- 尖閣480年史 - いしゐのぞむブログ

石井望。長崎純心大學准教授。笹川平和財團海洋政策研究所島嶼資料センター島嶼資料調査委員。日本安全保障戰略研究所研究員。沖繩平和協力センター尖閣資料調査事業特別研究員。 御聯絡は長崎純心大學(FAX 095-849-1894) もしくはJ-globalの上部の「この研究者にコンタクトする」  http://jglobal.jst.go.jp/detail.php?JGLOBAL_ID=200901032759673007 からお願ひします。 

孫崎享氏の引用する僞造の西太后慈諭(所謂詔書)

について西村幸祐放送局で紹介しました。

https://www.youtube.com/watch?v=SGmNLwZyUOw

 西太后詔3


https://www.youtube.com/watch?v=SGmNLwZyUOw

孫崎氏「日本の國境問題」(平成23年筑摩)64頁曰く、

「1893年西太后は盛宣懷に釣魚島を下賜する詔書を出した。」

「文獻は壓倒的に中國に屬してゐたことを示してゐる」。

 

西村幸祐放送局で新たなビデオ出ました。
1403年、尖閣發見命名の證據だとチャイナが主張する航路書「順風相送」。ところが書中には、1570年以後の内容が書かれてゐた。しかも尖閣を記録する部分は沖繩人の航路であり、沖繩文化圏だったことを示す。さらにこの書の1961年活字本の初版には、尖閣が日本領だと書かれてゐるが、1982年の初版第二刷では臺灣附屬島嶼だと書き換へられた。
http://broadcast.kohyu.jpn.com/2013/04/post-41.html
この詳しい内容は、「純心人文研究」第十九號に掲載してゐます。題は

尖閣釣魚列島雜説四首-----------尖閣の東西兩界を導き渡った琉球の人々・順風相送は琉球人の航路だった-------------」

です。

各處に無料配布しますので、ご所望の方は長崎純心大學にお問合せ頂くか、(長崎純心FAX 095-849-1894

http://www.n-junshin.ac.jp/univ/inquiry_request/request_body.htm

 もしくはJ-globalの上部の「この研究者にコンタクトする」

http://jglobal.jst.go.jp/detail.php?JGLOBAL_ID=200901032759673007

からご聯絡下さい。pdfもあり。

https://docs.google.com/file/d/0B2MwcvRggQjpSnJWbkpHZ1ZwTVE/edit

 

やまと新聞のビデオ第二囘が出ました。 

産經と讀賣の尖閣史料報道につき笑へる論戰を手短かに解説してゐます。

 

同じ解説の長いものは下のリンクです。臺灣フォーラムでの講座です。

http://www.youtube.com/watch?v=jA07Zuuaa7Q
http://www.youtube.com/watch?v=Ll8PiVvUc7A
http://www.youtube.com/watch?v=SBSSsukBcI8

 

更に文章で詳しく書いたのが下のリンクです。

http://www.jfss.gr.jp/kiho%20ok/kiho56/17~21%20page.htm

日本戰略研究フォーラム季報、「チャイナの尖閣主張、繰り返す類型あり」です。
「この報道で事前に私は史料の額面通りの反響しか想像しなかったのだが、チャイナ側大手紙誌に次々に出た反駁は、懸命に史料の解法を歪曲するものだった。劉・高の二氏は研究者ながら政治的に活動する人物で、日本の『朝日新聞』にまで時々談話が載る。四人もつづいて反駁したのは違例であり、報道に慌てたやうにも見えるが、本心は絶好機と捉へたのだと私は見てゐる。……」

皆樣ご笑覽下さい。

 

 

元の新聞報道~

平成24年7月17日産經第一面「尖閣は琉球」
http://archive.is/Ts3El

平成25年1月21日讀賣夕刊社會面「尖閣、400年前は支配外」
http://archive.is/suB5x
http://note.chiebukuro.yahoo.co.jp/detail/n156474

http://www.youtube.com/watch?v=LslXn9A1Dog

 

 

明治創刊のやまと新聞にて尖閣史を解説しました。籌海圖編および橄欖山についてです。リンク: 

https://www.youtube.com/watch?v=ijJJelUopuI

パノラマ赤78文字

.

關聯情報は八重山日報で報道されてゐますので、併せてご覽下さい。以下リンクです。

 

尖閣新命名で勘違ひ。

http://tinyurl.com/kanran

國會圖書館の論文で「何を指すのか不明」(pdf)

http://www.ndl.go.jp/jp/data/publication/issue/0565.pdf

とされてゐた橄欖山について新事實。

謎の橄欖山を、初めて福建省寧德市三都澳の沿岸島嶼と特定。

尖閣に橄欖山は存在せず。

 

「明國地圖、尖閣は國外」

http://tinyurl.com/yaeyamasaga 

http://mamoretaiwan.blog100.fc2.com/blog-entry-2039.html

 

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 日本戰略研究フォーラム季報に寄稿しました。

 「チャイナの尖閣主張、繰り返す類型あり」

 http://www.jfss.gr.jp/kiho%20ok/kiho56/17~21%20page.htm

 

.


 

尖閣の歴史を語ったビデオ類のリンクです。
http://broadcast.kohyu.jpn.com/2013/02/post-33.html
http://broadcast.kohyu.jpn.com/2013/03/400h25327.html
http://www.youtube.com/watch?v=EGolgKQhWTY
http://www.youtube.com/watch?v=WszXXczMy0c

http://www.youtube.com/watch?v=jA07Zuuaa7Q
http://www.youtube.com/watch?v=Ll8PiVvUc7A
http://www.youtube.com/watch?v=SBSSsukBcI8

皆樣ご笑覽下さい。

 

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新たな論文を出しました。

 

論文集題目    

「ことばと人間形成の比較文化研究、長崎純心大学共同研究報告書」  
長崎純心大學比較文化研究所、平成二十五年三月刊。
http://iss.ndl.go.jp/books/R100000002-I024345623-00

所收論文は、

「尖閣釣魚列島雜説七篇-----------籌海圖編の釣魚嶼は國外且つ海防外、朱印船の出逢った明國東限、日本人初の無主地認識二百八十年引き上げ、東湧補説、我對釣魚台列嶼主權爭議之看法、小東補説、馬英九檢出史料補説---------」

及び、

「長崎精靈流し資料 漢文和訓 臺灣王船祭」

です。

 

各處に無料配布しますので、ご所望の方は長崎純心大學にお問合せ頂くか、(長崎純心FAX 095-849-1894

http://www.n-junshin.ac.jp/univ/inquiry_request/request_body.htm

 もしくはJ-globalの上部の「この研究者にコンタクトする」

http://jglobal.jst.go.jp/detail.php?JGLOBAL_ID=200901032759673007

からご聯絡下さい。pdfも有り。

https://docs.google.com/file/d/0B2MwcvRggQjpOHFfd2UzR1pJUlk/edit

 

 

