのだろう。だが、南沙は大陸から遠く離れている。ほとんどが半ば暗礁で飲料水は出ず、人は住めなかった。だから記録もない。
 中国は、漂流漁民以外行ったことがないような場所に関心がなく戦前、南沙を管轄したことはなかった。戦後、中華民国がそれまで日本が領有、占領していた南シナ海の島々を接収した。西沙、東沙の接収は主権回復と言えるだろうが、南沙は旧中国領ではない。だが中国人は、昔からの領土を取り戻すのだと錯覚して接収した。中国でも台湾でも錯覚に気づく人はなく、「祖先から受け継いだ土地は断じて譲らない」(習近平国家主席)と米国と対立している。
 さて、「戦後訂正版」の中国地図帳。旧版と比べると南沙と旧満州、台湾のページが増えている。抗日戦争に勝利した結果、取り戻した領土だと地図帳序文はうたっている。「戦後改訂」で、南沙は目玉のひとつだ。
 もうひとつの目玉「台湾省」のページをめくってみた。尖閣諸島(中国名・釣魚島(ちょうぎょとう)、台湾名・釣魚台)はどうなっているか。探したが、ない。「台湾省」に描かれているのは、台湾北部・基隆(キールン)の北東沖にある彭佳嶼(ほうかしょ)までだ。その先にある尖閣は入れていない。
 不思議ではない。「蒋介石日記」を読めばわかるが、蒋介石総統(当時)が釣魚台という地名を使うのは70年代からだ。68年に尖閣周辺に石油があるという国連機関の報告書が出るまで総統は「台湾省」の地図にない島、尖閣の存在を知らなかった。
 念のために申報館の地図帳の旧版(34年発行)を開いてみた。日本領だった台湾のページがないのは当然だが、「第19図」(浙江(せっこう)省周辺)の下の方に東シナ海と台湾北端の地形が顔を出している。おーっ、そばに尖閣諸島がある。「釣魚台」でも「釣魚島」でもなく「尖閣諸島」の漢字表記。そうだったのか。戦前は中国人も尖閣を釣魚島と呼んでなかった。中国人が中国の領土と思いこむのは戦後、それも70年代以後なのだ。古い地図帳は知っている。(客員編集委員)

金子秀敏


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製圖者:中込政富
發行: Kawachiya Tetsugoro
ハーバード大學藏。
http://ids.lib.harvard.edu/ids/view/38847172?buttons=y
http://vc.lib.harvard.edu/vc/deliver/~maps/012559179
https://www.worldcat.org/oclc/829138882
https://www.worldcat.org/oclc/660609975

1801Nakagome_Harvard
 これは林子平『三國通覽圖説』を模寫した圖であり、尖閣と臺灣とを別の色に分ける。臺灣附屬島嶼説を否定してゐる。臺灣海峽の東沙山(馬祖列島の一)は無色なので、無主地扱ひとなら う。東沙山は尖閣航路の西側の入り口として歴來著名である。東沙山の西側でチャイナは盡きてをり、東方の尖閣は隨意に施された桃色だが、チャイナに屬しない。原圖中で桃色に塗るのは小笠原・尖閣・チャイナ・シベリアである。
 單に東沙山に着色し忘れたと解釋するのは通じ難い。なぜなら東沙山と尖閣との中間に別の色の臺灣島を隔ててゐるため、製圖者中込政富氏は大陸と尖閣とを分離して認識した可能性が高い。そのため中間の東沙山が無色となったのだらう。中込氏が林子平圖を模する際に、尖閣の桃色がチャイナに屬することを示すとは認識しなかったことになる。林子平圖に對するほぼ同時代人の認識として價値が有る。
 ハーバードにこの圖が藏せられて尖閣を含むことは、これまで誰にも論じられてゐないやうだ。私の小さな發見といふことにならうか。林子平『三國通覽圖説』の模寫圖は各地に多數有るので、逐一調査すれば、同樣の彩色により、尖閣の桃色はチャイナ領土の色として認識されなかったことが分かるだらう。インターネットに出てゐるもの、出てゐないもの、數多い。私は忙しいので、どなたかこの仕事をして頂きたい。無量の功德とならう。

 原圖の朝鮮半島と日本との間には「竹嶋」「鬱陵島」が畫かれ、「竹嶋」に附記して曰く、
  「此の嶋より隱州を望む。又朝鮮をも見る」
と。隱州(隱岐)を望み得るのは今の竹島でも鬱陵島でもないので、これはどの島か確定できない。ただ江戸時代に竹島と呼ばれてゐたのは今の鬱陵島なので、この圖には鬱陵島が二つの情報源から重複記載されてゐるとも言へる。要するに地理認識の不確かな地圖である。また「竹嶋」に「朝鮮の持ちなり」と附記する所以は、竹島は即ち鬱陵島だから朝鮮領土だと認識された可能性が高い。
中込政富日本圖harvard竹島

 原圖の左下方に「享和元年にこれを模す」と署する。西暦千八百一年に當る。その下の「鏡中條村」は甲斐國巨摩郡の村名。中込政富といふ人物は分からない。巨摩には中込といふ氏が有るやうで、野球元阪神タイガース中込伸氏、南アルプス市前市長中込博文氏が著名である。鏡中條村には江戸時代後期に中込莊右衞門といふ畫家がゐたやうだが、族中の人も乃至政富本人かも知れない。
https://www.pref.yamanashi.jp/kenhaku/documents/matsuda.pdf
(參照:松田美沙子「新津家傳來肖像畫について」、『山梨縣立博物館研究紀要』第九號、平成二十七年)
ハーバード目録のKawachiya Tetsugoroは原圖に見えない。背面に記載されてゐるのかも知れない。
中込政富日本圖harvard署名


關聯:
「片山さつき議員もツイート 林子平が尖閣をチャイナ外と看做した 決定的な地圖」
http://senkaku.blog.jp/2015112949031700.html

以上の内容は近く八重山日報に寄稿します。
https://archive.is/FdgAV
https://web.archive.org/web/20151201225058/http://senkaku.blog.jp/271202nakagome.html



 古地圖に於ける尖閣は、地圖製作者の認識を示してをり、領有の事實を示すわけではないので、一つの古地圖が決定的となることは有り得ない。ただ認識の歴史の一齣として大切であり、同一認識を共有する地圖が多數存在すれば、世界の輿論に訴へる上では大きな力となる。

 このほど、竹島を朝鮮領土として、尖閣をチャイナ領土とする林子平の「大三國之圖」が發見されたと、韓國で報じられてゐる。
http://japanese.joins.com/article/692/208692.html
林子平「大三國之圖」は、「我が文化を育てる會」の最新刊『日本古地圖選集』に收められてゐるとのことだ。
http://search.ksinmun.com/view/c/3000/138927.html
この報導について幾つかの方面から問合せを受けた。版元は通常の出版社ではないので入手は難しく、只今書店に探索を依頼してゐる。しかし當該部分の電子畫像はインターネットに出てゐる。
http://t1.daumcdn.net/news/201511/21/joongang/20151121012504157phjj.jpg
大三國之圖daumcdn

