- 尖閣480年史 - いしゐのぞむブログ

石井望。長崎純心大學准教授。笹川平和財團海洋政策研究所島嶼資料センター島嶼資料調査委員。日本安全保障戰略研究所研究員。沖繩平和協力センター受託尖閣資料調査事業特別研究員。 御聯絡は長崎純心大學(FAX 095-849-1894) もしくはJ-globalの上部の「この研究者にコンタクトする」  http://jglobal.jst.go.jp/detail.php?JGLOBAL_ID=200901032759673007 からお願ひします。 


高野孟氏「中国の領海侵犯は本当か? 海保も認める」云々。
http://www.mag2.com/p/news/245013/2
尖閣を侵略するチャイナは、軍事的には脅威ではない。それは正しい。愛國か反日かを問はずそれは一致した見解なので、何ら創見ではない。チャイナは軍事で勝てないから海洋民兵などを使ひたがる。軍事で勝てるなら疾うの昔に日本に侵攻しただらう。鬼の首を取ったかのやうに書く高野氏は愚かだ。
 問題は專ら歴史の嘘なのである。歴史を詳細に論じなければ無意味だ。私は軍事など興味は無いが、チャイナが古典を惡用し、存在しない歴史を作り出して世界を騙すのは許せない。チャイナは贋骨董屋だ。そもそも簡單に騙される日米の研究者が一番惡い。その結果、南沙諸島で違法裏に飛行場まで完成した。アメリカは爆撃すれば簡單につぶせるのに、爆撃しなかった。オバマもトランプも同じだ。爆撃するかしないかを左右してゐるのが虚構の歴史だ。歴史の虚構が細部まで理解されれば、世界輿論の九割が爆撃を支持するだらう。現状では何となく歴史に半分騙されてゐるので、支持が九割まで到達せず、爆撃できずにゐる。愛國派だけでなく、左翼まで爆撃支持がひろがらないと、九割に到達しない。爆撃を世界が支持するために、百對ゼロの歴史戰を、極めて單純に進めねばならない。しかし日米政府はそれをしない。勇氣が無いのだ。
 尖閣も同じことが起こりつつある。「尖閣に公務員を常駐するとチャイナを刺激するから」などと言ひ譯ばかりして、政府は今なほ動かない。
 國會答辯。尖閣諸島(沖縄県石垣市)への公務員常駐を検討するとしていた自身の発言について「現在はその選択肢はとっていない。総合的に、戦略的に判断している」

https://www.youtube.com/watch?v=pDAFsEWB4SM
https://www.youtube.com/watch?v=lRfTh7x__Nw

尖閣危機、南沙危機は、ともに歴史詐欺の危機なのだ。まづは尖閣史料を讀むこと。
http://senkaku.blog.jp/archives/13347226.html
それが日米國民の基礎教養でなければならない。
高野孟

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平成二十九年度。尖閣史について學會發表、學術誌投稿の場所として以下可能性あり。情報を見つけるごとに書き加へたい。まづ一つ目。

中央研究院明清史
2017 中央研究院明清研究國際學術研討會 12 月 18 日(一)下午 1:30
徵求論文  投稿時間從即日起至 2017 年 5 月 10 日止。
個別論文報名者請提供論文題目和摘要(250字內)。
報名截止日: 2017. 5. 10.
http://mingching.sinica.edu.tw/News_Detail/884
繁忙に紛れて間に合はず。
次は、……




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 沖繩の最近の歴史本を翻(ひもと)くと、西暦1372年に明國洪武皇帝から琉球國の名を賜はったと、往々にして書いてある。全くの嘘だ。原史料にそんなことは書いてない。ただ沖繩を琉球國と呼び始めた最古の記録が、明國の洪武實録に見える、それだけに過ぎない。
 命名者は誰なのか、記録は無いが、推測はできる。洪武皇帝は周邊各國に對して明國の建國を通知する使者を派遣した。主立った國には全て通知し終へたが、琉球國に對してだけは遲れた。何故なのか。
 洪武皇帝が琉球に派遣した使者楊載は、その前に日本に派遣された。二百年後の鄭若曾「琉球圖説」によれば、楊載は日本からの歸途、琉球を經由したため、その後すぐに使者として琉球に派遣されたといふ(楊載使日本、歸道琉球、遂招之)。二百年後ながら一定の説得力があると、研究者らは認めてゐる。
 つまり明國には沖繩情報が無く、日本から情報を得たのである。その時に初めて玉偏の二字「琉球」が使はれ始める。それ以前は流求や瑠求などに作り、基本的に臺灣を指し、沖繩を指さない。最も早い流求は『隋書』に見える。
 元國(モンゴル)以前は、臺灣以東の地理情報が全く無く、元國が沖繩を攻めるのが不可能だったことは、楊載自身に贈られた文「贈楊載序」(胡翰の撰)に書いてある。正德五年(西暦1510年)刊『皇明文衡』卷三十八に收められたものだが、原文は楊載の同時代に成ったので信頼度の高い史料として知られる。
http://shanben.ioc.u-tokyo.ac.jp/main_p.php?nu=D7861500&order=rn_no&no=01717&im=0150029
http://shanben.ioc.u-tokyo.ac.jp/file/D7861500/1200/0150029.jpg
http://shanben.ioc.u-tokyo.ac.jp/file/D7861500/1200/0150030.jpg

「贈楊載序」が「流球」に作るのも古さを感じさせる。
 日本では、沖繩は夜光貝(やく貝、螺鈿)を産する島々として古代から近代まで知られた。玉偏の二字「琉球」は隋書の古典に附會するとともに、夜光貝を産する美稱として、日本との關はりの中で創始されたと推測できる。古典に附會したがるのは漢字文化圏全域に共通の現象であるが、チャイナ領土外の國々が古典を美稱として用ゐるのも、その例にならって自美の意である。中華思想のチャイナ側から外國を美稱したがる現象はほとんど無い。
 日本側の情報で沖繩の美稱「琉球」が創始された。明國から賜はったのでなく、沖繩人がまづ自稱した可能性が極めて高い。琉球といふ漢字名をチャイナ名だと勘違ひして捨ててしまふと、現チャイナ側だけが琉球(チャイナ式ローマ字Liuqiu)を流布させてしまひ、結果的に琉球といふ名が今後はチャイナのものになってしまふ。我々は積極的に琉球Ryukyuを使ふべきだ。

 なほ、玉偏は別として、流求・瑠求・琉球が次第に地理的に遠くへ及んだ結果だとの考へ方も近年あると、先日或る會合で聞き及んだ。初めは福建沿岸附近を琉球と呼び、次第に臺灣を琉球と呼ぶやうになり、明國の時にそれが沖繩にまで及んだ、といふ考へ方である。しかし福建沿岸附近の琉球は明國中葉の文人の呼んだ史料である。それよりも千年も前に隋書の流求は澎湖の東を指したので、福建海岸から次第に地理認識がひろがったといふ考へ方は成り立たない。明國の文人は海に出ることもなく、ただ海岸線の外をまとめて幻想的に琉球と呼んだだけだらう。漢詩にありがちなことだ。
 さらに、元國の周致中『異域志』にも大小琉球が出てゐるが、王子が太學に留學したなど明國の内容なので、元國の原本ではないとされる。

 そもそも隋の流求のみならず、天皇も神武も扶桑も神社も全部漢文だ。しかし隋唐文明の正統的繼承者は日本であり、且つ隋の流求の名は東南百越の地の産物なので、チャイナではない。そもそもチャイナ(黄河文明)に海の文明は無かったので、海中の「しま」を示す漢字すら無かった。島の本義は臨海の山々を指す。嶼は後漢以後の東南百越の地で産まれた漢字だ。黄河文明には「洲」といふしまが有るのみ。川の中洲である。媽祖も福建沿岸で宋の統治のほとんど屆かぬ湄洲嶼に生まれた女である。禪文化も茶もうどんも全部東南だ。鑑眞も揚州人だからチャイナ人ではなく、長崎唐人屋敷にもチャイナ人は一人もゐなかった。要するに東南海洋文明の産物はどれ一つチャイナではない。流求も同じだ。一言で言へばチャイナは小さいので、我々が大きく見て差し上げる必要は全く無い。
 今話題の聖德太子。教科書では厩戸の皇子に改めるといふので反對の聲が高まってゐる。しかし漢文を拒否するならば、聖德は漢文なので拒否して、逆に厩戸の皇子だけ使はうといふ話になってしまふ。漢字にしても、卑彌呼時代には既に使ってゐるので、疑ふらく稻作彌生文化の時には長江文明から流入したと私は推測してゐる。黄河文明からではなからう。文明戰の全勝を目指すために私はチャイナで滅んだ漢文を書いてゐる。
 基本理念は、長江流域以南はチャイナ殖民地である。唐末菅原道真以後の黄河文明は新チャイナである。秦漢南朝隋唐百濟の文明繼承者は日本である。後漢から唐までのチャイナは大印度文明中の小文明なるがゆゑに、日本はチャイナ文明を取り入れた。日本は東南百越の友邦である。臺灣に渡った福建人も百越だから、出エジプトした非チャイナの仲間である。以上の正しい概念を是非ひろめるべきだ。
https://www.youtube.com/watch?v=er8otWlsuRA

以下參考資料。

陳侃『使琉球録』曰く、
「閩中士夫常曰、霽日登鼓山、可望琉球。蓋所望者小琉球也。
若大琉球、則雖離婁之目、亦豈能明見萬里之遠哉。」
(鼓山は福州市内の小山。)

