- 尖閣480年史 - いしゐのぞむブログ 480 years history of Senkakus

石井望。長崎純心大學准教授。笹川平和財團海洋政策研究所島嶼資料センター島嶼資料調査委員。日本安全保障戰略研究所研究員。内閣官房領土室委託尖閣資料調査事業特別研究員。 御聯絡は長崎純心大學(FAX 095-849-1894) もしくはJ-globalの上部の「この研究者にコンタクトする」  http://jglobal.jst.go.jp/detail.php?JGLOBAL_ID=200901032759673007 からお願ひします。 

年度末に學振科研の諸任務に追はれ、拙著「尖閣反駁マニュアル百題」(集廣舍)
http://senkaku.blog.jp/archives/2179341.html
の校正を進めることが出來ませんでした。出版は五月にずれ込みます。

もうすぐ五月十日。西暦1534年に琉球國人が尖閣を案内した最古の記録日(陰暦)です。
http://senkaku.blog.jp/archives/1453569.html
尖閣480周年記念日として大切な日です。
その五月十日もしくは十一日(陽暦)に、石垣島で講座やる方向で
現地と相談中です。決まり次第ここに載せます。
20061222_51991
▲石垣島の赤蜂像

琉球新報2013年0509
▲琉球新報 平成二十五年五月九日文化面

年度末に學振科研の諸任務に追はれ、拙著「尖閣反駁マニュアル百題」(集廣舍)
http://senkaku.blog.jp/archives/2179341.html
の校正を進めることが出來ませんでした。出版は五月にずれ込みます。

二月末には海洋政策研究財團の島嶼資料センターの出張で臺灣に行って來ました。
國史館新店分館で、僞造西太后慈諭の原物を寫眞に撮影しました。
原物を閲覽・撮影したのは日本では稀有だらうと思ひます。最初かも知れません。
皇太后慈諭にして且つ總統珍藏なので、通常なら簡單に撮影できない筈ですが、
すぐに撮影させてくれました。多分國史館自身がこれを僞造と認識してゐるため
貴重書としての等級を下げたのでありませう。
撮影した電子畫像は、私も持ってますが、
上記島嶼資料センターにもあります。
公開したり引用するには新たに國史館の同意が必要です。
しかし個人的にお見せする事はできます。ご相談下さい。
ここでは研究書から重引した畫像だけ示しておきませう。
http://senkaku.blog.jp/archives/1453563.html
西太后詔3
赤色は私が加へました。詳細解説は西村幸祐放送局のビデオでご覽下さい。

http://broadcast.kohyu.jpn.com/2013/04/post-44.html

ユーチューブの孫崎氏のビデオに以下の通りに投稿しました。
https://www.youtube.com/watch?v=lWPmOZuD5g4
https://www.youtube.com/watch?v=TSxqN_RshOY
https://www.youtube.com/watch?v=7Yu-ehbKlKU

「尖閣480年史」ブログ主いしゐのぞむより。
一年前まで孫崎さんは、明治二十八年の領有より以前の史料で
チャイナ側に少しでも根據があるやうに主張してゐました。
そこが根本です。明治二十八年にチャイナがゼロであれば、
孫崎さんの主張は根本から通じません。ここ數箇月、
孫崎さんは明治二十八年以前の史料につき沈黙し始めましたね。
何故ですか。そこを語るとまづいと悟ったからでせう。
そこを語ると日本が全勝だからです。
孫崎
https://www.youtube.com/watch?v=lWPmOZuD5g4
https://www.youtube.com/watch?v=TSxqN_RshOY
https://www.youtube.com/watch?v=7Yu-ehbKlKU



アメリカは東支那海・南支那海の「歴史」について
チャイナの宣傳にまんまと引っかかって勘違ひしてゐる。

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ロイター 2月6日(木)11時14分配信
ラッセル国務次官補は
「この重要な2国にも、世界経済にも、双方が望まない予期せぬ衝突に対応する余裕はない」
とし、
「日本と中国がこの問題を平和的に処理するために外交手段を用い、
現時点で解決できない問題は棚上げすることが不可欠だ」
と述べた。
http://jp.reuters.com/article/worldNews/idJPTYEA1501F20140206
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20140206-00000054-reut-int

これは尖閣棚上げ要求だ。とんでもない。
「解決できない問題」が領土問題だと言ってないだけで、
あと一歩で領土棚上げといふ危險な言説だ。
アメリカがこんなことを言はないために、尖閣前史でチャイナがゼロであることを
しっかり宣傳せねばならない。現代の主張だけでは駄目だ。歴史で勝たねば。
安倍政權は充分に危機意識を持ってゐるのか。

ラッセル米国務次官補

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【ワシントン時事】(2014/02/05-10:26)
クラッパー米国家情報長官は4日、南シナ海などでの中国の領有権主張について
「理不尽に思えるかもしれないが、中国にとっては歴史的な要求だ」
と述べ、中国が今後もこうした立場を堅持するとの見解を示した。
その上で、中国の領土拡張主義が地域の不安定化を招く恐れがあると懸念を示した。
下院情報特別委員会の公聴会で証言した。
http://www.jiji.com/jc/c?g=int_30&k=2014020500235

産経新聞 2月6日(木)7時55分配信
クラッパー国家情報長官は4日、下院情報特別委員会の公聴会で、中国の南シナ海での領有権主張について
「われわれの目には理不尽に見えても、
中国にとっては歴史的な主張だ」
と分析。中国はこれまで極めて好戦的なかたちで中国にとっての「明確な使命」を果たそうとしてきたとし、
南シナ海での争いが「潜在的な火だねになる」と指摘した。
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20140206-00000095-san-n_ame

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南支那海に關しても、明國清國の最南端は海南島(瓊州府)の南端までと
官製地誌に明記
されてゐる。「歴史のチャイナと國際法のアメリカ」といふ
爭ひの構圖そのものが誤りだ。國家情報長官が公式に發言するとは何事か。とんでもない。
同じ事を尖閣について公式發言されたらたまらない。危機意識を持て安倍政權。
歴史で勝つ以外に道は無いのだ。
クラッパー国家情報長官

八重山日報 一月二十四日 第五面
尖閣諸島歴史問答~開拓の日に寄せて 長崎純心大学 石井 望准教授
http://www.shimbun-online.com/product/yaeyamanippo0140124.html
久米島と尖閣諸島との間の黑潮に、歴史上のチャイナ國境線が存在したと、
チャイナ側は主張する。その通りなのだらうか。

最終第八囘 鉦や太鼓で夢から醒めれば、そこは黑い溝の領土分界なのか
【チャイナ主張】
古くから尖閣の東側に「中外分界」が存在した。「中」はチャイナ、「外」は外國であるから、
尖閣の東側まで全てチャイナの領土・領海である。
【史料】清國・費錫章『一品集』 西暦千八百八年    
詩題「黑溝洋」、原註「中外分界處」
詩句「無端破我遊仙夢、鉦鼓喧天過黑溝。」
〔端(はし)無くも破る、我が遊仙の夢。鉦鼓天に喧(かまびす)しく黑溝を過ぐ。〕
王爺祭模型
【反論一】
 この「黑溝洋」は、尖閣諸島の東側の黑潮。尖閣諸島と琉球國との中間である。
しかし夢で仙境に遊んでゐる時に鉦(かね)や太鼓の祭りで目醒めたのだから、
夜間の祭祀であり、暗やみの中で溝を目撃できずに詠じてゐる。
他史料でも黑溝の祭祀は全て夜間に行なはれる。夜間に探照燈(サーチライト)が
有るわけでもなく、目撃できないのだから領土線・領海線とはならない。
【反論二】
 「中外」は内外に過ぎず、チャイナと外國とを指すわけではない。
歴代史料で「中外界」は尖閣の東でも西でも記録され、「中華界」は尖閣の西だけで記録される。
中華界と中外界とでは用語上の區別が有る。尖閣の東側にチャイナ領土線は存在しなかった。
【反論三】
 そもそもこの中外界を最初に記録した清國初葉の汪楫は、
琉球國の水先案内人から中外界の存在を聞かされた。
水先案内人は琉球の内外といふ意で中外と語った可能性が極めて高い。

プレゼントのお知らせ
宮古諸島・八重山諸島在住の本紙購読者(紙版及び「新聞オンライン」版)には、
著者石井氏より
「尖閣反駁マニュアル百題」集広舎二月末刊)1冊を、先着3名までプレゼントします。
住所・氏名・電話番号を明記の上、本紙ファクシミリ (0980)82-8122 もしくは
電子メール
nippo-j@alto.ocn.ne.jp までご応募下さい。結果発表は発送を以て代えさせて頂きます。  


▼全文は「新聞オンライン.com」で
http://www.shimbun-online.com/product/yaeyamanippo0140124.html
http://bit.ly/1eqK7GY


