昭和52年歌会始お題「海」
御製(天皇陛下のお歌)
    はるばると利島のみゆる海原の朱にかがやく日ののぼりきて
皇后陛下御歌
    鹿児島の海こえゆけば船のさき天つひかりに波はかがやく
皇太子殿下お歌
    足摺の岬はるけく黒潮の海広がれりさやに光りて
皇太子妃殿下お歌
    岬みな海照らさむと点るとき弓なして明かるこの国ならむ

山田宏 自民党参議院議員 @yamazogaikuzo
皇后陛下の84歳のお誕生日に際し、心よりお祝い申し上げます。
岬みな 海照らさむと 点(とも)るとき 
弓(ゆみ)なして 明かる この国ならむ
夜の日本列島、各地の灯台が点り弓のような美しい姿に輝いている、その壮大な情景を称えられた御歌です。皇太子妃時代の昭和52歌会始、お題は「海」。
上午7:04 - 2018年10月20日
https://twitter.com/yamazogaikuzo/status/1053421602770059265

私は皇室尊崇の心が不充分なので、山田議員の
ツイッターで初めてこのお歌を知った。
昭和44年以來の尖閣騷ぎを經て、
昭和四十七年に沖繩が日本に返還され、
昭和50年から51年まで沖繩海洋博覽會が開かれ、
世間の話題の中心は沖繩と海であった。
昭和50年七月に時の皇太子殿下はひめゆりの塔事件で
火炎瓶を投げられ、妃殿下が手づからこれを禦ぎ、
皇太子は輕傷を負はれた。昭和51年一月、海洋博閉幕式に
皇太子は出席された。七月、皇太子は足摺岬を訪問された。
そして昭和51年九月には海洋博跡地が公園として開園した。
海をめぐる慶事と不祥事とが一段落した處で、
昭和天皇皇后兩陛下の海の御旅も併せて、
昭和52年の歌會始のお題が海となったのだらう。
歴年のお題で海はこの年だけである。

司馬遼太郎の名言「くにのかたち」を先取り
して、愛國心の模範ともいふべきお歌である。
「岬みな」の中には勿論沖繩各地も含まれる。
「弓」にも沖繩が含まれる。
海洋博覽會など沖繩が話題の中心だった世相で、
沖繩を意識されずに作歌された筈が無からう。
岬には與那國島の日本最西端の地も含まれるだらうし、
與那國島まで屆く弓であれば、その東の尖閣も含まれる。
末尾の「ならむ」とは、現状でまだ全ての岬に燈が
點ってゐないといふお心だっただらう。
このお歌の翌昭和53年、日本青年社が尖閣燈臺を設置した。
そして今年(平成三十年)三月に與那國を訪問され、
積年の御思ひを果たされた。

岬みな海照らさむと點るとき弓なして明かるこの國ならむ

魚釣島燈臺朝日新聞
   ▲魚釣島燈臺。朝日新聞。

[問] 天皇陛下の退位まで半年余りとなったご心境をお聞かせ下さい。
   
[皇后陛下]
 陛下は御譲位と共に,これまでなさって来た全ての公務から御身を引かれますが、……
 陛下の御譲位後は,……これまでと同じく日本や世界の出来事に目を向け,心を寄せ続けていければと思っています。例えば,陛下や私の若い日と重なって始まる拉致被害者の問題などは,平成の時代の終焉と共に急に私どもの脳裏から離れてしまうというものではありません。……
http://www.kunaicho.go.jp/page/kaiken/show/21
御の字もつけずに退位か。記者クラブは何か特別な思想に侵されてゐるのだらうか。