- 尖閣480年史 - いしゐのぞむブログ 480 years history of Senkakus

senkaku480 石井望。長崎純心大學准教授。笹川平和財團海洋政策研究所島嶼資料センター島嶼資料調査委員。日本安全保障戰略研究所研究員。 御聯絡は長崎純心大學(FAX 095-849-1894) もしくはJ-globalの上部の「この研究者にコンタクトする」  http://jglobal.jst.go.jp/detail.php?JGLOBAL_ID=200901032759673007 からお願ひします。 


神澤ほか(2016)「C6 礼文島船泊縄文人の核ゲノム解析」第70回日本人類学大会.

遺伝子から続々解明される縄文人の起源-高精度縄文人ゲノムの取得に成功- 国立科学博物館 平成31年5月13日
http://www.kahaku.go.jp/procedure/press/pdf/150678.pdf

「Late Jomon male and female genome sequences from the Funadomari site in Hokkaido, Japan」
HIDEAKI KANZAWA-KIRIYAMA,
キーワード: Funadomari Jomon, Jomon reference genome, Y chromosome haplogroup, phenotype, population size changes   
Released: 2019/05/29
曰く「Y chromosome of Jomon male belonged to haplogroup D1b2b, which is rare in modern Japanese populations. 」

 符號は「d1b2」。最新研究で繩文Y染色體が確定した。何故かこの研究についての報導ではY染色體が無視されてゐるが、それはいつもの笑ひ種だ。これにもとづき、我々は自分のY染色體を檢査に出せば、繩文父系か否か分かる筈だ。今度やってみよう。同じやうに、皇別攝家(近衞家・一條家・鷹司家)のY染色體も複數名が自ら個人的に調べれば、繩文父系か否か確定できるので、皇族を直接調べなくても秋篠宮が繩文Y染色體を持つか否か、ほぼ確定できる。
 皇別攝家は江戸時代初期の後陽成天皇及び東山天皇の直系である。特に東山天皇の直系たる鷹司家は血縁が近い。鷹司尚武氏が伊勢神宮大宮司としてご健在だとのこと。
https://iseshima.keizai.biz/photoflash/5971/
 これは全ゲノムやミトコンドリアの幅廣い比率の話でなく、Y染色體だけの話だから單純だ。Y染色體の繩文人が幾ら他の系統の女子と通婚しても、それは永遠に外戚であり、幾ら彌生顔になっても、繩文直系は失はれてゐないといふことになる。丁度、フィンランド人の例を書いてゐる人がゐる。
https://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q13206890168
 フィンランドにはアジアのN系のY染色體が留まってゐるが、Y染色體以外は全部歐洲系になってしまったので、幾らY染色體がのこってゐても無意味なのださうだ。無意味かどうかは個人的價値判斷であって、私は逆の價値でこれを觀る。以下引用。
https://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q13206890168
 日本人男性から検出される、「縄文人」を示す。Y染色体ハプログループ「D1b」の検出比率は「35~40%」です。しかし、日本人(大和民族)の核ゲノム(私たちの遺伝子実体)に占める「縄文人ゲノム」は「12%」です。以前は、ミトコンドリアDNA(母系)という枠(わく)と、Y染色体ハプログループ(父系)という枠(わく)で囲めば、民族は、その両方の枠(わく)の中に納まるだろうと考えていた。しかし、実際には、そんな甘いものではなかったのです。
 フィンランド人の「ゲノム」を調査してわかったのは、同じY染色体ハプログループ「N」であっても、フィンランド人はヨーロッパにいたので完全なヨーロッパ人になってしまい、アジアにいた「N」は、完全な東ユーラシア人になってしまった。
 ハプログループNについて、「20000~25000年前に東アジアから東南アジアのいずれかにおいてハプログループNOから分岐し、ユーラシア大陸北部、さらにはシベリアを横断して北欧まで分布を広げた」とあり、実際にこのハプロタイプを非常に高い割合で保有するシベリアの民族は東アジア人とかなり形質的に近い。しかし、同じくこれを高い割合で持っているフィンランド人が圧倒的に他の欧州人と近いのは何故なのか?Y染色体ハプログループNを高い割合で持っているフィンランド人が圧倒的に他の欧州人と近い。
 ★フィンランド人の最初の「Y染色体ハプログループN」は、欧州に移動した。そこは「圧倒的多数の西ユーラシア人」が周りに居た。少数の元祖フィンランド人は、「圧倒的多数の西ユーラシア人」と交流(男女とも)した。「圧倒的多数の西ユーラシア人」にも、当然「Y染色体ハプログループN」は入り込んだが、「西ユーラシア人」は「圧倒的多数」であったため、「Y染色体ハプログループN」は分散し、多勢に無勢で、時間とともに「Y染色体ハプログループN」は消滅していった。
 「元祖フィンランド人」にも、多数の「西ユーラシア人」の「Y染色体ハプロ」と「ミトコンドリアDNA」が入り込んだ、しかし、「男性は集団の跡取りでもあるので、その集団から離れることが許されなかったが、女性は別集団へ嫁ぐことが許された」などの慣習で、「ミトコンドリアDNA」は分散したが、「Y染色体ハプロタイプ」は集団に特化して存在する傾向があった。
 これは、はっきりとしたものではなく、多少、そのような「傾向」があったという「レベル」と考えたほうがいいでしょう。しかし、そのわずかな違いが、長い期間によって大きな違い「Y染色体ハプログループN」が多数検出される、しかし、「核ゲノム」を調べると「欧州人」であるという結果となった、ということになったのだと考えます。
 Y染色体ハプログループ「D1b」も同じです。確かに、日本人から検出される「D1b」は、上記の「フィンランド人のハプロタイプN」と同じように、25~35%検出される(男性のみで女性は検出されない)。しかし、上記の「フィンランド人」と同じように、日本の近くに、巨大な東アジア人(ハプロタイプO)が存在していたため、私たちの実体である「核ゲノム」から、「縄文人のゲノム」は消滅していった。
 Y染色体ハプログループ「D1b」は、過去の記憶として、残骸として残るはずだったが、「フィンランド」と異なり、「日本列島」は「大陸」と海で隔てられていたため、「かろうじて、12%だけが、核ゲノム上に残った」というだけにすぎないのです。フィンランド人は、アジア系のハプロタイプ「N」が多く検出されるが、「ゲノム」を調査すると「完全なヨーロッパ人」であった。