第七囘「尖閣までの距離はチャイナが近いのか」はこちら
http://senkaku.blog.jp/archives/2748655.html



竹島
私が調査委員をつとめさせて頂いてゐる島嶼資料センター、

竹島ネットページ開設のニュースがチャイナのインターネットに出てゐます。

http://world.huanqiu.com/exclusive/2014-01/4795037.html

http://news.baidu.com/ns?word=%E5%B2%9B%E5%B1%BF%E8%B5%84%E6%96%99+cont:4128283194|3909270228&same=9&cl=1

http://news.baidu.com/ns?word=%E5%B2%9B%E5%B1%BF%E8%B5%84%E6%96%99+cont:1980436736&same=14&cl=1 

http://news.sina.com.tw/article/20140127/11677059.html

http://www.chinatimes.com/realtimenews/20140127004247-260408

http://www.dfdaily.com/html/51/2014/1/27/1112204.shtml


日本では西日本新聞が報じてゐます。。

http://www.nishinippon.co.jp/nnp/lifestyle/article/65832

新華社がヤフーに轉載されて話題です。ヤフーは何故西日本新聞を轉載しないのか。

http://headlines.yahoo.co.jp/cm/main?d=20140128-00000014-xinhua-cn

以下は西日本新聞です。

在京研究機関が竹島のサイト開設 国際社会へ情報発信
2014年01月27日(最終更新 2014年01月27日 11時54分)
 島根県の竹島(韓国名・独島)について、国際法の専門家らでつくるシンクタンク「海洋政策研究財団島嶼資料センター」(東京都港区)が、竹島の歴史や地理などを解説したインターネットサイトを3月にも開設することが27日、分かった。
 ネットを中心に氾濫している根拠のない情報に対抗し、出典を明示して1次資料に基づく正確な情報発信を行う。国際社会への発信を念頭に、英語版サイトも開設する予定。
 サイト名は「竹島Facts&Figures(事実と図版)」。政府や島根県の竹島資料室などの資料などを公開。
 センターは昨年12月、沖縄県の尖閣諸島を解説したサイトも開設している。

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海洋政策研究財團の島嶼資料センターはこちらです。

http://islandstudies.oprf-info.org/jp/


またまた新華社は詰まらぬ史料を發見だと報じて、
ヤフーに千件ものコメントがついてます。
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20140128-00000017-xinhua-cn
http://www.xinhua.jp/socioeconomy/economic_exchange/372237/
「琉球が中国の属国」だった新たな証拠、福建省で見つかる―中国メディア
XINHUA.JP 1月28日(火)14時3分配信
中国福建省竜岩市の武平県で22日、当時の琉球が清朝の属国だったことを証明する
扁額(へんがく)が発見されたと地元メディアが報じた。23日付で西新聞網が伝えた。
1838年に琉球王国に冊封使(さっぽうし)として派遣された清朝の官僚、林鴻年(りん・こうねん)
が清朝末期に、「呉応節」という人物とその夫人に70歳の祝いとして贈ったとみられる
扁額(へんがく)で、そこにはっきりと林が琉球王国に派遣された冊封使であることが記されている。
先月、同県在住の収集家が手に入れたもの。長い間、中国各地を転々としていたものとみられる。
地元の学者は「これは末期の清朝政府が弱体化していたとはいえ、琉球を属国としていたことを証明
するもの。つまり、1879年に日本が盗み取る前は、琉球は中国の属国だったということだ」
との認識を示している。(編集翻訳 小豆沢紀子)
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これは實に下らない。林鴻年が琉球國王を册封する使節だったことは既知の事實です。チャイナではこの扁額の出現について、わづかな報道しか出てません。こんなものを日本でわざわざ報道してヤフーの話題にしてしまふ。報道した新華社はとにかく史料でにぎやかにして、論爭が存在すると見せたいのでせう。ヤフーは何故そんな下らない報道を載せて差し上げるのでせうか。

以下はこの件についてチャイナでほぼ唯一の報道です。コピー多數。
http://www.fj.xinhuanet.com/lishi/2014-01/23/c_119095258.htm
http://www.chinadaily.com.cn/hqgj/jryw/2014-01-23/content_11097313.html
http://www.mxrb.cn/www/content/2014-01/23/content_1294933.htm
http://big5.xinhuanet.com/gate/big5/www.fj.xinhuanet.com/lishi/2014-01/23/c_119095258.htm
武平發現冊封琉球國王的清朝正使贈送他人的祝壽匾額
2014年01月23日 10:21   來源: 閩西新聞網
  據史料記載,從明朝開始琉球就已成為我國的附屬國,現在這一史實又添佐證。22日,筆者和一批地方史學者一起,在武平一位石姓收藏家的館藏中,發現了一塊由福建首位清代狀元、出使琉球正使林鴻年贈送他人的祝壽匾額(如圖),該匾證明在清朝末年,清王朝依然保持著對琉球國王進行冊封的制度。
    這塊鎦金祝壽匾額,長、寬、厚分別為229厘米、88厘米、6厘米,上款為“賜進士出身狀元及第翰林院修撰欽命琉球國正使賞戴花翎欽加正一品銜林鴻年為”,上書“眉齊杖國”四個大字,意為夫妻相敬如賓七十仍可拄杖于國,另加“七十壽 吳應節偕淑配林氏孺人立”,落款為“道光歲次巳亥十九年季秋  旦”。根據匾額內容可以判斷,該匾是林鴻年為吳應節及其夫人林氏七十大壽而贈。
    匾的主人告訴筆者,這塊匾由福建仙遊流出,輾轉于廣西、上海、江西等地,于上月由他收藏。他當時是看中林鴻年這個福建首位清代狀元而買下的。
    根據史志記載,作為中國的附屬國,琉球國王必須得到明清王朝正式冊封才能稱王。福建閩侯人林鴻年(1804—1886年),字勿村,在清道光十六年(1836年,丙申年)中了狀元。道光十八年(1838年),奉旨為冊封琉球國王正使,賜一品服,代表清廷諭祭故王,冊封新王。在琉球160天,摒絕饋贈,禁止隨從人員攜貨勒售,拒絕接受琉球國送給使者的“宴金”。林鴻年訪知該國人民生活困苦,還把清廷所發出使費節余錢240萬貫,悉數交與琉球國王進行賑恤,贏得琉球舉國上下的感戴。歸國後,著《使琉球錄》,記述此行的經過和見聞。
    林鴻年出使琉球冊封新王的史實,再次在這塊匾額上得到佐證。武平地方史學者認為,該匾反映了1879年日本竊取琉球以前,晚清政府雖然積貧積弱,但仍保持對屬國琉球的國王進行冊封這一制度,佐證了琉球被日本竊取前仍是中國的屬國。(通訊員 鐘茂富)

眉齊杖國

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ついでながら、以上の報道は平成二十五年五月の
扁額の類似報道を繰り返したに過ぎません。
http://www.xinhua.jp/socioeconomy/economic_exchange/347511/
中国山東省済南市にある力明職業科技学院の華夏扁額博物館に、1800年代に中国の林鴻年氏が揮毫した「歯徳優隆」(年齢も徳も高い)との扁額があることが分かった。落款は「欽命御封瑠球国王」で、琉球諸島が日本の領土ではないことを示す証拠とされる。中国・斉魯網が伝えた。
「歯徳優隆」の扁額は縦78センチ、横210センチ。博物館の責任者は「『欽命御封瑠球国王』という落款から、琉球諸島が中国の領土であり、日本に不法占拠されていたことが分かる」と話した。
歴史資料によると、扁額の作者、林鴻年氏(1804~1886年)は侯官(福建省福州市)で育ち、道光16年(1836年)に状元として科挙に登第。道光18年(1838年)に琉球国王の尚コウが死去すると世子の尚育が即位し、林鴻年氏は冊封使として福建を出発し、琉球国王に赴いた。
中国の明朝は琉球の統治者を琉球国王に封じた。琉球は隣国の貿易の中枢になっており、1609年に日本に侵攻され、1693年に併合計画が始まり、1879年3月30日(光緒5年)に日本に滅ぼされた。1879年には日本の地図に入り、同年に沖縄県が設置されている。
1945年に日本は戦敗。「ポツダム宣言」第8条には「カイロ宣言の条項を履行すべき。日本の主権は本州、北海道、九州及び四国ならびにわれらの決定する諸小島に限られなければならない」と明記している。琉球の主権は中国に返還されている。だが、中国は内戦で琉球諸島について考慮する余裕がなく、米国の委託管理範囲に組み入れられた。1970年に米日両国は「サンフランシスコ条約」を調印し、琉球諸島と釣魚島(日本語名称:尖閣諸島)の管理権を日本に譲渡した。(編集翻訳 恩田有紀)


八重山日報 一月二十三日 第五面
尖閣諸島歴史問答~開拓の日に寄せて  長崎純心大学 石井 望准教授
http://www.shimbun-online.com/product/yaeyamanippo0140123.html
 あちこちの雜誌・新聞・インターネットには、尖閣諸島までの距離を示す地圖が載ってゐる。
そこには石垣島から魚釣島までと、臺灣から魚釣島までとが百七十キロの等距離に描かれる。
更には那覇からと、チャイナの温州からとで比較し、温州の距離が近い形になってゐる。
日本の外務省ホームページまでその距離圖を載せる。まるでチャイナ側の主張を助けるかのやうだ。
しかし歴史的に正しい距離の取り方ではない。
01元外務省尖閣圖
第七囘 尖閣までの距離はチャイナが近いのか 
【チャイナ主張】
尖閣諸島までの距離は日本よりもチャイナが近い。地理的にみてもチャイナに屬すべきだ。
【反論一】八重山諸島の與那國島から尖閣の魚釣島まで約百五十キロメートルで最も近い
【反論二】西暦千五百三十四年の尖閣最古の記録の時、與那國島は琉球國領土であったが、
一方の臺灣はチャイナ領土外だった。この年の時點で比較するならば、
明國側の出航地福州から尖閣までの距離は約三百五十キロメートルであり、與那國と大差がついてゐる。 
25與那國距離
【反論三】最西端の魚釣島だけでなく、最東端の大正島(赤尾嶼)までの距離も比較もせねば不公平である。
那覇から約三百十キロメートルほど、福州から約五百二十キロメートルほどであり、大差がついてゐる
26大正島距離

