- 尖閣480年史 - 今古循環、愚智往復 480 years history of Senkakus

石井望。長崎純心大學准教授。電子メールishiwi@n-junshin.ac.jp (全角@を半角に)。 電話090-5084-7291。 日本安全保障戰略研究所研究員。尖閣精神文明を侮る勿れ。精神力の弱い日本はすでに敗色濃厚。氣合ひを入れろ。起死囘生のため我が悠久の尖閣史をNHK朝日等が日々報ずれば全勝だ。ノーベル賞五つ持って來い。

 チャイナは一方的に東支那海瓦斯田を開發してゐるが、自民黨の東支那海資源委員會は、日本側からこれを國際法廷に提訴せよと、安倍内閣に對して提言した、と報じられてゐる。リンク:
http://uk.reuters.com/article/uk-japan-china-idUKKCN0WI0LH
http://www.reuters.com/article/us-japan-china-idUSKCN0WI0LF
http://www.nationalinterest.org/blog/the-buzz/japans-master-plan-stop-china-the-east-china-sea-lawfare-15513
http://www.nationalinterest.org/blog/the-buzz/japans-master-plan-stop-china-the-east-china-sea-lawfare-15513?page=2
http://mainichi.jp/articles/20160317/ddm/005/010/176000c
http://newsphere.jp/politics/20160319-1/

 この報導を知って、私は深く憂慮してゐる。そもそも東支那海資源について提訴するのは、實質的に尖閣領土問題を提訴することになる(後述)。
 まづ前提として忘れてならぬ點は、尖閣に問題があるならばまづチャイナ側から提訴せよと、日本側から繰り返し呼びかけるべきであって、日本政府はまだその努力をしてゐない。首相の國會答辯でも記者ぶらさがりでも、幾らでも呼び掛ける機會は有る。日本側から提訴するのはその後にすべきだ。その上で、假に裁判になれば、日本は勝てるのか。現状のままでは負けるだらう。何故なら日本は全く準備してゐないからだ。

 國際法廷で「歴史」は證據として採用されないと聞く。しかし過去の例で見ても、證據とするか否かを審理することだけは確かのやうだ。現状では、日本が現代國際法を主張し、チャイナが歴史を主張する構圖である。歴史を主張するチャイナは勝訴しないだらうが、しかし日本はこの裁判に100%の全面勝訴とならねば無意味なのだ。全面勝訴以外は、幾分かチャイナの權益を認めることとなり、尖閣は純然たる日本領土でなくなり、チャイナに何らかの配慮をする土地と規定されることになる。結果としてチャイナ東端は300km東方へ伸びる。これは現状を大きく變更することになる。日本は100%の勝訴でなければ實質的に敗訴なのだ。

 現實的に想定されるのは、裁決の前に調停を勸告されることだらう。調停では益々日本の100%とならないから、實質的に日本の敗北である。日本は100%の勝ち方をせねばならない。六分四分で勝たうと思ってゐる人は大間違ひだ。しかし日本は100%の勝訴が可能なのか。現状では準備ゼロなので不可能だ。しっかり準備すれば100%全面勝訴は可能である。どんな準備が必要か。

 それは尖閣四百八十年の歴史である。現状では日本は歴史を避けてゐる。歐米人の抱(いだ)く漠然たる印象は、歴史のチャイナと現代の日本との對決だ。調停になると、この印象が決定的要因となる。日本は歴史を積極的に主張しない限り、決定的に敗北する。

 歴史についてどんな準備をすべきか。單一史料を絶對として主張を連呼するのでなく、長い歴史のあらゆる史料で日本が全面的に正しいことを知性的に訴へるべきだ。保守愛國陣營内だけで日本が正しいと連呼しても勝てない。左派媒體を味方につけて、連日連夜尖閣の正しい歴史が語られて、世界輿論が正しい歴史を理解する状態にまで持って行く。その状態でやっと日本は100%の全面勝訴を獲得できる。