 まづ左下の尖閣の部分。韓國の報導では「島の峰は山を表示する緑色で、下側は中国領土と同じ朱色で塗られている」とする。しかし圖を見る限り、尖閣の緑の峰の下側の薄朱色は大陸の濃さと大いに異なる。特に決定的なのは、臺灣が尖閣とは大きく異なる桃色であり、臺灣附屬島嶼説を否定する地圖となってゐる。チャイナ政府がこの地圖を採用するには、まづ臺灣附屬島嶼説を取り下げねばならないだらう。
 「大三國之圖」は林子平の『三國通覽圖説』を誰かが改訂して成ったのは一見して明らかだ。報導では「大三國之圖」も同じく林子平の作だとする。この點はひとまづ報導だけにもとづかざるを得ない。西暦1802年の作だといふから、林子平が寛政年間の蟄居中に亡くなってよりも後の成立だ。確かに林子平の作であるならば、極めて重大だ。林子平『三國通覽圖説』では大陸・尖閣・小笠原・シベリア等が揃って桃色であるが、それは單に尖閣がどこにも屬しないため隨意に桃色に塗って置いた疑ひが濃厚であった。そして今度の「大三國之圖」では明らかに林子平が隨意の濃淡で塗ったに過ぎない。林子平が「大三國之圖」と同じ認識で『三國通覽圖説』を畫いたならば、兩者ともに尖閣の桃色は隨意の暫定的着色に過ぎなかったことが明らかになる。
 問題は、このやうに貴重な地圖が韓國側に購入されてしまったことだ。『日本古地圖選集』よりも更に高精細で撮影したくても自由にできない。日本側はこのやうな地圖を蒐集購入する努力をほとんどしてゐない。私にもそのやうな預算も補助金も下りてゐない。
 そもそも林子平『三國通覽圖説』では、尖閣が桃色、臺灣が黄色で、臺灣附屬島嶼説を否定してゐる。チャイナ政府がこの地圖を採用するには、まづ臺灣附屬島嶼説を取り下げねばならない。下圖のやうに尖閣と臺灣との間に線を引けば分かり易い。
三國通覽尖閣隔線粗
  ▲國會圖書館藏 林子平『三國通覽圖説』より。
   尖閣は赤、臺灣は黄。


  ▼早稻田大學藏 林子平『三國通覽圖説』より。
   大陸・尖閣・小笠原・シベリア等が揃って桃色。

http://archive.wul.waseda.ac.jp/kosho/ru03/ru03_01547/ru03_01547_0002/ru03_01547_0002_p0002.jpg
林子平三國通覽圖説早稻田
『三國通覽圖説』についてご興味お持ちの向きは、さらに拙著『尖閣反駁マニュアル百題』第三部第三十五條をご參照頂きたい。


 ついでながら、「大三國之圖」の竹島についても全く心配は要らない。私は竹島を研究してゐないので、下リンクの下條正男氏の分析を參考にしつつ、
http://www.pref.shimane.lg.jp/admin/pref/takeshima/web-takeshima/takeshima04/takeshima04-2/takeshima04_r.html
私なりに分析してみよう。
 「大三國之圖」では「竹嶋」に「朝鮮の持ちなり」と注記し、更に「この嶋より隱州」の部分は、林子平『三國通覽圖説』及び下のビデオを併せ見れば、「この島より隱州を望む。又朝鮮をも見る」と書いてあると分かる。
https://www.youtube.com/watch?v=sDEpZY1-ltU
大三國之圖ビデオ

大三國之圖ビデオ2

 江戸時代に竹島が松島と呼ばれてをり、鬱陵島が竹島と呼ばれてゐたことは良く知られてゐる。『三國通覽圖説』の「竹嶋」には「この島より隱州を望む。又朝鮮をも見る」と書かれてゐるが、隱州(隱岐)から今の竹島まで150キロメートルを超える長距離であり、隱州(隱岐)から鬱陵島までは更に離れてゐるため、どちらにしろ隱岐を望み得ない。よって『三國通覽圖説』の「竹嶋」は、鬱陵島でも今の竹島でもなく、不確定の島と判定せざるを得ない。「大三國之圖」にも「この島より隱州を望む」と注記されてゐるため、同じく不確定の島とせざるを得ず、役に立たない。竹島領有について何らの憂慮も要しない。
 假に「隱州を望む」の語を無視しても、江戸時代に竹嶋と呼ばれてゐたのは通例として鬱陵島であるから、「朝鮮の持ちなり」の語も鬱陵島を指すに過ぎない。
 ただ林子平の島の位置は全く不正確で、鬱陵島を指す筈の「竹嶋」がかなり東に寄ってゐる。今の竹島を指す筈の「松島」がその極近に位置してゐる。現實の島々から全くずれてをり、どれがどの島なのか確定できず、ほとんど役に立たない。
 更に、『三國通覽圖説』の中の「朝鮮國全圖」では今の竹島を書き入れてをらず(下リンク)、
http://archive.wul.waseda.ac.jp/kosho/ru03/ru03_01547/ru03_01547_0003/ru03_01547_0003.html
林子平は今の竹島を朝鮮領と認識してゐなかったと推測できる。


 以上が私なりの竹島分析である。今度の「大三國之圖」については、片山さつき議員も憂慮してゐる。
https://twitter.com/katayama_s/status/668216607575965697
1802年の日本の地図に「独島は朝鮮」、「尖閣は中国」(中央日報日本語版) -
http://japanese.joins.com/article/692/208692.html 
曰く、「外務省に事実確認とどのような反論が可能か照会した所です。」とのこと。


以上の内容については、近く論文に書き入れて公表します。
https://web.archive.org/web/20151130132013/http://senkaku.blog.jp/2015112949031700.html
https://archive.is/oaKTi


安倍オバマ産經

産經新聞。
http://www.sankei.com/premium/news/151129/prm1511290018-n1.html
http://www.sankei.com/premium/news/151129/prm1511290018-n2.html
http://www.sankei.com/politics/news/151129/plt1511290003-n1.html
http://www.sankei.com/politics/news/151129/plt1511290003-n2.html
曰く、
(安倍首相は)同盟国のオバマ米大統領や、息の合うモディ印首相らとは、南シナ海情勢の懸念を共有した上で、こう切り出した。
 「東シナ海では中国公船による領海侵入と一方的な資源開発が継続している。中国海軍艦艇が尖閣諸島周辺海域に接近する事案も発生している。エスカレーションを懸念する」
 東アジア地域の不安定要因となっている東シナ海問題についても議論した。南シナ海情勢ほどの中国の軍事的進出はないものの、何かの拍子で「第三次世界大戦の引き金になりかねない」(元米国防総省幹部)ことが懸念されているからだ。
 このため、積極的平和主義の下、安倍首相は「地域紛争を未然に防ごうと取り組んでいる」(外交筋)という。漁民に扮した中国兵や揚陸艦などによって尖閣諸島が不法占拠される“最悪のシナリオ”も想定しての「中国覇権抑止に向けた外交」(同)だ。
 日本政府は自衛隊による南西防衛体制の強化を進めているが、最悪のシナリオが起きた場合はどうか-。「中国の奇襲に対して奪還作戦で領土を取り戻したとしても、その後は平和的に事態を収拾しなければ、より大きな争いになる」と政府筋は指摘する。
 この時に、最も大きな効力を発揮するのが国際世論や外圧だとされる
 東西冷戦の影が今も残る国連体制では、国際法を無視する中国が一時的に制圧した尖閣諸島の領有権や武力行使について、常任理事国として正当化することは容易に想像される。
 この中国に対し、世界各国が南シナ海問題と同じように「一方的な現状変更はすべきではない」「法の支配」などを連呼し、連携して自制を促し、和平協議の場に引きずり出すことが日本にとって重要になる。
 中国が不法占拠に乗り出す前に尖閣諸島周辺で軍事的緊張を高める行動を起した場合も、国際世論が中国の動きを非難し、自制を求めることができる
 ある元自衛隊幹部は安倍外交を「武力による争いをせず、国を守る」と評価する。

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産經新聞は親(しん)安倍だとされるから、以上の情報は確度が高い。尖閣をチャイナに取られた場合に、
1、「効力を發揮するのは國際輿論や外壓だ」
2、「南シナ海と同じやうに」
3、「自制を求めることができる」
4、「武力による爭ひをせず」
といふのが安倍政權の考へ方であるらしい。その通りであるならば、安倍政權は既に尖閣を捨ててゐる。なぜならば、
1、國際輿論や外壓によってチャイナが尖閣から退却することは有り得ない。
2、南シナ海と同じならば、アメリカの威嚇を無視してチャイナは占領を續ける。
3、尖閣を取られた後にチャイナに自制を求めても無駄である。
4、日本はもともと武力を使用しない國であるから、武力とは防衞力を指すことになる。防衞力を使はないのだから、尖閣を防衞しないといふ意になる。
 要するに安倍政權は尖閣をチャイナに讓(ゆづ)る方向で調整に這入ったといふことだ。この産經報道が事實でないことを願ふが、事實である可能性が高い。
 「チャイナが尖閣を取った後でなく、日本が尖閣を取りもどした後の話だ」と強辯しても無駄だ。なぜなら「武力(防衞力)による爭ひをせず」と書いてある。防衞力で尖閣を取り戻すつもりは無いといふ意だ。
 愛國派の有力者は、安倍政權に對して言論の集中砲火を浴びせるべきだ。尖閣放棄について抗議すべきだ。もう尖閣の終末は近づいてゐる。
 愛國派は以上の私の主張に反感を持つかも知れないが、これは主張以前に産經が報じた情報だ。文句を言ふならまづ産經に言って欲しい。