▼全文は「新聞オンライン.com」で
http://www.shimbun-online.com/product/yaeyamanippo0140123.html
http://bit.ly/1n9om65

八重山日報掲載後、一月二十四日に開設された内閣官房の新ホームページに
またも憂慮すべき等距離圖が出ました。
http://www.cas.go.jp/jp/ryodo/senkaku/senkaku.html
内閣官房尖閣距離


第六囘「尖閣の水先案内をした三十六姓は琉球籍」はこちら。
http://senkaku.blog.jp/archives/2738969.html


八重山日報 平成二十六年一月二十二日 第五面
尖閣諸島歴史問答~開拓の日に寄せて 
長崎純心大学 石井 望准教授
http://www.shimbun-online.com/product/yaeyamanippo0140122.html
明治二十八年に日本政府が尖閣を領有するよりも數百年前に尖閣海域を渡航した琉球國人は、
「三十六姓」と呼ばれる。彼らはなにものだったのか。

琉球進貢船
第六囘 尖閣の水先案内をした三十六姓は琉球籍  
【チャイナ主張】
 福建琉球間の尖閣航路で水先案内をした「三十六姓」は、琉球に住み着いて以後も
福建に戸籍財産を持ってゐたから、チャイナ人である。チャイナ人が尖閣を發見したことになる。
【史料】
『皇明實録』嘉靖二十六(西暦千五百四十七)年十二月
「蔡璟既永樂中從夷、何得於中國置産立籍。」
〔蔡璟、既に永樂中に夷に從へば、何ぞ中國に於いて置産立籍するを得るか〕
〔釋辭〕
蔡璟(さいえい):三十六姓の祖先の一人とされる。
中國:世界の中心の國。ここでは明國を指す。
産:不動産。

【反論】
この史料は明國の皇帝が「三十六姓は琉球に入籍した以上、明國で戸籍財産を置いてはならない」
とわざわざ述べた公式記録である。チャイナ側主張の根據となってゐる史料だが、正しい解釋は全く逆である。
 尖閣海域の水先案内をしてゐた三十六姓が琉球國籍である以上、尖閣航路を掌握してゐたのは琉球國側であって明國側ではない。

▼全文は「新聞オンライン.com」で
http://www.shimbun-online.com/product/yaeyamanippo0140122.html
http://bit.ly/1clmO4N

第五囘「最古の釣魚嶼は誰が命名したのか」はこちら
http://senkaku.blog.jp/archives/2413330.html

先程NHK午後七時のニュースによれば、研究者の尖閣對話が行なはれ、
「船同士の衝突など不測の事態を防ぐため、
國際法を巡る日中間の解釋の違ひを認識するなどが必要だとしてゐます」
と報じてゐました。
http://www3.nhk.or.jp/news/html/20140127/k10014807941000.html
笹川財團笹川日中
しかし遺憾ながら、尖閣に於いて國際法解釋の違ひは存在しません
國際法の解釋で扱ふ事實そのものが明らかになってゐるか否かだけの差です。
事實は棚上げとか色々扱ふ必要ありません。明治二十八年に日本が領有する時點で、
尖閣を清國が領有(もしくは領有に近い状態に)してゐたのか否か、それだけです

その答案は、本ブログの諸リンクをご覽になればすぐに分かります。

以下、NHK報道全文を引用しておきます。

日中 不測事態回避は対話重要 平成26年1月27日 19時28分 NHKニュース

尖閣諸島沖での海上保安庁と中国当局との不測の事態を避けるため、検討を続けてきた日本と中国の研究者らが27日、都内で会見し、互いに対話を続けていくことが重要だと訴えました。日本の大学教授や、中国の政府系シンクタンクの研究者など18人は、尖閣諸島沖での海上保安庁と中国当局との不測の事態を避けるため、去年8月から東京と北京で、3回にわたって検討会を開き、27日、会見しました。それによりますと、日中双方は、船どうしの衝突など不測の事態を防ぐため、国際法を巡る日中間の解釈の違いを認識することや、現場の船どうしが緊急時にいつでも連絡できるホットラインのような仕組みを導入することなどが必要だとしています。会見で、中国の北京大学国際関係学院の朱鋒教授は、「日中両政府の間でハイレベルな対話が行われない状況にあるなか、いかにして実務的で理性的に現実を直視し、問題を解決していくか議論できた。積極的な対話を通じて危機を回避しなければならない」と述べました。また、笹川平和財団の羽生次郎会長は、「互いの異なる主張を認識したうえで、航行の安議論を進めることができた。政府などに提言することも検討したい」と述べました。

http://www3.nhk.or.jp/news/html/20140127/k10014807941000.html


昨日のセンター試驗漢文。
http://www.toshin.com/center/kokugo_mondai_4.html
「陸文定公集」といふ大變な稀少書から出題されました。
http://kanji.zinbun.kyoto-u.ac.jp/kanseki?record=data/FASONKEIKAKU/tagged/4710001.dat
しかし通行書「晩明二十家小品」などにも收められてゐました。

大學入試の漢文の水準は高過ぎます。漢文嫌ひを増やす原因となってゐます。
繭栗、瀹、茹介茶荈など、教員でも字典を檢索するやうな古語が多過ぎて、
問題文の左に注釋するのが通例となってます。注釋を要しない出題を望みたい。
注釋を要する漢字を出題するくらゐならば、もっと平易な文を正字體で出題して欲しい。
今囘も「独・当・巌・収」など略字が使はれてゐます。

長崎純心大學の二年生の授業ではこんな高難度の漢文でなく、
もっと平易な漢文を、自分でしらべて讀ませるやうにしてゐます。
日本の平均的學生が自分でしらべられる水準の漢文を搜してきて教材にします。
特別に平易な教材の場合は、白文で讀ませます。
但し文の傍らに日本漢字音を注して、訓讀の前に直讀から始めます。
附言すれば尖閣漢文史料は純心教材より難しく、大學入試出題よりも易しい。
竹筍
さてセンター試驗問題文。陸樹聲「苦竹記」
江南多竹、其人習於食筍。毎方春時、苞甲出土、頭角繭栗、率以供採食。
或蒸瀹以為湯、茹介・茶荈、以充饋。好事者目以清嗜、不靳方長。
故雖園林豐美、複垣重扃、主人居常愛護、及其甘於食之也、剪伐不顧。
獨其味苦而不入食品者、筍常全。毎當溪谷巖陸之間、
散漫於地而不收者、必棄於苦者也。而甘者至取之或盡其類。
然甘者近自戕、而苦者雖棄、猶免於剪伐。
夫物類尚甘、而苦者得全。世莫不貴取賤棄也、然亦知取者之不幸、而偶幸於棄者、
豈「莊子」所謂「以無用為用」者比耶。

〔和訓〕(書き下し文)
江南に竹多し、其の人筍を食らふに習ふ。春時に當たるごとに、苞甲土より出で、
頭角は繭栗にして、率ね以て採食に供ふ。
或は蒸瀹して以て湯(たう)と爲し、茹介と茶荈(ちゃせん)と、以て饋に充つ。
好事者目するに清嗜を以てし、方に長ずるををしまず。
故に園林豐美にして、複垣重扃、主人居常に愛護すと雖も、
其のこれを食らふを甘しとするに及んでは、剪伐して顧りみず。
獨り其の味苦くして食の品に入らざる者のみ、筍常に全し。
つねに溪谷巖陸に間に當たり、地に散漫して收めざる者は、
必ず苦きに棄てらるる者なり。而して甘き者はこれを取りて或は其の類を盡くすに至る。
然れども甘き者は自ら戕するに近し、而して苦き者は棄てらるると雖も、猶ほ剪伐を免る。
夫れ物類は甘きをたっとび、而して苦き者全きを得。
世は貴ければ取り賤しければ棄てざるなし、然れども亦た取る者の不幸にして
偶に棄つる者の幸なるを知る。
豈に「莊子」の所謂「無用を以て用と爲す」者の比ならんか。

〔釋辭〕(字典より。)
頭角繭栗:小説「中山狼傳」に曰く「われ頭角の繭栗なりし時」と云々。
       范成大「桂海虞衡志」に「繭栗角」(けんりつかく)と云々。
       古語「天地を祭るの牛は、角、繭栗なり」にもとづく。
瀹:(茶を)煮る。
湯:あつもの。漢文でなくチャイナ語習。中華料理屋で馴染みです。
茹介:不明だが字義で解すれば柔らかな皮。
茶荈:茶。

出題文中の「其人習於食筍」が、「晩明二十家小品」などでは「其民習於食筍」となってゐます。
出題者は「陸文定公集」の原文を確認した上のやうです。

ついでながら現代文でも齋藤稀史「漢文脈と近代日本」
http://ci.nii.ac.jp/ncid/BA80875361
著者も多分監督業務が有り、「何でこれが出題されるんだよ」と思ったでせう。