 まづはNHKスペシャル十囘シリーズで、尖閣の長い歴史を放映する。また朝日新聞が、連日第一面左側欄で尖閣史料を連載する。それをまとめて岩波書店が刊行し、即刻英譯する。その勢ひのまま、最大の左派媒體ニューヨークタイムズが、これまた第一面の下段で連日尖閣史料を連載する。一史料につき一囘、計二百囘連續だ。それをまた左派大手マグロウヒル社から刊行する。そこまで實現して、やっと日本は裁判に勝てる。私自身は左派マスコミに賣り込むつても暇も精力も無いので、是非愛國者の皆さんにご助力をお願ひしたい。

 特に左派メディアを味方につけるためには、尖閣は琉球國外ながら文化的には琉球人の島々であった史實を大きく訴へるべきだらう。琉球新報や沖繩タイムスとも一致できる。但し史料を逐一提示する必要がある。チャイナの何らかの力が幾らか尖閣に及んでゐたといふ虚構も完全に否定せねばならない。具體的には以下の諸點だ。

1、西暦1461年の『大明一統志』以後、歴代史料でチャイナ正規領土は大陸海岸までと明記されてゐる。
2、西暦1534年の最古の史料『使琉球録』(陳侃著)に、琉球人が尖閣海路を導いたと明記してある。
3、最古の記録が琉球人の案内だから、漢文「釣魚嶼」(てうぎょしょ、今音ちょうぎょしょ)の命名者は琉球人と推測される。
4、海路案内人の主力は福建から琉球に歸化した「三十六姓」の子孫だが、彼らが明國籍から外れることは、『皇明實録』嘉靖二十六年に皇帝の語として明記されてゐる。
5、三十六姓の遠祖たる福建民族は漢民族ではない。チャイナ七大方言のうち六大まで東南部に集中するが、少數民族は東南以外にだけ分布する。これは東南部がもともと少數民族だったことを示す。
6、海路案内人は琉球人でありながら、琉球國内海域に到達後も福建人が操船する。これは操船と海路案内とが分業されてゐたことを示す。尖閣海域でも琉球人が案内し、福建人が操船したと推測される。
7、チャイナが西暦1403年の最古と稱する『順風相送』の後半は、西暦1573年以後の記述から成り、且つ琉球人の尖閣航路を載せてゐる。
8、西暦1556年の『日本一鑑』から以後は、「釣魚嶼」を臺灣北方三島の一つとする史料系列があり、尖閣ではない。
9、西暦1617年『皇明實録』以後、歴代史料でチャイナ海防は大陸沿岸40km以内の六島ラインまでと明記されてゐる。
10、尖閣航路上、琉球西端は久米島附近、チャイナ東端は馬祖列島附近だと諸史料に記載され、中間の尖閣は無主地であった。
11、西暦17世紀前半、朱印船貿易史料で尖閣は長崎から與那國島を經る呂宋貿易の航路上に在り、チャイナと無縁である。
12、西暦1683年、汪楫が尖閣の東で記録した「中外の界」は、チャイナと外國との境界線ではない。琉球の風水思想の統一解釋にもとづき、琉球が中、西側が外である。
13、臺灣の風水思想では、龍脈は福州から基隆を經て臺南に至ってをり、尖閣方向に伸びない。
14、西暦18世紀以後のチャイナ史料でも、海路案内者は臺灣海峽で早くも琉球人に交替し、東の尖閣海域へ進む。
15、西暦18世紀前半以後、『臺海使槎録』など臺灣の地誌諸本に載せる「釣魚臺」は、臺灣正北方もしくは東南方の島であって、尖閣ではない。
16、最古の上陸記録は西暦1819年『尚姓家譜』に見える琉球王族である。
17、西暦1845年、英軍艦に乘り組んだ八重山の水先案内人によれば、尖閣には地元の島名が有ると記録される。
18、歐洲製の地圖・地誌では、西暦1751年ゴービル神父「琉球録」以後、次第に尖閣を琉球と看做すやうになる。
19。西暦1804年シュティーラー「支那圖」以後は、尖閣を琉球内と看做す史料が多數出現し、一方で尖閣をチャイナとする歐洲製地誌・地圖は一つも存在しない。
20。西暦1885年に日本政府が尖閣領有をためらった原因は、同年九月の朝日新聞の報導によれば、宮古八重山の領土歸屬問題であり、尖閣問題ではない。

