人手不足の海上保安庁「29歳まで受験可能」に…背景にある中国の横暴    
北朝鮮漁船の違法操業も急増している
半田 滋  令和二年三月二十九日。  

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尖閣諸島の領海から中国公船を追い出し、日本海では北朝鮮の違法操業漁船の取り締まりに汗を流し、洋上の麻薬取り引きに目を光らせる――。宮沢賢治の「雨ニモマケズ」を地で行くような海の治安機関「海上保安庁」。
その海上保安庁で働く海上保安官に、大学卒業者がほとんどいないことをご存じだろうか。
海上保安官として欠かせない専門科目や技能の習得に4年以上を要するためで、幹部を養成する海上保安大学校には、高校を卒業して入校するコースしかなかった。しかし、冒頭で挙げたような業務の急増に伴い、今年から大学卒業者にも門戸を開き、2年間で幹部を速成することになった。
採用予定は約30人。少子化が進む中、官民問わず各業界は優秀な若者の取り合い状態。海上保安庁では「何人の応募があるだろうか」と息を凝らして見つめている。

ブームは去ったが、業務は急増
海上保安庁は、かつて漫画やテレビドラマで話題になった『海猿』の舞台である。同作は海上保安官の中でも特殊な技能をもつ「潜水士」を描いた物語だったが、おかげで一時、海上保安官を目指す若者が海上保安庁に殺到した。
そのブームが去る一方で、近年業務は急増。これまでの採用のあり方では必要な人員の確保が難しくなり、採用制度を見直した。
海上保安庁の職員は約1万4000人。このうち地上勤務が約8000人、現場は船舶・航空機で約6000人いる。国土交通省から出向中のキャリア組官僚38人を除けば、大半は海上保安官で、地上勤務と現場は定期的に交代する。
海上保安官になるには、幹部コースの海上保安大学校(在籍約60人)へ進むか、一般課程の海上保安学校(同約600人)へ入学するかの二通りの方法がある。
このうち保安大学校は高卒者しか受験資格がなかった。大卒者を除外していたのは、専門科目や技能の習得に4年9カ月を要するためで、高卒者なら修了時に22歳だが、大卒者は26歳を越えてしまい、組織内で出遅れてしまうからだ。

定年退職予定者にも声を掛け…
今回始まる新たな採用制度は、海上保安大学校の受験資格者に大卒者を含め、受験年齢も30歳未満とした。基礎教育を省いた新たなカリキュラムをつくって、教育期間をこれまでの半分以下の2年間とし、卒業後ただちに初級幹部にあたる三等海上保安正に任官させる。
ちなみに、学生は海上保安大学校入校と同時に海上保安官である一等海上保安士となり、大卒者の場合、月給約18万円が支給される。三等海上保安正への昇任後は約27万円に増えるという。
もうひとつの教育機関である海上保安学校は、受験資格者の上限が23歳なので、こちらには以前から大卒者が入校する余地があった。海上保安官の中にわずかにいる大卒者は同校の卒業生だ。ただし一般課程なので、なかなか幹部にはなれない。
今年から海上保安学校の受験資格も30歳未満に引き上げられるため、海上保安大学校と合わせて、受験資格を持った若者の数は格段に増えることになる。

人材確保策はそればかりではない。海上保安庁を定年前に辞めた人の再雇用や、55歳前後で定年退官する自衛官の採用を強化する。自衛官は主に航空要員ですでに約10人を採用したが、今年だけで約20人を新規採用する。海上保安庁の定年退職予定者にも声を掛けた結果、約7割の700人が再任用を希望し、残ることになった。