明國中葉の福建興化知府、陳效の「海上點兵詩」に曰く、
「極目大東青一點、問人云是小琉球。」
弘治修『興化府志』卷33藝文志に見える。興化府の海邊(或は沿岸小島)から遠く望むのが大東海域であり小東と呼んでゐない。小東は知府陳效の眼中では沿岸小島の小島に限られ、臺灣にも屆いてゐない。
https://www.thenewslens.com/article/23177

元・周致中『異域志』
「大琉球國。在建安之東、去海五百里。其國多山洞、各部落酋長皆稱小王、
至生分、彼此不和。常入中國貢、王子及陪臣皆入太學讀書。」
http://ctext.org/library.pl?if=gb&file=83886&page=51
http://library.ctext.org/s0840005/s0840005_0051.png
http://library.ctext.org/s0840005/s0840005_0052.png
(至生分は至生紛擾などか。)

陳宗仁『雞籠山與淡水洋』(既に購入濟)第58-59頁。元・周致中『異域志』は明國で改竄された書。校注本も同じ認識。
https://books.google.co.jp/books?id=eiY9CwAAQBAJ

http://okinawa-rekishi.cocolog-nifty.com/tora/2008/07/post_bc1e.html

http://senkaku.blog.jp/archives/21330800.html

陳宗仁淡水洋

琉球
https://web.archive.org/web/20170319071906/http://senkaku.blog.jp/2017031970019415.html
http://archive.is/CPNzP



異域志ctext夷門廣牘1


異域志ctext夷門廣牘2


安部南牛

産經月刊「正論」安部南牛氏論説。
http://www.sankei.com/premium/news/170318/prm1703180024-n6.html
http://www.sankei.com/premium/news/170318/prm1703180024-n7.html
安部南牛氏文中に曰く、
「冊封を受ければ蛮族扱いを免れ、「中華」からの軍事的圧力も免れた。」
と。異議あり。
そもそも琉球にチャイナの軍事力が及んだことは無い。及ぶ可能性すら無かった。
册封は二種類に分かれることを著者は分かってない。
 そもそも明國で、東と南の海側諸國・朝貢國は「不征の國」と規定された。
逆に言へば内陸側は征討して良い諸國と看做された。
 次の清國に朝貢した諸國も二大地域に分かれる。
北と西のモンゴル・ロシア・ウイグル・チベット等は
「藩部」(はんぶ)と規定され、
その事務は「理藩院」(自治省)の管下であった。
東と南の朝鮮・琉球・ベトナム・タイ・ビルマ等の朝貢國
との外交は「禮部」(外務省兼文部省)の管下に屬した。
それぞれ異なる役所に屬したことが歴史を象徴してゐる。
東と南の諸國は清國と文化面(及び附隨的貿易)で交際したに過ぎない。
 これら禮部管下の不征の朝貢國のうち、
現在チャイナに併合された國が一つでも存在するか。存在しない。
宣統帝は「五族共和」を以て清國を中華民國に讓った。
五族は滿漢蒙回藏、全て内陸だ。海側諸國は含まれない。
歴史的趨勢として、これら東と南の朝貢國はチャイナに屬しないのだ。
それはチャイナの平和主義ではなく、能力が無かったためだ。

安部南牛氏又曰く、
「奄美5島を割譲させ、与論島以北を琉球王朝から引き離して
島津氏の直接支配地域とした。硫黄の産地を琉球王朝から引き離
した。」

と。隨分輕々と支配下に入れてゐるではないか。
そもそも明國にとって硫黄がそんなに大切ならば、
何故硫黄鳥島をめぐって日明戰爭・日琉戰爭にならなかったのか。
それは明國が自力で琉球を征する能力を持たなかったからである。
鄭和艦隊は印度洋以西ではイスラム航海士に導かれたに過ぎない。
尖閣も琉球の航海士に導かれて渡航した。史料に明示されてゐる。
尖閣海域すら自力で渡航できないのに琉球を征し得る筈が無い。
琉球が薩摩に對してほとんど抵抗しなかったのも、
それ以前からほぼ實質的に薩摩の支配下だったからだ。
大阪の陣の豐臣氏の抵抗と較べればよく分かる。
研究者が「琉日戰爭」などといふのは虚構である。


安部南牛氏は文の劈頭で「西嶋定生説にもとづく」と注記してゐるが、
西嶋説が無闇に流行してゐること自體がそもそもをかしい。
西嶋氏に言はれなくても、中華册封思想は存在した。
しかも致命的なのは西嶋氏は陸側と海側とを分けずに
古代の同心圓をそのまま近世にあてはめてゐる。
いつまで保守論壇はこんなおままごとをしてゐるのか。

參考:八重山日報(短縮URL)など。

http://bit.ly/1uwCMhT
http://livedoor.blogimg.jp/ishiwi/imgs/c/1/c1119810.jpg
http://livedoor.blogimg.jp/ishiwi/imgs/0/5/0575370f.jpg
https://www.youtube.com/watch?v=-2e5MUwkRGU

http://senkaku.blog.jp/2016061261537609.html
八重山2015年0127粗



八重山日報電子版リンク:
http://www.shimbun-online.com/latest/yaeyamanippo.html
 『八重山日報』連載「尖閣獺祭録」第六十八囘として、平成二十八年九月十七日(土曜)第五面に掲載された慶應三年地圖。
http://senkaku.blog.jp/20160826stieler1867.html
 尖閣西方の國境線の年代は、もともと明治元年圖(西暦千八百六十八年)が最も早いと思ひ、拙著『尖閣反駁マニュアル百題』の表紙に使った。それを産經新聞及び百田尚樹氏・高山正之氏が取り上げた。その後、一年引き上げて慶應三年(西暦千八百六十七年)と署するシュティーラー圖がグライフスワルト大學に藏せられてゐた。

 以上は八重山日報に書いたことだが、同版の慶應三年圖がポーランド科學研究所のデータベースにも出てゐたことが、今日分かった。
「Hand Atlas」        Stieler, Adolf (1775-1836)
    Publisher:        Justus Perthes
    Place of publishing:        Gotha
    Date:        1868
第43c圖「支那高麗日本」は下方に「1867」と標する。
ポーランド科學研究所デジタル圖像藏で公開中。
http://rcin.org.pl/dlibra/doccontent?id=26946
ポーランド文化科學兩研究所共同電子圖像庫でも檢索できる。
https://fbc.pionier.net.pl/

Stieler1867支那43c圖Hand-AtlasポーランドRCIN藏26946
  ▲第43c圖。支那高麗日本。



 沖繩の歴史は日本ではないといふ誤った言説が教科書にまで採用されてゐる。
 そもそも日本はある日突然生まれたのでなく、次第次第に形成されたのであって、沖繩だけが日本の外だったのではない。神武東征の傳説(近畿)、日本武尊の南征(熊襲)と東征(靜岡・關東)の傳説、坂上田村磨(奧州)、琉球(慶長十四年正式統合)、北海道(松前藩が正式統合)、とひろがった。

 日本だけではない。國家といふ制度は約五千年前にメソポタミアで生まれ、東西に擴散した。黄河流域では約三千七百年前に國家が生まれた。五大文明中で黄河とギリシャが遲い。メソポタミアから遠かったからだらう。國家といふ制度は人類十五萬年史の中で比較的に新しい。次第次第に發展した。日本だけではない。
 しかし驚くべきは北海道から與那國に至る繩文文化の統一性の高さだ。最近の遺傳子研究により證明される趨勢らしい。世界中で日本よりも廣域に統一性の見られる文化は、疑ふらく印歐語族だけだらう。勿論日本の統一性の中の多樣性を否定してはいけない。逆に共通度が高いからこそ、「我々の文化」として内部的多樣性を大切にしたい。
 一方、チャイナの長江文明は、漢字以前には黄河流域と全く異なる系統の文化だった。長江以南はチャイナの殖民地である。だから臺灣香港などで今でも反チャイナ運動が盛んだ。

 日本領土形成史を教科書で記述すべきだ。琉球だけを特殊な外國扱ひで差別せず、他の領土形成史と平等に扱ふ。一度でも外國の統治下になったのは長崎ポルトガル領だけであり、他の國土は全て固有の領土であることを正しく記述する。琉球と同じく日本各地の文化にも平等に言及する。

勅使河原彰縄文時代ガイドブック2013
 圖は勅使河原彰『縄文時代ガイドブック』2013より


 朱印船航海圖中のレイシ島がかなり古くからあるので、或は日本人が最も早くレイスマゴスを名づけたのではあるまいか、と思って歐洲製の圖を搜してみた。ウィキペディアにあった。

アブラハム・オルテリウス(Abraham Ortelius、1527年4月14日 - 1598年6月28日)
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%A2%E3%83%96%E3%83%A9%E3%83%8F%E3%83%A0%E3%83%BB%E3%82%AA%E3%83%AB%E3%83%86%E3%83%AA%E3%82%A6%E3%82%B9

ReisMagos_1570_Ortelius_Map_of_Asia_Geographicus_wikipedia

https://commons.wikimedia.org/wiki/File:1570_Ortelius_Map_of_Asia_(first_edition)_-_Geographicus_-_AsiaeNovaDescriptio-ortelius.jpg