大神嶼  
                     
          (上の寫眞は大神嶼)
八重山日報 平成二十六年一月十八日 第五面

尖閣諸島歴史問答~開拓の日に寄せて 長崎純心大学 石井 望准教授
http://www.shimbun-online.com/product/yaeyamanippo0140118.html
http://bit.ly/Kq2WC3
 明治二十八年一月十四日(今の尖閣諸島開拓の日)に、日本政府は尖閣を領有した。しかしそれより遙か三百六十一年前の五月十日、第一尚氏王統時代に琉球國人は既に明國使節を案内して尖閣海域を渡航してゐた。
第五囘 最古の「釣魚嶼」は誰が命名したのか 
【チャイナ主張】
 「釣魚嶼」の最古の記録は晩(おそ)くとも明國(みんこく)の嘉靖(かせい)十三年(西暦千五百三十四年)である。それ以前から明國側が見つけて命名してゐた。釣魚嶼はチャイナ名であり、特に「嶼」(しょ)は福建の常用字だ。日本の地名に「嶼」は存在しない
【反論一】
 東アジアの古典漢文で「嶼」字の島名は多用されてをり、明國人が發見した根據とはならない。沖繩でも明治十三年沖繩縣刊『沖繩縣統計概表』の島嶼の條には「出砂嶼」「大神嶼」など多數が見える。

▼全文は「新聞オンライン.com」で
http://www.shimbun-online.com/product/yaeyamanippo0140118.html


第四囘「明治七年、大久保利通がほぼ無主地確認を北京で通告した」は、こちら
http://senkaku.blog.jp/archives/2373615.html


尖閣諸島歴史問答~開拓の日に寄せて 長崎純心大学 石井 望准教授
http://www.shimbun-online.com/product/yaeyamanippo0140117.html
 明治二十八年一月十四日に尖閣を領有するまで、日本政府は十年間「無主地確認」を進めたと言ふ。その動きは十年間だけだったのか。
第四囘 明治七年、大久保利通がほぼ無主地確認を北京で通告した
【史料】『淡水廳志』卷十五引『蕃社紀略』、明治四年刊
「山以西民蕃雜居、山以東有蕃無民。於東西之間分疆畫界。界外蕃或歸化、或未歸化。」
〔山以西は民蕃雜居し、山以東は蕃あり民なし。東西の間に於いて疆を分かち界を劃す。界外の蕃、或は歸化(きか)し、或は未だ歸化せず。〕
〔釋辭〕
淡水:臺灣(たいわん)島の最北端の地名。
山:臺灣島を南北に貫く中央山脈。
蕃(ばん):先住民。
民:清國人。
疆:境域。
界:分界線。
24臺灣府境18世紀
【解説】 この史料は臺灣島を概論し、中央山脈を分界線として、東側は清國外、西側は清國内としてゐる。
 明治七年、日本が臺灣島東南部の牡丹社に出兵した際、北京で談判した大久保利通は、臺灣の地誌の記載にもとづいて臺灣東部が清國の統治外であることを指摘した。談判の記録は外交史料『同治朝籌辦夷務始末』卷九十七に見える。大久保が引いた書は、『續修臺灣府志』(ぞくしうたいわんふし)及び『淡水廳志』(たんすゐちゃうし)所引の鄧傳安(とうでんあん)『蕃(番)社紀略』(ばんしゃきりゃく)である。
 所引の『蕃社紀略』のうち、本史料は劈頭(へきとう)の概論であり、大久保が直接引いたのはその後段である。もちろん大久保らは劈頭の概論を讀(よ)んでをり、臺灣島の中央山脈以東が清國領土線外であることは理解してゐた筈である。これは尖閣無主地確認の第一歩に外ならない。なぜなら中央山脈から更に遙かに東方の尖閣が清國外であったことは自然に分かる。日本政府は特に調査するまでもなく、明治七年に尖閣無主地確認を知らず覺(おぼ)えず進めてゐたのである。

▼全文は「新聞オンライン.com」で
http://www.shimbun-online.com/product/yaeyamanippo0140117.html
http://bit.ly/1abtPWW


第三囘「明治政府は尖閣が清國内だと考へたのか」はこちら
http://senkaku.blog.jp/archives/2359817.html

八重山日報 平成二十六年一月十六日 第五面
尖閣諸島歴史問答~開拓の日に寄せて ③
 長崎純心大学 石井 望准教授
http://www.shimbun-online.com/product/yaeyamanippo0140116.html
 百十九年前の一月十四日(今の尖閣諸島開拓の日)、政府は尖閣が「無主の地」だと確認した上で、日本の領土に編入した。無主地確認の過程はどうだったのか。
第三囘 明治政府は尖閣が清國内だと考へたのか
【チャイナ主張】外務卿(外務大臣)井上馨は、清國から尖閣を盜む事が露見するのを恐れて、領土編入を延期させた。その結果、十年後にやっと「先占」(せ んせん)と稱(しょう)して尖閣を盜んだ。しかし國際法の先占の原則は、殖民(しょくみん)主義者が先住民を侵奪するために作り出した論理である。日本が 尖閣に於いて先占の法理を主張するのもまた、チャイナに對する侵奪行爲を正當化するものである。
【史料】明治十八年、外務卿(大臣)井上馨より山縣有朋宛て書簡    
「沖繩縣と清國福州との間に散在せる無人島、久米赤島ほか二島、(中略)清國國境にも接近致し候。(中略)國標を建て開拓等に着手するは他日の機會に讓(ゆづ)り(下略)」
〔釋辭〕久米赤島:今の大正島。漢文名は赤尾嶼。
二島:尖閣諸島の久場島(黄尾嶼)及び魚釣島(釣魚嶼)を指す。

21清國領土線
【反論一】 清國國境に「接近してゐる」との認識だから、尖閣の西に清國の國境線が存在し、尖閣がその外の無主地だと確認してゐたことが分かる。チャイナ主張とは全く逆に、日本がこの十年後に領有した正しさを示すのがこの書簡である。
【反論二】以下全文は「新聞オンライン.com」で
http://www.shimbun-online.com/product/yaeyamanippo0140116.html
http://bit.ly/1ct06D1


連載第二囘「明治十八年、日本人が上陸したと上海の新聞が報道した。清國政府は動いたのか」
は、こちら 

http://senkaku.blog.jp/archives/2336336.html


八重山日報 平成二十六年一月十二日 第四面
http://www.shimbun-online.com/product/yaeyamanippo0140112.html
http://bit.ly/1ddBhQ3

尖閣諸島歴史問答~開拓の日に寄せて① 長崎純心大学 石井 望准教授

 筆者は今年(平成二十六年)二月末に福岡の出版社「集廣舍」(集広舎)より『尖閣反駁マニュアル百題』を出版する運びとなった。その内容の一部分を數日 (すうじつ)に分けて連載する。尖閣論議で負けたくない人は是非ご覽頂きたい。(最終日に贈り物のお知らせがあります。)

第一囘 尖閣を臺灣(たいわ ん)と別色に塗る地圖なのに、「臺灣に屬する」と主張
三國通覽琉球國會切取小
林子平『三國通覽・琉球國全圖』(國立國會圖書館000008596508)より。
右上の赤色「釣魚臺」が尖閣の魚釣島、中央の黄色が臺灣島。島内に臺灣縣・諸羅縣・鳳山縣が記載されてゐる。

【チャイナ主張】
 日本の江戸時代の林子平(はやししへい)の地圖(ちづ)は尖閣を福建省と同じ赤色に塗ってゐるから、日本人は尖閣をチャイナ領土とみなしてゐた。日本側は臺灣(たいわん)が福建と異なる黄色だから無効だと主張するが、島内に福建の「臺灣縣」(たいわんけん)、「諸羅縣」(しょらけん)、「鳳山縣」(ほうざんけん)を記載してゐるので、臺灣が福建に屬(ぞく)することに疑ひは無い。

【史料】
林子平『三國通覽圖説』、天明五(西暦千七百八十五)年    

【反論一】
 臺灣と尖閣との色が異なってゐることに注目を要する。チャイナ主張を完全に否定し、尖閣が臺灣の附屬島嶼ではないと示す着色である。尖閣史の初心者は、ただ「尖閣と臺灣とは別の色」と記憶しておけば簡單である。チャイナ側はまづ「下關條約で臺灣の附屬島嶼だった」といふ公式主張を取り下げねば、本圖は意義をなさない。
------------------
【反論二】以下は新聞オンラインに出てゐます。
http://www.shimbun-online.com/product/yaeyamanippo0140112.html


