平成末、アイヌ新法が成立した。アイヌでない人が自稱アイヌとなって税金をせしめるとか、色々な噂が飛び交ってゐる。私は專門外であるから、そこまで構ってゐられない。ただ、權威ある朝日新聞(下方に轉載)によれば、「アイヌ人は、外來者と日本人との混血である。先住民族ではない」といふ趣旨のことが、近年の研究で分かったさうだ。
 外來者は、武力を持ってゐたならば侵掠者である。まあ普通は武力を持たぬ筈はなからう。さればアイヌとは、日本を侵掠した人々の末裔である、といふ可能性が朝日の記事から濃厚に讀み取られる。どこからの外來者かと言へば、オホーツク文化圏の民族ださうだ。アイヌ語が日本語と全く繋がらぬ原因が、ここに求められる可能性を誰でも想像できる。
 そもそも前提は、日本の先住民は繩文人である。一萬五千年前に始まる最古の文明である。北海道の擇捉島から沖繩まで繩文遺跡が分布してゐる。北海道にはアイヌよりも先に繩文先住民がゐた。   
http://senkaku.blog.jp/2019041479579716.html
 その日本に二千數百年前、南方の水田稻作文化とともに彌生人が九州北部に侵入し、近畿地方に廣がった。現代の近畿地方人、お公家さん顔の所謂「彌生顔」の人々につながる可能性が高い。
 南方の水田稻作文化はチャイナではなく、非チャイナの長江文明であるから、彌生人はチャイナ人ではない。この點は忘れてはならないが、とにかく外來者であり、武力を持ってゐたならば侵掠者として彌生人が侵入した可能性が高い。神武東征の神話、出雲國讓りの神話などがその歴史を示してゐる可能性が高い。
 彌生人と繩文人とはかなり混血が進んだため、劃然と分けることは難しくなった。しかし幾分かの繩文顔、彌生顔としては痕跡を留めてゐる。繩文顔彌生顔はNHK教育テレビの科學番組でも使はれてゐる言葉だから、大學教員が使っても何ら問題は無い。
 東北地方も繩文人の地域であり、アイヌとの關聯が話題になるが、その前に南の繩文人について言及して置かねばなるまい。南九州から沖繩、八重山にかけて、繩文顔が多い。ただ沖繩本島には意外に彌生顔も多い。私のよく知る或る琉球士族の末裔はかなりの彌生顔である。
 ともあれその沖繩語、八重山語は全くの日本語であり、單語がほぼ一對一で日本古語に對應する。「めんそうれ」は「ご免候へ」である。遺傳子研究でも沖繩人は繩文血統を中心として、彌生血統を幾分か雜へてゐる。八重山はほぼ全部繩文血統である。但し八重山のほぼ完全な血統こそが彌生人なのだと主張する人もゐるが、どうだらうか。八重山人は明らかに繩文顔である。
 さて繩文顔の多い沖繩八重山が日本語なのであるから、日本語は繩文語であり、彌生語ではない。彌生人は日本に侵入したが、言語を奪って置き換へるには至らなかったといふことにならう。
 ところが、アイヌ語は日本語と全然異なる。日本語に繋がらない。繩文遺傳子の濃厚なアイヌ人が日本語に繋がらないのは謎であった。しかしオホーツクからの侵掠者が強烈に言語を奪ったのだと假定すれば、この謎は解ける。假定の話であって、確定するまでにはなほ長い研究の過程を經る必要があらう。
 如上の朝日新聞的假定にもとづけば、先住民繩文の日本に、西から彌生人が侵入し、北からオホーツク人が侵入した。挾み撃ちに遭ひながらも生きのこった先住民が繩文人である。私自身は父が千葉、母が諏訪であるから、繩文の血が比較的に濃いやうだ。近畿地方でも周縁部は繩文顔が多いやうに感じられる。
 そして西の彌生人は繩文語を奪はなかったが、北のオホーツク人は繩文語を奪った、と假定することができる。彌生人よりも苛烈な侵入の歴史があったのではないかと想像される。研究が待たれる。
 如上の假定にもとづけば、アイヌ人は先住民ではない。アイヌ人はあたかも侵掠者バイキングである。そもそもアイヌ文化は鎌倉時代に始まった。隨分と晩い歴史である。繩文一萬五千年の先住民の歴史とは較べものにならない新參者がアイヌである。如上の假定にもとづけば、アイヌ新法は誤ってゐる。少なくとも研究結果が確定するまで法的に先住民と認定すべきではない。

