新モンゴロイド(父系Y染色體O類)の議論。Oはゼロでなくオー。
 少し前までの議論では、「新モンゴロイドO類はみんな仲間だ、仲良くしよう」のやうな政治的プロパガンダに毒されてゐて、騙されてゐたのだが、現在は各地のY染色體の蒐集が大規模に進んでゐて、かなり明瞭に素人でもウソが分かるやうになって來た。
 まづ、チャイナ北方の主流はO2(舊O3)であり、現代日本人にも二割ほど這入ってゐる。平安初期の所謂「諸蕃」(百濟遺民など)であらう。
 日本の新モンゴロイドはO2よりもO1b2が主流であり、三割あまりを占める。O1b2は彌生人なのか繩文人なのか。數年前までは「新モンゴロイドO類だから全て大陸渡來の彌生人に決まってる」といふ粗雜な議論が多かった。
 ところがO類の中で日本のO1b2は黄河長江に全く存在せず、ほぼ日本固有であると言って良い。だから私はこれを西日本縄文人と呼んでゐる。
 では水田稻作を始めた長江文明の人々のY染色體遺傳子は何か、情報を集めてみると、それは呉の國の良渚(りゃうしょ)文明の人骨から近年採取され、O1a(舊O1)であることがすぐに分かった。
 「Y chromosomes of prehistoric people along the Yangtze River」    Hui Li, Ying Huang, Laura F. Mustavich, Fan Zhang, Jing-Ze Tan, Ling-E Wang, Ji Qian, Meng-He Gao & Li Jin 『Human Genetics』 volume 122, pages 383–388 (2007) 
 これは既にかなり普遍的知識となってゐるやうで、私の不勉強であった。現代の呉越(蘇州と杭州)地域でも、O1aとO1b1が主流である。

勿論北方から來たO2チャイナ人は今の呉越でも大勢力だがそれは別問題だ。古代の長江文明はまだチャイナ殖民地にされてゐなかったから、そもそもチャイナと無縁の話である。
 肝要なのは、呉越のO1a及びO1b1は、日本のO1b2と近縁だが交はらない。日本にはO1aとO1b1がほとんど無く、呉越にはO1b2がほとんど無い。兩者は歴史上で大規模な直接的雜居を經たことが一度も無いのである。
  古代呉:O1a。
  今の呉越:O1a二割とO1b1一割未滿。ほかは雜。
  日本:O1b2。
このやうに綺麗に分かれてゐる。O1a、O1b1、O1b2といふ三者の間に遺傳的上流下流(祖先と子孫)といふ相關は無く、かなり古い年代に分岐した後、それぞれ自分の國で別個に生存して來たのである。つまりO1a良渚人及び近縁の南人O1b1が水田稻作を攜へて大規模に日本に移民したことは無かった。徐福天皇説も完全に敗れた。
 O1b1は長江以南の西部から印度ベンガルまで大規模に分布する。江西、湖南、廣東、廣西、貴州、雲南等だ。日本のO1b2と最も近縁である。日本に水田稻作をもたらしたのは呉越O1aではなく、稻の原郷たる湖南雲南方面のO1b1近縁人種である。しかも、日本にO1b1は直接渡來してゐないので、日本にO1b1はほとんどゐない。
 O1bは長江以南のどこかで産まれた。その子孫O1b1は主として西南部に廣がり、並列的子孫O1b2だけが直接日本に來た。O1b2はO1b1の子孫ではなく、O1bの子孫である。O1b1とO1b2とは雜居しなかった。今日越南とインドネシアと雲南に10%未滿のO1b2があるので、越南がO1b2の原郷かも知れない。かりに中世琉球貿易と朱印船貿易で日本から越南にO1b2が持ち込まれたならば、同時にD1bも持ち込まれねば解が通じない。正解は太古の越南かどこかのO1b2の一村全戸が舟に乘って直接日本に渡來し、西日本全域に廣まった。それ以外に解釋しやうが無い。
 O1b2の船が漂着して西日本全域に散らばった。その過程はかなり長い時間を經た筈であり、とても彌生時代からわづか三千年で成し遂げ得ることではない。繩文中期以前に日本に陸稻をもたらしたのがO1b2だったのではないか。稻を持つ強みゆゑにO1b2は繁殖した。稻が日本にとって外來植物であったことは否定しやうが無い。原産地は雲南か湖南あたりである。古代の雲南湖南はチャイナではない。
 それから時は久しく降って、三千年前(紀元前千年)に水田稻作の土木技術と文化は如何にして長江文明から日本に傳へられたのか。三つの可能性が考へられる。
  甲、少人數の日本男子が呉越に渡航した際に學んで歸ったか、
  乙、少人數の呉越人が日本に持ち込み、水田技術だけ傳へて呉越に歸國したか、
  丙、日本男子が呉越に渡航して、妻を娶って日本に歸り、妻が水田稻作を日本で教へたか、
である。實は甲乙丙はどれも大差ない話であって、どれでも良いし、どれか一つに限る必要も無い。要するに移民ではなく水田技術だけが日本に傳來した。チャイナから傳來したのでなく、チャイナ外の長江文明から傳來した。
 O1a、O1b1、O1b2といふ三者が分岐したのはどの時代か。Y染色體データベースYfullなどによれば一萬年前とか何とか、とにかく繩文末期よりもずっと前の年代である。わづか三千年前の彌生時代に分岐した可能性は有り得ない。また、言語の上でも日本語は呉越と全く繋がらない。日本語は、新モンゴロイドO1b2に無縁の東日本繩文人D1bの繩文語であらう。
 結局、O1b2西日本人は繩文時代のかなり早期から日本に住んでゐる。決して渡來系彌生人ではないし、彌生人でもない。彌生文化の革新は有ったが、彌生人なる人種は出現しなかった。現代日本人は、東日本繩文人D1bが三割あまり、西日本繩文人O1b2が三割あまり、青谷繩文人C1a1が一割未滿、合計約八割が固有種である。まあ島國だから當り前のことで、數十年來左翼が勝手な推測を繰り廣げただけのことだ。
http://senkaku.blog.jp/2021032785452330.html