 以上二十箇條は、關係者全員に暗記して頂きたい。政治家も公務員も暗記は得意の筈だ(私は記憶力が低く、大學入試でも暗記は苦手だった)。これらの歴史を世に訴へるならば、必然的に私いしゐのぞむの研究が世に知られることになる。偉さうな、と不愉快に思ふ人も多いやうだ。もともと私を味噌っかす程の研究者と見る前提だらう。しかし、出る杭を打つことに腐心してゐる場合ではない。私個人などどうでもいい。私個人を邪魔したい人は史料だけ論じて、いしゐの名を出さぬやうにすればいい。私が史料を論じた先着順は既に確保してあるから構はない。

 日本は世界最古の皇室を奉戴する國である。日本人として「歴史は都合が惡い」と怖氣づいて無視する選擇肢は有り得ない。歴史ある皇國の譽れのためにも、歴史を論じなければならない。まして尖閣の歴史は一から百まで日本の正義を示すものばかりだ。何を怖氣づいてゐるのか。歴史の歴は、歴代・歴世の謂ひである。短い現代史は歴史の内に算へない。それが武士道の矜持だ。


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 以下は裁判について少々細かな點。國家利益誌(National Interst)に曰く、
Beijing could smartly counter, and issue a statement saying that they would be willing to jointly agree to an international court ruling—if only Tokyo would also agree to a ruling on the Senkaku/Diaoyu Islands as well. And considering Japan has stated time and time again that the islands are not an issue to be ruled on—that there is “no dispute”—it would create a serious challenge.
(北京は「尖閣を國際裁決することに東京も同じく同意する場合にのみ、我々(北京)も國際裁決に同意する」との聲明を公表し、迷はず反撃できるだらう。日本は尖閣に裁決すべき問題が存在しないと繰り返して來たので、この場合は深刻な挑戰を産み出すこととならう。)
http://www.nationalinterest.org/blog/the-buzz/japans-master-plan-stop-china-the-east-china-sea-lawfare-15513?page=2

以上のやうに「國家利益」誌は評する。しかし世間一般に言はれてゐることは、そもそも日本は國際司法管轄權を受諾してゐるので、提訴されればその時點で領土問題が發生するのは當り前である。ただし北京側が管轄權を受諾せずに一方的に提訴するならば、日本は應訴せず、引き續き領土問題は存在しない。現在の問題は、北京が提訴したがらないことだ。

 それよりも國家利益誌の言ふ通り、瓦斯田裁判となればそのまま尖閣裁判になることは避けられまい。國家利益誌は、日本が裁判に勝てないと値踏みしてをり、提訴されると日本が困るだらうと言ひたげである。それはさうだらう、日本は最も有利な尖閣480年史を主張しないのだから、歐米から見れば日本が勝てさうもないと見えるのだ。この見方は、そのまま國際法廷の大勢となってしまふだらう。勇氣を以て歴史を語らねば、日本は負ける。



   ▲原田義昭委員長
 

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扶桑社表紙

http://www.fusosha.co.jp/books/detail/9784594077730
『中国が反論できない 真実の尖閣史』
石平 (著), いしゐのぞむ (史料監修)    ¥ 1,512(税込)

何ですかこれ。尖閣まづいぞ。山本政志とは誰

There is no indication, Yamamoto said, that Chinese naval or Coast Guard forces have come ashore on the Senkakus. “But ‘fishermen’ have landed,” he said, referring to Chinese government militia that often pose as commercial seamen or fishermen.
http://www.defensenews.com/story/defense-news/2016/03/17/japan-china-senkaku-islands-diaoyu-dispute-territorial-radar-surveillance-intrusion/81937524/

http://www.ibtimes.com/east-china-sea-controversy-2016-update-japan-steps-surveillance-amid-chinese-north-2339020

http://udn.com/news/story/4/1572017

http://www.appledaily.com.tw/realtimenews/article/new/20160318/819131/

Christopher_Cavas
  ▲Christopher P. Cavas, Defense News


四月十五日附記。
濱田和幸議員が國會で確認しました。流石です。
https://www.youtube.com/watch?v=0o1viQRBSMk


.


