夫馬進「一六〇九年、日本の琉球併合以降における…」朝鮮史研究会論文集 (46), 5-38, 2008-10

https://ci.nii.ac.jp/naid/40016377076

ほぼ曰く、「一六〇九年に日本が琉球を併合して以後は、東アジアに冊封体制は存在しなかった。国際構造を理解するために、冊封体制概念を用いることが有効でないばかりか、誤った認識を導く。」

重録:「朝鮮燕行使と朝鮮通信使」第三章。  夫馬進 名古屋大學出版會2015

https://www.unp.or.jp/ISBN/ISBN978-4-8158-0800-6.html


上記論文、標題はとても良いが、中身はさほど大したことが無い。册封といふ語だけを問題にして、正式な册封は朝鮮琉球越南だけだった強調してゐる。しかし册封を受けずに朝貢した國は多數。だから現代チャイナでは朝貢體系と呼んでゐる。夫馬氏のは重箱の隅に過ぎない。それよりも大切なのは、海側は「體制」「秩序」ではなく、利害にもとづく「形式」「儀禮」に過ぎなかったことだ。陸側の藩部こそ「體制」「秩序」の名に副ふこと、拙著多種で既に述べた。

 琉球「併合」であったといふ點はとても良い。まあ史料を讀んでゐれば普通に併合だから、目新しくもない。しかし明治は琉球併合でなかったといふ意義に於いてとても良い。

薩摩の琉球侵攻と東アジア(下)  西里喜行
(沖縄タイムス09.01.29) 上篇は一月二十二日。
京都大学の夫馬進教授は薩摩島津氏の琉球出兵を「日本の琉球併合」と規定し、多くの瞠目すべき論点を提示されている。(「1609年、日本の琉球併合以降における中国・朝鮮の対流球外交」『朝鮮史研究会論文集』第46集)。確かに、琉球出兵が強行された後の明国内部には、「倭乱」によって琉球は日本に併合されたという認識が広がったものの、確定的な認識となったわけではなく、むしろ琉球は「中国の冊封を受けていると言っても、また倭にも臣服している」(謝肇淛『五雑組』巻四)というのが一般的な認識であった。つまり、琉球国は日本国に「併合」されて消滅してしまったという認識ではなく、中国にも日本にも「朝貢」しているという、より実像に近い認識であったと言うべきであろう。
http://www7b.biglobe.ne.jp/~whoyou/history01.html


 西里氏の舉げた五雜組は同じ卷四で1612年己酉について言及。そして五雜組卷三と卷十四に萬暦癸丑1613年の言及が最後。
 福建浙江當局は1612年に琉球が疑はしいとして朝貢停止を建議。朝廷は十年一貢を定める。次の朝貢は1623年となった。五雜組は琉球併合直後で、福建側は確かな情報を得ない段階で「倭に臣服」の記述。なので、「相錯」と「倭に臣服」と併存する記述となってゐる。十年一貢を定める前らしき記述。相錯はほぼ西暦1606年の夏子陽報告の印象から出た語だ。
 西里氏の言ふ未確定とは、未確定段階を言ふに過ぎない。西里氏の評はほぼフェイクに近い。そもそもチャイナでは中々琉球情報を得られなかったのである。何故なら統治してゐなかったからである。統治した薩摩と、統治したことの無いチャイナ。百對ゼロだ。

《五雜組》長樂謝肇淛撰。1616年刊。
琉球國小而貧弱、不能自立、雖受中國冊封而亦臣服於倭、倭使至者不絕、與中國使相錯也。蓋倭與接壤、攻之甚易、中國豈能越大海而援之哉。

朝鮮燕行使と朝鮮通信使夫馬