 O1b2は日本で濃厚だが、朝鮮半島にも分布してゐる。日本から朝鮮半島に進出した人々が現地に留めたO1b2であらう。Yfullなどから有志がまとめた圖でも、朝鮮半島南部から東岸を經てロシア沿海洲まで廣がってゐる。この分布は歴史に合致する。任那は日本の領土だし、新羅には素戔嗚が磯竹島(鬱陵島)を經て渡航したし、新羅王の祖先は日本人であるし、稻の遺傳子でも日本が上流、朝鮮半島が下流である。
 なほ朝鮮半島のO1b2(O1b2-a1a2a, L682)は、日本の少數派のO1b2(O1b2-a1a2, F2868)からの派生種で、日本が祖、朝鮮半島が子孫だとされる。遺傳子系譜學國際協會「isogg.org」のデータベースに出てゐる。
 但しISOGGの表では系統繼承は分かるが、F2868が日本の種だとは分からない。日本種だとの説がインターネットで廣まってゐるが、確かな論文やデータベースが見つからない。 
 多分O1b2-a1a2a=F2868は日本人で間違ひないのだらうが、確かな情報が欲しい。ただ確かなのは、日本ではO1b2a1a1 (CTS713)が多數派で、O1b2a1a2a (L682)が少數派である。朝鮮半島でははO1b2a1a2a (L682)が多數派で、O1b2a1a1 (CTS713)が少數派である。兩者の系統は同一ではない。

 もともとチャイナ北部ではN系(シベリア東歐人種)が主流であり、今のチャイナ主流のO2(舊O3)は、新石器時代では中原の龍山文化と重慶の大溪文化(苗人か)が中心であったが、青銅時代(殷)になるとチャイナ東北や江西省呉城文化にまで廣がったらしい。

なほ、平安初期に「諸蕃」と呼ばれた渡來人は、
齋藤成也氏平成27年(西暦2015年)論文及び、ライヒ氏著書から見ればかなり晩期の渡來であり、古墳飛鳥奈良時代のO2即ち主に百濟遺民だったとすれば辻褄が合ふ。
https://10mtv.jp/pc/content/detail.php?movie_id=2576
「縄文人と弥生人の混血は古墳時代から始まった
 核DNAからさぐる日本のルーツ(7)縄文人と弥生人の混血」
斎藤成也 国立遺伝学研究所集団遺伝研究室 教授  
 齋藤氏は古墳時代から混血だと言ってゐるので、既に彌生時代ではなく、彌生人ではない。用語を修正した方が良い。