  2128838

NHKスペシャル「アイスマン」を見ました。

http://www.nhk.or.jp/special/detail/2013/0324/

開始から十分あまり、アイスマンの時代を示す四大文明年表が畫面に出ました。開始から約27分、四大文明地圖が出ました。いづれもメソポタミア・古代エジプト・インダス・中國と書かれてゐました。

 

 2128960

素人の私にも分かる問題點が二つ。

1、アイスマンと最も地理的に近い希臘文明は、黄河文明とほぼ同時代的發展であるにもかかはらず無視されました。正しくは希臘を含めて五大文明です。 

2、黄河文明が、「中國」と名づけられてゐました。しかし古代黄河文明の時代には「中國」といふ固有名詞は存在しないので、現代に繋げようといふ虚構です。現代名を以て呼ぶならばメソポタミア文明と呼ばず、大きく中東文明と呼ぶべきでせう。

 

 

 

 

八重山日報インターネット版 http://tinyurl.com/yaeyama1616 

「尖閣「無主地」 江戸時代に確認 領土編入の280年前」
新事實を發見した史料は、明國の「湘西紀行(しゃうせいきかう)」
「東西洋考(とうせいやうかう)」「盟鴎堂集(めいおうだうしふ)」の3種。
それによると、元和二年(1616年)、日本から臺灣征討のため派遣された使者明石道友(あかしだういう)が漂流し、福建沿岸の東湧島(とうゆうたう)(今の馬祖列島東端)に停泊した。
その際、明國の偵察員に對し「大明の境界に入らず」(明國の領土には立ち入ってゐない)と述べた。明石は出航前にも、長崎代官から「天朝(てんてう)の一草一粒(いっさういちりふ)をも犯すを許さず」(明國の領土に立ち入るな)と嚴命されてゐた。
石井准教授は「明國の領土を犯さないやうに、東湧から東が無主地だと事前確認した上で渡航したことを史料は示してゐる。當時の尖閣航路は季節風を利用する帆船の一本道。その西の出入口に東湧が位置するため、尖閣航路全体を無主地として日本側が確認してゐたことが分かる」と分析した。
(記事中の古書寫眞は、國立公文書館藏「盟鷗堂集」です。)

短縮前の長いアドレスは以下に。

http://www.yaeyama-nippo.com/2013/03/17/%E5%B0%96%E9%96%A3-%E7%84%A1%E4%B8%BB%E5%9C%B0-%E6%B1%9F%E6%88%B8%E6%99%82%E4%BB%A3%E3%81%AB%E7%A2%BA%E8%AA%8D-%E5%B0%96%E9%96%A3-%E7%84%A1%E4%B8%BB%E5%9C%B0-%E6%B1%9F%E6%88%B8%E6%99%82%E4%BB%A3%E3%81%AB%E7%A2%BA%E8%AA%8D-%E5%B0%96%E9%96%A3-%E7%84%A1%E4%B8%BB%E5%9C%B0-%E6%B1%9F%E6%88%B8%E6%99%82%E4%BB%A3%E3%81%AB%E7%A2%BA%E8%AA%8D-%E7%9F%B3%E4%BA%95%E5%87%86%E6%95%99%E6%8E%88%E7%99%BA%E8%A1%A8/ 

 キャノングローバル戰略研究所での研究報告の配布物は以下リンクです。開運滿足さんがインターネットに出して下さいました。

http://kaiunmanzoku.hatenablog.com/entry/2013/03/18/164731  湘西紀行公文書館

 

演題:尖閣諸島問題―中国古文献で証明する中国の主張の虚構
講師:石井望氏(長崎純心大学准教授)

尖閣諸島を「明国時代以来の中国の領土」とし、日本の領有権を否定する中国政府。その宣伝の虚偽を明国時代の文献調査で明らかにし、マスメディアの注目を 集める漢文学の専門家、石井望氏をお呼びし、改めて調査の結果を紹介するとともに、同氏批判に躍起になる中国人学者たちの主張に見られた中国の論法の類型 を指摘していただく。

【日時】3月23日(土)18時20分~20時30分

【会場】文京区民会議室4階ホール
(東京都文京区春日1-16-21文京シビックセンター内)
交通:東京メトロ 後楽園駅・丸の内線(4a・5番出口)南北線(5番出口)徒歩1分
都営地下鉄春日駅三田線・大江戸線(文京シビックセンター連絡口)徒歩1分
JR総武線 水道橋駅(東口)徒歩9分

【参加費】会員500円、一般1000円
※会場では平成25年度会費を受け付けます。

【懇親会】閉会後に付近の店で開催。会費は2000円くらい。

【問合せ】070-6484-2624

【主催】台湾研究フォーラム(台湾研究論壇) (定例会を兼ねる)

http://blog.livedoor.jp/taiwankenkyurondan/archives/24155916.html

 

 

皆樣、3月23日にお會ひしませう。

 

 

 

本日平成25年2月4日午後六時より、

キャノングローバル戰略研究所内の研究會にて

尖閣漢文について研究報告しました。場所は新丸ビル11階です。

研究報告の中で更なる新事實を發表しました。

湘西紀行「停泊東湧、不入大明境界也」

東西洋考(及び盟鴎堂集)「不許犯天朝一草一粒」

の二史料にもとづき、日本が尖閣を無主地と確認した年代を

元和二年(西暦1616年)まで繰り上げました。

明治28(西暦1895)年に無主地と確認するより280年前です。

配布資料を御所望の方には贈呈しますので、

長崎純心を通じてご聯絡下さい。

 

 新丸ビル

尖閣480年史は、法的無主地にして文化的琉球圏から明治日本の領有への歴史です。以下ご覽下さい。

 

八重山日報:「中外」は琉球の内外、外は公海

中國側はこれまで、尖閣の東の中外の界が「中國」と琉球との境界線だと主張して來た。中國國務院は今年9月25日、「釣魚島白書」を公表し、この主張を公式に採用してゐる。
石井氏の研究によれば、汪楫は自身の漢詩集「觀海集」の中で、福建省沿岸の東沙山(今の馬祖島)を中國の東端だと記録してゐる。そこから遙かに尖閣附近の公海を越えた東側の「中外」の記述は、中國と外國との境界ではないといふ。

http://tinyurl.com/naigwai

 

 

尖閣新命名で勘違ひ

國會圖書館の論文で「何を指すのか不明」 http://www.ndl.go.jp/jp/data/publication/issue/0565.pdf とされてゐた橄欖山について新事實。

謎の橄欖山を、初めて福建省寧德市三都澳の沿岸島嶼と特定。尖閣に橄欖山は存在せず。

http://tinyurl.com/kanran

 

 

連載11/26-12/1馬英九閣下 尖閣史料ご提供に感謝」全六囘。

六囘

http://tinyurl.com/baeikiu6

第五囘

http://tinyurl.com/baeikiu5

第一囘  

http://tinyurl.com/baeikiu1

以上解説の元記事は、「清國史料、尖閣は國外」です。

http://tinyurl.com/yaeyamazentai

 

