父系皇室のお勉強。民間(皇族外)からの入内は、ほとんど藤原氏の專權であったこと、
中學生で習ふが、皇族外からの皇后の初例は、いはのひめ(仁徳天皇后)ださうである。

 世界大百科事典 第2版「いはのひめ」に曰く、
https://kotobank.jp/word/-437007
「仁徳天皇の皇后。武内宿禰(たけうちのすくね)の孫にあたり,皇族外の身分から皇后となった初例とされる。」

と。ウィキペディア「皇后」 
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%9A%87%E5%90%8E
  曰く、「8世紀に、光明皇后が磐之媛の例を先例として皇后に冊立され」。

と。その武内宿禰は皇族外かと思ったら、皇室父系の子孫ださうだ。いはのひめは皇族五世くらゐか。ともあれ、いはのひめを先例として、藤三娘(光明皇后)から臣籍立后が通例となった。
 なほ神武天皇の皇后は大物主系であり、第二代綏靖、第三代安寧の皇后は、いづれも大物主を父系とする一族(三輪山・出雲大社の一族)から出た。大物主は皇室の前のやまとの主なので、皇室外の民間人ながら、國讓りによる融和の國體を示すのがこの三代の皇后であらう。繩文と彌生との融和に擬してよい。

磐之媛命陵
磐之媛命陵。奈良市内。


http://archive.vn/HmOlf

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關聯:
「初期天皇后妃の謎 欠史八代、失われた伝承の復元」
大山元  2003年02月   きこ書房
【内容情報】
神武天皇と崇神天皇の間、事績の伝わっていない八人の天皇の時代は「欠史八代」と呼ばれている。綏靖・安寧・懿徳・孝昭・孝安・孝霊・孝元・開化、これらの天皇の周辺を理解する鍵は「母・后妃」にある。アイヌ語と母系名称相承、この二つのツールを使って古代史の謎に迫る。
【目次】
イザナギ・イザナミから神武天皇までの時代/出典ごとに異なる初期天皇后妃、はたして、その原像は?/各論ーアイヌ語と母系名称相承をツールに『記紀』『風土記』を読む/出雲系譜ー古代の母系社会を探る/分子人類学のその後/『縄文語の発見』に寄せて/アイヌ語基礎語彙への提言

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