池上彰氏「ニュースさうだったのか!!」令和二年二月八日、下のビデオの九分から、神武天皇は實在せず、紀元節は二月十一日に非ず、と。

 鄙見。神武の實在を證することはもとより難しい。しかし神武は非常に歴史的趨勢に合致する人物だ。初期彌生水田は九州から始まるが、近年の發掘よりも遙か以前の上代から「神武東征」神話が存在した。且つ即位の地、橿原がまさに大和政權初期の遺跡が集中する奈良盆地南部だ。この二つは偶然ではない。
 日本武尊も實在は不確かだが、尾張以東や熊襲を征服したことは、ほぼ史勢に合致する。不確かながら、この二英雄は極めて實在の可能性が高い。
 辛酉年の即位が辛酉革命説にもとづくといふのは、假説に過ぎない。日本で辛酉革命説が流行するのは平安京以後である。日本書紀が書かれた時にはまだ流行してゐない。また辛酉革命説の基準とされる推古九年辛酉(西暦601年)に革命は起こらなかったし、天皇の即位も無い。革命説は牽強傅會に過ぎない。
 しかも、神武紀元(西暦紀元前660年)は、舊來繩文時代とされたが、近年の考古學により彌生初期だと分かって來た。これも史勢に合致する。

重要論文:
「倭人の暦を探る : 数字から読み解く歴史の謎」        谷崎 俊之
        大阪市立大學「数学セミナー」55(7), pp.1-9, 2016-06。
https://dlisv03.media.osaka-cu.ac.jp/il/meta_pub/G0000438repository_111F0000004
 この論文は原始日本の四倍年暦を發見。なるほど春分秋分を祖靈祭として特に重視する皇室の傳統の意味が解ける。魏志倭人傳の春耕秋收紀年とも合致する。そして皇紀2600年の初期千年を四分の一の250年とすれば西暦紀元100年頃が神武即位の年となり、史勢にも合致する。

  09:00 神武天皇。




關聯。
辛酉:  
春分皇靈祭: