築城指南には「城はまるく築く」と書かれてゐる。城を「曲輪」「丸」と呼ぶのもその名殘りであると、江戸時代初期の甲州軍學に言ふ。築城史上では江戸時代初期は既に晩いらしいが。

 『甲陽軍鑑』卷十五、品第四十二に曰く、
「城取の事、一、ちいさく、まろく。」と。
(甲斐志料集成第九册、第四百十四頁)。

諸本あるが、元禄刊本などにいづれもこの記述がある。
『甲陽軍鑑全集』國立公文書館藏170-235。第18册
(卷19「軍法」第25條、第19葉。)
目録によれば寛文刊本。但し原本で寛文を確認できず。
https://www.digital.archives.go.jp/das/meta/M2018041817184022583.html
https://www.digital.archives.go.jp/das/meta/F1000000000000033424.html

甲陽軍鑑全集公文書館170-235第18册卷19軍法第第19葉ちいさくまろく

『甲陽軍鑑全集』は元禄12年刊本あり、未閲。筑波など藏。
https://ci.nii.ac.jp/ncid/BA56943024


正保二年(1645)北條氏長『兵法雄鑑』卷四「城築二」に曰く、
「城を可取樣ハ、ちいさく丸くとるべし」。
(盛岡市中央公民館藏915-2、寫本)
兵法雄鑑四城築盛岡市公民館藏
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樣。

 『兵法雄鑑』諸寫本電子圖像あり、年代不明。北條氏長は德川初期。
http://dbrec.nijl.ac.jp/KTG_B_100211122
https://ci.nii.ac.jp/ncid/BA86669136


北條氏長『師鑑抄』中卷、地理の卷、第二に曰く、
「城繩ばり、心持のこと。城を可取ようは小さく丸くとるべし。」
(石岡久夫 編 『日本兵法全集. 第3 (北條流兵法)』)
兵法雄鑑の異本。


木下義俊『武用辨略』卷二「城郭の辨」第四葉に曰く、
「丸。城は小圓を善とすること、城取の習とぞ。此故に丸とは呼ぶ也。」と。
貞享元年刊本。
https://ci.nii.ac.jp/ncid/BA54741357
武用辨略卷二_丸_早稻田貞享元年刊



參考:
「近世大名は城下を迷路化なんてしなかった(11) 第4章 4.1~4.2 文献調査-江戸時代前期」2019/07/20 22:26。極めて有用。
 mitimasuマンガ家。主著に『浅倉家騒動記』 『日本全国波瀾万城』