チャイナ人民共和國建國後二十年間は、尖閣附近に國境線を引かぬ地圖となってゐます。まだ自力全國測量を成し遂げてゐなかったため、刊行する諸地圖には「申報館地圖を借りる」と注記されてゐます。申報館地圖とは如何なるものか。
1948申報中國分省新圖2
1948申報中國分省新圖

 上は昭和23年、西暦1948年、申報館『臺灣分省新圖』第五版。
http://ci.nii.ac.jp/ncid/BA44819899
http://world.bookinlife.net/product-235062.html
 圖の右上は福州市擴大圖。尖閣は福州枠の後ろにかくれてゐるので、枠外です。臺灣は枠内です。既に臺灣を日本領土としない年代です。國境線は南から北北東に魚釣島に向かって伸びてゐます。魚釣島の東に伸びるか西に伸びるかは問題ではありません。何故なら久場島と魚釣島との間のわづか二十七キロメートルに國境線があるといふ説を如何なる史料も示してゐないからです。よってこの地圖の顯著な特徴は、石垣島まで枠内でありながら、尖閣が枠外だといふ點です。枠こそ大切であって、單に載ってないといふならば省略の可能性もあります。
 なほ、與那國島は國境線よりもやや西側に出てゐます。よってこの國境線は實際よりもやや東寄りだと分かります。それを西寄りに正しく移動すれば、尖閣は明確に國境線の外となります。

他に申報館の第一~四版は以下の通り。昭和八年~十四年。
http://ci.nii.ac.jp/ncid/BA6646455X
http://ci.nii.ac.jp/ncid/BA57596276
http://ci.nii.ac.jp/ncid/BA42547029
http://ci.nii.ac.jp/ncid/BA49063734
http://ci.nii.ac.jp/ncid/BB01208609
http://ci.nii.ac.jp/ncid/BN11806237
http://ci.nii.ac.jp/ncid/BB01208609
原版を確認してませんが、日本統治時代ですから臺灣も尖閣も含まれないでせう。昭和二十三年版だけは臺灣を含みますので、それがチャイナ人民共和國の地圖に影響をあたへ、尖閣附近に國境線を引かない地圖となったと考へられます。一方、臺灣に移った中華民國の地圖では明確に尖閣を日本領土とします。

中華人民共和國の地圖が申報館から承け繼がれたことは以下のリンクの通りです。

http://www.sinomaps.com/gywm/gaikuang/2011-01-12/1.shtml
 中國地圖出版社歴史悠久。作為我社前身之一的亞新地學社成立於1900年,是我國最早的專門編制出版地圖的出版單位,而另一個重要的組成部分則是上世紀三十年代出版了著名的《中華民國新地圖》和《中國分省新圖》的《申報》地圖編纂室。
https://web.archive.org/web/20190124233533/http://senkaku.blog.jp/2019012578850026.html

以上は2015年(平成27年)3月28日22:04に永山英樹氏に送った電子メールを少し分かり易く書き足しました。大した話ではないので、そのままこの件は八重山日報等に書かずに抛置してゐました。しかしこのたび平成31年一月、舊記事を搜すと、同年十二月三日に毎日新聞金子秀敏氏が同趣旨を書いてゐて、尖閣480年史ブログにも掲載してゐたことに氣づきました。
 私よりも八ヶ月後ですが、先に公表されてしまひました。やはり小さな事でも早目に公表して先着順を確保する必要があるやうです。但し金子氏は「載ってゐない」といふだけで、「枠外」認識を書いたわけではありません。
金子秀敏毎日20151203

なほ、昭和23年申報館地圖以外には、昭和22年(1947年)地圖について、平成二十四年(二千十二年)に下のブログが有りました。
http://whampoama.blogspot.com/2012/09/blog-post_5029.html
最後に、永山氏宛て電子メール。
1948申報館地圖永山