 なほ、「東山天皇の子孫のY染色體は既に檢査されて、Tyler-Smith氏の研究論文に發表され、d1b2と確認された」とのインターネット情報が多數あるが、
https://famousdna.wiki.fc2.com/wiki/Y%E6%9F%93%E8%89%B2%E4%BD%93D1b1a2%E7%B3%BB%E7%B5%B1
https://fr.wikipedia.org/wiki/Higashiyama
どうやらまともな出處は無い。
 そもそも東山天皇裔の鷹司家は貴種である。このやうな貴種のY染色體を、易々とTyler-Smith氏に提供して論文になったならば、怪しいインターネット情報として出囘る筈がない。

  ▼鷹司尚武氏。
鷹司尚武

關聯:
鳥取の青谷遺跡の繩文Y染色體の最新研究 

律令の禁令。女帝は皇族としか結婚できない。女性宮家は禁を犯す。

小室圭氏に對する一億總苛めをやめて欲しい。 
http://senkaku.blog.jp/2019042779694039.html
別系藤原氏。皇帝輪流做、明年到我家。

皇室史專門家・所功氏が科學を惡用してゐる。


トランプ大統領が日米同盟ただ乘りに不滿を表明した。
https://news.livedoor.com/article/detail/16682929/
 さらにトランプ氏は、日本とチャイナの石油タンカーは自分で防衞しろとも言ってゐる。
 これは單に算盤勘定してゐるのだとか、日本の軍事的自立を求めてゐるとか、そんな評判がもっぱらだが、違ふと思ふ。
 もともと日本はホルムズ海峽の防衞に貢獻してゐない。そして今度、米國とイランとの喧嘩で、日本はイランの肩を持つかの如くにフランスと話し合ふ。
私は素人のなので分からないが、とにかくホルムズ海峽防衞ただ乘りといふわけに行かないことぐらゐは分かる。しかも日本はチャイナと「永遠の隣國」を確認するのだといふ。
 折角トランプ大統領がチャイナのファシズムと懸命に戰ってゐるのに、何故日本は協力しないのか。どちらにも笑顔で胡麻を磨(す)るだけではないか。だからトランプ大統領は内心で怒ってゐる。
 しかし同時に大統領は安倍首相を仲間として大切に思ってゐる。上のビデオでも大切に思ふ心が溢れてゐる。アメリカだけではそんなに強くないから、日本を必要としてゐる。だから直接批判を避けて、遠囘しに防衞費のことを言ってゐるだけなのだ。
 ビジネスライクなオバマ前大統領と違って、トランプ大統領は意氣に感じる正義の人ではないか。私は門外漢ながらさう見える。日本はトランプ大統領を先導するつもりでファシズムと戰ふべきだ。
トランプ時事afp