以下リンク。


O1b2について議論色々。かなり面白い。  
https://search.ameba.jp/search/entry/o1b2.html


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O1b2a1人の誕生 2019-12-31 20:16:34
 日本人の形成において面白い存在である。一般に弥生系と主張する人が多いが、縄文土器の発明とほぼ同時期に渡来したと考えていい理由がある。この頃は氷河期の最も寒いときである。O1b2aは南シナ海付近で誕生し、どこにも寄り道せず真っすぐ日本列島に来た。従って発生から日本列島到来までが極めて速いのである。これは、C・Dの渡来と全く同じで、彼等はほとんど大陸に入ることなく大陸棚を一直線にやってきた。だから彼等の遺跡はほとんどない。日本に到着して一気に新石器文化を溢れるほど残した。
 O1b2aで到来しまもなくO1b2a1に変異した。ここから純然たる日本列島人である。日本に約35%、朝鮮に約23%居ると言われている。グラフに、O1b2a1a1日本24%、O1b2a1a2a韓国19%とある。別資料には、O1b2a1a1韓国4%とある。O1b2a1a1は鎌足の遺伝子と言われている。このタイプが南朝鮮に4%もいる。日本人は朝鮮人の子孫という人たちの根拠になっているのも故無しである。しかしツリーを見る限り絶対あり得ない。日本が誕生の地である。しかし鎌足個人なら朝鮮人としてもおかしくない。朝鮮にもはっきり実在しているタイプである。環日本海文化圏があった。縄文人は活発に大陸に拡散している。O1b2a1a2-3は日本ではずば抜けて北海道に多い。これが蝦夷人だったのであろう。アイヌとは全くの別人である。アイヌの調査にO1b2a1a2-3人が居るという話は聞かない。太古からアイヌでは無い蝦夷人が居たのである。彼等は大陸に移民し樺太から満州あたりに住んだ。彼等が扶余の建国に参加していた可能性も高い。その変異系が朝鮮に大量に居る。O1b2a1a2a-1aである。これがかなり西日本に渡来している。弥生から7c迄の移民と考えられる。朝鮮式山城を造ったのは彼等であろう。最後にO1b2a1b瓢公倭人の来歴を考えたい。新羅の建国期の人物で倭人とされている。新羅はキンキラキンの文化が特徴。これはO1b2a1人の大冒険により獲得した文化と思われる。7-8000年前(この頃は既にO1b2a1a1の時代)西に向かった人たちが、モンゴル・キルギスを経てカザフに至りアーリア人に出会い、アフガニスタンを通ってインダスに入りギリシャ・ローマ文化に接し、パキスタン・インドを経て南海から帰国した。壮大な文化の融合が、キンキラキンの文化と仏教を纏って帰国した。これを浦島太郎と先に書いた。数百年ではなく、数千年の旅だった。ちょっと時代を古く見るとトンデモシュメール説ともリンクする。そのくらい古い話である。中臣氏本流の話はまた次にしたい。
 2021.01.13   皆様よく見てくれているようなので最新の考え方に訂正しておきたい
 O1b2aはインドシナ半島を通ったと考えている。つまり一度も大陸に入らなかったという考え方は捨てている。しかし支那人の子孫ではないという意味で一度も大陸に入っていないというのは今も変わらない考え方である。O1b2aはインドネシアにかなりの集中がある。これを説明するためには日本列島とスンダランドの中間あたりから分かれたと考えるのが一つのパターンである。とすると一時期インドシナあたりが居住地だったと考えたい。