以下參考。 
 消えた北方民族の謎追う
 古代「オホーツク人」北大が調査
  朝日新聞 2009年2月4日11時2分
 古代の北海道北部に広がった「オホーツク文化」のことは、一般にほとんど知られていない。海岸近くに住居を構え、魚や海獣を捕らえ、犬や豚を飼った人々が、こつぜんと消えた。どんな人たちだったのか。そのナゾに遺伝子から迫る初の研究が、先ごろ北海道大でまとまった。オホーツク海周辺で人間が活発に動いたことを跡付けるもので、歴史書に記録の乏しい北方世界の新しい姿が浮かび上がる。
 オホーツク文化はサハリン起源と考えられ、古墳時代にあたる5世紀ごろ北海道に南下し、まず北部に広がった。次第に東部から千島列島まで展開するが、10世紀ごろ姿を消す。日本書紀に見える北方民族の「粛慎(あしはせ)」では、との見方もあるが、考古学・歴史学・民族学などの研究者が解明を試み、サハリンやシベリア、北方の島々の少数民族の名が様々にあがって、決め手はなかった。
   ■人骨の遺伝子分解
 北大総合博物館にある、オホーツク文化の遺跡で見つかった人骨78体を、増田隆一准教授(分子系統学)と大学院生の佐藤丈寛さんが調べ、37体からDNAの抽出に成功。ミトコンドリア遺伝子の塩基配列の特徴を分析し、オホーツク人は、今はサハリン北部やシベリアのアムール川河口一帯に住むニブフの人たちに最も近く、同川の下流域に住むウリチと祖先を共有するという結論を導いた。ともに人口数千人の少数民族だ。
 オホーツク人が注目されるのは、ミステリアスであるうえに、アイヌ民族形成のヒントが潜むとみられるからだ。
 弥生文化の時期にも稲作が普及しなかった北海道では、縄文→続縄文→擦文(さつもん)と独自の文化が展開した。アイヌはその流れをくむと考えられてきたが、縄文の系統には無い文化の要素も持つ。代表例は熊を使う儀式で、同じような習俗がオホーツク文化にもあったことが確認されている。
 増田准教授らはオホーツク人のなかに、縄文系には無いがアイヌが持つ遺伝子のタイプを確認した。北大の天野哲也教授(考古学)は「アイヌは縄文人の単純な子孫ではなく、複雑な過程を経て誕生したことが明らかになった」と、分析結果を評価する。
 では、オホーツク人に近いというニブフは、どんな民族なのか。札幌学院大の白石英才准教授(言語学)によると、ニブフ語は、近隣に似た構造の言語が見あたらない「孤立語」で、ニブフは系統不明の民族。帆を持つ舟を操り、漁労主体の生活だったようだが、近年はロシア化が進んで文化の独自性があいまいになっているという。
 今回の分析には、また、「弥生人の渡来など、日本列島へは移民の波が何度かあったが、オホーツク人の南下は、その最新のものだとわかる」(国立遺伝学研究所の斎藤成也教授=分子人類学)という意味もある。ただ、彼らが海を渡った理由の解明は、まだこれからのようだ。
   ■温暖化原因で南下か
 その理由について、北海道開拓記念館学芸員の右代啓視さん(考古学)は、気候変動、なかでも温暖化のためだと考える。オホーツク文化が北海道北部に到達した古墳時代末期は、現在より海水面が1メートルも高い温暖期で、この文化が広がった平安時代の初期には、年間の平均気温が現在より2~3度は高かったらしい。
 このころ、ユーラシア大陸の反対側では、バイキングと呼ばれた北方の人々が、温暖化を背景に人口を増やし、海へと乗り出して欧州各地を征服、緑の島だったグリーンランドにまで勢力を拡大した。日本列島の北でも、海を舞台にした同様の物語があったのかもしれない。
 最新の科学技術がもたらした分析結果は、気候変動への関心の高まりと重なって、そんな新しい歴史像を描き出そうとしている。(渡辺延志)
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參考2:「縄文人の核ゲノムから歴史を読み解く」神澤秀明(国立科学博物館)
曰く「最近、アイヌの集団の形成には南シベリアのオホーツク文化人(5〜13世紀)が関与していることが、ミトコンドリアDNAの解析などから提唱されている。私たちの結果もそれを示唆しており、日本列島人の成立ちは単純な二重構造ではないこともわかってきた。
繩文人核ゲノム歴史神澤秀明