トランプ政權が倒れたら、恐怖の21世紀、孤立無援のトランプ大統領を聲援しよう 

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『懲毖録』卷一に曰く。
「申叔舟臨卒、成宗問所欲言。叔舟對曰、願國家毋與日本失和。」 
http://www.wul.waseda.ac.jp/kotenseki/html/ri06/ri06_04069/index.html
懲毖録早稻田藏申叔舟

 申叔舟はハングル文字創製者の主力。1446年『訓民正音』、1448年『東國正韻』。高靈郡(古代日本統治下の加羅北部)の高靈申氏の祖である。西暦1443年、日本に使し、名著『海東諸國記』を撰した。琉球情報が貴重である。
 「高靈申氏は日本の彌生Y染色體o1b2の比率が突出して高い」とのインターネット情報があるが、
https://wiki3.jp/famousdna/page/51
 もとの論文が確認できない。


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チャイナで古典文明は滅んだ。その一つ、「七種菜羹」。日本にだけ繼承されてゐる。

 一月七日を人日という。『荊楚歳時記』の人日の項には
「正月七日為人日」【一月七日を人の日とする】
として以下に、
以七種菜為羹、翦綵為人、
或鏤金簿為人、以貼屏風。
亦戴之頭鬢、又造華勝以相遺、登高賦詩」
【七草で羹を作り、綾絹を切って人の形を作り、金箔を貼って飾る。また髪飾りを作って互いに贈答し合ったり、高いところに登って詩を詠んだりする】
とある。登高といえば九月を考えるが、同じ登高でも春は家族や気の合う友人が、高いところに集って清遊を楽しむという、いわば踏青とかピクニックのようなもので、秋の登高とは起源や意義を異にする。

http://fukushima-net.com/sites/meigen/63
四字熟語・故事成語【七種菜羹】 しちしゅさいこう
 七種類の野菜の汁物を表わす四字熟語です。「七草がゆ」または「七種がゆ」のことです。
 中国で1月7日のことを「人日(ジンジツ)」と呼んで、その年の運勢を占っていました。同時に、七種類の野菜の羹(あつもの:スープ)を食べて無病を祈る風習もありました。これが「七種菜羹(しちしゅさいこう)」の始まりでした。
 七草の行事そのものは古くから日本にもありまして、平安時代頃は1月15日に行われていたそうです。 その時の七草は諸説ありますが、米・粟(あわ)・黍(きび)・稗(ひえ)・蓑米(みのごめ)・胡麻(ごま)・小豆(あずき)だったようです。
 その後「春の七草」として、芹(せり)・薺(なずな:ペンペン草)・御形(ごぎょう:母子草)・繁縷(はこべら:はこべ)・仏の座(ほとけのざ:田平子)・菘(すずな:かぶ)・蘿蔔(すずしろ:大根)となりまして、1月7日の朝 七草の入った粥を食べるようになりました。 これを食べると、邪気を払い万病を除くと言われ、現在では全国的なものになっているようです。 御節料理で疲れた胃を休めるのに丁度いいですよね。
 室町時代の初め頃、四辻善成(よつつじのよしなり)が「源氏物語」の注釈書『河海抄(かかいしょう)』二十巻を著しました。その第十三巻の「若菜」の注釈のなかで、いまの七草のことを記述しているのが、「春の七草」の初見とされています。
 誰が作ったかは不明ですが「春の七草」を読み込んだ短歌があります、
「芹、なづな、御行、はくべら、仏座、すずな、すずしろ、これぞ七種(ななくさ)」。