この圖の西暦1570といふ年代はウィキペディアの通りかどうか分からないが、ただその中身を見れば、長崎がまだ出現しないのにReis Magosが出現してゐる。Magvcheは山口、Amangucoも通常は山口だとされる。天草ではないらしい。
 西暦千五百七十年の長崎開港よりも前だから、朱印船海圖に較べて年代としてかなり古い。となると、日本人がレイスマゴスを最初に名づけた可能性は低い。またフォルモサの南側にレイスマゴスがあるのも興味深い。フォルモサは美玉琉球の歐譯であらうと、私は以前論文に書いたが、ここでもフォルモサは臺灣島を指してゐない。
 暫定的結論。朱印船航海圖はレイスマゴスを確定的に尖閣の名としたが、その附近でレイスマゴスの名を最初に使ったわけではなかった。朱印船航海圖以外ではレイスマゴスが八重山なのか臺灣北方島嶼なのか尖閣なのか、全然判明しないから、朱印船の功績が偉大であることだけは確かだ。

 このオルテリウス圖とほぼ同じとされる圖は、下リンクにもある。同じくレイスマゴスがあり、長崎が無い。
https://www.lib.kyushu-u.ac.jp/hp_db_f/asia/index.htm
https://www.lib.kyushu-u.ac.jp/hp_db_f/asia/asia05.htm
https://www.lib.kyushu-u.ac.jp/hp_db_f/asia/asia07.jpg
https://www.lib.kyushu-u.ac.jp/hp_db_f/asia/asia08.jpg


Abraham Ortelius,オルテリウス 1527-1598
「Asiae nova descriptio」圖。書誌では1570年とする。
『Theatrum orbis terrarum』より。
豪洲藏。山口・鹿兒島・豐後あり。長崎平戸無し。
http://nla.gov.au/nla.obj-231202008
http://nla.gov.au/nla.obj-231202008/view
https://www.worldcat.org/oclc/662512909
http://catalogue.nla.gov.au/Record/3417528





Abraham Ortelius,オルテリウス 1527-1598
「Indiae orientalis insvlarvmqve adiacientivm typvs」
(東印度圖)。書誌では1570年とする。
『Theatrum orbis terrarum』より。
山口・鹿兒島あり。長崎平戸無し。
豪洲藏。 MAP NK 5318
http://nla.gov.au/nla.obj-230690893/view
http://catalogue.nla.gov.au/Record/2251889




平成二十八年二月九日火曜『八重山日報』第四面「歐洲史料尖閣獺祭録」連載第八囘
http://www.shimbun-online.com/latest/yaeyamanippo.html
http://senkaku.blog.jp/archives/45743279.html
に掲載したクラットウェル氏地名辭典につき追加情報。


西暦1808年のクラットウェル氏『世界各地名新辭典』では、尖閣諸島のTiaoyusu及びHoa(i)pinsuを琉球に屬せしめる。同書の西暦1798年版及び1800年版ではTiaoyusuもHoapinsuも言及が無い。ラペルーズ紀行が西暦1797年に刊行されて尖閣新情報を載せたが、それをクラットウェルは1808年にやっと採録したといふことだらう。
 そこで、西暦1808年の別册附録地圖には少々期待したくなる。「Atlas to Cruttwell's Gazetteer」と題する。ミュンヘンのバイエルン州圖書館に藏する。
https://opacplus.bsb-muenchen.de/metaopac/search?id=BV008286402
https://www.worldcat.org/oclc/260213024
http://www.worldcat.org/oclc/317481337
電子複製を購入できるらしいので今度購入しよう。
「Atlas to Cruttwell's gazetteer」
著者:     Clement Cruttwell
出版:     London : Printed for Longman, Hurst, Rees & Orme, [1808.]
http://www.worldcat.org/oclc/317481337
https://lccn.loc.gov/05034836


1808年の別册附録地圖のうち、南米圖だけは古書店に記録がある。
https://www.oldworldauctions.com/archives/detail/100-254.htm


1799年の「Atlas to Cruttwell's Gazetteer」の支那圖が、Geographicus.com骨董店の記録にある。
http://www.geographicus.com/P/AntiqueMap/China-cruttwell-1799
地名辭典よりも先に既に尖閣を載せてゐる。
1751年ゴービル圖以後、1787年にラペルーズが探査する以前、同類地圖は多い。しかしPongkiaとHoapinとが接近してをり、ラペルーズ新情報とは異なる。ラペルーズは尖閣に到達した際にPonkiaが見つからず、訝かしんだ。クラットウェルの1808年圖ではラペルーズ情報にもとづきPonkiaを削除した可能性がある。購入してみよう。
1799年圖の書誌は以下の通り。
「Atlas to Cruttwell's gazetteer」  著者:Clement Cruttwell
出版:     [London], [G.G. & J. Robinson], [1799]
http://www.worldcat.org/oclc/11056062
https://lccn.loc.gov/01018213
ワシントン議會圖書館やニューヨーク州圖書館などにあり。


別の古書店にはこの1808年圖册のオランダ圖だけ販賣記録があるが、1799年製と同一かも知れない。古書店の記録に曰く、
Published as the act directs Jany 1, 1808,
for Clement Cruttwell's 1799 Atlas to Cruttwell's Gazetteer,
it was reprinted in 1808 for the new Universal Gazetteer,
or Geographical Dictionary.
http://www.bidorbuy.co.za/item/258061734/Holland_1808_Clement_Cruttwell_Ref_MP5.html
云々と。


また、現代複製版もアトラス附きで賣ってゐるが、原書が1808年版なのかどうか、購入してみないと分からない。
「The New Universal Gazetteer: Or, Geographical Dictionary. With Atlas」
Clement Cruttwell
ISBN 10: 5875476672 / ISBN 13: 9785875476679
Published by Book on Demand, Miami, 2016
https://www.abebooks.co.uk/servlet/BookDetailsPL?bi=7449846168


「The new universal gazetteer, or, Geographical dictionary」
by Cruttwell  1800千八百年版。 HoaipinsuもTiaoyusuも未だ收めず。
https://books.google.co.jp/books?id=AFNgAAAAcAAJ


「The new universal gazetteer, or, Geographical dictionary」
by Cruttwell  1798年版。 HoaipinsuもTiaoyusuも未だ收めず。
第二册。
https://books.google.co.jp/books?id=FTMBAAAAQAAJ
第三册。
https://books.google.co.jp/books?id=0zABAAAAQAAJ


以下は別册地圖でなく、1808年の正文のリンク。
「The new universal gazetteer, or, Geographical dictionary」
by Cruttwell  第二册にHoaipinsu。第四册にTiaoyusu。
28枚の地圖を附すると標題に言ふが、ピッツバーグ藏本は地圖無し。
第四册。1808年。ピッツバーグ藏本リンク。
https://archive.org/details/newuniversalgaze04crut
第二册。1808年。ピッツバーグ藏本リンク。
https://archive.org/details/newuniversalgaze02crut
第一册。1808年。ピッツバーグ藏本リンク。
https://archive.org/details/newuniversalgaze_b01crut


下は西暦1799年の「Atlas to Cruttwell's Gazetteer」の支那圖。Geographicus.com骨董店より。
cruttwell1799_geographicus-com

https://archive.is/FVD3x
https://web.archive.org/web/20170303055154/http://senkaku.blog.jp/2017030369700405.html




 尖閣について同盟國アメリカの理解を求めることが必要だと言はれてゐる。特に保守派の人々の間でその考へ方が強い。大新聞に廣告を出したり、親日派のアメリカ人の協力を求めたりしてゐる。數年前に石原愼太郎都知事の新聞廣告もあった。
 私に言はせれば、そんなことは無駄だ。アメリカに「日本の主張」を理解させても、それはアメリカ全國民に受け容れられるわけではない。アメリカ側では、日本に言はれれば「その通り」と相槌を打ち、チャイナに言はれれば、「まあさういふ考へ方もある」と返答する。兩方の主張の板挾みとなって右往左往するだけだ。人間だから當り前だ。
 アメリカに理解させるべきは「事實」であって、「日本の主張」ではない。「主張」は「事實」に勝てない。現状では事實をアメリカ人が理解してゐないことだけが問題だ。事實だけ確定すれば、それを國際法でどう解釋するか、そんなことはアメリカ人も馬鹿ではないから分かってゐる。事實が定まれば法的解釋も定まる。
 歴史的事實を理解させるために、アメリカに乘り込んで徹底討論する。アメリカ人の認識が誤ってゐれば、それを正すために喧嘩する。道場破りだ。大聲は必要無い。事實で眞っ向から反駁すればそのまま喧嘩できる。チャイナからの留學生が集まって來て大聲で叫び始めるなら更に良い。全部まとめて論破する。
 しかしアメリカの法曹や政界の人々に對して歴史的事實を語っても無駄だ。彼らはそんなことに興味が無い。史實を理解させるべき相手は史學者だ。史學者ならば身を乘り出して議論に加はって來る。現代史の研究者ですら少しは乘って來る。最も積極的に議論に乘るのは近代以前の東洋分野研究者だ。
 學會で左翼の史學研究者らを論破することは、費用さへ有れば簡單だ。どの學會が良いか教へてもらって、申込事務も代行してもらって、あとはエコノミー航空券で一人で行けば良い。發表稿を事前に有料で英譯し、通譯を數日間雇ふにも少々お金がかかるが、あまり水準の高い通譯は必要ない。難しい論理は必要なく、史實は單純だ。史實が複雜だと思ってゐるならば大間違ひだ。
 發表稿は自分で安倍首相程度の英語で讀み上げれば通じる。質疑應答だけ通譯が必要だ。かりに通譯が日本側の言葉を省略氣味に譯し、アメリカ側ののたまふことだけ詳細に譯するやうでは逆だ。それは通譯の心構への問題だ。心構へのしっかりした通譯であれば誰でも良い。高級通譯は必要ない。
 アメリカの歴史學者を全員論破すれば、アメリカ輿論は一氣に日本支持に傾く。NYタイムズ第一面でも悠久の尖閣史の連載が無料で實現する。左翼に勝つことこそ全勝の道だ。政治家や法律家の力よりも遙かに大きい。アメリカの政治家の言葉も「主張」としてしか受け取られないので無駄だ。
 歴史で全勝することこそ、遠いやうで近道だ。媚び諂ふロビー活動などもうやめよう。「萬機公論に決す。」


