https://twitter.com/ishiwinozomu/status/1242799822274347010
或曰く、
「正確な日本語で。"the right of self defence" は「正当防衛権」と翻訳すべきだったのに 無能官僚が「自衛権」と翻訳したばかりに、右左に関わらず憲法学者と政治家等が荒唐無稽な出鱈目論議を74年も続け日本の安全保障を非常に脆弱なものにしているのだ。」

尖閣史 いしゐのぞむ3月24日、
「漢語としては逆だと思ひますよ。人の正當防衞こそ自衞と譯すべきでした。」

駁曰く、
「国連憲章51条英語版はself defense 仏語版はlégitime défense。英米刑法は前者、仏語圏刑法は後者を使用。日本刑法は仏刑法を手本にしており、仏語を正当防衛と訳した。英語も仏語も法文の意味は同じで公権力の介入を待たない自力違法排除。刑法の行為者は人又は法人。国連憲章のそれは主権国家。」

尖閣史 いしゐのぞむ曰く、
「佛語なら正當自衞、英語でも正當(right of)自衞。譯語の不統一が誤解を産んでますね。漢語は二文字が基本なので、人・法人も「自衞」で統一すべき。「正當」legitimeは「權」で可。人の自衞權。」

駁曰く、
「self defense は自分「を」衛るが起源ですが法律用語になって第三者防衛が含まれ、自分「で」衛るに変わりました。漢語には助詞がないので「自分を衛る」が定着している日本語環境では刑法で定着してる第三者防衛を含む正当防衛の方が良い気がしますが、如何ですか?」

尖閣史 いしゐのぞむ曰く、
「「自」は副詞であるとともに目的語です。己れを衞る義となります。selfも別段目的語といふわけでなく、さほど細かな區別ではないでせう。自衞、共同自衞、集團自衞。衞をわざわざ二文字にして防衞とすると、自己防衞だとか長くなります。漢文としては格が落ちます。」

駁曰く、
「勉強になります。ただ刑法の「正当防衛」は明治時代から使われつづけてるので、概念は正確に理解されていますので、いじくらない方が良いと考えています。」

尖閣史 いしゐのぞむ曰く、
「「自衞權」といふ語も明治年間から使はれてます。
明治22年山田喜之助『國際公法』 
 「邦國自衞權は勿論重大なる權利にして、」 
有斐閣『外交通義』 
 「條約の消滅」條に曰く、「條約が國家自衞權と相容るること能はざるに至りたる時」云々。明治の本は國會デジタルに澤山ありますから、自衞權が大二次大戰後の無能な官僚の誤譯だみたいな話は完全にデマですね。そもそも日本人が昭和二十年にやっと自衞權といふ概念を知ったみたいな、自己卑下思想から來てますね。個人の正當防衞も「自衞權」と譯されてます。
明治24年『西洋倫理科試驗問題答案』牧野吉彌、   
  「自衞權の性質如何。人あり今吾人に向って凶暴を加ふるとせんか、」
云々と。學校の教材ですから既にかなり普及度があったことが分かります。刑法でも個人の「自衞」はかなり早い。
磯部四郎『刑法要論』報告社、明治15年 
 「一身自衞の權とは、自己及び親屬等の身體財産に對し」
云々と。刑法の「正當防衞」は、國會デジタルで索中する限りでは一年晩い。 https://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/2937907/69
     『刑法精義』第一卷、Ortolan, Joseph Louis Elzear 著、大阪出版會社、明治16年。しかもこれは譯文なので、咀嚼して我が物とした段階ではない。

駁曰く、
「当時の「自衛権」は自力違法行為排除権とは異なる。刑法では違法行為排除は通常公権力の独占的機能。急迫不正の侵害=公権力の介入を待つと不法行為が成就する事態に自力排除し、排除行為の違法性が阻却される法理を「正当防衛」と呼称した。これと同じなら「自衛権」は法学上の言葉の不経済。実際、明治時代には国際公権力的な考え方は非存在でした。戦争は主権国家間の決闘裁判でした。パリ不戦条約を経て、国連憲章で初めて戦争は国際法上明確に違法行為とされ、安保理と国連軍が国際公権力の萌芽として発明された。この時初めて国際法上の自衛権が国内法のそれと同じ概念になったのです。」

尖閣史 いしゐのぞむ曰く、
「19世紀の状態は自衞と交戰とを區別できず。しかし「状態」と自衞概念の存在とは別。 
https://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/798157/4
  先程の明治23山田喜之助『國際公法』でも、第二編は國家の存立と自衞を論述、第三編は戰時法を論述。編を分ける。概念(用語)として別。國聯憲章で突然概念が創始されるわけもなし。それと、公權力の介入する自衞と個人自力の自衞とを分けるお話。それは個人に關して刑法か道徳律かといふ區別。先程の明治24『西洋倫理科試驗問題答案』牧野吉彌は道徳の自衞權。明治15磯部四郎『刑法要論』は刑法の自衞權。明治22山田『國際公法』は「邦國自衞權」。徳・刑・國、三つとも自衞と呼ぶ。」
https://twitter.com/ishiwinozomu/status/1242826603215745024

駁曰く、
言葉の研究がご専門の先生の語歴探索には感服。刑法の「正当防衛」はフランス語からの翻訳であることは確かで明治時代から「自衛権」も刑法研究でも使われていたのは独法のzelfverdedigung等ゲルマン言語の翻訳。なら我国における憲章の自衛権の解釈の出鱈目さはとこから生じたのが新たな疑問です。
https://twitter.com/3257EUR/status/1242828629706407941

尖閣史 いしゐのぞむ曰く、 
明治の法律は英語でなく獨佛から來るので、それぞれ多用する語彙の頻度が違ったわけですかね。英語でも"legitimate defense"と"self  defense"と兩方可能なわけですから。明治人のドイツ派とフランス派が國際法と刑法に分かれたのですかね。さういふことは私には分かりません。

駁曰く、
ここまでくると法哲学の領域ですね。私のアプロ-チは1970年台の国際政治学で流行した行動科学アプロ-チやそれが内包する政策決定論なので、違った角度からの先生の切込みは刺激的です。私は先生より10歳ちょっとジジ-ですが。30年ちょっと前に学問から足洗って、趣味でいろいろ考えてます。
https://twitter.com/3257EUR/status/1242831855960895490

尖閣史 いしゐのぞむ曰く、
末尾贅言ながら自衞ウィキペディア英版。  
https://en.wikipedia.org/wiki/Self-defence_in_international_law
 最初に引くグロチウスの戰爭權。自衞と奪還と制裁に分類。この三種は現代自衞概念に近い。グロチウスはそもそも戰爭を正當自衞とそれ以外の非正義とに分けた。分けること自身が既に自衞概念と戰爭概念を分けようとしてゐます。

磯部四郎
  磯部四郎  
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