西部邁 矢吹晉
長い長い尖閣の歴史を無視して話が盛り上がる二人。實に醜惡な日本人像である。現代の枝葉末節がそんなに面白いか。
https://www.youtube.com/watch?v=UTsqahJHeNE




矢吹晉氏の著書『尖閣問題の核心』は、歴史を無視するのみならず、所説は全て核心から外れてゐる。第二百二十九頁では、尖閣に先住民がゐたかの如く述べる。尖閣の遙かに西方の臺灣海峽から早くも琉球人が水路案内をしてゐたことは、完全に無視されてゐる。いやそもそも尖閣史など勉強したことは無いだらう。研究者ではない。ただの煽動屋である。




米国の空母打撃群派遣を中国は間違いなく逆手に取る
“大義名分”を振りかざして南シナ海を軍事拠点化
2016.3.10(木) 北村 淳
http://jbpress.ismedia.jp/articles/-/46287?page=4

北村氏の評論は常に尖鋭的だが、今日のこの文章だけはあまり中身が無い。チャイナが逆手に取るのは常態であって、それに對して日米はどう對處すべきかといふ展望が述べられてゐない。唯一末尾に曰く、
「今、アメリカ(そして日本)にとって必要なのは、新機軸の対中封じ込め戦略である。」
と。これだけである。
 素人の私から見れば、南支那海の滑走路をアメリカが爆撃破壞する以外に勝ち目は無い。チャイナがみづから軍事施設を撤去する筈が無いからだ。

北村淳


大前研一氏。「プレジデント」最新號。

http://zasshi.news.yahoo.co.jp/article?a=20160309-00017448-president-bus_all

■大前の視点[3] 尖閣問題の裏に自民党政権の密約外交がある
「近代以前に遡れば、明の時代に中国船の航路の
目印に使われていたり、台湾の漁民が漁場にして
いたことを示すような証拠もある。」


間違ひです。琉球人が航路の目じるしとしてゐて、
チャイナ船にまで乘り組んで航路案内をしてゐました。
陳侃『使琉球録』、徐葆光『中山傳信録』、李鼎元『使琉球記』
などの史料に書かれてゐます。尖閣の西側から既に
琉球人が水路案内をする海域でした。
また臺灣人が漁場にした記録は大正年間以後です。
十九世紀末まで、そのやうな記録は一切存在しません。
詳細は『尖閣反駁マニュアル百題』
http://senkaku.blog.jp/archives/25662553.html
に出てゐます。

大前氏また曰く、
尖閣諸島を沖縄の属島と見ても、「琉球王朝を日本が無理矢理併合した」と中国では教えられているわけで、「日本固有の領土」という日本の歴史認識は相当に怪しい。

怪しいのは大前氏です。尖閣が沖繩の屬島となったのは明治二十八年です。それまでは文化的に沖繩圏内でしたが、無主地でした。固有の領土といふ形容にふさはしい。

大前

・。

 二月末に湘南で東京財團とチャイナ社會科學院と共催の非公開尖閣論壇があったので、その準備に追はれるなどこの處多忙を極めてをり、本ブログを更新してゐない。それでも毎日數十名にご覽頂いてゐるのは有り難い限りだ。最近幾つか出したブログ記事は、前に書いて預約してあったものだ。本日只今出張中でスマホも持ってゐないのだが、臺灣との交流に關はる方面から電話があり、必要からインターネットを閲覽することとなった。そこでついでにブログを更新する。

 さて、『八重山日報』にて只今連載中の「歐洲史料尖閣獺祭録」。
http://www.shimbun-online.com/latest/yaeyamanippo.html
政府周邊の人々からもご注目いただいてゐるが、忙しさのあまり、本ブログでは掲載日をご報告してゐなかった。基本的に火曜と木曜に掲載されるが、これまでの處で二度だけ例外が有った。
  第二囘  一月十六日(土)掲載、一月十九日(火)休載。
  第十一囘 二月二十一日(日)掲載、二月十八日(木)休載。
お知らせが遲れたことお詫び申し上げる。今迄の掲載日一覽は以下の通り。
第一囘 一月十四日(木曜)。 
第二囘 一月十六日(土曜)。 
第三囘 一月二十一日(木曜)。 
第四囘 一月二十六日(火曜)。 
第五囘 一月二十八日(木曜)。 
第六囘 二月二日(火曜)。  
第七囘 二月四日(木曜)。 