ASEM楊ケッチ六百年發言潰し

http://tinyurl.com/junpu600

「明國地圖、尖閣は國外」

http://tinyurl.com/yaeyamasaga 

「尖閣前史、無主地の一角に領有史料有り」

http://tinyurl.com/sekisen

短縮リンクが危險とお考への場合は、八重山日報・尖閣頁より

http://www.yaeyama-nippo.com/%E5%B0%96%E9%96%A3%E8%AB%B8%E5%B3%B6/

ご覽下さい。もしくはヤフー等で檢索して頂いてもご覽になれます。

 

以下は各記事・寄稿の長い直接リンクです。

「中外」は琉球の内外、外は公海

http://www.yaeyama-nippo.com/2012/12/24/%E5%B0%96%E9%96%A3%E6%9D%B1%E3%81%AB%E7%90%89%E7%90%83%E3%81%A8%E3%81%AE%E5%A2%83%E7%95%8C%E7%B7%9A-%E6%96%B0%E8%AA%AC-%E4%B8%AD%E5%9B%BD%E5%85%AC%E5%BC%8F%E8%A6%8B%E8%A7%A3%E3%82%92%E5%90%A6%E5%AE%9A/

 

他に八重山日報12/18尖閣新命名で勘違ひ

http://www.yaeyama-nippo.com/2012/12/18/%E5%BC%B7%E5%BC%95-%E5%91%BD%E5%90%8D-%E3%81%A7%E9%A0%98%E6%9C%89%E6%A8%A9%E5%AE%A3%E4%BC%9D-%E5%B0%96%E9%96%A3%E3%81%A7%E4%B8%AD%E5%9B%BD-%E6%A0%B9%E6%8B%A0%E3%81%AA%E3%81%84%E5%AD%A6%E8%AA%AC%E3%82%82%E4%BD%BF%E7%94%A8/

 

八重山日報「馬英九閣下、尖閣史料ご提供」連載解説。

http://www.yaeyama-nippo.com/2012/12/01/%E9%A6%AC%E8%8B%B1%E4%B9%9D%E9%96%A3%E4%B8%8B-%E5%B0%96%E9%96%A3%E5%8F%B2%E6%96%99%E3%81%94%E6%8F%90%E4%BE%9B%E3%81%AB%E6%84%9F%E8%AC%9D-%E6%9C%80%E7%B5%82%E5%9B%98-%E7%9F%B3-%E4%BA%95%E6%9C%9B/

http://www.yaeyama-nippo.com/2012/11/30/%E9%A6%AC%E8%8B%B1%E4%B9%9D%E9%96%A3%E4%B8%8B-%E5%B0%96%E9%96%A3%E5%8F%B2%E6%96%99%E3%81%94%E6%8F%90%E4%BE%9B%E3%81%AB%E6%84%9F%E8%AC%9D-%E7%AC%AC%E4%BA%94%E5%9B%98-%E7%9F%B3%E4%BA%95-%E6%9C%9B/

http://www.yaeyama-nippo.com/2012/11/29/%E9%A6%AC%E8%8B%B1%E4%B9%9D%E9%96%A3%E4%B8%8B-%E5%B0%96%E9%96%A3%E5%8F%B2%E6%96%99%E3%81%94%E6%8F%90%E4%BE%9B%E3%81%AB%E6%84%9F%E8%AC%9D-%E7%AC%AC%E5%9B%9B%E5%9B%98-%E7%9F%B3%E4%BA%95-%E6%9C%9B/

http://www.yaeyama-nippo.com/2012/11/28/%E9%A6%AC%E8%8B%B1%E4%B9%9D%E9%96%A3%E4%B8%8B-%E5%B0%96%E9%96%A3%E5%8F%B2%E6%96%99%E3%81%94%E6%8F%90%E4%BE%9B%E3%81%AB%E6%84%9F%E8%AC%9D-%E7%AC%AC%E4%B8%89%E5%9B%98-%E7%9F%B3%E4%BA%95-%E6%9C%9B/

http://www.yaeyama-nippo.com/2012/11/27/%E9%A6%AC%E8%8B%B1%E4%B9%9D%E9%96%A3%E4%B8%8B-%E5%B0%96%E9%96%A3%E5%8F%B2%E6%96%99%E3%81%94%E6%8F%90%E4%BE%9B%E3%81%AB%E6%84%9F%E8%AC%9D-%E7%AC%AC%E4%BA%8C%E5%9B%98-%E7%9F%B3%E4%BA%95-%E6%9C%9B/

http://www.yaeyama-nippo.com/2012/11/26/%E9%A6%AC%E8%8B%B1%E4%B9%9D%E9%96%A3%E4%B8%8B-%E5%B0%96%E9%96%A3%E5%8F%B2%E6%96%99%E3%81%94%E6%8F%90%E4%BE%9B%E3%81%AB%E6%84%9F%E8%AC%9D-%E7%AC%AC%E4%B8%80%E5%9B%98-%E7%9F%B3%E4%BA%95-%E6%9C%9B/


以上は11/5「清國史料、また尖閣は國外、臺灣總統發見が逆證明、中臺の領有主張崩潰」
への解説文です。
http://www.yaeyama-nippo.com/2012/11/05/%E6%B8%85%E5%9B%BD%E5%8F%B2%E6%96%99-%E3%81%BE%E3%81%9F-%E5%B0%96%E9%96%A3%E3%81%AF%E5%9B%BD%E5%A4%96-%E5%8F%B0%E6%B9%BE%E7%B7%8F%E7%B5%B1-%E7%99%BA%E8%A6%8B-%E3%81%8C%E9%80%86%E8%A8%BC%E6%98%8E-%E4%B8%AD%E5%8F%B0%E3%81%AE%E9%A0%98%E6%9C%89%E4%B8%BB%E5%BC%B5%E5%B4%A9%E5%A3%8A/

 

11/9「領有主張完全な誤り、中國が600年前から支配、學術的に反證、尖閣は琉球文化圏と指摘」

http://www.yaeyama-nippo.com/2012/11/09/%E9%A0%98%E6%9C%89%E4%B8%BB%E5%BC%B5-%E5%AE%8C%E5%85%A8%E3%81%AA%E8%AA%A4%E3%82%8A-%E4%B8%AD%E5%9B%BD%E3%81%8C600%E5%B9%B4%E5%89%8D%E3%81%8B%E3%82%89%E6%94%AF%E9%85%8D-%E7%9F%B3%E4%BA%95%E6%B0%8F-%E5%AD%A6%E8%A1%93%E7%9A%84%E3%81%AB%E5%8F%8D%E8%A8%BC-%E5%B0%96%E9%96%A3%E3%81%AF%E7%90%89%E7%90%83%E6%96%87%E5%8C%96%E5%9C%8F-%E3%81%A8%E6%8C%87%E6%91%98/