 チャイナが侵攻して來る前の段階では、言論の力として國際法だけでなく、國際輿論や外壓が重要だ。それには歴史を語ることが最も有効だ。何故なら尖閣の歴史で日本が不利だと世界は誤解してゐる。領有の歴史だけでなく、發見・命名・航路指標の歴史でもチャイナがゼロだと世界が理解すれば、世界は壓倒的に日本を支持する。現状では安倍政權はその努力を全くしてゐない。
 勿論政府が直接歴史を評價すべきでないが、しかし政府公式見解は「歴史的にも固有の領土」だ。民間が尖閣史の百對ゼロを證明してゐるのだから、政府がそれを支援すべきだ。言論界もオールジャパンで毎日尖閣480年史を語るべきだ。それをしない言論界の有力者らは、尖閣喪失の責任を取るべきだ。例へばフェイスブック・ツイッターで二十萬以上の人氣を集める言論人、六十萬部の『文藝春秋』の執筆陣、NHK常時出席者、讀賣新聞編輯委員などの責任が重い。朝日新聞毎日新聞をけなして滿足してゐる場合ではない。

關聯:

http://senkaku.blog.jp/archives/19452704.html

http://senkaku.blog.jp/archives/1453608.html

http://senkaku.blog.jp/archives/15358153.html

http://senkaku.blog.jp/archives/1453594.html

http://senkaku.blog.jp/archives/15461015.html

http://senkaku.blog.jp/archives/16449910.html

http://senkaku.blog.jp/archives/16553522.html

http://senkaku.blog.jp/archives/16950965.html

http://senkaku.blog.jp/archives/16915561.html

 




安倍オバマ産經




施光恆

施光恆氏曰く、
http://news.mynavi.jp/articles/2015/11/26/tppeigoka/
http://news.mynavi.jp/articles/2015/11/26/tppeigoka/001.html

「日本の保守は、戦後は伝統的に親米派です。安倍さんの頭の中では、保守は親米で、共産主義に対抗して市場重視であるべきだという冷戦時代のイメージが強く残っているのではないかと思います。ですが、保守の真髄は、日本の文化や伝統、あるいは国民生活を守るということにあります。伝統や文化を次世代に伝えていくのに必要な家族や地域共同体を守るということが根本になければなりません。安倍さんの頭の中は冷戦時代のままで、社会主義、共産主義に対する市場重視という考えから離れられないのだと思います。」

「自民党がもし保守政権だと自己規定するのなら、まずは社会の基盤である母国語や文化を守らなくてはなりません。それもできずに何が保守なのか、と思います。」



愛國派中、この種の批判は稀少である。多くは口先で日本を大切にするが、實際には大切にしてゐない。歴史と傳統を大切にする愛國者は、尖閣の歴史も大切にすべきだ。尖閣以外では歴史を大切にするのに、尖閣についてだけは「歴史なんか關係無い、國際法だけで決める」といふのは愚かだ。日本人の精神として不健全だ。眞の愛國者ではない。



近刊預定。
http://www.naigai-group.co.jp/_2015/11/post-47.html

島嶼研究ジャーナル第5巻1号

島嶼ジャーナル5-1
A5判 全142頁
本体1,000円+税
ISBN978-4-905285-50-2

発 行 所 島嶼資料センター
印刷・販売 内外出版株式会社


1 論説
○竹島と尖閣諸島
塚本  孝


○千島列島と全千島列島
髙井  晉


○海洋法に対するアジア諸国の態度
三好 正弘


2 インサイト
○チャイナ尖閣特設サイトに反駁する
いしゐのぞむ


○竹島の日本地図についての韓国側の報道・論文に対する反論(4)
―2015年7月17日付韓国・中央日報報道の地図について(1)―
舩杉 力修


○排他的経済水域内での人工島建設に関する国際法上の問題点
下山 憲二


3 島嶼問題コラム
○「領土・主権をめぐる内外発信に関する有識者懇談会提言」
髙井  晉


編集後記

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今度載せた「チャイナ尖閣特設サイトに反駁する」は、歐洲でひろまった「Tiao-yu-su」(釣魚嶼)に隨分論及し、また臺灣附屬島嶼説の根據を全部つぶしました。結構面白い筈です。卷頭の塚本孝先生「竹島と尖閣問題」、かなり期待できる中味だと聞いてゐます。
 印刷出來本は十一月二十八日の時點でまだ私に屆いてをらず、また内外出版やアマゾンの通信販賣にもまだ出てゐません。十二月末くらゐには出るだらうと預期してゐます。


期待の新刊 八重山日報が翁長縣政を撃つ

http://www.amazon.co.jp/dp/4819112732/
仲新城翁長

翁長知事と沖縄メディア 「反日・親中」タッグの暴走 単行本(ソフトカバー) – 2015/11/30


内容紹介  「つぶさなあかん」と言われる理由


「百田発言」で注目の「沖縄タイムス」と「琉球新報」は、毎日何を書いているのか。
稀代の「怪物知事」を生んだ異常な背景を解き明かす!

《エスカレートする翁長氏の行動は、いずれも県紙2紙をはじめとした沖縄メディアが事前に煽ってきたものだ。翁長氏の知事就任以来、沖縄県の強硬姿勢と沖 縄メディアの翼賛報道は、相互に増幅を繰り返しているように見える。言ってみれば、翁長氏は沖縄メディアの「脚本・演出」を忠実に実現する、偉大な「主演 俳優」なのだ》(「はじめに」より)

沖縄に「言論の自由」はない!

●目次
「尖閣の地元紙」から見た虚構の沖縄-はじめに
第1章 翁長知事とは何者か
第2章 「異論」が封じられた辺野古問題
第3章 地元メディアが語らない尖閣の危機
第4章 与那国自衛隊配備を歪めるもの
第5章 教育現場も支配する地元メディア
第6章 イデオロギー「平和教育」の嘘
巻末付録 沖縄2紙の「トンデモ社説」

●主な内容
国連を利用した「反日」活動/沖縄人は「先住民」なのか/「世界へ発信」も各国代表はスマホいじり/琉球新報の編集局長と並んで登壇/「中国属国化」の象 徴が那覇港に/翁長票を割るなと「大局」を説く沖縄タイムス/「百田発言」が10日連続1面トップ/抗議のカヌーを漕ぐ女性をアイドル扱い/「八重山日報 がいるぞ」/反基地派から「殺人者」/「平和」勢力の攻撃性/公安調査庁が名指しした琉球新報の独立論/「基地移設」と言わなくなった地元メディア/「新 基地」だけでないイデオロギー用語/反対派と比べ層の薄い「沖縄保守」/非常手段も辞さない「尖閣ストーカー」/中国「防空識別圏」そっちのけで反基地報 道/南シナ海の中国基地には抗議しない反基地派/人口減少「このままでは第2の尖閣になる」/「賛成派農家はサトウキビを作らぬ」と批判/地元メディアが 「反対」の先頭に立つ構図/文科省を悪代官扱いする県紙の悪質報道/教科書選びは「軍の関与」明記に矮小化/尖閣危機と無縁ではない「軍神」の復活/空 想、トラウマ、反国家/「平和教育」にも言論の自由はない

著者について

仲新城 誠(なかしんじょう・まこと)
八重山日報編集長。1973年、沖縄県石垣市生まれ。琉球大学卒業。99年の入社以来、八重山の政治、経済、社会問題を中心に取材。2010年から現職。著書に、八重山教科書問題の実態に初めて迫った『国境の島の「反日」教科書キャンペーン』(産経新聞出版)など。

八重山日報(やえやまにっぽう)
八重山諸島・石垣島を拠点とする日刊紙。1977年、沖縄タイムス出身の宮良長欣が創刊した。発行部数約6000部ながら、イデオロギー色の強い報道が支配的な沖縄のメディアにあって、孤高を貫く。八重山以外でも、電子版や郵送により全国で紙面の購読ができる。