第八囘 二月九日(火曜)。 
ラペルーズ以後の新認識 尖閣は琉球に屬す ロンドンでも流布開始
~~西暦千八百八年 クラットウェル『世界各地名新辭典』(英)

第九囘 二月十一日(木曜)。 
第十囘 二月十六日(火曜)。  
第十一囘 二月二十一日(日曜)。 
第十二囘 二月二十三日(火曜)。  
第十三囘 二月二十五日(木曜)。  
第十四囘 三月一日(火曜)。  
第十五囘 三月三日(木曜)。  
以上が今日までだ。ひき續き掲載見込は、
第十六囘 三月八日(火曜)。  
第十七囘 三月十日(木曜)。 
とならう。以上いづれも新聞オンラインでご購覽頂くことができる。
 第十八囘から數囘にわたり、上記非公開尖閣論壇で出されたチャイナ側の嘘に反駁する内容を載せるつもりである。ほぼ書き上げたが最終定稿してゐないので、今週末に一氣に完成させるつもりだ。
 もちろんその後もこの連載は續く。當初は三十囘ほどの見込みだったが、幾つか插入章があるので、最終的に四十囘とならう。五月末までかかることになるが、ほぼ書き上げてある。ついでながら、以下は第一囘から第三囘までのリンク。

歐洲史料尖閣獺祭録」連載第三囘「ラペルーズ説、尖閣まで琉球、シュティーラー境界線の起源、西暦千八百四年 シュティーラー支那圖、ドイツ」、『八重山日報』平成二十八年一月二十一日第四面。
http://www.shimbun-online.com/latest/yaeyamanippo.html
http://senkaku.blog.jp/2016012053050352.html

「歐洲史料尖閣獺祭録」連載第二囘「島名Tiao-yu-su(釣魚嶼)、幕府統治の貫徹を示す」、『八重山日報』平成二十八年一月十六日第三面。
http://www.shimbun-online.com/latest/yaeyamanippo.html
http://senkaku.blog.jp/20160121.html

「歐洲史料尖閣獺祭録」連載第一囘「最も早い釣魚嶼地圖、琉球と同じ色、西暦千七百五十二年、ダンビル、アジア圖第二部分、フランス」、『八重山日報』平成二十八年一月十四日第六面。
http://www.shimbun-online.com/latest/yaeyamanippo.html
http://senkaku.blog.jp/2016011552668451.html


湘南國際村
  ▲湘南國際村  


 「雪辱」は和製漢語であって、もともと漢文には無かった、正しくは「雪恥」だと、興膳宏氏が以前日本經濟新聞コラム「漢字コトバ散策」で書いてゐた(平成十八年七月九日)。確かに近代以後のチャイナでは「雪恥」と言ふのみで、「雪辱」と言はない。しかし「雪辱」は漢文の文理として感覺的に通じる。漢文を書く者としては、無かった筈はあるまいと思った。興膳氏は今のチャイナ語に惑はされてゐるだけだらうと。

 古書をインターネットで檢索すると、成る程たしかに「雪辱」は少ないが、無いわけではない。代表的なのは、五胡十六國時代の後燕開祖成武皇帝慕容垂の傳を載せる晉書の慕容垂載記に、「雪辱」の語が見える。載記とは亂世の世家の名である。
https://zh.wikisource.org/zh-hant/%E6%99%89%E6%9B%B8/%E5%8D%B7123
曰く、「秦強而併燕、秦弱而圖之、此爲報仇雪辱、豈所謂負宿心也。」
(秦強くして燕を併す、秦弱くしてこれを圖る、此れ報仇雪辱となす、豈に所謂「宿心にそむく」ならんや)と。
 文意は、前秦の苻堅が強い時に前燕を併呑したのだから、前秦が弱くなった時に苻堅を倒すのは、仇討ちであり雪辱であって、宿心(宿志)にそむくものではない。
 前後の情勢。慕容垂は前燕の皇族であったが、桓温の北伐を撃破した功の高さにより國内で排斥されたため、前秦の苻堅に投じて重用され、その結果苻堅は前燕を滅ぼすに至った。後に淝水の戰で苻堅が敗走すると、慕容垂はこれを收容した。弟の慕容德は「今こそ前燕の雪辱の時だ」として苻堅を殺害するやう進言したが、慕容垂は苻堅の恩義に感じて殺さなかった。後に苻堅が死んでから、慕容垂は後燕を建國した。
前秦前燕