謎が謎を呼ぶO1b2について再び
2021-05-08 07:25:34
 WikiはO1b2の分岐年代について、最も近縁種のO-M95との分岐年代として、28300年前としている。これが意味不明。O1b2の最も近縁種はO1b1じゃないのか。何故、O1b1a1aが最も近縁種になるのか。推定するとしたら、O1b1a1aが現れた後に、P49が現れたと考える何らかの証拠があるということであろう。しかしこの書き方は分かり辛い。
 K10の最も近い共通祖先は7200年前現れた。これって何言っているのか分からない。K10の最も近い共通祖先とはO1b2a1のことだとしたら、O1b2a1の発生年代は7200年前と書いてくれると分かり易い。そういう意味ではないのか。
 O1b2-P49,M176  28300年前
   O1b2a-F1492  25900年前
   O1b2a1-CTS9259  7200?
        O1b2a1a-K10  7200?
          O1b2a1a1-CTS713(旧47z)これが中臣氏のDNAとされている。このタイプの正しい年代を知りたいのに、その直前がなんとも分かりにくい。以下のツリーは何度も引用しているので省略する。一部のみピックアップすると、
      O1b2a1a2-K4 日本列島 K4がなんかカンコクをイメージさせて気味悪い。
               O1b2a1a2a 朝鮮半島に多く、日本・満州・ナナイにもある。
        O1b2a1a2a1 朝鮮半島
         O1b2a1a2a1a 日本・ナナイ。この意味を考えてほしい。朝鮮半島から逆流しているのである。誰が見てもO1b2a1a2の子孫の帰郷である。
 O1b2a1a1の発生が7000年前以降としたら、日本への渡来はそれ以前ではない。しかし、O1b2a2が9-7000年前頃シベリアで生まれたとしたら、O1b2系としては日本列島より古いことになる。朝鮮人の多くは日本人の子孫であるO1b2a1a2系である。しかしそれより古いO1b2a2が朝鮮の本家のような立場にいる。ここがなんか理解しがたいパラドックスがある。この問題を合理的に解決したいのなら、前回書いた二度の出インドシナがあったと考えるしかない。つまり一回目の出インドシナの生き残りがシベリア人である今の朝鮮・満州人である。ほぼ同時期に日本・朝鮮半島に入った人達は絶滅した(日本列島では絶滅したのはO1b2のみ)ので系統としての痕跡はなく、ツリーはキレイに塗りなおされてしまった。これが二度目の出インドシナであり、今も雲南・ベトナム・インドネシアなどに大量にいる。しかし彼らの遺伝子の変異は確認できない。O1b2a1a1の変異はすべて中臣氏の変異として解釈される。
 崎谷は2800年前江南から山東・朝鮮・日本へと水稲栽培が伝えられたとしている。しかし水稲栽培の起源は、長江河口から日本へ直行と答えが出ている。従って2800年も根拠がない。ロシア極東新石器時代6000-2000年)がO1b2に属する弥生人とする研究がある。何とも苦しいこじつけにしか見えない。O1b2に属するのは良しとするとしても、何で彼らが水稲栽培技術を持っていたと思ったのか。ありえない。寒冷地仕様の彼らが稲の栽培?


http://www.360doc.com/content/19/0724/11/11278121_850709491.shtml
国人父系祖源组成世系图 
 一个单倍群对应至少一个突变,例如O对应M175等数十个突变。但为了更加易于理解,在突变上会选用一个突变对应到单倍群上。O对应的就是突变M175(就像一个人有两个名字)。
 占据了当代中国男性77%人口的O-M175,在他诞生数千年后,分化成了两个支系,分别是O1-M265、O2-M122。
 总体上,O1分布偏于中国南方地区,O2早期偏北,后在3000年内大量南迁,现已广泛分布于全国各地。比例上O1占据了当代中国男性的21%,O2占据了当代中国男性的56%。
 O2支系在进入距今一万年历史时间内,诞生了三个大的支系,他们分别占到了当代中国男性人口的10%以上。但他们的生存年代,也无法和传说中的炎黄蚩尤对应起来。更别说他们出现在历史上的同一时期。
 O1则早在2.8万年前就分成了两个主要支系。O1a被推测和历史上的百越关系密切,O1b则和百越一部分和南方内陆族群有关。
 值得一提的是,水稻就是由O1b的子孙O1b1a1—PK4族群,在1.2—1万年前驯化培植的。PK4的一个后代M95则是把水稻传播到东南亚地区的族群。
チャイナY染色體O1a_O1b系統圖



古代黄河長江遺跡のO系列の綜合分布。 
http://web.archive.org/web/20210627080453/https://kknews.cc/history/6a34lvp.html


 良渚 O1a (舊O1)。

O1_O1aチャイナ分布圖



 良渚 O1a 
https://archive.ph/WGHvh
http://web.archive.org/web/20210627070851/https://www.zhihu.com/question/283435345


 O1a-M119は呉越から臺灣フィリピンに分布。  
http://web.archive.org/web/20210627070452/https://zhuanlan.zhihu.com/p/133394573