登録情報

  • 単行本(ソフトカバー): 288ページ
  • 出版社: 産経新聞出版 (2015/11/30)
  • 言語: 日本語
  • ISBN-10: 4819112732
  • ISBN-13: 978-4819112734
  • 発売日: 2015/11/30
  • 商品パッケージの寸法: 18.8 x 12.8 x 1.8 cm

第一島鏈

昨日書いた「驚くべきオバマ發言 反ISの盟友に台灣を含む チャイナを含まず」
http://senkaku.blog.jp/archives/48591566.html
の續報。臺灣では肯定的反應と否定的反應と兩方ある。
http://www.chinatimes.com/newspapers/20151125000931-260310
http://newtalk.tw/news/view/2015-11-25/67175
http://www.appledaily.com.tw/realtimenews/article/new/20151125/739815/

この件は當初チャイナで小さな報導に止まったが、
http://www.zhgpl.com/doc/1040/1/6/1/104016114.html
その後の臺灣側の反應についてはチャイナでも幾分か大きく報じられてゐる。リンク:
http://mil.huanqiu.com/observation/2015-11/8030283.html
http://www.guancha.cn/Neighbors/2015_11_23_342281.shtml
http://news.ifeng.com/a/20151123/46357264_0.shtml
http://news.stnn.cc/hk_taiwan/2015/1124/262529.shtml
http://www.huaxia.com/thpl/sdfx/4634060.html
臺灣の緑營(獨立派)のインターネット民がオバマからの特別指名を喜んでゐないこと、臺灣政府が「軍事行動に參加せず、人道援助に止める」と述べたこと、大統領候補宋楚瑜が「良い事については臺灣に聲を掛けないくせに」と反撥したこと、などである。要するにこの件について臺灣國民が消極的姿勢を見せたことを、チャイナは喜んで利用してゐるわけだ。

 日本では大手媒體は沈黙したままだが、中小のレコード・チャイナ(チャイナ資本)の評論が出た。
http://www.recordchina.co.jp/a123792.html
從來臺灣に軍事援助をして來た延長線上で、更に臺灣の地位を引き上げやうとするのがオバマの意圖だ、と分析してゐる。チャイナがもっと騷げば日本の大手も報じるだらう。

 臺灣ではオバマの意圖を臆測して、色々な評論が出始めてゐるが、要領を得ない。自由時報に載った評論では、何故チャイナを外したのかといふ問ひだけがあり、
http://talk.ltn.com.tw/article/paper/935042
答へを述べない。また財政部長(財務大臣)張盛和は立法院(國會)で、「何故オバマが臺灣を列したのか不可解だ」
http://news.cnyes.com/20151126/20151126122516402899011.shtml
と答辯した。またこちらのビデオでは
http://video.udn.com/news/401932
司會者が幾度も「何故チャイナを外したのか」と問ひ掛けても、評論者は色々と語るばかりで、問ひに答へない。また自由時報に載った或る投書では、
http://talk.ltn.com.tw/article/paper/935232
チャイナが國内のテロ打撃にばかり積極的で、IS打撃に消極的であるため、オバマが嫌って反IS盟友から外したのだらうと推測する。一理あるが、しかし表面上はチャイナもIS打撃を表明してゐるのだから、オバマがそれを否定するには、チャイナがISを支援してゐるといふ餘程の確證が無ければ難しい。
 一方、南海がオバマ發言の眞の主題だとすれば、南海に於けるチャイナの侵略的意圖は明瞭だから、チャイナだけ外すのも道理である。されば鄙見として今度のオバマ發言は第一列島線同盟構想である。私と同じ見解は、臺灣の小媒體「臺灣醒報」に、匿名の前任駐某國大使の言葉として
https://anntw.com/articles/20151123-2TiZ
紹介されてゐる。國民黨寄りの臺灣大手媒體「聯合新聞網」にも轉載された。
http://udn.com/news/story/5/1332650
説得力有りと看做されたのだらう。その全文を以下に複製して置く。

--------------------
https://anntw.com/articles/20151123-2TiZ
歐巴馬忽提台灣 專家:醉翁之意
鄭國強 2015/11/23 17:02
專家認為,美國總統歐巴馬在東協上提到台灣是拉攏,學者認為只是提醒中國應對反恐以實際行動表態。

【台灣醒報記者鄭國強台北報導】台灣跟美國是反恐夥伴?美國總統歐巴馬22日於東協峰會上極為罕見的提到,日、澳、韓、加、星、馬與台灣等皆為反伊斯蘭國同盟,一位前駐外大使認為,是因「馬習會」後美欲拉攏台灣加入西方陣營。政大國關中心研究員嚴震生分析說,美國承認了台灣過去在中東危機扮演的援助角色,也想藉此提醒中國在對抗IS上應拿出具體行動。

美國總統歐巴馬22日於東協記者會上極為罕見的提到,許多美國的亞洲盟邦也是伊斯蘭國的受害者,亞太地區的反伊斯蘭國聯盟可以包括加拿大、日本、韓國、台灣、新加坡、澳洲、馬來西亞、紐西蘭。一名前任駐外大使認為是弦外之音,他表示「從這個名單就看得出泛太平洋戰略經濟夥伴TPP的影子,區域上橫跨北亞、東亞及南亞,未提到中國,卻把台灣也納入,拉攏意圖明顯。」

「不要忘了,馬習會才剛剛結束而已,在南海議題上,中國與台灣有類似的政策(九段線理論),美國顯然不希望台灣在這個時機上,太偏傾向中方。」這位前大使說,在馬習會之前,即便是美國與中國在南海上的爭議,或者是其他區域經濟議題,美國從來不曾提到台灣,這次看起來是反恐、反伊斯蘭國聯盟,但是大家都聽得出歐巴馬的醉翁之意。

他指出,更該注意的是日本與澳洲。日本現在可以在全世界任何地方主動出兵幫助他的盟友,嚴然已成為美國重返亞洲,尤其是東北亞的代理人,而不是與中國愈走愈近的南韓。在南亞部分,美國逐年擴大在澳洲駐軍,澳洲不但將擁有美國最先進的隱形戰鬥機F35,也允許美國在澳建立長程雷達。

「若你把地圖打開,從日本、台灣以及澳洲達爾文港的美軍基地連成一條線,就會發現台灣是對付中國的箭頭。」他表示,反過來說,台灣若傾中,美國的重返亞洲策略就大打折扣。這位前駐外大使說,「所以你能說『馬習會』沒有用嗎?」

但政大國關中心研究員嚴震生認為,歐巴馬沒有那麼深遠的動機,這算是他首次承認台灣過去在中東危機中所做出的人道救援,例如提供敘利亞、約旦難民營的救援物資,他指出,美國只是藉此點醒也有人質喪命在IS之下的中國表態,質疑習近平的反恐策略和實際作為。


オバマ大統領が「Taiwan」の文字を口にするだけでも極めて稀な事だ。驚くべきことに十一月二十二日、オバマ大統領は記者會見で、反ISの盟友として
「豪洲、カナダ、日本、マレーシア、ニュージーランド、シンガポール、南高麗、臺灣」
を舉げ、チャイナを含まなかった。
チャイナはISを支援してゐるといふ黑い噂が絶えないが、表面的には曲りなりに反ISの一員である。これまでオバマ大統領は、馬英九・習近平會談を高く評價して見せたり、南支那海でもチャイナの人造岩礁にあまり接近せず航行するなど、チャイナに對して常に氣を使ってゐる。軟弱な大統領だ。
それが今度は、十三億の人口を擁するチャイナを仲間から外すとは驚いた。この發言の陰の主題はISでなく南支那海だらう。どうやらアメリカは、本氣で第一列島線同盟を想定し始めたらしい。臺灣を含めなければ列島線は繋がらないのだ。