「中国船対策」が追いつかない
これだけ人材確保を急ぐ最大の理由は、尖閣諸島における中国公船対策だ。
2012年9月、日本政府による尖閣諸島国有化に反発した中国政府は、同月から公船を尖閣諸島領海や接続水域へ送り込むようになった。
当時、1000トン級の中国公船が40隻だったのに対し、海上保安庁の1000トン級巡視船は51隻で日本側が数的優位に立っていたが、現在は中国が138隻、海上保安庁が67隻と逆転し、しかも大きく水を空けられた。
中国政府は複数あった海上法執行機関を海警局に一本化し、その後、海警局を中央軍事委員会の元に移管して強硬策を執るようになった。尖閣諸島の接続水域への侵入回数は2019年は282日あり、過去最多だった2014年の243日を上回っている。同水域への連続侵入日数も64日間と、やはり2014年の43日間を上回った。
数で劣る海上保安庁は石垣島に「中国海警局対処基地」を開設、「巡視船10隻12チーム」が専従となり、24時間の警戒態勢を敷いている。
宮古島では2016年8月、尖閣諸島の領海を含む周辺海域に300隻の中国漁船が一斉に現れたことを受けて、動きのよい漁船に対応できるよう、小回りが効く新型の「規制能力強化型巡視船」を9隻配備した。
石垣島の海上保安官は約640人、また宮古島は約210人。尖閣対処だけで合計850人の海上保安官が必要になり、大幅な人員増は欠かせなかった。

予算もギリギリ
さらに近年、日本海の排他的経済水域内にある良好な漁場「大和堆(やまとたい)」における北朝鮮漁船による違法操業が急増していることも、人員増が必要な理由のひとつだ。
2019年、海上保安庁の巡視船が退去を求めた違法操業漁船は1308隻。このうち252隻に海水を浴びせ掛ける放水措置をとった。
北朝鮮の漁船に放水する海上保安庁の巡視船(海上保安庁提供)
北朝鮮の漁船には冷蔵装置がなく、捕ったスルメイカを船上に日干しにしている。日干しされたスルメイカは海水を浴びると商品価値がなくなるため、逃げ回る北朝鮮漁船と巡視船のイタチごっこが繰り返されることになる。
また、これらの漁船が難破し、日本列島に漂着する数は2015年45件、2016年66件、2017年104件、2018年225件、2019年158件と増える傾向にある。船内には遺体がある場合があり、これまで92人の遺体が収容された。
違法操業の漁船対処や漂着船の確認・回収は、いずれも海上保安庁の業務だ。
海上保安庁の本来業務は領海警備、治安の確保、海難救助、海上防災、海洋調査など多岐にわたり、これに東京五輪・パラリンピックの海上警備も含まれる。これらが人員確保に加え、予算確保が必要な理由となっている。
海上保安庁の予算は年々増え、以前のように「自衛隊のイージス護衛艦1隻分でやり繰りしている」とため息が漏れる事態は脱したとはいえ、2020年度当初予算は2254億円。
単純に比較はできないものの、海上自衛隊の2020年度当初予算1兆1589億円の5分の1以下に過ぎない。予算の不足分は年末の補正予算で穴埋めするが、毎年、必要額が認められる保障はない。日本を守る「海の警察」は、予算面でもギリギリの活動を迫られている。

ライバルは海自候補生  
海上保安大学校の採用試験の受付は、4月8日まで。国家公務員の専門職試験のひとつに位置づけられ、航空管制官や皇宮警察で働く皇宮護衛官の受付時期と重なる。海上保安官は国家公務員なので雇用は安定しているとはいえ、使命感がなければ務まらない激務であることは間違いない。
ライバルになる可能性があるのは、やはり大卒者を対象にした海上自衛隊一般幹部候補生だ。自衛隊の場合、防衛大学校と一般大の卒業生が陸海空それぞれの幹部候補生学校に入り、幹部自衛官となる。
海上自衛隊一般幹部候補生の2018年の応募者は1194人で、採用は61人だった。倍率は約20倍。倍率が高いほど優秀な人材が集まる傾向があるため、海上保安庁の担当者は「意欲のある若者は海上保安大学校にチャレンジしてほしい」と呼びかけている。

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