方元彦。夏子陽を琉球に派遣することに反對した人物。

方元彥墓誌 「明故文林郎江西道監察御史方公墓誌銘」  
 この碑銘は出土品だから文集の類には載ってゐないやうだ。香港公共圖書館の電子圖像。
方元彦墓碑銘

西暦1603年三月、方元彦は福建巡按として福州に到着した。
明國の巡按とか按察使とかややこしいので、一度記憶してもすぐ忘れる。自分の備忘のため、まとめ。

巡按=巡按御史=按臣。監察官。
巡撫=撫臣。もともと同じく監察官だが、明國中期から省の大權を掌握するやうになる。
撫按=撫臣と按臣。=巡撫と巡按。

省の本來の官制は、布政使、按察使、都指揮使の三司。
そこに監察官として巡撫と巡按が來る。巡撫は明國中期から實質的省長になってゆき、軍政も掌握する。
「按臣」は非公式の雅稱。一例:
『萬曆野獲編』卷十九「按臣笞將領」:
「順天巡按御史李順衡(植)、廉知總兵陳文治掩敗為功狀、特疏劾之、旨下即行御史逮問。至日便捕文治、痛決三十板。」
『神廟留中奏疏彙要』兵部卷十「紅番據險互市」の疏(北京大學藏孤本、燕京大學圖書館西元1937年影印)に、「萬曆三十二年十月初二日、福建巡按方元彦」と署する。
夏子陽『使琉球録』では方元彦を按臣と呼ぶ。

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