この件について、アメリカでも日本でも現時點までほとんど報道されてゐない。臺灣では或る程度まで話題になってゐるが、あまり大きな扱ひではない。臺灣のインターネット民の反應は、
「臺灣をISの危險に引きずり込まないでくれ」
「アメリカは臺灣のお金が必要になったのか」
といったものばかりで、この歴史的大轉換となりさうな發言を深く考へてゐないやうだ。
以下、臺灣各社の報導のリンク。

http://news.ltn.com.tw/news/world/breakingnews/1517354

http://news.ltn.com.tw/news/world/breakingnews/1518283

http://www.cw.com.tw/article/article.action?id=5072596

http://www.setn.com/News.aspx?NewsID=108062

https://anntw.com/articles/20151123-2TiZ

http://news.knowing.asia/news/cf634f90-2839-48da-b5e9-e472af53da0e

http://newtalk.tw/news/view/2015-11-25/67175
http://www.appledaily.com.tw/realtimenews/article/new/20151125/739815/

チャイナの新聞は早速これを批判してゐるが、
http://www.zhgpl.com/doc/1040/1/6/1/104016114.html
http://mil.gmw.cn/2015-11/24/content_17835832.htm
チャイナ政府は公式には沈黙してゐる。チャイナにとって極めて望ましくない發言である。

オバマ發言は下の動畫の四分二十秒より開始。
https://www.youtube.com/watch?v=WS3VmdzUumE#t=4m20s


續報はこちらリンク:
http://senkaku.blog.jp/archives/48661318.html








「尖閣は琉球の一部」明記 19世紀初頭ドイツ地図
http://www.sankei.com/region/news/151116/rgn1511160037-n1.html
http://www.iza.ne.jp/kiji/life/news/151116/lif15111611150005-n1.html
産経新聞 11月16日(月)7時55分配信

産經九州271116
1804年に出版されたドイツ製地図。尖閣諸島(中央やや上のだ円で囲んだ部分)が琉球と同じ色で塗られている(写真:産経新聞)

 ■長崎純心大・石井准教授が確認

 尖閣諸島(沖縄県石垣市)を琉球領に含めた1804年作製のドイツ製地図が現存していることを、長崎純心大の石井望准教授(尖閣史)が確認した。明治政府が尖閣諸島領有を閣議決定する90年前の地図であり、石井氏は「領有前から西洋諸国は尖閣を琉球領と認識していた。無主地の尖閣が徐々に日本の勢力下に置かれていく過程を表す」と語った。(九州総局 奥原慎平)

 確認された地図はドイツの地図製作の大家、アドルフ・シュティーラー(1775~1836)が作成した。地図では尖閣諸島と琉球が黄色に塗られており、無色の台湾との間は、線で仕切られていた。

 石井氏は今年7月、ドイツの古美術品店やミュンスター大の所蔵資料で確認した。

 地図作製にあたってシュティーラーは、18世紀に琉球周辺を航海した唯一の西洋人であるフランス人のラペルーズ(1741~88)の航海日誌を参考にしたとみられる。ラペルーズは1780年代に尖閣諸島南部の与那国島(現沖縄県)海域を運航し、航海日誌に「台湾(の)東の島々の首府は琉球」と記した。

 明治政府は1885年から10年かけて、尖閣諸島に清国を含むどの国の支配も及んでいないことを確認した上で、日清戦争中の1895年1月、沖縄県への編入を閣議決定した。

 一方、中国側は尖閣諸島は清国が領有する台湾の付属島として、日清戦争の講和条約「下関条約」(1895年4月17日締結)によって、台湾とともに日本に割譲されたという論法で、領有権を主張する。

 だが、今回の地図や、シュティーラーが創業した地図出版会社が1868年に発行した「ハンド・アトラス」でも、尖閣諸島は台湾ではなく、琉球領と記されていた。

 石井氏は「今回の地図で分かるように、日本編入以前から西洋は尖閣諸島を日本領と認めていた。地図は編入に向かって進む歴史の流れを示す一つのピースだ。当時の地図は手塗りで、塗り替えも可能だ。中国の改変を防ぐには、早急にドイツで資料を収集すべきだ」と訴える。

 自民党国際情報検討委員会委員長の衆院議員、原田義昭氏(福岡5区)も産経新聞の取材に「(尖閣諸島に関する)古資料のほぼ全てが中国政府の主張を否定している。中国が仕掛ける領土問題に対して、米国など第三国にて学術的に論破する場を設けたい」と述べた。

https://archive.is/KAUkZ
https://archive.is/ZcauH
https://archive.is/YAIlZ
https://archive.is/Xt42z
https://archive.is/NuFNC
https://archive.is/8EC5Q
https://web.archive.org/web/20151116025500/http://www.sankei.com/region/photos/151116/rgn1511160037-p1.html
https://web.archive.org/web/20151116025719/http://www.sankei.com/region/news/151116/rgn1511160037-n1.html
https://web.archive.org/web/20160102211434/http://www.iza.ne.jp/kiji/life/news/151116/lif15111611150005-n1.html
https://web.archive.org/web/20160102211725/http://www.iza.ne.jp/kiji/life/news/151116/lif15111611150005-n2.html
https://web.archive.org/web/20151216074821/http://www.iza.ne.jp/kiji/life/photos/151116/lif15111611150005-p1.html



http://www.thenewslens.com/post/222650/

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そうだったのか沖縄Googleブックス

電子版、グーグルブックスから購入できます。
私は第八章を擔任してます。
https://books.google.co.jp/books?id=pU8TBQAAQBAJ
『そうだったのか「沖繩!」』
仲村覚, 仲村俊子, 石井望, 江崎孝
Jigensha, 2014/10/25 - 136 ページ

国家レベルの問題が山積する沖縄。その歴史と現在を新しい視点で解説。

●序章:沖縄問題の本質
沖縄問題は国家の基本問題ばかり
沖縄問題の本質は占領軍による日本民族分断工作
占領軍から中国共産党に移った日本民族分断工作
中国共産党が仕掛ける琉球独立歴史戦と無防備な日本の沖縄の歴史観
沖縄問題の解決策は「日本国民の民族意識の復活」
沖縄の分断を招く誤った日本の歴史観(一)「明治維新」と「琉球処分」
沖縄の分断を招く誤った日本の歴史観(二)「沖縄戦」と「沖縄県祖国復帰」
沖縄を守る日本民族の使命
●一章:今明かす、祖国復帰の真実
沖縄返還協定批准貫徹実行委員会
沖縄歴史コラム① 沖縄県祖国復帰協議会と七〇年安保
●二章:「沖縄祖国復帰の真実について」解説
沖縄問題の根源は「沖縄県祖国復帰協議会」にある
復帰運動のクライマックス11・17「沖縄返還協定強行採決」と「幻の建議書」
復帰協の安保闘争を粉砕した「沖縄返還協定批准貫徹実行委員会」
祖国復帰記念式典に参加しなかった沖縄県祖国復帰協議会
屋良主席を日本政府との対立に追い込んだ沖縄の革新勢力
今の沖縄は復帰直前と全く同じ事が起きている
沖縄と本土の亀裂は日本を滅ぼす最大の敵
日本を守るために国民一丸となって日本防衛の決戦場「日本国沖縄」を守ろう!
●三章:習近平も注目の沖縄県知事選「ネットvs新聞」の代理戦争
「辺野古移設」は争点になるか
「辺野古」を争点化する沖縄メディア
経済が争点なら県知事の圧勝
「8・23辺野古県民集会」
「辺野古県民集会」が内包する致命的欠陥
辺野古移設は「目的」ではない「手段」である
沖縄二紙に喧嘩を売った県知事
沖縄歴史コラム② 琉球政府主席公選
●四章:沖縄県知事選挙の裏に潜む琉球独立工作
糸数慶子が企む琉球独立革命
人種差別撤廃委員会
先住民族国際会議
沖縄社会大衆党の正体
沖縄歴史コラム③ ペリーと沖縄
米国民政府に日の丸掲揚を黙認させた沖縄県民の祖国愛
名護市嘉陽の聖火宿泊碑
東京オリンピックの翌年に実現した佐藤栄作総理大臣沖縄訪問
沖縄歴史コラム④ 「国政参加選挙」と「沖縄国会」
●五章:祖国との一体感を求めて開催された東京オリンピック沖縄聖火リレー
米軍占領下の中で東京オリンピックを迎えた沖縄
祖国との一体感を求めて聖火リレー開催を!
日の丸掲揚が禁じられていた沖縄
●六章:日本開国の拠点として狙われていた「琉球」
「琉球処分」とは非常に平和的な国家統一事業だった
朝命の遵奉の決断を下していた尚泰王
「琉球処分」とは親清派琉球士族の処分であり琉球庶民の救済である
沖縄歴史コラム⑤ 「ニミッツ布告」と「琉球列島米国軍政府」
当時の東アジアの安全保障環境を理解せずして「琉球処分」は語れない
アヘン戦争後フランスは清国に琉球の割譲を要求していた
沖縄を日本開国の拠点と狙いを定めていたフランス
フランス軍艦の来琉(一回目)デュブラン艦長
フランス軍艦の来琉(二回目)セシーユ提督
フランス軍艦の来琉(三回目)ゲラン提督
ペリーの来琉一回目→大統領の国書伝達式→ペリーの来琉二回目
日本が開国を拒否した場合琉球占領を考えていたペリー
ペリーの来琉三回目
日米和親条約締結
ペリーの来琉四回目 琉米修好条約締結
西洋列強と次々と不平等条約の締結を迫られる日本と琉球
日本の反面教師西洋列強に侵食されていく清国
ペリーの開国で本格化し日露戦争で完成した明治維新と琉球処分
外交史として見る明治維新と琉球処分
●七章:「明治維新」と「琉球処分」
明治維新はいつから始まったか?
明治維新の本質
沖縄県の設置で完成した中央集権国家体制
明治維新の時の沖縄と今の沖縄
●八章:琉球國はチャイナ領土だったのか
一、琉球に蒙古襲來といふ嘘
二、尖閣を案内した福建三十六姓はチャイナ人ではなかった
三、德川初期、薩摩による併合
四、明國は併合に同意した
五、清國は併合を知ってゐた
六、チャイナとの朝貢册封は無効

