よくありがちな俗説。
「共和制というのは政体の定義上、
国民主権を必須要素とするので、
近世の徳川政権はそれにあたらない。
世界史に無い近世と言う区分を日本史においているのは、
ヨーロッパでは中世において存在した封建体制が
日本では19世紀半ばまで残ったことに由来しています。」

朝日さんかな。ちょっと待って欲しい。
近世といふ區分は歐洲にも有りますから
内藤湖南が勘違ひしただけです。
近代と近世といふ似たやうな名稱にしたのは、
モダンとアーリーモダンとの近似を念頭に置いてるのでせう。

封建制が早く消滅したのはフランスなどの先進國だけであって、
イタリアドイツの封建制は明治維新前後までのこりました。
イタリアドイツは近代中央集權的統一を成し遂げてゐなかったのです。
そのため日本、ドイツ、イタリアはほぼ同時期に
統一愛國運動が勃然として起こります。
いや、世界史なんか高校教科書すら理解してない私ですけどね。

しかし德川の鎖國禁教刀狩(琉球まで含め)は
かなり中央集權にも近いもので、だからこそ廢藩置縣が
滯りなく進んだわけです(琉球を含む)。
明治維新で突然封建制から脱皮できるわけありません。

江戸時代と近代には共通性があります。
だからこそ尖閣の精確な地圖が朱印船時代に存在し得ました。
徳川慶喜は大政奉還で諸侯共和制を意圖したと
噂されるほどで、共和制の下地は日本にもありました。

なほ、明治維新以後の天皇は、「祭天の古俗」(久米)
のみならず近代國家統合へ象徴となって國民運動で
崇拜されたわけですから、その國家神道150年の歴史を
無視するのはまあ無理筋でせうね。

素直な歴史觀では、彌生古墳時代ごろに日本の
國家的統合を開始した皇室の功績は素晴らしい。
しかし素直に歴史を解さず、歐洲の圖式と較べて
遲れてゐるかのやうに言ってみたり色々と、
要するに日本をけなしたがる文化人、
心の底には凄まじい西洋崇拜が横たはってゐて、
世界史を平明な眼で觀ることができないのです。

素直に見た時、歐洲各王朝の血統が次々に
入れ替るさまは、戰國下克上のやうに怖ろしい。
そこを統合的に乘り切った日本の素晴らしさを
素直に感じることのできない人は、何なのだらうか。
そして日本の統合性は同時に競爭の弱さを伴なふのも確かです。
日本の統合性は何に由來するのか、島國、皇室、
いや、、、あとは別の機會に。

絶對王政ルイ十四世