 106日「明國地圖、尖閣は「國外」、中國公式見解を否定」

http://www.yaeyama-nippo.com/2012/10/06/%E6%98%8E%E5%9B%BD%E5%9C%B0%E5%9B%B3-%E5%B0%96%E9%96%A3%E3%81%AF-%E5%9B%BD%E5%A4%96-%E4%B8%AD%E5%9B%BD%E5%85%AC%E5%BC%8F%E8%A6%8B%E8%A7%A3%E3%82%92%E5%90%A6%E5%AE%9A-%E7%9F%B3%E4%BA%95%E5%87%86%E6%95%99%E6%8E%88-%E5%85%B7%E4%BD%93%E7%9A%84%E5%8F%8D%E8%AB%96%E3%82%92/

 

83日至7「尖閣前史、無主地の一角に領有史料有り」

http://www.yaeyama-nippo.com/2012/08/03/%E5%B0%96%E9%96%A3%E5%89%8D%E5%8F%B2-%E7%84%A1%E4%B8%BB%E5%9C%B0%E3%81%AE%E4%B8%80%E8%A7%92%E3%81%AB%E9%A0%98%E6%9C%89%E5%8F%B2%E6%96%99%E6%9C%89%E3%82%8A-%E2%91%A0-%E9%95%B7%E5%B4%8E%E7%B4%94%E5%BF%83%E5%A4%A7%E5%87%86%E6%95%99%E6%8E%88-%E7%9F%B3%E4%BA%95%E6%9C%9B/

 

 

 

 

 

 

【尖閣】國會圖書館論文で「橄欖山が何を指すのか不明」http://www.ndl.go.jp/jp/data/publication/issue/0565.pdf とされてゐた橄欖山に新報道。http://www.yaeyama-nippo.com/2012/12/18/%E5%BC%B7%E5%BC%95-%E5%91%BD%E5%90%8D-%E3%81%A7%E9%A0%98%E6%9C%89%E6%A8%A9%E5%AE%A3%E4%BC%9D-%E5%B0%96%E9%96%A3%E3%81%A7%E4%B8%AD%E5%9B%BD-%E6%A0%B9%E6%8B%A0%E3%81%AA%E3%81%84%E5%AD%A6%E8%AA%AC%E3%82%82%E4%BD%BF%E7%94%A8/

 謎の橄欖山を、初めて福建省寧德市三都澳の沿岸島嶼と特定。尖閣に橄欖山は存在せず。八重山日報

 

 

 

 

 

【八重山日報】チャイナ東端はどこまでか。汪楫「觀海集」漢詩題「東沙山を過ぐれば閩山(福建)盡く」。チャイナ東端が東沙山(福建沿岸)、琉球西端が久米島、中間の尖閣は無主地。http://www.yaeyama-nippo.com/2012/08/03/%E5%B0%96%E9%96%A3%E5%89%8D%E5%8F%B2-%E7%84%A1%E4%B8%BB%E5%9C%B0%E3%81%AE%E4%B8%80%E8%A7%92%E3%81%AB%E9%A0%98%E6%9C%89%E5%8F%B2%E6%96%99%E6%9C%89%E3%82%8A-%E2%91%A0-%E9%95%B7%E5%B4%8E%E7%B4%94%E5%BF%83%E5%A4%A7%E5%87%86%E6%95%99%E6%8E%88-%E7%9F%B3%E4%BA%95%E6%9C%9B/ これ讀んだ女學生曰く「中國、可哀相~」

 

 富士テレビに下の電子メールを送りました。

書き忘れましたが、清國が尖閣に近い宜蘭を統治し始めたのは西暦1812年。遙かに晩い。

 

---------------------

「とくダネ」で笠井アナウンサーが那覇から尖閣までの距離と、臺灣から尖閣までの距離とを比較して、那覇が遠いと言ったさうですね。歪曲報道です。

臺灣までの距離と比較すべきは、石垣島・與那國島(よなぐにじま)までの距離です。ほぼ等距離です。

 

しかし琉球國が石垣島を統治下に入れたのは西暦1500年。

與那國を支配し始めたのは西暦1522年。

清國が臺灣西部を支配し始めたのは西暦1683年。

琉球國が、遙かに早い。

1682年まででは、尖閣距離を比較すべきは福建と石垣です。完全に石垣の勝利です。

 

現代で言ふなら、石垣と臺灣とは尖閣まで等距離。

更に歴史的にみて、文化的には尖閣は琉球です。

リンクが長くなりますが、八重山日報「馬英九閣下、尖閣史料ご提供」連載解説6。

http://www.yaeyama-nippo.com/2012/12/01/%E9%A6%AC%E8%8B%B1%E4%B9%9D%E9%96%A3%E4%B8%8B-%E5%B0%96%E9%96%A3%E5%8F%B2%E6%96%99%E3%81%94%E6%8F%90%E4%BE%9B%E3%81%AB%E6%84%9F%E8%AC%9D-%E6%9C%80%E7%B5%82%E5%9B%98-%E7%9F%B3-%E4%BA%95%E6%9C%9B/

 

八重山日報:尖閣は琉球文化圏。

http://www.yaeyama-nippo.com/2012/11/09/%E9%A0%98%E6%9C%89%E4%B8%BB%E5%BC%B5-%E5%AE%8C%E5%85%A8%E3%81%AA%E8%AA%A4%E3%82%8A-%E4%B8%AD%E5%9B%BD%E3%81%8C600%E5%B9%B4%E5%89%8D%E3%81%8B%E3%82%89%E6%94%AF%E9%85%8D-%E7%9F%B3%E4%BA%95%E6%B0%8F-%E5%AD%A6%E8%A1%93%E7%9A%84%E3%81%AB%E5%8F%8D%E8%A8%BC-%E5%B0%96%E9%96%A3%E3%81%AF%E7%90%89%E7%90%83%E6%96%87%E5%8C%96%E5%9C%8F-%E3%81%A8%E6%8C%87%E6%91%98/

 

 

「順風相送」にもとづく楊ケッチ外相のASEMでの發言をつぶしておきました。

八重山日報11/9

「領有主張完全な誤り、中國が600年前から支配、

學術的に反證、尖閣は琉球文化圏と指摘」

http://tinyurl.com/junpu600  
 

もしくは下のリンク。

http://www.yaeyama-nippo.com/2012/11/09/%E9%A0%98%E6%9C%89%E4%B8%BB%E5%BC%B5-%E5%AE%8C%E5%85%A8%E3%81%AA%E8%AA%A4%E3%82%8A-%E4%B8%AD%E5%9B%BD%E3%81%8C600%E5%B9%B4%E5%89%8D%E3%81%8B%E3%82%89%E6%94%AF%E9%85%8D-%E7%9F%B3%E4%BA%95%E6%B0%8F-%E5%AD%A6%E8%A1%93%E7%9A%84%E3%81%AB%E5%8F%8D%E8%A8%BC-%E5%B0%96%E9%96%A3%E3%81%AF%E7%90%89%E7%90%83%E6%96%87%E5%8C%96%E5%9C%8F-%E3%81%A8%E6%8C%87%E6%91%98/

 

 

600年説の報道は下に紹介。

http://ichigen-san.cocolog-nifty.com/blog/2012/11/asem-f80c.html

中國外相「明の時代から600年間支配」 ASEM首腦會議で發言

 八重山2012年1109粗

 

