這條消息已發布一年半,今天纔知道。了不得。不得了。たまげた。
這本辭典成書於1626-1642年間,書中包含「鷄籠」「淡水」等地名,可以想像它更包含其他地名。我們不得不關心Tabaco Xima(目前蘭嶼)及日本各地地名記載如何。有無Reyes Magos乃至Torixima在裏面。也可能包含一些當時日本人、日本歷史的訊息。何時刊行?企予望之。

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    穿越時空的「錄音筆」: 西班牙殖民時期新史料發表
    發稿時間:中華民國106年04月14日  
由中央研究院臺灣史研究所、國立清華大學、西班牙巴塞隆納大學Pompeu Fabra及塞維亞大學(Sevilla)組成的研究團隊,在菲律賓聖多瑪斯大學檔案館中尋獲一份距今約四百年,厚達千頁近兩萬字詞的《漳州話詞彙(Vocabulario de la Lengua Chio Chiu)》,今(14)日中央研究院臺灣史研究所於研討會中公佈此研究成果,堪稱本世紀明代閩南話史料發掘最重要的發現。透過手稿中的拼音符號,「聽到」十七世紀在馬尼拉及北臺灣閩南人的語言。

研究團隊前往西班牙與菲律賓等地檔案館,搜集、整理十六、十七世紀中有關台灣與中國的西班牙史料,並建構數位史料資料庫。近兩年來也陸續前往馬德里、塞維亞、巴塞隆納等城市找尋古閩南話的詞典或古籍。幾經努力下,終於在馬尼拉尋獲《漳州話詞彙》手稿,,一窺當時閩南人的常民生活。

透過這部十七世紀初期編纂的《漳州話詞彙》,我們能得知當時漳州移民的日常詞彙,以及詞彙背後的生活點滴、地理知識,增進我們對臺灣早期閩南移民的認識。例如臺灣常見的毒蛇青竹絲,在手稿中寫為「竹系蛇」,西班牙人編譯為「Vibora」(意為毒蛇);螢火蟲寫為「火金星」(Hue Quion Che);今日使用的「洗門風」(Sey Muy Hong)一詞,400年前的閩南人就已經在使用;清代臺灣糖廍的製糖術語「漏尾糖(Lau Bue Tung)」,亦早在明末時期便被西班牙人編進詞彙中;閩南人用的髒話,也能在字典中看見。

1571年西班牙人帶著美洲白銀來到菲律賓,吸引了數以萬計的閩南人前往馬尼拉謀生,而後透過閩南人的貿易網絡與資訊,西班牙人獲知稱為「北港」(Pag Cang)的臺灣,以及島上「雞籠」(Quey Lang)、「淡水」(Tam Chuy)的相關資訊,並在1597年畫下世界上第一張艾爾摩沙島(Hermosa,即臺灣)的完整地圖,圖上便註記著雞籠與淡水港。

西班牙人為了前往福建傳教,便透過在馬尼拉的閩南人協助編譯相關的閩南話書籍,最重大的成果就是《漳州話詞彙》。該語彙中「雞籠、淡水」詞條,西班牙文寫道:「艾爾摩沙島上,西班牙人所在的土地」(Tierra de Isla Hermosa ado estan los españoles),得以證明手稿製作於西班牙人殖民北臺灣期間(1626年至1642年間)。比起1711年開始編輯的康熙字典早了近百年,同時也是目前尋獲十六、十七世紀閩南話詞彙文獻中,詞數最多且內容最豐富的,甚至有三分之一的詞彙同時註記當時官話的拼音。

先前曾公開發表有關漳州話語言史料,最著名的是已故大漢學家龍彼得(Piet van der Loon)尋獲的《漳州話語法》(Arte de la Lengua Chio Chiu),總共約六十頁,介紹近兩千個字詞。此次找到的《漳州話詞彙》,蒐羅的字詞數是前者的近乎十倍,也因此更能完整地建構一套早期臺灣閩南移民語音的資料庫。