 この慕容德の進言の中の重要な一語が「雪辱」である。慕容垂は『十八史略』にも登場する名將だから、歴史マニアなら知ってゐることだらう。慕容氏に色々な人物があって、私は記憶力が無いので前燕の祖慕容廆くらゐしかおぼえてゐない。五胡十六國の地域と順次も數へ舉げられない程度である。
 晉書の慕容垂載記はインターネットに現代語譯も有る。リンク:
http://www.geocities.jp/takemanma/person2/murongchui_01.html

 他にも幾つか「雪辱」の語は有るやうだ。道光年間の無名氏小説「緑牡丹」第三十七囘。明國の呉炳の戲曲ではない。
http://open-lit.com/showlit.php?gbid=70&cid=37&bid=2012
http://www.angelibrary.com/oldies/lmd/037.htm
詩の韻脚の關係で雪辱を用ゐる。

ご興味ある向きは他にもお搜し頂きたい。「雪此辱」「雪前辱」「雪其辱」「雪家辱」「雪奇辱」などの形ならばありさうだ。和製漢語ではない。附言すればチャイナ語の感覺としては「洗雪大辱」のやうに四字にすると使ひ易いだらう。


雪辱興膳
  ▲興膳宏氏、日本經濟新聞コラム「漢字コトバ散策」、平成十八年七月九日。


門田

http://blogos.com/article/98329/
尖閣の“致命的譲歩”と日中首脳会談
      門田隆將   2014年11月08日 23:33
中国の“力の戦略”に、ついに日本は屈した。APEC(アジア太平洋経済協力会議)を前にして日中両政府が11月7日に発表した文書について、私は、「ああ、日本はやってはいけないことをしてしまった」と思った。

第一報を聞いた時、正直、耳を疑った。それが、尖閣諸島(中国名・釣魚島)問題に関して「(日中双方が)異なる見解を有している」ことで「一致した」というものだったからだ。

中国問題に多少でも関心がある人間なら、「まさか」と誰しもが思ったに違いない。日本政府は、これまで一貫して尖閣について、「日本固有の領土であり、領土問題は存在しない」という立場をとっていたからだ。

今回、日中両国が4項目で合意した文面の中で問題の部分(第3項目)を読んでみると、「双方は、尖閣諸島など東シナ海の海域で近年緊張状態が生じていることに異なる見解を有していると認識し、対話と協議を通じて、情勢の悪化を防ぐとともに、危機管理メカニズムを構築し、不測の事態の発生を回避することで、意見の一致を見た」というものである。

日本側から見れば、至極当然の文言で、なんら目くじらを立てるものではないように思える。だが、私には、冒頭のように「ああ、してやられた」としか思えなかった。たしかにこの文章では、尖閣諸島など東シナ海の海域において「“領土問題”が存在する」とは言っていない。

しかし、あの中国共産党相手に、これはいかにもまずい。今後、中国は、この文言をタテに「尖閣(釣魚島)の領有を中国は一貫して主張してきた」という基本姿勢を強く打ち出すだろう。

中国の論理では、日本が「異なる見解」を有していることを「認識」したというのは、すなわち「領有権を中国が主張していること」を日本側が認めたことになる。今後、日本側からいくら「領土問題は存在しない」と言っても、中国側から言えば、「おまえは“異なる意見”があることを認識していたではないか」となるからだ。