八重樫 一 (やえがし・はじめ)
【プロフィルと自己紹介】
・1943年3月1日生まれ、北海道大学工学部卒業
・2001年に漢字検定1級合格。以来、
・2014年の検定まで30回合格
・2014年 漢字教育士 資格取得。
 白川静記念/東洋文字文化研究所:認定
・福島県漢字同好会会長
・NHK文化センター郡山教室「知ってなっとく漢字塾」講師
・福島中央テレビ/ゴジてれChuの「知ってイイ漢字」出演中
・女性のための生活情報紙「リビング郡山」の
「か・ん・じ(漢字)」コラム連載中
・趣味は、中国古典(論語、史記、諸子百家など)、写真、俳句、純米酒



七草

青山議員を批判したビデオに反論を投稿しました。

尖閣研究のいしゐのぞむより。申し譯ないけど水間さんも不精確。
第一に。「尖閣といふ名をやめて釣魚臺と呼ばう」といふ提案が最初に出現したのは1970年1月、中華民國政府内部會議です。1969年に石油情報が出ただけの段階では誰も歴史の虚構といふ着想を持ってゐなかった。
第二に、1969年地圖は、既に尖閣領有を議論しようといふ前提で作られたものです。詳細は以下に。

尖閣現代史料無効説 いしゐ のぞむ 中国研究論叢 (15), 2015 霞山会  
https://ci.nii.ac.jp/naid/40020921660

「昭和44(1969)年の地圖は油田情報にもとづくーー日本全勝の鍵は尖閣古史に在り」八重山日報 平成二十七年三月二十四日

1969地圖部分NHK白黒



    作者:簡宏逸    出版日期:2019/01/07
《製作客家人:十九世紀傳教士的客家民族誌》書摘
 
導讀  漢學家歐德理與他的客家研究:傳教士民族誌學的視角
 
大航海時代以降,各種不同民族的接觸與認識增加後,在十九世紀到二十世紀初之間,西方學術界為了殖民、傳教、學術興趣,產生許多對異文化的描寫。在西方這股認識世界的風潮中,肩負傳播基督教使命而被派往世界各地的傳教士,因傳教任務所需,以及於駐在地長時間觀察學習之便,傳教士向西方世界所報導的異文化描寫,其實就是近代民族誌研究的濫觴。而產生於東西文化相遇、內外學人互相交流激盪後才確立的「客家」一詞,也是在此學術脈絡下的產物。因此,我們追溯客家研究的歷史時,不能停留在1933年羅香林發表《客家研究導論》這個初期里程碑,應該更往前追溯到十九世紀西方人士對「客家(Hakka)」的認識與研究,才能夠建立客家研究的學術系譜。施添福與飯島典子都注意到西方傳教士,特別是瑞士巴色差會對「Hakka、客家」此一重要族群標記形成之影響。
 
在這些人之中,出身日耳曼地區符騰堡王國(Königreich Württemberg,今日德國巴登─符騰堡邦之中部與東部),長期在客家地區傳教的新教傳教士歐德理(Ernst Johannes Eitel, 1838-1908)是相當重要的角色。他於1867至1869年間發表於《中日釋疑》(Notes and Queries on China and Japan)期刊中的〈客家漢人民族誌略〉("Ethnographical Sketches of the Hakka Chinese"),以及1873年發表於《中國評論》(The China Review)的〈客家歷史大綱〉("An Outline History of the Hakkas"),這兩篇論文可說是奠定後世客家研究方法與客家人認同基調的重要著作。歐德理長期於客家地區服務,對客家族群有深入的觀察,並超越在他之前西方人與東南亞客家人接觸時留下的遊記式紀錄。他也引入比較研究法,突顯客家人與附近其他族群的差異,對客家研究的影響深遠。

歐德理的客家研究必然受到他自己的知識背景及宗教立場所限制,所以我們在閱讀他的客家研究時,應該先了解這些背景脈絡,持批判性的角度閱讀之。特別是歐德理在1867年使用的「民族誌略」(ethnographical sketches)一詞,其出現的時間點一定會令在二十一世紀的人類學學徒感到奇怪。由Franz Boas(1858-1942)建立的美國人類學(anthropology)的四領域傳統,人類學分為考古學、語言學、體質人類學、文化人類學,而民族誌(ethnography)是文化人類學的研究方法之一,但是歐德理撰寫〈客家漢人民族誌略〉時,Boas不過十歲左右,之後被視為建立民族誌研究典範的Bronislaw Malinowski(1884-1942)甚至還沒出生。那歐德理所做的民族誌研究,又是什麼樣的研究?我們必須先處理這些背景知識問題,才能夠進一步理解〈客家漢人民族誌略〉的內容。而最好的方法,還是從歐德理的生平著手。
製作客家人簡宏逸訪談