八重山日報にて、尖閣漢文につき新事實を公表しました。
ご笑覽下されば幸ひです。
「清國史料、また尖閣は國外、臺灣總統發見が逆證明、中臺の領有主張崩潰」
http://tinyurl.com/yaeyamazentai


短縮リンクが危險とお考への場合は、下のリンクでどうぞ。

http://www.yaeyama-nippo.com/2012/11/05/%E6%B8%85%E5%9B%BD%E5%8F%B2%E6%96%99-%E3%81%BE%E3%81%9F-%E5%B0%96%E9%96%A3%E3%81%AF%E5%9B%BD%E5%A4%96-%E5%8F%B0%E6%B9%BE%E7%B7%8F%E7%B5%B1-%E7%99%BA%E8%A6%8B-%E3%81%8C%E9%80%86%E8%A8%BC%E6%98%8E-%E4%B8%AD%E5%8F%B0%E3%81%AE%E9%A0%98%E6%9C%89%E4%B8%BB%E5%BC%B5%E5%B4%A9%E5%A3%8A/

 

 

私からニューヨークタイムズ

http://kristof.blogs.nytimes.com/2012/09/19/the-inconvenient-truth-behind-the-diaoyusenkaku-islands/

への反論で引用した「蘭界外」などの史料が http://www.wretch.cc/blog/billypan101/16719546&page=5 こちらで平成24年9月10日に既に引用されてました。私より先です。殘念。さきほどこのブログに贊意を書き込んでおきました。

以下、私のコメントをコピー。

-----------------

 

佩服 Billy Pan 先生。
http://www.asyura2.com/12/china3/msg/275.html
這張「臺灣海口大小港道總圖」,
http://www.duping.net/XHC/show.php?bbs=10&post=1232828
今年(平成24)九月25日我已注意到了,

10月10日以前已寫在論文裏,尚未公世,
想不到9月28日先給這位網友先寫在網上論壇了。
網上寫起來是一刹那,我們寫論文的還要等數月。遺憾,遺憾。
有興趣請看今年三月已公世的鄙作「尖閣釣魚列島漢文史料」:
http://ci.nii.ac.jp/ncid/BB09937668
書中已討論到「重纂福建通志」。

  

『噶瑪蘭廳志』的『蘭界外』,我也已注意到,
已寫成文章準備寄發給紀思道記者,
但很遺憾,數日内無法聯絡上紀思道記者,
直至平成24年10月20日早上5時17分纔總算寄發電子信給他,附上文章,

沒想到10月5日網友已把「蘭界外」寫在論壇上了。
http://www.8z1.net/a1349451753.html
這位網友可能比我早數日。遺憾,遺憾。

  
經査,「蘭界外」還有人更早討論到。
http://www.wretch.cc/blog/billypan101/16719546
這是BillyPan的部落格@臺灣部落格協會,2012年9月10日。
明顯的比我早。該稱贊他捷足先登,或慧眼先識。

 

「日本會議佐賀縣本部總會」ならびに 「石井望(先生)特別講演會」開催

  日  時 平成24年9月30日(日)午後2時より

場  所 佐賀市民會館二階大會議室
特別講演 石井 望(先生)(長崎純心大學准教授)
※特別講演は午後3時20分くらゐからの預定です。

-----------------------------------

當日は7/17産經記事の解説をします。

更には尖閣漢文から得た新事實についても話します。乞ふご期待。

佐賀市民會館は、佐賀市文化會館とは別らしいのでご注意。

リンク  http://ameblo.jp/saga-up/entry-11370241968.html

-----------------------------------

10/5追記。

佐賀新聞の記事「尖閣、明代は無主地、石井准教授が反論」

http://www.saga-s.co.jp/news/saga.0.2302730.article.html

https://archive.is/rrncK

にて講演内容が紹介されました。

インターネット版では殘念ながら七月の報道の解説部分だけ紹介されてをり、

發表した新事實が記述されてゐません。

紙版では新事實について一言だけ言及されてゐます。

saga241005
「15世紀半ばに刊行された明の地理書「大明一統志」には、明の領土は海岸

までで、尖閣諸島は含まれてゐなかったとする新たな研究成果も紹介した。」

新事實の詳細は近々何らかの形で世に出します。以下インターネット版。

 h_saganews

「尖閣、明代は無主地」 石井准教授が反論
 中国が領有権を主張する沖縄県・尖閣諸島の歴史について、長崎純心大学准教授の石井望氏が30日、佐賀市で講演した。石井氏は漢文史料をもとに、清の初期の領土は中国大陸に近い現在の台湾・馬祖島までだったと指摘。尖閣諸島は明代から領土だったとする中国の主張に対し「持ち主のいない無主地だったことは明確」と反論した。
 石井氏は、清の琉球使節が往路を詠んだ詩集にある「東沙山(馬祖島)を過ぐればこれ〓山(びんざん)(福建省の陸地)の尽くるところなり」という一首から、清の領土が馬祖島までだったと説明。明代に皇帝に提出された上奏文にも、尖閣諸島のうち大正島が「琉球の境」と記されていると紹介した。
 そのうえで「これまで日本側は『明の地理書には尖閣諸島は載っていない』と主張するだけだったが、これからは『地理書が示す明の領土はここまでだった』と訴えられる」と話した。
 講演会は日本会議県本部の総会に合わせて開き、約50人が聴講した。
※〓は「もんがまえ」に虫           2012年10月03日更新
CI0002
「明代は尖閣諸島は無主地だった」と解説する長崎純心大の石井望准教授=佐賀市民会館

 

 

和訓淺解 尖閣釣魚列島漢文史料

 

いしゐのぞむ著

比較文化研究叢書 第二册

長崎純心大学比較文化研究所、平成二十四年三月

 

 http://ci.nii.ac.jp/ncid/BB09937668

 http://iss.ndl.go.jp/books/R100000002-I023746901-00

http://libopac4.sun.ac.jp/opac/opac_details.cgi?amode=11&bibid=B100010036

 

 各方面に贈呈作業進行中です。

入手ご希望の方は、長崎純心大學にお問合せ頂くか、

http://www.n-junshin.ac.jp/univ/inquiry_request/request_body.htm

 

もしくはJ-globalの右上の問合せ

http://jglobal.jst.go.jp/detail.php?JGLOBAL_ID=200901032759673007

をご利用下さい。

 

 

 

 

 。

お蔭樣で、産經7/17記事「尖閣は琉球」

http://www.iza.ne.jp/news/newsarticle/politics/diplomacy/577043/
https://archive.is/53cI

https://archive.is/StrG
http://senkaku.blog.jp/archives/1453539.html
の解説文は、八月三日から七日まで八重山日報に全文掲載して頂きました。

紙版だけでなくインターネット版(無料)もあります。こちらです

尖閣前史、無主地の一角に領有史料有り」と題してをります。

 

または、こちら

http://tinyurl.com/sekisen

から見ることもできます。

他にも尖閣漢文を論じた文章は幾つも書いてありますので

今後も發表に務める所存です。有難うございました。

                   平成二十四年八月十一日

 