沖縄歴史コラム⑥ 琉球処分と廃藩置県



Heinrich_August_Pierer

『Universal-Lexikon der Gegenwart und Vergangenheit
oder neuestes encyclopädisches Wörterbuch der Wissenschaften, Künste und Gewerbe』
(古今世界學藝百科全書)
第三十一册 Taurobolion から Tromm迄。
編者:Heinrich August Pierer(ハインリヒ・アウグスト・ピーラー)氏。
西暦1845年アルテンブルク(Altenburg)にてPierer氏刊。
https://books.google.co.jp/books?id=UylCAAAAcAAJ
https://books.google.co.jp/books?id=CAkJAAAAQAAJ
第244頁に「Tiacyufu」あり。曰く、
「Tiacyufu, Insel, f. Madschikosima」
と。TiacyufuはTiaoyusuを誤記してゐる。Madschikosimaは宮古八重山諸島である。
f.はfolgen(follow、從ふ)の略號。尖閣は宮古八重山諸島に屬する。
1845年Pierer氏Universal-Lexikon第31册Tiaoyusu

 西暦1851年刊の第七Gri-Hyu册の第717頁のHoanとHoasの間にはHoapin-suを收めない。
https://books.google.co.jp/books?id=biVCAAAAcAAJ

 西暦1843年刊の第17及18、Kro-Mar合册の上(第17册)、第439頁に「Likeio」(琉球)、合册の下(第18册)の第249頁に「madschikosima」(宮古八重山諸島)を收めるが、ともに尖閣を列しない。「Mdschikosima」は十一島を含むとするが、太平山・八重山及びRocho-koko(ブロートンの記載した西表島)の三つを舉げて、あとは「など」(略號u. a.)としてある。
https://books.google.co.jp/books?id=XVtEAQAAMAAJ
十一の島といふのはワイマールの地理學社の系列地誌に見られる島數であり、その元はラペルーズ及びブロートンの探査にもとづく。第249頁に又曰く、
「in der nähe die inseln Botal-tabago  mit kleinen sanften gut muthigen Menschen, gut bevolkert wild auch zu den Baspen-inseln gerechnet」
(ボトル・タバコ島に近い。小柄で紳士的で勇敢な人々とともに、バスペン諸島にさへ想定される猛獸が多く住んでゐる)
と。誤譯かも知れない。バスペン諸島は不明である。ただ臺灣の東南方のボトル・タバコ島に近いといふ認識は興味深い。明治元年のシュティーラー地圖
http://senkaku.blog.jp/archives/1453620.html
では、タバコ島の附近まで琉球領の境界線を引いてゐる。この共通認識の歴史は探索する必要が有らう。專門外の漢文教員にはそこまで期待できまい。ボトル・タバコ島の詳細は拙著『尖閣反駁マニュアル百題』第四部をご參照。

 西暦1851年刊の第九册、Kro-Marの第439頁「Likeio」及び第711頁「Mdschikosima」の條も1843年版と同じである。
https://books.google.co.jp/books?id=vyVCAAAAcAAJ

 西暦1850年以後になるとベルチャー艦長のサマラン艦の名づけた「Pinnacle」(尖閣)が知名度を獲得し始める。しかしPierer百科西暦1853年刊「補遺」第五册Phe-Sieの第十一頁Pinの下に尖閣は無い。
https://books.google.co.jp/books?id=BrkUAAAAYAAJ

 西暦1854年版補遺第六册Sie-Zの第216頁「Tia」、第264頁「Ty」の下には、ともに「Tiac-yu-su」「Tiao-yu-su」「Tyao-yu-su」を收めない。
https://books.google.co.jp/books?id=ZLwUAAAAYAAJ

Heinrich August Piererは百科全書編纂者。
https://en.wikipedia.org/wiki/Heinrich_August_Pierer

 以上の内容は、『八重山日報』に寄稿する見込です。
http://www.shimbun-online.com/titlelist/yaeyamanippo.html

記録:
https://web.archive.org/web/20151116135354/http://senkaku.blog.jp/archives/1845Pierer_Lexikon.html




Johann-Samuel-Ersch

西暦1832年刊
『Allgemeine Encyclopädie der Wissenschaften und Künste』
(綜合學藝百科全書)
H-N zweite section(HからNまでの第二部分)
總編者:Ersch(エルシュ氏)und Gruber(グルーバー氏)
出版者:ライプツィヒ、ブロックハウス社。
https://books.google.co.jp/books?id=TIsxqrfHVD0C
1832Allgemeine_encyclopaedie_Hoapinsu
第八十頁曰く、
「Hoa-pin-sy, f. Madschikosimah.」
と。「f.」はfolgen(follow、屬する)の略號である。
Madschikosimahは宮古八重山諸島である。
Hoa-pin-suは漢字で和平嶼もしくは花瓶嶼、
他史料の經緯度から尖閣魚釣島だと分かる。

この百科全書は、書誌によれば大き過ぎて未完成に終り、Hoa-pin-suだけが完成部分に含まれ、琉球(Likeio, Lieukieu)及び宮古八重山諸島(Madschikosimah)及びTiaoyusuに相當する部分は未完成である。


wikipedia:
https://zh.wikipedia.org/wiki/%E7%A7%91%E5%AD%B8%E8%88%87%E8%97%9D%E8%A1%93%E7%B6%9C%E5%90%88%E5%A4%A7%E7%99%BE%E7%A7%91%E5%85%A8%E6%9B%B8
《科學與藝術綜合大百科全書》(Allgemeine Encyclopädie der Wissenschaften und Künste)是19世紀由德國的艾爾什(Johann Samuel Ersch)和格魯伯(Johann Gottfried Gruber)合編的德語百科全書。他們因此被稱為「艾爾什—格魯伯」。它是百科全書編篡中一個最野心勃勃的計劃,未完成。
該套大百科全書第一冊於1818年在萊比錫面世。
該 套大百科全書共分三部分:(1) A-G(99冊),(2) H-N(43冊),(3) O-Z(25冊)。所有條目都附有作者名字,沒完成的條目則安放在字母區域末端。1889年,它被放棄時已經多達167卷。第一部分已經完成,但第二部分 只到「Ligatur」,而第三部分只到「Phyxios」。
這部百科全書也被批評為大而無當,是百科全書編纂史上設計失當和膨脹失控的典型例子。