安倍政權は靖國で反論を展開するさうですが、その前に尖閣の歴史で反論して欲しい。
尖閣史は數百年前から明治まで、日本の壓勝なのに、なぜ使はないのか。

世界で戰ふ勝敗の見込みとして、尖閣前史なら百戰全勝。靖國でそこまで勝てますか。
靖國で反論する以上は徹底反論せねばいけません。
原爆投下のトルーマン大統領をヒットラーなみの罪人と認めよと、米國に要求できますか。
最も有効なその論點を使はないなら、勝負を放棄するに等しい。
そんなことなら靖國で反論しても全勝の見込みはありません。
全勝できないなら、全勝できる尖閣前史こそ議論の中心に据ゑるべきです。安倍さん分かりますか。

http://www.jiji.com/jc/zc?k=201401/2014011000911
中国靖国批判に反論を=在外公館に指示-外務省 (時事通信)
 安倍晋三首相の靖国神社参拝について中国が第三国のメディアなどを通じて批判を展開していることを受け、外務省は在外公館に対し、中国の主張に反論し、首相参拝の真意は「不戦の誓い」にあることを積極的に発信するよう指示した。外務省幹部が10日、明らかにした。 
 首相参拝後、中国は各国に駐在する大使らが記者会見や現地紙への寄稿で首相を批判。アフリカ歴訪中の王毅外相も9日、中東の衛星テレビ局アルジャジーラの取材に「中国人民が受け入れられないばかりか、国際社会も受け入れられない」と語った。
 これに対し外務省幹部は10日、「下品な反日キャンペーンには反撃する」と明言。中国の主張に対し、逐一反論していくという。(2014/01/10-20:04)

トルーマン

        駐英大使






日本駐英大使林景一 對 チャイナ駐英大使劉曉明。BBCにて討論。 
英語字幕無し。
https://www.youtube.com/watch?v=sbLaPRh71Tc
チャイナ語字幕。
https://www.youtube.com/watch?v=cOB1YzWbilQ
https://www.youtube.com/watch?v=N4oJazDNntY

 これは英語のうまい下手ではなく、そもそも下關條約以前の尖閣前史を避けては勝てっこ無いのです。下關以前では日本が完勝なのに、何故避けるのか。大使個人の問題でなく日本政府の問題です。 チャイナ駐英大使の英語もそんなにうまいわけでもない。歴史事實以前に、そもそも歴史を語るか語らないかで大差がつきました。

 有効手はただ一つ。歴史百對ゼロの壓倒的悠久の正義を世界に理解させることだ。
http://senkaku.blog.jp/2017022769624302.html
「ああさうだったのか!尖閣では最初の1534年から琉球職員がチャイナ使節船を案内し、秀吉家康の朱印船は縱軸横軸で尖閣を航行し、1600年頃に日本が作った精確な尖閣地圖は十九世紀半ばまで世界最尖端であり續け、1604年には國際法の祖グロチウスが尖閣に言及しそこね、1617年には三浦按針がチャイナを避けつつ尖閣を航行し、同年には尖閣の西側入口の馬祖列島で日明間和平合意も成り、1660年には尖閣附近で坐礁したオランダ貨物を薩摩が運んで長崎奉行から出島オランダ商館に引渡し、1719年と1800年には琉球職員が馬祖列島から早くもチャイナ使節の水先案内をして尖閣に導き、1819年には琉球王族が尖閣で公式上陸調査し、1845年には八重山航海士がイギリス人を尖閣に案内し、1867年には歐洲製地圖で尖閣の西側に國境線が引かれ、明國清國は最初から最後まで尖閣と臺灣北方諸島とを混同したままで、釣魚臺を臺灣北方諸島の西側に置くチャイナ史料が歴代の半數を占め、1461年から1872年までずっと尖閣の遙か西方にチャイナ國境線を引いてゐて、1403年のチャイナ尖閣史料は實は琉球人に教はって1573年以後に編まれたに過ぎず、臺灣の地誌に出現する釣魚臺は尖閣ではない別の島であり、琉球風水思想では首里を中心として尖閣を外縁とし、臺灣の風水は基隆から南に伸びるが尖閣へは伸びず、、、、とにかくあらゆる史實が、1895年日本編入の正義に向かって動いてゐたのだ!今悟った!」
世界がさう氣づけば九割の支持を得て尖閣常駐できる。國際法とか軍事とか地政學とかのチャチな話ではない。

 
 オックスフォード・ユニオンといふ議論倶樂部もチャイナ駐英を招いちゃったりしてます。
https://www.youtube.com/watch?v=uKj79DZLUaw
https://www.youtube.com/watch?v=3AUD7BZFdWg
私がオックスフォード行けば完勝なんだけどな。上手な英語なんか要りません。

.

ついでにオマケ。
https://www.youtube.com/watch?v=gvBUNHMLgf4








拙著「尖閣反駁マニュアル百題」、二月末に集廣舍より出版見込。 

http://www.shukousha.com/category/information/publishing/
 ビルマ・チベット・バングラデシュ等の現状を透視し、
チャイナ文革から民主化運動まで剔(ゑぐ)り出す志高き出版社。
既に一流の編輯者が編輯作業に這入りました。ご期待下さい。


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平26賀状小
    謹 賀 新 年 

       平成甲午元旦

 

    蕃舶始收港深、藜斯與那識丁針。

    高砂山後尾閭急、客須從呂宋尋。


   藜斯レイシ、即釣魚黄尾諸嶼、見寛文航海書

   丁針西南偏南、以取與那國島。愈南行、達呂宋

   詳見舊年十月四日八重山日報網頁、敬乞高評。

          いしゐのぞむ

蕃舶始めて港に收めて深し、藜斯與那に丁針を識る。

高砂山後、尾閭急なり、客須(すべか)らく呂宋より尋(たづ)ぬべし。

藜斯レイシ、即ち釣魚黄尾諸嶼、寛文航海書に見ゆ。

丁針は西南、南に偏す、以て與那國島を取る。愈(いよい)よ南行すれば、呂宋に達す。

詳は舊年十月四日八重山日報網頁に見ゆ、敬(つつし)んで高評を乞ふ。)

蕃舶:南蠻船。西暦千五百七十三年、ポルトガル人が長崎に住み始め、

ついでスペイン人の來航も相繼いだ。『順風相送』に長崎のポルトガル人の記載あり

崎港:長崎港。

丁針:羅針盤の南南西よりやや南。
高砂:臺灣島。

山後:臺灣島の中央山脈の東側。

尾閭:黑潮。

閩客:福建人。ルソンに群居してゐたが、臺灣島東部には住んでゐなかった。

寛文航海書:朱印船時代の航路を記録した書。

-----------------------

八重山日報10/3と10/4寄稿↓。

 下 http://bit.ly/175VoJJ 上 http://bit.ly/175VoJI

ご購入はこちら

http://www.shimbun-online.com/product/yaeyamanippo0131003.html

http://www.shimbun-online.com/product/yaeyamanippo0131004.html

 

以下は稿中の圖版。


meyer圖

「Meyers Konversations-Lexikon」(マイヤー大衆百科) 

書誌學學院(獨)刊 1892年版より
 

 

同じくマイヤー百科事典 1889年版 グーグルブックスより

 

寛文航海書(小林寫眞製版所「南方渡海古文獻圖録」、國立國會圖書館藏)

レイシ(尖閣)から南南西に進むとヨナコ(與那國)に至る。

 


寄稿に先行して報道された記事は下リンク

http://senkaku.blog.jp/archives/1453620.html

 

 


靖國祭
安倍首相が靖國神社を參拜した。アメリカは失望を表明し、
http://sankei.jp.msn.com/world/news/131227/amr13122708300001-n1.htm
http://www.sponichi.co.jp/society/news/2013/12/27/kiji/K20131227007274400.html
http://jp.wsj.com/article/SB10001424052702304299204579282952113862552.html
EUも批判し、
http://sankei.jp.msn.com/world/news/131227/erp13122708380001-n1.htm
ロシアまで遺憾と言ふ。
http://sankei.jp.msn.com/world/news/131227/erp13122708190000-n1.htm
何故チャイナやコリアが常に無茶をし續けても批判を浴びず、
日本が神社に行っただけでこれだけ批判されるのか、
よく分からないが、その分析をしても始まらない。

尖閣諸島に自衞隊を配置することと、靖國を參拜することと、
二つに一つならば尖閣を優先して欲しかった。
十一月にチャイナが公海上空で武力措置宣言をして、世界の非難を浴びたので、
今は尖閣で一歩進む絶好機だった。
しかし安倍さんは尖閣で進む勇氣が無く、手近な靖國を優先した。
尖閣に自衞隊が據點を作っても、各國は批判しにくいだらうが、靖國だと批判し易い。
靖國で批判されてから、更に今尖閣に出るなら、ついでに批判し易くなった。

アメリカの一舉手一投足を世界はいつも批判する。
日本もそれに近い存在だから、批判されても平和のために進まねばならない。
靖國は損得で損したと思ふが、だからといって怯(ひる)んで、
尖閣で遠慮するならば、本末顛倒だ。ここは搖るがず進んで欲しい、安倍首相。

關聯する八重山日報寄稿

八重山日報「尖閣空島政策は軍備増強の陰謀(1)
チャイナ情勢分析をやめよ」 
http://bit.ly/IC13lH
 防空識別區と稱して、公海上で武力を採取するとした。
チャイナ情勢を分析すればするほど日本は自繩自縛になる。
小泉首相の原發廢止論のやうに自衞隊常駐を決斷すべし

八重山日報「尖閣空島政策は軍備増強の陰謀(2)
オスプレイは必要か」 
http://bit.ly/1j9PFLn
 尖閣喪失の時は近づく。
年内に自衞隊が常駐せねば絶好機は雲散霧消する。
眞空となった尖閣を取りまく周邊の軍備ばかり増強してゐるのは、
日米共同の陰謀か。

八重山日報「尖閣空島政策は軍備増強の陰謀だ(3)
歴史を信じて決斷せよ」  
http://bit.ly/1cPGoU4
政府周邊の立場の人々が口々に
「尖閣はもう讓歩する以外に手が無い」と發言した。
防衞意志の薄弱なるをごまかすために改憲論議をしてゐるのではあるまいか。