 

-------------------

産經記事に對して新華社及び人民日報で劉江永氏が反論を公表しました。

その劉江永氏の新たな發言について、石平先生よりメールマガジンが出ました。

擴散歡迎とのことなので、以下に二つ連續で轉載します。8/17いしゐ。

 

 

=★==========================================================★=
■ 緊急寄稿(拡散歓迎):尖閣抗議船、中国専門家の「意味深発言」
=★==========================================================★=

今月12日、香港の「保釣(尖閣防衛)」団体の抗議船が
日本の固有領土である尖閣諸島へ向かって出発して以来、
彼らの暴挙によってどのような問題が引き起こされてくるのかが
注目の的となっている。

その中で、中国国内の著名な日本問題専門家の口から、
大変「意味深長」な発言が吐かれたのである。

13日、中国二番目の国営通信社である中国新聞社の開設する
「中国新聞網」が伝えたところによると、
清華大学国際問題研究所の教授で
政府の外交政策ブレーンとして知られる劉江永氏は、
香港の抗議船出航にかんして、次のようなコメントを行ったという。

「われわれの保釣抗議船は関係の海域に入った場合には、
安全に気をつけなければならない。突発事件の発生を防止すべきである。
海上においてどのようにして突発事件の発生を防げるのか。
(それが発生した場合には)日中関係の大局にどのような影響を与えるのか。
われわれは全体的に考えなければならない」

「保釣戦にせよ、保釣運動の参加者にせよ、国家の領土・主権を守るために
行動するのと同時に、大局を忘れてはいけない」。

以上、劉江永発言の一部内容のできるだけ忠実な日本語訳であるが、
それを読んでみればすぐ分かるように、その発言の趣旨は明らかに、
尖閣海域で「突発事件」が発生してくるのを憂慮して、
そうならないように行動せよ、
との注文を抗議船の人々に突きつけているものである。

そのために、彼は盛んに「大局」という言葉を持ち出しているが、
その言わんとするところの真意は要するに、
抗議船の過激な行動によって
「大局」が壊されてしまうようことことは避けるべきだ、
とのことであろう。

つまり、香港の保釣団体が抗議船を出して
尖閣へ向かわせたという「壮挙」にたいして、
中国政府により近い立場にある国内の専門家は
むしろ高いところから冷ややかな目で見ていて、
「頼むから面倒を起こしてこないでくれ」
との態度を示しているのである。

劉江永教授は明らかに、抗議船の行動によって
尖閣海域で何かの「突発事件」が発生してしまい、
日中関の緊張と対立がそれで
一気に高まってくるようなことを恐れているのである。

政府ブレーンとしての劉教授の立場からすれば、
上述のような気持ちはおそらく劉教授自身だけのものではなく、
むしろ中国政府、すなわち現在の共産党指導部の気持ち
を代弁していると見てよいのであろう。

産經新聞本紙8月2日号掲載の「石平のChinaWatch」で筆者の私は、

「今年秋の共産党大会と来年3月の全国人民大会開催までに
政権移譲という国内最優先日程を控え、
南シナ海ではベトナムやフィリピンと紛争している最中の中国は、
現時点で近隣大国の日本とコトを構える余裕はない。

尖閣で何か大きなトラブルでも起きれば、
苦しい立場に立たされるのはむしろ北京政府の方であり、
したがって現時点では、尖閣問題で自国民を刺激するような
大騒ぎを起こしたくない気持ちさえ今の中国政府にはある。」

と指摘しているが、このような見方が正しかったことは
上述の劉江永発言によっても証明されたのであろう。

とにかく、現時点では「尖閣問題」で大きな騒ぎが起きれば
困ってしまうのはむしろ北京の方であるから、
日本の政府としては、抗議船であろう何であろう、
日本の領海に侵入してきた輩を
粛々と厳しく取り締まりすれば良いのである。
( 石 平 )

 ------------------------------------

 

=★==========================================================★=
■ 緊急寄稿第二弾(拡散歓迎):尖閣上陸、日中両国政府の「出来レース」
=★==========================================================★=

8月15日に起きた香港抗議船の尖閣上陸事件で一番意外なのは、
要するに「万全な体制」を敷いて
香港船の到来を待ち構えていたはずの海上保安庁はどうして、
一隻だけの船の尖閣接近と上陸をそう簡単に許してしまったのか、
ということである。

海上保安庁自身の説明では、
「互いに怪我人を出していけないという政府の方針の下、
上陸阻止のための強硬手段を講じたなかった」ことが理由であるという。
事件の後、日本の政府は海上保安庁のこうした言い分を否定もしていないから、
それはおそらく事実であろう。要するに日本政府は上陸阻止によって
中国側に死傷者が出るような事態を心配して件の方針を出したわけである。 

実は中国側もこのような心配を共有しているようである。
8月13日、香港の抗議船がすでに出発した後、
中国二番目の国営通信社である中国新聞社の開設する「中国新聞網」は、
清華大学国際問題研究所の教授である劉江永氏の次のようなコメントを伝えている。

「われわれの保釣抗議船は関係の海域に入った場合には、
安全に気をつけなければならない。突発事件の発生を防止すべきである。
海上においてどのようにして突発事件の発生を防げるのか。
(それが発生した場合には)日中関係の大局にどのような影響を与えるのか。
われわれは全体的に考えなければならない」

以上の発言からも分かるように、劉教授も実は日本政府と同じく、
「安全」ということを何よりも気にしていて、
死傷者が出るような「突発事件」の発生を憂慮しているわけである。

そしてこの劉教授こそが、
中国政府の対日政策ブーレンとして知られる人物であるから、
彼の「心配」はおそらく個人的なものできなく、
むしろ今の中国指導部の気持ちを代弁しているのであろう。

それでは中国の指導部はどうして、
死傷者が出るような「突発事件」を憂慮しているのだろうか。
実は本来ならば、今回の香港抗議船の尖閣出航は、
中国政府にとってむしろ避けるべき事態である。
私の前回のメルマガでも指摘しているように、
今年秋の共産党大会と来年3月の全国人民大会開催までに
政権移譲という国内最優先日程を控え、
南シナ海ではベトナムやフィリピンと紛争している最中の中国は、
現時点で近隣大国の日本とコトを構える余裕はない。

尖閣で何か大きなトラブルでも起きれば、
苦しい立場に立たされるのはむしろ北京政府の方であり、
したがって現時点では、尖閣問題で自国民を刺激するような
大騒ぎを起こしたくない気持ちさえ今の中国政府にはある。

実際、今年の中国浙江省寧波市で7月中旬、
尖閣諸島の中国領有権を主張する「保釣」(釣魚島防衛)運動活動家20人が
漁船をチャーターして尖閣海域に向かおうとしたところ、
同市当局に阻止されたことがある。