石原都知事アメリカ新聞廣告


ついでに。
0527内閣官房公表尖閣史料徹底解説


Japanese researchers will participate in this seminar:

https://www.eventbrite.com/e/maritime-tensions-in-asia-dangers-diplomacy-and-defense-tickets-32005081059
Maritime Tensions in Asia:
 Dangers, Diplomacy, and Defense

by SFS Asian Studies Program
Wed, March 1, 2017, 12:30 PM – 5:15 PM EST
"Maritime Tensions in Asia: Dangers, Diplomacy, and Defense"

高井先生講演


Asia’s growing maritime tensions have increasingly threatened the region’s peace and prosperity in recent years. In particular, the East and South China Seas remain a major point of contention among the neighboring countries, including Japan, China, Vietnam, and the Philippines. What are the prospects for resolving or managing the tensions in Asia? What are the security implications? With the new administration in Washington, how will the United States respond to the challenges that arise from Asia’s maritime tensions?

On March 1, the Asian Studies Program at Georgetown University will host a group of foreign policy experts to propose solutions to some of the most difficult questions regarding diplomacy and security in the East and South China Seas. This half-day conference will begin with a panel discussion moderated by Dr. Sheila Smith, a senior fellow for Japan studies at the Council on Foreign Relations (CFR). Dr. Michael Green, Chair in Modern and Contemporary Japanese Politics and Foreign Policy at Georgetown University, will lead a second panel discussion.

This event is co-sponsored by Mitsubishi UFJ Research and Consulting, the Asia-Pacific Forum at Georgetown University, and the Asian Studies Program at Georgetown University.

This event is free and open to the public. Accommodation requests related to a disability should be made by February 23 to Ms. Fotini Gan at fg402@georgetown.edu. A good faith effort will be made to fulfill requests. An interactive map of campus is available here.

Annotated Agenda
Lunch & Reception
Opening Remarks
    Victor Cha is the D.S. Song-KF Professor of Government and International Affairs at Georgetown University, where he is also Director of Asian Studies.

Panel I. Prospects for Resolving and Managing the Tensions
    Sheila Smith is a senior fellow for Japan studies at the Council on Foreign Relations (CFR) and professor of Asian Studies at Georgetown University.
    Yurika Ishii is an assistant professor in the Department of International Relations at the National Defense Academy of Japan.
    Renato Cruz De Castro is a professor in the Department of International Studies at De La Salle University in Manila, Philippines.
    Dennis Wilder is a senior fellow with the Initiative for U.S.-China Dialogue on Global Issues at Georgetown University.

Panel II. Security Implications for Maritime Asia and Regional Relations
    Michael Green is an associate professor and the Chair in Modern and Contemporary Japanese Politics and Foreign Policy at Georgetown University.
    Yuki Sekiguchi is the Defense and Naval Attaché at the Embassy of Japan in Washington, D.C.
    Geoffrey Hartman is a fellow with the Southeast Asia Program at CSIS.
    Zack Cooper is a fellow with the Japan Chair at CSIS.
    Andrew Scobell is senior political scientist at the RAND Corporation.

Photo Credit: Commander, U.S. 7th Fleet
Wed, March 1, 2017  12:30 PM – 5:15 PM EST
Washington, DC 20007  United States

SFS Asian Studies Program
Organizer of Maritime Tensions in Asia: Dangers, Diplomacy, and Defense

"Maritime Tensions in Asia: Dangers, Diplomacy, and Defense"
at Copley Formal Lounge
3700 O Street Northwest, Washington, DC 20007, United States


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指導要領の聖徳太子(厩王子)が話題になってます。
http://www.nikkei.com/article/DGXLZO12920600U7A210C1CR8000/
http://www.saga-s.co.jp/news/saga/10101/405652
http://www.zakzak.co.jp/society/domestic/news/20170216/dms1702161530008-n1.htm
http://mainichi.jp/articles/20170215/k00/00m/040/042000c
聖徳太子以外にも注目點は有ります。このパブリックコメント募集があります。
http://search.e-gov.go.jp/servlet/Public?CLASSNAME=PCMMSTDETAIL&id=185000878
案件番号185000878。これの中學校指導要領では
http://search.e-gov.go.jp/servlet/PcmFileDownload?seqNo=0000154962
「琉球の文化に言及せよ」となってます。そこで、以下の通りパブリック・コメントを送りました。
「近畿、濃尾、關東、南九州、東北、琉球、北海道、と廣がった日本の領土形成史を正しく記述する。琉球だけを特殊な外國扱ひで差別せず、他の領土形成史と平等に扱ふ。一度でも外國の統治下になったのは長崎ポルトガル領だけであり、他の國土は全て固有の領土であることを正しく記述する。琉球と同じく日本各地の文化にも平等に言及する。」


もう一つ「ムスリム商人の役割」も日本史に這入ったやうです。間接的影響を扱ふとのこと。ならばと下のコメントも送りました。
「ムスリム商人など間接的影響を入れるならば、直接的な安土桃山朱印船時代の臺灣・呂宋・日本間の商業的及び軍事的交流の記述をもっと充實させるべきである。第一列島線の前史として現代東アジア國際政治と深く關はってゐる。」


もう一つ、「鎖國」が消えたについては以下の通りコメント送りました。
「鎖國は江戸時代に出現した用語であり、削除に愼重なるべきである。貿易口は存在したが、日本人がほとんど出國できなかったといふ側面から言へば、まさしく鎖國である。長崎蘭館や唐館に限定居留させたのも鎖國である。100パーセント封鎖でなくても鎖國といふ歴史用語を否定すべきではない。日本といふ大國から、朱印船時代に數十萬人が海外に出たのが突然無くなったのは、東アジアにとって大きな歴史的轉換であり、それを強調する用語として鎖國はふさはしい。また江戸末期の「開國」といふ用語にも意味がある。開國は朱印船時代の南方進出を取り戻すといふ側面があった。幕末開國は、外から受け容れるだけでなく、朱印船時代と同じく外に進出し始めたのである。

 また、鎖國時代の貿易口として那覇口を記述せず薩摩口とするのは琉球に對する輕視である。薩摩藩が琉球國全土を統治してゐたことは明白な史實であり、清國が琉球を全く統治したことが無かったのも明白な史實である。薩摩口と對馬口とすることにより、琉球と朝鮮とを並列するのは、歴史を歪曲してゐる。何故なら薩摩藩は琉球を統治したが、對馬藩が朝鮮を統治したことは無かった。兩者の性質は根本的に異なってゐる。また、對馬藩及び琉球國は、清國・李氏朝鮮の屬國形式を取った。
東南アジア諸國が清國の屬國形式を取ったと同じく、商業を主とする形式である。内陸のモンゴル・チベット・ウイグルは滿洲人の屬國となったが、海側の諸國は形式だけであった。まして薩摩藩は清國の形式的屬國ともならなかった。その側面でも薩摩と對馬は異なる。並列すべきは對馬と琉球であり、その出先として並列すべきは釜山と福州である。」

以上、コメント受附番號:201702240000399504。

なほ、四つの貿易口説とは、荒野氏説にもとづく。リンク:
http://www.nippon.com/ja/features/c00104/


四つの口荒野


ついでに。

0527内閣官房公表尖閣史料徹底解説


やまと新聞社ビデオ。第8分から、西暦千六百八十三年六月の汪楫「觀海集」の記述。「東沙山」(馬祖列島)までで福建が終ること。
https://www.youtube.com/watch?v=feAx5F4Ehco



同じ内容の詳細はリンクこちら2つ。
http://senkaku.blog.jp/archives/1453603.html
http://senkaku.blog.jp/archives/1453605.html
尖閣航路全部がチャイナの遙かに外側です。

外務省OBの美根慶樹氏も論及してます。
https://thepage.jp/detail/20150328-00000001-wordleaf?page=2

關聯畫像は以下の通り。

觀海集過東沙山

過東沙山



觀海集東沙

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ベアフット2月
ベアフット3月



  ▲開店日程。左端が日曜日なのでご注意下さい。
   撮影後に日程が變更されることも有るので
   ご自身でお店にご確認下さい。開店時間は正午頃で、
   午後五時半以前に閉店するのが通例のやうです。