チャイナが1123日に設定した所謂防空識別區なるものは、

實際は公海上の武力措置域である。

日本政府もマスコミも、防空識別區といふ勝手な名稱を

そのまま使用してはならない。

チャイナ側の論法は

「同じ防空識別區なのに、なぜ日米の設定だけが正義で

チャイナの設定は不正義なのか」となる。

兩者の中身が全く違ふことを安倍バイデン會談でも批判すべきだ。

何故そこを批判しないのか。このままでは日本は負ける。

 

チャイナ國防部の公告では

「服從しない航空器に對しチャイナ武力は緊急處置を取る」

云々と述べてゐる。

http://j.people.com.cn/94474/204188/8464494.html

http://news.mod.gov.cn/headlines/2013-11/23/content_4476124.htm

 

 一方の日本の防空識別圏に武力の記述は無い。

http://www.clearing.mod.go.jp/kunrei_data/a_fd/1969/ax19690829_00036_000.pdf

 

武力行使域となった東チャイナ海は、危險なので民間機は

飛行せぬやう日本政府が緊急通知すべきである。

中東アフリカなどの交戰地域に準じる必要がある。

チャイナ往き以外の民間機はこの空域を迂囘して飛行すべきだ。

 

讀賣新聞

中国国防省の耿雁生報道官は3日、今回設定した防空識別圏に関し、

設定が東シナ海の現状を一方的に変更するものだとする日米の批判に対し、

「彼らこそ1969年に(東シナ海に)防空識別圏を設定し、

何度も拡大してきた。あれこれ言う資格はない」

と反論した。

http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20131203-00001069-yom-int

 

一般國民も誤解してゐる。ツイッターのやりとり。

https://twitter.com/ishiwinozomu/status/407716330821795840

https://twitter.com/ishiwinozomu/status/407720063387451393

 

  

關聯する八重山日報寄稿

 

八重山日報「尖閣空島政策は軍備増強の陰謀(1)

チャイナ情勢分析をやめよ」 

http://bit.ly/IC13lH

 防空識別區と稱して、公海上で武力を採取するとした。

チャイナ情勢を分析すればするほど日本は自繩自縛になる。

小泉首相の原發廢止論のやうに自衞隊常駐を決斷すべし

  

 

八重山日報「尖閣空島政策は軍備増強の陰謀(2)

オスプレイは必要か」 

http://bit.ly/1j9PFLn

 尖閣喪失の時は近づく。

年内に自衞隊が常駐せねば絶好機は雲散霧消する。

眞空となった尖閣を取りまく周邊の軍備ばかり増強してゐるのは、

日米共同の陰謀か。

 

 

八重山日報「尖閣空島政策は軍備増強の陰謀だ(3)

歴史を信じて決斷せよ」  

http://bit.ly/1cPGoU4

政府周邊の立場の人々が口々に

「尖閣はもう讓歩する以外に手が無い」と發言した。

防衞意志の薄弱なるをごまかすために改憲論議をしてゐるのではあるまいか。

 



nozom16

 

元外務省チャイナ課長・元廣島平和研究所長の個人ネット頁

「21世紀の日本と國際社會」

のコラム「尖閣問題:玄葉外相主張に対する中国側論駁」に反駁しました。

頁主は無記名のやうですが、すぐに誰だか分かります。

リンクは事前聯絡を要すと書いてあるのでリンクは貼りつけません。

皆樣コラム標題からご自分でお搜し下されば幸ひです。

しかしそもそも、リンクに承諾が必要だといふのは間違った考へです。

論文題目を掲載するだけでも事前申請せよといふのと同じです。

言論の自由と學術の公正とに反する不當要求でありませう。

リンク用アドレスにも著作權は有りません。

ともあれ以下は當該ネット主に送った反駁です。

  

---------------------------------

 

21世紀の日本と國際社會 御中

 

いしゐのぞむと申します。長崎純心大學で漢文等を教へてゐます。

http://researchmap.jp/read0193046/

http://www.n-junshin.ac.jp/univ/gakka_syoukai/hikaku/kyouin/syoukai/Ishii_Nozomu/ishii_nozomu.htm

 

平成24年のコラムご投稿につき、

最下方に「ご意見・コメント」とありますので、以下のご意見申し上げます。

 

---------------------

  

「負けは負けと認め」とのご趣旨ですが、誤認です。

まづ邵漢儀の言ふやうな明治年間の書信等史料では、ほぼ例外なく尖閣を

「清國に接近せる島」と位置づけます。接近ですから清國外と認識してゐます。

これら史料から、逆にある程度は無主地確認できてゐたことが分かります。

 

 

次に國紀平氏の主張は、要するに明治二十八年(西暦1895)に日本が

竊取したといふのが全ての前提です。

しかし明治二十八年に至るまで常に清國外であったことは、

「島嶼研究ジャーナル」2-2掲載の拙著

「前導者と記録者、東西二界の間にて―ニューヨークタイムズの邵氏の文に駁す―」

http://www.naigai-group.co.jp/_2013/06/post-22.html

http://www.amazon.co.jp/gp/product/toc/4905285216/

 

及び「日本戰略研究フォーラム季報」56掲載の拙著

「チャイナの尖閣主張、繰り返す類型あり」

http://www.jfss.gr.jp/kiho%20ok/kiho56/17~21%20page.htm

をご覽下さい。

 

一例として、明治四年(西暦1871年)の「重纂福建通志」の尖閣

の部分そのものに、臺灣府は東北端の岬までを領域とすると明記されてゐます。

尖閣は國外扱ひです。

 

 

次に廉徳瑰女史は尖閣の名稱について書かれてゐますが、

そもそも尖閣より以前に、漢文の古名「釣魚嶼」はチャイナ名ではありません。

命名者は不明であり、琉球國人が命名した可能性が極めて高いものです。

これについても、島嶼研究ジャーナル2-2掲載の拙著及び、以下諸篇をご覽下さい。

 

1、八重山日報、平成二十五年六月十六日第五面、

拙著「尖閣をまもる秘策あり」(上下)

http://ishiwi.iza.ne.jp/blog/entry/3108107/

http://ishiwi.iza.ne.jp/blog/entry/3106659/

 

2、拙著「尖閣釣魚列島雜説四首」、 「純心人文研究」第十九號所載。

http://ci.nii.ac.jp/ncid/AN10486493

https://docs.google.com/file/d/0B2MwcvRggQjpSnJWbkpHZ1ZwTVE/edit

左上の下向き矢印を押して下さい。

「sorry」と出たら「download anyway」を押して下さい。

 

3、拙著 「尖閣釣魚列島雜説七篇」、長崎純心大學比較文化研究所、

平成二十五年三月刊、「ことばと人間形成の比較文化研究、

長崎純心大学共同研究報告書」所載。

http://webcatplus.nii.ac.jp/webcatplus/details/book/25825613.html

http://iss.ndl.go.jp/books/R100000002-I024345623-00

 

pdfファイルダウンロードはこちら。

https://docs.google.com/file/d/0B2MwcvRggQjpOHFfd2UzR1pJUlk/edit

 左上の下向き矢印を押して下さい。

「sorry」と出たら「download anyway」を押して下さい。

 

 

以上の外、尖閣前史についての拙著多數は

下記ブログの諸リンクからお搜し下さい。

http://ishiwi.iza.ne.jp/blog/list/3/

 

 

 

尖閣領有の三年前(明治二十五年)、頼みもしないマイヤー百科で尖閣の西に國境線。

朱印船史料、ラペルーズ艦長、モリソン號、サマラン號。

長い長い南北航路史。アヘン戰爭後の南京條約でも尖閣は清國外。

八重山日報10/3と10/4寄稿↓。

 下 http://bit.ly/175VoJJ 上 http://bit.ly/175VoJI

ご購入はこちら

http://www.shimbun-online.com/product/yaeyamanippo0131003.html

http://www.shimbun-online.com/product/yaeyamanippo0131004.html

以下は稿中の圖版。

meyer圖

「Meyers Konversations-Lexikon」(マイヤー大衆百科)書誌學學院(獨)刊 1892年版より

 meyer1889グーグル

同じくマイヤー百科全書 1889年版 グーグルブックスより

寛文航海書八重山日報

寛文航海書(小林寫眞製版所「南方渡海古文獻圖録」、國立國會圖書館藏)

レイシ(尖閣)から南南西に進むとヨナコ(與那國)に至る。

稿に先行して報道された記事は下リンク

http://senkaku.blog.jp/archives/1453620.html

 

 

(八重山日報、平成二十五年九月二十九日)
歐洲で「尖閣は沖繩」、明治元年ドイツ地圖。
明治元年(1868年)にドイツで製作された地図が、尖閣諸島の西側に日本の境界線を描いていたことが分かった。長崎純心大の石井望准教授は「西洋人は古くから、尖閣諸島を先島諸島に付随する島として認識していた」と指摘。尖閣が日本領であることの認識が欧州でも歴史的に定着していた証拠として注目している。
地図の存在は、民間研究者の伊井茂氏、石井氏、東京大理学部助教の赤染康久氏の共同研究で明らかになった。地図はドイツの地図製作の大家、アドルフ・シュティーラーの名義で発行されていた「ハンド・アトラス」(小地図帳)の中の「中国・朝鮮・日本図」。図上では尖閣の西北側から与那国島の西側を経て、台湾の緑島(りょくとう、旧火焼島)の西南側まで点線が引かれ、日本と同じ薄青色に彩色されている。