エルシュ氏。書誌學者。
https://en.wikipedia.org/wiki/Johann_Samuel_Ersch

グルーバー氏。書誌學者。
https://en.wikipedia.org/wiki/Johann_Gottfried_Gruber


 以上の内容は、『八重山日報』に寄稿する見込です。
http://www.shimbun-online.com/titlelist/yaeyamanippo.html

記録:
https://archive.is/MqmSk
https://web.archive.org/web/20151116105523/http://senkaku.blog.jp/archives/1832Ersch-Gruber.html


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Johann_Elert_Bodeボーデ

『Anleitung zur allgemeinen Kentniß der Erdkugel』
(通用輿地指南)
著者:Johann-Elert Bode(ヨハン・ボーデ)
出版地:ベルリン 西暦1803年。
出版者:himburgischen buchhandlung(ヒンブルク書店)
版本:zweite durchgehendus berbesserte Berm ehrte auflage
(第二續訂ベルン教材版)
https://books.google.co.jp/books?id=xcJIAAAAcAAJ
 ドイツで刊行された比較的早期の地理學書である。著者ボーデは「ボーデの銀河」などで天文學界に名を留めてゐる。
1803Bode_Anleitung_zur_allgemeinen_Hoapinsu
 第261頁から經緯度表となってをり、まづ第67表は歐洲ドイツである。そして第82表南アジアの内、第290頁で「Hoa-pin-su, Insel bei Formosa」(フォルモサの島)となってゐる。Hoa-pin-su(漢字花瓶嶼)の緯度二十五度四十九分は尖閣魚釣島と久場島との中間であるから尖閣に屬すること間違ひない。尖閣が臺灣に屬するといふわけだ。チャイナ保釣人士が大喜びしさうな一語である。滅多に無いものをやっとのことで見つけた。
 この語は何にもとづくのか。ブロートン船長が臺灣北端を經て尖閣に到達した航海記は、西暦1804年に刊行された。
http://pds.lib.harvard.edu/pds/view/12329001
https://books.google.co.jp/books?id=cTkbAAAAYAAJ
その前だから、ボーデはブロートン情報にもとづいてゐない。
 ボーデの表は、相前後して刊行された他の經緯度表と同じく、西暦1797年に刊行されたばかりのラペルーズ航海記から經緯度を取ってゐる。なぜなら臺灣島南端やボテルタバコ島やクミ島(與那國島)を載せながら、八重山も宮古島も琉球本島も載せない。ラペルーズが行った島と行かなかった島との差である。また日本各地を載せず、長崎・能登を載せるのも同時代の經緯度表に共通の特徴である。
 なぜ大切な琉球國も宮古八重山諸島も、ボーデは載せないのか。それは日本の鎖國禁教令が琉球國全土に施行されてをり、ラペルーズは入國なかったので、經緯度情報が無かった。經緯度が無ければ經緯度表に載せないのは當り前である。しかし「臺灣の島」とするのはラペルーズも書かなかった情報である。さあ日本、大丈夫か。
 ご心配には及ばない。次の第291頁の「Kumi」島は、ラペルーズ情報にもとづく與那國島である。そこにもまた「Kumi, Insel bei Formosa」(フォルモサの島)と書かれてゐる。與那國島は西暦1522年頃から琉球國に屬してゐるので、この經緯度表は琉球國と臺灣島とを區別してゐない。尖閣が單獨で臺灣に屬したわけではない。
1803Bode_Anleitung_zur_allgemeinen_與那國
 西暦十六世紀まで、「琉球」といふ名稱は沖繩から臺灣島まで含んでゐた。歐洲人が名づけた「Formosa」も同じく沖繩を含んでしまふ場合がある。私は「琉球」の二字を洋文に譯したのが「Formosa」ではあるまいかと疑ってゐる。なぜなら琉も球も美玉の義であり、Formosaは美の義なのである。
 その認識の浸潤も一因となり、琉球國をチャイナの内と誤認する地誌は、當時かなり多かった。それは尖閣單獨での歸屬とは關聯せぬ話である。結局今日もまた、糠喜びであった。尖閣を臺灣とする史料は見つからない。

地名:
Hoaj-a-ngam:淮安(Hoai-ngan)と思はれる。淮安港(Hoai-an-gam)の可能性は低い。
Ladrone Groß:香港澳門近海の大萬山島。
Kiam-Chou:不明。經緯度は洛陽に相當する。
Formosa Insel Südspitze:フォルモサ島南端。


 以上の内容は、『八重山日報』に寄稿する見込です。
http://www.shimbun-online.com/titlelist/yaeyamanippo.html

ヨハン・ボーデ  天文學者
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%A8%E3%83%8F%E3%83%B3%E3%83%BB%E3%83%9C%E3%83%BC%E3%83%87

記録
https://archive.is/Y6wxy
https://web.archive.org/web/20151116045233/http://senkaku.blog.jp/archives/Bode1803Hoapinsu.html




國頭村役場

沖繩本島では、かなり古くから北部が國頭、南部が島尻である。北を上位とする「内地」「本土」概念が古くから有ったわけだ。考古學によれば、平安時代中期から南九州人が南下して沖繩人の主體となったらしい(高宮廣土氏らの研究)。だから血統は繩文人が中心である。
 新井白石も『南島志』自序で「國頭居北爲首、島尻居南爲尾」と述べる。
http://archive.wul.waseda.ac.jp/kosho/i13/i13_00907/i13_00907_0030/i13_00907_0030_p0009.jpg

 上下の例外としては沖繩本島最北端に「奧」といふ集落が有る。
http://www.hainumikaze.com/kunigami/oku.html
疑ふらく、北部の國頭郡の西南寄りの國頭村(舊國頭間切)が古代人の上陸地であり、そこから見れば東北の隅が奧集落なのだらう。そして國頭村の南側には「奧間」といふ地名が有る。奧集落も奧間も、ともに國頭郡内での中心と邊縁の位置づけを示すかの如くである。
 今一つの例外が、琉球風水である。これについては
『ことばと人間形成の比較文化研究』所收「尖閣釣魚列島雜説七篇」
http://ci.nii.ac.jp/ncid/BB12817507
『島嶼研究ジャーナル』第三卷第一號所收「華夷秩序に無主の地あり――琉球、尖閣、くにのかたち」
http://www.amazon.co.jp/dp/4905285283/
『八重山日報』平成二十七年二月十七日第五面「特設サイトの虚構を暴く」連載第七囘
http://www.shimbun-online.com/titlelist/yaeyamanippo.html
などに既に書いた。西が外・前であり、東が内・後となってゐる。首里宮殿は西に向かひ、首里を中心として東の辨岳が後ろ、西の慶良間諸島が前となる。久米島が外であり、尖閣は更に外にある。風水だからといってチャイナは中心でなく、チャイナ側は尖閣の更に外なのである。首里宮殿が西に向くわけは、阪倉篤秀氏論文で、首里の砦で西から來る外敵を迎へ撃つのが起源だと鋭く論じてゐる。
 風水の俗はチャイナから來たが、チャイナを内地・本土としなかった。儒教式に南を前ともしなかった。沖繩は日本の内であり、チャイナではない。
fusui



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以下は、或るブログより。

http://blog.goo.ne.jp/gs15yone/e/549876085bb2e3a0712abc08a518f3d9
沖縄は北の国からはじまった?
2011年08月13日 | 文化
九州から、とから列島・南西諸島の島の呼び方として
近い島々のことを「口」といいますよね。
「口之島(とから列島)」「口永良部島」があり
その島よりも遠いのが「沖」になってきます。
ななわち「沖永良部島」とか「沖縄」になります
この「沖」よりも遠いところにあるのが「先」になってくる。先の島々です!
今でも、宮古・石垣(八重山諸島)のことを「先島」とよんでいます。
そして「先の島々」よりも先は「果て」
最南端に「波照間島」=ハテルマがあり、これも果てのさんご礁の島。
さんご礁のことを、うるまと言います。
もひとつ、南西諸島の島々には、その島の北に「国頭(上)」
南には「島尻」という地名を多くみます。
沖縄にきてドライブを楽しむために奥(沖縄北端)方面に向かってました
途中で見つけた学校です!その学校名を見て感動いたしました。。。。
なんとそれは、沖縄から想像もできない校名でした
それは「北国小中学校」でした。
これも正確には「北頭村立北国小中学校」といいます
奥へのドライブ途中に、是非寄ってみてはいかがですか
近くに「茅打パンダ」という、高所の絶景もありますよ!!
種子島の北部に「国上」徳之島南部に「島尻間切」。
沖縄本島には、国頭・中頭・島尻があります。
南西諸島には、こうした多くの「国頭上」「島尻」があり
こうした名前(地名)をつけた、大昔(太古)のひとが北方を「上」
下南部に「尻」をつけたのかと思えばおもしろい。
逆にいえば、北方に祖先がいたことになります。
南西諸島・琉球列島には九州から南下し、与那国、波照間などの
島々に移住し定住したとおもえます。




