ツイッターより。沖繩タイムス阿部記者に中山義隆石垣市長が反駁。
  
   阿部岳 / ABE Takashi  @ABETakashiOki · 6月29日
尖閣周辺の海は、沖縄と台湾の漁民が共同で利用する生活の場だった。地理的にも歴史的にも、今の日中両政府ではなく沖縄と台湾に当事者としての発言権がある。台湾は争いの棚上げと共同開発を呼び掛けている。沖縄にも暮らしに根ざした平和的解決の知恵があるはずだ。
https://okinawatimes.co.jp/articles/-/592382

中山よしたか(石垣市長) @yoshitaka_ISG· 6月30日 
阿部さんのこの手の記事や発言は、いつも私達への取材や裏取り無しで書くからタチが悪い。
>「国防は国の専権事項」ではなかったのか
石垣市の字名変更が国防事項ですか?
>石原元都知事が・・・
民主党政権が国有化したからです。
>沖縄と台湾の漁民が共同で利用する生活の場
いつの時代の話?

尖閣史 いしゐのぞむ @ishiwinozomu·7月8日  
中山義隆石垣市長殿、臺灣船(日本の動力船)が尖閣に初めて進出したのは大正初期、西暦1915年前後です(國吉まこも氏研究)。臺灣人(渡臺國民黨を含む)自身が尖閣に來たのは日本が臺灣を放棄して後です。阿部岳記者ら左翼陣營は數百年前のやうに裝って惡質なので、質疑の上で撤回させて頂きたい。
(承前)沖繩タイムス「もともと」と書いてゐるのは史實に反します。もともと即ち最初は、明治の古賀辰四郎らが尖閣進出。それ以前のイヨコン(魚釣・魚國)の名は西暦1795年琉球船が最初(國吉まこも氏研究)。最古の「釣魚嶼」は西暦1534年、明國船を琉球パイロットが案内した記録。臺灣人ゼロです
(承前2)沖繩タイムス「地理的にも歴史的にも、日中というより沖縄と台湾に当事者としての発言権」、誤り。沖繩以外の日本船は朱印船時代に尖閣とりしまを航海の十字路にしました。 
 とりしま(鳥嶼)は西暦1708年、名護聖人程順則『指南廣義』にも出現。臺灣人ゼロです。
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以下沖繩タイムス。 
 [大弦小弦] 尖閣 沖縄と台湾の海 2020年6月29日 07:30
 「国防は国の専権事項」ではなかったのか。決まり文句を盾に自衛隊基地建設を受け身のまま容認した石垣市が、尖閣諸島の字名を「登野城」から「登野城尖閣」に変えることを決め、国際的な緊張を招いている
▼中山義隆市長は「政治的意図はない」と言う。しかし、市民が尖閣と登野城を間違えて手続きした例は過去1件のみ。事務効率化が目的という説明は苦しい。強硬姿勢だけが一貫しているように映る
▼最近、中国公船が尖閣周辺で沖縄の漁船を追尾するなどしている。危険で、即座に中止すべきだ。ただ、中国に示威行動激化の理由を与えたのは1首長である石原慎太郎元都知事の「尖閣買い取り」表明だった。教訓を学ぶ必要がある
▼領土問題は妥協が難しく、エスカレートすると引っ込みがつかない。今回の字名変更には台湾の地方議会も反発し、対抗して地名変更を決議した
▼もともと尖閣周辺の海は沖縄と台湾の漁民が生活の場として共同で利用してきた。地理的にも歴史的にも、日中というより沖縄と台湾に当事者としての発言権がある
▼国防も、住民の命に関わる限り国の専権事項ではない。むしろ現場に、暮らしの知恵に基づく解決策がある。台湾は争いの棚上げと資源の共同開発を呼び掛けている。石垣市や県も、問題の平和的解決に向けて役割を果たせる。(阿部岳)

中山義隆石垣市長ツイッター

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