My academic presentation of a part of the Senkaku long history: "Was Senkaku Focused on in 1885 by China?", 14th January 2020 in "Senkaku Exploitation Memorial Ceremony" held by Ishigaki Government. I Apologyze for my poor English.

 尖閣諸島開拓の日、記念式典。石垣市民會館、中ホールにて、
 令和二年1月14日火曜、午後3時から午後5時まで。入場自由、取材撮影自由。私は式典講演をすることになりました。近く石垣市役所からも 
http://www.city.ishigaki.okinawa.jp/home/topics-list.php
 公表されます。式典に先立っては、午前十一時半ごろから、例年通り石垣港の尖閣記念碑前で開拓を祝ふ宴も行なはれる見込みです。
 私の講演は午後四時前後からになります。内容は、明治18年八重山情報戰について、新史料でチャイナのウソを暴きます。
 〔講題〕 
明治18年、尖閣は注目されたか
----日英露清の島嶼情報戰  
〔講演概要〕  
 明治28年1月14日尖閣諸島編入の9年あまり前に、上海の最大手新聞『申報』は尖閣に日章旗が掲げられた情報を報じ、既に尖閣領有を問題視し始めたとする説が、その百年後の近年になって内外に流布し、信じる人が多い。
 『申報』記事は上海の英人による英字紙にもとづくが、英字紙の原文は既に散逸してしまった。しかし最近の研究でほぼ原文に近い諸記事が見つかり、それによれば第一に島は尖閣でなく宮古八重山である。第二に情報は東京-ロンドン-マンチェスター路線と、朝鮮-上海-香港路線とでほぼ同時にリレーされた。第三に上海・香港の漢字紙では、その海域に清の領土が存在するはずがないとされた。
 情報源を追跡すると、日露清朝鮮の間に暗躍したドイツの策士メレンドルフが、朝鮮王の顧問を解任されたその日に、報復として打電した可能性が浮かび上がる。しかしこの島嶼情報戰の中で、尖閣は一度も注目されることが無かった。  

 また、1月13日(月曜)に八重山日報社と協力して石垣市内でユーチューブ對談を行なひます。時間は追って決定後に公表します。生中繼を目指しますが、不具合の場合は録畫放送となります。

明治18年情報戰について、既往の論説は、
 こちらからダウンロードできます。
----------------

平成31年の式典はこちら。内閣官房領土室、豐田欣吾室長講演。
20190114尖閣開拓演舞_八重山日報


平成30年の式典はこちら。高良倉吉氏講演。

平成29の式典はこちら。私が講演しました。
http://senkaku.blog.jp/290114.html

こちら「やいまタイム」掲載は有難いのですが、誤り。
×誤 尖閣諸島の中国名とされる「釣魚島」は、1534年に琉球人が明国の陳侃(ちんかん)なる人物に琉球へ行くルートを教わったときに、
〇正 尖閣諸島の中国名とされる「釣魚島」は、1534年に琉球人が明国の陳侃(ちんかん)なる人物に琉球へ行くルートを教へたときに、
https://yaimatime.com/wadaimix/22913/

令和元年12月28日、河野防衞大臣に以下送信しました。
-----------------------
 こんにちは。尖閣史研究のいしゐのぞむ(戸籍名石井望)です。昨年度まで内閣官房領土室の委託調査事業で特別研究員に任ぜられてをりました。今年の漢字「尖」の報導を拜見しまして勇氣づけられました。今度尖閣史の論文等を送らせて頂きます。 
 さて令和2年1月14日火曜午後三時から五時までの石垣市主催「尖閣開拓の日記念式典」にて講師をつとめることになりまして、私は午後四時前後から五時まで講演します。
 防衞大臣ご臨席となれば人心は大いに鼓舞されることと存じます。尖閣防衞に今足りないものは國民の幅廣い支持であり、そのためには極端な思想や精緻な論理よりも、萬人が面白く郷土愛を呼び醒まされるやうな悠久の尖閣史こそ鍵となります。 
 そのため主に朱印船時代に尖閣のはるかに西側の大陸沿岸でオランダや明國と覇を爭った歴史を中心に研究してをりますが、このたびの講演では明治18年の尖閣の衝撃的な新研究成果を披露します。大臣もしくは副大臣のご臨席に期待します。
-----------
以上、大臣に送信。


http://archive.ph/UOGH3