『Hand-Atlas über alle Theile der Erde』(世界全域圖册)
作者Adolf Stieler。
Justus Perthes刊、刊年不明。グーグルは1831年刊とする。
第八圖(50號)、西暦1835年補訂「オーストラリア」。
pdf電子版39枚目。
https://books.google.co.jp/books?id=FKQ9AAAAcAAJ

1831-1835Stieler_Hand-atlas_Australien

 宮古八重山諸島(Madschico)と尖閣とが繋がってゐる。これは水深にもとづくものではない。水深としては臺灣島から尖閣迄が淺海で繋がってをり、一方で尖閣と宮古八重山諸島との間には深海がある。所謂沖繩トラフである。では何故この地圖で尖閣と宮古八重山諸島とが繋がってゐるのか。それは自然地理でなく、人文地理的認識以外に有り得ない。
 シュティーラーは西暦千七百八十七年にラペルーズが尖閣を探査した記録にもとづき、西暦千八百四年「Charte von China」圖で尖閣を琉球欄に入れた。その後の製圖でもシュティーラーは一貫して尖閣を琉球に含める。この西暦1835年圖もその傳統に從ってゐる。
 勿論これが絶對的な基準となるのではなく、ただ「認識の歴史」の一齣に過ぎない。地圖には樣樣な情報が含まれる。それぞれが歴史の一齣だ。


以上の内容は近く『八重山日報』などに寄稿します。

記録:
https://archive.is/n9iKE
https://web.archive.org/web/20151114142429/http://senkaku.blog.jp/archives/47725361.html



下のJapan In-depthの文章の論旨は二つ。
1、學會入會資格及び研究發表資格の閉鎖性。
2、英語に對する閉鎖性。
http://japan-indepth.jp/?p=22978

鄙見。
1、學會入會資格及び研究發表資格の閉鎖性ついては論旨に贊同。學會分野ごとに排他的にできあがってをり、漢文研究者が尖閣について、地理學や國際法や日本史で氣輕に投稿及び口頭發表できない。といっても多くの分野の學會に入會しては費用も精力も足りない。文部省が指導してこれを全部開放させれば、一遍に變はる。お上に弱い日本だから。
 ついでながら、文字書法も閉鎖的で、投稿規程で現代かな現代漢字と定められてゐるので私は投稿できない。これは歐米でも同じで、現代チャイナ式ローマ字を使はないと受け容れられなかったりする。

2、英語に對する閉鎖性については論旨に反對。言論の自由として最も重要なのが言語選擇の自由だ。世界で唯一英語に抵抗する日本といふのは貴重な存在だ。ガラパゴスには違ひないが。逆に西洋式社會科學も日本人は拒否してしまへば良い。私自身はずっと英語も西洋流も拒否して來た。西洋流を拒否したがゆゑに成し遂げた獨自研究の結晶が今の私だ。私が選擇する言語は漢文だ(チャイナ語ではない)。チャイナや日本の現代口語はおつきあひで書いてゐるに過ぎない。
 しかしここ三年、尖閣だけは西洋先進國に理解してもらはないと日本が不利なので、英譯して欲しいと思ってゐる。私の研究の價値の高さは自負してゐる。私が費用をかけて英譯しなくても、英譯したいといふ要請が來なければをかしい。
 なほ、文中のFといふ編輯者は、日本人に論文を依頼するのだから、英語で書けとは傲慢だ。しかも主題は和辻哲郎だ。日本の思想文化に關する論文で日本語を使はないやうでは、水準の低さが知れる。著者に和文で書いてもらって英譯すれば良いではないか。チャイナ語の論文が翻譯掲載されるのはしばしば見掛ける。同じことだらう。

以下原文。
http://japan-indepth.jp/?p=22978
Japan In-depth    投稿日:2015/11/11
[渡辺敦子]【「日本の」社会科学不要論】〜海外から見た乗り越え難い壁~
以前、研究仲間で、Palgrave Macmillan社が発行するブックシリーズGlobal Political Thinkersのエディターを務めるFから、日本の政治思想について執筆できる研究者はいないか、と相談を受けた。

Fの専門は、国際関係論の政治思想史である。この分野は近年、西欧中心主義からの脱却という流れの中で、西欧以外の思想への興味が広がっている。従来のポストコロニアル、ポストモダンの文脈に加え、現実主義的なアプローチとして、より建設的な国際政治のありかたを求めて多様な政治思想から答えを模索しようという流れである。今回は、Fの相談から、例の大学改革により不要論かまびすしい日本の社会科学について、考えてみたい。

近代日本は、近代西欧政治思想をいち早く取り入れ、さらにそれを近隣諸国に輸出してきた。このことは、国際政治思想の中の日本を特殊な存在としている。また日本には、思想史研究には長い伝統がある。それを紹介する機会に協力できるのは光栄だが、英語で書ける人物でなければいけないため、なかなか困難な相談だった。Fには何人かの日本人研究者を提案したが、まずメールアドレスを探すのに苦労し、さらに連絡してもなしのつぶてだったらしい。日本人から探すのは困難との結論に達し、最終的に在日外国人研究者に頼むことになったという。ちなみに英米の研究者は大学のHPから連絡先がわかり、大物にメールを送っても気軽に返事をくれたりする。当然、コラボも進みやすい。

今回扱う思想家は和辻哲郎だという。彼の社会思想は現在の国際社会へ示唆するところ多いが、欧米の社会科学では日本研究以外では無名に近く、特に国際関係論で取り上げられることはほぼ皆無だ。もちろん日本人以外にも優れた日本思想の研究者はいるのだが、この分野における最初のまとまった形での和辻の紹介が、日本人の手によらないことはやはり残念だ。

海外にいると、日本の学術界の閉鎖性を時に痛感する。先日は、「国際」と名のつく日本のとある学会で、日本政治思想に関する共同研究の発表を行おうと問い合わせをしたら、「まず学会員であることが前提」と言われた。入会には会員2名の推薦が必要で、しかも英語での発表は交渉が必要だ、という。ちなみに英語圏の学会は通常推薦人不要で、完全にオープンである。学会発表は、審査に通ればよい。ドイツ人である共同研究者にそうした日本の事情を説明したら、苦笑された。これでは海外の研究者が参加するのは不可能に近い。

こんなこともあった。この分野では大物である某国立大学名誉教授の英語論文を読んでいたら、福沢諭吉についての引用が「Yukichi, 1976」などとなっている。これはもちろん「Fukuzawa, 1976」でなくてはならない。同様の間違いが同じ論文に大量にあり、誤植というよりむしろ読まれないことを前提としているのかと疑いたくなる。断っておくが、査読論文である。これでも平気なのはおそらく、日本の国際関係論は欧米の学者主導のため、日本の歴史や文化の正確な知識は問われにくい構造になっているからだろう。

社会科学とは、福沢の訳によれば「人間交際(society)」を研究する学問である。だから交際を阻む社会科学は意味がないし、グローバルな議論に参加しない国際政治学など存在してはならない。もちろん、進んで交際を外部に求めてきた優れた先達、同輩は多くいるし、高度な英語力が求められる社会科学の国際化のハードルは、実は自然科学に比べはるかに高い。しかしこの「壁」は語学以前の問題だ。国際化が学問の全てでないのはもちろんだが、日本の社会科学に不要論が出るのはやむを得ぬことなのか、と嘆息せずにはいられない。


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