 「喫茶去 Bare foot」(きっさこ、ベアフット)
壓倒的美味。コーヒー、ベーグル、定食。

〒852-8134長崎市大橋町10−33。電話095-848-6800。駐車場あり。
 長崎大學正門の斜め向かひ、長崎振興局から路面電鐵を隔てた正面向かひ。
 「村橋齒科醫院」と「おおや寫眞館」との間に小さな入り口。
そこから奧へ這入り、階段を下る。所謂「隱れ家的」。
https://www.google.com/maps/place/喫茶去+ベアフット/

https://www.facebook.com/271872699639787

http://blog.goo.ne.jp/nuts72722000/e/cd753123ed6c451313ad673d42e6e0e2

http://blog.goo.ne.jp/nuts72722000/e/f888597261ab62ca88b1da5bb5923249

https://ja.foursquare.com/v/5350a575498e16fe2ccf5019

http://blog.livedoor.jp/tosi19480527/archives/33190080.html

http://ameblo.jp/kasumi1016503/entry-11726374656.html

https://plus.google.com/107355902736654417293/

https://plus.google.com/108128478720928590291/

http://ameblo.jp/kasumi1016503/entry-11569942626.html

この喫茶店に拙著『尖閣反駁マニュアル百題』散らしを置いてます。
http://www.amazon.co.jp/dp/4916110986

ベアフット庭

喫茶ベアフット

ベア
喫茶去2
喫茶去
喫茶去3


三種の「渡閩航路圖」の尖閣について。福州から那覇までの琉球人の航路圖に尖閣がある。

尾崎重義氏「尖閣諸島の法的地位-日本領土への編入経緯とその法的権原について(下の一)」(島嶼研究ジャーナル第四卷第二號)
http://www.naigai-group.co.jp/_2015/04/post-41.html
http://www.spf.org/islandstudies/jp/journal/00007/
によれば、1沖繩縣立博物館藏圖、2久米島博物館藏上江洲家文書、3東洋文庫藏圖、の三種があるといふ。東洋文庫藏は沖繩縣立博物館藏圖からの筆寫だといふ。

同氏「尖閣はなぜ日本領か、歴史的・法的根拠を示そう」(wedge, 2013年1月18日) 
http://wedge.ismedia.jp/articles/-/2472?page=2
http://wedge.ismedia.jp/mwimgs/e/1/-/img_e119ff0369d33c648a596a656c11a18b658808.jpg
の中では、沖繩縣立博物館及び久米島博物館上江洲家文書を紹介してゐる。笹川平和財團島嶼資料センターに複製あり。
渡びん航路圖wedge尾崎

田中邦貴氏のホームページでは、沖繩縣立博物館藏圖を公開してゐる。
http://www.tanaka-kunitaka.net/senkaku/tobinkourozu/
渡びん航路圖6
渡びん航路圖5
渡びん航路圖4
渡びん航路圖3
渡びん航路圖2
渡びん航路圖1


以上を見るに、朱印船航海圖のやうに縱軸横軸斜軸を持った平面的認識ではない。東西方向の線的認識である。朱印船航海圖の尖閣については、尾崎氏上掲論文(島嶼研究ジャーナル)とともに、拙著「尖閣獺祭録」第九十九囘、第百囘をご參照頂きたい。八重山日報平成二十九年一月十二日と十四日に掲載されてゐる。



 慰安婦像撤去問題について、日本國民の八割が政府を支持してゐると、先日から報じられてゐる。私自身はこれについて關心が無い。氣になるのは國民が尖閣を忘れて慰安婦にばかり關心を持つことだ。逆ではないか。慰安婦は現代の瑣末事であり、長い歴史の中では忘れられて行くだらう。悠久の尖閣史は五百年來の日本の海外進出の象徴として、日本史の根本となる島々だ。國民の關心の所在は本末を顛倒してゐる。
 ところが昨日の報導では、岸田外相が慰安婦問題について稀有の強硬姿勢を見せてゐる。今までの軟弱姿勢とは對照的だ。何故なのか。第一にはオバマ政權からの壓力が無くなり、自由になったのだらう。第二には國民の八割が支持してゐるがゆゑだらう。
 尖閣でも、國民の八割が支持すれば自衞隊常駐は可能だ。米國民が支持すれば米軍參戰も可能だらう。ところが現状では、日米兩國民が尖閣について、「現代の日本と歴史のチャイナ」と誤解してゐる。そのため安倍政權は尖閣に強硬姿勢で臨み得ない。鍵は歴史だ。「現代でも日本、歴史でも日本」と氣づけば、日米兩國民の九割が尖閣常駐を支持するだらう。
 尖閣について國際法を論ずることは、もうやめた方が良い。現代國際法では既に勝負がついてゐるから、論ずれば論ずるほど、「歴史を輕視する日本」といふ形象が世界にひろまるばかりだ。同じく慰安婦に關心を持つのもやめた方が良い。このままでは日本は負ける。


以下、岸田外相の強硬姿勢について報導。
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 「慰安婦像」撤去要求 日韓外相会談
http://www.fnn-news.com/news/headlines/articles/CONN00350179.html
フジテレビ系(FNN) 2/17(金) 22:29配信
 ドイツを訪問している岸田外相は、韓国の尹炳世(ユン・ビョンセ)外相と会談し、韓国・釜山(プサン)の総領事館前に設置された慰安婦像の撤去を、あらためて求めた。尹外相も撤去に向けて取り組む意向を示した。
この中で、岸田外相は2016年末、釜山総領事館前に慰安婦像が設置されたことについて、「極めて遺憾だ」と述べたうえで、像の撤去を強く求めた。
 これに対して、尹外相も「国際的に適切ではない」と応じ、撤去に向けて最大限努力する考えを示すとともに、2015年末に合意した慰安婦に関する日韓合意を実施する意向を伝えた。
 さらに岸田外相は、竹島への慰安婦像設置の動きがあることについても「受け入れられない」と指摘し、平昌(ピョンチャン)オリンピックに関するウェブサイトで、竹島の表記が韓国の「独島(ドクト)」となっていることにも強く抗議した。
岸田外相慰安婦

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 いつもの朝日新聞だ。相手の言ひ分も聞けと言ふ。かりに相手の言ひ分が全部嘘であるならば、それでも聞けと言ふのか。前提として相手が全部嘘なのか、半分嘘なのか、それとも眞實なのか、それを明らかにしなければ意味が無い。
 「答へが一つでないテーマ」といふが、ではもし答へが一つであるならばどうするのか。朝日が答へは一つでないとする根據は何か。徹底取材したのか。朝日が取材するわけがない。私の處に取材が來てゐない。こんなのは單に役員室でいい加減な作文をしただけの安上がりな社説だ。
 「ナショナリズムと利害がぶつかり合ひ」云々。何故そんな表面的現象しか見ないのか。そこにばかり注目するから逆に利害衝突が劇しくなるのではないか。まづ悠久の史實は何か。確認したのか。するわけがない、朝日新聞。

http://www.asahi.com/articles/DA3S12798047.html
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(社説)領土教育 複眼的な思考こそ
2017年2月16日05時00分

 政府の見解を教えるだけではなく、相手国の言い分も伝え、世界を知り、自分の頭で考えることをうながしたい。
 北方領土、竹島、尖閣諸島は「我が国の固有の領土」で、尖閣諸島に「解決すべき領有権の問題は存在していない」――。
 そんな記述が小中学校の学習指導要領の改訂案に盛りこまれた。小学5年の社会科と中学の地理、歴史、公民の全分野で、政府見解を教えることになる。
 領土は各国のナショナリズムや利害がぶつかり合い、外交上の摩擦の要因になる。子どもたちが日本の主張を知っておくことは大切だ。
 だが政府見解は数学の公式とは違う。日本の立場の表明であり、それを学ぶのみでは現実は理解できない。教室で「尖閣に領土問題は存在しない」と教えても、中国船による領海侵入のニュースは流れる。
 領土とは何か。隣国はどう考えているか。いかなる歴史的経緯があるか。こうした事実を知って初めて、問題を深く、複眼的に見ることができる。
 新指導要領が重視するのは、答えが一つではないテーマを多面的・多角的にとらえ、他者と協働して思考する力だ。領土をめぐる対立は、ある意味で格好の教材ともいえる。
 政府見解は今回突然、指導要領に登場したわけではない。文部科学省は3年前、政権の意向を踏まえ、教科書執筆や授業の指針となる指導要領の「解説」に同趣旨の記述を入れた。既に小中の社会科の全教科書が三つの領土について記載している。
 だが、法的拘束力をもつとされる指導要領本体と「解説」とでは、重みが違う。教員が指導要領に従わなければ、処分される根拠にもなりうる。
 決められた通りに教えることが従来以上に求められるのではないか。自国第一主義の風潮がはびこるなか、独自の工夫を偏向と批判する空気が広がれば、教員は腫れ物に触るような授業しかできなくなるだろう。
 文化も経済も、国境を軽々と越えていく時代に、自国の主張が正しいと言いつのるだけでは共感は得られない。育てたいのは、相手の立場を理解し、冷静に考え、議論し、共生の道を探ろうとする人材だ。
 教育を通じて一つの価値観や歴史観を植えつける息苦しさと誤りを、この国は過去に経験し、いまは隣国に見ている。
 しなやかで、強い社会をつくるために、子どもたちにはどんなアプローチが必要か。領土教育を考えるときにも、この視点を忘れないようにしたい。

社説一覽
http://editorial.x-winz.net/
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paul-reichler-south-china-sea

南支那海裁判、フィリピン側主任代理人。
http://www2.jiia.or.jp/EVNT/
ライクラー氏講演概要。二月二十日(月曜)午後。
reichler

2月20日[JIIA公開シンポジウム/JIIA国際フォーラム] インド太平洋における法の支配の課題と海洋安全保障『カントリー・プロファイル』
================プログラム===============

14:00-15:30 第1部 JIIAフォーラム/国際法研究会報告
司会:中谷 和弘・教授

14:00-14:05 開会の挨拶(山上所長代行)
14:05-14:10 国際法研究会の研究課題と成果報告(中谷主査)
14:10-14:45 ポール・ライクラー弁護士による講演
「法の支配における国際裁判の役割-南シナ海仲裁判決によせて」(仮題)
14:45-15:00 コメント(西本委員)
15:00-15:30 質疑応答