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參考3:「オホーツク人のDNA解読に成功ー北大研究グループー」オホーツク觀光聯盟(北海道新聞か)。
 6月18日の北海道新聞朝刊に興味深い記事が掲載された。5~13世紀にオホーツク海沿岸などで独自の文化を発展させたオホーツク人の遺伝子を解読することに北大の研究グループが成功。オホーツク人のルーツには諸説あるが、現在の民族ではサハリンなどに暮らすニブヒやアムール川下流のウリチと遺伝的に最も近いことがわかったというもの。また、アイヌ民族との共通性も判明、同グループはアイヌ民族の成り立ちについて「続縄文人・擦紋人と、オホーツク人の両者がかかわったと考えられる」と推測している。謎に包まれたオホーツク文化が解明されることでオホーツク地域の魅力がさらに深まりそうだ。(以下北海道新聞から紹介します)
      アイヌ民族と共通性
 大学院理学研究員の増田隆一准教授(進化遺伝学)らのグループで、日本人類学会の英語電子版「アンスロポロジカル・サイエンス」に発表した。同グループは、道東・道北やサハリンの遺跡から発掘されたオホーツク人の人骨102体を分析。うち37体から遺伝子の断片を取り出し、DNAを解読した。その結果、ニブヒやウリチなど北東アジアの諸民族だけが高い比率で持っているハプログループY遺伝子がオホーツク人にもあり、遺伝子グループ全体の特徴でもニブヒなどと共通性が強いことがわかった。現在、カムチャッカ半島に暮らすイテリメン、コリヤークとの遺伝的つながりも見られた。
  一方、縄文人―続縄文人―擦文人の流れをくむとみられるアイヌ民族は、縄文人や現代の本州日本にはほとんどないハプログループY遺伝子を、20%の比率で持っていることが過去の調査で判明している。
 どのようにこの遺伝子がもたらされたのかが疑問だったが、アイヌ民族とオホーツク人との遺伝的共通性が判明したことで、増田准教授は「オホーツク人と、同時代の続縄文人ないし擦文人が通婚関係にあり、オホーツク人の遺伝子がそこから受け継がれたのでは」と推測している。同大学院の加藤博文准教授(考古学)は「オホーツク人は、最後は消えたという表現がなされてきたが、アイヌ民族の形成にかかわった集団もいたことが示された。アイヌ民族の形成の多様さを遺伝子から指摘する研究成果だ」とみている。          
  ―オホーツク人―
  漁労や海獣猟を主とした海洋民で、5~13世紀にかけて道北・道東・サハリン南部を中心に海岸近くに多くの遺跡を残した。ルーツは明確ではなく、主に①アイヌ民族説②ニブヒ説③アムール下流域民族説④すでに消滅した民族集団説―の4説で論議が交わされてきた。同時期には、縄文人の流れをくむ続縄文人(紀元前3世紀~紀元6世紀)、擦文人(7~13世紀)が道内に暮らしていた。
オホーツク人_北海道新聞

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 參考4:「アイヌ人骨の自然人類学的研究とその課題」
    篠田 謙一    「学術の動向」 16(9), 2011
曰く、「得られた成果の周知は学問の世界に完結して、
当事者であるアイヌの人々に還元されることはなかった。
これらのことは研究者として率直に反省すべき点である。
 いくつかの先進国では先住民の遺骨を埋め戻すことで、
その責任を果たそうとしている。しかし、実は、
これはその地域に成立の歴史を持たない人々が考える解決の方法であって、
そのことが先住民の歴史も抹殺していることに注意する必要がある。
アイヌの人々も本土の日本人もともに日本列島に成立の基盤を
持っているという点で、日本の事情は他の諸国とは大きく異なっている。」
https://doi.org/10.5363/tits.16.9_83



「ミトコンドリアDNA からみた北日本の基層集団」
安達登  2012年 3月31日
新しいアイヌ史の構築 : 先史編・古代編・中世編 : 「新しいアイヌ史の構築」プロジェクト報告書2012
http://hdl.handle.net/2115/56120



「オホーツク文化とアイヌ文化の類似した特性」公益社團法人北海道觀光振興機構。


【武田邦彦】スゴいぞ!あなたが知らないアイヌ民族


 チャンネル櫻・アイヌ新法討論、
田中英道氏 オホーツク文化について。1:01:00-1:09:00