農林省農事試験場技師だった小林純は、1939年(昭和14)に農林省の南西諸島鉱物資料調査団の副団長を務めました。沖縄、宮古、八重山諸島、尖閣列島を調査する過程で撮影した写真は1,900枚余を数えます。
http://www.archives.pref.okinawa.jp/event_information/past_exhibitions/927
http://www.archives.pref.okinawa.jp/wp-content/uploads/42.jpg
南西諸島鉱物資源調査写真36 B-14-10 尖閣諸島 北小島


http://kirokueiga-hozon.jp/bunkashisetsu/search/eigadata/kensaku/keywords:%E5%8D%97%E8%A5%BF%E8%AB%B8%E5%B3%B6%E9%89%B1%E7%89%A9%E8%B3%87%E6%BA%90%E8%AA%BF%E6%9F%BB/
10800-00240 南西諸島鉱物資源調査映像03 8㎜フィルム  沖縄県公文書館  1938年10月   
10800-00239 南西諸島鉱物資源調査映像02 8㎜フィルム 沖縄県公文書館  1938年
10800-00238 南西諸島鉱物資源調査映像01 8㎜フィルム 沖縄県公文書館  1939年5月6日
10800-00241 南西諸島鉱物資源調査映像04 8㎜フィルム 沖縄県公文書館  1939年
https://shimamigui.ti-da.net/e2560518.html


 以下ツイッター映像をKreitmanといふ人が出したので、私はビデオの存在を知りました。感謝。
Film footage of a 1939 Japanese government expedition to the Senkaku (Ch: Diaoyu) Islands. The islands were annexed by Japan in 1894, primarily to exploit their bird populations. (From the 1870s-WW1 a global fashion for feathered hats had sent the price of plumage skyrocketing.) 
https://twitter.com/Paul_Kreitman/status/1098980441258946561
 I forgot to mention that this footage is from Kobayashi Jun, Nansei Shoto kobutsu shigen eizo (1939), and is provided courtesy of Okinawa TV @otvyutan. You can view the original in the Okinawa Prefectural Archives in Naha.. 
https://twitter.com/Paul_Kreitman/status/1098994409704697859
http://www.paulkreitman.net/
http://www.paulkreitman.net/wp-content/uploads/2017/11/Troubled-Islands-of-the-Indo-Pacific-syllabus-2-March-2017.pdf
http://www.paulkreitman.net/wp-content/uploads/2017/11/IMG_3829-man-swinging-to-hit-birds-cropped.jpeg


tuzzi  日本政府1939年前往尖閣列島(台灣稱釣魚台)探勘的影像紀錄。目的是調查島上的鳥類,以作為經濟利用(鳥羽作為帽飾在當時有很好的價格)。影片現存沖繩電視台。 //好壯觀的鳥況

https://twitter.com/tuzzi/status/1099497777879343104


1939_尖閣調査_沖繩縣公文書館藏


なほ、Kreitman氏のホームページの切手は、

http://www.paulkreitman.net/wp-content/uploads/2017/11/ryukyu-seabirds-stamp.png

 平成二十九年度内閣官房領土室報告書でも十番資料として採用された。

https://www.cas.go.jp/jp/ryodo/img/data/archives-senkaku04.pdf

ryukyu-senkaku-Kreitman_stamp


http://www.city.ishigaki.okinawa.jp/100000/100500/senkaku/detail.php?id=20112
海南時報19390626_page3

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1939/06/26 海南時報 第3面
尖閣列島概説【一】
海南時報 昭和十四年六月二十六日
  石垣島測候所 正木 任
緒言
 島の昆蟲相は概して貧弱である 尖閣列島は昆蟲地理學上から重要な役割の位置にあり 限りなく興味深い島であるが 同列島に關しては從來詳細にその生物狀態を傳ふるものが少なく 特に地質等に關しては不明な點が多い 
 こんな意味もあつて尖閣列島の生物調査を數年前から望んで居つた所 今度農林省農事試驗場の燐鑛調査隊と同行しその一部を充分とは言へぬけれども この旅行の一般的感想を記すことにする 今回の旅行は農林省農事試驗場の小林 高橋兩技手外■場員四名と古賀商店多田氏外人夫六人に小生十四名と言ふ大勢でした 終始行動を共に色々な困難を共にして採集の御助力下されし同行の御一同の御厚志を忝ふし 小林純氏 高橋尚之氏 多田武一氏の三氏に特に厚く感謝 意を捧げる次第である
 位置、行程
 尖閣列島は琉球弧南西を占める先島群島の一部で北半は宮古列島南半は八重山列島の内側に對して形成して居る
 行政上は 八重山郡石垣町字登野城に相當するものである 稍楕圓形の魚釣島と長方形の北小島南小島と圓形の黄尾島の四小島点在して居る外に 大正島は東方約百粁の地点にあり 細長い岩嶼の島と五小島であるが 魚釣島近くに沖北の岩 沖南の岩がある
 魚釣島は同列島の西端で東經百二十三度二十八分 一番大きい島であり一番高い島である(黒島と同じ大きさの島) 標高三六二米で第三紀層と古生層の上に見事な原生密林で被はれてゐる
 南小島 北小島は第三紀層で 少し草が生へて居る位で木は全くない南小島は同列島の南端で北緯廿五度四十三分に位す 黄尾島は海底の噴火して出來た島で全島鎔岩で出來た島である 同列島の北端で廿五度五十六分である
大正島は第三紀層で全部岩嶼で 岩の破れ目に草が少しある 同列嶋の東端で百二十四度三十四分に位す
 扨 私等は水産學校の練習船帆船海邦丸四十三トン(八四馬力)に便乘し五月廿二日午后七時二十五分石垣港を出發し 廿四日午後五時廿五分魚釣嶋南側に投錨した
 風雨強く(十五米位吹走す)驟雨性が激しく去來し視界が惡い■■上陸出來ず廿五日午前九時三十分魚釣嶋に上陸した
 波浪高き爲め危険の上リクであつた 廿七日八時五十四分同嶋出發 北小嶋行き十一時三十二分上リク天候惡く調査不充分であつたけれども 午後三時五十分乘船 北小嶋沖にて碇泊し廿八日午前七時三十五分 南小嶋に上陸 同九時同嶋引上げ再び北小島に上リク 十一時十八分船に歸る 同時船は黄尾嶋に向け出發午後三時三十五分黄尾嶋に上リク 六月三日まで同嶋に滯在し 六月三日 午前十時〇五分出發 大正嶋に行き午後五時十分 大正嶋に上陸 午後六時四十五分乘船と同時に出發 南南西にコースをとり鳩間に向けて船を走らせ翌四日十一時鳩間に上リク 約三時間滯在の後同嶋出發し午後七時無事石垣港に戻つた 
其の間 各シマ々乘船上リクには少なかざらる危險をおかした 以下尖閣列トウの五シマに就いて 大略の感想を申し述べたい
     (続く)