本研究由蔣經國國際學術交流基金會獎助,《漳州話詞彙》的解讀工作由清大語言所連金發教授、中研院臺史所陳宗仁副研究員、清大歷史系副教授李毓中及西班牙學者José Luis Ortigosa等人共同合作。《漳州話詞彙》將為臺灣學術界帶來新的研究動能,在歷史學上,可從西班牙人的角度瞭解閩南人在臺灣及東南亞活動的足跡與面貌;就語言學而言,則有助於重現四百年前閩南話的語音,瞭解現今臺灣與東南亞閩南話的流變。同時,也為新南向政策,增加了學術與文化交流的另一新契機。

新聞聯絡人:
張惟翔,中央研究院院本部媒體事務小組 cenvah@gmail.com
(Tel) 02-2789-8820



17世紀的人怎麼說閩南語? 中研院有重大發現
新頭殼newtalk | 呂晏慈 綜合報導     發布 2017.04.13 | 20:17

西班牙人1628年統治台灣北部期間,曾興建「聖多明哥城」,但後來該城遭摧毀,後1644年荷蘭人於聖多明哥城原址附近興建「安東尼堡」,即為今日的紅毛城。   圖:交通部觀光局網站

17世紀的人怎麼說閩南語呢?中央研究院台灣史研究所明(14)將舉辦「西班牙所藏臺灣與東亞史料數位化現況與展望國際研討會:新史料發表會」,發表一份在菲律賓聖多瑪斯大學發現的《漳州話詞彙》(Vocabulario de la Lengua Chio Chiu),此為本世紀研究明代閩南語最重大的史料發現,透過手稿,將有機會還原17世紀在馬尼拉、北台灣閩南人的語言。

中研院台史所表示,《漳州話詞彙》撰寫1626年至1642年間,當時西班牙人殖民北臺灣,手稿中甚至出現台灣地名「北港(Pag Cang)」、「雞籠(Quey Lang)」、「淡水(Tam Chuy)」等詞彙,現今常見螢火蟲的稱呼「火金星(Hue Quion Che)」也包含其中,該史料比編於清康熙55年的漢語辭典《康熙字典》還早了近百年。

「閩南語」一詞,是1950年代中期才出現的字彙,清代、日治時期尚未使用,而是以漳州話、泉州話、廈門話,加上少許永春話稱之。中央研究院臺灣史研究所、國立清華大學、西班牙巴塞隆納大學及塞維亞大學組成的研究團隊,研究這份在菲律賓聖多瑪斯大學檔案館裡尋獲的《漳州話詞彙》,其成書約400年,可藉此瞭解閩南人在臺灣及東南亞活動足跡,並用來分析現今臺灣與東南亞閩南話的流變。

《漳州話詞彙》內頁。   圖:中央研究院台灣史研究所提供
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「スペインによる植民統治時代の言葉に関する新たな歴史資料を発表」
発信日: 2017/04/18
中央研究院台湾史研究所と国立清華大学などの研究グループが、約400年前に書かれた、漳州語の発音・漢字・スペイン語対照の「漳州語辞典」をフィリピンの大学で発見した。中央のあたりに「洗門風」が見える。(中央研究院提供、中央社)
台湾の最高学術研究機関、中央研究院台湾史研究所と国立清華大学(台湾北部・新竹市)、スペイン・バルセロナのポンペウ・ファブラ(Pompeu Fabra)大学、及びセビリア(Sevilla)大学による研究グループはこのほど、フィリピンの聖トマス大学の資料館で、今から約400年前の「漳州話詞彙(Vocabulario de la Lengua Chio Chiu=漳州語辞典)」を発見した。同資料は1,000ページに及び、2万語近くの単語が収録されているという。漳州とは中国大陸・福建省南東部の都市。中央研究院台湾史研究所は14日に開いたシンポジウムでこの研究成果を発表、明の時代の閩南語(福建省南部で話される言葉。福建省から台湾に渡ってきた人たちの言葉もその流れをくむ)に関する歴史資料として、今世紀最大の発見だとしている。原稿にある発音記号を使うことで、17世紀にマニラ及び台湾北部で暮らしていた閩南人(福建省南部の人たち)の言語を実際に「聴く」ことが可能になる。
 
研究グループはスペインやフィリピンなどの資料館で、16世紀と17世紀における台湾と中国に関するスペインの歴史資料を収集整理し、デジタル化したデータバンクを構築。過去2年間は、マドリード、セビリア、バルセロナなどの都市も訪れて閩南語の辞書や古書の発見に努めた。
 