15:45-17:15 第2部 地域研究会報告
司会:菊池 努・教授
15:45-16:15 徳地 秀士・政策研究大学院大学シニア・フェローによる基調講演
16:15-16:35 地域研究会の研究成果報告
「インド太平洋の海洋安全保障」(菊池主査)
16:35-16:45 コメント(小谷主任研究員)
16:45-17:15 質疑応答

17:15-17:20 閉会の辞(山上代行)


宮崎縣立圖書館日高文庫藏、『南蠻流天文書』(坤) 日高重昌     嘉永元年(1848)寫本。請求番號MO八/五/三九)。
https://www.lib.pref.miyazaki.lg.jp/DigitalArchiveWeb/DigiArcSearchFormDivide.do
https://www.lib.pref.miyazaki.lg.jp/DigitalArchiveWeb/DigiArcOpenObject.do?id=165&num=1
著名な『寛文航海書』の寫本。平岡隆二氏らの研究がある。この中に朱印船時代の尖閣「レイシ」「鳥嶼」を載せる。與那國が脱落してゐるのが惜しい。「レイシ」「鳥嶼」の畫像リンク:
https://www.lib.pref.miyazaki.lg.jp/DigitalArchiveWeb/DigiArcOpenObject.do?id=165&num=13
https://www.lib.pref.miyazaki.lg.jp/DigitalArchiveWeb/DigiArcOpenObject.do?id=165&num=19
詳細は八重山日報連載「尖閣獺祭録」第98-100囘(平成29年1月10日,12日,14日)、及び平成29年1月14日石垣市講演ビデオ
http://senkaku.blog.jp/290114.html
をご覽下さい。

南蠻流天文書宮崎3
南蠻流天文書宮崎2
南蠻流天文書宮崎1


ブログ「今更知ってこ同和地区の歴史と民族」。
部落出身者による
http://tyanpondai.exblog.jp/23972459/
http://tyanpondai.exblog.jp/23911838/
http://tyanpondai.exblog.jp/24083930/
http://tyanpondai.exblog.jp/26311279/
ちょっと面白いサイト。下の地圖で
http://pds.exblog.jp/pds/1/201504/22/01/c0361001_1952351.gif
東北地方に部落が無いのは、全員部落民だったからだ、
と言はれるやうになってもう三十年。部落=繩紋。
でも多くの研究者は部落の起源は近世からだと固執する。

部落分布東北無


面白いブログを發見。
エミシ調査センター

Emishi Study and Research Centre  エミシ調査研究センター
https://emishisrc.wordpress.com/2016/04/03/%e3%80%8c%e3%82%a8%e3%83%9f%e3%82%b7%e6%9c%ab%e8%a3%94%e3%80%8d%e3%81%ae%e8%87%aa%e5%b7%b1%e8%aa%8d%e8%ad%98%e3%81%a8%e5%91%bc%e7%a7%b0%e3%80%8e%e6%9d%b1%e5%8c%97%e4%ba%ba%e3%80%8f%e3%81%aa%e3%81%84/
以下、一記事を勝手に全文轉載。怒られるかな。
---------------------------
「エミシ末裔」の自己認識と呼称『東北人』ないし『奥羽人』またはその関連呼称について
Posted on 2016-04-03    by orkaishin

「東北」呼称の起源は、難波 信雄氏や岩本 由樹氏の指摘によると、「戊辰戦争時の『官軍』が使い出したのが初めで、『東夷北狄』意識が強くあり、それが反映されたもの」であるようです。
またにも言及があったかと思われますが、以下私見を述べます。これは「奥羽人」、「奥州人:にも同様なことがいえますが、それも後述します。
————————————————————————————————————————————————————————————————————————————————-
「『東北』ないし『東北人』という呼称は、『東夷北狄』という差別的意味合いが含まれていることは確かでしょう。
私個人は、それが差別を含む含まない以前に、呼称『東北』自体が、文字通りそれを指す地元民以外の者からの『他称』に他ならず、よって『自称』として呼ぶ人々は、自分の土地でないどこかよその場所を心の奥底で依然として『中央』と呼びつづけているのであり、失笑極まりないと思います。
その呼ぶ人自身が他所からの移民の子孫であり、『東北以外の西南の地域』を故地と考えているならば、理解できます。
例えば南部氏や福士氏、武田氏などが、『移住してから数百年たっているけれどもやっぱり、今の山梨県南部が故地で、未だここは私たちにとって『他所の土地』なんだよね。」と考え呼ぶならまあ理解できます。
往古から住んでいるものにとって、祖先の血を受け継いで生まれ育ったのだから、地元民にとっては地元が『中央』に他ならないのでは?と思います。また『出羽』にはそのような「位置関係」の意味合いはないと思いますが、『奥州』、『みちのく(道奥)』、『奥羽(奥州+出羽)』の『奥』も同じようなことがいえるかと思います。
『奥』の漢字の原義は、大修館の漢和辞典には言及がないのですが、他の漢和辞典では、上部の『ウ』が「家屋または部屋」の象形、『釆』は、大修館辞書では『審 省(=つまびらかにする) + 廾(両手の形)』 =「目が届かないで、手でしかつまびらかにすることができない」の意。 いずれにしても地元民が自らを 何かの『奥』に位置づけるのは原義から考えるとどうか。

『東北人』または『奥羽人』が、よく『中央から押し付けられた価値観』を払拭しようとしているのを見てきていますが、反『中央』意識は、『中央 – 辺境 』構造を維持して強めるだけでしかないことに気づいているのか気づいていないのか・・・

同じような構造は、アテルイおよびモライを『顕彰』することで、両者を敵将たる田村麻呂の脇役に位置づけ、さらに田村麻呂を崇めるところにも見受けられます。

真の復権とは、先ず己自身が自己の系譜の現状認識を踏まえ、社会的現状のあるががままに直面し、根源的に歪んだ認識、思考を刷り込まれ、他者認識を自己認識と神経症的に勘違いし骨抜きにされている愚かな自分自身に気づくことが第一歩であり、一番重要な点です。これがまた非常に至難でもあります。

また、肝心かつ基本的なことですが、『エミシの後裔』イコール『東北人』、『奥羽人』、『奥州人』または『羽州/出羽人』ではなく、後者には柵戸やヤマト貴族、関東御家人などの武士その他のヤマトなどの非エミシの移民が含まれて一括で呼ばれているのです。私は子供の頃からこのような混同に違和感を持ってきています。

参考:
難波信雄 『日本近代史における「東北」の成立』(「歴史の中の東北」河出書房新社 1998年)
岩本 由輝 『東北開発1200年』(刀水書房 1994年)
岡本 雅享 『民族の創出 まつろわぬ人々 隠された多様性』(岩波書店 2014年)
菊池勇夫 『東北人とエミシ・エゾ』 (「東北学 Vol.1」 東北芸術工科大学 東北文化センター 1999年)
木村 秀次、黒澤 弘光 『大修館 現代漢和辞典[机上版] 』(大修館書店 1996年)

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以上、轉載。
私もコメントを殘しておきました。
「こんにちは。とても面白いご研究ブログです。確定的史料が少ないので困難な分野と思はれますが、勉強させて頂きたいです。當方は尖閣諸島を研究してゐます。ご參考に
http://senkaku.blog.jp/archives/47830051.html
私のリンクを貼らせて頂きます。 いしゐのぞむ」









自由廣場》回應「台灣釣魚台」

2016-02-22 06:00

◎ 陳儀深

李前總統的新書《餘生》(其實是二0一四年日文書的中譯版本)又提到釣魚台歸屬問題,不意外地又引來一陣批評。馬政府發言人一貫說這是「喪權辱國」的言行並不意外,可是由蘇澳漁民來罵李是日本走狗則令人遺憾。二0一三年第十七次台日漁業會談所得到「擱置爭議,共享資源」的漁業協議,是從李登輝擔任總統時代即一九九六年就開始的。李登輝關於釣魚台主權歸屬的看法容或前後不一,但事實上一貫關心宜蘭漁民的權益。主權爭議和漁權的爭取是可以分開處理的,漁業協定的成果不過是李前總統以來這種理念的實踐。

政黨或政治人物發言為顧及自己的或國家的利益,不免有先喊價再來談判的現象,可是學者或政論家應該就事論事,不可以只挑有利的證據來講。昨日自由廣場沈建德先生投書「台灣釣魚台」,舉黃淑璥的《臺海使槎錄》以及清代方志的說法來「證明」釣魚台是台灣的,就明顯犯了這個毛病。已經有學者考證,《臺海使槎錄》和其他方志總是把釣魚台和薛坡蘭(東海岸中部、秀姑巒溪入海口的小島)並稱,地點應該在花蓮台東之間,也就是此釣魚台非彼釣魚台,連香港學者鄭海麟也認為黃淑璥把地理位置弄錯了,談鳳山縣怎麼會扯到遠北方的釣魚台呢?退一百步說,即便是指那個釣魚台,該名詞出現的位置是在「武備」的附考,既不是出現在正文也不是出現在「封域」,很難得出釣魚台在行政上歸台灣管轄的結論。

其實清國最正式的官方地理書《大清一統志》並沒有把釣魚台放入台灣的管轄範圍。更早的明代資料,所謂冊封使的紀錄,或海防圖,並不是政區圖,都不是國際法上所說的排他性行為,都不算是一種管治紀錄。換句話說就是無主地。

另一方面,日本在一八九五年一月(馬關條約之前)以內閣決議的方式將釣魚台列嶼編入其版圖,這種佔領行為並沒有向國際社會公告周知,固然是日方較不利的瑕疵,但要說竊據也太沉重,試問從一八九五到一九四五之間,日本方面長期有古賀家族的經營生計記錄,這是有效的占領、明確的管治,中國有過任何抗議嗎?甚至有大量證據顯示,在一九七0年之前的中國歷屆政府,都不認為釣魚台屬於中國,都承認了日本佔領釣魚台的事實。問題都是在六0年代末期發現海域蘊藏石油,以及七0年沖繩返還所引起的保釣運動,PRC和ROC才開始表態爭取釣魚台列嶼的。

就像南海問題必牽涉美中台關係一樣,而且不能說鄰近的島嶼就是附屬島嶼,否則南海諸島怎麼辦?這些問題必須全面關照、不能顧此失彼。一九九六年北京政府公布的領海基線並沒有包括釣魚台,而一九九九年中華民國政府公布的領海基線則包括了釣魚台列嶼,如此「一省略一包含」的安排似為一種默契?但無論如何保台比保釣重要,如果不能維持台澎的獨立自主,台灣何必替中國看守釣魚台?