製作客家人

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皇室史專門家・所功氏の言ひ分。科學を惡用してゐる。

第7回 皇室典範に関する有識者会議  
平成17年6月8日(火) 1 0 : 0 0 ~ 
於: 三田共用会議所大会議室 
https://www.kantei.go.jp/jp/singi/kousitu/dai7/7gijisidai.html
https://www.kantei.go.jp/jp/singi/kousitu/dai7/7siryou3.html
もし、神武天皇の男系男子孫に「Y染色体の刻印」が伝わっている、というようなことを皇位継承の資格要件の一つというならば、そのような男子は全国にたくさんいるはずです。既に平安の初めにできた『新撰姓氏録』は、京都と畿内の氏族の記録でありますけれども、それによりますと、神武天皇から嵯峨天皇に至るまでの歴代から分かれた男系男子孫は、これを皇統から分かれた「皇別」と申しますが、「皇別」氏族が335 もあります。また、嵯峨天皇以降、それに続く賜姓源氏とか、あるいは賜姓平氏がたくさんあります。そういう臣籍降下した各氏族の男子孫には、すべて「Y染色体の刻印」が受け継がれておるということにもなりますから、そのこと自体は大きな意味を持たないのではないかと私は思います。

 Y染色體説を利用して理屈を通さうとしてゐるが、皇統Y染色體保持者が全員皇位を繼承し得るといふ前提を勝手に作り出してゐる。しかし所功氏自身の言ふ通り、「皇位繼承の資格要件の一つ」に過ぎないので、所謂必要條件であって、充分條件ではない。そこを所功氏は誤魔化してゐる。
 ところがこの必要條件の確認は難しい。まづ皇族については、自然科學を以て染色體を確認することは不敬であるから確認を要しない。ただ皇統譜を以て確認とするのが古來日本國のかたちである。染色體を知らぬ古代に於いては、系譜を以て皇統の直系を確認した。つまり皇統なるものを今の自然科學で言ひ換へればY染色體といふ用語になる。それ以上でも以下でもない。
 源氏平氏等は、系譜としてもY染色體確認が困難である。そもそも家譜といふのは誤りや改竄が常であり、絶對的に信頼すべきものではない。唯一絶對の信頼を置くべきが皇統である。自然科學で確認せずとも皇統を信頼するのがわが國の前提となる「かたち」、國體なのである。そして皇統から五世離れれば、絶對の信頼すべき皇統とは認めないのが古來の律令である。
 つまり、男系とかY染色體とかいった用語はそもそも不要であり、直系・一系で良い。系・統はともに絲偏に從ひ、原義は「つながる絲」である。つながらない系統には、別のつながりが有るから「別系」と呼ぶ。藤原系や小室系こそが別系に外ならない。よって直系・一系といふ語すら不要である。ただひたすらに皇統、それだけに過ぎない。別系は皇統ではない。それ以上でも以下でもない。
 さて、この皇統なるものを自然科學で見た場合に、繩文直系である可能性が今、明らかになりつつある。明らかになった曉には、成る程と喜べば良い。繩文直系を自然科學で呼び換へれば繩文Y染色體と呼ぶ。そして、直系は皇統の前提であって、染色體の確認を要しない。ただ貴種のY染色體が永續して來た可能性がある以上、その皇統を別系に入れ替へてはならない。それ以上でも以下でもない。
 まあ考へてもご覽なさい。別系藤原系小室系になれば、下の寫眞の皇統が無くなるのである。良いのですか皆さん。
皇統譜悠仁樣

皇統譜悠仁

 なほ、皇統譜は2700年。アルファベットほど古くない。繩文直系は一萬年を優に超える。

關聯:
鳥取の青谷遺跡の繩文Y染色體の最新研究 

律令の禁令。女帝は皇族としか結婚できない。女性宮家は禁を犯す。

小室圭氏に對する一億總苛めをやめて欲しい。 
http://senkaku.blog.jp/2019042779694039.html
別系藤原氏。皇帝輪流做、明年到我家。