今回発見された「漳州話詞彙」により、当時、漳州から渡った移民たちが日常使っていた言葉の他、その背景である暮らしぶりや地理的な知識を窺い知ることができ、かつて閩南地方から台湾に渡ってきた移民たちに対する認識も深められる。台湾でよく見られる毒ヘビのタイワンアオハブは、「漳州話詞彙」では「竹系蛇」とされ、スペイン人はこれを「Vibora(毒ヘビの意味)」と訳している。ホタルは「火金星(Hue Quion Che」。また、現在でも使われる「洗門風(Sey Muy Hong)」は、400年前の閩南人がすでに使用していたこともわかる。
 
閩南人には、過ちを犯した人に自らの過ちを書いたカードを持たせ、市場のそばで道行く人に謝罪させる習慣があり、これを「洗門風」と呼ぶが、「漳州話詞彙」にも「Sey Muy Hong」と明確に記載されている。当時のスペイン人はその文化的なイメージを理解することはできなかったかもしれないが、「漳州話詞彙」ではスペイン語ではっきりと、当事者の名誉を回復するためのものと解説されているという。中央研究院台湾史研究所の謝国興所長は、「漳州話詞彙」に収録された「洗門風」は閩南人本来の風習に近く、今若者たちが使う「洗門風」とは異なるのではと主張する。現在、台湾の人たちが使う「洗門風」は、公の場で恥をかかせることに近くなっており、謝所長は、「洗面(「けなす、嘲弄する」の意味)」という言葉と混同された可能性を指摘、「漳州話詞彙」によって本来の意味が明らかになることで、言葉の発展の脈絡と変化を理解できることは大変興味深いと話している。「漳州話詞彙」にはまた、清の時代の台湾における製糖場で使われた専門用語、「漏尾糖(Lau Bue Tung)」も明の末期にスペイン人によって加えられていた。さらには閩南人が人を罵るときに使ったスラングも「漳州話詞彙」に見られるという。
 
スペイン人は1571年、米国の銀を携えてフィリピンに上陸。豊かな暮らしを求める数万人とも言われる閩南人をマニラに引きつけた。スペイン人はまた、中国大陸の福建省での布教活動のため、マニラで暮らす閩南人の協力を得て関連の閩南語書籍を編纂、その最も大きな成果こそ「漳州話詞彙」だという。「漳州話詞彙」にある「鶏籠、淡水」にはスペイン語で、「Tierra de Isla Hermosa ado estan los españoles(台湾島でスペイン人がいるところ)」と書かれており、この原稿がスペイン人の台湾植民統治時代(1626年から1642年)までに書かれたことが証明できる。1711年に編纂が開始された「康熙字典」よりも100年近く早いものである他、現在までに見つかった16世紀、17世紀の閩南語の単語に関する文献の中でもその単語数が最も多く、内容が最も豊富なものだという。さらに、「漳州話詞彙」に書かれた単語のうち三分の一には当時の公用語(官話)の発音記号も記されていた。
 
漳州話に関する言語史料で最も有名なのは、漢学者のPiet van der Loonが発見した「漳州話語法(Arte de la Lengua Chio Chiu)」。約60ページにわたって2,000語近い単語を紹介している。しかし、今回発見された「漳州話詞彙」はその10倍近い単語を紹介しており、台湾における早期の閩南移民の言葉のデータバンクをより完全なものにできる。また、これまでの史料はスペイン語と閩南語の発音記号しか記されておらず、当時の記録者が発音を正確につかんでいなかったとしたら、数百年後の研究者が何の意味なのか知ることは大変困難だった。「漳州話詞彙」には漢字があり、一部には公用語の対照も付いているので、当時の例をいっそう正確に理解できるという。
 
蒋経国国際学術交流基金会のサポートを受ける同研究において、「漳州話詞彙」の解読では国立清華大学語言学研究所の連金発教授、中央研究院台湾史研究所の陳宗仁副研究員、国立清華大学歴史学科の李毓中副教授(准教授)、スペインの学者、José Luis Ortigosa氏らが共同作業を行った。「漳州話詞彙」は台湾の学術界に新たな研究のエネルギーをもたらすと共に、東南アジアや南アジアなどとの関係強化を目指す「新南向政策」に向けても学術と文化面での交流に新たな契機を与えたことになる。


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