(作者係中央研究院近代史研究所副研究員)

http://talk.ltn.com.tw/article/paper/960595

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以上是陳儀深教授論點。下為中華民國外交部回應。

http://外交部.tw/Upload/RelFile/642/155782/%e8%87%b4%e8%87%aa%e7%94%b1%e6%99%82%e5%a0%b1%e5%9b%9e%e6%87%89%e7%a8%bf.pdf

http://talk.ltn.com.tw/article/paper/961405

外交部條約法律司來函

中研院陳儀深副研究員投書「回應『台灣釣魚臺』」乙文,本部茲澄清如下:

一、陳先生舉出,香港學者鄭海麟認為《臺海使槎錄》所稱之釣魚臺實為臺東之三仙臺,然三仙臺距岸不到一公里,難稱在大洋之中,且該地腹地甚廣,可泊大船不止十艘,另清同治十年(一八七一年)陳壽祺《重纂福建通志》亦有相同記載,並將釣魚臺列入噶瑪蘭廳(今宜蘭縣)管轄,應係指今日之釣魚臺列嶼。鄭海麟之說法,僅為少數學者看法,不宜採信。此外,一八六三年官修之《皇朝中外一統輿圖》亦將釣魚臺列入我國版圖,故釣魚臺在清代即屬臺灣管轄,非無主地。

二、陳先生認為日本佔據釣魚臺之程序縱有瑕疵,但指其「竊據」過於沉重。然而史料顯示,日本明知該島為「清國所屬臺灣地方之島嶼」,且其透過內閣密議兼併之舉更未公告。對照日本當年以「先占」為名兼併之硫磺島、南鳥島等均有對外公告,可見當時之日本政府因心虛刻意隱瞞兼併釣魚臺之舉,並未依慣例以天皇敕令正式頒布,稱「竊據」應符事實。

三、陳先生文中認為自一八九五至一九四五年間,我國從未對古賀氏經營該島乙事進行抗議,然其時釣魚臺已藉由《馬關條約》隨臺灣割讓與日本,為日本領土,一如臺灣,屬日本統治,我自無抗議之理。一九四五年十月二十五日日本臺灣總督向盟軍投降時,移交文獻中亦均無釣魚臺之記載。一九五一年《舊金山和約》中又誤將釣魚臺依據該和約第三條劃入琉球範圍而受美國託管。一九七○年前釣島在美國託管下,由於託管不涉及主權,我亦無抗議之必要。





陳儀深馬英九1

陳儀深馬英九3



陳儀深馬英九2

薩摩藩の家老、調所廣郷(づしょひろさと)。
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%AA%BF%E6%89%80%E5%BA%83%E9%83%B7
 琉球は薩摩の統治下であり、清國への朝貢は表向きに過ぎず、清國もそれを知ってゐると、藩當局者自身の言葉で述べてゐる。現代人の論斷でなく、當局者自身だ。西里喜行『清末中琉日関係史の研究』(京都大学学術出版会、平成十七年)第百二十一頁に見える。
http://ci.nii.ac.jp/ncid/BA70911072

西里氏曰く、
 「薩摩務主の斉興は、四六(1846)年七月一八日(弘化三年間五月二五日)再び家老の調所を幕府老中阿部のもとへ派遣して内談せしめた。……阿部との内談における調所の説明・提案は、ほぼ『琉球秘策』の方針に即しているけれども、ここで注目しておきたいことは、第一に琉球の現状が次のように認識されていることである。
「琉球之儀ハ南海之孤島、格別ノ品モ無之、……抑、嘉吉年間ヨリ領分ニ被下置難有、今以テ領地之事ニ御座候。然共、中山王代替ニハ、清国ヨリ封王使者差渡、封爵ヲ請ケ、朝貢致シ来候国ニ御座候得者、国許〔薩摩〕ヨリ差渡置候在番奉行、其外役々、清国之者共へ面ヲ合候事ハ、遠慮致シ候往古ヨリノ仕来ニ御座候。乍然内実ハ、清国ハ素ヨリ、英吉利国・仏郎西国其外国之者共、琉球ハ日本へ致通商候儀、相聞得候……」。
つまり、琉球が表面上は清国の属国であっても内実は薩摩藩支配下にあることは、清国をはじめ西洋各国にも周知の事実で、フランスもこの事実を承知の上で、……」

と(以上西里氏著より)。
 調所廣郷の原語は『大日本維新史料』第一編之一、第七百五十一至七百五十五頁に載ってゐるさうだ。琉球は日清兩屬ではない。嘉吉年間とは室町幕府から島津氏に琉球國を下賜したことを指す。嘉吉の第一次史料が無いため疑ふ人が多いが、しかしとにかく幕末の薩摩藩家老は嘉吉の史實として江戸幕府に對して述べたことも分かる。琉球史の研究者にとっては常識なのだらうが、素人の私には勉強になる。『琉球秘策』も薩摩藩の重臣五代秀堯(友厚の父)の著。
  しかし「中琉日關係史」といふ標題はどうにかならぬものか。内容から懸け離れた標題ではないか。

調所廣郷像



http://news.ltn.com.tw/news/politics/breakingnews/1965378
本人寫:
 清國臺灣府最北以鷄籠為界,東北以三貂角為界,歷見《臺灣府志》、《大清一統志》、《重纂福建通志》、《噶瑪蘭廳志》諸書。釣魚臺顯然位於界外,史有明文。望民進黨高層三思而後決策。
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網友駁:
 中國古代先民在經營海洋和從事海上漁業的實踐中,最早發現釣魚島並予以命名。在中國古代文獻中,釣魚島又稱釣魚嶼、釣魚臺、釣魚山。目前所見最早記載釣魚島、赤尾嶼等地名的史籍,是成書于1403年(明永樂元年)的《順風相送》。這表明,早在十四、十五世紀中國就已經發現並命名了釣魚島。
  1372年(明洪武五年) ,明太祖遣使前往琉球,球國向明朝朝貢。至1866年(清同治五年)近500年間,明清兩代朝廷先後24次派遣使臣前往琉球王國冊封,釣魚島是冊封使前往琉球的途經之地,有關釣魚島的記載大量出現在中國使臣撰寫的報告中。如陳侃所著《使琉球錄》(1534年)、郭汝霖所著《使琉球錄》(1562年)、蕭崇業和謝傑所著《使琉球錄》(1579年)、徐葆光所著《中山傳信錄》(1719年)、李鼎元所著《使琉球記》(1800年)、齊鯤和費錫章所著《續球琉球國誌略》(1808年)等。
  明朝冊封副使謝傑所著《琉球錄撮要補遺》(1579年)記載,“去由滄水入黑水,歸由黑水入滄水”。明朝冊封使夏子陽所著《使琉球錄》(1606年)記載,“水離黑入滄,必是中國之界”。清朝冊封使汪輯所著《使琉球雜錄》(1683年)記載,赤嶼之外的“黑水溝”即是“中外之界”。清朝冊封副使周煌所著《琉球國誌略》(1756年)記載,琉毬“海面西距黑水溝,與閩海界”。以上史料清楚記載著釣魚島、赤尾嶼屬于中國,分界線在赤尾嶼和久米島之間的黑水溝(今沖繩海槽)。
  釣魚島海域是中國的傳統漁場,中國漁民世世代代在該海域從事漁業生產活動。釣魚島作為航海標誌,在歷史上被中國東南沿海民眾廣汎利用。
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本人答:
 號稱1403年成書的《順風相送》其實分為卷首、卷上及卷下,卷首只記載婆羅州以西的「西洋」航線,不記載菲律賓、臺灣以東的「東洋」航線,顯示原書是西洋航線之書,不記載釣魚嶼。卷上同樣只記載西洋,卷下纔屬於東洋,有釣魚嶼的記載。卷下還有馬尼拉的西班牙人及長崎的葡萄牙人等記載,可知卷下是西元1573年以後附加的部分。釣魚嶼在其中。
 明清只派遣24次封使,琉球則派遣數百次朝貢船,都經過釣魚嶼航線,誰最熟悉釣魚嶼呢。當然是琉球人。徐葆光《中山傳信錄》(1719年)、李鼎元《使琉球記》(1800年)均記載琉球國職員搭乘在清國封舟中,從馬祖列島開始就擔任司針,釣魚嶼自然在琉球人導航下經過。陳侃所著《使琉球錄》(1534年)記載「往來海道皆賴夷人」。郭汝霖(1562年)也邀請琉球國職員導航,
 謝杰1579年出使琉球,後來1895年在《虔臺倭纂》中明確記載,福建沿岸臺山、霜山、東湧、烏丘等島嶼都是倭船航線,和日本《元和航海書》(1618年)等書的記載相一致。而東湧(馬祖列島之一)正是釣魚嶼航線的最西入口,釣魚嶼自然屬於日本勢力範圍中。
 齊鯤和費錫章1808年出使琉球,他們的著作中把釣魚臺放在臺灣北方三島之西,顯然不是尖閣釣魚臺。夏子陽《使琉球錄》(1606年)的「水離黑入蒼,必是中國之界」是指大陸沿岸海域。汪輯《使琉球雜錄》(1683年)赤嶼附近的「中外之界」是琉球的内外之界,汪楫還在《觀海集》中記載清國領土至東沙山(馬祖列島之一)為止。周煌《琉球国志略》(1756年)的「黑水溝」位於釣魚嶼和臺灣島中間,和臺灣島東北盡頭的國界記載相一致。

民國外長

。同文留言『中國時報』。
http://www.chinatimes.com/newspapers/20170210000639-260109




平29立春賀状



立 春 大 吉

   平成丁酉孟春  

 

今年は一月十四日開拓の日に石垣市で

初めて公式講演を仰せつかるなど未曾

有の危急を乘り切り、年賀が遲れまし

たことお詫び申し上げます。

 

帆張朱印船、崎陽冬盡

艮寅定、南北西東經緯傳。

 (鳥嶼又名釣魚嶼、今名尖閣。西遙東湧山、南連與那國

  見伊勢角屋氏圖及長崎寛文航海記琉球指南廣義諸書。)


(梅、帆を促して張る朱印船、

崎陽冬盡きて年を待つ

歸るに嶼を尋ねて艮寅定まり、

南北と西東と經緯傳はる)

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一月十四日の資料と映像は
http://senkaku.blog.jp/290114.html
こちら。

 反トランプこそ研究者の最低資格のやうに言ふ人がゐるが、勿論誤ってゐる。特定國を拒絶するのは、日本も久しく北朝鮮に對して維持する政策だ。前例は幾らでもある。オバマ大統領も特定國を拒絶してゐたと聞く。こんなのは左派がしばらく騷げば終る話だ。
 
 それよりも、トランプ大統領の強硬な貿易方針が報じられ、日本は何らかの讓歩をするのか注目されてゐる。日本政府が尖閣に關してトランプ大統領の助けを求める(所謂擦り寄る)方向に動くと、その分だけ貿易で讓歩することになる。同じやうにチャイナが貿易で讓歩すれば米國は軍事で讓歩するだらうとの預測も出てゐる。
http://jp.wsj.com/articles/SB11303642310634324165204582594411890796048
 私は素人なので預測はできないが、尖閣が貿易の取引の材料になってはいけない。しかし現状のままでは取引の材料になるだらう。何故なら自民黨では、尖閣について米國中樞を粘り強く巧みに説得するといふ方向性が支配的だからだ。説得しようとすれば取引に使はれるのは素人でも分かる。
 取引の材料にされないためには、軍事的に日本が米國から離れるのも長期的選擇肢だが、それはチャイナが日米を離間する目論見にはまるだけだ。
 では日本はどうすれば尖閣を取引の材料にされずに濟むのか。答へは歴史である。悠久にして重厚なる尖閣史を世界に理解させれば、米國民主黨や學界など左派までも日本の尖閣防衞を支持するだらう。米國で左派も右派もことごとく尖閣防衞を支持する空氣が支配的になれば、トランプ大統領としては尖閣を取引の材料に使ひにくくなる。
 今こそ歴史戰の時だ。小手先の現代史はどうでもいい。近代以前の歴史で完勝せねば世界を相手に勝ちきれない。六對四で勝つのではない。百對ゼロで勝たねばならない。史料では百對ゼロで勝ってゐるのだから、殘るは歴史學者がしっかり史料を使ふか否かだ。歐米の歴史學界で正面から道場破りをすべきだ。説得するのではない。論破するのだ。それ以外に勝てる手は無い。
 そのための資金や便宜を提供するのが政府の役目だ。廉價の宿所と割引航空券で良い。巨額の資金は必要ない。

トランプ


尖閣諸島の地元名「よこんこばしま」。

「よこん」の初出は明治十八年九月十四日、大城永保の報告書に見えると、著名な黒岩恆「尖閣列島探檢記事」に言ふ。『地学雜誌』第十二輯、明治三十三年。大城報告書は今略す。

「よこん」の解釋は昭和十三年、幤原坦『南方文化の建設へ』(冨山房)
http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1918742
第六十五頁に引く宮良當壯氏直話に見える。曰く、
「八重山出身の宮良(當壯)學士の直話によると、八重山列島の一小島に、イーグンといふ島がある。イーグンとは、イユクンといふことで、イユは魚、クンは國、又は區域の意義であるといふ。この魚の國は、島を意味する古い言葉であったのであらう。」
http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1918742/48
と。「ゆくん」「いゆくん」は、「よこん」「いよこん」に同じ。琉球方言では兩者が合一する。「いよ」は古語「いを」の琉球方言である。琉球方言で「國」(くに)を「くん」と音便するのは、國頭(くにがみ)を「くんじゃん」と讀む。「じゃん」は、
  がみ→ぎゃみ→じゃみ→じゃむ→じゃん
と想定すれば良い。明治十一年河原田盛美『沖繩志略字引』でも「くんぎゃん」とかなを振ってゐる。
http://archive.library.pref.okinawa.jp/wp-includes/images/tmp/1002009197_0005-0006_0ef9490d3a329300bccf4e9ad3c41cb2.jpg
http://archive.library.pref.okinawa.jp/?type=book&articleId=50247

「よこんこばじま」は「魚國久場島」だといふことになる。

宮良當壯氏については琉文21の頁に記事あり。
http://ryubun21.net/index.php?catid=2&blogid=1&archive=2014-09
http://ryubun21.net/media/2/20140927-IMG_8973.JPG
宮良當壯
宮良氏の留影二葉か琉文21に出てゐる。リンク:
http://ryubun21.net/index.php?itemid=8161
http://ryubun21.net/index.php?itemid=11337

私は門外漢だが、魚國についてはウィキペディアに出てゐた。ウィキペディアといふのはとても有り難いものだ。

幤原坦南方文化の建設へ引宮良當壯イーグン魚國
 ▲幤原坦『南方文化の建設へ』(冨山房)第六十五頁宮良當壯氏直話。

後に牧野清「尖閣列島小史」で「イーグン」を銛(もり)とする。季刊『沖繩』第五十六號。
http://www.geocities.jp/tanaka_kunitaka/senkaku/kikan-okinawa56/
http://www.geocities.jp/tanaka_kunitaka67/kikan-okinawa56/33.jpg
リンクは田中邦貴氏ホームページ。





北村淳氏曰く、
「大多数のアメリカ国民の目からは、尖閣諸島は
“ちっぽけな岩礁”としか理解されない。そんな岩礁を
巡る日本と中国の軍事衝突にアメリカが本格的に
軍事介入し、米中戦争に突入することは(100%に限りなく近く)あり得ない」
と。
http://jbpress.ismedia.jp/articles/-/48942?page=4

ではどうするのか。そこを書かねば意味が無い。書けないのだらう。
正しい答へは「悠久の歴史」である。
悠久の歴史があれば日米國民が尖閣防衞を支持する。
現状ではチャイナに尖閣の悠久の歴史があると
誤解されてゐる。全く逆だ。
だから日米國民の九割が尖閣防衞を支持するまでに至らない。
支持が無いと政府は動けない。ひたすら歴史だけが今問題なのだ。


ティラーソン



式典無事終了しました。式後講演で配布した資料は
https://drive.google.com/open?id=0B2MwcvRggQjpOGItRkFmSDlrdW8
こちらです。ダウンロードの上、ご利用下されば幸ひです。
講演ビデオは下方です。講演内容に重なるのは1/10火曜と1/12木曜と1/14土曜の八重山日報連載「尖閣獺祭録」第98至100囘です。新聞オンラインでご覽下さい。
 講演ビデオ本編リンク:
https://www.youtube.com/watch?v=cODmL03Iy1w

 

次に講演ビデオ前言(島名について)リンク:
https://www.youtube.com/watch?v=NtbZD0ufEwI


取り込み用電子ファイルは
https://drive.google.com/open?id=0B2MwcvRggQjpdE1XeXRrSE9vVGc
https://drive.google.com/open?id=0B2MwcvRggQjpOXFVRlRvRjJrX0U
こちらリンクです。

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 石垣市「尖閣諸島開拓の日」記念式典。平成二十九年一月十四日(土曜)十二時三十分より。式典後講演「悠久の尖閣史、最新の研究を語る」。石垣市民會館中ホール。
http://zaseki.s-works.jp/file/ishigaki-map.jpg
 平和を愛する市民は自由に入場できます。是非皆樣おいで下さい。

尖閣開拓式典散らし1

尖閣開拓式典散らし2

尖閣開拓式典散らし3

尖閣開拓式典散らし4

石垣市民會館
石垣市民會館外觀