出處不明、實話ではないとの説が多いが、備忘。 

ひうらさんの思ひ出 (帝國海軍は斷じて同胞を救ふ)
 日本海軍は北洋警備-北洋漁業保護の爲に、最新式驅逐艦を以て編成する驅逐隊の一隊(定數四隻 司令は大佐または古參の中佐)を毎シーズン派遣してをりました。國民性なのでせうか、蘇聯は昔から露骨な國で、我が驅逐隊が漁業海域に到達し警備任務に就くや、日頃横暴なる蘇聯艦艇も、途端に猫の如く大人しくなりました。だから驅逐隊は毎度漁民から熱狂的大歡迎を受けたものですが、必要に應じ、戰隊若しくは艦隊を神速に派遣することも行はれたやうです。
 父の友人に「ひうらさん」といふ越後人がありました。生きて居られれば優に百歳超えませう。明治の御代に雪の越後を後にして、刻苦勉勵、數多辛酸を嘗め、戰後は小金持になり、錢湯など經營して世を終へられました。この御仁が、大正の末か昭和の初め、蟹工船に乘組んで北洋漁業に從事してゐた時の話です。氷濤の中、果敢に操業してゐた或日、突然蘇聯の警備艦艇に謂れ無く拿捕され、乘組員一同、浦塩に連行、抑留されました 此處までは今日と同じです。
 取調べは慘たらしいもので、生きて再び日の目を拜めるかと思った程ださうです。ありもせぬ犯罪事實の自白を強要され、半殺し状態で朝を迎へ、再び鐵格子の中から引き出されました。いよいよ殺されるかと半ば覺悟した途端、何故か赤魔官憲の態度が掌を返す如くに豹變し、捜査は打切り、無罪放免 露西亞紅茶まで振舞はれてにこやかに釋放するではありませんか。
 解き放たれたひうらさん達は警察署だか獄舍だかの外へ出ました。天然の港町なら大概、地形的に港へ向って傾斜し、海側の眺望が開けてゐるものです。半信半疑の儘、ともかくも港へ向はむとふらつく脚を海へ向けました。その瞬間、何故、助かったかが判りました。沖には日本海軍の大艦隊が間近く展開し、旗艦たる巡洋艦以下、各艦砲身を陸に向け、砲門を開き、その強大な攻撃力は毎分幾百幾千發ぞ。陛下の赤子にかすり傷だに負はせなばウラジオストックそのものを消滅させんばかりの壓倒的武威を以て、ソヴィエト社會主義共和國聯邦を威壓して呉れてゐたのです。旭日の軍艦旗の何と美しく、浮かべる城の何と頼もしかったことでせう。皆、感泣しました。鋼鐵の艦體に頰ずりしたい思ひで‥‥。
 ひうらさんは無事、日本に帰りました 取るにも足らぬ漁舟の、僅かな人數の乘組員の爲に、大國相手の戰爭をも辭せず、瞬く間に艦隊を繰り出して救出してくれた祖國日本の親心に酬いる爲にも、なほ一層仕事に勵み、三代の御代を生き拔き、東京都江戸川區小岩の自邸で、四半世紀ほど前に大往生を遂げられました。勤儉貯蓄、關東大震災の前の歳に買ったといふ革靴を、靴底だけ張替へ張替へして生涯穿き續けました。
「贅澤をする金があったら海軍に獻金でもせい!。」

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 このやうな外國社會を體驗した人にとっては、この話はまことに迫眞であらう。また、往時の國語の水準を見ることができる。

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