アレクサンダー大王の東征により、ペルシア帝國、
バクトリア王國、北インドに、ヘレニズム文化が傳播した。
アレクサンドリア(烏弋山離 a dik san li)と呼ばれた諸國の最東は、
Alexandria Oxiana、即ちラテン名Oxus(英語オクサス)。
今のアイハヌムといふ場所で出土した遺跡が
古代のアレクサンドリア・オクサスだとする説もある。
https://kotobank.jp/word/-822604
またはバクトリア王國のEucratidiaがアイハヌムだともされる。
いづれにしろこのアイハヌムから希臘語のパピルスが出土した。
紀元前三世紀半ばの遺物とされる。
まさしく秦の始皇帝時代である。

「アイハヌム遺跡のギリシア語史料について」
    田中 穂積        人文論究 48(4), pp.41-53, 1999-02。関西学院大学。

オクサス附近の地はウイグルの中華人民共和國殖民地線まで
300kmの距離、カシュガルまで400kmの距離。

オクサス附近のパピルスから約百年後の紀元前二世紀、
前漢の張騫が大宛から康居を經て大月氏(バクトリア)に
到達した。バクトリア領域内に、かの乾陀羅、ガンダーラが有る。
康居は、ほぼオクサス附近である。
さらに約百年後の紀元前一世紀、ウイグルのロプノールで
最古級の紙が出土してゐる。

「紙の発生から普及まで」 (14)
    伊藤通弘   「紙パ技協誌」 50(10), pp.1445-1445, 1996年。

アレクサンドリア長安ロプノール

オクサスからロプノールまで約1500kmm。
ロプノールから漢の首都長安まで約2200km。
ロプノール紙は、地理的距離としては漢よりも
アレクサンドリアに近いのである。そもそも、
ロプノール紙は紙なのか。パピルスではないのか。

前漢で出土する粗製紙を紙だと定義すれば、
パピルスも紙となってしまひ、人類最古の紙はどちら
なのか、困ったことになった。と、江曉原氏が言ってゐる。
江曉原氏は、上海交通大學教授、科學史家である。

オクサスのパピルスには、希臘哲學イデア問答が
書かれてゐる。イデア問答といへば、まさしく
張騫の同時代、グレコ・バクトリア王國の
「ミリンダ王の問ひ」(那先比丘經)ではないか。
那先比丘經は授業で取り上げたりしてゐる。
ミリンダ王コイン

張騫は西方で樣々な文化を入手して漢に持ち歸った
ことで知られる。大宛汗血馬、葡萄、苜蓿、などなど。
ロプノール紙の時代はガンダーラ美術の時代である。
大月氏のガンダーラは、オクサスの南方約300kmだ。
その百年前の張騫の到達した大月氏にも、
當然パピルスが有ったこと間違ひない。無い筈がない。
パピルスを見た張騫が、珍奇に驚かぬ筈が無い。

前漢時代の現存最古の紙は、甘肅・ウイグル・敦煌・陝西など
全て現チャイナ統治域の西部から出土してゐる。
紙の技術がシルクロードを通じてチャイナに
持ち込まれたことはほぼ確實であらう。
シルクロード

以上のやうな時間空間の大勢から見れば、
後漢の製紙術は、パピルスの影響下で改良したものと
考へねばならない。この程度のことは、私がこのブログ
に書く以前に、きっと數十年前に史家が書いてゐるに違ひない。
伊藤通弘氏も「紙とシルクロード」といふ一節を設けて
少々論及してゐる。

「紙の発生から普及まで」 (15)(16)
    伊藤通弘    「紙パ技協誌」 50(11),50(12),1996年。

なほ、シルクロードは乾燥してゐるから紙が保存された
と、研究者は言ひわけしてゐるが(リンクは一例)、
同じく腐り易い帛書(はくしょ)が湖南省で大量に
出土してゐる。戰國の楚國から多く出るが、
特に前漢の馬王堆(ばわうたい)は耳にした人も多い。
湖南省は地質が腐敗しにくいとされる。
木簡も湖南省から多く出土する。
されば湖南省で出土しない前漢の紙が
陝西・南モンゴル・甘肅・敦煌から出土するのは
西のパピルス文明の東漸と考へざるを得ない。