O1a-M119分布圖


https://blog.goo.ne.jp/54taka2goo2/e/3de46a85a6011cbd5ddea49aff98a5b0


https://www.amazon.co.jp/gp/customer-reviews/R2K2SCLZRU45G8
新羅は日本由来のハプロタイプ王朝では?
2018年12月18日に日本でレビュー済み
 この書物はいい本なんですけど、新羅に関わる王族たちが倭人だったことを過小評価しているような気もします。 
 新羅王家は朴氏昔氏金氏の三氏族により継承されてきたのですが、このうち昔氏と金氏は倭人です。脱解尼師今は間違いなく倭人ですし、金閼智はほぼ間違いなくその隠し子だからです。朴氏でさえも、瓠公と同一人物だとすれば倭人の可能性があります。
 ここでいきなりハプロタイプ、つまり科学の話に転じますが、現在のところ、科学的な調査においてハプロタイプO1b2a1a2 (F2868)は日本から発生した可能性がかなり高いです。ただしサンプル数が増えることで変わる可能性もわずかながら残されています。このハプロタイプO1b2a1a2は日本人よりも韓国人に多く、個人的にはその部分が???でした。なのでサンプル数の問題かなと考えました。もっともかなりのサンプル数がすでに集まっているはずで、さらに韓国人の方がO1b2a1a2系統は数倍いるはずなのですがね。
 新羅の昔氏が日本人O1b2a1a2 (F2868)からの突然変異で発生した日本人O1b2a1a2a (L682)だとすれば、論理的な説明はつけられます。韓国の史書である<三国遺事><三国史記>からすると、脱解尼師今は間違いなく日本人でしょうし、金閼智は高確率で脱解尼師今の隠し子だからです。脱解尼師今が同じ日本人である瓠公に命じて連れてこさせた箱から生まれてきた金閼智を、脱解尼師今は実子にしたというのは、隠し子を養子にする方便にしか思えませんから。
 つまるところ、新羅王家は日本人O1b2a1a2a (L682)だったわけです。そう考えると、朝鮮半島において日本人O1b2a1a2 (F2868)の下位であるハプロタイプの遺伝子を受け継ぐ人たちが大勢いることは、非常によく分かる話になるんですね。ハプロタイプは父親からしか受け継がれませんので、王家のハプロタイプは爆発的に増えます。遺伝子調査による結果というのはやはり重要視されるべきです。
 またO1b2a1(O-47z)が日本発生とほぼ確定していることから、O1b2aが日本にやってきたのは考えられているよりもずっと古い時代ではないかと思います。O1b2aが六千年前から一万年前にやってきていたからこそ、O1b2a1(O-47z)が日本で発生できるわけですね。そう考えると、O1b2a1a2 (F2868)が同じく、日本列島で発生した可能性も十分に出てくることになります。
 ちなみにややこしいのは天皇家はD1bだということです。こちらはこちらで、歴代の天皇の子孫を調べることによって判明している事実です。そう考えると、日本からの影響も無視できないのですよね。もちろん中国に比べれば劣りますが。新羅は日本由来ですけど、高麗と李氏朝鮮は中国人ハプロの王朝ですからね。


下は天皇D1b説だが、何にもとづくのか不明。多分クリス・テイラースミス (Chris Tyler-Smith)だらう。眞贋不明。
https://www.amazon.co.jp/gp/customer-reviews/R19TFJ4XM3NV6E
 天皇家は縄文系!
2018年12月18日に日本でレビュー済み
2016年にショッキングなニュースが報じられました。「福島県北部の貝塚から出土した縄文人の奥歯から取り出したDNAを解析したところ、現代の日本人に伝えられた縄文人のゲノムの割合は、15%程度であることが国立遺伝学研究所と総合研究大学院大学のグループの研究で明らかになった」との内容であり、縄文文化好きの皆さんならばご承知の方も多いと存じます。
 ですが、皮肉なことにこれにより、日本でD1bのハプロタイプが4割近く占めることの奇妙さが浮かび上がったと思います。D1bというのはC2とともに縄文人と見なされるハプロタイプのことです。なぜ縄文人のゲノムは15%しか残っていないのに、ハプロタイプは4割近く残っているのでしょうか?
 この謎を解くのが神武天皇がD1bのハプロタイプの持ち主だからです。ちなみに歴代の天皇の子孫を調べてみると、天皇家D1bというのはほぼ確定と見なしていいと思います。支配者のハプロタイプだったからこそD1bは日本にこれだけ広がっているのでしょう。
 縄文文化が日本人の心になつかしさを生む理由。それは天皇家≒神道の元がやはり縄文文化にあり、日本の文化の根幹をなしているからだと思います。縄文土器や土偶は見ていると、本当にいやされますからね~

記録。