駿河灣の南蠻船が、慶七松の通信使録に載って
ゐることを純心の某學生から教へてもらった。
慶七松の通信使録は讀んでゐなかったので、
來年以後の東洋文化史の教材に活かさう。
この時の圖とされる駿河灣南蠻船屏風は、
どうやら駿河灣と確定できないやうで、
しかし慶七松の通信使録はほぼ三浦按針
(ウィリアム・アダムス)だとする論文が出てゐる。
純心の學生はよく勉強してゐると驚かれるでせう。
實は社會人入學の人です。熱意が違ひます。
航海術の面で、三浦按針のもたらしたものは中々大きい。
航海術の面で、三浦按針のもたらしたものは中々大きい。
以下情報備忘。
「ウィリアム・アダムズと西洋船」森良和。
玉川大学教育学部紀要 第17号 2017, pp. 57~80。
第67頁から、慶七松の通信使録が三浦按針だと議論。
ブログ。南蠻船圖が駿河灣かどうか議論。
慶七松海槎録の寫本。對島藏か。
『海行總載』の慶七松「海槎録」活字本の南蠻船の個所。
西暦1607年陰暦六月十九日。
西暦1607年陰暦六月十九日。
上記の森良和論文では五月十九日としてゐるが別本にもとづくか。
「朝鮮群書大系」(續續)第三至六輯「海行總載」の目録。
「駿河灣/南蠻船」(略字)でグーグルには今わづか112件だけしか
出てゐない。
森良和氏の著作。
『リーフデ号の人びと : 忘れ去られた船員たち』
森良和著、学文社, 2014.5
第1章 マフー船団とリーフデ号
第2章 「ディルク・シナ」と日本
第3章 ショッテンと二人の日本人青年
第4章 ヤン・ヨーステン
第5章 メルヒオール・ファン・サントフォールト
第6章 ヤコブ・ヤンスゾーン・ファン・クワケルナック
第7章 他の船員たち
▲九州國立博物館藏、駿河灣南蠻船屏風。
『海行總載』の慶七松「海槎録」活字本の南蠻船の個所。西暦1607年陰暦六月十九日。
。
コメント