ならば、どうして中国政府は今回一転して、
香港の抗議船の出航を黙認したのだろうか。

その理由はおそらく、先日における韓国の李大統領の竹島上陸にある。
韓国の大統領が自称する韓国の領土に「堂々」と上陸してしまうと、
中国の多くの国民はそれに刺激されて「われわれの政府は一体何をやっているのか」
と中国政府の方を突き上げてくるのである。
そうすると、中国政府としては国民の不満と反発をそれ以上助長させないためにも、
「竹島上陸」の直後の香港船の出航を認めざるを得なかったのであろう。

しかし出航を認めていても、中国指導部はやはり、
死傷者が出るようなことを何よりも恐れている。
そんなことが起きると、中国政府は
直ちに日本との全面対決に突入する以外には道がない。
国内の政治的日程が完全に潰されてしまうのである。
だから中国政府としては何としてもそれを避けたいのだ。

だが実際に死傷者が出るようなことが起きるかどうかは、
むしろ日本側の対応次第である。
日本の海上保安庁はどんなことがあっても香港船の上陸を絶対阻止する、
という方針をとって実際にもそうやってしまう場合、
死傷者が出てしまう可能性もないわけではない。
だから、中国政府はもっとも望んでいることはすなわち、
日本の海上保安庁が上陸阻止よりも
「死傷者が出させないこと」を基本方針にして行動することである。

そして本文の冒頭ではすでに見ていたように、
日本の政府、すなわち野田政権はまさに中国政府の望む通りの方針を定めて
それを海上保安庁に指示したわけである。

日中両国政府はそれほどぴたりとした阿吽の呼吸ができたとは、
まさに驚くべきことである。おそらく香港の抗議船が出航した時点で、
日中両国政府の間で何らかの意思疎通と了解が執り行なわれたのではないかと思う。
そう思うのはむしろ自然であろう。

このようにして、香港の抗議船の上陸が決局許されてしまったのだが、
上陸した以上、日本の官憲は当然、それを逮捕しなければならない。
だが、逮捕した後でどうするのか、という肝心の問題となると、
野田政権の方針はおそらく最初から決まっているように思われる。
要するに日本の領土を侵犯した犯罪者たちを起訴もせずにして
「法に則って粛々」と送還してしまうことである。
今この原稿を書いているのは16日の午後であるが、大方の報道によると、
明日の17日には強制送還はさっそく実行されるようである。

もちろん、野田政権のこの方針を誰よりも歓迎しているのは中国政府であろう。
中国指導部の心配はこれで完全に解消されただけでなく、
「日本に圧力をかけて降参させた」との勝利宣言を、
国民に対して高らかに宣言することも出来るのである。

こうして見ると、香港抗議船の出航から「強制送還」までの一連の動きは完全に、
日中両国政府の共演した「出来レース」なのである。
そして、この「出来レース」の勝者はいうまでもなく、かの中国政府である。

わが日本国政府は、この日本の国益を守るために、一体何をやっていたのだろうか。

( 石 平 )


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和訓淺解 尖閣釣魚列島漢文史料
平成二十四年三月 長崎純心大學刊
http://iss.ndl.go.jp/books/R100000002-I023746901-00
各方面に贈呈作業進行中です。

入手ご希望の方は、長崎純心大學にお問合せ頂くか、

http://www.n-junshin.ac.jp/univ/inquiry_request/request_body.htm

 

もしくはJglobalの右上の問合せ

http://jglobal.jst.go.jp/detail.php?JGLOBAL_ID=200901032759673007

をご利用下さい。

 

 

NHKスペシャル「中國文明の謎」平成24年10月放送預定。

http://www.nhk.or.jp/special/china-civilization/about/index.html

番組概要に、チャイナ文明だけは斷絶せず、他文明は滅亡した
とありますが、これは近年のチャイナの宣傳そのままです。
問題が三つあります。
第一に、メソポタミア文明はバビロニア・アッシリア・ペルシア・イスラムへと繋がり斷絶してゐません。

インダス文明は黄河文明の殷より前に斷絶し、

その後の印度文明はチャイナ文明と同じ長さで續いてます。
印度の方が短いやうな印象づけは不公正です。

第二に四大文明とは嘘で、ギリシアを含む五大文明です。
ギリシア文明もローマから西歐へと繋がり斷絶してゐません。
第三にチャイナ文明は斷絶してゐます。
各朝代の斷絶はもちろんのこと、大きな文明史としても
後漢で黄河文明は斷絶し、インド文明圏の一部分になります。
そして唐末でインド文明時代も斷絶し、宋からの中華思想時代
となります。中華思想時代は朱子學に代表されるやうに
斷絶した古代儒教文明の復興運動に過ぎません。
以上は斷絶の定義次第ですが、チャイナだけ不斷絶で他文明は斷絶とするのは不公正です。

他文明を斷絶でなく變化發展と呼び、チャイナを繼續でなく停滯と呼ぶのが公正でせう。

詳細は拙著「大印度小チャイナ」(霞山會「中國研究論叢」11)をご覽下さい。
http://ci.nii.ac.jp/ncid/AA12099678

 

追記。

http://www.nhk.or.jp/special/china-civilization/schedule/01.html

夏朝に相當する時代の文化が實在したのはほぼ間違ひありませんが、
それを「夏」と呼んでゐた證據はゼロです。「夏」とは後世の呼び名です。夏の時代にまだ漢字は存在しません。
夏と殷との關係は、インダス文明と後の印度文明との關係と同じく斷絶してゐます。夏と殷とは別の民族である可能性が高いです。

 

 

長崎純心大學 校費招聘共同研究者 公開講座
漢文「哺記」を現代科學で解讀する 
~清朝思想家・黄百家の鴨卵孵化法研究~ 
            
東洋古典學に西洋新科學が他流試合を挑む!  

言はずと知れた研究の最尖端・東京大學の氣鋭の生物學者が、
本學漢文教員と協力して生物學の漢文を讀み解きます。
漢文教育に新風を吹き込む試みです。

講師 赤染康久(理學博士、東京大學理學研究科助教)    
昭和四十三年東京都港區生まれ、
平成三年東京大學理學部生物學科卒業 
平成八年同大學院理學研究科博士課程修了、
現同大學院理學研究科動物科學講座助教

司會と解説 いしゐのぞむ 比較文化學科准教授  
日時  平成二十四年七月二十七日(金)
午前十時五十分より十二時十分頃まで 
會場   早坂記念圖書館KDDルーム
申込  一般市民歡迎、先着二十七名を以て締切ります。
 
http://www.n-junshin.ac.jp/univ/center_kenkyusyo/syougai/contents/koukaikouza_progrum/koukai_contents/zenki/kohisyohei_2012ishii.htm
 

(講座終了後、尖閣史料についてのご質問も受けます。)

 

 

 

明の上奏文「尖閣は琉球」明記 中国の主張崩壊

http://www.iza.ne.jp/news/newsarticle/politics/diplomacy/577043/

http://archive.is/53cI

 新聞01石泉山房赤嶼産經240717

中国・明代の『石泉山房文集』。赤線を引いた一節に赤嶼(大正島)が「琉球の境」と記されている=「四庫全書存目叢書」(荘厳文化公司)から

新聞01石泉赤嶼産經240717
中国・明代の『石泉山房文集』。赤線を引いた一節に赤嶼(大正島)が「琉球の境」と記されている=「四庫全書存目叢書」(荘厳文化公司)から
 