さらに問題なのは、後段の「対話と協議を通じて、危機管理メカニズムを構築し、不測の事態を回避する」という見解である。これは、尖閣に対して延々とおこなってきた中国による“示威行動”がついに功を奏したことを意味している。なぜなら、「不測の事態を回避する」というところまで「日本を“譲歩”させた」ことになるからだ。

中国にとって、これで尖閣問題は、フィリピンやベトナムが頭を悩ませる西沙(パラセル)諸島や南沙(スプラトリー)諸島と、同じレベルの問題まで「引き上げること」に成功したと言える。

言うまでもなく中国にとっては、「自国が領有権を主張している」海域に公船を派遣しようが、民間の漁船が出向いていこうが、「日本とは“見解が異なる”のだから当然」ということになる。

なんでも都合よく解釈して、あとは“力攻め”で来る中国共産党にとっては、願ってもない「成果を得た」ことになる。本日、外国記者たちとの会見に出てきた王毅外相の抑えようのない「笑み」がすべて物語っている。

私が疑問に思ったのは、日本は、「前提条件なしの首脳会談」を求めていたはずなのに、なぜこんな譲歩をしてしまったのか、ということだ。そして、日本はこれで「何を得たのか」ということである。

中国の首脳とそこまでして「会談しなければならない」理由はいったい何なのか。APECのホスト国である中国で、なぜ、日本は首脳会談を実現しなければならなかったのだろうか。

日本は、「会話の扉はいつでも開かれている」という立場をただ堅持していればよかったはずだ。「前提条件なしの首脳会談」がだめというのなら、つまり、向こうが会いたくなければ、「会わなければいい」し、これまで当ブログで何度も書いてきたように、冷静さを堅持し、毅然として中国と「距離を置くべきだった」のである。

独善と傲慢な国家運営によって周辺諸国と摩擦を繰り返している習近平政権に、なぜ日本は擦り寄らなければならなかったのだろうか。レームダック状態に陥ったオバマ政権がいくら日中の首脳会談と摩擦の緩和を望んでいようと、日本がそれに乗る必要はなかったはずである。中国との「真の友好」を目指すなら、今はむしろ「距離を置くこと」の方が大切だからだ。

報道によれば、8日付の環球時報(中国共産党機関紙の「人民日報」系)は、さっそく4項目の合意文書について、「安倍首相の靖国参拝を束縛」することができ、さらに(釣魚島の)主権に関して、これまで“争いは存在しない”と公言していた日本が、「危機管理メカニズム構築に関して中国と協議したいと望んでおり、これは釣魚島海域で“新たな現実”が形成されたと宣告したのと同じだ」と、勝利宣言ともとれる記事を掲載した。

私は、この報道の通りだと思う。中国にとって、それは「歴史的な勝利」を意味しており、その“新たな現実”なるものによって、尖閣周辺の“力による示威行動”は今後、増えることはあっても、減ることはないだろうと思う。

つまり、「何年後かの日本」は、尖閣をめぐってより危機的な状況に陥るだろうということだ。絶対に譲歩してはならない国に対して、なんの益もない「日中首脳会談実現」のために、日本は致命的な失策を犯してしまったのである。


以上、門田氏ブロゴス。
參考:
http://senkaku.blog.jp/2015122851324432.html


下面西元1955年的資料,我沒有看到過,不知道出處在哪裏。先備忘。

https://www.facebook.com/senkaku01/posts/1640552282857121
https://www.facebook.com/defense.okinawa/posts/495179800629160
<證據16 台灣當局的公文書>
戰後台灣(中華民國)也認為「釣魚島是琉球的一部分」
1945年根據波斯坦宣言台灣從日本領土納入中華民國。那麼戰後台灣是怎樣認為釣魚島的歸屬呢?
下面的照片是台灣當局1955年發行的公文書。裡面列舉了屬於琉球群島的島嶼,其中包括釣魚島。

六、琉球群島一覽
日本名  中國名  面積(平方公裡)
魚釣島  釣魚島  3.82
久場島  黃尾嶼  0.90
大正島  赤尾嶼  0.06
北小島  北小島  0.31
南小島  南小島  0.40
沖の北岩 沖の北岩 0.05
沖の南岩 沖の南岩 0.02
飛瀬   飛瀬   0.01


1955琉球群島一覽