▼全文は「新聞オンライン.com」で
http://www.shimbun-online.com/product/yaeyamanippo0130929.html
臺灣東岸、朱印船の航路に起源。第一面立ち讀み可。八重山日報。
文字テキスト前半はこちら。

http://www.yaeyama-nippo.com/2013/09/29/

地圖の右下に「1868」即ち明治元年。

表紙東大stieler切取
▲1869年刊 ハンド・アトラスより 中央上寄りに尖閣諸島 東京大学総合図書館蔵(5298948)

 

八重山20130929縮小

明日9/29の八重山日報に、尖閣史料の報道がまた出ます。 

http://www.shimbun-online.com/titlelist/yaeyamanippo.html

正午前後にはインターネット版も出ます。 

http://www.yaeyama-nippo.com/

皆樣ご期待下さい。

 

さて短か過ぎるので、尖閣に關聯なく、長崎のおすすめの喫茶店。

長崎においでの際は、私の處に來て下さるお暇は無いと思ひますが、

下の諸店にはお越し下さい。後悔しません。

 

1、長崎大學正門前のやや南に振興局。その電車通りを渡った西側、

村橋齒科の南隣の喫茶店。今年開いたばかり。

奧まった處にひっそりと。しかし、美味。手作りのベーグルパンが凄い。

コーヒーも凄い。店名不明。夕方六時前に閉店。

https://plus.google.com/108128478720928590291/

 

2、市役所隣の「囁き坂」。もう知る人ぞ知る名店と言ってよいでせう。

コーヒーとともに、ミックスサンドイッチ。壓倒してます。

http://tabelog.com/nagasaki/A4201/A420101/42000806/dtlrvwlst/

http://loco.yahoo.co.jp/place/21d1fef25752bdc5d604ed5ab3198986650ff725/

 

3、カフェアジア。長崎大學正門の南側。ここの「オリジナルカレー」が美味。

http://tabelog.com/nagasaki/A4201/A420101/42004651/dtlphotolst/

 

4、フォルピーズ・カフェ。カフェアジアの隣。

https://www.facebook.com/ForpiasCafe?ref=stream

 

5、喫茶以外では、午餐「のばな」(野花菜)。

日替り定食、うまい。かなり徹底してます。純心大學に登る途中で右折。

http://r.gnavi.co.jp/4v70rryh0000/

http://kirei.woman.excite.co.jp/gourmet/gnavi/detail/5342352/

 

6、いつも注文してる國産の栗、丸成商事「むき和栗」。

まあ特別の美味ではないけど國産ですから。

私は食べる時に電子レンジで暖めます。

http://www.amazon.co.jp/gp/product/B009YQIZOY/

 

7、福岡の「志摩とうふ」。硬くてうまい。石平先生も太鼓判。

つらかったチャイナの日々を思ひ出す。しかし國産の信用だ。
製造元は高取食品。
九州北部の西友と、岩田屋傘下のスーパー「サニー」に出荷。

http://www.fukunet.or.jp/member/takatori/
http://blog.goo.ne.jp/cnmh/e/8a89f8a695040a24337834d8a9070b11

http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%B5%E3%83%8B%E3%83%BC_%28%E3%82%B9%E3%83%BC%E3%83%91%E3%83%BC%E3%83%9E%E3%83%BC%E3%82%B1%E3%83%83%E3%83%88%29

8、福岡の「豆吉郎」の「岩とうふ」。硬くてうまい。長崎賑橋に販賣店。

http://toukichirou.co.jp/company/about/

https://twitter.com/TOFU_2005/status/372128312224518144

https://pbs.twimg.com/media/BSoQunVCEAAAPVg.jpg

http://townpage.goo.ne.jp/shopdetail.php?matomeid=KN4213080900000077

 

 

硬い豆腐について、wikipedia。(普茶料理に出るなら長崎でも有るのかな)。

堅豆腐 / 固豆腐 (かたとうふ[18])は、現在の日本で一般的となっている製法と異なり、濃度の高い豆乳を使ったり、にがりの代わりに海水を使うなど、さまざまな方法を用いて保存できるようにした種類の豆腐のことで、なかには荒縄で縛って持ち運びできるほど堅いものもある。狭義では日本各地で昔ながらに作られ続けている堅豆腐のみを指すが、広義では、文字どおりに同種の堅い豆腐全般を指す総称となっている。
狭義の堅豆腐、すなわち、日本の堅豆腐は、そもそも日本で作られ始めた当時のものに近い[18]のであり、つまり、本来的には豆腐は堅豆腐、もしくは、それに似て非なる「堅い豆腐」であった。例えば江戸時代の浮世絵に描かれた豆腐もその多くは大きくしっかりとした長方体の堅豆腐である[18]。現代では流通の不便な豪雪地帯や山岳地域あるいは離島などだけで変わらず作られ続ける伝統製法となっている[18]。堅豆腐を作る地域としてしばしば例に挙げられる場所としては、加賀地方(石川県)の白山麓の一円の各所がその一つであり[18]、なかでも旧・石川郡白峰村(現・白山市白峰)の石豆腐や、富山県五箇山の岩豆腐はよく知られている[18]。これらの地では、肉類を食べるように堅豆腐が調理され、食べられている[18]。
水分を減らしたもの
        沖縄県の島豆腐(しま豆腐)
        「生しぼり方」で作られ、豆乳の粘度が低い状態でにがりを混ぜるが、

   荷重と時間を多くかけて含水率を減らすため硬くなる。また、作りたてで

   新鮮なものが好まれるため、水にはさらさずに温かい状態で販売される。
        京都府宇治市の黄檗豆腐
        荷重と時間を多くかけて含水率を減らす普茶料理に使われる。
濃い豆乳
        石川県白峰村の石豆腐(堅豆腐)
        富山県五箇山の岩豆腐(堅豆腐)
        徳島県祖谷地方(東祖谷山村・東祖谷山村)の岩豆腐(石豆腐)
        熊本県球磨郡五木村の五木豆腐
海水利用
        山口県祝島の石豆腐
        長崎県五島列島の潮豆腐
        長崎県壱岐市の壱州豆腐
        沖縄県の糸満豆腐
 

 

ブログ「臺灣は日本の生命線」(臺灣研究フォーラム)

http://mamoretaiwan.blog100.fc2.com/blog-entry-2204.html

に、先日の鄙説を紹介して頂きました。

これにつき、史料解説が9月22日の八重山日報に掲載されました。

同紙インターネット版にも出てゐます。

http://www.shimbun-online.com/product/yaeyamanippo0130922.html

http://www.yaeyama-nippo.com/

 ↑こちらをクリックして下さい。 (以下、記事より一部分)

―なぜ福建音でなく北方音だと分かるのですか。
「魚を「YU」と読むのは典型的な北方音です。福建南部ならば「ヒー」と読みます。また「SU」は一見すると福建南部の「スー」という読みと似ていますが、正しくは現在のローマ字で「XU」と表記される北方音です。その証拠に徐葆光の徐(現代表記XU)をゴービルは同じ「SU」で記しています。福建漁民とは無縁の話です」

―1534年の後、1719年の徐葆光は既に中国領と認識していた可能性は有りませんか。
「有りません。徐葆光の時は、福建の海岸を離れてすぐその夜に、早くも水先案内人を福建人から琉球国公務員に交替させます。清国領海内であるならば、琉球国側が水先案内をすることは常識的に有り得ませんから、清国領外と認識していたと推測できます」

―推測では弱くありませんか。
「根拠はまだ有ります。徐葆光及びダンビル図より後の1787年に成立した「皇朝通典」第60巻によれば、清朝の初めの1644年以来の規定で、朝貢使節の帰国時に国境から送り出すことになっています。そして北京故宮の「中琉歴史関係档案」(中国档案出版社)には、ほとんど毎年のように、琉球の朝貢使節の帰国時に福建沿岸数キロメートルの五虎門まで送ったことを記録します。これにより国境は福建沿岸だったことが証明されます。尖閣は領土外だったと確定しています」
 

 

 

記事中に掲載されたラムゼーコレクションの地圖リンクは、こちら。

http://www.davidrumsey.com/luna/servlet/detail/RUMSEY~8~1~4417~410006

臺灣東北側の部分を擴大すれば見えます。

1752ダンビル

1752ダンビル2
記事中より、地圖説明を以下に引きます。

「(仏)ダンビル製作、1752年、Seconde partie de la carte d'Asie(アジア図第二)ラムゼー・コレクション(2603006番)より(www.davidrumsey.com)・中央やや上に「HAOーYUーSU」とある。尖閣と先島諸島と台湾東岸が黄土色、台湾西岸以西が桃色に近い。同コレクションは他に5749003・4607050・2310070・6830072各番でも中国は先島及び尖閣と異なる色。」
 

記事中のラムゼー圖藏5749003・4607050・2310070・6830072各番は、下の通り。

Giovanni Maria Cassini(カッシーニ)製

「Globo terrestre delineato sulle ultime osservazioni

  con i viaggi e nuove scoperte del Cap. Cook」

西暦1792年。ラムゼー圖藏。第5749003番。福建青、臺灣は黄、尖閣沖繩は赤。
http://www.davidrumsey.com/luna/servlet/detail/RUMSEY~8~1~31755~1151142