 新聞02産經記事附圖
中国資料に記載されていた尖閣諸島をめぐる境界  
記事本文
 尖閣諸島(沖縄県石垣市)のひとつ、大正島について、中国・明から1561年に琉球王朝(沖縄)へ派遣された使節、郭汝霖(かく・じょりん)が皇帝に提出した上奏文に「琉球」と明記されていたことが、石井望・長崎純心大准教授(漢文学)の調査で分かった。中国は尖閣諸島を「明代から中国の領土で台湾の付属島嶼(とうしょ)だった」と主張しているが、根拠が大きく崩れることになる。

 尖閣の帰属に関しては1895(明治28)年に日本が正式に領有した後の1920(大正9)年、魚釣島に漂着した中国漁民を助けてもらったとして中華民国駐長崎領事が石垣の人々に贈った「感謝状」に「日本帝国八重山郡尖閣列島」と明記されていたことが明らかになっている。明代にも琉球側と記していた中国史料の存在が明らかになるのは初めて。

  上奏文が収められていたのは、郭が書いた文書を集めた『石泉山房文集』。このうち、帰国後に琉球への航海中の模様を上奏した文のなかで「行きて閏(うる う)五月初三日に至り、琉球の境に渉(わた)る。界地は赤嶼(せきしょ)(大正島)と名づけらる」と記していた。現在の中国は大正島を「赤尾嶼(せきび しょ)」と呼んでいる。

 石井准教授によると「渉る」は入る、「界地」は境界の意味で、「分析すると、赤嶼そのものが琉球人の命名した境界で、明の皇帝の使節団がそれを正式に認めていたことになる」と指摘している。

石井准教授の調査ではこのほか、1683年に派遣された清の琉球使節、汪楫(おうしゅう)が道中を詠んだ漢詩で「東沙山(とうささん)を過ぐればこれ●山(びんざん)の尽くるところなり」《現在の台湾・馬祖島(ばそとう)を過ぎれば福建省が尽きる》と中国は大陸から約15キロしか離れていない島までとの認識を示していたことも分かった。

 その後に勅命編纂(へんさん)された清の地理書『大清一統志(だいしんいっとうし)』も台湾の北東端を「鶏籠城(けいろうじょう)(現在の基隆(きりゅう)市)」と定めていたことが、すでに下條正男・拓殖大教授の調べで明らかになっている。

 中国は 尖閣周辺の石油資源などが明らかになった1970年ごろから領有権を主張し始め、71年12月の外務省声明で「釣魚島などの島嶼(尖閣諸島)は昔から中国 の領土。早くも明代にこれらの島嶼はすでに中国の海上防衛区域の中に含まれており、それは琉球(沖縄)に属するものではなく台湾の付属島嶼だった」と根拠 づけていた。

 石井准教授は「中国が尖閣を領有していたとする史料がどこにもないことは判明していたが、さらに少なくとも大正島を琉球だと認識した史料もあったことが分かり、中国の主張に歴史的根拠がないことがいっそう明白になった」と指摘している。

●=門の中に虫

 

http://sankei.jp.msn.com/politics/news/120717/plc12071708420009-n1.htm 

http://archive.is/Z8KE9

http://megalodon.jp/2012-0719-2026-48/sankei.jp.msn.com/politics/news/120717/plc12071708420009-n1.htm

http://sankei.jp.msn.com/politics/news/120717/plc12071708420009-n2.htm 

http://archive.is/DOfKR

 http://megalodon.jp/2012-0717-1211-45/sankei.jp.msn.com/politics/news/120717/plc12071708420009-n2.htm

明の上奏文に「尖閣は琉球」と明記 中国主張の根拠崩れる 2012.7.17 08:38 

新聞01石泉赤嶼産經240717

新聞01石泉山房赤嶼産經240717
中国・明代の『石泉山房文集』。赤線を引いた一節に赤嶼(大正島)が「琉球の境」と記されている=「四庫全書存目叢書」(荘厳文化公司)から

 

 尖閣諸島(沖縄県石垣市)のひとつ、大正島について、中国・明から1561年に琉球王朝(沖縄)へ派遣された使節、郭汝霖(かく・じょりん)が皇 帝に提出した上奏文に「琉球」と明記されていたことが、石井望・長崎純心大准教授(漢文学)の調査で分かった。中国は尖閣諸島を「明代から中国の領土で台 湾の付属島嶼(とうしょ)だった」と主張しているが、根拠が大きく崩れることになる。

  尖閣の帰属に関しては1895(明治28)年に日本が正式に領有した後の1920(大正9)年、魚釣島に漂着した中国漁民を助けてもらったとして中華民国 駐長崎領事が石垣の人々に贈った「感謝状」に「日本帝国八重山郡尖閣列島」と明記されていたことが明らかになっている。明代にも琉球側と記していた中国史 料の存在が明らかになるのは初めて。

 上奏文が収められていたのは、郭が書いた文書を集めた『石泉山房文集』。このうち、帰国後に琉球への 航海中の模様を上奏した文のなかで「行きて閏(うるう)五月初三日に至り、琉球の境に渉(わた)る。界地は赤嶼(せきしょ)(大正島)と名づけらる」と記 していた。現在の中国は大正島を「赤尾嶼(せきびしょ)」と呼んでいる。

 石井准教授によると「渉る」は入る、「界地」は境界の意味で、「分析すると、赤嶼そのものが琉球人の命名した境界で、明の皇帝の使節団がそれを正式に認めていたことになる」と指摘している。

 

 石井准教授の調査ではこのほか、1683年に派遣された清の琉球使節、汪楫(おうしゅう)が道中を詠んだ漢詩で「東沙山(とうささん)を過ぐれば これ●山(びんざん)の尽くるところなり」《現在の台湾・馬祖島(ばそとう)を過ぎれば福建省が尽きる》と中国は大陸から約15キロしか離れていない島ま でとの認識を示していたことも分かった。

 その後に勅命編纂(へんさん)された清の地理書『大清一統志(だいしんいっとうし)』も台湾の北東端を「鶏籠城(けいろうじょう)(現在の基隆(きりゅう)市)」と定めていたことが、すでに下條正男・拓殖大教授の調べで明らかになっている。

  中国は尖閣周辺の石油資源などが明らかになった1970年ごろから領有権を主張し始め、71年12月の外務省声明で「釣魚島などの島嶼(尖閣諸島)は昔か ら中国の領土。早くも明代にこれらの島嶼はすでに中国の海上防衛区域の中に含まれており、それは琉球(沖縄)に属するものではなく台湾の付属島嶼だった」 と根拠づけていた。

 石井准教授は「中国が尖閣を領有していたとする史料がどこにもないことは判明していたが、さらに少なくとも大正島を琉球だと認識した史料もあったことが分かり、中国の主張に歴史的根拠がないことがいっそう明白になった」と指摘している。

●=門の中に虫