ラテン語のPapyrusはそのまま英語のPaperであり、
名稱が變はってゐない。新たな名稱が生まれるほどの
革命的進歩があったわけではないことが分かる。
パピルスの悠久の歴史の中のひとこまが、紙であるに過ぎない。

發明といふならば、最大の筆記革命はパピルス製造法の發明だらう。
それ以前は粘土板、牛骨、金石、木簡、竹簡、布などが
書寫媒體であった。そこから全く異なる概念に飛躍したのが
パピルスであり、紙はその影響下の改良の一種に過ぎない。

東洋は教へを受ける側であった。
漢乃至更に古くから、所謂シルクロードは西の文明を東に運んだ。
漢の時代、既にチャイナは西方大文明の
影響下の小文明に過ぎなかった。

「一帶一路」の政治宣傳では、
あたかも東風が西風を壓倒してゐたかの如き
https://www.bbc.com/zhongwen/trad/chinese-news-41164655
逆方向の嘘の歴史を唱へてゐる。
チャイナ四大(しだい)發明の一つが紙だと
いふのは眞っ赤な嘘である。

古代の文物は、どこが起源なのか分からないものが多い。
分からない場合にそれをチャイナ獨自の文化だと
宣傳するのが彼らの勝手な理屈だ。
しかし例へば兵馬俑の馬車はあまりにも希臘に似てをり、
西方文明の影響を濃厚に感じさせる。
漢代の製紙術も、西方のパピルスから改良された。
さればチャイナ獨自の發明なるものが、どれほど有るものか。
ジョセフ・ニーダム如きの妄言を易々と信じてはいけない。

關聯:二千年前の葡萄酒發見の報導。



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平成30年11月11日追記
その後、近年の論文を英語日本語チャイナ語で搜してみると、
どうもパピルスがアレクサンドリアから東傳した説を
創始した人は見つからない。どうやら私の創説かも知れない。
近い内に何らかの媒體に寄稿することにしよう。

參考:

クロード・ラパン(Claude Rapin)氏、アイハヌムをEucratidiaに擬する。


「論紙莎草紙的興衰及其歷史影響」(未論及東漸)
《史学集刊》2005年03期  孫宝國, 郭丹彤
http://xuewen.cnki.net/CJFD-SHXZ200503016.html
http://bbs.mountblade.com.cn/thread-287469-1-1.html

「紙の傳播と使用をめぐる諸問題」清水和裕
2012-03-09 「史淵」巻149  pp.79-97 (未論及東漸)
http://hdl.handle.net/2324/24705

楊巨平「哈努姆遺址與希臘化時期東西方諸文明的互動」。
『西域研究』2007年第一期。
https://www.1xuezhe.exuezhe.com/Qk/art/351435


「遠東希臘化文明的文化遺産及其歴史定位」
《歴史研究》2016年第5期。
論及張騫與牛皮紙(羊皮紙)相涉,未論及莎草紙(papyrus)。
論及Ai-Khanoum並非Oxus。

楊巨平「彌蘭王還是米南德?——《那先比丘經》中的希臘化歷史信息考」
載《世界歷史》2016-05。
http://www.cnki.com.cn/Article/CJFDTotal-HIST201605009.htm


 【词条】:西方造纸术--靳贻婷  10300130125 (2012-06-16 23:03:00)
-莎草纸&造纸术之辩
用国内的搜索引擎搜索“西方造纸术”,清一色的出来的基本都是中国造纸术及西传。搜索在文献资料库,也都是关于中国造纸术的,
通常说的造纸术,应包含打浆、抄纸、脱水等几个步骤。从化学上而言,打浆是拆开纤维素分子之间原先的氢键链接,然后通过抄纸和脱水形成新的氢键链接。无论具体技术如何,满足了这几个条件的,才是真正意义的造纸术。

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