1792カッシーニ

 
A.H. Levasseur E. Brue(ブリュ)製
「Carte Particuliere de La Polynesie」
西暦1875 年、ラムゼー圖藏、第4607050番、福建臺灣は無色、尖閣沖繩は桃色。
http://www.davidrumsey.com/luna/servlet/detail/RUMSEY~8~1~202318~3001040

1875ブリュエ

Jean Baptiste Bourguignon d'Anville(ダンヴィル)製、
「The Empire of China, with its principal divisions」
西暦1794年、ラムゼー圖藏、第2310070番。福建臺灣は青緑色、尖閣沖繩は無色。
http://www.davidrumsey.com/luna/servlet/detail/RUMSEY~8~1~31576~1150055
1794ダンビル

 


Adolf Stieler(シュティーラー)製、
「Das Chinesische Reich mit den Schutz-Staaten, und Japan」
西暦1826年、ラムゼー圖藏、第6830072番。福建臺灣は黄色。尖閣沖繩は薄紫色。
http://www.davidrumsey.com/luna/servlet/detail/RUMSEY~8~1~242551~5513090

1826シュティーラー
1826シュティーラ2

以上の地圖は、八重山日報記事の紹介に過ぎませんので、

論文で鄙説を引用される場合は八重山日報25/9/22記事より引用と注記願ひます。

ブログ等にコピーして頂ける場合は、次のやうな趣旨を注記して下されば幸ひです。

「八重山日報25/9/22記事にもとづきラムゼーコレクションより引用」

云々と。

 

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以下は元のヤフー記事。

「釣魚島が中国に属する証拠」261年前の古地図を展示=マカオ  XINHUA.JP 9月20日(金)10時10分配信
最も古い航海図は1752年のもの。261年前に釣魚島が中国の領土の一部であったことを示すものだという。羊城晩報が19日伝えた。」

http://www.xinhua.jp/socioeconomy/photonews/360053/

http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20130920-00000012-xinhua-cn

當初はヤフーの主畫面に掲載されてゐました。

http://sunrise-sunset.seesaa.net/article/375337006.html

 

日本會議長崎のブログより。
http://ameblo.jp/nkn-jj/entry-11616325462.html
9月22日、百地章先生講演会「なぜ憲法改正なのか?」のご案内
日本協議会長崎県支部の第13回「日本の誇り復活」セミナー及びコアの会定例会として9月22日に開催されます合同講演会が、一般公開されます。
憲法改正に関して、この問題の第一人者である百地章先生をお招きしての講演会を日本協議会とコアの会の共催で開催することになりました。
一般の方のご参加もできますので、是非お誘い合わせてお出かけ下さい。        
○ 期 日 9月22日(日)午後5時~7時(予定)
○ 講 師 百地 章 先生(日本大学法学部教授)
○ テーマ 「なぜ憲法改正なのか?~きちんと知りたい改正のポイント~」
○ 会 場 ホテルニュータンダ 2階〈すみれの間〉
長崎市常磐町2-24(電停「市民病院前」より徒歩3分)
○ 参加費 2000円
○お申込み 直接会場の受付でお申込みください。
 百地章

 

 

「釣魚島が中国に属する証拠」261年前の古地図を展示=マカオ
XINHUA.JP 9月20日(金)10時10分配信
最も古い航海図は1752年のもの。261年前に釣魚島が中国の領土の一部であったことを示すものだという。羊城晩報が19日伝えた。

http://www.xinhua.jp/socioeconomy/photonews/360053/

http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20130920-00000012-xinhua-cn

只今ヤフーの主畫面に掲載されてます。

羊城晩報の元の記事は下のリンクです。

(チャイナのネットはウイルスが多いのでご注意。)

http://www.ycwb.com/ePaper/ycwb/html/2013-09/19/content_256459.htm

下のリンクはもう少し詳しいです。(ウイルスご注意。)

http://zhan.renren.com/tag?value=%E8%B0%AD%E5%85%86%E7%92%8B%E6%95%99%E6%8E%88

 

この報道の西暦1752年「Hao yu su」は、既知の圖であり、

新發見ではありません。Haoyusuも福建語ではありません。

例へば下のリンク 

http://blog.sina.com.cn/s/blog_6593f6530101bgt9.html

のブログなどにも前から出てをります。尖閣部分はチャイナ領土ではありません。この關聯については近いうちに私からも報道に出します。

 

この程度の無意味な史料は、いつもチャイナの報道では出てゐるものです。單に報道で勢ひを釀し出し、論爭が成立してゐるかに見せるだけのものです。そんなものをヤフーの主畫面に置いてしまふヤフー社の姿勢こそ問題です。ヤフーの皆さんのコメントに、「1752年基準で領土を決めるな」といふ聲が多いですが、そもそもチャイナの出すどの史料も誤りなので、1752年でもチャイナ領土外です。そこを日本國民が認識しないと輿論戰で負けます。

 1752圖

下の上田誠也先生の訪問録、興味深いです。私は心頭の震撼するを覺えました。

何故かといふと、私の關聯分野でも同じやうなことが有ります。

私の研究の主目的は漢文及び漢文教育ですが、

實際にやって來たことは元曲及び崑曲の音樂研究です。

何故かといふと漢詩漢文の鑑賞法の鍵は朗詠法・歌唱法です。

しかし朗詠法・歌唱法が遙か昔に滅んでしまったので、

その斷片を近世チャイナの元曲崑曲音樂の中に求めたのです。

もちろん日本の雅樂に求めても良いし、訓點資料でも、漢字音でも良い。

いづれにしろ漢詩漢文そのものから見れば間接的です。

文學分野で科研費を申請した時に、分野が違ふといふ理由で

落選したことが有ります。落選理由の葉書にさう書いてありました。

では音樂で申請すれば良いかといふと、音樂分野からは私が門外漢に

見えるらしい。これではいけないと思ってここ二三年は東洋音樂學會に

入會して時々顔を出すやうにしました。まづさういふ社會的認知を求めることが

研究の前提となってしまふ。それが學界といふもの、分野を問はぬ現象でせう。

漢字音についても隨分論文を書きましたが、論文の作法が違ふと素人扱ひです。

それで、尖閣研究はどうなのか。

尖閣研究も、日本人にふさはしい漢文教材を求めることが主目的ですが、

漢文教育で尖閣の科研を申請しても通らないでせう。

ではどこに申請するか。國際法か、國際政治か、國史か、東洋史か地理か防衞か海洋か。

國際政治だと、古文書を持ち込出すこと自體が無意味だとか公家の遊びと思はれてゐる。

史學では領有權に關心が薄い。史學の主流は前近代にいかに國境線が不分明

だったかを語ることです。其の名を美にして曰く國際交流、曰く越境する民。

だから今まで史學の尖閣前史研究はほとんど有りません。

國境線が數百年前から分明だったとか言ふと、無意味扱ひか、反感を買ふかでせう。

漢文教材として尖閣史料を使ひたい理由は、そもそも領有權が出發點です。

領有の證明こそ研究の中心ですから、矢張り國際法が最善か。

いづれにしろ私は他所者です。惱ましい處です。

 

 

以下引用(部分)。

http://www.jiji.com/jc/v4?id=20130911_earthquake_prediction0001

上田誠也東大名誉教授に聞く
(聞き手 時事通信社編集局長 安達功)
地震の発生を予知するためには、前兆とされる現象を研究し、とらえなければなりません。地震の前兆現象を研究するのが短期予知なのです。ところが、前兆現象とは地震の前に起こる現象なのですから、その大多数は地震そのものではないんです。地震計をいっぱい並べて地震のメカニズムなどを明らかにするのは大切な研究ですが、地震の予知にはあまり役に立たないのです。
5月の報告書の見解は、まさにそのことを言っているのです。地震そのものを研究対象とする地震学では、本来の意味での地震予知、つまり短期予知はできない。ところが、65年に始まった地震予知計画では、地震学しかやってきませんでした。多くの地震計を設置して地震観測をさかんにやり、地震というものがだんだん分かってくれば地震予知ができるかもしれないという建前だったのですね。
しかし、地震の前兆現象はほとんどが地震そのものではないのですから、地震学はベストの方法ではなかったわけです。ほかのことをやらなくてはなりません。当事者はそのことを認識していたにもかかわらず、地震計測以外のことをほとんどしなかった。


地震研には30年以上いましたが、何人かの人たちは地震予知計画の下で多額の予算をもらい、地震学をやっていました。しかしその当時、教授会ですらそのための予算がどうなっているのかよく分からなかった。分かるのは、地震計を並べて定員が増えて予算が増えてということでした。そういうことを見ていて、これではできないなと思っていました。そもそも前兆現象を対象としない地震学では予知はできるはずがないからです。また、われわれは地震予知(短期予知)をやっていますと公言する教授会メンバーもいませんでした。

 

3人の研究者は地震の寸前に地電流に異常が起こると言っていました。物理学者だったせいか地球物理学者とは全然違い、場所を示すのにも緯度経度で言わずに「アテネの西方何キロのあたり」などと言うわけです。偏見を持たないで読めば悪くないのですが、地球物理学者はハナからこんな素人論文はだめだと思うのですね。
(以下最後まで興味深いです。)