福岡筑前町の藥師ノ上遺跡の彌生硯。朝日新聞より。
藥師上遺跡_彌生硯

 魏志倭人傳に曰く、「自女王國以北、特置一大率、檢察諸國、諸國畏憚之、常治伊都國、於國中有如刺史。」
 この率=帥といふ職名は特徴的であり、漢文の語である。後の大宰帥と同じ職名であるから、一大率と大宰帥との間には漢字の相承がある。特置官であるから兩者はほぼ同一だらう。卑彌呼の時代に日本では漢字が使はれてゐたと推測できる。出土品の漢字は稻荷山だかの鐵劍が最古だが、實際はそれよりもずっと古い。
 なほ、率と帥とは「そつ」「すゐ」に音が分かれるが、漢以前は同音である。古へに去聲無しといふ著名な字音説に合致する。大宰府で帥を「そち」と呼び續けたのも漢の古音が遺留してゐる。一大率の置かれた伊都國=怡土郡は福岡縣西部、ほぼ大宰府に近い。大宰帥(大宰權帥)として最も著名なのがかの菅原の道眞である。
 そして、今月のNHK報導を以下に轉載。

https://www3.nhk.or.jp/news/html/20190810/k10012031231000.html
日本列島は紀元前から文字使用か 発掘された石は「すずり」
2019年8月10日 21時00分
 日本列島で文字が使われ始めた時期が大きくさかのぼるかもしれません。弥生時代や古墳時代の遺跡から発掘された石が調査の結果、「すずり」と判断される事例が九州北部を中心に相次ぎ、調査に当たった専門家は、紀元前100年ごろから文字が使われていた可能性があると指摘しています。

調査は、弥生時代や古墳時代の遺跡で過去に発掘された石などを対象に、福岡県内の複数の考古学研究者が進めています。

刃物などを研ぐ「砥石(といし)」と判断されていた石などを詳しく調べ直した結果、これまでにおよそ130点が「すずり」と判断されました。

ほぼ同じ時代の中国や朝鮮半島の遺跡から見つかったすずりと形が似ていることに加え、石のすり減り方が砥石と異なるほか、一部には墨とみられる黒い付着物が付いていたことなどから、「すずり」と判断したということです。

調査に当たっている弥生時代の専門家で、國學院大学の柳田康雄客員教授によりますと、「すずり」と判断した石は、九州北部を中心に西日本の各地に分布し、このうちの5点は弥生時代中期の紀元前100年ごろまでさかのぼるということです。

日本列島では古墳時代中期の5世紀ごろには、確実に文字が使われ始め、それより前は土器に書かれた墨書など、文字の可能性を示す資料が見つかっているものの、普及の実態はよく分かっていません。

柳田さんは九州北部では紀元前からすずりを使って文字を書いていた可能性があるとして、「弥生時代は原始時代ではなく、文字を持った高度な文化や文明があったと言ってもいい」と指摘しています。
なぜ「すずり」と判断?
研究者たちが参考にしたのは、中国の漢の時代に使われていた板状の「すずり」です。

このうち、朝鮮半島で見つかったすずりの復元模型は、漆塗りの豪華な台の上に平たい石が置かれ、この上で水を含ませながら粒状の墨をすりつぶしたと考えられています。

研究者たちは、こうした形状のすずりが北部九州などにもあるのではないかと考え、発掘調査の報告書に「砥石」と記されている平らで細長い形をした石の再調査を進めてきました。

細かい観察や実測を行って、形のほかにも砥石とは異なり、表面の中央部分だけがくぼんでいることや、表面から垂れたと思われる墨のようなものが側面に付着していることなど、すずりと判断できる特徴を見つけてきたということです。
確実な文字の使用は5世紀
日本列島では飛鳥時代以降、官僚機構や法律が整備され、行政に文書が欠かせなくなったことなどから文字の普及が進みました。

文字が確実に使用されていたことを示す資料は、これより前の古墳時代にさかのぼります。

例えば埼玉県の稲荷山古墳で見つかった古墳時代中期、5世紀のものとみられる鉄剣には115文字が刻まれ、この時期には文章として文字が使われていたことが分かります。

それ以前にも外交の際などに文字が使われていたと考えられていますが、出土した資料が文字かどうかを判断することは難しくなります。

三重県で出土した4世紀の土器の「田」と読める墨書や、長野県で出土した3世紀の土器に刻まれた「大」と読める文字資料などがありますが、1文字だけの場合が多く、何が書かれているのか、何のために書かれたのか、明確になっていないのが現状です。

また、福岡市の志賀島で見つかったとされる国宝の金印には、「漢委奴国王」という5つの文字が彫り込まれていますが、西暦57年に中国の「後漢」から与えられたする考えが有力です。

外交や交易に利用か
日本列島でも弥生時代からすずりが普及し、文字が書かれていたとすれば、何のために使われていたのか。

調査を進める1人、福岡市埋蔵文化財課の久住猛雄さんは、外交のほか交易に使われていたと想定しています。

久住さんは古墳時代の石の破片6点をすずりと判断した福岡市の「西新町遺跡」に注目しています。

この遺跡は古墳時代には多くの渡来人が訪れ、朝鮮半島や日本列島の各地と行き来する交易の拠点と考えられています。

また、すずりと判断された石が出土した遺跡の多くは海や川に面し、港の機能があったと考えられることから、久住さんはこうした場所では交易のために文字が使われていたと見ています。

久住さんは「長距離を結ぶ交易のネットワークに関わる人たちが、交易の記録や品物の名前や数などを書き留めて記録することに文字を使っていたと考えられる」と話していました。

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 朝日。
https://www.asahi.com/articles/ASKC953V3KC9TLZU001.html
墨が付着した弥生時代のすずりか 福岡の薬師ノ上遺跡

編集委員・中村俊介 2017年11月19日11時53分

 福岡県筑前町の薬師ノ上遺跡で14年前に出土した石製品が、墨が付着した弥生時代のすずりである可能性が高いことがわかった。当時、北部九州の広い範囲で文字文化が普及していたことを示す傍証になる。

 石製品は長さ約15センチ、幅6~5センチ、厚さ数ミリ~1センチ足らず。材質は砂質頁(けつ)岩で二つに割れているが、ほぼ完全な形。表面には炭化物がうっすらと付着し、当時使用された墨とみられる。

 2003年、紀元前から紀元後にかけての弥生時代中~後期の土器だまりで発見された。田和山遺跡(松江市)や三雲・井原(いわら)遺跡(福岡県糸島市)に続く弥生すずりの発見で、墨が残る完全な形での出土は初めて。

 日本列島にいつ文字が導入され、どのくらい定着していたかは考古学上で論争がある。筆記用具であるすずりはそれを解明するための重要な手がかりだ。これまでは、三雲・井原遺跡が所在する「魏志倭人伝」記載の伊都(いと)国領域など海外文化と接触する海岸部での出土だったが、弥生文化に詳しい柳田康雄・国学院大客員教授(考古学)は「今回、内陸部でもすずりが確認されたことは、当時かなり広い範囲で文字が使われていたことを物語る」と話す。

 詳細は今月下旬に福岡市で開かれる九州考古学会で報告される。

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他にも關聯報導多數あり。
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